2009.11.07

大地の芸術祭秋(その4) タレル光の館

今回どうしても行きたかったのがタレルの光の館。

以前金沢の夜を過ごしたタレルの部屋の良さが忘れられなくて・・・

宿泊施設にもなっていて泊まることができるのだけど、予約がいっぱいだから夜を楽しむことはできなかったのが残念。
そのうち何とか泊まれないものだろうか・・・

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この高床式(といっても一階部分があるので実際には違うのだけど)になっている光の館。

二階の四方が回廊になっていて直接自然を感じることができる。
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これはほかの部屋だけれど、温かな間接照明。
はっきりした記憶はないけれど見たのはすべて間接照明だった気がする。
キッチンは直接照明になっている部分もあったかもしれないけれど、和室はすべてこんな感じで落ち着いた雰囲気。

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宿泊客でないと使用できないトイレ。
こんな風に柔らかな光に囲まれてすごす夜はうらやましい。

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そして屋根が空いて四角く切り取られた空。
畳の上にねっころがって空を見ていると距離感も失われてどこまでも広がって伸びていくような不思議な感じ。

こうやって映像で見るとたいしたことはないけれど、部屋の中で見ていると空と一体になったような不思議な感動。
これを味わいに来たんだなぁ・・・

(新しいカメラは動画がQUICKTIMEの形式なのでそのままでは編集できずに悪戦苦闘・・・)


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2009.10.18

大地の芸術祭秋(その3) 霧の朝

当初の予定では「朝は棚田」と思っていたのだが、ちょうどこの時期は稲刈りが済んだところで水が入っていないときいて、(早起きも苦手だし)まあいいか・・・

それでもあと10日ほどするとまた水を張ると聞いたので、この記事を書いている今頃は棚田では旭や夕日が輝いているんだろうなぁ・・・

平地であれば水を張らなくても大丈夫だけれど、棚田では水を張らないと田んぼが割れて水が漏るようになってしまうのだとも言う。
それだけの手入れを必要とする棚田・・・かつては出稼ぎの盛んなこの土地で残った人たちが水を張って田んぼを守ったのだろう。

「きれい」というだけで済ませてはいけないひとつの文化。

なんていうことを宿に入っておいしいお米の食事をしながらちょっと考えはしたけれど・・・・

それなら!
とばかりに早起きをして見られなかった松代のほかの場所を朝食前に見に行くことにする。

結果としてはそのおかげで幻想的な風景が見られたし、霧が深かったので同じ宿にいた方に伺ったら棚田の景色も今ひとつだったようだった。

というわけでCosたちは早起きをして昨日の鉛筆から見始めることに。
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霧の中に昨日も見た「リバース・シティ」
一本一本の巨大鉛筆には世界の各都市の名前が入っている。
深い霧の中の姿は何かを象徴しているかのよう・・・
箱に入った色鉛筆のように世界が集まっている。

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まあ、「この鉛筆はかけるんだろうか?」というのがCosの素直な感想だったかもしれないが・・・∥^O^∥

霧の中に浮かび上がってくる作品は「霧」というだけで幻想的にも見えてくるから不思議。

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意味を知らないと面白くもない作品。
北斗七星の形にあけられた穴から雑草が生えてきて季節とともにその姿を変えていくという「関係--大地 北斗七星」
概念としては面白いし、頭の中だけで考えるとそれなりによさそうに見えるけれど、実際に見てみると・・・北斗七星だと知っていてもあまりCosに響くものはない。

発想としては面白いと思うんだけどなぁ・・・

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これも発想としては面白い、「今を楽しめ」
松代の子供たちと作ったという雪だるまを冷蔵庫に閉じ込め、会期終了後は解けていくのだという。
が・・・・雪でできているなんて見ただけではわからないのだ。
雪だるまはかわいいし、雪深いこの地を象徴しているのだろうとは思っても、そこまでは思いつかなかった。
まあ、かわいいからいいんだけど・・・

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「平和の庭」インドのやわらかい大理石で作ったハスの花のオブジェ。
日本人の発想のハスじゃなくて、インド人の発想のハスなんだろうな。

昨日、農舞台から見た棚田の一番上になる小さな池のほとりにさりげなく。
左の方に見える黄色い人が昨日農舞台から見た棚田で働く人。

静かに、まるで本当の植物のようにさりげなくおかれている。
派手なところ、主張するものは見えてこないかもしれないけれど、静かな池にふさわしい。

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陽がほのかに差し込んできて・・・・なまえのわからないトーテムポール(?)を浮き上がらせている。
アート作品としてはすごいとは思わないけれど、霧と朝日の中の姿は・・・自然の力は・・・本当にきれい。
早起きをしてここまで上って来てよかった。
(といっても、もちろんくるまで上ってきたんだし、この写真も多分車を降りることなく開けっ放しの屋根から撮った・・・のだったと思う)

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見ただけで笑い出したくなるようなかかしプロジェクトはMOT(東京都現代美術館)近くの深川の人たちの作品。
この深川の町は「アート」に力を入れていて、MOTの行き帰りに楽しんでいるのだが、東京を離れたここでまた出会うとは・・・
なんだかうれしくなってしまった。


道の脇に並んだかかしたちはオズの国に迷い込んでしまったかのように通る人を歓迎してくれている。
気分はちょっとファンタジー。

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ある意味、Cosの理想郷である森の中の図書館「フィヒテ」
ここで本を読んでのんびりすごしたくなったのはいうまでもない。
本来、本は湿気や光に弱いから、戸外に図書館を作るのは無理。
子供のころ、森の中の隠れ家を楽しんだように、森の中の秘密の図書館を楽しみたいものだ。
雨が降ったら傘を差して、雪が降ったら雪に埋もれながら・・・

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材木を積み重ねて作られた「棚守る竜神の塔」
棚田を見下ろす山のキャンプ場の入り口の空き地に作られている。
製剤所から出てきたような板で作ってある竜神はなかなか面白い。
この竜神の脇の道を登って上のほうに上がっていくと、眼下には
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竜神は深い霧の中に沈みこんでいる松代の街を見守り、霧の向こうには街を挟んだ向こう側の山の緑が見えている。

霧の向こう側に見える山は不思議なこの世のものとは思えないような不思議な世界・・・

確かにここでCosはアートに出会った。
が、自然に勝るアートはないのだと改めて感じたひととき。

このあとぐるっとまわってから降りるころには霧もすっかり晴れて不思議な世界も消えてしまっていた。

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2009.10.12

大地の芸術祭秋(その2)農舞台周辺

大地の芸術祭秋(その1)農舞台からの続きです。

農舞台を見終わった後は「暗くなる前に」見られるだけ見ようとせっせとうろうろ。
第一の目標はそこに見えている草間弥生なのだが、なかなかそこまで行き着けない。
何しろ農舞台を出た途端に
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里山アート遊園地・・・が待ち構えているのである。

さすがに遊園地では遊ばなかったけれど、これ以外にもジャングルジムがあったり・・・


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藤本修三の「空と地の間にて」
足が日本しかないデッキチェアは互いに支えあっているんだろうな。
二人が・・・二人がけのソファと違って微妙な見つめあいながらも近づけない距離をおかなければならないせつなさを味わいながら・・・語らう。
このほかに5人用(写真の奥のほうのデッキチェア)のもあったけれど、こっちのほうがずっとよかった。

さらに、カラフルなたくさんの板が並んでいるような「まつだい住民博物館」とか

さらには「かまぼこ型倉庫プロジェクト」
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この大きさの順にならなんだかまぼこ型の倉庫の中にはいろいろなものが展示してある。
(中身はCosの趣味じゃなかったけど・・・)

こんな調子で一つ一つ見ていくからいつまでたっても草間弥生にたどり着けない・・・∥^O^∥

とうとう、ちょっと見てみたかった郷土資料館はパスして草間弥生「花咲ける妻有」へ。

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もう少しして雪が降り始めると、この花も雪に埋もれるのだろうか。

以前直島で見たかぼちゃはこれに比べると自己主張が弱いように見えてくる。
自然の美・・・向こう側の棚田に負けないだけの存在感と自己主張を持って咲き誇っている花。

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ばったが止まるのにふさわしい。

しばらくの間あっちからこっちから楽しんでいるうちにあたりは次第に夕暮れになっていく。

くるときとは違う道から農舞台の駐車場に戻る途中には里山アート動物園が待っていた。

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Cosは最初のどこかうらぶれたアリが好きだなぁ・・・
トラの向こうにちょっとだけ見えているのは「地震計」だったと思う。

農舞台の下では遊園地の隙間滑り台とか、車にペインティングしたものとか・・・
そしてなによりも今日刈っていた稲がここに集められていた。
稲刈りをしていたおじさんとおしゃべりを楽しんで・・・
「松代の米は収量が少ないから有名じゃないけど魚沼産のコシヒカリなんかよりもずっとおいしいんだ」
「市場には流通してないけど、直接買っている人も少なくないんだ」という話を聞いて今夜のご飯が何よりも楽しみになった。

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このほかにもまだまだいろんな作品がこの近くにあったけれど、空にはこんな月も出てきて、

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反対側の澄んだ空の雲は紅く染まっていた。
東京で見るのよりもずっと澄んだ空気と豊かな自然。
アートに負けない美がここにもあった。

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なんていう感傷的な気分とは裏腹に・・・帰る道でみた
川沿いに並んでいる「帰ってきた赤ふん少年」・・・
ヤッパリCosたちの落ちはここにあるのかも・・・・


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2009.10.11

サイトシーイングバス

府中市美術館で11月3日まで開催されている「多摩川で/多摩川から、アートする」のイベントのワークショップ「サイトシーイングバスカメラで府中の風景再発見!」に参加してきた。

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最初はピンホールカメラと思ったのだが、ピンホールではなく窓にレンズをつけていた。

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「暗室になっているバスにバスの左右の窓に取り付けられたレンズから車内のスクリーンに映し出される映像。

暗い車内でスクリーンを映したのでかなり暗くなってしまって何がなんだかわからない部分もあるけれど、実際にはもっとはっきり見えたのだが、動画にするとかなり見づらくなっている。

しかもパナソニックのデジカメを買ったために、もともとはmovファイルというWindowsに対応していない形式でサイズも馬鹿でかかったのでそれを小さくしてmpegにしたから画質もかなり劣化している。


交差点で止まったバスが進むところからスタート。
上下がさかさまになり、バスは右方向に進んでいるのに、見ていると後ろに進んでいるようにも錯覚してくる。

両側の窓のレンズから入った景色が真ん中のスクリーンに映し出されているので、普通は明るいほうが映っているのだが、交差点にくると右からの像と左から像が入り乱れて入れ替わったりもする。
この映像ではよくわからないかもしれないけれど。

実際に見るとまるっきり違って幻想的な不思議ないい雰囲気なんだけど・・・

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日のあたっているところは明るく映っているけれど、当たっていないところは夜のようにくらい。
マグリットの絵のように。

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大地の芸術祭秋(その1)農舞台

越後妻有で開催されている「大地の芸術祭秋」・・・Cosだって本当はメインである「夏」に行きたかったのだが、夏休みは思いのほか忙しくてとうとう行き損ねてしまったのだ・・・_| ̄|●

まあ、行ってみたら本当に楽しかったし、思いっきりたくさん見たし、充実した時間がすごせたので純分満足したからいいんだけど・・・
満足した割りに後でチェックしてみると半分も見てないのだ。
う~ん、もっと見たかったなぁ

仕事の都合で昼前に東京を出発して関越道を通って松代へ。
東松山からは1000円だけど、そこへ行くまでに何やかやを通って1850円。
ついたのは3時ごろだったからこの日は松代台へ。
ほくほく線松代駅の向こう側に農舞台が見える。

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まず駅の観光案内所で地図とパスポートを入手。
ここには夏の間はもうひとつ作品があったようだけど、今は閉鎖されていて見ることができない。
ちょっと残念。

まあ、いくらでも見るものはあるんだからと気を取り直して駐車場にもどる。
画面にはないけれど、駐車場からは草間彌生の作品が見えて早く行きたくてうずうずする。
が、草間彌生は野外の作品だから閉館時間にかかわらず見ることができるのではやる気持ちをぐっと抑えて小さなトンネルをくぐって農舞台へ。

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駐車場に入るとそこにはこんな作品が待っている。いや、これだけじゃなくてあっちにもこっちにもおもしろそうなものが・・・・小さな川の向こう側にも待っているのに・・・
「野外は後!」
再び我慢をして建物の中に入る。

入り口では楽しそうな不思議な動物たちが出迎えてくれる。
「おお!いたねぇ」とばかりにちょっと見ただけで奥へ。

最初に待っていたのは「ファブリス・イベール」の「火の周り、砂漠の中」。
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小さい写真ではわかりにくいかもしれないけれど、暗い、たくさん(1001個だそうだ)の光の点に囲まれた部屋の真ん中にあるテーブル(?)を囲んで部屋の壁に沿ってベンチがある。
ここに座って壁を見ていると静かな夜に囲まれているような気がしてくる。
音楽でも聴きながら物思いにふけりたくなる・・・・


が!
次がある、次が・・・
閉館時間までにせっせと見ないと・・・∥>_<∥

受付を済ませて最初に入ったのは「クモ 一本の糸から始まる宇宙」
これは前にINAXで見たのと同じもの。
さすがにあまり興奮しない(爆)

楽しかったのは河口龍夫の「関係ー黒板の教室」
教室中が黒板になっていて、どこに書いてもいいのだ。
いたずら書きの写真を撮ったつもりだったんだけどどこにもない・・・とり損ねてしまった。

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テーブルがガラスになって天井を映し出す「カフェ・ルフレ」
窓からは棚田が見え、テーブルには天井に張られた写真がうつりこんでいる。
ここでシソジュースを飲んでのんびりと・・・したかったのだが、こんどは
「暗くなる前にできるだけ見る!」
というわけでさっさと飲み終わると
階段を上って屋上へ。
屋上から見えるあれやこれやの作品がCosたちを手招きしている。

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こんな階段を下りて外へ行くのだが・・・・
この赤い階段の明るい赤さはどこかほのぼのしていてとても好き。
この光の中でひと時をすごしたかったのだが・・・・

階段を下りて外へ出ると、今までずっと見ていたカバコフの「棚田」がひとつの作品となって登場する。

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手前に下がっているのは伝統的な稲作の風景を読んだテキスト。
ちょっと読みにくいけれど、何が書いてあるかは読めると思う。
川の向こうの山を登る棚田では何人もの人が働いている姿。

実際の人間よりもかなり大きく作ってあるけれど違和感なく棚田に溶け込んでいる。

この棚田とここで働く人たちの姿が松代に来てからずっと見えていて、どこへ行っても棚田が存在しているこの土地の象徴のようにも見えていた。

この土地でなければ表現し得なかった一つの形・・・

(つづく)


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2009.10.09

やっぱり動植綵絵だなぁ

台風一過の午後、風はまだまだ強いけれど、少しは人手が少ないかもしれないと期待して、東京国立博物館の「皇室の名宝」へ。

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つい先日THEハプスブルグを見てその圧倒的な量と質に驚いたけれど、さすが皇室、こちらも負けない量と質。
1期:2009年10月6日(火)~11月3日(火・祝)/2期:2009年11月12日(木)~11月29日(日)
と二つの会期に分けて転じもすっかり入れ替えるのだという。

今回展示されている絵画は人物を描いた絵よりも自然を描いたものの法が圧倒的に多いのがうれしい。
皇室に献上したりするのには特定の人物の絵というのはまずいということなのだろうか??

ただ、国立博物館はいつ行っても混んでいてじっくりのんびりと見るのは至難の技。ほとんどの場合はほかの人の頭越し・・・下手をすると3列目とか4列目からのぞき見るのが精一杯だったりする。

というわけで4時前から閉館時間まで(見たりなかったけど)見に行ってきた。
さすがに最後の15分ぐらいは人も少なくて見たい絵をじっくり見ることができて\∥^O^∥/

Cosのお目当てはなんといっても若冲の動植綵絵全30幅。緻密な緊張感の走るある意味でリアルな絵はいくら見ても見飽きない。


いったん会場を回ってから、追い出されるまでじっくり見ていたのがこれ。

その緊張感も緊張させるばかりではなくどこかにふっと息を抜くポイントがあったりもする。

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老松白鳳図
尻尾の羽のハートがなんとも愛らしい・・・ってあの時代にはハートのマークはなかったんだけど・・・
この白い色も不思議な白さ。おそらく写真には出てこないのだろうと思うけれど、深みのある白で、白の複雑さがなんとなく見えているような気もする。
確か白い絵の具の下にベージュが塗ってあったような気がするけれど・・・違ったかな?

こうしたきりりとした絵ばかりでなく、いろいろな種類の虫がちりばめられた池辺群虫図やひょうきんなたこの親子(?)のいる諸魚図といったお茶目な作品もある。
仏教絵画ということなのだが・・・以下にも若冲らしいユーモアのある作品もいい。

かわいらしかったのは薔薇小禽図。つる薔薇だろうか?ピンクと白の薔薇がどこか和風に咲き誇っているのだが、薔薇の持つ西洋の華やかな匂いがどことなく漂っている感じがする。

花の絵も動物の絵もいくら見ても見飽きない。

おそらく混んでいればざっと見ておしまいにしてしまうのだろうけれど、人が少なかったこともあって閉館時間で追い出されるときにもまだ見たりないようで心残りだった。

何しろ、基本的に図録を買わないCosが買い込んだほどだから・・・∥^O^∥

もう一度、日を狙って見に行ってきたいなぁ・・・

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2009.10.05

THEハプスブルグ・・・君主たるものの務め

2009年12月14日まで新国立美術館の「THEハプスブルグ」の講演会を聞いてきた。

「THE」とついているだけあってウィーン美術史美術館、ブダペスト国立西洋美術館からハプスブルグ家ゆかりの作品が集まっている。

金にあかせて歴代の当主などが集めたすばらしい作品が一堂に会しているのだ。

金にあかせて・・・・・実のところ今回の講演会で一番感銘を覚えたのは美術品に限らず技術、芸術、科学にお金を使うことが当主としての勤めであると考えていたというルドルフ二世の話であり、昨今の文化予算の削減がはなはだしい日本の貧しさを痛感してきたのかもしれない。

侵略や戦争によってではなく、結婚によって支配を広げようとするハプスブルグ家らしい発想かもしれない。

「デューラー、ティツィアーノ、ブリューゲル、ルーベンス、ベラスケス ―ハプスブルク家とその画家たち」
カール・シュッツ氏(ウィーン美術史美術館絵画館長)の話を聞きながら歴史に疎いCosもどんな時代だったんだろうと興味がわいてくる・・・・

ルドルフ二世・・・つい先日のだまし絵展で野菜の顔になって現れたルドルフ二世がここでも登場する。
少年時代をスペインの宮廷で育ち、そのことが彼の猜疑心の強い性格にも影響しているのだとも言う。
政治的能力には問題が合ったとも言われているけれど、芸術に対する理解は並々ならぬものがあった。

こんな絵を描かせる皇帝・・・よほどの理解がなければこういう姿に描かれることをよしとはしないだろう。
(だまし絵展のアルチンボルトの作品)

今回も王としての装束ではなくて私服(!)の作品が展示されている。

どんな思いで肖像画を描かせたのだろう??

もうひとつ、カール・シュッツさんの話を聞いていて面白かったのは絵のカタログ的な絵・・・
自分のところにある絵を一堂に並べている絵を何枚も描かせていたことかもしれない。
それは実際の大きさとは違って描かれたり、整然と並べられたりしている。
そして、こうしたカタログ的な絵はウィーン美術史美術館には2枚(だったと思う)しか残っておらず、いろいろなところに贈られてしまっている・・・まさにカタログあるいはチラシ的な使い方をされた絵があることかもしれない。

それだけいい絵がたくさん集められていたということになる。

今回はいい絵がたくさんあったけれど、ジョルジョーネ「矢を持った少年」
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のこの不思議な表情が気になって仕方なかった。
どこか少女漫画的な・・・不思議な表情。

そして同じように不思議な表情のルーカス・クラナッハ(父) 洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ
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ほかに切られた首を持つ女性の姿を描いたものはあったけれど、なんといってもこのサロメのどこか得意げな不思議な表情からははやり目が離せない。

普段は人物画にはあまり興味のないCosだけれど、この二人の表情はとても気になる。

それぞれの目に引かれてついふらふらと・・・
矢で射られてしまおうが、首を切られようがかまわないような気持ちになってくる・・・

もう一度見に行こうかな。

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2009.10.02

暗闇は真っ暗でなく・・・長澤英俊展展

2009年9月23日の最終日に川越市立美術館で
「長澤英俊展―オーロラの向かう所」
を見てきた。

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この長澤英俊展は川越市立美術館だけでなく、北浦和にある埼玉近代美術館でも同時開催されているので当初はそっちにも行くつもりだった。

川越のほうには作品が5点しか展示してない。
入り口の料金を払う前にひとつ展示してあって・・・・「ふ~ん」という感じ。
悪くはないけれど・・・・という記憶しか残っていないのだが、この時点ではさっさと見て次へ行こうと思っていたのだ。

最初の部屋に展示してあったのは「蜻蛉」というかなり大きな作品で重心の位置を考えることで見事にバランスしている作品。
ちょっと見るとひっくり返ってしまいそうなのだが、実際には重心の位置をきちんと考えてある。

カーテンの向こうにある次の部屋に入るには係員の人から注意を受ける。
「壁を触ってゆっくり部屋を一周してください」

何がなんだかさっぱりわからないままに真っ暗な部屋に入って壁を伝ってゆっくりと進む。
何も見えない真っ暗な中を進むのは不思議な体験。

ちょうど部屋の反対側のドアところに一本のごくごく細い光の線が見える。
そこまで進むとちょっとほっとしたけれど、それだけの光で何かが見えるわけでもなく、そのままゆっくりと部屋の中を進む。

部屋は真っ暗なままなんだけど次第に目が慣れてきてうすぼんやりとしたものが見え始める・・・・

これが「オーロラの向かう所」。
たくさんの柱のようなものが立っていることがわかるまでにもずいぶん時間がかかったし、形がぼんやりとわかってもそっちに歩いていく怖い。

光の入ってくる方向を見ると柱が立っているのがかろうじて見えるので恐る恐る部屋の中央へ。

次第に目が慣れてくると柱がたくさん立っていて、その間を何人かの人が歩いているのがわかる。
が、さっきまで真っ暗にしか感じなかった部屋だから、柱も人もモノトーンでぼんやりと見えるだけ。

光の入ってきている方向を見ると暗い柱が立ってる。光を背にしてみると白い柱が立っている。
わずかな光の中で見る柱の森。

それは宗教の色を持たない聖なる場所とでもいう感じ。
祈りをささげるわけではないけれど、暗さと平和を味わうところ・・・・

ここにはずいぶんと長い間いたのだと思う。
部屋の柱の森の中をあっちに行ったりこっちに行ったり。

これだけですっかり満足してしまった。
これ以上はもう何も見たくない感じ。

時間的には埼玉近代美術館に回ることは十分可能だったけれど、満足しきってそのまま静かに帰ってしまった。

最終日だったのに・・・・


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2009.09.26

引込線---所沢ビエンナーレ---

西武鉄道旧所沢車両工場で2009年9月23日まで開催された
「引込線--所沢ビエンナーレ美術展--」
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これはもともと「行きたいな」とは思っていたのだけれど、なんといっても場所が所沢。
今の生活圏からはかなり遠いイメージがあって今ひとつ行く元気がなかったのだが、あちらこちらで
「面白かった」
というのを聞いてむらむらと・・・最終日・・・衝動的に行ってきてしまった∥^O^∥

何しろ

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この木なのである(戸谷成雄)。
車両工場の高い天井までそびえたつ一本の木。
工場の床にどっしりと根を下ろし(おいてあるだけだけど・・・∥^O^∥ )下から見上げるとその生命力がこちらにも伝わってきそうなのだ。
自然からはかけ離れた工場の中だからこそ感じるのかもしれないけれど・・・

多分何よりもCosはこの木を見に行ったのだ。

といってもこれだけがよかったわけではなかったし、いかがなものかと思わずにいられないようなものも中にはいくつかあった。

この所沢ビエンナーレはテーマを決めずそれぞれが自分の思うような作品を作ったというのだが、ビデオ作品やCGを利用したものはあまりなく、そのせいか、ありきたりのどこにでもありそうないわゆる現代美術っぽいもの藻少なくてとても楽しかった。

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(最近はかなり少なくなっているけれど)本を読むのが好きなCosとしてはドキッとしたのがこれ。
たぶん全部読んじゃったのである。
そこに書かれている活字をいつくしんで・・・・
って後から考えてみたら本を単に切り抜いただけなら反対側のページの活字が残っていてもいいはずなのだが・・・・見ているときには気がつかなかった∥^O^∥・・・

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空を見て歩く鏡。
これを顔につけると足元に空が広がる。
つけさせてもらって歩いている人もいたけれど、ちょっと待たなければならなかったので後ろ髪を惹かれたけれどCosは我慢。

ただし、どう見ても足元が危なくて足が物にぶつかっていたりしたから、補助の人なしでは歩けないなぁ∥^O^∥

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長い布が引込線のレールと平行して天井から下がっている。
もはや使われることのないレールと糸の両端が垂れ下がっている刺繍をした長い長い布。
その向こうには天井から下がったビニールが見えている。
同じビニールで作られた人形が一緒に下がっていて風に揺れているさまは工場の中なのにどこか古い洋館を思い起こさせる。
工場の中のビニールと聞いたときにあるイメージと現実のイメージとの落差がなんとも不思議かもしれない。

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ほかにもいいものはいくつもあったのだが・・・・

所沢でこんなにいい物をやっているなんて・・・もう少しで見逃すところだったことを思うと教えてくださった皆さんに感謝m∥_ _∥m

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2009.09.22

ゴーギャン展

「我々はどこへ行くのか」ヨーロッパに背を向けてタヒチに向かったゴーギャンの言葉。
これはまた、彼の言葉ではなく絵画で表したメッセージのタイトルの一部でもある。

その中で主催者側がいいたいことも見えてくるような気がするけれど・・・

2009年9月23日まで東京国立近代美術館

実のところCosはゴーギャンが好きではない。
Cosの性格からして西欧文明に背を向けてタヒチへ行ったところなぞはすごくすきなのだが、どうにも絵が好きにならないのだ。

だから「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という「名作」といわれる絵に対しても書かれている内容には関心があるし面白いとは思うけれど、絵としては決して好きではない。

私は、死を前にしての全精力を傾け、ひどい悪条件に苦しみながら、情熱をしぼってこれを描いた。 そのうえ訂正の必要がないくらいヴィジョンがはっきりしていたので、早描きのあとは消え、絵に生命が漲ったのだ。

         「タヒチからの手紙」(岡谷公二 訳)からの抜粋

なんとはなく、人の一生とその出会いという印象があるけれど、解説を読んでみるとあながち間違いではあるまい。

そんなことを考えながら見ているとなかなか面白い。
まるで絵巻物のように一枚の絵の中にいろんな人生がみえている。

というわけでなかなか楽しかったし、何枚もの彼の絵を見ているとそのバランスのよさと配色の巧みさが見えてきた。こんなところも彼のにんきのひとつなんだろうな。

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2009.09.20

シカン展・・・考古学者の夢

今は考古学とは無縁の世界で生きてはいても、かつて子供だったころ考古学者の世界にあこがれた人は多いだろう。
もちろんCosもその一人∥^O^∥


その夢を実現させてひとつの文化をよみがえらせたのが島田 泉博士。
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この写真はシカン黄金製トゥミの向こう側ではそうしたビデオを見る人たち。
トゥミはこうやって写真で見ると怖い感じがするけれど、実物はそれ以上にユーモラスな感じがしてあんまり怖くない。どうしてだろう?

今回は「一日ブログ記者」として2009年10月12日まで国立科学博物館で開催中の「黄金の都 シカン展」の取材、首からIDカードをさげ、腕章を巻いて・・・(当然といえば当然の)条件付ではあるけれど写真撮影までさせていただいてきた。

シカン文化はナスカ文化よりは新しく、インカ文明よりもちょっとだけ古い、日本で言えば鎌倉や平安といった時代。
もう文字を持っていた日本とは違って文字を持たず、いろいろな建造物も残っている日本と違って、日干し煉瓦の建造物はもはや形あるものは写真を見る限りでは土の山としか見えない。

その土の山であるロロ神殿のふもとに埋葬された人々を通じてシカンをよみがえらせたのだ。

大量の黄金製品が出土したことに目は向かいがちだけど、その社会構造、文化までもが浮かび上がってくるということは、子供のころにあこがれた「いいものが出てこないかなぁ」という宝探しにも似た関心からは離れて、人類の遺産の検証といった幅の広い収穫だなぁ。

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この「黄金の仮面」も黄金の仮面の豪華さだけではなく、


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こんな風にどう埋葬されていたのかを検証することで、そこに隠れている文化や社会構造が見えてくる。
一番下に埋葬された女性たち・・・
その上に首を切られ、埋葬された支配者と思われる男性の首につけられていた仮面、彼の体は首を切られ、上下を逆に埋葬されている。
地位の象徴である仮面をつけて埋葬したけれど、彼が生き返るときに体がどこにあるのかわからなくて生き返ることができないようにしたのだろうか・・・礼は尽くすけれど、もう生き返ってくるなよとでも言いたいのだろうか・・・なんて思ってみたりもする。


豪華な黄金文化というだけでなくそこで生きていた人々の社会や暮らしにまで思いをはせることができる。

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ろくろをつかわずに作られた土器、特に黒色土器の黒い輝きは見事なものがある。
当時も多彩土器よりもこっちのほうが人気があったと推測できるらしい。
帰りにミュージアムショップでよみがえった黒色土器を売っていた(写真撮ればよかったなぁ)けれどちょっと茶色がかった黒の光沢は土で作られているとは思えないほど。
同じようにしてシカン風でないものを作ったらそれはそれで面白そう。

どんなものが展示してあるのか、「きれいだなぁ」「おもしろいなぁ」だけではなく、そこからもう一歩踏み込んだ展示になっていた。

ほかにもいろんなものを見て、いろんなことを考えて・・・シカンの女性とか、他の国の人々との交流とか・・・違った視点から楽しい時間をすごさせてもらった。

かいてある知識、見ている画像だけからは浮かび上がってこない背景が見えてくるのがなんといっても現場で見る醍醐味かな。


【追記】
タイムリーにモチェ文化の仮面が見つかった。写真はこちら。(ここのが元記事。これはたぶん削除しないと思うのでこっちをリンク)

プレ・インカ文化:金箔の仮面

 ペルーのサン・ホセ・デ・モロで発見された金箔(きんぱく)の施された仮面。この地は「モチェ文化」と呼ばれるプレ・インカ文化の時代に共同墓地としての役割を担っていたとされており、近年数々の発掘品が見つかっている。この仮面は棺(ひつぎ)の正面に添えられていた。

モチェ文化はシカンと同じような地域の一つ前の文化に相当する。
会場にあった年表を見る限りペルー北海岸ではA.D.元年ぐらいからA.D.700年ぐらいまでのモチェ文化の後にA.D.800年ごろからA.D.1400年ごろまでシカン文化があったことになる。

実際の場所はモチェがシカンよりもちょっと南にあるけれど、文化としては同じ流れになりそうだ。

より大きな地図で 青がシカン赤がモチェ? を表示

この地図はシカンの地名であるランバイエケとモチェから検索したものなのでかなりいい加減。単にどの程度は慣れているのかを見るだけと思ってください。
(正確な位置はわからなかった)

ただ、会場で見た地図からはこんな感じにはなっていた。

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2009.09.14

パリのアールヌーボー・・・オルセー美術館展

「パリのアールヌーボー」と聞いてもなんとなくぴんとこなかったのは以前見に行ったオルセー美術館展の時には絵画が印象に残っていたからかもしれない。

今回は世田谷美術館(今日から2009年11月29日まで)のオルセー美術館展。

「オルセー美術館のアール・ヌーヴォー・コレクション、その成立の起源」の講演を聴きに行ってきた。
本来は先に美術展を見てからの講演のほうがずっと面白いのだが、いかんせん、土曜日はしごと。講演が終わってから見ることになったけれど、まぁしかたがないだろう。

0001

セーヌ沿いのもともとは駅だったオルセー美術館は19世紀の美術品を収集することになったという。それより古いものはルーブル美術館の担当・・・とはいえ実際には両方に重なっている人もいるから線引きはなかなか難しかったらしい。

その中で、今回はアールヌーボーの家具や工芸を中心とした作品を持ってきている。

こうした工芸品などは以前は収集の対象とさえも見られずにほかの人たちの手に渡ってしまったものも少なくない。その結果美術館は先見の明があれば安くあげることができたのにいまや高いお金を出して購入しなければならなかったりするのが痛い。
なんていう話を聞いてきた。

実際の展示は、つい先日までやっていた国立新美術館でのラリック展のような華やかさはないけれど、サロン、ダイニングルームや書斎といった部屋の調度まで含めた展示をしてあったりするのがなかなか面白かった。

美術館の一室なのだけれど、そこにある家具たちがまるでどこかの邸宅の一室、静かに時間が流れる同じアールヌーボーの庭園美術館の一室であるかのような雰囲気になっている。

そこで見る工芸品は単に「展示」してあるのではなく、どこか使われるのを待っているかのような雰囲気も感じられた。01gomi01こんな睡蓮の花のテーブルランプ・・・こんな風に完全な形で残っているのは珍しいのだそうだが・・・のある優雅な部屋でのひと時(実際にはガラスケースに入っているからいかにも使うためという雰囲気にはならないのが残念だけど)はなかなか味わえない。

このほかにもガラスのボールや七宝焼きの花瓶・・・きらびやかな豪華さはないけれど、しっとりとした上品さがあってちょっとうれしかった。


この優雅さを現実に・・・と銀座のマキシムなどともタイアップをしているらしい。
もちろんCosなんかマキシムで食事なんてしたことはないけれど、赤と金のアールヌーボーのメインダイニングでの食事・・・・優雅さを通り越して緊張しか感じられないかもしれないけれど・・・一度ぐらいは体験してみたいなぁ・・・

そういえば、講演をしてくださったオルセー美術館学芸員のイヴ・バデッツさん、東京のメトロのロゴは「絶対にアールヌーボーの影響がある」といっていらした。
今度見かけたらそういう目でもう一度見てみよう。


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2009.09.08

空気の港・・・羽田空港で

東京大学「デジタルパブリックアートを創出する」プロジェクトによるアートプロジェクト「空気の港」が2009年10月9日から2009年11月3日まで羽田空港で行われる。

01gomi01
この人たちの作品である「まばたきの葉」に出会ったときには怖いようなそれでいて不思議な感動を覚えた。
彼らが羽田空港で展示する作品についてはここにあるけれど、これがどんな風に見えるのか・・・楽しみ・・・・

でも羽田空港って遠いんだよなぁ・・・うちからは・・・

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2009.09.07

ギリシャの見た日本美術

「写楽 幻の肉筆画」 ギリシャに眠る日本美術~マノスコレクションより
2009年9月6日まで江戸東京博物館

写楽の肉筆画が一般に公開されるのはこれがはじめだという。写楽のいわゆる肉筆画はもう一点知られているのみらしい。

01gomi01

まあ、Cosには日本美術はよくわからないから当然といえば当然だろうけれど、どうも今ひとつだった。
写楽が実際に書いたという点では計り知れないほどの価値があるんだろうけれど・・・・

絵としてはCosはこっちのほうがよかった。
菊川英山「風流夕涼三美人」

01gomi02
人物画があまり好きではないCosにしては珍しく、馬の絵よりもこっちのほうがよかったのだ。
浮世絵の夜は暗く描かないからこれも夜なのかもしれない。
奥の座敷では楽しく騒いでいる。
そこから出てきて月をあるいは夜空を眺めて・・・・
奥のにぎやかさがこっちにまで伝わってきそう。

ジャポニズムがはやっているパリでマノスが買い込んできた日本美術。
そう思ってみると「陰」を描いた絵が少ないような気がする。

ヨーロッパでの傾向なのかマノスの好みなのかはわからないけれど、どことなく陽の絵が多いような・・・・

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2009.09.01

伊勢神宮と神々の美術

東京国立博物館で2009年9月6日までの
「伊勢神宮と神々の美術」
Cosが伊勢神宮について知っているのは江戸時代に伊勢参りがはやったことや20年に一度遷宮が行われるという程度の知識しかない。
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ただ以前にはまったく興味のなかった日本美術にも関心がでてきているので、もしかしたら面白いかもしれない・・程度の関心で見に行ってきた。

関心ないCosだからこそ今まで知らなかったこと・・・・20年に一度の遷宮というのはすべての品を作り直すこと・・・元の時代がいつだったかは覚えていないけれど、鎌倉時代に作られたのと同じ太刀が今も作られていること、微妙なデザインは変わって入るらしいけれど、当時(いつだったんだろう?)のままの生地で当時のままに縫い上げられた夜着・・・

こうしたものを作る技術は20年ごとに作り直すからこそ(ほぼ)当時のままに残っているんだろうと思う。おそらく伊勢神宮がなければとっくに失われている技術なんていうのもあるんだろうな。

かつては新しく作られたものは20年たつと返却されていたのだという。
そうなるとかつて作られたものはおそらく残っていないのだろう・・・
最近(昭和4年?)になって保存するようになったので昭和4年以降に作られたものが展示されていた。

古いものが新しい形になって展示されている不思議。
それもこの展示のために作ったのではなく何百年も作り続けられていることの不思議・・・

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こんな風に旅行が自由でなかった時代にたくさんの人が全国から集まってきた・・・一番行きやすかったということもあるんだろうけれど・・・不思議なところ伊勢神宮・・・

どこがそんなに良かったんだろう・・・


江戸時代の人たちがあれだけ熱狂して御伊勢参りに行った魅力はやっぱりCosにはよくわからなかったけれど、守り続ける伝統の重みがずっしりと伝わってきた。


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2009.08.30

利根川光人とマヤ・アステカの拓本

世田谷美術館の収蔵品展「人々物語」のPartIIは
利根川光人とマヤ・アステカの拓本 2009.9.11まで
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最初のうちは利根川氏の描いた絵が並んでいて、「結構いいなぁ」なんて思っていたのだが、途中から拓本になったとたん目が釘付け。

マヤ・アステカの会場の天井から床までありそうな大きな拓本が何枚もあるのである。
「マヤ展」渡渉するものは結構好きだから見に行ったりしているのだけれど、そうしたところで見るのとは違っているような絵柄も少なくない。

顔をゆがめてあたかも「あんたなによ」とでも言いたげな神官、
奴隷の人間椅子に腰掛ける神官
自分の舌をやりでついている司祭 足元でも舌を出しているがまるで「なんかくれ」といわんばかり。
乾杯する人・・・このころから乾杯していたんだなぁ・・・
沈み世行く太陽 でも舌をだしている。

なんといってもかっこよかったのは心臓を食うワシ。
このほかにジャガーも心臓を食べているものがあった。
人間の心臓を食べるという行為の意味の大きさも感じさせられた。

そして、Cosを熱中させたのが・・・「拓本を作ってみよう」のコーナー
0010
これはケツァルコアトルという神様。
柱を模した台の上や側面にプラスチックでレリーフしてあるシートが貼ってあり、その上から紙を置いてクーピーでこすっていくのだ。

本来子どものためのコーナーなのだが、Cosのみならず何人ものおとなが子どもそっちのけでせっせとクーピーでこすっている。
子どもと一緒にCosも順番待ちをしながら・・・・

10種類ほどの神様があって、それを次から次へと採拓していってしまった∥^O^∥

いやぁ・・楽しかった∥xx;∥☆\(--メ)

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2009.08.29

メキシコ20世紀絵画展

「メキシコ」・・・もともと地理は苦手だけれど、それを差し引いてもメキシコついては何も知らない気がする。
テキーラ
サボテン
革命
ぐらい?

そのメキシコの革命前後ぐらいの絵画展

「メキシコ20世紀絵画展」
世田谷美術館 2009年8月30日まで

01gomi01

最初にこのチラシをチラッと見たときにここに描かれているのは男性だとすっかり思い込んでいた。
だから「メキシコの民族衣装かなぁ?見たことがないなぁ」なんて思っていたのだが・・・

実物を見てみると同じ絵なのだけれど、ずいぶんと雰囲気が違う。
緻密に書き込まれた絵はどこか立体感さえ感じさせるほどだし、
この衣装はメキシコの花嫁衣裳なのだという。
涙をこぼしているフリーダの自画像・・・豪華な衣装とは対照的な表情・・・

きっとこれがこの当時のメキシコなんだろうなぁ・・・

1955年に日本で紹介されたときにはディエゴ・リベラの妻としてだったのだが、
1975年から中南米を代表するフェミニストのイコンとして活躍したのだという。
メキシコ的なものの象徴としての彼女が有名らしい。

そうした歴史的なこと、地理的なことの分からない(ちゃんと予習しろ>自分)Cosはこの美術展の中にメキシコをさがしに行ったのかもしれない。

だからだろうか、あらあらしい「革命」などではなくて、静かな景色に魅かれた。

ラウル・アンギアーノの「棘を抜く人」がとてもよかった。
ゆったりとした長衣の青年の向こうにはメキシコらしい雰囲気でデフォルメされた砂漠の山(というのかな?)
リトグラフのかもし出す静けさが抑えた強さを感じさせた。

そして、ディエゴ・リベラの「夜の風景」
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どこかいかにもメキシコ的な・・・と思って説明を読んでみると
「木の上に容姿も不明瞭で記号化されたメキシコの農民がいるが、この種の絵を『メキシコ的である』と認識して買い求める美術愛好家を見下しているようでかなり皮肉っぽい。」
とあったけれど、そうなのかもしれないし、逆にメキシコ的なものを求めて見に来たCosには皮肉さを感じることもなくとてもよかった。

どうも「革命」の絵の中にはCosがいいと思うものはなかった。
このころのメキシコでは壁画が盛んで中には80mにも及ぶ壁画が作られたりしていたらしいけれど、たぶん、壁画としてはいいのかもしれないけれど・・・・・う~ん・・・

最後の名古屋市美術館が所蔵するホセ・グァダルーペ・ポサダの作品はしばらく前に写真美術館でみた「ジョルジュ・ビゴー展」と同じように新聞や一枚モノの印刷物などに絵を描いていたもので、なかなか面白かった。
中でも登場人物が全部骸骨のシリーズは当時かなり人気があったらしい。
Cosなんかがみるとどこかグロテスクでいいとおもわないけれど・・・
でもビゴーと比較するとなかなか楽しかった。

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2009.08.27

百鬼夜行の世界

昨日は時間が遅かったので見損ねた国文学研究資料館の「百鬼夜行の世界」、今日はがんばって(といっても結果としては昨日より30分ほど早いだけだったのだが・・・)見に行ってきた。

この国文学研究資料館の入っているビルは極地研、数理解析研究所も入っているビル自体の名前のわからない不思議な同居ビル。

携帯でビル中の様子をとったのだが・・・新しい携帯で慣れていないために写真がうまく保存できてなかった・・・くやしい・・・_| ̄|●

「百鬼夜行の世界」・・・すごく良かったです。
先日の歴博で見たものは「展示しました」というだけの感じだったけれど、今日はさすがに展示室全体が「百鬼夜行の世界」。

暗めの落ち着いた感じの室内に、天井からは百鬼の描かれた布が何枚も下がっていて、さながら百鬼が行進しているかのよう。

作品としては歴博の方がいいものがあったのかもしれないけれど、展示としてはこっちのほうがずっといい。
これで300円(しかも駐車場無料)はどう見ても安い。
しかも、歴博では売り切れていた図録もここではまだ残っていて\∥^O^∥/

展示してあるものも、いろいろな百鬼夜行絵巻だけでなく、そこから影響を受けたと思われるほかの作品なども展示してあって、面白かった。

こうした絵を見ていると「妖怪」はおどろおどろしたものじゃなくて、どこか親しみのある楽しい生き物達という気がしてくる。
昔の人も楽しみながら描き、楽しみながら見たんだろうなぁ・・・
妖怪の体の線の面白さ、影からこわごわと覗いているはずの人間の足が良く見ると獣の足だったり・・・古くなったものがなった妖怪にCosもあって見たい。

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2009.08.11

フランス絵画の19世紀・・・とに~さんたちと・・・

フランス絵画の19世紀と聞いても実のところあまり魅力は感じなかったけれど、とに~さんのオフとなると話は別。
まじめに学芸員がする解説とはまるっきり違ってほとんどお笑いのノリの解説をしてくれたりするから、チャンスがあれば参加したいといつも思っているのだ。

というわけで横浜美術館の「フランス絵画の19世紀」展(2009年8月31日まで)へ。

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今回の企画はちょっと変わっていて、
まず一人一人が勝手に見学。
その後でみんなで集まって話をしてからもう一度会場に行ってみてこようというもの。

というわけでまず最初は三々五々会場へ。
ただし・・・・自分の一番気に入ったあるいは気に入らない絵を選んでおくこと。
後でみんなが集まったときに紹介するのだ。

というわけで絵を見ながらも「どれがいいかなぁ」

まず気になったのはアントワーヌ=ジャン・グロの「レフカス島のサッフォー」
わずかばかりの月の光だけがあるくらい海でサッフォーが今にも身を投げようとしているところ。
他の絵の明るい感じとは打って変わって暗いのが印象的だった。
「ギリシャの壺絵のかき方」をしているというのだが、どこがそうなのか、何を持ってそういうのかはまるっきり分からなかったのが残念。

落ち着いた静かな感じのコローの絵もいかにもコローらしくて少しだけ見えている森の向こうの湖(たぶん)の広がりを感じさせるのがいい。

01gomi01

Cosが選んだ一枚はこれ。
「施し」というミレーの絵。

家の中にいる母子が戸口の外にいる人に施し物であるパンを渡そうとしているのだが、見ているうちに外にいる浮浪者のほうが家の中に閉じ込められている母子よりもずっと自由で(少なくとも精神的には)豊かに見えてきた。

もともとの絵はもっと家の中が暗く、画面の左側にわずかに書かれている外がまばゆいばかりの明るさなのと対照的なのだ。
決して豊かそうには見えない台所にいるものも人もどこかぼんやりしていてよくは見えない。
どことなく外の自由への憧れを感じた。

なんていう話を、みんなが集まったところでCosはしたんだけど、もっぱらの話題は裸婦画と男性の筋肉についての話題で盛り上がった。

当然Cosも・・・
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クールベのごくありきたりの女性の裸婦画が一番エロティックでないといったら・・・
周囲の人たちからは大反発。
この時代、ごく普通の女性のヌードというのが一番男性を興奮させるテーマだったとか・・・

そういう時代だったんだなぁ・・・

17世紀には特別な神話の中の女性でなければヌードを描けなかったのに比べると(その前はマリア様でさえ乳房を出してはいたのだが・・・)ずっと自由に描けるようになってはいてもまだまだだったんだなぁと・・・

男性の筋肉も・・・・裸を見ているわけじゃないけれど、普段筋肉質の体は見慣れているから何も感じなかったしなぁ・・・∥^O^∥

というわけで誰しもがもう一度会場に戻った後はそういう違いをしっかりと見てくるはずだったのだ。
ただ、残念なことにCosは他に用事があったのでそこで失礼してしまったから、見直した後の感想は皆さんからは聞き損ねてしまった∥>_<∥

それにしても実はこれだけの絵をこれだけいろいろな美術館から集めたこと自体もすごいのだそうだ。
そういうところももう一度じっくり確認しておきたかったし・・・


とに~さん、2009年8月16日にもトークイベントをやるみたいで・・・楽しみなのだが・・・
いけるかどうかはかなり微妙だなぁ


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2009.08.07

橋本関雪展・・・島根県立美術館

もともとこの美術館には行くつもりだったのだが、このチラシを見たとたん、「行く!!」
0001
このボルゾイを見た瞬間に会わずにはいられなくなったのが2009年8月4日。
つまり
橋本関雪展
---中国への憧れ、動物に向けるまなざし---
島根県立美術館2009年8月5日~9月14日

初日の前日。
条件反射のように前売りを買って、翌日に備えた(爆)

といっても初日の美術館に行ったのはもう夕方になってから。
ここの閉館時間、夏は遅いのだ。

会場に入ってまず釘付けになったのが「鉄拐先生(てっかいせんせい)」。
ぼろをまとい、杖をついたおじさん・・・何もかもを捨ててしまったかのような表情がいい。
彼の作品にしては珍しくあっさりと墨で描かれているのだが、Cosをとらえてはなさなかった。
「まとまりすぎるよりは破綻があろうとも生命が率直に流露したものを求める」という彼の志向を表しているのかもしれない。

「中国への憧れ」には人物の絵が多くて、基本的に人間の絵はあまり好きじゃないCosには今ひとつだったけれど、中国の風景を描いたものにはいいものがいくつもあった。
なかでも「凍雲危棧図(とううんきさんず)」などはぱっと見たときに岩山の大きさがまず目に付く。
その大きさになじんだころに画面の下のほうを見ると歩いている人たちに気がつき、岩山の壮大さが改めて見えてくる。
その壮大な山に降る雪・・・その下を進む人・・・自然の前での人間の大きさを象徴しているかのよう。

そして何より、彼の描く動物達。
自宅でも数多くの動物を飼いながら描いたという動物の絵。
いいものがたくさんあって、目移りしてしまう。

意馬心猿
Photo


辞書を引くと
Yahoo!辞書 - いば‐しんえん【意馬心猿】.

仏語。馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。

とあるけれど、この絵は馬が心を騒がせている。 馬がどこか人間の意志とは違う意志によって心を乱しているのを木の上の猿が見ている という感じもしてくる。 実際の馬の表情はこれとはまったく違う感じがしている。

あるいは動物である鹿よりもその左側に描かれている松ノ木のほうが生き生きとした動きを持っている「双鹿図」もおもしろいし、

最初のボルゾイを描いた「唐犬図」の犬も大きな犬の持つやさしさがあふれていて暖かい。

でも、一番良かったのは「霜猿(そうえん)」

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はの落ちた木の上に座る一匹の老猿。
意馬心猿がまだ心が騒いでいるのだとしたら、この霜猿はすっかりと悟ってしまっていてどこかシニカルな表情で下界を見ている。
意地悪そうでもあり、一歩はなれたところから現世を見ているようでもあり・・・諦めと悲しみもどこかに見えるような気がしてくる。

しばらくの間この猿とにらめっこをしてきた。
Cosのことを哀れんでいるようでもあり、戒めているようでもあり、励ましているようでもあり・・・・

とあっという間に時間が過ぎてしまった。もう閉館1時間前。
これが東京であれば、時間を見つけてもう一度みたいところだが、ここは島根。

しかもこの美術館のこの日の閉館時間は
19:38なのである。
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天気がよければここから見る夕日はすばらしいのだという。
その夕日を楽しむために、閉館時間が(夏場は)日没後30分なのである。
残念なからCosが来た日は曇っていてその夕日を楽しむことは出来なかったけれど、
雲の向こうに日の落ちていく宍道湖をじっくりと楽しんでくることが出来た。

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帰るころにはもう薄暗くなっていて、夜の早い松江の街ではもうたくさんの店が閉まっていた。
(昼も夜も閉まっている店が結構あったのが気がかりだけど・・)


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2009.07.28

シカン展

日食の当日、雨が降って日食が見られないとわかってあっさりとCosは国立科学博物館のシカン展(2009年7月14日~10月12日)へ。

インカ帝国のルーツというのだが、確かにそのとおりなんだけど・・・・・

TBS「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」では

これまでの30年間の発掘史を大画面のハイビジョン映像で紹介します

発掘されたものの展示はもちろんあるけれど、どうもメインはこのハイビジョン映像だったのかもしれない。
話としてはなかなか面白いし、つなげてみるといいTV番組になりそうな感じ。

ロロ神殿という今は崩れた土の山にしか見えないかつての神殿の周りに眠る人たちのお墓を調べて分かったことを展示している。

振り返って考えてみると、シカン文化とはどんな文化なのかではなく、お墓から何が出てきたのかという話に終始しているような気がする。

考古学ってすごいなぁ
いろいろなことが分かるのはすごい!
と思うけれど、シカン文化というものについての理解はあまり深まってないかも。
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面白かったのはシカン神。この顔を見ているとどこかで見たロボットの顔にそっくり。
きっとロボットのアニメをかいた人はこういったインカのほうの像を見て作ったんだろうなぁ・・
初期のシカン土器はもう少し人間らしい顔をしていたのに次第にデフォルメされていくのが面白い。

そしてシカン土器自体も黒い鉄で作ったかのような鈍い光を放っているような気もするほどの色。
家畜の糞で蒸し焼きにすることでこの色が出たらしい。
1000年前のこの土器の作り方を復元して当時のものと見分けがつかないほどのものが出来ている。
失われた技術が甦ったのだ。
この色、もっと他のいろいろなことで使えると面白いなぁ・・・

インカの前のシカン文化・・・・文字を持たない人たちの失われた歴史・・・それが一つ一つ明らかになっていくのはわくわくする。

もう一度、映像にとらわれるのではなく、一つ一つをじっくりと見るとそこにはまた違った世界が見えてくるのかも・・・

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2009.07.26

だまし絵展(その2)

なぜだまし絵なのか・・・
Bunkamuraの会場に入って最初に目に付くのが人の形の板にキャンバスを張ってそこにグリザイユで描かれた人物の像が「慈悲の擬人像」
遠目には大理石で出来た像のように見える。
なぜこんな板人形がはやったのか、どういう方法で描かれているのか・・・
この人形は何のためにどこに置かれたのか・・・

そんなところから話の始まった恵泉女子大学の池上先生のお話を伺いながらだまし絵展を鑑賞するツアーに参加させていただいてきた。

1回目に見たときには「ふーん、大理石みたいに良く出来ているなぁ」と思ったに過ぎなかったけれど、大理石の像の代わりにこういう板人形を置いた人たちの生活、そして何度も塗り重ねることで立体の陰影をも表現するグラデーションの技術を作り上げた人たちがいた。

伺ったことをメモに取りきれていないのだけど、この時代の人たちはローマに対するあこがれがあったのかなぁ?

そして、実物があるかのように錯覚させる「トロンプルイユ」
絵の大きさも含めて実物と同じ大きさに、あるべき位置に置くことで見る人の目を欺くのだ。
ご丁寧なことに絵の前にかかっているカーテンまで描かれた絵とか、
絵の入っている額縁のガラスが割れてしまったという絵だったり・・・

今の写真のある世界に慣れきったCosたちにとってはどうということもないように感じられる絵でも、当時の人たちにとっては驚くべきことだったんだろうなぁ・・

そして今回Cosが一番関心を持ったのがアナモルフォーズ。
ごくななめから見ることによって正面から見たのとは違ったものが浮き上がってくる。
方法を知らない人にとっては単なる景色のように見えていても、知っている人にとっては強烈な風刺だったりする。

どうやって描くのか、その方法を先生に教えていただいたので時間のあるときに作ってみようと一緒に行った人たちと話が盛り上がった。

1回目が数学的な関心が中心だったけれど、今回はその社会的背景、絵の中に描かれたものの意味、といった観点から見ることが出来た。

たとえば砂時計は近づきつつある死を意味し、本は教養を意味し・・絵を見ることはそういう絵の中の寓意を読みとこることでもあった時代・・・
だまし絵という絵のかき方も対抗宗教改革の時代の終わりとともにいつの間にか消えてしまって知られることなく20世紀まできてしまった・・・
なぜ関心がなくなってしまったのだろう??

終わったあとの学生さんたちと一緒の飲み。
大人のメンバーの一人が「だまし絵のかき方」みたいな本を持ってきていて、大騒ぎをして作り方を調べてきた。

このところ意欲的に物事に取り組めない状態が続いているので手が出せずにいるけれど、もうちょっと元気になったらやってみたいなぁ・・・

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2009.07.15

純粋なる形象・・・生活の中に

このところ忙しくてなかなかでかけることが出来ずにいていらいらしている(笑)
そろそろ時間的に余裕が出てもいいはずなのになぜかいろいろとやらなきゃならないことがあったり、家でダウンしていたり・・・_| ̄|●

そんな中行ってきたのがお気に入りの府中市美術館。

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「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代 ―機能主義デザイン再考」
ディター・ラムスが作ってきたブラウン社のいろいろな製品。
それは決してこうやって美術館の中に飾られるものではなく、生活の中で使われていくもの。

何しろここに展示されているもののうちいくつかは自分のうちにあったり、人のうちにあったりして
「あっ、これいいな」と思ってたものだったりする∥^O^∥

今はタバコを吸う人もいなくなったから使わなくなっているライターや灰皿、
調理器具・・・誰も使わなくなったテープレコーダー(これは記憶がはっきりしないけどこんなようなのを見た覚えがある)
どれもがデザイン的には決して古めかしい感じがしない。
もちろん展示してあるラジオなんかは今ではもう使われるわけもないほど機能的には劣っているのだけれど、そのデザインは今でも通用する。

良いデザインの十か条のなかにあった
・よいデザインは実用をもたらす
・良いデザインは美的である
・・・
・良いデザインは長命である
・良いデザインは可能な限りデザインを単純化する

ここにあるのは奇をてらった面白いけれど使いにくそうなものではなく、いかにも機能美に満ちた使いやすそうなものばかり。
どこかでそういう使うものの中の美を今は忘れている部分があるように見えてきた。

まあ、さすがに会期末が近いだけあって府中にしては人も多く、じっくり見る雰囲気ではなかったことと、やはり展示品だから仕方がないとは言え、手にとって見ることが出来なかったのが残念かな。

見終わった後常設展に回ったら、あの人ごみはどこに消えたのかと思うほど人の姿は少なくて、いつものゆったりとした府中美術館を堪能できて\∥^O^∥/

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2009.06.29

親の責任

当たり前だけど、その当たり前のことが出来なくなっている。
未成年者の監督責任は保護者にあるんだけど・・・・

asahi.com(朝日新聞社):小中学生の携帯所持規制 保護者に努力義務 石川県条例 - 政治.

 小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者に努力義務を課した石川県の「いしかわ子ども総合条例」の改正案が、29日開かれた6月定例県議会で自民会派などの賛成多数で可決された。県によると、携帯電話の所持を規制する条例は全国で初めて。来年1月から施行される。

 県議会で過半数の自民が中心に準備を進め、他会派とともに今月17日に議員提案した。条例改正案は「保護者は小中学生に、防災、防犯、その他特別な目的の場合を除き、携帯電話を持たせないよう努める」と明記した。罰則規定は設けていない。

こんな条例を決めなければならないほど、それが守られるかどうかが不安なほ・・・・
「私が言っても聞かないので先生から注意していただけませんか?」
これは高校生の親がいうのではなく小学生の親が言うのだ。
親の言うことを聞かない子のしつけを学校にやらせる?
となると、この条例を子どもに守らせるのも学校がやるのかな?

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2009.06.28

パトリック・ヒューズ

Bunkamuraの「だまし絵展」で一番衝撃的だったのがこの人の作品。

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絵(?)なのに、移動していくと実物がそこにあるかのように変化していくのである。
実際に見ないとその衝撃は伝わらないかもしれないけれど、彼のwebページでもその感じが少しはつかめるかも。

どう見えるかはthree minute film のページが分かりやすい動画になっている。

本当に項見えるから不思議だ・・・

錯視の一種ではあるけれど、どこか数学的なにおいがする。

遠近法の逆とでも言いたくなるような彼の作品は自分でも作れそうな気がしてくるが・・・

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鴻池朋子アーティスト・トーク

上野の森美術館で2009年7月15日までの「ネオテニー・ジャパン」に出品している鴻池朋子のアーチストトーク。

このネオテニーの会場に入った途端に待っている鏡の狼「惑星はしばらく雪に覆われる」の作者が鴻池朋子。
渦を巻き、少女を取り囲んでしまうナイフの「Knifer Life」なんていう絵を描く人だからもっと鋭い雰囲気のある人かと思ったら、やわらかいとまでは行かないけれど、思っていたのとは鋭さの方向も違うし、「この人がこういうものを作るのか・・・」とちょっと不思議な気分。
(写真に展示してある六本足の狼のぬいぐるみ・・・かわいいのだがおそらく価格は5桁の後半だろうからとても買えそうもないのが残念∥>_<∥
何しろ真っ白な顔のない「みみた」でさえ、10000円するのだから・・・)

Img_2566

会場に作品を設置すればそれで世界が変わる。
場所によって光も変わり、設置の仕方も変わってくる。
国内の場合にはその場に行ってそれぞれの場所に応じた空気にあわせて、作品にあわせてというよりも人に合わせての会場のありかたを考えているのだという。
霧島アートの森での展示は彫刻の作品が充実している美術館なので、外光が入ってきたりして暗くするのが難しかったり、アニメーションの作品を床に投影することが出来なかったりといった制約も多かったとか
札幌や東京では絵画の展示に合わせた空間で・・・
それでも東京は縦長のまるで廊下のようなスペースで、全体像を見ることが難しい。
「洞窟のように展示してはどうか」という提案をされて、落ち着いたサロンで展示を見るような雰囲気になった。
のだという。

それぞれの空間でしか出来ない展示を模索するのだとか・・・・

面白いと思ったのは彼女が霧島でやったワークショップ。
会場の中にある作品をひとつ選んで作者になったつもりでインタビューを受けてみるとか、
石にかかれた上の句と下の句をあわせてみるとか・・・
言葉をとても大切にしていることが伝わってくる。
それは出来上がった作品のタイトルが展示された姿を見てはじめてすっきりと決まるといったような鴻池の言葉に対するこだわり。

アートとしてどう受け取られるか、言葉としてどう受け取られるのかはきっと同じスタンスで見ているんだろうなぁ・・

鴻池朋子展がこの後もある。
オペラシティーアートギャラリー
2009年7月18日から9月27日まで
インタートラベラー
地中の重力0の地点まで行って戻ってくるというストーリーの元で構築されるらしい。
どんなものになるか楽しみ。

それにしても、このアーチストトークは戸外で行われたんだけど・・・暑かった_| ̄|●
仕事から大急ぎで駆けつけたCosにはちょっと厳しい環境だったなぁ・・・

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2009.06.24

だまし絵(1回目)

少なくとももう1回は行く予定なのであえて「1回目」の「奇想の王国 だまし絵展」
Bunkamuraで2009年8月16日まで
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実のところ野菜と果物で出来たアルチンボルドのルドルフII世にはあまり惹かれるところはないけれど、数学がらみとしてはエッシャーがあるし、人の目を錯覚させるだまし絵には錯視と共通したものがあってぜひ見たかった展示。

数学的な見方をすると一番面白かったのはアナモルフォーズかな?
円柱に移してみるのはある意味で図を射影しているという意味では射影幾何学に通じるものも有りそうだし、

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ななめから見ると違う絵が見えてくるこの絵などは一次変換になるんじゃないかと思うし・・・
(実際に描いてみてはいないので、きちんとした一次変換になるかどうかはよくわからないけど・・・)
同じ絵に対する見方を変えるというのは数学ではよくある考えかただし、うまくするとどこかで使えるかもしれない。


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エッシャーの絵はもちろんのこととしてこのマグリットの白紙委任状も位相幾何の世界を髣髴とさせる。
位相幾何的に同相かどうかとなると疑問だけど、どう見えるかではなく、どうつながっているのかに注目することが出来るのが楽しい。

01gomi04


今回衝撃的だったのが、パトリック・ヒューズの水の都。

こうやって見るとどこが衝撃だか分からないけれど、実際に見てみると不思議な立体感のある作品。
これはぜひその場に行って実際に見てみないとそのすごさは分からない。
こんな芸術作品でなくていいから同じようなものが作れないだろうか・・・・
ミュージアムショップでは小さい作品も売っていたのだが24万円・・・なんていわれるとどうやっても手が出ない・・・
欲しいなぁ・・・

逆にまるっきり感銘を受けなかったのが三方向から見ると違うものに見えるという作品。
これはCosが子どものころ実際に
前から見るとC、横から見るとO、上から見るとSになるような立体を厚紙を重ね合わせて作ったことがあるので、
「Cosと同じことしているなぁ・・・もう1回作ってみようかなぁ・・・」

これ以外にも錯視を利用した作品やカープアの虚空など、人間の思い込みを利用した作品なども数学的な意味がありそうな気もするが・・・どうかな?

これ以外にもいろいろな種類の作品があってとても面白かったけれど、次に行くときには違った視点から見ることが出来そうで楽しみ。


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2009.06.20

ムットーニワールド

コンピュータを使わずに制御しているムットーニのからくりシアター

2009年7月5日まで八王子の夢美術館で。

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カチカチとリレーの音がしながらからくりの人形達が織り成す音と光の自動機械。
一つ一つのからくり箱にはそれぞれのストーリーがしまいこまれていて時が満ちると自動的に動き始める。
箱の中の人形達が姿を現すときは、それぞれの世界が広がるとき。
そして、それぞれのからくり箱に語られるムットーニ氏の口上。

ムットーニ氏の口上なしに見るときにはそれぞれのストーリを考えながら、時には心をあらぬほうに走らせている。
それはそれで子どものころから見続けてきたとても幸せな白昼夢。

ムットーニ氏の口上がついているならば、それは人形達が命を得て語りだすムットーニワールドの始まり。

口上は毎日ではなく金、土、日に14:00と16:00にあるだけだからそれに時間をあわせて美術館に行かなければならないし、集まる人の数も多くてなかなか大変。

何しろ一番前の人は床に座り込んでみるし、真ん中の人は椅子に座って、後ろの人は人と人の頭の間から見える場所を探してたっているし・・・
しかも箱や中の人形の配置によってはごく狭い範囲の人しか見られなかったりするのだ。
Cosも床に座り込んだり(これが結構疲れる・・・)後ろでたってみていたり・・・

場所が八王子ということで今日の上演会に来ている人たちは始めての人が多かったからだろうか子どもが何人もいたからだろうか、ムットーニ氏もいつもよりくだけたしゃべり方をしているような気がした。

上演会のあるときは人でいっぱいになるのでじっくりと見るのは難しかったし、時間も結構遅くなったので早々に引き上げてしまったけれど、また時間を見つけて(上演会のないときに)もう一度行ってこようと思う。

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2009.06.16

パウル・クレー 東洋への夢

基本的にCosはクレーガ好き。
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パウル・クレー東洋への夢
千葉市美術館で1009年6月21日まで

このチラシの「蛾の踊り」を見た瞬間に「千葉」という地名にもめげずに「行くぞ」と決めたのだ。

だがやっぱり千葉は遠くてなかなか時間を作っていくことが出来なかったため、例によって例のごとく会期末間近になってしまったのが残念。

この展示は「東洋への夢」・・・クレーと日本・中国文化との接点に焦点をあてている。
門外漢のCosなどから見るとちょっとこじつけなんじゃないかと思う部分もないわけじゃないけれど、一つ一つの絵に日本の北斎漫画などの影響を見つけ出しているのはなかなか面白かった。

この蛾の踊りの中のどこが日本との関連なのかはよくわからなかったけれど、なんとなく切ないこの絵にはやっぱり日本の影響があるのだろうか?

が、途中から
「線を省略して描く」忘れっぽい天使のようなシンプルな線画はやっぱり日本と共通しているものがあるのかもしれないと思い始めた。

最後に飾られた
「別れを告げて」
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を見た瞬間にCosが連想したのは仙崖・・・・
とわの別れではなくて、ちょっとでも別れているのはさびしいな・・・という感じだろうか?
クレーらしい甘い雰囲気が漂っている。
「またね」と声をかけられたような・・・

金にあかせた展示ではなく、予算も限られ苦しい中で精一杯のことをやったという内容だったかもしれない。
絵としていいのはそんなになかったけれど、一つ一つを大切にちょっと違った切り口を見せてくれた。

という感じかな。


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2009.06.12

細見美術館開館10周年記念展

先日、ネオテニー・ジャパンを進めてくれた知人が、そのときに一緒に勧めてくれたのがこれ。
日本橋高島屋のホールで2009年6月15日までやっている
細見美術館開館10周年記念展
日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-

「千葉市美術館で浮世絵をいっぱい見てきたよ」と話したら次の瞬間に勧められたのだ∥^O^∥

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しかも期間が短い・・・
今週のうちに行かないと終わってしまうとなると、ちょっと無理をしてでも行ってみないことには悔いが残るに違いない(別に残ったっていいんだけど・・・)

というわけでこの土日には他のところへ行くので間に合わなくなってしまうので、今回じっくりと見る時間は取れなかったけれど、ともかく見てきた∥^O^∥

結果から言えば行ってよかった。
日本画はよくわからないCosから見てもいいものがいくつもあって、もっとじっくりと見たかった。

弐代目・青い日記帳のTakさんが作られたリストから、

4尾形光琳「柳図香包」 

この紙に香を包んで開いていくと柳が見えてくるというさわやかな緑。


22酒井抱一「白蓮図」 

あっさりと描かれた蓮。決して派手ではないけれど、じっと見ていると静かな蓮池が見えてきそうな気がする落ち着きのある静かな絵。
整いすぎていない蓮の葉がまたいい。

38伊藤若冲「糸瓜群虫図」

さすが若冲。カタツムリにトンボにウマオイ(?)にトノサマバッタにモンシロチョウ。
糸瓜の姿はもちろんいいけれど、虫達の姿が写実的でとてもいい。
虫愛でるCosとしてはうれしい限り。

41伊藤若冲「鼠婚礼図」

画面の左上ではネズミ達が宴会をしていて、左下では一匹のネズミの尻尾をもう一匹のネズミが持って引きずっている。
画面の右上と左下に平行線を引いてその上下に描かれている感じで、中央は何もない空白。
なんとも楽しくて愉快。
これももっと見ていたかったけれど・・・それでなくても遅かったのだ・・・

そして、

59葛飾北斎「夜鷹図」

この夜鷹の後姿が毅然としていて、柳の木下で凛として立っているその姿からは気迫さえ感じられる。
夜鷹という職業がその当時どの程度認められていたのかCosには良く分からないけれど、決して大手を振って歩ける職業ではなかったはず。
それにもかかわらず彼女の毅然とした姿は好きだなぁ


他にもたくさんいいものがあったけれど、悲しいことにCosは駆け足。
(それでも帰るのが遅くなってにらまれたんだけど・・・∥>_<∥ )
せめて後一週間やってくれれば何とかもっと時間が取れたのにと残念でならない。


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2009.06.10

ネオテニー・ジャパン──高橋コレクション

ほとんど、なんでも会期末になってあわてて見に行くのが習慣のようになっているCosがさっさと見に行ってきたのは、
「Cos向きだから混まないうちに見てきたほうがいいよ」という知人の言葉を信じてのもの・・・
そうでなければとっくに他のところに行っていたはずなのだが・・・・∥^O^∥

会場入り口のカーテンを開けて入った瞬間に、彼の言葉が正しいことが分かった(なんか悔しい)。

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会場に入った瞬間にその光の反射に衝撃を受けたのはこの狼。
前身に鏡を貼り付けられていて光を反射している。
そしてその向こうには数限りないナイフの絵。
鴻池朋子の研ぎ澄まされた世界がそこに待っていた。
まるでナイフの中心にいるのがCos自身であるかのような感じすらしてくる・・・
正面の床では池の変わりにビデオが投影されている。
そこにもまたナイフ・・・

これ一つ見ただけでもその場を離れがたいのだが、更に次から次へと目が離せないものが並ぶ。

Cosの好きな会田誠、山口晃はもちろん、できやよい、束芋・・・どれをとっても見ごたえがある。

今回Cosが一番気に入ったのが池田学の「領域

領域は境界線によって分けられていて、地上の世界の上側の領域と水中の下側の領域、境界線上には沈もうか浮こうかと逡巡している一艘の船。
境界線上の点はどっちに含まれるのだろう・・・
数学の概念が絵になっている・・・\∥^O^∥/

残念だったのは束芋の「にっぽんの台所」が「ちっちゃいにっぽんの台所」になっていてとても醜かったことぐらいかな。

う~ん・・なかなか消化しきれない。
もう一度は行かないとだめだろうなぁ

何とかもう一度は時間を見つけていって来たいものだ。


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2009.06.07

ルーブル美術館展--17世紀ヨーロッパ絵画

金曜日の夜間開館だと言うのに人の波が続く。
夕方6時だというのに「60分待ち」・・・・
(実際には40分ほどでは入れたけれど・・・う~ん)
しかもこの日は閉館時間を30分延長して8時30分までとなったのだが、最後まで人は減らなかった・・・∥^O^∥

普通だったらこんなに混んでいればパスしてしまうのだが、この日は池上先生のお話付きのツアーなので何が何でもはずせない。

全員が合流できるのかどうか危ぶまれるほどの混雑だったけれど、7時には全員が中に入ることが出来て\∥^O^∥/

17世紀のヨーロッパ芸術のパトロネージにかかわる話題とともにいろいろな絵の解説をしてくださる。
今回来日した71点中少なくとも23点(これ以上あったかもしれないけれど、Cosのメモには残ってない)の解説・・・
いやぁ面白かった。

通り一遍の解説ではなく、歴史的なあるいは絵の裏側にあるもろもろのことを解説してくださるからお話を伺っただけでCosですら絵の見方が変わってしまうのだ。

17世紀という時代はカトリックとプロテスタントが対立する時代であり、
この時代に描かれた絵は教会の対抗宗教改革のプロパガンダだったり、
王や貴族の描かせる大きな肖像画などであったり、
後には商人たちが自分達のうちに飾る絵だったりした。
そうした歴史的な背景を見ながら絵の意味を読み解いていただきながら見ると本当に面白い。

まず、「川から救われるモーセ」からこの展覧会はスタートする。
プッサンはこの絵を何枚か描いていてその中の2枚目がタペストリーの原画になっていたりするのだけど、なぜこの絵がそんなに描かれたのか・・・
王の迫害を逃れるために川に流されたモーセが救われるという題材だけど、実際にはその裏にはイエスの予見があり、ナイル川の豊饒を意味する擬人(この字でいいのかな?)が後ろを向いていたり・・・


アンリ4世の妻「マリー・ド・メディシスの肖像」
22歳という当時では晩婚だった彼女
1年分の国家予算にも匹敵する持参金を持ってイタリアからフランスに嫁いだ彼女
宮廷のフランス人とうまくいかず息子に政権の座を追われた彼女
この絵は彼女が画家に依頼して描かせたもの・・・となると・・・
政略結婚じゃなかったといいたかった彼女?
・・・・そんなバックグラウンドを知ってみるとこの絵の見え方も変わってくる。

花束を描くときひとつとっても当時の絵の中にはしおれた花と生き生きとした花が同時に描かれていて、それはまた宗教的意味合いを持っている。

ちょっとだまし絵風の「風景の見える医師のアーチの課かに置かれた花束」では一緒に行った人たちと
「虫はどこだ?」
「あの虫はハエじゃないか?」
「白いバラの赤い虫は虫か?」
(えっと・・・だまし絵風の窓枠の表現とか花の表現とか見るはずなのに・・・)

「クリュセイスを父親の元に返すオデュッセウス」では
「どこで父親に返しているんだ?」
「あの白い服か?」
「えっ、どこどこ?」・・・・・

「アンドロメダを救うペルセウス」では
こういった絵が描かれたのはその当時他国の支配下にあったためにどこかから救いが現れないかという願望を表現しているとか、
ペルセウスは小さく描くことになっているとか
足元の貝の表現と意味とか
じゃなくて「竜はなんかかっこ悪いなぁ」(これはσ∥^O^∥ )とか・・・

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「大工ヨセフ」に代表される画期的な光源の取り方・・・
見せたいところに光を当てながら、光源自体は隠す点光源の効果とか・・・

あと東京での会期は一週間しかないけれど、もしまた行くことがあったらその背景を考えながら見るとよりいっそう面白い。
2009年6月30日(火)~9月27日(日)京都市美術館と、京都で見るのも空いていていいかもしれない
∥>_<∥

出来たら、フェルメールのレースを編む女の光の反射がどうなっているのか、ピントがどうぼけているのかを見てみるとそれはそれでまた面白いし・・・
(あまりに混んでいて、今回はチェックできなかったのが残念)

東京では2009年2月28日(土)~6月14日(日)国立西洋美術館
会期末までは連日7時(金曜日は8時)まで

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2009.06.04

マーク・ロスコ再び 雨がおすすめ

期間延長になって、2009年6月11日(木)までの川村記念美術館の「マーク・ロスコ展」
おそらくこの木曜日までというのはぎりぎりの日程なんだろうなぁ・・・

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シーグラム壁画が展示されている空間に入ると前回とまるっきり雰囲気が違う。
前回は明るい光の中でみたシーグラム壁画なのに、今回は証明が落とされて部屋の中はしっとりとした薄暗さ。
ロスコ・ルームに展示されていたときほどじゃないけれど、この暗さがシーグラム壁画には良く似合う。

居心地のよさに時間の許す限り見てきたんだけど、帰り際に
照明を落としているのかどうか聞いたら、照明を落としているのではなく自然光を取り入れていて、外が暗いからこの部屋の中も暗くなっているとのこと。

「ぜんぜん違って見えますよね。日によって変わるんですよ」とのこと。
そういわれてみれば確かに天井からは自然の光も曇りガラス越しに入ってきているけれど、それだけの違いでこんなに絵が変わって見えるとは思わなかった。

あと一週間、天気の悪いときにもう一度行ってみては?

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2009.05.31

水墨画の輝き

始まったときから見たかった出光美術館の「水墨画の輝き」(2009年5月31日まで)
およそ1ヵ月しかやらないこともあるし、5月はなんだかんだと忙しくて見に行く余裕がなかったこともあるけれど、あっという間に会期末になってしまった。

人物よりも自然・・・風景や動物や(戸外の)植物のほうが好きなので、これはどうしても見逃せなかったのだ。

時間に余裕がなかったのでまっすぐ行ってまっすぐ帰ってきたのだが、予想以上に時間がかかって帰ってきてからも大忙し∥^O^∥

でも幸いなことに混雑もそれほどひどくなく、見たいものを落ち着いてじっくり見ることが出来たのはとてもうれしかった。

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色を拒否して白と黒と灰色だけで色彩豊かな世界を表現する水墨画、色がないのに色を感じさせる不思議さが好きなのだ。

会場に入って最初にあったのが雪舟の破墨山水図
輪郭を無理に際立たせることなく墨でさっさと書いてしまったかのような絵。
深い緑と水の青さが見えてくる。
人がいるのかも知れずいないのかも知れず・・・いてもいなくてもかかわりなく静かに山はある。
こういう景色が好き。

「元信」の印のある花鳥図屏風 時に写実的に描き、時に抽象的に描かれている植物。
写実的に描かれたタンポポが古さをまったく感じさせない。
どこかのカットに使われても不思議のないくらい・・・
(でもあれは西洋タンポポじゃないことだけはまちがいない・・・と思う)
そうかと思うと一面に生えている草の葉はあっさりと抽象化してあったりもする。
タンポポが好きだったのかなぁ・・・

そして上の絵にもなっている長谷川等伯の竹虎図屏風
凛々しく勇ましく描かれる虎の求愛の図なのだという。
(上には描かれていないけれど)雄の虎は毛並みもなんだか乱れていて、雌の前で下手に出て求愛している。そして雌の虎は見てのとおりなのである。
そこにはあれだけ強い虎にして求愛の時にはどこか気弱になるのかとちょっと面白い。
そしてこの雌の表情・・・・いいなぁ・・・

が、同じ虎でも俵屋宗達の龍虎図の虎はまるでドラえもん∥^O^∥
下から虎を見上げている龍をどこかきょとんとした表情で見ている。
見上げている龍の表情は虎の単純化された表現に比べると細かく、憂いを秘めた表情が見えている。

他にも尾形光琳の蹴鞠布袋図も面白かったし、
長谷川等伯の竹鶴図屏風に描かれた竹が面白かったし、
雪舟の赤衣達磨図の達磨の表情の面白さと眼光の鋭さ、
鈴木基一の雑画に描かれた植物のきれいさ、
仙厓の狗子画賛の犬のかわいさと尻尾までの線の面白さ、
それ以外のも面白いものがたくさんあって、なかなか見飽きなかったのだが
「閉館時間」と追い出されてしまった∥^O^∥

時間的にちょっと無理があったので「堪能する」ところまでは行かなかったけれど、
その前日に見た山、メゾチントなどを思い出しながらの楽しいひと時を過ごしてきた\∥^O^∥/

でももっと早く行けばよかったなぁ・・・

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2009.05.30

ザポハウス展

5月の末は見たいもの、見たかったもの、見ないと終わっちゃうものが目白押しなのに、このところしばらく忙しくて出かけられなかった・・・_| ̄|●

やっと少し時間が取れたので昨日も仕事が終わってから大急ぎで写真展を見てから大急ぎで神保町へ。

子どものころから慣れ親しんだ文房堂のギャラリーでのザボハウスのグループ展を見に行ったのだ。
(もし、今日2009年5月30日に時間があればぜひおすすめ!)
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第17回 ザボハウス展
日時 2009年5月25日(月)~30日(土)
am 11:00~pm 6:30
最終日 pm 5;00まで

Cosが聞いていたのは「版画教室のグループ展」ということでなんとなくカルチャーセンターのようなところで習っている人たちの作品が展示してあるのだろうと思い込んで30分もかからずに見終わるだろうと・・・・

これが甘かった・・・・

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第一に一言で「版画」と言われればなんとなく黒一色と思い込んでいたのだが、会場は色であふれていた。
(床が斜めなのはCosが傾いていたからなのだが・・・まっすぐに撮った写真がなかったのだ∥>_<∥ )

しかも、確かに版画教室なのだが、版画というのは技法であって教室に通ってくるのは他の方法で絵を描き続けてきている人だったり、プロのイラストレーターだったりするわけで、通い始めて1年にもならない人でも他の方法では作品を作り続けて何度となく個展をやっていたりするのだ。

Cosなんかは版画の技術なんかさっぱり分からないから技術的なことではなく、描かれたものしか理解できないのでますますそのすごさにびっくり。

版画の方法としては銅版画とリトグラフがメインらしいけれど、木口木版もあったし油絵などもあって展示作品の種類も豊富。

銅版画はどこまで腐食させるかで版画の表現がまるっきり変わってしまったり、一枚の版木にどう色を乗せるのかでも雰囲気がまるっきり変わったりしている。

中にはCosの好きなメゾチントで作った豆本(豆本もCosが好きなのだが)・・・23000円が高いか安いかは人によって違うだろうけれど、Cosが買っても飾るでもなく箱に入れてしまったままだろうし、しまっておくためのものにそれだけの余裕はない貧しいCosにとっては買えない金額なのだが・・・はすばらしかった。
あるいは単純化したものの上に版画の複雑さを重ね合わせた作品もお金が自由に使えるのならぜひ欲しかったし・・・
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会場では日本画をやっていらした方とお話をして意気投合したりして・・・あっという間に閉館時間∥^O^∥
楽しい時間はあっという間に過ぎるのだ。

あわてて夜間開館の出光美術館に行こうと思ったのだが・・・・


大急ぎで御茶ノ水へ出て有楽町から出光美術館に着いたのは7時5分。

「夜間開館」というから8時までかと思ったらここは7時で終了_| ̄|●
そうと知っていたら上野に行くなりなんなりしたのに、この時間からでは今から行っても入場できない可能性もある。
う~ん、ちゃんと調べておけばよかったと反省。

今日の移動はいつも「大急ぎ」だったけれど、見ている時間は絶対に急がないから・・・・まっいいか。

が、出光・・・行きたいなぁ
行くなら今日の午後・・・雨だけど混んでるだろうなぁ∥>_<∥


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2009.05.29

メイド・イン・カッシーナ展・・・技術と芸術と

技術を意味するギリシャ語の「テクネー」はまた、芸術をも意味していたとも言われる。
かつて、技術は芸術と不可分の存在だったけれど、ある時期から分離して肥大化して自然に対立して言ったのだという。

その中で芸術と技術が密接な関係を保ちつつ成長してきたカッシーナの家具。

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家具をデザインすることが家具職人の仕事ではなく、人間工学を考えたたとえば建築家によるデザインによって、力学的な構造を最大限に生かしたものを作ることが出来る。
家具の分野(他の分野でもそうだろうけれど)芸術的な表現は技術的な裏づけがあってこそ表現が可能になるのだ。


上の写真の椅子はSUPERLEGGERA

ちょっと見ただけでは何の変哲もないごく普通のシンプルな椅子。
その椅子の中にはたくさんの技術が隠されている。この椅子の足はルーローの三角形をちょっと細長くしたような感じの断面を持っている。
断面が円である足から、強度を奪うことなく削っていった結果なのだという。
そして横木は深くまで入っているほぞで組んであり、ほとんど先端は反対側に出そうなほどなのだそうだ。
座面は当を編んで作ってあり、こうした軽量化の努力でごく軽い椅子が出来たのだという。

曲げ木を使った円形の椅子BARREL
見たところは面白いデザインというだけだけど、その裏には強度を出すため、きれいな円弧を描かせるための技術が隠されている。
他の工場で作られたとき、この曲げ木はもっと太い。少しずつ1ステップごとに本来の形に仕上げて行く途中でもステップごとにしっかりとまげて形を整えていくのだという。


一枚のフエルトでベースを作り、足元の部分は樹脂でしっかりと固めて強度を出し、上のほうの部分は柔らかく変形が可能で座る人に合わせて変形する。


楽しかったのはタングラムのテーブル。普通のタングラムと同じように組み替えていろいろな形のテーブルとして使うことが出来る。

こうした技術によって裏付けられた芸術は他の分野でも再び技術と芸術の融合が進んできている。
新しい形の芸術派コンピュータなしには形作ることが出来ないものも少なくない。
昔とは違った新しい形での芸術と技術の融合はまた、家具の分野でも新しいものを可能にするのだろうな。

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2009.05.28

ルオーの祈り 絵画と版画

学生のころ「ルオー」という喫茶店があった。
今はもうないのかもしれないけれど、店の真ん中には大きなテーブルがあって、勉強をしたりあれこれ話し合ったりするのにとてもいい店だった。

店の中にはルオーの絵が飾ってあって、学生だったCosはそれがあんまり好きじゃなかった。

大人になってからもルオーの作品のあの色使いやタッチがどうしても好きになれなかった。

が、今回町田の国際版画美術館の「ルオーの祈り 絵画と版画」で見た版画は今までの印象をまったく変えてしまった。
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版画だけでなく絵も見ているうちに今までの印象とはずいぶんと違って見えてきた。

敬虔なカトリック教徒だというルオーの作品はその派手さの裏側に暖かさが流れているのが見て取れるし、彼の版画は色のない分純粋に色に惑わされることなく楽しむことが出来た。

おそらくルオーの色使いというのも好きな人にはたまらないのだろうけれど、Cosにはこの色のないルオーがとても新鮮だった。

あまり他では意識してルオーの版画を見たことがなかったから、もう一度見ておきたい気もする・・・


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2009.05.24

白の空間 金氏徹平

「おもちゃ箱がアートに変わるとき」というサブタイトルも付いた金氏徹平の「溶け出す都市、空白の森
横浜美術館で2009年5月27日まで

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これは始まったときから気にはなっていたのだが、なかなか行くチャンスがなくて「もういけないんじゃないか」とも思っていたけれど、何とか会期末に滑り込んでくることが出来た。

Cosはおもちゃ箱をひっくり返したようなガチャガチャしたものは基本的に好きじゃないんだけど、彼の作品は敬遠したくなるようなガチャガチャさの中にどうしてもひきつけられていく何かがある。

最初の部屋ではおもちゃ箱から出てきたようなガチャガチャしたものに真っ白な樹脂がかけられて流れ落ちそうになっている。
それはまるで冬の雪の中のガチャガチャさのようにも見える。
ガチャガチャとした乱雑さが真っ白な雪がかかることによって静かな景色に一変しているような・・・
雪は・・・真っ白な樹脂は・・・今にも滴り落ちそうな流れをそのままに固めている。


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そしてこれは「TOWER」という(巨大なスクリーンに投影されている)アニメーション。
TOWERのなかから出たものはそれぞれにそれぞれのリズムで逆転して戻っていく。
そこには何かストーリーがあるのかも知れずないのかも知れず・・・
ただぼうぜんと眺め続けていたような気がする。

一つ一つのパーツに分けて動画を作成して重ね合わせているのかな。
前の部屋では白によって何もかもがすっかり変わって見えていたけれど、ここでは万物流転・・・

その入り口においてあったコーヒーのしみから出来たさまざまなもの。
面白いし、考え付きもしないんだけど、なんとなく白の空間からはちょっと外れているかも。

そして最後の部屋では
子どものおもちゃのバケツから普通のバケツから、風呂オケのような大きな入れ物、果てはタイムカプセルまでありとあらゆる「ものをためるため」のプラスチック製品の中にやはりここでも真っ白な石膏を流し込んである。
部屋が大きいから部屋いっぱいにはなってないけれど、ものすごい量のバケツたち。
そこにためられた白い液体は最初の部屋でかけられていた白を全部集めてきたようなかんじだろうか?

一つ一つの部品は決してCosが好きなものではない。
でもそれが集まって白にまとめられた瞬間に、白い空間になったとたんにCosにとっては居心地のいい場所になっているのかも。


横浜美術館は常設もとてもすき。
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Cosの好きな一枚。
(好きな絵は他にもあるんだけどガラスに反射していまいちだったので省略)
置いてある椅子に座ってみるとこんな風に斜めになっちゃうんだけど、絵を眺めながら
いろんなことを思いながらのんびりと時を過ごす・・・・

人の少ない常設でこその至福の時間・・・

ふと気がついて時計を見ると・・・
あわてて帰るCosだった・・・_| ̄|●


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2009.05.17

美の宮殿の子供達

国立新美術館で2009年6月1日までの
「ルーブル美術館展 --美の宮殿の子供達--」を見るのは2回目。

1回目はあまりに混んでいたこともあってざっとしか見なかったし、あまり感銘を受けなかったのだが、今回は池上先生のアートツアーということで、いろいろなお話を伺いながらの鑑賞。

やっぱり、話を聞いてから見るのと何も聞かずに見るのとでは受け取り方がまったく違う。

「子ども」にテーマを絞っての展示は絵画だけでなく彫刻なども多いし、ミイラなどの考古学的なモノまで展示してある幅の広さは「ルーブル美術館」というよりは「ルーブル博物館」としての価値の大きさを示している。

たぶんCosは一度目に見たとき、博物館は博物館で好きなのに自分が期待していた美術館のイメージと違っていたことに戸惑いを感じていたのかもしれない。

ただ単にその場にあるものを見るだけでなく、その裏側にあるものを見ていくと一つ一つの作品がまったく違った顔を見せてくる。
せっかくいろいろと教えていただいても基本的に勉強不足のCosにとっては豚に真珠なのかもしれないけど、豚にだって真珠のきれいさが分かる程度にはいろいろなことを理解して楽しむことが出来た。

子どもの図像としてよく見られるのはまず墓碑彫刻。
かつて女性が出産のときに死んでしまうのは男性が戦争で死ぬのと同じように英雄的な行為だったのだそうだ。だからこそ、墓碑にはそれをたたえる絵が描かれていたのだろう。
墓碑彫刻に女性が乳を与えているものがあればそれはなくなった母親であり、母乳を大地に含ませるのは豊饒を意味する行為なのだという。
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そして、こうした作品が後の授乳の聖母の姿にとつながっていく。
さらに、この授乳の姿はカトリックの改革によって禁止されていくことになるのがそれまでは聖母マリアの姿として描かれていた。
そのころまでは胸を出すこと、授乳することがタブーではなかったのだし、それが時代とともにタブーになっていく。

今と違って子どもの死が当たり前のように多かった時代にあってもルーブル唯一の子どものミイラや、書記になれるほど頭がよかったとでもいいたげなパピルスを持たせた墓碑彫刻、いろいろなおもちゃ・・・

ただ単に「きれいなものを見る」というのではなく、時代とともにその社会が子どもをどうとらえてみてきたのかに注目すると「きれいだなぁ」という表面的な鑑賞ではなく、子どもに対するあるいは子どもを通じてのものの見方を踏まえた上で見ていくと一つ一つの作品が
「あっ、いいかも」ではなく
その構図、動作、意味が見えてきてとても面白い
(のでちゃんと見ようとするといくら時間があっても足りないかも)

それにしてもあれだけ面白い話をたくさん伺ってきたのに、分からない単語がたくさんあるのが悔しい。
調べればいいのだが・・・う~む・・・∥>_<∥

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2009.05.14

だって数学だもん

大体タイトルがいけないのだ
「+/-」・・・・「近くと身体感覚の限界領域を探求する」・・・だと。

東京都現代美術館で2009年6月21日まで
作曲家でアーチストである池田亮司
う~ん電子音楽分野の第一人者とも書いてあるのだが、Cosは彼を知らないのだ。

大きく分けて今回の展示は二つ。
数字やデータを暗い部屋で作品にした「光=視覚」に関する映像作品と
「音=聴覚」に関する音響作品と・・・

何かのデータをいろいろな方法で分析して何種類もの映像にして見せている作品。
空間的だったりプログラムみたいだったり・・・
何をしているのかは分からないけれど、どこか引き込まれていく。

細かな細かなたくさんの数字が意味するものが何かはわからないけれど、昔ながらのカメラのフィルムに隙間なく埋め尽くされた数字。
フィルムの長さだけの一本の線の中に目で見ただけでは何が書かれているのか分からないような数字が並ぶ。
まるで、数字に埋め尽くされた人間の生活を象徴しているかのように。

そして音のインスタレーションは真っ白な部屋。
靴を脱いで入った真っ白な部屋の中には音が聞こえている。決して心地よい音ではなくちょっといらいらしそうな音。
が、場所によって聞こえ方がまるっきり違う。
あちこちさ迷い歩きながら音を探す。
他のところでは聞こえないような音が聞こえてみたり・・・場所によって音が大きくなったり小さくなったり・・・
それはちょっと不思議な感覚。

音を楽しむんじゃなくて音の聞こえ方を楽しむのだ。
これはなかなか面白い体験だった。
出来ればどこかにまるっきり飲むオンのポイントを見つけたかったのだが・・・うまくいかなかった。
きっとあるに違いない。

普段はこういうものはほとんど買わないんだけど、今回だけは特別
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だって数学なんだもん

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2009.05.11

魔女になりたいおんな達

50年後の自分の姿を想像してもらってその写真を集めた、やなぎみわの「マイ・グランドマザーズ
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50年後の自分がどうなっていたいのか、インタビューを通じて写真の形で実現していく。
そこには体の自由が聞かなくなるとか病気を持つようになるとかといった負の部分はほとんどなくて、形はさまざまだけど、みんながそれなりに充実した元気な生活(眠ったままというのもあったけど)を送っている。

そこにいるのはグランマではなく、各種多様な魔女達。
大きなパネルに引き伸ばされた魔女達が集まって不思議な世界を作り上げている。

「写真」としての良し悪しは分からないけれど、テーマはとても面白かった。

おんな達(実際には女たちに限らないんだろうけど)は魔女にあこがれる・・

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2009.04.28

チェ・スーメイ

うちからだとかなり遠い水戸芸術館に行こうと思ったのはこの一枚の写真を見たとき。

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この写真が特に優れているというわけでもないのだと思うけれど、谷に向けて赤い服を着た人がチェロを弾いている。
それだけを見てチェ・スーメイに惹かれたのだ
しかも彼女は音楽家の家に生まれてチェロを弾くという。

そこには音楽と美術の接点が何かあるのではないかと思わせるような作品・・・
この時点ではこの作品がどんなものなのかはまったくわかっていなかったけれど、谷に向かってチェロを弾くという行為そのものがCosの心をとらえて離さなかった。

ただ、どんな人だかほとんどわからない状態だったので、行ってみてつまらなかったらどうしようという不安もあったのだが、結局のところ好奇心が勝って水戸へ。

水戸芸術館に入った途端、ロビーのパイプオルガンが見えて圧倒された。
ここにパイプオルガンがあるということはロビーでの演奏会があるということ。
それはここに来る人にとって音楽が身近なものであることなのだろうと見えた。
「いい場所だな」というのが最初の感想。

その感じたとおりにチェ・スーメイもとても楽しかった。

会場に入って最初に目にするのが「東・西・南・北」の天井から下がった文字のネオンサイン・
ある意味であっけに取られてしばらく見入ってしまった。

再びぎょっとして驚いたのがビデオ作品の「平均律クラヴィーア曲集 Das wohltemperierte Klavier 」
指が曲がらないようにアイスクリームの棒のようなもので指を固定して弾かれる曲。
なぜこんな姿勢で弾かなくちゃならないのか分からないけれど、自由を奪われた形で弾くピアノはどこか痛々しい緊張がある。

そしてピアノの音とともに聞こえる噴水の音はビデオからではなく、隣の部屋にあるものから聞こえてきて、それがちょっとほっとさせる。

が・・・・

その噴水は「多くの言葉 Many Spoken Words 」で噴水の水はインク。
書かれた言葉を元に戻すという意味が込められている。
一旦元に戻されてしまったらそこにかかれていたものは帰ってこない。
噴水の出ている真っ白なはずの天使の像もインクに染まって紫色。
言葉の消えていくさまを見ているよう。

一つ一つの作品がそれぞれに面白い。

扉の閉じているときだけ中が照明される「冷蔵庫 Le frigo 」
ネコののどの音が次々に聞こえる「不眠症の治療 Son pour insomniaques (Sound for insomniacs) 」
ほとんどの針の切り取られてしまった「ウエイティング・ラヴァーズ Waiting Lovers 」
・・・・
そしてやはり秀逸だったのは上の写真のビデオ「エコー L'écho 」
エコーというよりは日本語の木霊のほうがずっとふさわしい作品で、彼女が弾くチェロの音が谷に反射して木霊になって少し遅れて帰ってくる。
深い自然の中で奏でられるチェロ、返ってくる音。
それは人間が作り出した音を自然が返してくれるような感じさえしてくる。

点数自体はたいしたことがないのだけれど、一つ一つが面白い。

すっかり満足して外に出てきたら水戸芸術館のシンボルでもある四面体の塔に登ってきた。
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なぜ四面体なのか、その理由は時間がなくてよくわからなかったけれど、この数学的な構造がとても楽しかった。
中のエレベーターの回数表示も△の角度を変えて表示している。

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そして中庭には水に打たれる岩。
あたかも岩に感情があるかのように見えてくるのが不思議。

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ちょっと(かなり)遠かったけれど、とても充実した一日になった。

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2009.04.23

舟越桂 新作版画・・・・絶望?・・・

渋谷Bunkamuraギャラリーで2009年4月26日までの
舟越桂 新作版画展」を見に行ってきた。
同時にトレチャコフ展も見たのだけれど、舟越桂のほうがずっと強烈に残ってしまった。

新作のテーマは「絶望」なのだろうか・・・
最初の一枚「砂の街のスフィンクス」を見た瞬間に伝わってきた感情は強烈だった。
「絶望」といっても「戦争を見るスフィンクス」のような怒り狂ったり慟哭したりするような絶望ではなく、たとえて言うなら

この前、とても幸せで楽しい時間を過ごしたけれど、一夜明けてみたらそれはそれでひとつの現実ではあるけれど単なる白日夢に過ぎず、目の前に残されたのは夢の楽しかった分だけより深く沈みこんでいくような道を進むことしかないと気がついた時に感じるような絶望だろうか。

それはもしかしたら人類の将来の道なのかもしれないし、舟越桂の絶望なのかもしれない。

案内状のはがきにもなっている「スフィンクス 問う」では過去のスフィンクスと同じように「それでお前は何をしたのだ」と彼の前を通る人に質問をしているようでもあり、

「冬の鏡」では少女が静かに「あきらめなさい」とさとしているようでもあり・・・

西村画廊で見た狂気に満ちた「バッタを喰らうスフィンクス」の先にあるものが絶望なのかもしれない。

彼の過去の作品も悲しみには満ちていたけれど、もうここから先はないのかもしれない・・・
そんな思いを抱えてトレチャコフ展を見に行ったのだった。

ちょうど同時にギャラリー白川でも同じ展示をしていました。


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2009.04.20

ルーブル美術館展 美の宮殿の子供達

つい先日、国立西洋美術館で「ルーブル美術館展」を見たせいだろうか、すっかり勘違いをしていくまで絵画だけの展示だと思っていた国立新美術館の「ルーブル美術館展 美の宮殿の子供達」(2009年6月1日まで)

 古代エジプト美術、古代オリエント美術、古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術、彫刻、美術工芸品、絵画、素描・版画。7つの部門から選りすぐられた約200点

なのだそうだが、この中で古代の子どもの表現が面白かった。子どもは指をくわえているとか古代オリエントのおもちゃとか人形とか・・・昔の子供達の生活がどんなだったのかちょっとだけ見せてもらったような気がする。

そして今回気になったのが子どもの手の行方∥^O^∥

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特に聖母子のキリストが聖母の胸に手を伸ばしているところ。
かつてはごく当たり前のように聖母の胸に手を当てているけれど、時代とともに胸に触るのをやめてしまっている。
貴族が自分の子どもを時分で育てないようになったころ子どもといえど胸にさわるのはけしからんとでも言わんばかり。

日本もそうだけど、ヨーロッパでも性に対してはずっとおおらかだった時代のほうが長かったんだろうなぁ・・・
なんて事を考えていたらあっという間に時間がたってしまってじっくりと見る余裕がなくなってしまった・・・
残念。

どうしても見たいというほどのものはなかったので、何が何でもみたいとは思わないけれど、時間があったらもう一度見てもいいような気もするなぁ・・・
もっとずっとすいたときにのんびりと。

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2009.04.19

印象派の送別会

印象派の鑑賞会をやっている方達のオフに入って一緒に騒いできてしまった・・・∥>_<∥
もちろんCosは日本人らしくモネが好きだったりするけれど、特に印象派がいいと言うことではないのでそのグループには入ってないのである。

が、グループを主宰している方には何度か会ってお話をしたことがあるし、彼の美術に対する造詣の深さはすばらしいものがあってまた話を聞きたいと思い続けてきたのだ。

その彼が地方へ行くというので急遽開催されたオフ、今までと違って他のところでお目にかかるということもなくなるだろうし、鑑賞会を東京でしたとしてもCosの都合とうまく合う可能性はかなり低い。
となると今一度彼にあって話をしたい・・・・

それならばと参加することにしたのだ。

最初は知らない人ばかりでCosはきっと寡黙になるに違いないと思っていた。

最初のうちこそ一応おとなしくしていたものの、やってきたメンバーのうちかなりの人と直接話したことがあったり、顔を見たことがあったり・・・・
となるとCosがおとなしかったかどうかは・・・・あぁ、場合によってはうるさくはなかったと思ってくださる方もいるかもしれない・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

もう少し美術に対する造詣を深めたほうがいいなぁσ∥>_<∥
たぶん、頓珍漢なことばかり言っていたに違いない。
そんなCosを暖かく迎え入れてくださった方たちに感謝m∥_ _∥

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2009.04.12

少女漫画でルーブルを!

アートテラーとに~さんのアートエンターテインメントイベントに行ってきた。
今、上野と六本木でやっている二つのルーブル展を少女漫画から解き明かそうというもの。
バロックとロココ二つの流派をそれぞれ70年代と80年代の少女漫画になぞらえて解説。

なんとなく敷居の高いように感じられる美術を日常の高さまで引き摺り下ろして解説をするのでその切り口がとても面白いのだ。

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ホワイトボードに次から次に絵を張りながら解説していくとに~さん

またきっとどこかでやるのかもしれないので、内容についてはここに書かないけれど、先日見てきた西洋美術館の17世紀のルーブル展の中なら何枚かを取り出して少女漫画との共通点を解説。

教科書っぽいまじめな解説はなかなか好きにはなれないCosだけど、こういう解説なら何度聞いても楽しいかも。

こうした普通と違う切り口で美術を解説していくのは1から作らなくてはならないから大変だろうと思う。
また、まだまだ荒削りのところもあったりして何度か繰り返すうちにより洗練されたものになっていくんだろうと思うけれど、その分親しみやすいイベントになっていた。

もっと派手にアピールしていればもっと人もたくさん集まっていいんじゃないかと思うのだけど、ちょっと人数が少なかったなぁ・・・

こうした新しい試みが軌道に乗るまでは大変なんだろうけれど、とに~さんにはがんばって欲しいなぁ・・・・

欲を言えば有名な美術展だけでなく、マイナーでいいからもっと身近な・・・同じ西洋美術館でも常設展などなら、アートテラーの後実際に見ながら少し話をするなんていうこともあってもいいんじゃないかなぁ
なんて思ってみたり。


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見詰め合うとき

目をあわせて見詰め合うとき、そこには言葉にならない想いを通わせる。
恋人と見詰め合うときには思いのたけをのせて、
わが子と見詰め合うときにはいとおしさをこめて、
仏像と見詰め合うときには・・・・自分との対話。

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相変わらずの人気で40分待ち50分待ちもざらな東博の「国宝 阿修羅展」。
じっくりと見るにはどうするか・・・・友達とあれやこれやと相談して夜間開館日の最後の30分が勝負だろうということになった。

というわけで金曜日の18:00
さすがに行列のなくなった東博ではあったけれど、人々が次から次へと建物の中に吸い込まれていく。
「う~ん、まだ早かったかなぁ」とは思ったけれど、一通り見るのに1時間では厳しいからせめて1時間半は必要だし、
「なかなかよかったよ」というVRシアター「再建中金堂と阿修羅像」もみたいし・・・
となるとこの時間が限度
(どっちにしても仕事があるからこれより早くは来れないんだけど・・・)

まあ、仕方がないと会場に入ってみるとやっぱり人がたくさんいる。
最初の第1章興福寺創建と中金堂鎮壇具は細かいものが多いので、人がたくさんいるとよく見えない。
ところどころちらっちらっと3列目ぐらいからみた。
ここは後で時間があったら来ることにしてさっさと
第2章国宝 阿修羅とその世界へ。
ここでCosは子どものころに出会った仏像たちに再会。
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八部衆像のうちの迦楼羅立像(かるら)は子どものころのお気に入り。おなじような仏像の中でカラスになっているこれが異彩を放っているようで好きだったのだ。
同じものを見ても受け取り方はずいぶん違っているはずなのに感じ方は今も昔も代わりがないところを見ると成長がないんだなぁ・・・

この八部衆像(阿修羅もこの中に入る)はいろいろなものになっているようで見ていると楽しい。
表情も平和なものがあって見ていると安心する。
(阿修羅は平和とはちょっと違うかな?)

が、十大弟子像はそんな平和な気分ではいられない。
歳をとった仏像の表情は悟りとは程遠い嘆き、苦しみ、憤りを表しているかのようにも見える。
一度目は人もすごく多かったのでざっと見てドンドン先に進んだけれど、2度目に回ったときには閉館30分前だったこともあってここまではかなり空いていた。
(ほとんど人のいない状態)
自分の見たい位置からじっくりと目を合わせて対話することが出来る。

単眼鏡を使ってその表情をじっくりと見る。
仏像と目を合わせると何も考えていないようなじっくりと考え込んでいるかのような気になってくる。
なぜ年老いた人を悟りの表情にしなかったんだろう?

逆に少年の像はすべてに満足した若さが感じられるのがなんだか不思議。
満足しきっている少年と飢えている老年・・・

そして阿修羅ルーム。
部屋に入るとまずろうかがなだらかなのぼりになっていてそれをのぼりきるとちょっと下のほうに阿修羅像が見える。
1回目は中央の台の上に乗っている阿修羅を取り囲むように人々が部屋いっぱいに広がっていてとてもそばに寄ろうという気がしなかったけれど、2度目になると阿修羅の周りは二重になっている程度の人ごみ。
ちょっとがんばって一番前から人ごみと一緒に阿修羅像の周りを一周。

更に閉館5分前にもう一度行ってみるとさすがに空いていて、これもまた自分の見たい位置から字栗と阿修羅と目をかわすことが出来た。

ぱっとみると満足しきっているようにも見える阿修羅。
が目を見つめているとそこの中にはどうにもならないやるせなさが見え隠れしているように見える。
いや、そう見えたのはCosの心のうちだろうか・・・


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2009.04.09

平泉・・・平安時代を垣間見る

1000年以上昔の平安時代が、どんな時代だったのか・・・
子どものころに習った歴史とはちょっと違う平安時代の姿が甦ってきているような気がした
世田谷美術館の「平泉~みちのくの浄土~」展(2009年4月19日まで)

 

平泉は、平安時代後期に奥州藤原氏によって独特の景観と高い文化を築き上げた都市です。


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そこにあるのは京都の仏像とちょっと違っている仏像たち。
どちらかというと中国から来た仏像というよりもアンコールワットのあたりから来た仏像のイメージらしい。

取り澄ましたのではなく暖かい感じの仏像が並ぶ。
それはCosのほとんど知らない世界。

平安時代という時代もよく知らないし、
こういう顔をした仏像も知らないし、
奥州藤原氏もしらないし・・・

でもこの表情は好き。

平泉の中尊寺には一度行ったことがあるけれど、もう一度、どんなところなのか調べてからいろいろと見に行ってみたい。

いわゆる「京の都」からみればずっと田舎のほうにあった独特の文化を持った都市。
もっと勉強してから見るともっとずっといろんなことが分かるんだろうなぁ

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2009.04.01

ユニマット美術館閉館

平成18年にオープンした青山のユニマット美術館が昨日閉館した。

前々からいろいろな人に「なかなかいいよ」といわれていたにもかかわらずなんとなくいき損ねて言ったのは閉館するちょっと前。

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実際に行ってみてそれまでに聞いていたとおりよかったのでこんなことならもっと早く来ればよかったと後悔。
なんといっても全部の絵を見たわけではなくこれ以外に展示換えの作品を見ることが出来なくなってしまったのはどうにも悔しいのだ。

シャガールとエコールド・パリを売り物にしているだけあって、Cosとしてはすごく好きというわけではないシャガールも甘ったるいばかりではない作品もあったりしてなかなかよかったし、エコールド・パリのコーナーでも「ユトリロ専門」と称している美術館よりもずっといいユトリロ(バニュウの教会)があったり、府中美術館でおめにかかった不思議な魅力のあるキスリング(長椅子の裸婦)の絵(同じではないと思うけど)に再開したり、クールベ(シヨン城)ってこんなに平和な絵も描くのかと驚いたりもした。
藤田嗣治の猫の絵もデュフィのオーケストラもとても楽しかったし・・・

今回の特集展示である「ミレーとバルビゾン派の画家達」(クールベの絵はここにあった)でもミレーの犬を抱いた少女もよかったけれど、コローがいたりドービニーがいたり・・・

決して大きくはないし、Cosには分からないけれど、有名な作品というのもあまりなかったのかもしれない。
でも絵の趣味はとてもいいし、また来たいと思った・・・・

館長さんが亡くなって、ユニマットグループにはこの美術館を維持していく力も意欲もなくなったのかもしれない。
なくなってから閉館までの速さはあるいは生前から閉鎖を求められていたなんていうこともあったのかもしれない。

企業あるいは個人の力でこうした文化を守っていくのは傍で見るよりもずっと大変なんだろう。

今日になって、ユニマット美術館のwebページはあっさりと「閉館のお知らせ」だけで後は何もなくなってしまった。

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2009.03.29

VOCA展

この前佐藤美術館で見た三瀬夏之介が気になっていて、他のところでも彼の作品を見たいと思っていた。
幸いなことに上野の森美術館のVOCA展(2009年3月30日まで)に出品されるというので見に行ってきた。

このVOCA展は選考委員に推薦された40歳以下の人たちが描いた新作の中から大賞などを選ぶというものなのだが、その大賞に三瀬夏之介が選ばれたのだ。


受賞の言葉.

そのようなダイナミックな直感に苛まれながらも、ぼくにはどうすることもできないほど世界はでかい。ぼくは政治力も資本力ももたない、ただの世界の田舎の絵描きにすぎない。

ただそれでもぼくはもがきあらがう。絵の中に登場してくる巨人は破壊の限りを尽くす悪の権化かもしれないし、新しい未来を描く救世主かもしれない。あなたにはどう見える?

「今」という時代をこの絵の不穏さが象徴していることなのかもしれない。表面的には何とか平穏を装っているけれど、その裏側ではもしかしたら・・・・
と思わせる。

そしてそれは今回賞をとった作品のかなりの部分に共通していたりするのがなんだか怖い。

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2009.03.28

ロスコルーム

一週間もたってしまったのが不思議な気がするけれど、先週の土曜日に佐倉の川村記念美術館に行ってきた。

もちろんお目当ては「マーク・ロスコ」(2009年6月7日まで)
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もともと川村美術館のロスコルームはCosのお気に入りで、暗い部屋の中に7枚のロスコの赤い絵がかけられているだけなのに川村に行くと必ずそこでしばらくたたずんでしまう。

人が誰もいなければずいぶんと長い時間座り込んでいたりもする。

このロスコルームの絵はマークロスコがレストランのために描いたシーグラム壁画と呼ばれる何枚もの大きな絵のうちの一部だったのだが、今回イギリスのテート美術館とアメリカのナショナルミュージアムをまとめて展示しているのだ。

そのために前回川村記念美術館に来たときにはイギリスのテート美術館にロスコの絵が貸し出されていてロスコルームは閉鎖されていたのだ。
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この写真はそのときのもの。イギリスでのテート美術館のポスターが張り出してある。

要するに世界的規模の巡回展ということになる。

今回はただ単に絵を展示しているだけではなく、レストランシーグラムのために描いた絵だったにもかかわらず直前になって現地を訪れたロスコが「ここではだめだ」と契約をキャンセルして自分で持っていた絵
ロスコはこの絵を一箇所にまとめて、自分の絵だけの部屋が作れるところを望んでた。

それに対してテートが部屋を作ることを申し出たけれど、そこからもまた紆余曲折があってそのうちの何枚かをテートで飾ることになった。

そんな敬意のやり取りが書簡になっていたり、部屋の模型があったりしてロスコの絵に描ける想いが伝わってくるような気がした。

絵自体も普段の川村のロスコルームはグレーが基調になっていて、暗い重厚でずっしりと包まれるような安心感のある雰囲気があるのに、今回は大きな真っ白な展示室をいっぱいに使って絵がかけてあるから同じ絵なのに重厚さはあるものの明るい安心感に変わっていた。

それでも静かに静かに絵とともに過ごす時間の心地よさは変わらない。

ロスコはどっちを望んだんだろう?

今回はみんなで来たのでその後はしっかりピクニック。

菜の花の咲き乱れるアート広場で焼きたてのピザランチ。
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2009.03.24

錦絵はいかに作られたか

「錦絵はいかに作られたか」と聞いて真っ先に浮かぶ疑問は
「錦絵って何?」
以前、江戸博物館で見た「ボストン美術館展」の中で
浮世絵は最初黒一色の墨摺絵(すみずりえ)から始まり、色の付いた紅摺絵(べにずりえ)になり、多色刷りの錦絵になったとあったのだが、逆に「錦絵」といわれたときにそれは浮世絵だけに使うのだろうか?
という疑問がわいてくる。

そんな疑問を持って国立歴史博物館の「錦絵はいかに作られたか」展(2009年5月6日まで)に行ってきた。
なんてえらそうなことを書いているけれど、実際に歴博で真っ先に行ったのは「錦絵の重ね摺り体験」!

Nisikie_002_0001展示はそっちのけで2種類の多色刷りを体験。

「体験」好きなCosとその友達たちが見逃すはずもなく、時間が足りなくなるといやだから先にやることに(と提案したのはCosだが・・・)。

いやぁ難しかったです。
やることはやさしいんだけど・・・・_| ̄|●

写真のものは
「濃い青」→「薄い青」→「赤」→「黒」の順にするのだけれど、気をつけてやったつもりでもずれていたり、思うように色が出なかったり・・・

一緒に行った友達(この写真は友達がやったときのもの)とああでもない、こうでもないと大騒ぎしながら楽しい時間を過ごしてしまった∥^O^∥

2枚とも出来て多色刷りの大変さを身をもって体験したCosたちは16色も使っていたりする浮世絵が江戸時代に完成されていたことに改めて驚きをもって展示を見ることになる。

しかもこの浮世絵というのは特権階級が楽しむというものではなく、江戸の庶民(買うだけの余裕のある庶民)が絵双紙屋で買うことが出来たのだ。
そのお店の様子も錦絵として残っているのだ。

中には相撲の番付を模して「これが江戸 錦絵合わせ」なんていう番付表があったりして昔の人も楽しんでいたんだろうと思われる。

歌舞伎の役者絵、死絵(有名人が死んだときに出す。まるで今の週刊誌みたいに人気役者が死ぬと何種類もの死絵が印刷されて売りに出されるけれど、必ずしも出せば売れるとは限らなかったらしい)、見世物、開帳のお知らせ、風刺絵としての土蜘蛛、妖怪といった錦絵の種類も面白いけれど、なんといっても今回のこの展示のきっかけとなった版木が面白かった。

もともと浮世絵の版木は印刷が終わると削り取ってそこにまた新しい物を彫るからドンドン処分されて今に伝わっているものはほとんどない。

そんな版木がたくさん見つかったことが今回の展示につながったのだけど、この色ごとに彫られた版木が面白かった。

なんとなく版木は一枚で一色という気がするけれど、実際には裏表の両面に彫ってあったり、ひとつの面で2色色の指定がしてあったり、インクをつけない空刷り用の版木があったりする。

「紙に湿り気を与えておいてばれんでこすることで紙に凹凸を出す」のだそうだけど、凹凸が出ているかどうかはまるっきり分からなかった。
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この版木で行灯などの枠の部分と下帯の空摺りをしているのだという。間違えてインクが付いちゃうと変な色が入ってしまうことになる。

版木は刷り上ったものとは左右対称だから、左のほうにあるのが行灯の部分。

血の部分を印刷する版木には「ちのいろよろしく」なんて書いてあったりして、庶民のものである錦絵にもかかわらずいろいろな工夫がされているのが分かる。

この版木と出来上がった浮世絵と一つ一つ見比べてどうなっているのか考えるのはそれだけでもとても楽しい。

更にはこういった研究を応用してだろうか、版木に残された色や形から出版されなかった錦絵を再現したりしている。
Img_1754上が再現された絵で下がその版木。
実際に版木で印刷したのではないというのが面白い。

いずれは研究が進めば過去に印刷された浮世絵が刷られた当時の色で再現することも可能になるのだろうな。
江戸博物館で見たボストン美術館浮世絵名品展にあったような鮮やかな浮世絵が甦る日も近いのかもしれない。

 
 
 
 
 
 


 
 
 
 

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春を呼ぶギターとチェロ

と題したコンサートを国立科学博物館の講堂で聞いてきた。

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「東京・春・音楽祭」という上野のホールや美術館、博物館で行われる音楽祭の一環として、科学博物館でもコンサートが行われたのだ。

普段はなんとも思わないんだけど、美術館などと違って科学博物館はかさの持込が認められている(というよりは常設展にはかさたてがない)からコンサートの会場にもかさを持ち込むことになる∥^O^∥
更に(当然)演奏中の写真撮影などは禁止されるけれど、始まる前は写真がOK
(正しくは取っていても注意はされなかった)

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しかも、この写真を見ると分かるように講堂の両側は窓になっていて、(天気も悪かったけれど)カーテンが開けられて外が見えている。
つまり、演奏中にもかなりの明るさがあって、「演奏会」というよりは「サロンコンサート」の雰囲気。

別にギターが嫌いというわけじゃないけれど、クラシックのコンサートでギターというのは聞いたことがなかったので興味津々\∥^O^∥/

第一部の最初のうちこそチェロが勝っていてギターが弱い感じがしたものの時間とともにギターとチェロが一体になっていった。
ギターだけを聴いていると音が小さいとは思わないんだけど、チェロに比べるともともとの音が小さいのだ。
音の大きさから言うと
(オーケストラの伴奏すらしちゃうほどの)ピアノ>オケ>ギター
ということらしい。

合間合間におしゃべりをはさみながらのコンサートは時間とともに楽しくなっていく。

ギターというのは一人で演奏する楽器としては音の豊かさにかけるような気がいていたけれど、思っていた以上に音が豊富で面白い。
ギターの鈴木大介さんはこともなげに弾いているけれど、実際にはすごく大変なんだろうなぁ・・・

アンコールの3曲のうちの「この季節でないと演奏できない」という武満徹編曲の早春賦はいかにも日本の春という感じがした。

コンサートの休憩時間には科学博物館らしく
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にご挨拶。
休憩時間も無駄にせずに見学に走るのだ∥xx;∥☆\(--メ)

コンサートの後で時間はあまりなかったけれど、シアター360を見学して音楽と科学の一日。


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2009.03.22

絵物語・・・表れて、そして消えた

「少年ケニヤ」という本の存在は知っているけれど、おそらくCosはちゃんと読んだことがないだろうと思う。
動物は好きだけど、冒険物は好きじゃないし、単純な勧善懲悪はかなり小さいころから嫌いだったから手に取ったことはあってもほとんど読んだことがないような気がする。

(気がするだけで実際には読んでいる可能性もあるけれど・・・今回見た限りではその可能性はかなり低い)

この「少年ケニヤ」の作者の「山川惣治展」が千葉の佐倉市立美術館で2009年3月22日まで

元の市役所が美術館の入り口になっているのだが、その中に入ってみるとそこには昭和30年代の街が甦っている。
少年ケニヤの時代は日本が高度経済成長といわれるようになる豊かな時代に入る前の戦後の「これから」という感じのする時代。

まだ、少年漫画は子供達のものではなく、テレビもまだあまりないような戦前からこの時代までの少年達をとりこにした絵物語で一世を風靡した山川惣冶はその晩年を佐倉市で過ごしたそうだ。

変にひねったところのない素直な物語、幼い子どもの絵本の延長線上にある絵のある本。
子供達の中では自分で読む紙芝居だったのかもしれない。

戦後、高度経済成長が始まったころになるのだろうか、漫画に押されて
「子どもに良質な絵を」といい続けていた絵物語は次第に販路が狭まって、最後に残ったのは学年誌だったという。

その漫画は・・・・山川の描く美少年美少女の表情や目をそのまま取り入れながらどんどん発展を続けてきた。
そして今、印刷物はwebや動画に取って代わられようとしている。

紙芝居が絵物語になり漫画になり動画になっていく・・・・次はどこに進むんだろう?

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2009.03.21

さくらと菜の花と川村美術館に刺激されて・・・

昨日の夜は佐倉にお泊りをして、今日は川村記念美術館に行ってきた。
川村記念美術館のアート広場では菜の花が咲き誇っていて思わずこんなものを作ってしまった∥^O^∥

直線または微分方程式

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2009.03.18

薩摩焼

最初に「薩摩焼」という文字を見てもそれが何を意味するのかがしばらく理解できなかった。
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どうもこの「薩摩」という言葉はCosの中では食べ物に結びついているようで、「さつまいも」「さつまあげ」「さつましょうちゅう」・・・

こういう知らないもの、わからないものについてはとりあえずどんなものだか見てみようというのがCosの方針。
というわけで江戸東京博物館の
薩摩焼~パリと篤姫を魅了した伝統の美~展(2009.03.22まで)へ。

Cosの周囲には陶芸をやっている人もいるけれど、Cosにはその良し悪しはまるっきり分からない。
「いい」とされているものを見ても「こんなもののどこがいいんだ?」となることのほうが多いくらいなのだ。

1867年(慶応3)の第2回パリ万国博覧会に出展された作品を中心に集めた展示ということでヨーロッパ向きの作品が多く、Cosにも見やすかったのかもしれない。

たくさんの・・・100点ぐらいあったんじゃないかと思う日本の薩摩焼全体につけられた930円ぐらいの値段と逆にフランスから送られた一点で同じような値段のつけられた壺(だったと思う)は当時の日本の立場がどんなだったのか考えさせられる。

きれいに描かれた花などの絵の上を貫入とよばれる細かなひびが入っているのがいいらしいのだけれど、Cosにはそれがどこか痛々しいようにも見えた。

この細かなひびをヨーロッパの人たちはどう見たんだろう。
だからその値段だったとかということはないんだろうか?

今回の展示で面白かったのはこのきれいな絵を描いた薩摩焼・・・白薩摩という・・ではなく,地味な色の黒薩摩のほう。

黒薩摩では釉薬に工夫をしたり、整形してから掘り込んだりして焼くことによって出来る偶然性を楽しんでいるかのようにも見える。

黒い水滴が一面についているかのような鮫肌釉瓢形徳利(さめはだゆうひょうけいとくり)とか
蛇のうろこのように網目が入っている蛇蝎釉(だかつゆう)とか
焼く前に釉薬の玉を乗せておいてそれが解けて流れるさまを楽しむ玉流しとか・・・

いかにも「つくってみました」「やってみました」という感じ・・・今に伝わっているのはきっとその中でもうまく出来たものだろうから、余計に面白いのかもしれない。

美しく美しく描いた白薩摩は殿様の焼き物。
黒く無骨な黒薩摩は庶民の焼き物とも言われているらしいけれど、どちらをとるのかといわれればやっぱり黒薩摩だろうなぁ・・・
その点では確かにCosは殿様の器じゃない∥^O^∥

展示の最後に現代の薩摩焼もあったけれど、これはこれですごくアブストラクトなものも多くて面白かった。
そのうちに現代の陶芸に焦点を当ててみてみると面白いかも。

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2009.03.11

まばゆさの在処  伊庭靖子展

Cosの周囲には「写真は絵画に取って代わる」という人もいるけれど、この伊庭靖子の作品は
「絵画が写真に取って代わった」もの。

写真に撮ったものを忠実に絵画に写しているかのように見えて実際にはどこかまるっきり違うものに変化している。
01gomi01_2

チラッと見ると写真の持つ透明感がそのまま伝わってくるのにそばによって見ると絵の具の持つ不透明感に変わる不思議。

写真に撮った陶器の反射する光はそのまま残っているのに、それはよく見ると透明な光ではなく絵の具の白だったりするのがとても不思議。

以前に見た上田薫のスーパーリアリズム絵画
とも共通したリアリズムがありながら伊庭靖子の作品はその題材も関係しているのだろうけれど、どこか光に満ちた柔らかさがある。

ありふれた日常の中の一こまを切り取った写真のような絵という点では同じだが、その受け止め方が写真の研ぎ澄まされた光を更に研ぎ澄ませたかのような上田薫の作品とは似て非なるものに仕上がっている。

上田薫の絵が写真以上に距離を置いて見せているのに対して伊庭靖子は同化して見せているから、プリンの絵はちょっと見ただけではなんら異質なものを感じさせないプリンそのものだし、オレンジの絵(伊予柑系のオレンジだなぁ)はごく自然なみずみずしさを保っている。

写真を撮ったときの切り口も面白いけれど、写真から絵にするときに彼女の欲しいエッセンスだけが強調されているのだろう。

写真とは何か、絵画とは何かを考えさせてくれる美術展。

2009年3月22日まで
神奈川県立近代美術館鎌倉

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2009.03.08

チャロー! インディア

「期待したほどよくなかった」という話を聞いていたので最初から期待せずに行った美術展。

01gomi01

チャロー! インディア --インド美術の新時代--
2009年3月15日まで
森美術館

Cosが聞いたのは「どこがインドなのかよくわからなかった」といったものだったので、最初から「インド」を期待せずに行ったのがよかったのかもしれない。
確かにインドらしさを求めようとすればインパクトが小さいかもしれないけれど、「インド」を期待せずに見るとそれなりになかなか面白かった。

会場に入って最初に見るのが体一面に精子のビンディを描かれた象。
ヒンズー教の既婚の女性が額につける印であるビンディに精子を模したものなどあるとはとても思えないが・・・・
夫のある女性がおでこに精子を貼り付ける・・・実のところビンディの意味するところとは共通しているのかもしれない。

一番面白かったのはシルパ・グプタのごみに関する映像作品。
白いスクリーンに向かってたつとそのスクリーンには自分の影が映る。
映った影に一本のケーブルが延びてきてそのケーブルを伝って影のごみが落ちてきた、と思うと体にくっついてしまうのだ。

もちろん、くっついているのは影のほうだけで実際の人間についてるわけではない。
作り方としてはこの前に見てきたメディア芸術祭のOups!と同じようなテクニックを使っているわけなのだが、その表現がごみ問題あるいはインドの中のごみを扱っている人たちの問題・・・たぶんカースト制にかかわっている問題・・・に関連しているところが違っている。
たぶんこれもインド特有の視点を含んでいるんだろうな。

「インド」ということにこだわらずに見たときに一番面白かったのがN・S・ハルシャの椅子の作品。
この椅子は展示作品でもあり、監視員が座るための椅子でもあり、この椅子に座ることで観客を見る立場にある監視員達が逆に見られる対象になってしまう。

椅子の上には天上に近いところにかごがあってその下に座れば頭の上に落ちてきそうだったり、地球儀のような地球のボールがあったり、椅子の横に口のひらいたお米(インディカ米ではなかった)の入った麻袋にナイフが刺さっていたり、なにやらネットのようなものが壁にかかっていたりしてなかなか面白い。

ただ、じっと見ると必然的に監視員の人と目が合うわけで、それはそれでこっちもちょっと居心地が悪かったりもする∥^O^∥

人の座っていない監視員の椅子には自分が座ってみたくなってくる。
座ったらおこられるのかなぁ?

この展覧会で一番ショックを受けたのは最後のインタビューの映像。
内容はそんなにたいしたことがなくてどんなものを作っているかとか「あなたにとってインドとは?」といったインタビューをしているだけなのだが、なんと全員が英語で受け答えをしているのである。
芸術家ということと語学に堪能ということとの関連はそんなにあると思えない。

インドという国には26の言語があって同じインドであっても場所が違えば言葉が通じないのだとも言う。
公用語はヒンズー語だけれど英語しか離せない人もいるのだという。
インド - Wikipedia.

1991年の国勢調査によると、178,598人(調査対象者の0.021%)が英語を母語にしており、9000万人以上(同11%)が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。

英語でインタビューを受けそれに答えている彼らには英語圏の世界はひらかれているけれど、もしかするとインドのほかの地方の人たちの社会は彼らにとって閉ざされているところもあるのだろう。

実はこれこそがいまのインドの姿なのかもしれないと思ってみたりした。

それにしても英語を自由に使いこなすのはかなりうらやましい・・・∥^O^∥

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2009.03.07

芥川沙織展

芥川沙織・・・芥川也寸志の妻。
その妻がろうけつ染めを使って描いた絵。
なんて聞くととても見てみようとは思わない。

暇をもてあました有閑マダムがろうけつ染めを使ってかわいい花かなんかの絵を上手に描いている・・・きれいでかわいいものを描いている・・・のならわざわざ見に行きたいとは思わない。

01gomi01

もし、この絵を見なかったら、しかも行く場所がCosの好きな横須賀美術館でなかったら決して行こうとは思わなかっただろう。

展覧会の案内にあったこの絵、絵というものは印刷してしまうとその途端に魅力や迫力のかなりの部分を失ってしまうのにここに書かれた黄色い人の怒り、あるいは憤りが伝わってくrかのように見えた。
それはきれいでかわいいものを描くという「奥様」からはかけ離れた存在だった。

しかも、場所は観音崎公園のはずれにある横須賀美術館。
ここは美術館の存在自体がひとつのアートだし、海と山と美術館と観音崎公園とを楽しむだけでも行くだけの価値がある。
(唯一の難点はうちから遠いこと、つまりお金と時間がかかることかな)

山田-芥川-間所 沙織・・・42年という短い一生の間に3つの姓を使った沙織。
声楽の勉強をしていた芸大の在学中に芥川也寸志と結婚し、
「一軒のうちに二人の音楽家は困難」と、音楽の道を捨てて美術の世界に入っていた沙織。
子供に手がかからなくなって絵の世界で賞をとっても「也寸志の妻」としてしかみられない沙織。
この時代の彼女の「女」シリーズの絵は憤りと怒り、そして笑いの影の悲しみに満ちているような気がする。
上の絵はこの時代のもの。

そしてそれはCosたちを取り巻く環境の中でも、薄れたかのようには見えても深いところで続いているもの。

古事記をテーマにした一連のシリーズでは怒りと憤りではなく激しさが前面に出ているような気もする。
ダブル幅の長い布に染色したモノなどは知っているストーリーのようでもあり、知らないストーリーの様でもあり、そこから新しい一場面が生まれてきそうな気さえする。

やがて彼女は芥川也寸志と離婚してアメリカに単身わたる。

この時期の彼女は間所と出会ったからだろうか、作品の切られるような激しさは姿を消している。
相変わらずの激しさはあるけれど、ずいぶんと平和な感じがする。

山田沙織として生まれ、芥川沙織として有名になり、間所沙織として死んで行った
芥川沙織展
2009年3月22日まで
神奈川県横須賀美術館


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2009.02.25

冬の夏・・・三瀬夏之介

現代の日本画ってなんだろう?

いや、日本画自体いったい何なんだろう?

つい2年ほど前までは日本画にはまったく関心がなかったCosだから、「現代美術」としてなら楽しんだだろうけれど、「日本画」と聞けば見に行くことはなかっただろう
三瀬夏之介の「冬の夏
2009年2月22日まで東京佐藤美術館

Img_1509
今までここに来たことはなかったけれど、どちらかといえば小さいビル。
このビルの3階と4階が展示会場になっている。

天井が高くないのが残念といえば残念だし、手の届くところにある作品が身近に感じられていいといえばいいし・・・

会場に入ってまず目に付いたのが入って左手の壁のそこここにつけられた針金(?)の小さなはしごたち。
このはしごのモチーフは彼の作品の中にも壁にもあちこちで目に付いて後になってみると「のぼる」あるいは「天を目指す」人(あるいは作品)という印象が残った。

部屋いっぱいにおかれたどこまでも続くんじゃないかと思えるほど長くつなげられた三十四曲一隻の屏風「奇景」。
端から彼の連想と時間の経過が目に見えるよう。最初の方には絵の中にもはしごがかけられてあったりしてこの(広くない、天井の低い)展示室から空に向けて脱出できるかのよう。
絵の中には仏像があったり飛行機があったり・・・空に向かって伸びていく感じはやっぱり変わらない。

部屋の中にはこの馬鹿でかい屏風以外にも小さな作品がこっそり展示してあったり・・・なんとなく雑然としたものを感じたのだが、これが4階に上ったとたんにまだまだ甘かったことに気がつく。

とっ散らかった大部屋とでもいうイメージ?
この会の作品には余り空に向かって開いているというイメージはなくて、所狭しと彼の世界が展開されている感じ。

印象に残ったのはやはり大きな作品かもしれない。
これは日本画なんだろうか・・・と思いながら見た日本画滅亡論。
Cosの目からはとても消化できなくて完全に不完全燃焼。
が、すごく気になることは確かでまた4月には練馬美術館でやるのを見に行こうと思っている。

更に気になるのが彼の
三瀬夏之介展 「冬の夏」  佐藤美術館 ::: アートインデックス art-index.

フィレンツェではイタリア人の詩人と出会った。彼とは英語、そしてお互いのつたないイタリア語と日本語で意志の疎通をはかった。

(中略)

彼はわたしの作品に感じ入るところがあったらしく、何度か絵について話したが、「日本画」というものについては最後まで解ってもらえることはなかった。
「バカらしい価値観だ、この世界には人間しかいない」

どんな価値観なのか・・・日本画ってなんだろう・・・

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2009.02.22

さすが諭吉さん・・・

「行きたかったんだけどなぁ・・」と生徒の云う慶応義塾を作ったのが福沢諭吉。
その慶応義塾創立150年を記念しての展覧会。

未来をひらく福澤諭吉展
2009年1月10日(土)~3月8日(日)

Img_1428

教えている生徒だけじゃなく、Cosが生徒だったときも慶応義塾には何人もの友達が挑戦していた。
そうした友達達は偏差値だけじゃなく慶応という学校に対して・・・というよりも福沢諭吉にあこがれて進学を決めていたような気もする。

たかが学校の創立者というだけで東京国立博物館で展覧会を行えるのは彼ぐらいかもしれない。

会場には現役の学生のような人もいたけれど、多くはかつての学生だったのかもしれない方達。
普段から東京国立博物館はお年を召した方が多いのだが、更にもう1世代上じゃないかと思えるような方までもがちらほら・・・

会場は設備の悪い表慶館。
エレベータはもちろんないし、トイレすらないという・・・
しかも、今回は会場が1階だけじゃなく2階にまで続いているからようやっと階段を登られる方、階段の手前で見上げている方がいたりする。
トイレがないこともやはり・・・

こういう方たちまでをも集めてしまうのはさすが福沢諭吉。

内容はといえば、もちろん悪いわけではない。
見ていて面白かったけれど、こんな風に展示された実物をわざわざ見に来る価値があったのかな?という気がした。

たとえば、工芸品があるなどといえばどれほど言葉を尽くしてみても、写真を撮ってみても実物とは比較にならない。
「これを見にわざわざきてよかった」と思えるような展示物が残念ながらなかった。
おそらく福沢諭吉の伝記などを診ると書いてあるようなものがあれこれ展示してあったのではないかな。

それが面白くなかったのかと聞かれればそれなりに面白かったのだが、歩くこともおぼつかない高齢者の方を見ていると・・・・

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2009.02.15

ムットーニワールドプレビュー

今日は朝から頭がガンガン痛くてとても外出する気分じゃなかったのだが・・・
2009年2月11日から25日までしかやらない
「ムットーニワールドプレビュー」八王子夢美術館(たぶんリンク先は2月25日までで中身が変わると思います)
でどうしてもムットーニさんの口上を聞きたくてお昼ご飯の後八王子まで・・・・

てきぱきと仕事を片付けることも出来ないし、無理してあわてることも出来ない感じだったので残念ながら1日に2回ある口上には遅刻。
まだ来週の土日と最終日があるから運がよければもう一度行けるかも知れないと期待しておこう。

Img_1514
一階の電力会社(かな?)は日曜日だからお休みだし閑散としたくらい感じの入り口は何回行っても入るのに躊躇する。

自動人形からくり箱の動きにあわせて、ムットーニさんが述べる口上はムットーニワールドへの入り口。
口上にあわせて人形達の感情が見えてくる。

口上なしに見える人形の感情と口上つきで見える感情とは口上を聞いた後でもちょっと違って見えるのが面白い。

今回の展示は動くものとしては
「ギフト フロム ダディ」
「クリスタル キャバレー」
「摩天楼」
「カンターテ ドミノ」
「ドリームオブアンドロイド」
の5点。

「プレビュー」ということで小さな会場において動かすだけという感じの展示になっている。
いつものように暗いけれど、仰々しさがなくてそれはそれでいい感じ。

今回はもちろんどれも見たことがあるものばかりだけれど、映像になってしまってはムットーニのよさが半減してしまうから、何度でも見に来たいのだ。

大人が見る少年の夢を体現した人形という感じもするムットーニたち(ムットーニさんが作った人形もムットーニなのだ)

人形を制御することだけじゃなくて光と影の制御をしているとムットーニさんのいう「カンターテ ドミノ」はご多分に漏れずCosのお気に入り。

パイプオルガンを奏でるオルガン奏者の前に天使が現れて点に登っていくというストーリーなんだけど、最後の天使が羽を広げて天に向かっていくところはいつも明るく地平が開けるような印象を受ける。
実際には一番上まで上がった人形が羽を広げ、手を天に向かって伸ばすだけなんだけどね。

人がたくさんいるとそばで細かいところまでじっくり見ることが出来ないのが残念。

Img_1517

送られてきた今回の案内のはがきにあったのがこの「カンターテ ドミノ」。
彼の代表作でもあるんだろうな。

後はどれもいいけれど、ロケット好き、宇宙好きのCosとしては「ギフト フロム ダディ」
父親からもらった一台のロケットのおもちゃ。
一緒に見ているとロケットは天に上がり始め、親子のいる部屋は宇宙になる。
父と子の宇宙への夢が広がる。

そしてたそがれているCosには「SKYSCRAPER」(摩天楼)
時の移ろいそのものが思い出なのか未来なのか・・・
たそがれの中に見つけるものは記憶なのか夢なのか・・・

ムットーニさんの口上は絶対に聞き逃せないけれど、それと同時に一つ一つをもっとじっくり見たい。
口上のない平日の仕事帰りに少なくとももう一回は行きたいなぁ・・・
幸いなことに開館時間は7時までだから時間的には何とかなる。

更にもう一回口上を聞きに行くとなると・・・・難しいかな∥>_<∥


【素朴な疑問】
普通はこんな風にプレビューなんてやらないと思うのだけど、どうして今回はプレビューをやるんだろう?
それも展覧会と展覧会の狭間の2週間だけ・・・
どこを見てもプレビューをやる理由は書いてないう~~ん???

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2009.02.14

メディア芸術祭

メディアを用いた芸術の受賞作を集めた展覧会ということなんだろうと思う
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メディア芸術祭
国立新美術館で2009年2月15日まで

ほとんどが映像を用いた展示なので一つ一つの時間がかかるけれど、とても面白かった。
こんなに面白いものが無料でいいのかというのが最大の感想かもしれない∥^O^∥

コンピュータを使ったものや漫画、エンターテイメントはある程度予想がついたし、
漫画は「かって読もう」と思ったり
Wiiはやっぱり欲しいと思ったりした程度で「ここまで来てよかった」というほどのことはなかった。


最近漫画は読まなくなってきているけれど、槇村さとるの「Real Clothes」が優秀賞にあがっていてとても懐かしかった。
大賞の「ピアノの森」も読んでみたい・・・

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前評判で面白そうだった「つみきのいえ」
評判どおりとてもよかった。
水上の家に住むおじいさん。
魚を釣っては毎日の食事にしている。
ある朝起きると水が部屋の中まであがってきていた。
船でやってくる商人からレンガを買うと今までの部屋の上にもうひとつの部屋の壁を作り始める。
水はだんだん上がってきてそれまでの部屋は次第に水没していく
水の入った部屋から新しく作った部屋へ家具を上げているときにパイプを落としてしまう。

パイプを拾うためにもぐったおじいさんは部屋の真ん中にある上げ蓋をあけて下の部屋へもぐっていく。
そこはかつて病気のおばあさんの面倒を見ていた場所。
きっと以前はここまで水がきていなかったのだろう。

1階ずつもぐっていくと過去が甦ってくる。
かつてはここは緑に満ちた村の中の家だったのだ
幼い子どもが積み木を積み上げて家を作るようにおじいさんは部屋を積み上げて生きてきたのだ・・・

・・・・・
都合3回見ただろうか・・・いろいろと思うところはあるけれど、印象深い作品。
リンク先に以前は映像が少しあったのだが今はなくなっているのが残念。

pieces of love Vol.1 つみきのいえ [DVD]pieces of love Vol.1 つみきのいえ [DVD]
ナレーション/長澤まさみ, 加藤久仁生

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まあ、こういう商品になっているのだから仕方がないといえば仕方がないかも・・・

同じアニメーションで印象に残っているのがSFチックなKUDAN
これは今のところリンク先に映像があるから、どんなものだったか分かると思う。

CGに感動したのがCarbon Footprint
これもリンク先に映像があるので見ることが出来る。

Img_1486Oups! さすが大賞をとっただけのことはあって、中に入ると誰もが楽しめる。

単に画像を人を中心になるように動かしているだけなんだけど、実際にやってみると面白い。
犬におしっこをかけられたり周りで人が体操していたり∥^O^∥

こういう体験は実際にやってみないとわからない。

コンピュータと芸術の融合は数学とアートの融合でもある。

コンピュータを使うのではなく古典的なアニメーションの手法を使ったMoment – performatives spazierenも面白かった。
床板が自由な意志を持って楽しそうに街に出て行く。
ベンチになったり遊歩道になったりしながらベルリンの町を行く床板たち。
日本ではこういうものは作れないかもしれない。

このほかにも映像でない体験型として
touched echoSTEREO SHADOWなどもあったしこれ以外にも面白いものがたくさんあった。

Img_1506
同時開催されていた学生CGコンテスト受賞作品の中で風の音楽 ephemeral melodyも実際にやってみないとその感動が伝わってこないかもしれないな。

こうやって見るとかなりいろいろなところで数学的な思考をhituyouとするものがますます増えてきたようにも思える。
いずれ近いうちに「アートは数学」という分野が出てくるのだろう。楽しみだ。


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妙心寺展・・・禅の心

本当はトラ(龍虎図屏風[りゅうこずびょうぶ])が見たかったのだが、見に行こうと思っていた日にはいつも他の予定が入ってしまって、結局見にいけたのは後期の展示になってからなのがちょっと残念。

妙心寺展
2009年3月1日まで東京国立博物館で
Img_1426


会期末になると間違いなく非常識なほど混むので時間がちょっと遅かったけれど、前期に見損ねたことだし、「何が何でも決めた日に行こう!」ということに。

しかもこの日は「禅トーク」があるというのでそれも聞いてみたかったのだ。

若手の僧侶が妙心派と展覧会の案内をするという禅トークは円光寺の副住職による「松樹千年の翠」と題した話。
妙心寺の境内にある松は1年中緑であり寺のあり方を象徴するいつも代わらない不変の存在
が、その松も変わらないように見えて実はその葉は毎年入れ替わりをしている、変わりつつ変わらない存在。
変わっていくこと新しいものを今の世の中は求めているが実際に人の心が求めているものは変わらないものの存在ではないか
この変わりつつ変わらないのが禅の本質。
展覧会のどの宝物も何百年も前の姿のまま今に伝わっている。
変わらないものがこの世にはあり、それを心に持ち続けたい

といったような話を聞いてから展覧会へ。

時間が遅かったせいか、出て行く人は多いけれど入っていく人は少ない\∥^O^∥/

しかも展示は書がかなりあるから、文字の読めないCosとしては見ずにに先へ進むことが出来る
∥xx;∥☆\(--メ)

しかもしかもCosはあまり人物画は好きじゃないので、それもざっと見ただけで通り過ぎることが出来る
(これはもったいない気もするけれど・・・)

真っ先に目を引いたのは「瑠璃天蓋」15~16世紀に中国で作られたものだという。
(当時のものとしては)華やかなガラスのビーズで作られている。
お寺の本堂に天井から下がっているきらびやかな天蓋(こんなもの)の元になっているものだろうか。
妙心寺が出来た650年前にはこれが下がっていたのだろうか。
今はやりのビーズ細工となんらかわることなく一つ一つのビーズに糸を通して編み上げてあるのがなんだか不思議。
編み上げた模様の中には漢字もあるのだが、たぶん中国の漢字だろう、Cosにはよくわからないけれど「智圣」とか「伝篆」とか書いてあるような気がする・・・・(気がするだけでこんな単語は知らないから本当は違うんだろうな)

思わずニヤニヤ笑ってしまう瓢鮎図[ひょうねんず]つるつるしたひょうたんでなまずを捕まえることが出来るかという足利義持の問いを描いたもの。
31人の僧の答えも書いてあるらしいけれど、文字の読めないCosには何が書いてあるのか分からない。
リンク先ではよくわからないけれど、ひょうたんを持っているのではなく、これから沈めようとするかのように上から押さえている手、よくは見えないけれど、どこか困ったように見える人(?)、ひょうたんとなまずと川と同じような曲線を描いていて、その脇の竹も「え~と・・・」といわんばかりにたわんでいるのが面白い。

そして、アメリカのメトロポリタン美術館から里帰りしている老梅図、
すごい迫力で襖からはみ出す枝、狭い襖を上に、横に、伸びていこうとしている。
「老」という文字はあるけれど、この梅には真正面から向き合うことが要求されているような感じ。

白隠の特大達磨像も迫力があった。
「おっさんやるなぁ」という感じかな∥xx;∥☆\(--メ)

そして後期の呼び物である花卉図屏風[かきずびょうぶ]
植物の持つ伸びやかさと(老梅とは違った意味の)おとなしい勢いが大きな画面から伝わってくる。
華やかですがすがしい感じ。

いつの間にか閉館時間も近づいていた。
見るものはそんなに多くなかったはずなのに・・・・

人があまり多くなく、ちょっと待てばどれもこれもじっくり見ることが出来たのがとてもうれしかった。

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2009.02.12

20世紀モダンアート展の中止

どこにも遊びにいけない忙しさが一段落。
ここから2週間ぐらいは定期試験もないし・・・・どこに遊びに行こうかな

と思っていたらBunkamuraから郵便。

Bunkamuraは結構いいものをやるけれど、なかなか招待券が当たらないので
「ミュージアム・フレンズになると安いよ」という友達の言葉でフレンズになった(チケットを買っただけ)。
3000円で
「ピカソとクレーの生きた時代」
「国立トレチャコフ美術館展」
「奇想の王国 だまし絵展」
「20世紀モダン・アート展」の4つが見られるのだ。

この中でCosの見たかったのはもちろん「ピカソとクレーの生きた時代」
(だからここから買ったわけだけど)、でも残りの3つのどれをとってもCosには面白そうだったし、「モダン・アート」をはずすわけには行かない∥^O^∥

ところが、
Bunkamuraから来た手紙はこの「20世紀モダン・アート展」が中止になって代わりにロートレック展が開催されることになったので、モダンアート展のチケットを他のものに振り返ることが出来るというのだ。

ロートレックは見たいと思ったらそこからまたフレンズを買えばいいから好みからいうとピカソとクレーをもう一回となるのだが・・・・

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2009.01.27

9歳のファンタジー しんくやくしょモノレール

しんくやくしょモノレールが本になった。
01gomi04
去年の夏、千代田区役所で個展をやったTALKENの絵が本になったのだ。

その時にはこのしんくやくしょモノレールの絵がパネルになって展示されていただけではなく、幼稚園時代からの絵日記も展示されていた。

ひとりひとり(一台一台?)がそれぞれに個性を持って、TALKENに与えられた不思議な個性を発揮していてとても面白かった。

それは9歳の少年のファンタジー・・・
絵の世界の鉄ちゃんの夢が本になったのだ。
しゃこめてぃ出版から「しんくやくしょモノレール」が発売される。

この絵はMACを使ってマウスで描いた絵。
絵日記の絵のほうがずっといい絵も描いているので、絵日記に比べると子供用のソフトだからいろんな意味で制限があるのかもしれない。
色使いのよさはこっちのほうがいいかな?

ただ、この本のよさは絵だけではなくそこに書かれた文章のよさもある。
これもやっぱり彼が毎日書き続けている絵日記の効果もあるのかもしれない。
「あと5メートルぐらいで人食い八角形くんがみえてくる。・・」
どうして人食いなのかよくわからないけれど・・・でも踏み切り異常という言葉と一緒になるとその言葉がしっくり来てごく自然に思えてしまったりする。

感覚的に選ばれた言葉達、もしかしたら彼は大きくなったら絵と言葉で芸術の中に入っていくのかもしれない。

TALKENは高機能自閉症児なのだという。
知的な部分での遅れはないけれど、人とかかわることが難しいらしい。
しょうがいを持っているからといって作品を評価するつもりはないけれど、他の人との間での自己表現が苦手だからこそ、絵の中に文章の中に自分を表現できるということはあるのかもしれない。

去年世田谷美術館でしょうがいを持った人たちの描くアウトサイダーアートを見てきたときもしょうがいを持っているからいい物を描くということではなくて、表現しきれないものがここに凝縮されているのかもしれないと感じたのを思い出す。

「のりものも、たてものも、ツアーラインも
み~んな 都市人なんだ」
というしんくやくしょのまち。
電車も人も同じ価値を持つほのぼのとした街。


また訪れてみたい。
千葉市中央区のきぼーるで4月4日から一週間出版記念の個展をやるそうだ。
ちょっと遠いけれど、春休みだしうまくすればいけるかもしれないな。

しんくやくしょモノレールしんくやくしょモノレール
長嶋 柊

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発売は1月30日だから、それが過ぎないとamazonでは買えないのかもしれないが・・・


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妖しい世界

Cosが彼に魅かれたのは目が合った瞬間だった。
それからずっと時としては「なんで?」と思わないこともなかったけれど、どこかで彼に会えるチャンスがあれば行くようにしていたのだがやっと個展を見に行くことが出来た。

10年前には彼の存在を知らなかったし、10年ぶりの回顧展だというからCosが個展を見るのは初めて。

0056
加山又造展
国立新美術館で2009年3月2日まで。

Cosがとりこになったのは国立近代美術館で見た正にこの絵。
そのころはまだ日本画に対してはあまり関心がなかったしいいとも思っていなかったのだがこの絵とであった瞬間に日本画というのは思っていたようなものとは違っていることにはじめて気がついたのかも。

会場に入って最初に出迎えるのが近代美術館の「雪」「月」「花」(ちょっとしたの方).
この月の絵を見たときもショックを受けた。
確かに日本画の世界だけれど、この空の線はいったい何なんだろう・・・と。

いったい何本の足があるのか分からない月と縞馬この縞馬はどこにある水を飲んでいるんだろう?
月がらくだになった絵もシュール・・・・

日本画のもつ静かな静かな世界がシュールに展開している。

さらに、日本画の持つ(実際には日本画に限らないと思いはするけれど)一つの画面に描かれたいくつ物時間の流れがごく自然に感じられる「春秋波濤」や雪月花
ここがCosは一番好きかも知れない。見ているだけで現実からはなれて他の世界に入っていくことが出来る。


倣北宋水墨山水雪景この絵を見たのは多摩美術大学美術館の「加山又造研究」でだった。
多摩美術大学では彼の研究をやっている人がいるのだ。
たくさんの作品を見ることは出来ないし、どんな研究をしているのか内容が分かるほどは文章が書かれているわけではないけれど、加山又造のスモールワールドに入り込むことが出来る。

が、残念なことに休憩所にあるというCGには気がつかなかった。
休憩する時間も惜しかったのだ・・・_| ̄|●

まだ日はあるからもう一度見に行けたら見に行きたいなぁ・・・


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2009.01.26

DOMANI

なによりも舟越桂を見たくて行ったDOMANI展。
文化庁芸術家在外研修の成果ということで、あちらこちらの国で研修をしてきた人たちの作品が展示されている。

もう会期も終わりだというのに人もそんなに多くなくじっくりと見ることが出来た。
0047
会場にはこの見晴台のスフィンクスや森のスフィンクスなどが展示されていた。

以前庭園美術館で見たときには館の一室でであったスフィンクスたちが美術館という明るい場に出てくるとその雰囲気がずいぶんと違う。

前回は憂いをこめて出迎えてくれた森のスフィンクスは距離の遠い交わることのないところにいるようにも見えたし、どれもがこちらと意思を通わせようとしない。

それはそれで別な世界を想わせてくれていいのだけれど、ちょっとさびしかったかな。

ホログラフィーの石井勢津子、
新しい表現を模索して東工大の研究生になったりMITで学んだり・・・
どう見てもここだけ見ると理系にしか見えない。
ギリシャ時代には一体だった芸術も再び理学の世界に入り込んできつつあるのがなんだかうれしい。

ホログラフィーという道具を使っての表現は位置の変化と画像の変化・・・時間と描かれたものとの関連・・・見るものに何らかの行為や時間を要求する新しいタイプのアートだろうなぁ・・・

日本画の伴戸玲伊子、
斬新な水の表現、朱で描かれた水の動きがこちらをドキッとさせる。

切り絵の駒形克也、
カーテンで仕切られた一室の小さなドーナッツの光の出るミラーボールが回転している中で切り絵を見る。
ミラーボールの光が金と黒との切り絵に映って面白い世界を作っている。

花の絵の小山利枝子
といってもこの絵を見てもそれが花だと見抜くことが出来る人は少ないだろう。0052
以前多摩美術大学美術館で見た「絵画のコスモロジー」でたくさんの花のスケッチやいろいろな試行錯誤を見て知っていたから花という理解が出来る・・・
でもこの絵は「花」という思い込みを離れて見たほうがいいかな。

この絵もこの大きな会場で見ることでまったく違って見える。
花の中心から湧き出してくるエネルギーが感じられる気がする。

花のミクロの部分を取り出して抽象化、絵画化していく
この小山利枝子についてはこれからも注意していきたいな。

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こんなふうな沸き立つ感じを描いたのかなぁ・・・
なんて思ってみたりして。


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2009.01.25

蒔絵

「Japan 蒔絵」

金や銀の粉を「蒔く」から蒔絵なんだと知ったのはいったいいつだっただろう?
日本でというよりも海外に輸出された漆器の蒔絵はどこかエキゾチック
0040

サントリー美術館で2009年1月26日まで

作られたときには黒地に金で輝きさぞきれいだっただろうと思う。
ヨーロッパの人たちはこれを見て東の果ての国に思いをはせていたんだろうか?


宣教師達により注文で作られた南蛮漆器とよばれるキリストの磔刑図や聖母子像などを納める「聖龕(せいがん)」、ミサで用いる「聖餅箱(せいへいばこ)」、聖書をのせる「書見台」、引き出し箪笥の扉を前に倒して机として用いる「書箪笥(しょだんす)」や、蒲鉾(かまぼこ)形の蓋がついた「洋櫃(ようびつ)」・・・・

どれもが日本で作られているけれど、日本じゃない、
西洋で使われたけれど、西洋じゃないとても不思議な雰囲気。
おそらくこれが日本に逆輸入されていればそれはそれで「異国」のもので人気を博したんじゃないだろうかとも思える。

Cosにはこの時代のものが一番面白かったかもしれない。

ただ、会期末ということもあって人が多くてじっくり見ようという気に慣れなかったのが残念。


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2009.01.19

ステイン/ナイン

オペラシティーの近くのケンジタキギャラリームットーニの新作が展示されていると聞いていってきた。

ムットーニの個展ではなく「NINE」というグループ展。
ギャラリーの壁には何点かの絵がかかっているけれど、どこにもムットーニの人形は見えない。
ギャラリーにかかっている絵はなかなかいいものがあってそれはそれで面白かったのだが、せっかく来たのにムットーニの人形がみられないのはなんだか悔しい。

場内にはちょっと古いタイプの映写機のようなものがおいてあった。
細菌流行の映像作品を部屋の反対側の白い壁に写すのだろうと思ったけれど、Cosがいったときにはスイッチが入っていなかった。

せっかく来たんだから見たかったのにな
とちょっと残念に思ったのだが・・・・・・・

ふと・・・

レンズの側から覗いてみた。
「カチッ」と聞きなれた音がして箱の仲で人魚が動き出す。
鏡に映っているのか、2体あるのかは分からないけれど、2体の人形が動き出す。
どちらの人形が真実なのか・・・・

ムットーニらしい幻想の世界がその箱の中に広がっていた。

箱の中に閉じ込められた幻想・・・・
箱の中はどこかぼんやりとしていてよくは見えない。

今まで見てきたムットーニの世界が同時に何人かで・・・・数人から数十人の単位で・・・楽しむからくり箱だったけれど、これは一人で楽しむからくり箱でタイトルは「STAIN」。
しみ、汚点・・・どんな意味を込めてあるんだろう?
そんなことを考えながら何度も繰り返し見てきた。

久しぶりに彼の世界を楽しんできた。

そういえば、先日見てきた「ピカソとクレーの生きた時代」のなかのマックス・エルンストの一枚の絵・・・「揺らぐ女」・・・・は正にムットーニの世界だった。
エルンストの絵を具体化したのがムットーニなのかもしれない。

そんなことも思いながらの充実した時間が楽しかった。

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2009.01.18

アートテラー・・・クレーとお菓子

「アートテラー とに~ お笑い会」 第2回
一回目は母とコンサートに行っていたので行くことが出来なかったけれど、同じ場所での2回目。

楽しく笑いながら美術に対する造形を深めようという企画の第2弾。
今回はお菓子と絡めてクレーについて語るというので、クレーの好きなCosは楽しみにしていた。


Img_1276

会場はこんな明治時代に建てられたという高輪の洋館。
小説にでも出てきそうな建物で、ちょうどクレーが生きていた時代のころにもあった建物。
ここではどんな人たちがどんな風に暮らしていたんだろう・・・

今回のテーマは「クレーと【パティシエ】」という切り口でのアート・トークだけあって、しっかりととに~さんの作ったお菓子も付いてくる。

今回のお菓子はクレーの「畑の中の黄色い家」からヒントを得て作ったという4層になった楽しいお菓子。

紆余曲折を経て出来たお菓子の話を聞いてから
「お菓子をおいしく撮るのには」という写真の話を聞いて、みんなそれぞれに練習∥^O^∥

Img_1281

今回トニーさん達が作ったのはこんなお菓子。
上から
白は蜂蜜と生姜のパンナコッタ。
生姜の味が利いていておいしかった。
赤はイチゴとトマトのムース
イチゴとトマトというのは思った以上に味がしっくりなじんでいたのは驚き。
緑は小松菜のムース。
そして一番下に入っている黄色がビスキュイ
クレーの絵にあわせて斜めの線を入れる・・・のが大変だったそうだ。

これ以外にもいろいろなお菓子やパンが持ち込まれて会場は写真大会。∥^_^∥
Img_1299

上から見るとこんな感じ。
「畑」あるいは「Field」という感じ見えるだろうか・・・
金色の三角はクレーの
「直角になりたかった茶色の三角」
(ここだけ聞くとなんとなく生徒の答案にもありそうな感じだが・・・)
なのだそうだ。

Cosとしてはここは茶色の薄い直レートで作って欲しかったなぁ・・・
と、とに~さんにいったら「材料費がまた高くなっちゃいますよ~」と。

写真撮影が終わった後は今度はクレーの話。
クレーが好きだった音楽や詩の中にはあって絵の中にはない「時間」というファクターを絵の中にも表現したのだという。

そういわれてみると時間の流れだけじゃなく、
繰り返しや変奏といった要素も見えるような気がする。

そして、50年後に発見されるようにキャンバスの裏に天使の絵を描いてその上から石膏を塗り何年もしてから発見されるようにしておいた「グラス・ファサード」

自分が死んだ後のために作っておいた作品。
タイムカプセルを絵の中に仕込んだわけだ。

なかなか味なことをやる。

今回とに~さんの話の中で「クレーの絵はかわいい」という表現が何度も出てきたのがCosには新鮮だった。
いままで「かわいい」とはクレーの絵を見てこなかったことに気がついたのだ。
かわいくないのかとたずねられればかわいいと答えるしかないんだけど、
なんとなくそういう範疇でくくってしまうのが似つかわしくないような気がするけれど、どうなんだろう??
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2009.01.16

ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館

本当は「ピカソとクレーの生きた時代--ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵--」展という長い名前だし、「ピカソとクレー」展としてのほうが通りやすいだろうと思う。
Cosも実際に行ってみるまではそう思い込んでいたのだけれど・・・

なんといってもこれを見たらピカソとクレーの展覧会だと思うよなぁ・・・

0025

渋谷のbunkamuraで2009年3月22日まで

実際にはピカソは4枚ぐらい、クレーはひとつのコーナーのほとんどがクレーだったりするけれど、それでも全体の1/4以下。
しかも、残りの作品はピカソのクレーのおまけという感じなどではなく、いい作品がたくさん来ているのだ。

何しろ、会場に入っての最初の作品がマチスの「午後の休息」

Cosが知っているマチスの絵とはずいぶん違っている。
(マチスが好きというわけではないので、あまり見ていないということもあるけれど)

点描で描かれているのだが、その一つ一つの点が大きくてしっかりと自己主張しながら明るい絵を作り出している。
この一つ一つの大きめの点がすごくダイナミックで、かつ点描の持つ繊細さとあいまってリズム感のあるいい絵。
マチスはこんな絵も描くんだとしばらく見入ってしまった。

そして、
01gomi02

真ん中のネコの伸びやかさが自慢げな様子が伝わってくる。
見ているだけで楽しくなってくる。

ノルトライン=ヴェスタファーレン美術館は常設でこんな絵をいっぱい持っているのだ。
うらやましい限り。

マグリットの「とてつもない日々」の緊迫感と不思議さ、
「出会い」の異世界の不思議さ
ピカソの「二人の座る裸婦」の写実的でありながら不思議なバランス
エルンストの「揺らぐ女」がムットーニみたいな雰囲気だし、
タンギーの「不在の淑女」の空気の曖昧さと影の鮮明さ
・・・
あげていけばキリがない。
どのひとつをとってもその一点を見るためだけに美術館に足を運ぶのに十分な作品。

クレーももちろんいい作品がたくさん来ていた。
01gomi03

たぶん、「黒い領主」は本では見ているけれど実際に見るのは初めて。
クレーの作品のうちのいくつかは川村記念美術館で見てきている。
(川村記念美術館Klee展

その点では「こんないいものを描いているんだ~」という感動は少なかったかな。
まあ、クレーは好きだから「クレーが出る」と聞くといけるところであればほとんどいっているから、本などでも見たことがない作品も少ないのかもしれない。

がこの世のすべてを忘れて、絵の世界に入り込むことが出来た至福の3時間だった。
(時計を見たときにはちょっとショックだったけど∥^O^∥ )

基本的に図録は買わないCosだけど今回ばかりは無条件で購入。
クレーはもちろんだけど、他の人の作品があまりによかったので・・・。

時間とお金があればもう一度見に行きたい。
期間は3月までやっているから不可能ではないと思うが・・・

それにしてもこんなにいい絵をたくさん持っているこの美術館にいってきたい。
いつか、自由になってお金と時間があったらいいもの、きれいなものをたくさん見に世界中を放浪したいなぁ・・・

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2009.01.13

西山美術館

東京都町田市にあるロダンとユトリロの美術館。
ロダンもユトリロもぜひ見たいというほどには好きじゃないし、気にはなっていたんだけど、結構料金が高いので二の足を踏んでいたのだが、先日割引券を見つけたので行ってみることにした。

割引券といっても1200円が1000円になるだけだし、個人の美術館とはいえあちこちに企業の美術館・・・たとえば松岡美術館やブリジストン美術館ががあれだけの豊富な内容と企画にもかかわらず800円であることを思うとどう考えても高すぎる。
まあ、個人の美術館だから財源が乏しいということもあるんだろうから仕方ないのかもしれないが・・・

しかも人件費だけを考えてもおそらく1200円でも元は取れないだろうし・・・と思うと1000円ならまあいいか。

Img_1266

ここは鶴川の駅からバスに乗ってくることも出来るけれど、ちょっと不便なところにあるので行くとしたらやっぱり車がいい。

Cosが行ったときには他の車は一台しかなかったけれど、館内には他の人もいたからあの人たちは歩いてきたのだろうか。冬場はきつそうだ。

ロダンは、同じバルザックの像が二つあったりして比較するのも面白そうだったけれど、光がうまく当たってなくて表情がよくわからなかったものがあったのが残念だった。

当時、生きている人間から型を取って作ったに違いないという疑惑が生まれたほどのロダンの作る肉体はやっぱりきれいだったし、普段じっくりと見ることがないからそれはそれで面白かった。

さらに西洋美術館にある地獄の門との関連が解説してあったりしたので、次に西洋美術館に行ったときにはもう一度じっくり見てこようとおもった。

ユトリロはもう一度見たいと思うほどのものはなかったものの、やはり建物の絵はなかなかいい。
ユトリロの絵はもっと道が狭くて建物がのしかかるような感じがしていたと思ったのだが、ここで見た絵は空が広いものが多く今まで思っていたよりも伸びやかな印象を受けた。

モンマルトル
などはCosは好きだなぁ・・・

そして何よりもほとんど人がいないからじっくりと一人で絵を楽しむことが出来る。こういう贅沢はなかなか出来ることではない。

これでCosの好きな絵だったりしたら足繁く通っちゃうかもしれない。

Img_1264
これは美術館の入り口から鶴川の駅のほうを見たところ。丘の上に立っているから見晴らしもいい。
「4000坪の敷地」ということで裏に回ってみるとそこには畑と鶏舎があって、おそらく自家消費程度の野菜を作っているように見えた。

食べる分だけの野菜を作って鳥を飼って・・・美術館を作ったことや贅を凝らした家に住んでいる(ように見える)のはあんまりうらやましくないけれど、こういう生活をしているのはちょっとうらやましかった。
(といっても本人が作っているとは限らないけれど・・・)

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2009.01.12

共鳴する静かな眼差し

このところ写真ばっかり見ているというのに、また写真・・・
「森山大道 ミゲル・リオ=ブランコ 写真展--共鳴する静かな眼差し--」
東京都現代美術館で2009年1月12日まで。

日本人である森山大道とブラジル人であるミゲル・リオ=ブランコがそれぞれ互いの国に行って撮ってきた写真。

森山の写真は町にいる人々を撮ったモノクロなのに対して、リオ=ブランコは点数は少ないけれど、カラーでいろいろなものを撮っている。

リオ=ブランコの見方はなかなか面白いと思った。
森山の写真は日本であれブラジルであれハワイであれ、彼の写真の切り口はいつも一緒なんだなぁと感じたのは体の調子がちょっとおかしかったからかもしれない。

森山の写真に写された人々の一つ一つの人生。
それはもしかしたら日本にいてもブラジルにいても根っこのところは同じなのかもしれない。
だから形や街は違っていても同じように見えるのかもしれないのだが・・・・

写真はまだまだよくわからない・・・

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ブラジルの創造力

ブラジルという国、Cosとしては好きな国と言うわけではない。
なんといっても暑そうだし、湿度は高そうだし、Cosの苦手とする環境を兼ね備えているのだ。

でも、あのサンバのリズム、そして今回の「ネオ・トロピカリア --ブラジルの創造力--」は好きだ。
(東京都現代美術館で2009年1月12日まで)

01gomi02

このチラシの頭にかぶっているラッパみたいなものが会場においてあったけれど、中をのぞくと向こう側が見える。
もしかしたらこの中で声を出すと向こう側のラッパになっているところから聞こえてくるのかもしれない。
もちろん、「お手を触れないでください」だったから試してみるわけにはいかなかったけれど・・・

これを作ったまれっぺの作品のひとつに真っ白な小部屋に置かれた「くらげ」と名づけられた10個ほどの青みが買った透明なガラスの物体。不定形の花瓶の底と底を貼り合わせてひとつにしてある。
空間の白さとガラスの透明感がとてもよかった。

エリオ・オイチシカの迷路はのれんの様なカーテンによって仕切られたそれぞれに色分けされた小部屋ではいろいろな言葉でのラジオ放送が流れている。
色の違い、言葉の違い・・・実はどっちも同じようなものなのかもしれない。
この迷路の最後にマンゴージュースが振舞われる。
ちょっとねっとりしていてブラジル・・・なんだなぁ・・・


無限を感じさせたのはアナ・マリア・タヴァレスの「通風孔(ピラネージに)」スチールで出来た板や階段が無限に続いている映像が広い部屋の両側の壁に流れる。
ストーリーは何もないのにいくら見ていても飽きないし、ちょうどエッシャー展でみたDEPTHの3D映像と同じような奥行きと広がりを感じた。

ジュン・ナナオのファッションショー・・・紙で出来たドレスを着て歩くモデル達、緻密に切り抜かれてレースで出来ている。ショーの最後でモデル達はそのドレスを破り捨てる・・・

そしてなんといっても圧巻は現代美術館の地下2階から3階までの吹き抜けになっている空間に作られたネト。
今回は彼の作品を見るだけ(体感するだけ)でも十分満足できるほど。


01gomi01


今回の展示はこれを小型にしたもの。
床にはそば殻のおおきなクッションがいくつも置いてあって、そこに座って・・・寝転んで見られるようになっている。
「そば殻を使っていますのでご注意ください」とあったけれど、今まではそば殻では大丈夫だったCos。
当然のようにねっころがって天井を見上げていた。

あっちで座り、こっちでねっころがって・・・
訳もなく「このままあっちへ行ってしまってもいいなぁ」なんて思えるほど幸せなひと時だった。

何も考えず、この空間だけを楽しんでいたひととき。
このひとときのためなら少々のことは平気・・・・なのだ。

が・・・・しばらくしてからだの異変に気がついた。
異変といっても気のせい程度でたいしたことはなかったのだが・・・訳もなく「あっち」と感じたのは実はこのせいだったのかもしれない。

それにしても・・・一回ごとにひどくなってきているけれど、いつかそのうちそばがらの枕で寝たらあっちへ行ってしまうなんていうことにもなるんだろうか?


東京都現代美術館はこれから2009年3月20日まで改修工事のために全館休館なのだという。中を変えるだけなので外側は変わらないと思うけれど・・・

Img_1262

しばらくここともお別れ。
見えている絵はネオ・トロピカリアの作品のひとつベアトリス・ミャーゼスの作品。

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2009.01.07

ダム 柴田敏雄

芸大の(たぶん)アートギャラリーであまりによかったので、彼の展示があるときにはぜひ見ようと思っていた柴田敏雄の

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「ランドスケープ 柴田敏雄展」
東京都写真美術館で2008年2月8日まで

このチラシの写真は名前を入れるために右のほうがきれいているけれど実際にはかなり違った感じがする。
背景の霧のかかったみどりと橋の赤と白がもっと生き生きとしているのだ。

前回の中山岩太が写真を重ねたりして新しいものを作っていたのに対して、柴田敏雄はそれこそあるがままに撮った写真。

「あるがままに」とはいってもどうやったらこう見えるのかはやっぱり不思議だけど・・・

東京都写真美術館 > ランドスケープ 柴田敏雄展.

柴田敏雄は東京芸術大学・同大学院修士課程終了後、ベルギーの王立アカデミー写真学科入学。留学を機に写真を撮り始め、帰国後の1980年代後半に、ダムやコンクリートに覆われた造成地など人工的に変容された風景を独特の視点で捉えた写真で注目されました。

今回は彼のギャラリートークを聞くことが出来た(すごい人で参ったけど)。
何よりも面白いと思ったのは同じときに見た中山岩太は写真から初めて絵画化と思うような写真を撮っていたけれど、柴田敏雄はもともとは絵をかく人で、ベルギーに留学した時に写真学科に入ったのが写真に写るきっかけだったと言うこと。

そして写真が2点を除いては昔ながらの銀塩プリントだということ、そのためのおおきなロール紙がもう日本では作られていないこと・・・・

写真を撮るときには大きなカメラ・・・フィルムが大きなカメラエボニーSV810を使っているからあんなふうに取れるのらしい。

なんていうことを聞いてきたんだけど、Cosにはあまりに基礎知識がなさ過ぎて・・・_| ̄|●


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2009.01.06

戦前なのに斬新な・・・

お正月に見てきた写真美術館の「甦る中山岩太 モダニズムの光と影」

すごい人です。

01gomi01


これが戦前?
これが写真?

写真に間違いないんだけど、その表現は写真を超えて絵画的。

1926年のスペインの町の写真なんか、どう見ても風景画。
写真であることと絵であることの違いが分からなくなってくる。


今どういう写真がはやっているのかも分からないけれど、彼の写真を最近の写真として持ってこられても古さは感じられなかったりもする。
もちろん使っている道具が違うからその結果としての写真の違いはあるけれど・・・

このチラシの写真、最初に見たときにはいいと思わなかったんだけど、会場で見たらもう忘れられないほど強烈な存在。

プリントする紙をいろいろに変えて、濃さをいろいろに変えたものが展示されていたけれど、紙の違い、濃さの違いで見え方が変わってくる。

新しくプリントされた写真は時代を超えて「今」の写真になっているのがすごい。

東京都写真美術館 > 甦る中山岩太:モダニズムの光と影.

本展では、作家の手によるオリジナル・プリントに加え「残されたガラス乾板」をもとに、銀塩印画紙によるプリントを展示。ニューヨーク時代から晩年に至るまでの主要な作品を中心に、全紙大のプリント約40点の公開や中山の制作過程を明らかにするガラス乾板、また、『光画』をはじめ、当時の写真雑誌、関係資料をあわせて約120点の作品と資料をご紹介いたします。 銀塩写真の危機が叫ばれている今日、歴史的遺産ともいうべき写真原板をいかに後世に伝えていくかという問いかけに対する一つの答えを示す場となるのではないでしょうか。

1930年第1回国際広告社進展で一等を取った「福助足袋」の広告の写真は足袋を足の裏側からとったたびのそこの部分と福助のマークをアレンジしたシンプルなものだけど、どこかくすんだ(よごれた?)足の裏の白、縁取りの黒(たぶん黒い足袋なんだろうな)の配置、
道具として写真を使ったアート・・写真であることに対するウエイトは重くはない。

さらに、モンタージュを駆使した幻想的な作品は何枚ものガラス乾板を重ねてプリントすることで写真であることを忘れさせる。

今はこういう作品は見ないような気がする。
あるいは実際には見ていても意識していないだけなのかもしれないけれど、あくまで絵画的な写真を使っての表現がされていた時代が戦前だったことを思うと不思議な気がしてくる。


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2009.01.03

年の初めは写美

「オープンは10時半だから10時半集合ね」といわれて、1台後の電車だと20分遅くなるので写真美術館の開館前に着いたCos。
おとなしく開館を待つ人たちの列に並ぶ。

10時半になると並んでいた人たちがまっすぐ向かったのは売店。
Img_0930
お目当ては「ミュージアムショップの福袋」
他のところでは福袋を買ったことがあるけれど、美術館では買ったことがなかったのでせっかく並んだんだしと衝動買い。

とりあえず買ったものとコートをロッカーに入れてまずは地下の「映像をめぐる冒険vol.1---イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」へ。

ここは体験型の展示がいくつかあるので、人の少ない時間帯に見ることにしたのだ。
人があまりに多ければさわることも出来ないし、それほどでなくとも自分の触りたいようにさわることが出来ない。
こういう体験型の展示はやはりじっくりと触ってみないと・・・∥^O^∥

ここでは昔の「変化の表現」といまの「変化の表現」についてみてきたような気がする。

その後は順当に3Fの「甦る中山岩太:モダニズムの光と影」。
さすがとしか言いようがない。
彼の作品の多くが戦前のものであることを考えると驚くばかりだ。

さらに2Fの「ランドスケープ 柴田敏雄展」。
彼の作品が以前芸大で展示されていた(美術館ではなくアートギャラリーのほうかもしれない)。そのときに、彼の作品がもしどこかで展示されるなら絶対に見に行こうと思ったのを覚えている。

(この二人の作品についてはずいぶんといろいろなことを思ったけれど、それはまた別の記事で・・・)

2階エントランス前のロビーで1時から雅楽をやるのにあわせてそれに隣り合ったティールームでお昼。
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せっかくのお正月なので、みんなでベルギービール。
Img_0929
そのころには椅子が並べてあるだけで準備はまだまだだったのだが、食べ終わるころから準備がどんどん進み、
Img_0942
あっという間に始まってしまった。

最初は調子を整えるための平調音取(へいじょうのねとり)と平調越天楽(へいじょうのえてんらく)
そして平安時代の歌謡曲である嘉辰(これは「かしん」で変換できた)
最後に雅楽としてはやたら早い夜多羅拍子(「やたら」の語源)で演奏される舞曲である倍臚(ばいろ)。これはベトナムから来たという林邑八楽のひとつ
と言うことなのだが、さすがに歌と他の曲の違いは分かったけれど、それ以外は・・・夜多羅拍子といわれても早く感じられないのは現代人のサガかもしれない・・・

あっという間に30分が過ぎ、終わったあともそのままもうちょっとのんびりしてから柴田敏夫さんのフロアーレクチャー
ここには、フロアレクチャーにしてはすごい人・・・どうなることかと思ったけれど、前に座ると後ろの人たちにも写真が見えるようにしゃがんだり座り込んだり(だって足が痛いんだモノ)してしのいだ。
時間に余裕さえあればこういう話を聞くのはとても面白い。

あっという間の写美の一日。
写真とは何かについてずいぶんと考えさせられたけれど、それはそれでまた記事にすることにして、行動報告まで。


続きを読む "年の初めは写美"

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2008.12.31

地上の花

これも会期末ぎりぎりでみてきた写真展。
このところ写真ばかりになっているし年初めにはまた写真の予定なので、どうしようかとも思ったのだが、ポートレートが面白いと聞いたのでちょっといってみることにしたのだ。

01gomi02


「蜷川美香展---地上の花、天上の色---」
オペラシティアートギャラリーで2008年12月28日まで。

最初に入る部屋は「花」大き目のパネルの写真がいっぱい並んでいるのだが、今ひとつぴんとこない。
見ているときにはどこがぴんと来ないのか分からなかったけれど後になってみるとCosが花に求めているものと彼女が花に求めているものがずれていると言うことなんだろうなと思った。

この展覧会は部屋から部屋へ移動するときにはカーテンを開けて進むようになっている。
カーテンを開けるとこそには前の部屋とまったく違った世界が広がっている。

最初のうちは「う~ん」状態だったけれど、カーテンをくぐった向こうが暗い部屋で正面の巨大なスクリーンを泳ぐ赤と白が目に入った瞬間に見方が変わってしまった。
「金魚」としてではなく赤と白(と黒)の世界としてみるとすごくいいのである。


そして彼女のポートレート・・・
とられることになれている人たちの写真を撮ったとき、その写真が個性を語り始める・・・と言う感じだろうか。
Cosは芸能人の名前なんかは知らないから、見たことがあってもそれが誰だかさっぱり分からない。
それでも一人一人が生き生きとしているのだ。

そしてきわめつけが「造花」
ちょっと見ると普通の花となんら変わらないように見えているのにじっくり見ると一つ一つの花が造花であることを主張してくる。
自然の花であっても不思議はないような場所で決して枯れることなく、でもおそらくこのままでいるわけではなく、飾られて理寿命は結構短いのかもしれないと思わせる。

そして最後の壁面にびっしりと貼り付けられたポートレートたち。
そんなに混んでいたわけではないけれど、誰しもがじっくり見たいと思うポートレートだからか、ここだけは列が出来ていて、しかもその列がゆっくりゆっくりとしか動かないのだ。

さすがにここは時間切れで途中でギブアップしてしまったけれど、もっとすいていてじっくり見ることが出来たら面白かったかもしれない。

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2008.12.30

丸紅コレクション

損保ジャパン東郷青児美術館で2008年12月28日までの丸紅コレクションに会期末ぎりぎりに行ってきた。

さすがに年末になるとごみつくり(大掃除と言うほどじゃなくてひたすらごみをまとめてるだけ・・・)が忙しくてなかなかのんびりパソコンに向かう余裕がない・・・今日もないのだがこっそりと座って・・・∥^O^∥

会場に入ると最初に展示してあるのは江戸時代の着物。先日佐倉の歴博でみた打敷となって現在まで伝わっているものと違って(当然時代も違うし)きれいな着物のままの形で保存されているから、すごくきれいな感じがする。

江戸時代、身分によって着ることの出来る着物が違っていて
武家の打ちかけには教養の高さを表す源氏物語や脳のモチーフがあったり(御所解)
町人の葉地味な地色にすそだけに模様を入れる褄(つま)(江戸褄)
が展示してあった。
思わずどういう風に作ってあるのかじっくりと眺めてしまったのは歴博の影響だろう∥^O^∥

能装束には金糸の刺繍と金が塗ったものの両方が一枚の着物に入っていたりしてそれはそれで面白かった。

0019

このちらしにあるサンドロ・ボッティチェリの「美しきシモネッタ」 1480-85年頃
を見るのがひとつの目的だったけれど、実はあんまりいいとは思わなかった。
なんとなくもっと深みのある絵を期待していたのだが・・・う~ん残念。

逆にまるっきり期待していなかったのにとてもよかったのがブラマンクの冬景色と言う一枚。
ブラマンクの作品は3点出ているのだけれど、他の二つはCosの趣味からはかなりかけ離れていたけれど、この冬景色はとてもよかった。

季節柄なのか、Cosがこういう寒々とした風景がすきなのか・・・・
ブラマンクは好きじゃないけれど、こういう絵をかいているのならもっと見たいかも。

そういえば、いいなと思った加山又造の絵も冬山だった∥^O^∥
ちょっと見ただけでは気がつかないけど、手前の雪は白で山の雪は銀と金でかいているから山がぐっと存在を主張しているようにも見えた。

来年は六本木で加山又造展があるからちょっと楽しみ。

・・・さてと、もうちょっとごみを作っておこうかな・・・_| ̄|●

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2008.12.27

4件はしご

はしごとってもアルコールじゃなくて美術展。

2008年12月28日までの
練馬区立美術館
損保ジャパン東郷青児美術館
オペラシティーアートギャラリー

おまけでまだ当分やってるんだけど
ICC

の4件を回ってきたのだ。
全部種類が違うからどれも重なることなくしっかりと見ることが出来た(除くICC)

実のところ練馬区立美術館の石田徹也展はやりきれない気持ちになるんじゃないかと心配していたのだが、同じ閉塞感と言っても種類が違ったので見終わったときには展示の重さにもかかわらずちょっとほっとしたし、

丸紅コレクションは予想外のものがよかったのがうれしかった。

このところ写真が続いていたし、来年の年初めにも友達と写真を見る予定(別に一緒に見るわけじゃなくて同じ日に同じところに行くだけだが・・・)もあるからちょっと食傷気味だったのだが、自然の花よりも造花、一井の人たちよりもタレントの写真がよかったのが面白かった。

ICCは体験型でそれなりに面白かったけれど、まだ見方が不十分だな。
もう一度は行かないと・・・

疲れた・・・

(一つ一つの感想はもうちょっとちゃんと書く予定・・・・予定だけだったりして・・・)

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2008.12.23

創造への道程

どちらかと言うと「どうしても見たい」というタイプの絵ではなかったのに、会期末になってどうしても見に行かずにいられなかった
「アンドリュー・ワイエス --創造への道程--」
Bunkamuraで2008年12月23日まで

01gomi01_3
この「火打石」、たった一つの岩を描いただけなのにその歴史の重み、自然の孤独が見えてくるような気がするし、岩が向き合っている静けさ、厳しさが伝わってくる気がする。

「火打石」と言うタイトルがついているけれど、実際にはワイエスが岩の黒い色が火打石のようだと思ったことからそう呼んでいたということらしい。
岩の手前にはムール貝やかにやうにのからなどが転がっている。

人間からは孤高を保っているように見えても完全に離れることができないと言わんばかりだ。

具体的な何かを連想すると言うことはないけれど、これからいろいろなものに立ち向かっていかなければならない決意のようなものが感じられはしないだろうか。

そして、カニング・ロックスの厳しい表情・・・・
見ているだけでつらくなってくる・・・・
こちらを向いてないがゆえに厳しさが増しているような・・・

今回はどの絵を見ても喜びではなくて、さびしさと厳しさに満ちていたような気がする。

ワイエスの絵は必ずしもそうではなかったような気もするのだが・・・・どうなんだろう?

見終わった後、何よりも自然の中に入っていきたくなった。
人ごみの渋谷ではなく、木のたくさんある森の中で静かな時間を過ごしたくなった。

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2008.12.20

さすが若冲

陸の王者象と海の王者鯨の対決?
さすが若冲という絵が見つかった。

中日新聞:若冲の大作 北陸で発見 最晩年の『象鯨図屏風』:北陸発:北陸中日新聞から(CHUNICHI Web).

 江戸時代半ばに活躍した日本画家伊藤若冲(じゃくちゅう)の「象鯨図屏風(ぞうくじらずびょうぶ)」が、北陸地方の旧家から見つかった。若冲を代表する最晩年の大作とみられるが、これまで存在は研究者にも知られておらず、貴重な新発見となりそうだ。 

リンク先のページの写真が一番いいのでここにリンク。
こういうやんちゃな絵がCosは好きだったりする∥^O^∥

来年はMIHO MUSEUMかなぁ・・・

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山口薫展

どこで見たのかはもう覚えていないけれど、一枚の絵が印象に残っていた山口薫

独りの時間―山口薫詩画集 (求龍堂・画文集シリーズ)
(これは画集の表紙。amazonにリンクしています)
この絵の女性と椿を口にくわえた追い詰められた狂気と・・・・
彼女にはこうせざるを得ない必然があったのだ。

この必然を見たいがために行ったのかも知れない・・・
(人物画はあまり好きじゃないんだけど・・・)

山口薫展 -都市と田園のはざまで-
世田谷美術館 2008年12月23日まで

これは戦争中の作品だったから緊迫感があるのかもしれない。
その緊張感に共感を覚えるから好きなのかな。

彼の作品で好きなのはこの時代の具象から抽象へと移っていくあたりと
なくなる直前の死を意識した平和に満ちたファンタジーのような世界かな。
向こうで待っているのはこんな世界かもしれない・・
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おぼろ月に輪舞する子供達


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2008.12.18

玉虫厨子

国立科学博物館で「平成玉虫厨子」とその映画を見てきた。

asahi.com(朝日新聞社):「平成の玉虫厨子」国立科学博物館で公開 - 社会.

 東京・上野の国立科学博物館で13日朝、飛鳥時代の玉虫厨子(たまむしのずし)を現代の職人たちが再現した「平成の玉虫厨子」の組み立て作業が行われた。日本のモノづくりの原点を感じてもらおうと開かれる企画展示「蘇(よみがえ)る技と美 玉虫厨子」(13~21日)で公開される。制作を追ったドキュメンタリー映画の上映に合わせた展示。東日本での一般公開は初めて。

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虫好きのCosであるからかつて「法隆寺展」でみた玉虫厨子に玉虫の羽なんてほとんどなくて、がっかりした記憶があるのは当然と言えば当然だろう。(たぶんそのときに残っていた一枚を見た記憶も残っている気がする)

玉虫の羽を一面に貼り付けたらどんなになるだろう・・・

その夢をかなえたのが飛騨高山の中田金太。
高山の資産家が資材をなげうって、飛鳥時代に作られた玉虫厨子を復元したものを法隆寺に奉納し、同時に新たに平成の玉虫厨子を作らせたのだ。

その「平成の玉虫厨子」が国立科学博物館に来ているのだ(2008年12月21日まで)
そしてその制作のドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子」を日本館の講堂で見てきたのだ。

(この日本館の講堂も「昔の博物館建築」と言う感じのつくりでとても面白かったのだが・・・)

なぜ東博ではなくて科博なのか、
作られたものを鑑賞するだけではなく、それにこめられた職人達の技の展示でもあるのだ。

今日見た映画はこの玉虫厨子を復元するに当たって、宮大工、蒔絵師、彫師、塗師と言った職人がそれぞれに工夫し、かつての技術者とこの厨子を通じて心を通わせながら制作したドキュメンタリー。

宮大工は屋根のカーブに苦労し、
蒔絵師は今は消えてしまっている絵の復元に苦労し、
彫師は屋根のかわらの表現に苦労し、
塗師は玉虫をどうやってつけるのかに苦労し・・・
そんな職人達の物語。

劣化してしまっていてもう見えなくなってしまった絵をじっと見つめることで見えてくる線を丹念にたどり、
どうしても分からないところは他の部分との調和を考えながら描いていたり
屋根の瓦を彫った上から漆を塗るときには線の細さ深さが塗り師にとって不可能にしか見えなかったり、
飛鳥時代と違って、思うようにつけられない玉虫の羽は2mmの短冊状にして貼り付けていくことになったり。

さらに平成の玉虫厨子では絵柄の中にも使われているのだが、そこでは2mm角に切ったものが使われている。
実物を見てもきったものを集めてあるとはとても見えないほどの細工の細かさ。
飾り金具の下にある羽はよく見えなかったりもするけれど、拡大してみてみると金具の中で羽が光っている。
よく見えない部分、人々が見ない部分までも丁寧に作られている。

現在の職人の持つ技術を集めた美術作品が出来上がったのだ。

映画を見なければきっと「きれいだなぁ」で終わってしまったのだろうけれど、映画の後で見た厨子からは職人達の心意気が伝わってきた。

そして宮大工の言った「飛鳥時代の玉虫厨子には遊びがあるけれど、これはあまりにきっちり出来てしまっている」という言葉が耳に残って離れない。

それにしても・・・今回、この厨子に使った残りの玉虫の羽で携帯ストラップとペンダントを作ったと言うのだが、携帯ストラップが3300円、ペンダントが5500円・・・・欲しかったなぁ
ちょっと手が出なかったのが残念・・・_| ̄|●


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2008.12.17

からすうりの明かり

暗い林にからすうりが下がっているとそこだからほのかな赤い光が出ているようにも見える。
そんなからすうりの明かりを買ってきた。
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植物の実などをランプにした金井一郎の「植物ランプ」
2008年12月21日までアスクエア神田ギャラリー

LEDのライトを使うことで温度が上がらないランプ。
からすうりだけじゃなく、ほおずきやハスの実や、いろいろな植物で作られたランプたちが暖かく光っている。

からすうりの明かりは宮沢賢治に出てきたのだろうか。
それともCosが勝手に描いているイメージなんだろうか。

夜、暗い森の中でからすうりの明かりがいつくしむように照らしている。
その明かりに惹かれて森の中へ入っていく・・・
そんな情景が思い浮かんで、

真っ暗な中でこのランプの光の中で音楽を聴きながら過ごす時間を夢見て買ってきてしまった。
少し飲みながら大切な人のことを考えながら・・・・

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今年はあまり時間が取れなかったので、これは以前撮った写真。
こんな風に暖かくやわらかく・・・
Img_2537

せつない夜向けの植物ランプ


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沖縄・プリズム・・・・写真だ・・・

このところどうも写真づいている・・・・
写真はCosには難しくてよくわからない部分が多い。
素材のよさと技術のよさ、両方があいまってひとつの作品を作るのだろうけれど、その辺がよくわからない。
(まあ、自分の撮った写真の下手さ加減ぐらいは分かっているけれど・・・それだって実は分かってないのかも)
それにもかかわらずまた写真を見てきてしまった・・・ような気がする

沖縄・プリズム 1872-2008
国立近代美術館で2008年12月21日まで

かつては琉球国であり、戦後は長い間アメリカ軍の占領下にあった沖縄・・・・

これまでの「沖縄」展の多くが琉球王朝期の工芸を回顧するものであったのとは異なり、近代という時代のうねりの中で、この地から誕生した、そして現在生成しつつある造形芸術を検証する初めての試みです。表現する主体として、沖縄出身の作家と本土から沖縄に向かった作家を織り交ぜながら、「外からの視点」と「内側の視点」の違いを意識しつつ、個々の作家の想像力の軌跡を辿ります。

この外側からの視点と内側からの視点の違いを見たいと思っていってきたのだが、果たしてCosにその視点の違いが分かったんだろうか・・・

確かに写真にはその違いがはっきり表れているものもある。

頭にかごを載せたおばあさんが颯爽と石垣のある道を歩いていく岡本太郎の写真は外から「沖縄」という目で物事を見て取った写真(岡本太郎 《竹富島》 1959年)。
(もちろんタイトルがなければCosにはそれが分からないだろうけれど、「どこだろう?」と言う疑問が生まれる)

それに対して平良孝七のパイヌカジはどう見ても身内の人が撮った写真。
同じように沖縄の文化にかかわる写真を撮っていてもその写真の視点が対象となっている人やものに同化している。 
リンク先にある少女の写真はあまり「沖縄」を意識させないけれど、他の写真の中には中からでなければ取れないと思えるようなものもあった。

こうやって見ると写真と言うのはとった人の視点が分かりやすいのかもしれない。

もちろん、絵も異文化としての沖縄を描いたものはそれなりに分かる。
そうでないものは・・・・う~ん、どれがそうなのか?・・・わかるよう縄からないような・・・

が、問題は陶芸。
國吉清尚の作品がたくさん展示されていたけれど作品だけを見て外なのか内なのか・・・・
おそらく解説を聞かないとCosには判断がつかない。

沖縄と言う地は同じ日本の中でもちょっと違った場所という感じがしていたのだけれど、実はそんなに違わないのかもしれない。

沖縄と言うことを離れて面白かったのは山城知佳子や照屋勇賢かな。
オフィーリアのように水に没する写真を撮った山城千賀子、
不思議な作家としか言いようのない照屋勇賢・・・彼の作品はもっと見てみたい気がしたけれど、そのうち出会えるかなぁ・・・

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2008.12.15

大多喜城分館

千葉県立中央博物館大多喜分館と言うのが本来の名前の大多喜城。
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お城の天守閣を再建して博物館にしてある。

 本館は、城郭様式の建物で、「房総の城と城下町」をテーマに房総を中心とした中世から近世にかけての城郭やこれに関する武器・武具・調度・文書及びこれらを取り巻く人々の生活資料等を展示しています。
と言うことで中は一応こうした資料が展示してある。

「こんなものがありました」
「あんなものを使っていました」
とならべてある。

さすがにお城だけあって農業に関しての展示はなかったように思うけれど・・・

「どこそこになになにがありました」と言われるとどうも「ああそうですか」で終わりになってしまう気がする。
「へえ~、」と言う驚きや面白さがなかったのが残念。

今回は「武の美」と言うことでかぶとや鎧、馬に使う馬具や刀などの企画展が12月7日まで行われていたのを見に行ったのだが、これはそれなりに面白かった。

かぶとにつけた飾りは目立つためのものだったとかどんな飾りがあったとか・・・そういうところに視点を置いての展示はなかなかよかった。

今のイメージではちっとも強そうに見えないけれど「うさぎ」なんていうのもあって昔の人のものの見方が新鮮に見えたりもした。

常設展でもそういう視点があると面白いのになぁ・・・・


が、4階は一種の展望台になっていて山の上の一番高いところに立っている天守閣から四方八方を見ることが出来て面白かった。

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続きを読む "大多喜城分館"

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2008.12.13

会えた!!

まさか今日会えるなんて思っても見なかった。
もしそうだと知っていたらもう少し考えたのに・・・・

会えたと言っても面と向かって話をしたり、何か特別なことがあったわけじゃなくただ単に顔を見て、仕事をしているのを見て、他の人と話をしているのを聞いただけ。

それでも会えただけでうれしい・・・・


今日は採点日だったので職場でちょっとだけ仕事をしてさっさと引き上げて他のところに行くつもりだったのだけど、他の人の分を手伝っていたら予定より遅くなってしまった。

結果的にはそれがよかったことになる。

そのおかげで会うことが出来たのだから・・・

職場を出てからも時間は十分あったので、世田谷美術館へ。

山口薫(誠ではないのだ)展をちょうどやっているのだが、(たぶん)彼の作品で印象に残っていたものがあったので、それ(あるいはそんな感じの絵)を見たかったのだ。

で、世田谷美術館の中に入ってみると
「PCPPPはこちら⇒」と書いた張り紙が地下の制作室のほうをさして貼ってある。

よく見ると
「フライデー・ヨコオ 横尾忠則~週末の労働的公開制作」・・・
12月5日、12日、19日、26日
10:30~16:30

と言うわけでほんのちょっとだけだけど横尾忠則があれやこれややっているのを見て、質疑応答を聞いて・・・

本人を直接見たのは初めてだったし、あの多才さとは裏腹に直接会っても近寄りがたい気難しい人物というイメージはなかったのが逆に不思議な気がした。

また時間が取れたらもうちょっと早い時間にどんな風に描くのか見てみたい。

今日はほんのちょっとの時間のずれで思ってもいなかった幸運に出会えた感じでとてもうれしかった。


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2008.12.09

おん ゆあ ぼでぃ

私の体、そしてあなたの体、同じようでもあり、異なっているようでもあり・・・

東京都写真美術館 > 日本の新進作家展vol.7「オン・ユア・ボディ」.東京都写真美術館で2008年12月7日まで(終了間際に行ってきました)

〈身体〉にまつわる問題は、仮想的空間が強まる現代にあって、逆にますます現代人を捉えて放さないテーマです。

言われなければ気がつかずに通り過ぎてしまいそうな澤田知子のセルフポートレート。
ミスコンテストに出場している大勢の女性はすべて澤田知子自身なのだけど、下手をするとそのことに気づかずに済ませてしまいそう。

自己と他者の区別がつきにくくなっている時代なのかもしれない。
(今に限ったことではないかもしれないけれど・・・)

志賀理江子は写真を加工しておどろおどろ下雰囲気を出しているのだし、そのシュールさの趣味は悪くないと思うのだけれど、Cosが期待するものとはちょっと違っているようにも感じるけれどなかなか面白かった。

いいなぁと思ったのは横溝 静のビデオ作品。
部屋の隣り合った2面の壁に一方ではピアノを弾く年老いた女性。その隣の壁では彼女から見えている、あるいは普段見ている景色。

特に窓の外の景色は動いていないようでいて、風が吹くと木の葉がゆれて自然な感じ。

次から次へとピアノを弾く人や場所が変わる。

ピアノを聴きながら外の景色を眺めている雰囲気?

その引き方を見ていると、「この人はどんな風にピアノとかかわって人生を送ってきたのだろう」と知りたくもなる。
美術館の中でここだけは静かな時間が流れる感じでよかった。

高橋ジュンコはひとり都市のなかに超然として立つ女性、そしてその周りの光景だけがどんどん動いていくという映像。
前に見た部屋の3つか4つの壁に世界の各地へ行ってただひたすらたっているのを映し出しているビデオ作品と共通のものを感じるけれど、どこか違う感じ・・・

以前見た作品には迫力があったけれど、これはずっとおとなしい感じ。

「オン ユア ボディ」・・・からだにまつわる問題
体というよりは自己と他者や時間とのかかわりが映し出されていたような感じかな。


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2008.12.07

明日の神話

東京都現代美術館に展示されていたときにも何回か見たけれど、やっぱり壁画と言うのはこうやって人が行き交うような場所にあるほうがふさわしいような気がする。

Img_0655

さすがに無粋なガードマンがちゃんと張り付いているけど・・・

写真を撮っている人はCosを含めて何人もいたので中には
「何でみんな写真を撮ってるの?なにかあるの?」とおっしゃる人もいて、そういう人も、まったく気がつかない人も、当たり前の光景になっているのがいいな。

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VERNACULAR(石川直樹2)

石川直樹のMt.Fujiの翌日、新宿御苑のPLACE MでやっているVERNACULARへ。

会期が2008年12月7日までなのにじっくり見る時間がなくてそそくさと見てきてしまったのがちょっと悔しいけれど、たとえオフに遅れようとも見ることが出来ただけで満足。

昨日見たMt.Fujiが自然を映し出しているのに比べると、このVERNACULARは人の暮らしの厳しさを映し出している。

ニュージーランドの原住民の住まい、フランスの張り出した岸壁の下に作られた家、北極圏で暮らす人達の住まい、そして日本の(たぶん)雪の白川郷。

そのどれもが自然の厳しさを感じさせる。
Mt.FujiやPOLARに比べると迫力がないかもしれないけれど、より身近な厳しさがそこにはあって、暮らしている人々のことをいろいろと考えてしまう。

もっと時間をとってじっくり見たかったことが心残り。

4898152252POLAR ポーラー
石川 直樹
リトル・モア 2007-11-16

by G-Tools
4903545180NEW DIMENSION
石川 直樹
赤々舎 2007-10-01

by G-Tools
4931407609THE VOID
石川 直樹
ニーハイメディア・ジャパン 2005-09

by G-Tools

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2008.12.06

冒険者の富士山(石川直樹1)

富士山の絵や写真は北斎をはじめとしてたくさん見てきた。
人様に見せるような代物ではないけれど、Cosですら写真を撮っている。

だがそれらはみな「富士を見る」と言う視点から描かれたもの。

本人いわく

作者自身の登山の出発点である“登る山”としての富士山をとらえてみたい、それが撮影をはじめた理由だった。

銀座ニコンサロンの案内より

という言葉の通り、それがたとえ空から取った写真であっても、見る富士の美しさではなく、あたかも挑戦すべきものとして立ちはだかる山というイメージが浮かび上がってくる。

それも大勢の人がご来光を見ようと登る富士山が時として人を寄せ付けない山であることを思い知らせるような写真。
もちろん、大勢の人が行き来する富士山であることを映し出しているものもあるけれど、登っている人たちのところからは見えない裏の顔も見え隠れしているのだ。

石川直樹の写真は見る人の背筋をピンと伸ばさせるような自然と対峙することを要求している。それがたぶん、冒険者の視点であり、Cosをとらえて離さないのだろう。

石川 直樹展
[Mt. Fuji]
銀座ニコンサロン
2008.11/26 (水)~12/9 (火)


4898152562石川直樹 写真集 Mt.Fuji
石川 直樹
リトル・モア 2008-12-22

by G-Tools

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2008.11.27

新鮮な浮世絵

膨大な量の浮世絵、それもずっと公開されることがなく保存されていたボストン美術館の浮世絵が来ている。日本美術のよさはよく分からない(いわゆる美術のよさもよくわかっていないと思うのだが・・・)Cosもずっと見たいと思っていた江戸東京博物館のボストン美術館浮世絵名品展(2008年11月30日まで)にようやく行って来た。
01gomi01
たくさんの浮世絵が年代順に並べられていて、それを見ているだけでも浮世絵の歴史が分かるようになっている。

Cosはどちらかと言うと人物画はあまり好きではなく風景画や静物画のほうがすきなのだが初期の作品はほとんどが人物画。それも美人画とか役者絵という絵を楽しむのではなく、かかれた人を見て楽しむためのものがほとんど。

とはいえ、「絵を鑑賞する」のではなく、「見て楽しむもの」だったし、外国に輸出する陶器などを包む包み紙としても使っていたくらいだから、見やすくて、見ていて楽しいものが描かれている。

初期の黒一色や黒と赤だけの絵から「錦絵」と言われるカラーのものに変わって行くのが版画の歴史を見ているようで面白かった。

デザイン的に優れた浮世絵というと葛飾北斎と言うことになるんだろうけれど、上のパンフレットにもなっている今回の歌川国政の迫力はすごかった。

しかもこのボストン美術館の浮世絵はとても保存状態がよく、印刷したインクの色も鮮やか。
北斎などはあちらこちらで同じものを何度も見ているのだけど、鮮やかに描かれた「冨嶽三十六景」
「こんなにいい絵だっけ?」と思わず見直してしまったほど。

明治時代にこんな生き生きとした浮世絵を見た外国の人たちの評価があんなに高かったのもうなずける。

ちょっと混んでいたけれど、それを見るためだけでもいった甲斐があった。

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江戸東京博物館から大江戸線の両国へ。
なんとなく和ろうそくをイメージさせていい感じだった。

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2008.11.24

モーリス・ルイス展

佐倉行きのひとつの目的はこの川村記念美術館のモーリス・ルイス 秘密の色層(12月になるとリンク先が変わるので気をつけてください)
2008年11月30日まで。
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ただ、残念ながらロスコルームはイギリスのテート美術館に貸し出し中のために閉鎖。
来年にはマーク・ロスコ展があるのでまた行かないと・・・\∥^O^∥/

モーリス・ルイスの絵は一つ一つが巨大で新しく増設された広々とした新展示室に「ドカン、ドカン」と展示してある。
彼の絵を見るためにはこれぐらいの広い空間がないと生きてこないような感じがする。

その巨大な絵をモーリス・ルイスな小さな部屋の中で大きな画面にアクリル絵の具を流してかかれたといわれているのだ。
しかも描いているところを見た人はいないし妻が帰ってくるころにはきちんと片付けられてしまっていて、どうやってかいていたのか妻にさえ分からなかったと言うのだ。

「ヴェール」のシリーズ。
一番初期の作品群。
口の悪い人に言わせれば絵の具を流しただけじゃないかと言われそうだけど、その色と色の重なりがすばらしいのだ。

Cosが一番気に入ったのは《アンビⅡ》 1959年(リンク先のヴェールにあります)かな。
明確に区分された色が流れるままに重なり合って・・・反対側からは黒が流れ出ている。
そこに人それぞれに必要ならば自分の想いを重ね合わせてみることが出来る。


「アンファールド」のシリーズは
カンヴァスの両端から中央にむけて、鮮やかな色彩の絵具が流れ、中央に白い余白を残した作品群。
中央の余白が何を語っているのかは分からないけれど、とても雄弁。

もしかしたら何もないところが本来は中心にあるのかもしれないなぁ・・・
なんて思ってみたり・・・

そして「ストライプ」
この作品群は上の二つと違って縦長(あるいは横長)の細長いキャンバス。アンファールドのなにもない空間が裏に隠れてしまったような印象を受けた。

点数は少ないもののこのためだけに佐倉に行ってもいいほどの内容でとてもうれしかった。

美術館を出たころにはすこし雨が降り出し始め、時間よりも早く夕暮れが迫ってきていた。
美術館への小道ではクリスマスに向けて幻想的な森が姿を現し始めていた。
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[染]と[織]の肖像

佐倉での楽しみの一つに歴博がある。
派手な展示はないし、企画展にしてもお金のかかっているように見える展示はまずないのだが、じっくりと研究された成果が展示されていて歴史の苦手なCosにとってもおもしろい。

今回は「[染]と[織]の肖像
今のようにどこも痛んでいないけれど、着なくなったからといって衣服を処分できるようになったのは歴史を振り返ってみるとごく最近のこと。

衣服に仕立てられた布は穴が開けば継ぎ、刺し子をし、ぼろぼろになればオムツになったり(たぶん)雑巾になったりして使いつぶされたから、かつて人々がどんなものを着ていたのか分かるような形のものはほとんどない。

そこで、寺に奉納された打敷によって研究すると言うことになるのだが・・・

この奉納される打敷ってなんだろう?
と言う話題になった。
裏に戒名が書いてあったりして、お寺に奉納するもの・・・
普通はどんなイメージを持つんだろうか?

Cosたちの場合には「もしかしたら死んだ人の下に引いた布かもしれない」という話になってきた。
あわてて、たずねてみるとお供物などを乗せる台に引くテーブルクロスのようなものだそうだ。
そう聞いてちょっとほっとしてみて回る。

着物の柄もおそらく流行があったのだろう。
かつては「織」-「刺繍」-「染」の順で高級とされていた時代があったり、赤いリボンで縁取った 幢幡裳(どうばんも)に作り変えられてみたり・・・

この幢幡裳(コピペでないと絶対にかけない・・・)・・・いかにも布が貴重だった時代に手をかけて作り変えているのがよくわかる。

元の布よりいっそう華やかに飾られている。

元になる知識があまりになかったからなのか、時代に寄っての違い、どんな風に変化していったのかはよくわからなかったけれど、今ともずいぶんと違うような気もする。

これを着ていた人たち、作り変えて奉納した人たち・・・布が貴重だった時代の着物の価値は今とは大きく違っていたに違いない。

そんなことを思いながら結局のところいろいろな柄を楽しんできただけかもしれない・・・Cosの場合_| ̄|●

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2008.11.19

風神雷神

忙しかった時期を通り過ぎて忙しさが終わったのに、ちっともかけずにいるうちに会期が終わってしまった「大琳派展-継承と変奏-」。

忙しい時期だというのは分かっていたのに、「四つの風神雷神」を見たくて一番忙しい10月の末まで待って見てきた∥^O^∥

今までに見たことがあるものもあるけれど、Cosなどは日本美術のよさはほとんど分かってないし知識もないから別々に見たのではその違いはほとんど分からない。

と言っても「東博」・・・・さすがに混んでいてのんびりじっくり見てくると言う状態からは程遠かったのが残念。

01gomi01俵屋宗達の「風神雷神」
これが今回展示された中では一番古いものなのだろうけれど、一番おおらかで見ていて楽しい。「神」と言う存在が恐れ敬うだけではなく、親しみある存在と言う感じがしてこちらも楽しい気分になってくる。

この宗達の風神雷神が琳派の人々によって描き続けられたのだという。
見た人たちが描き続けたいと思うような題材と構図になっているということだろうな。

01gomi02細かいところではたくさん違いがあるけれど、別々にぱっと見ただけではCosには区別がつかないんじゃないかと思った尾形光琳の「風神雷神」。

が、実際に見てみると確かに同じ構図だし、ちょっと見るとほとんど同じに見えるのに受け取る印象がまるっきり違う。

この尾形光琳の作品は見たとたんに脳裏に浮かんできたのは「江戸時代の○○レンジャー」・・・
小さい男の子達が好きな変身モノ・・・∥^O^∥

テレビの画面から抜け出して屏風に収まったというのか、江戸時代の人たちがこれを見て「ヒーローもの」をイメージしていたんじゃないかと言うのか・・・
いずれにしてもどっちにしても江戸時代という時間をかけ離れた存在に見えて一番面白かった。

この二つに比べると酒井抱一のものはいかにも光琳の風神雷神を模写した感じでよりコミカルな印象はあるけれど、そうした迫力があまりないようなようなきがした。

最後の鈴木其一のものは他の三つとは違って8面の襖絵のうち6面を使って天空を駆ける風神雷神で、さすがに「同じ」と言う印象はあまりなかった。

この4つの作品に今回のテーマである「継承と変奏」がしっかりと見えていた。

この「継承と変奏」が光琳と抱一が同じテーマで描いた(要するに抱一が光琳を模写したのだが・・・)絵にしっかりと表れていた。

抱一は光琳の同じ絵を同じようにまねて描いてはいるけれど細かな部分ではその表現が抱一のものになっている。

風神雷神では光琳のほうが迫力があっていいような気がしたけれど、他の作品では必ずしも光琳のほうがいいとは限らなかった。

「さすが光琳」と思ってみたり、「師匠を超えているなぁ」と思ってみたり・・・

美術印刷や写真のない時代・・・明治時代ぐらいまでは現物を見るのでない限り作品を見るには模写を見るしかなかった時代・・・

絵は必ずしも個人単位で描くものではなく工房単位で描かれていたりした時代・・・

写真のようにあるがまま、そのとおりに表すことが不可能だった時代・・・

そういう時代だったからこそ受け継がれてきた作品たち。

そんな時代に生きた画家たち。

彼らが受け継いできたものは今もきっと形を変えて受け継がれているんだろうな。

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2008.11.05

拡張された感覚--韓国メディアアートの現在--

ICCで2008年11月3日まで。

日本人が2人参加しているし、内容も国にこだわったものがあまり感じられないので、「韓国」とつけているのがどうしてなのかよくわからないけれど、面白かった。

韓国や日本、ひいてはアジアのメディア・アートにおける独自の表現語法とは何か、日刊のテクノロジーを介したアプローチの差異とは何かと言ったことが中心的なテーマとなっています

なのだそうだけれど、Cosなどにはとても「差」は分からなかった。

面白かったのはMOON(これってひとりなのか?)の「ツーリスト・プロジェクト」.
ネットにつけられた数多くの白い羽からなる大きなスクリーンに世界各地の遺跡が映し出される。
その遺跡にふって沸いたように積み重なる人々の映像。
人が歩いて集まってくるのではなく、まるでモノのように人の集団の映像が集まってくる。
テトリスのように上からブロックになってふってきて積み重なったり、
ありの行列のようになって一列にやってきて遺跡を埋め尽くしたり・・・
遺跡が人でいっぱいになると風が吹いて白い羽が持ち上がり人々の映像を吹き飛ばしてスクリーンが元の真っ白にもどる。

そしてまた、人のいない遺跡の映像・・・・

ピラミッドだったり、ローマだったり・・・

でもそこにはわさわさと人が集まってきてしまうのだ。

このほかに巨大なルーペを通して映し出したところだけがピントが合うという渡辺水季の「視線のあいだ」。
よくよく映像を見ると、このルーペを通したところだけは、たとえばそのルーペを持っている人の姿も角度によっては映し出されて現在も映し出していることが分かる。

展示としてはつまらないのだけれど、やっている内容が面白かったのが毛利惣子の「対話変換機」。
2台のコンピュータのあいだで決まった音を解析しているうちに解析された文章が変わっていくと言うもの。
伝言ゲームのコンピュータ版かな?

このICCには今回のように有料の企画と無料のオープンスペースとがあるけれど、オープンスペースも企画に負けない・・・あるいはそれ以上に面白い。

常設となっているジャグラーや無響室はいつ行っても面白いし、多くは前回のときとは違った展示になっていてそれなりに楽しかった。
ここに行くとコンピュータで遊びたいと言う刺激を受けて帰ってくる。
Cosも何か作りたいな。

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2008.11.03

聖と俗の狭間アネット・メサジェ

女性らしいかわいいぬいぐるみを使った展示・・・
と言うとまるっきり違う雰囲気を想像しがちだけれど、アネット・メサジェのぬいぐるみは切断された体だったり、機械仕掛けで床を引きずられる牛の死体だったり・・・

かわいいぬいぐるみも中の綿を抜かれ、その皮だけが、目の部分だけが壁にかけられていたりする・・・

ぱっと見るとおもちゃ箱をひっくり返したような陽気さに満ちているのに、じっくりと一つ一つのぬいぐるみを見ると不気味なのが怖い。

こわいけれど、目をそらしてはいけない怖さがそこにはある。

牛の死体のぬいぐるみをたくさん見たせいかもしれないけれど、肉を食べるのなら、動物の死体から目をそらしてはいけないように、
動物の死が肉となり人間達の生につながっていくのだから殺された牛に、豚に、鳥に感謝をもってその死を受け入れなければならないのと同じように・・・

会場の森美術館は54階にあってその中には一面が窓になっている展示室もある。
そこに展示されていたのは肉の冷蔵(あるいは冷凍)倉庫などにある天井からぶら下がっている肉が部屋の中をぐるぐる回転しているかのように、動物の死体(たぶん)、体の一部、内臓、手などのぬいぐるみが天井にめぐらせたレールの下をぶらさがって「ギーギー」いいながら部屋の中を回っている(上のYoutubeの最初の画像がそれ)。

その向こうには六本木からの平和な景色。

まるでその景色こそが幻想であるかのような錯覚さえ覚える。
その落差が今回一番印象に残ったのかもしれないし、風に揺れる真っ赤な布を使った「カジノ」(の一部)が一番印象に残ったのかは分からないけれど、好きとか嫌いと言った範疇を超えていたような気がする。

「カジノ」と言うのはピノキオのストーリーにインスパイアされた3部作。
今回の展示はその中のひとつ鯨のおなかの中のシーンらしいが、血にまみれた出産をも暗示しているのだったかもしれない。
大きな真っ赤な部屋いっぱいの巨大な布が風によって脈動し、布の下にあるもの形を浮き上がらせる。
下には海の中にあるもの・・・多分貝・・・の姿が見える。
13分間の作品なのだが、正面から一回、上から一回・・・見てしまった。
これは怖くなかったしとても面白かった。

好きなのか、嫌いなのかよくわからないけれど、
きっとまた見るチャンスがあったら見に行くんだろうなぁ・・・


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2008.10.12

ジョットによって生み出れたもの・・・

池上英洋先生に解説をしていただきながらもう一度「ジョットとその遺産展」を見てきた。

どう考えたって美術なんてろくすっぽわかってない門外漢のCosが西洋美術史の先生の話を(見た後ではみんなで飲みながら)聞くというのはとんでもない話だが、あまりの面白さに出来る限りずうずうしく参加させてもらっている(爆)

前回一人で見たときには混んでいたこともあって、表面的にざっと見てきただけだったけれど、池上先生のおかげでじっくりと深い部分まで見てくることが出来た。

ジョット・・・Giotto di Bondone・・・
日本ではあまりなじみのない彼の作品が日本に来た。

なにしろ彼の作品のほとんどは漆喰の上にかかれたフレスコ画・・・壁にかかれたものを日本に持ってくることはほとんど不可能なのだ。

そんな中で板絵の聖母子

01gomi01
これをもってきているのは実はすごいことなのだそうだ。ぎりぎりまでこの絵が日本に来ることは発表されていなかったとか値段の話とかも伺ったのだけれどその辺のところはよくわからなかった・・・

下はもっと大きな絵の一部だったのが切り取られてこの大きさになった。この柄の切り取られた部分にはもっといろいろなものが描かれていたはずで・・・・
この絵が切りとられていることは画面の構成を見ても分かるし、板を真横から見ると普通に描いたのならどうしてもついてしまうはずの絵の具がどこにもない。
(そう聞いて、実物の切り口を確認してみると面白いです)

一人で見ていたのでは気がつかない些細なことから、謎が浮かび上がってくる面白さ。

絵の中に現れているジョットの特徴。
微妙に傾けたマリアの表情と陰影、服の下にある足の質感、後ろと前の遠近感、それでも必ずしも解剖学的に正しく描かれているわけではなくて、マリアの手とイエスの足の大きさの整合性のなさはあったりもする・・・

絵の細部が一つ一つの歴史的な意味を持って輝いてくる。

「いい絵だな、おもしろいな」ぐらいしか感想がなかったのに・・・おそらくこの会がなければ「面白かった」ぐらいの感想(前に書いたようなやつ)しかなくて終わってしまっただろうな。

ジョットは13世紀末にイタリアの各地をよばれて旅をしながらあちこちで作品を残している。彼の残している絵はフレスコ画だから、一人で描くわけではなく連れて行った弟子やその土地の画家達の力も借りている。

その場にいた画家達がジョットの空間表現などの影響を受けて、そうした絵を自分達を描くようになり、それがルネッサンスへとつながっていく。

そういう人たちのことをジョッテスキと呼ぶ。

大勢のジョッテスキがルネッサンスへの道を開いた。
その足跡を見ることが出来るのがこの「ジョットとその遺産展」なのだ。
(こうやって描いてみると当たり前なのだが・・・∥^O^∥ )

そして、シノピアで描かれた下絵である「嘆きの聖母」にまつわるお話が面白かった。
一度目に見に来たときには表面の絵の具が洪水で流れ落ちて下絵だけが残ったとだけ思っていたのだが・・・

フレスコ画を描くときには漆喰が乾く前に絵の具を乗せていくのだが漆喰がすぐ乾いていしまうので、急いで書き上げなければならない。

そこでまず最初にシノピアでじっくりと下絵を書いてその上にもう一度薄く漆喰を塗りそこに絵の具を載せていくという手法がとられる。
この下絵の段階では時間をかけることが可能なので場合によっては上に描かれた絵よりもずっといいものがあったりする。

その資料としてJacopo TorritiのDio Creatoreを見せていただいた。
どう見ても下絵のほうが生き生きとして存在感があるのが面白い。


また、このシノピアの部分と表面の絵の具の部分を分離して、壁画は表面のフレスコ画を、別の展示室にシノピアの部分を展示することでじっくりと近い距離で観察できたりするのだそうだ。

下絵の表面はこの後また漆喰を乗せるので表面が滑らかではない。でこぼこしていたり、さらに布目がついていたりして上から塗る薄い漆喰がしっかり定着するようになっている。

漆喰の上に絵の具を載せていくのは漆喰が乾く前にやらなければならないので一日に出来る量が限られている。
そこで、毎日その日の分の漆喰を作ってその分だけ絵を描くという方法で少しずつあの大きな壁画を作るのだ。
・・・
となると人間の関心は「どんな順序で塗ったんだろう?」
幸いなことに漆喰と漆喰の境目が重なっているのでどっちの部分が上になっているかを調べてどんな順序でどれほどの範囲を一日に塗ったのかを調べた研究も資料として見せていただいた。
(出来れば「ここでは3日あいている・・何をしていたんだろう?」なんていうことも分かると面白いな)

そんなこんなでこれ以外にもたくさんの話を伺ってきてとても楽しい時間を過ごさせていただいた。

その内容をMindMapの類似品であるFreeMindにまとめてみた。実際にはまだまだ付け足すことがあるけれど、それをやっているといつになっても終わらないので、とりあえず大急ぎで・・・∥^O^∥

いい加減な聞き方をしているから、間違っているところもあるだろうし・・・ごめんなさいm∥_ _∥m

「Giotti.swf」(リンクの部分は有効ではありません)

FreeMindでつくったMapをFlashpaperにしました。(PDFでもよかったのですがPDFは立ち上がりに時間がかかるので好きじゃないので・・・)

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2008.10.11

環境芸術 Dani KARAVAN

環境芸術という言葉が出てきたのは最近のことらしい。人間の手で作られたものだけではなく、光が、風が、大気がその芸術の一部になっているものをいうらしい。

「ダニ・カラヴァン展」世田谷美術館
2008年9月2日 -10月21日

「絵画から空間へ」

作品そのものではなく、その周囲に視線を向けさせ、環境からのあらゆる感覚劇刺激を伝える存在となるように自らの作品を形作った。

と彼の作品の解説にあったように・・・


Img_0356

世田谷美術館の展示室の中には円形のものがある。普段はカーテン(?)が占められていて外を見ることができないけれど、このうちの一室が外の緑を作品の一部に取り入れられた展示になっていた。

「水滴」は円形の窓に沿って円形(の一部)に砂が敷き詰められ、その内側から砂の中に作られた4つの黒い小石の円錐とその向こうに見える緑の砧公園を見るようになっている。4つの円錐の小山のうちのひとつには細い竹を割ったといがその頂上にゆっくりゆっくりと水滴を落とす。

そのの手前にはじゅうたんが引いてあって、来た人は靴を脱いで入るようになっている。人はほとんどいないので新と静まり返った部屋にゆっくりと落ちてきた水滴の音だけが拡大されて聞こえる。
窓の外では楽しそうにしゃべりながら散歩をする人たち、笑いさざめきながら走っている子供たち、ストレッチを終わって走り出す人たちが太陽の光に輝いている.

室内から水滴の音を聞きながら見ていると、それはまるで映画の1シーンのよう・・・あなたは窓の向こう側で楽しそうにみんなといるのに、こっちからそれを羨望のまなざしで見ている自分・・・みたいな感じ?

Img_0370
 実際に作られた作品はもうひとつあってあまり目立たない「光と砂」.

外から見た写真。このブラインドの向こう側に作品がある。

円形ではなくその隣の四角い部分の窓際に細く展示されているのだが、壁で仕切られた1mちょっとの狭いところから奥を見る感じなので、のぞいてみない限りはそのまま通り過ぎていってしまいそう。

タイトルは「光と砂」。
細長く砂が敷き詰められた一番奥には円錐の砂の山、そしてその手前には一本の枯れ枝が立てられている。
枯れ枝から砂の山までは足跡が残っていて・・・そこに横一面のブラインドから、スリットになって差し込む光が当たっている。


「光、砂、カッティングシート」
光がこの作品の重要な部分なのだ。

作られたものだけではなく、周囲の自然、空気、太陽までもが作品の一部・・・

おそらくどこかで彼の作品は見たことがあるに違いない、そんな気がしてくるけれど、きっとそれには彼の名前は冠されておらず、単に「おもしろいな」で終わってしまっているのだろう。

そう思うと今まで見てきたいろいろなものが怪しく感じられる∥^O^∥

自然の中で、あるいは自然を取り入れてそこに新しい美を作り出す・・・
これからはそういう作品も増えてくるんだろうな。

Img_0359
世田谷美術館の地下の休憩室の横の噴水と階段。

ちょうどこんな風にゆったりとした空気が展示室の中にも漂っていた。

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2008.10.04

ピラネージ版画展

写真がなかった時代に画像を人に伝えようとすると絵に描くしか方法がなかった。一度にたくさんの人に伝えようとするならば版画しかなかった。

18世紀のイタリアの版画家ピラネージ(Piranesi)の版画展を見てきた。
(町田市立国際版画美術館 2008年11月24日まで)

ピラネージは画家兼建築家兼考古学者だったらしい。
ローマの遺跡を研究して膨大な量の版画を残した。

ところどころに現在の写真と一緒に展示してあったりするのだが、写真よりも彼の版画のほうが迫力があったり、みているだけで「どんな時代だったんだろう?」と想像したくなるようなものが多かった。

建物の版画などはあるがままにとらえているようにも見えるけれど、対象となる建物だけを取り出してみたり、人物を小さく書いて見せることによって、古代ローマの偉大さが見えてくるような気さえしてくる。

が、よく見るとたまに「?」と思うものもあったりする。
どう見てもローマじゃないと思えるような人の顔があったりしぐさがあったりもする。
もしかしたらもともとそうだったのかもしれないけれど、ピラネージが欠けている部分を想像で補った部分なのかもしれない。
実際に補ったりしたとは解説にあったけれど、どの部分というのは書いてなかったので、「ん?ここかな?」と楽しんできたのだ。

そしてなんといっても建物の迫力が伝わってきたのが「牢獄」シリーズ
いわゆるCosたちが知っている刑務所という雰囲気ではなく、罪人達が処罰されるところという感じかな。
建物は大きくいかめしく、看守達は大きく、罪人達はちっぽけな存在に描かれている。
(この建物が大きく人が小さいのはローマの遺跡などの版画でも同じ。重要なものを大きく書いているんだろうな)

古代ローマに、18世紀に思いをはせたひと時。

ピラネージの版画は東京大学のデータベースで公開されている。

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2008.10.02

お客様感謝デー

今日は都民の日。
あちこちの東京都の施設が無料になる日なのだが、東京都の施設以外にも無料になるところがある。
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この損保ジャパン美術館は今日が「お客様感謝デー」で無料。

今日をねらって、Cosもジョット展を見てきた。さすがに混んでいて、一枚一枚の絵をじっくり見ることは出来なかったのが残念だけど、実はまた近いうちに行くのでまぁいいか・・・

西洋絵画の父とも称されるジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)はそれまでの平面的なビザンティン絵画から脱却してルネッサン絵画の立体感や感情を表現するような描き方をした。

今回はテンペラ画が多いのだが、フレスコ画も着ている。壁に書き込んだフレスコ画を日本に持ってくることが出来るというのも考えようによってはすごいこと。

が、フレスコ画を見ていると実際に現場へ行ってみてみたくなる。天井の高い教会でどんな風に見えているのか、教会の雰囲気の中でじっくりと楽しみたいと思わずにいられないのだが、このフレスコ画は保存が難しく2002年に修復がおわテ一般公開されているスクロヴェーニ礼拝堂などは職員と一緒に15分間だけ中に入ってみることが出来るのだという。

つまり現地へ行ってもじっくりと見ることが出来ないのだ。
ほおっておけばどんどん消えていってしまうひとつの文化なんだなぁ・・・

このスクロヴェーニ礼拝堂はパネルで説明してあった。

こうしたパネルを見ていつも思うことは芸術としてみるなら現物が最上だけど、文化の表現としてみるときにはパネルのような複製のほうがじっくりと細部まで見られていいのかもしれないなということだ。
教会の内部一面にこれだけのものが飾られていても、(たとえ時間制限がなかったとしても)じっくりと一つ一つの絵について見ていくことはかなり難しい気がする。

それがパネルになっていれば、一枚一枚を切り取ってじっくり見ることが出来るし、必要があれば細部を取り上げてみることも可能になる。

そういう見方もまた大切なんっじゃないかと思う。

今回、ジョット本人の絵は多くない(4枚)がその後継者達の作品がたくさんきていて歴史的にルネッサンスへと向かう様子も見て取ることも出来る。

面白かったのは、ヴェルナルド・ダッテイの「携帯用三連祭壇画」。
携帯用というのにはあまりに大きい気がするのだが、もって歩いたのだろうか?
こんな大きなものを持って旅行することを考えたら・・・・
そしてその中に描かれている絵。
キリスト教のフォーマットにしたがって聖人が描かれているんだろうなぁ・・
「旅人用祭壇画にはこれとこれを書く」というのがあるんだなぁ・・・
こういう聖人を連れて旅をすることで守ってもらおうというのだろうか・・・

などと考えながらぐるっとひと回り見てきた。

損保ジャパン美術館で2008年11月9日まで

01gomi01

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2008.09.30

村内美術館

「ムラウチ」と聞いてまず思い浮かべるのは家具だろう。
その家具屋さんの「ムラウチ」が作った美術館が八王子市にあるムラウチの本店に併設された「村内美術館」だ。

何よりも残念なのは駅から遠いことかもしれない。八王子の駅から1時間に1,2本(正しくは2時間に3本というところか)の無料送迎バスはあるけれど、バスに乗ってまで行くのはなかなか大変かもしれない。

「ムラウチ ファニチャーセンター」の3Fにあるので、家具売り場の中を通って美術館へ。
美術館へと登る階段から「家具屋」から「美術館」の階段へと変身する。
階段を登るとそこはゆったりとした空間で美術館の入り口の横には「休憩室」がある。


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これが休憩室。窓からは向こうの森と遠くの山が見えていて景色自体もひとつのアートになっている。

もう少し近かったら本を持っていって本を読むのによさそうなのだが・・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

 
 
 


バルビゾン派を中心とする19世紀自然派の画家たちの作品を中心に、印象派、エコール・ド・パリから現代までのフランス絵画、彫刻で成り立っています。

ということで展示されている絵もゆったりとした雰囲気をかもし出している。

美術館に入って最初に見たのがドービニー。
つい先日町田の国際版画美術館で川で、船をアトリエに仕立てて版画による旅行記を見たのだが、ちょうどその船で描かれたのではないかと思える絵があった。

版画には愉快な表現もあったりしたのがさすがにこちらは川からののどかな景色を平和に描いている。
旅行記を描くときと絵を描くときと・・・見比べることが出来て面白かった。

コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー、そしてクールベ・・・
バルビゾン派の人たち(クールベは違うらしいけれど)の絵が充実している。

美術館の中は8室(だと思う)に分かれていてどの部屋にもソファがおいてあってゆっくりと鑑賞することが出来る・・・・さすが家具屋さん・・・・どのソファもとてもすわり心地がいい。

時間に余裕があれば、室内に静かに静かに流れる音楽を聴きながらぼぉ~と絵を楽しむ、豊かな時間を堪能することが出来るのだ。

まあ、さすがに部屋は暗いから本を読むのにはむかない・・・
仕方がないので・・・・


Img_0228

というわけで景色を眺めながらちょっと一息。

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2008.09.28

光と斜線・・・ライオネル・ファイニンガー

どこで見たチラシだったかもう覚えてないけれど、見た瞬間に「行こう」と思ったのが横須賀美術館のライオネル・ファイニンガー展

横須賀美術館は観音崎公園に隣接して建てられているので夏の間は行くのを我慢していたのだが、9月には行ったらやっぱり忙しくてなかなかいけずにいた。

横須賀美術館 「ライオネル・ファイニンガー」展より

「ライオネル・ファイニンガー」展 ―光の結晶

ドイツ系移民の子としてニューヨークに生まれたライオネル・ファイニンガー(1871-1956)は、音楽を学ぶためドイツに渡りますが、すぐに画家を志し美術を学び始めます。雑誌の挿絵や風刺画を描いた後、油彩を描き正統派画家として評価を得ると、1919年に造形学校「バウハウス」の設立に参加し1932年まで教授をつとめました。しかし、ナチスが政権を取ると「退廃芸術家」と見なされ、1937年ドイツを離れニューヨークに戻りました。
1910年頃のファイニンガーは、鮮やかな色彩を用い表現主義を思わせる作品を描いていましたが、キュビスムの影響を受けた後1920年代には幾何学的に分割した面に色を段階的に重ねることで光を透過するガラスのような硬質さと透明性をもつ作風へと移行しました。教会の塔や海辺に停泊する船、海浜の廃墟などドイツ・ロマン主義の画家達が好んだモティーフを近代的な造形理論に基づき描いた作品は、伝統的な絵画と前衛美術をつなぐものとして独自の位置を占めています。


彼の描いた斜線を中心に描かれた建物が圧倒的な存在感と意思を持っているかのように見える。

縦横にではなく、作品によってはすべての線が画面に対して斜線になっていたりする。
その斜線が絵の方向を決めているのだ。

見ているうちに、人間の存在など小さなもので、建築物が、海が、霧がそれぞれの意思を持っている世界にいるような気がしてくる。

さらに不思議なのは絵自体はそんなに大きくないのに、すぐそばで見るのではなく、2,3m離れてみたほうがずっといいのだ。


特にそういう感じが強かったのが横浜美術館のページにある「海辺の廃墟」。

距離を置いてみることで建物の光が命をもっているかのようにも見えてくる。
光が当たって入射角と反射角を守りながら跳ね返ってきている感じ・・・とでもいうのだろうか。

美術展に出品された絵のポスターではないけれど、PosterShopでも絵の感じは見ることが出来る。
ただし、印刷されたものにはこの不思議さがあまり感じられない。
やっぱり直接見ないとだめなんだろうなぁ・・・


Image026

横須賀美術館の入り口。
今までは館内の写真撮影は一切禁止だったけれど、ここからの写真は取ることが出来るようになった。
カメラを持っていかなかったので、携帯から取った写真だから今ひとつなのが残念。
まさか写真がOKになっているとは思っていなかったもので・・・

真っ白な壁と丸く開いた窓。この向こう側の芝生の先は海。
正面の渡り廊下の下は地下の常設展示室になっている。
建物自体が本当に美しい。

Cos一人じゃ絵にならないのが残念だが・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

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2008.09.23

切り取った光と影

塩保朋子の作品にはじめてであったのはINAXギャラリー。
このときにはたしか「小さな骨の博物館」を見に行ったときではないかと思うけれど、同じときだったかどうかの記憶は定かではない。

入り口から入ってみると薄暗い室内に斜めに天井から下げられた布のようにも見える大きな大きな紙。
そこにはきりえのように無数にも思えるほど小さな切抜きがあって、残された部分は場所によってはレースのようにすら見える。

きれいに切られた紙は確かにそれはそれできれいだけれど、それだけ。
ちょっと拍子抜けをして紙の裏側に回ってみるとそこにはまったく違う世界が広がっていた。
部屋の床から天井まで一面に切り抜かれた紙の影が部屋いっぱいに広がっている。

表から見たときには白かった部分が、ここではグレーに映り、表からは切り抜かれて黒っぽく見えていたところが裏側では光が輝いて白く見えている。

ちょうど白と黒とが逆転した影の世界がそこには広がっていた。
ほんのわずかな、人には感じないほどのかすかな風が紙をほんの少し動かし、影が木漏れ日のようにゆっくりと動く。

中に入った人の影が切り抜かれて出来た影の中に溶け込んで、また違う作品に見えてくる。
自分自身の影が作品の中に入り込んでいる感じ。

森の中にいるような静かな落ち着きに満ちた不思議な空間・・・

東京谷中のSCAI THE BATH HOUSE塩保朋子の個展があると聞いてCosが飛んでいったのは当然かもしれない。

この不思議な空間にもう一度入り込むことが出来るのだから。

というわけでいってきたBATH HOUSE。
思っていたとおり切り抜かれた大きな紙がお風呂屋さんの高い天井いっぱいまでの高さで下げられている。
数え切れないほどの切り込み・・・形も一様ではないけれど、どれもごく小さな切抜きでそばによって見ないと切り抜かれていることも分からない。
膨大な時間と労力の産物なのだが、生まれ出てきたものは不思議で優雅な異空間・・・・

今回は切り抜いた紙だけではなく、無数の穴を空けた(貫通しているとは限らないのだけど)作品などもあってそれはそれでまた違った世界のオブジェに見える。

塩保朋子展は
東京谷中のSCAI THE BATH HOUSEで2008年9月27日まで。


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THE BATH HOUSEの入り口は確かに風呂屋の入り口・・・・中の写真は取ってくることが出来ないのが残念だけど、雰囲気は伝わるかな。

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2008.09.20

Still/Motion・・・変化の芸術

美術館の映像展示は難しい。
それぞれの展示室でいろいろな作品を同時にやっているから、同じ作品をゆっくりと座って最初から最後まで見ることは少なくて、ほとんどの場合途中からちょっと見てよければそのままじっくりと、たいしたことがないと思えばそのまま次の展示室へ。

時間的に短い作品ならちょっと待って最初から見てみようと思うけれど、長い作品だと今どこをやっているかわからないし、待ってみようとか、終わる時間にあわせてもう一度来ようという気にはなかなかなれなくなる。

どれほどよい作品なのか見てみないと分からないけれど、30分、40分とは待てないのが今のCos。
こういう数多くの作品を一挙に展示するときには3分から5分ぐらいが手ごろなのかもしれない。

それでも動きのある映像を見るのには結構時間がかかった
STILL/MOTION 液晶絵画」展
2008年08月23日 ~ 2008年10月13日
東京都写真美術館

こうした動きのある作品はじっくり見るもの、なんとなく見続ければいいもの、そこにあることが楽しめればいいものに分かれるのかもしれない。


01gomi01森村泰昌「フェルメール研究」はじっくりと見る、(映像以外の展示物もあって)細部まで見るものの典型かな。

ビデオ自体はそんなに長い時間ではないけれど、一枚の絵から生まれ出てくる森村泰昌のストーリーがいい。
フェルメールらしい光はどうやって生まれてきたのか、その光の当て方、女性の動き、どれをとっても説得力がある。
ぜひ一度オリジナルを見てみたいものだ。

彼が作ったセットの中にはさりげなくカメラがおいてあったりして森村らしい楽しさがある。
フェルメールは未来から来たタイムトラベラーだ、彼の絵画の描き方は写真のようだという話があるのを思い出す。


一枚の絵画から広がる夢・・・・彼の夢を共有する時間がそこには生まれている。


なんとなく見続ければいいもの・・・実際にはこれがほとんどのような気がする。
サム・テイラーの時間軸に沿って腐りつつある果物、「スティルライフ」(迫力は「リトルデス」のほうがあったけれど・・・)
時間はかかる(時間がかかるから、ソファかなんかに座ってのんびりしているといいはずなんだけどなぁ)けれど、
イヴ・サスマン 「浮上するフェルガス」
チウ・アンション 「新山海経・二」
なんかはワイン片手に見たいなぁ・・・

そして、おしゃべりをしながら、本を読みながら、食事をしながら見たいのが

ジュリアン・オピー イヴニング・ドレスの女
千住博 水の森 
ミロスワフ・バウカ BlueGasEyes
(主張の強い順・・・)

ジュリアン・オビーは近代美術館で日本八景が展示されているし、「ジュリアン・オビー展」が水戸芸術館で2008年10月5日までやっている。見に行きたいけれど遠いからなぁ・・・

千住博は絵自体の感じがとてもよくて、正に液晶に描かれた絵画という感じ。調べてみると日本画家らしい。彼の作品も見てみたい。

ミロスワフ・バウカは発想の面白さ。ありふれたものにもう一度目を向けている感じ。そこには主張はあまり感じられないけれど楽しい。

彼を見ているうちに何かフラッシュで作ってみたくなったことは否定できないが、作る元気がないなぁ・・・・

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2008.09.11

けとばし山のおてんば

「けとばし山のおてんば」とその名前を聞いただけで「行くしかない」

というわけでいってきた松涛美術館。

Img_9809
松涛美術館の入り口は入るのにちょっと躊躇したくなる感じで好きなのだが、渋谷の駅からちょっと距離があることと、Cosが見たいような展示が少ないのであまり行ったことはないのが残念。

今回のこの大道あやは埼玉近代美術館で先日見てきた丸木スマの娘さん。
(美術館の入り口にも「丸木スマの作品はありません」とわざわざ断ってあった。
親子だけあってというべきなのか、感性が似通っているということなのか、作風がとても似ている。

展示を見てみると、本人もかなり意識していたようで、絵としては母親よりもうまいのだが、母親の自由奔放さは感じられなくて、どこか萎縮した部分があるような木もしてくる。

おそらく大道あやの絵だけ見たらそうは感じなかったんだろうけれど、つい先月見た丸木スマとどうしても比較してしまう。

母親の影響を脱して、美術展に応募するような絵を描くのをやめてから書いた絵本の絵はそうした萎縮した感じがなくてとてもいい感じだった。

この絵本・・・「こどものとも」で見慣れた絵だったからだろうか。どこと泣く懐かしい感じさえした。

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「しかけ花火」。
画面いっぱいに描かれた花火なのだが、どことなく・・・・

花火のわくわく感があまり感じられないような気がするのはCosだけかな。

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2008.08.25

身近な自然

(書いたつもりだったのにちゃんとアップしなかったらしくて消えてしまった_| ̄|● )

今森光彦の2つ目は東京駅大丸の
里山
2008年8月14日(木)→9月1日(月)

棚田にしても、滋賀でなければ存在しないということはないし、琵琶湖の景色を除けばどの写真もどこででも見られそうな感じがする。

どこにでもある身近な自然が生き生きときれいに描かれている。
きれいというだけじゃなくて、撮った人の愛着も映し出されている。

ここにも昆虫はいるけれど、あくまで主役は里山。
ひたすらきれいに美を追い求めたというかんじかもしれない。

どこにでもありそうな身近な里山だからこそ、守っていく・・・あるいは将来を託していく場所なんだと感じさせるような写真。

ここでも小さなものが大切にされている。
リンク先のページにあるツユクサの上のてんとう虫、林の中の木の根元の山おやじ、
いいなぁ・・・

Cosもうちの近所で探してみたくなる。

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深い自然

そして最後は新宿のエプサイト、「神様の森 伊勢」へ。
2008年9月7日まで

おそらく内容もここが一番地味だろうと思うけれど、一番自然が近かったような感じ。

人の手が入らない(入れない)森の倒木の上の実生のヒノキ。
ひとつ間違えばごちゃごちゃするだけど垂れ下がったつる(?)
土が少なくてむき出しになった根。

そんな中で湿気に満ちた森を謳歌するカタツムリ・・・

ひとつ間違うとただごちゃごちゃしただけの写真になりそうなのに、神秘さを漂わせた森・・・人の立ち入りを拒絶しているかのような自然のままの森がそこにはあった。


写真の良さというものについては今でもCosには分からないけれど、森の神秘さ、森に対する畏敬の念が伝わってくるような気がしてきた。


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Img_9349
今回、この3つの会場を回ってスタンプならぬプリントを集めると抽選で写真集が当たるというので、Cosもしっかりプリントを集めてきた。∥^O^∥
ついでに今回のパンフレットが欲しかったのでエプサイトの会員にもなったし(無料だから)・・・・

ただし、Cosの取る写真はプリントアウトしないんだけどなぁ・・・


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2008.08.24

小さな自然

2008年8月17日に終わってしまった「昆虫4億年の旅」を皮切りに3つの今森光彦の写真展を見てきた。

子どものころ、「シートン動物記」と「ファーブル昆虫記」を何度となく読んだCosとしては「昆虫」と聞いただけではずすわけには行かなくなる∥^O^∥

もちろん、子供向けの昆虫展はよほどのことがないと行かないけれど、「昆虫4億年」はそういう子供向けのものとはまったく違うし、このチラシを見たとたんに「これは絶対に行く、この人の写真は知っている」と思ったのだ。

もちろん、夏休みだから子どもに受けるような内容になっていて、世界の昆虫の擬態の写真もあって、それはそれで楽しかったし、自然の不思議、進化の巧みさが感じられた。

ただ、それは写真としてのよさというよりも「昆虫のもつよさ」という感じ・・・今森光彦かどうかはあんまり意識することもなかった。

「誰が取った写真?」と最初に感じたのは「オオフンコロガシ」の西洋梨型の糞玉!!
しかもファーブル昆虫記にあった挿絵と同じ卵の入った糞玉を二つに切って中の卵を写真にとっているではないか・・・
ファーブルがイラストにしたのと同じ写真を撮る・・・・
間違いなくこの写真を撮った人はファーブル昆虫記に熱中した一人に違いない。

たくさんの擬態の「すごい!」写真の中に並んだ派手なところの何もないフンコロガシの写真。
Art innのこのページにあります)
派手なところは何もないけれど、そこには子どものころからのあこがれが現実になった瞬間の写真なのだ。

きっとこの人は昆虫が好きというよりも昆虫がいとおしいのだろうなぁ・・・

そして身近な昆虫の写真のコーナーに移動したときには、どうしてこんな風に撮れるんだろうと思うほどに情感のこもった写真。

大事な大事な昆虫達、はっぱたち・・・そして自然。
小さな虫の世界が等身大の世界に見えてきて、彼らもまたCosたちと同じ生きとし生けるものの一員だというメッセージが伝わってきた。

鮮明に映し出されたありのおしりのとげ、耕運機のほんの一滴の油ののなかで死んでしまったトンボ。画面いっぱいのかまきりの三角形の顔・・・

どこにでもいる昆虫達のいる小さな自然が等身大の世界になって見る人の前に広がっている。

草むらはジャングルだし、昆虫達はその中では大切な主役の一人。
Cosはそんな会場の最後にあったくずの森の中のトンボとオンブバッタの写真が好きだ。

・・・それにしても、彼は昆虫のスケッチもうまいのだ・・・写真だけでもすごいと思うのにスケッチまでも・・・


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2008.08.21

なんて顔してるの?

「始まったばかりだからまだそんな煮込んでいないだろう」という甘い予測を持って、友達から分けてもらった前売り券を握り締め(7枚セットの前売りの一枚で、本当に握り締めてくしゃくしゃにしたら友達に殺されかねないが・・・)上野の都美術館「フェルメール展」へ。

甘かった。

しっかり混んでいて入場に10分まち_| ̄|●
中も結構な人で最初のほうは4列目ぐらいから鑑賞・・・∥>_<∥

ただ、フェルメールのところは一枚ずつ離して展示してあるからか、それなりにしっかり見ることが出来た。

以前、「牛乳を注ぐ女」を見たときにはそんなに感じなかったんだけど、今回何枚もじっくり鑑賞してみて、光の不思議さきれいさには確かにその通りだけど、一人一人の表情をじっくり見てみんな一体全体なんていう顔をしているんだろうとびっくりしてしまった。

チラッとみるとそんなにびっくりするような表情をしているわけではないのに、細かいところまで見ているとその感情の動きが手に取るように・・・表面的にはどうという顔をしているわけではないのに・・・伝わってくる。

写真では決して伝わってこないその表情・・・・どうして伝わってくるんだろう?

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2008.08.20

旅の楽しみ

といってもCosが旅をしてきたという話ではない。
(もちろん、旅はしたい!! 一人かあるいは・・・でも基本的に人に合わせるのが嫌いだから誰でもいいわけじゃない・・・)

2008年8月31日まで国立歴史博物館で「旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-」を見てきたのだ。
徒歩旅行である江戸の旅も公務である参勤交代はせっせと歩いたけれど、追い狭い理に代表される物見遊山のたびは道中も(たいへんなんだろうけれど)あっちへ行ったりこっちへ行ったり、その土地土地のおいしいものを食べたり・・・

なんというタイトルの本多か忘れてしまったのが悔しいけれど、江戸時代の旅行案内の中には各地の名産品・・・もちろん食べ物・・・が次から次へと紹介されている本があった。

旅行へいってその土地のおいしいものを食べようとするのは今も昔も代わりがないのかもしれない。
旅のガイドブックに食べ物やさんが満載されているのは日本のひとつの文化なのかもしれない・・・

当時の旅行者の小遣い帳も展示されていて、一泊がおよそ48文、お昼ごはんが一人12文ぐらい、難所の川の渡し賃が40文・・・なんて書いてあって、この金額でいったい何をどう食べたんだろうかとか、どんなところに泊まったんだろうかとか金額と品目を見ているだけでも楽しくなってくる。

雨が降ったから同じところに泊まっていたり・・・
(実際にはのんきではなかったんだろうけど)のんびりと旅行を楽しんでいるように思えてきてとてもうらやましかった。

「東海道・中山道・甲州街道図屏風」には3本の道が同時に描かれていて、今の地名と見比べると面白かった。
中には「やぶ」なんていう記載もあって、旅行をした人が難儀したんだろうなぁ
なんて思わされるものもあった。

明治時代になって全国に鉄道が走るようになると、今と余り変わらないような時刻表があったり、名所案内、温泉案内のガイドブックを田山花袋が書いていたりして、当時と今とでは実はそんなに変わっていないのかもしれないと思ってみたりもした。

旅行・・・移動のための旅行ではなく、旅行を楽しむための旅行もいいなぁ・・
ざんねんながらCosには各地の名産品を食べるのは怖いものがあるけれど・・・

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2008.08.18

エッシャーを見ると・・・

佐倉市立美術館で「エッシャー展 永遠なる迷宮」
平成20年(2008年)8月1日(金)~9月23日(火・祝)
を見てきた。
エッシャーは東京に来るたびに見ているし、以前ハウステンボスに行ったときにも見たからどうでもいいような気がしていたのだが、やはり見に行くと刺激されて・・・・

20080818_2

こんなものを作ってしまった∥^O^∥
といっても今日やったのは二つの正四面体を重ね合わせて回転させることだけ。
真ん中に球をくりぬいて・・・なんて思っているけれど、いつになることやら・・・

二つの正四面体

横に回転するときのコマ数はもっと増やしたほうがいいし、出っ張ったところを切りとった立体も回転させているのだが、見ているだけでは何をしているのか分からない。
少しずつ切り取るのはどうすればいいのか・・・

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2008.08.10

のうがく鑑賞会

アート系の友達が、金沢へ行ったときから熱中し始めて、怠け者のCosと違って本を買い込んでしっかり事前学習までして今日という日になったのだが・・・

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「のうがく」といっても「農学」ではなく「能楽」なのだ・・・
どう考えてもCosにはハイレベルすぎるのだが、「夏休み親子のための」というサブタイトルも着いていることだし、子供向けのやさしい演目だから何とかなるかと一緒に千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。

最初にお話があって、能楽の舞台のかたちについてのはなしなどがあって面白かった。
舞台の前のほうが下がっているとか、
下の写真にある橋掛かりの3本の松は舞台に近いほうから高い順に並んでいるとか・・・

しかも椅子の前の席の背には「字幕」用のディスプレイがあって舞台で何をしゃべっているのか(うたっているのか)が一目瞭然だったりする。
Img_8951

この写真の四角いところにその字幕が出てくるのだ。
「英語」「日本語」「子ども」向けのものがあって、省略は多いけれど、子供用のものは内容が一番分かりやすかった(爆)

狂言は
今日の町ではうだつが上がらないので東に下ろうとしているやぶ医者のところに、間違えて空から落ちて腰を痛めたかみなりが藪医者に治療をしてもらうという「神鳴」
「ぴっかりぴっかり」とか「ぐわらり、ぐわらり」といった擬音がとても面白かった。
擬音を楽しむというのがずいぶんと昔からあるんだと感心してみたり、
普通は敬語でよぶときには「雷様」となるのに狂言の中では「お神鳴」とは言うのに「さま」をつけないのがとても不思議だったりした。

能は
「小鍛冶」
稲荷明神の助けを借りて刀を打つという刀鍛冶の話。
一つ一つの動きがすべて様式化されているかのようにも見える舞台。
今回は男性役ばかりだから華やかな衣装はなかったけれど、稲荷明神の衣装の見事さ
謡の人たちだけではなくて、太鼓や鼓の人たちの掛け声もまた音楽の一部になっている面白さを堪能してきた・・・
といえるといいのだが、実際には動きがなくなると・・・・まぶたが重くなってくる。
後ろの席からはいびきが聞こえてくるし・・・

というものの、やはり実物は面白いので、次は大人向けのを見ようということになった(Cosも反対はしなかったのだ・・・)

ちょっと眠くなって落ちちゃった面々は次回はどこまで起きていられるかが勝負どころになりそうだ
∥xx;∥☆\(--メ)
Img_8966

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2008.08.02

青春のロシア・アヴァンギャルド

描かれている絵を見ているだけで、新しい未来に向かっての希望を描いている時代、圧制の中で許された表現形式を守りながらの時代、
どちらも平和で安穏とした生活からは無縁の時代。

「青春のロシア・アヴァンギャルド」
渋谷でbunkamura2008.08.17まで

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力強く引かれた線や色、激しい想いが伝わってくるような気がする。

歴史的な流れと対応させながら見ていると面白い。

が、共産主義の時代になって抽象的な表現が禁止されたり、(他のところで見た時に知ったことだけど)笑顔さえもが弱さの現われとみなされたり・・・・
たとえどれほど立派な時代であっても、政治が心の中まで入り込もうとする社会であって欲しくはないな。

今、虫歯の治療中で歯の調子が今ひとつよくない(治療を始めるまでは痛くもなんともなかったのに・・・)こともあって元気がないからかもしれないけれど、なんだかとても疲れる作品が多かったような気がする。
戦う元気を出せといわれているようで・・・

きっと元気なときだったらそれはそれでいいんだろうけれど・・・

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2008.07.21

実線主義

ある程度の出来は期待していたけれど、どうしても見たいというほどではなかったのだが、この一言で「見たい」と思った。

asahi.com(朝日新聞社):「ポニョとの約束守り、子どもを祝福」宮崎駿監督が語る - 文化.

「ほら、この水平線なんて、いびつな鉛筆書きの線をそのまま残してある。今回、スタッフの間で、我々は“実線主義”を貫く、なんて言い合いました。従来の日本アニメなら髪だけ動かしていたものを、顔全体を一コマ一コマ手で書いていった。すると、今まで感じられなかった息づかいのようなものが生まれたんです」

この「一つ一つを人の手で描いた」という柔らかさは今のところどうやってもCGでは表現できない(だろうと思う)。
前の記事のムットーニの人形も、一つ一つムットーニさんの手作りだから彼の人間性がそこには出ているからこそ人形が生きている。

大量生産のリカちゃんなどには決して表れない表情がそこにはある。

この映画にももしかしたらそれがあるのかもしれない。

CGは否定しないし、Cos自身だってコンピュータを使って作ったものを使って授業をしていたりする。
そこには手で描き得ない正確さと細かさが存在する。
それはそれですばらしいことだし、Cosが子どものころにはありえなかったことだ。
コンピュータを使うことで数学のあり方も変わりつつある。

が、今のところそこにあるのは「厳密さ」であっていろいろな思いのこもった感情ではない。
絵や写真にはその人の人となりが写し出されるけれど、今のところグラフにはそういうものは感じられない。
(グラフをどう組み合わせて何を表現するかで想いのこもったグラフなんていうのもありそうだけど・・・)

そうした「想い」が表現されているアニメであるのなら、どうしても見てみたい。

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2008.07.20

ムットーニTHE DIARY OF WINGS

手で作られた人形はほんのちょっとしたことでその表情を、その感情を豊かに変えるのはCGでは表現できないことのひとつだろう。

一つ一つ作られた人形を自動機械というよりは現代のからくりとでも言うべき電子制御によtって、その人形の世界を見せてくれるのがムットーニ。

今の時代からはちょっと古びた感じのする人形たちが演じるひとつのストーリーの世界はどこか遠い、それでいてごく身近なものにも思える。

ムットーニ オフィシャルウェブサイト / 自動カラクリお話し玉手箱のムットーニ.

展覧会タイトル THE DIARY OF WINGS 場所: ケンジ タキ ギャラリー 東京都新宿区西新宿3-18-2-102  tel 03-3378-6051

会期 2008年7月10日(木)ー 8月8日(金)
12:00 ー 19:00
日・月・祝 休

5人の人形と一冊の手帳の織り成すかたまってしまった孤独の瞬間と希望。
同じ人形の孤独と悲しみの表情が希望へと変わる不思議さ。

そう広くはない部屋の6つの台の上に置かれた人形たち、音楽とともに順にスポットライトを浴びて主役になる。
音楽にはどこの言葉とも分からないようなせりふがついていて、それがまた遠いような近いような世界を感じさせる。


ラッキーなことにムットーニさんがいらしていて、口上つきで2回も見ることが出来てしまった。
ムットーニさんの口上がないときに見るのと彼の口上を聴きながら診るのとでは作品の雰囲気がまるっきり変わってしまうことも多いので、口上なしのものをぜひ見たいな。

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会場のケンジ タキ ギャラリーは入り口がちょっと分かりにくい。
Cosもこの入り口のところに立ってしばらく「場所はここでいいはずだが・・住所はあっているし・・」・・・
(展示してあるものを考えれば当たり前だけど)ガラス越しにカーテンが引かれていてちょっと見ただけでは入ってはいけないような感じすらする。
「ご自由にお入りください」と確かに書いてあるけれど、ドアを開けてはいるのはとても不安。
「いいのかなぁ」と思いながら会場に入った。
入るとそこはムットーニの世界になっていてその世界に再開できたことがとてもうれしかった。

会場の外から撮った写真を見てみるとやはり同じような感じがする。
写し出された外の景色、ガラス、カーテンが孤独を感じさせるように見えるのは「DIARY OF WINGS」を見たからなのかな。

ガラス越しに入っていく空間が希望だとすればガラス越しに閉ざされている空間が孤独なんだなぁ・・

You Tobeにあるムットーニさんの作品の出てくるコマーシャルを「続きを読む」におきました。

続きを読む "ムットーニTHE DIARY OF WINGS"

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2008.07.17

虹は水のないところには出来ない

考えてみれば当たり前だけど、

水の星地球だからこそ虹が生まれるのだ。
そしてその虹は同じように見えてはいるけれど一人一人違う虹で常に自分がその中心にいる。
地面さえなければ自分が中心の円になっている虹・・・

今まで気づかなかった当たり前のことに感動した『
高砂淳二 「虹の星」
会場: コニカミノルタプラザ
スケジュール: 2008年07月02日 ~ 2008年07月22日 15:00
住所: 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
電話: 03-3225-5001 ファックス: 03-3225-0800

滝に現れた円形の大きな虹の写真、
虹は確かに円の一部だと感じさせてくれた写真。

地平線近くに沈もうとする太陽によって出来る赤い虹。

「虹」は何度となく見たことがあるけれど、一つ一つの写真がとても新鮮だった。

虹の根元に埋まっているという宝を見つけに虹を追いかけたくなるような写真・・・でも羊は何も感じずにのどかに草を食べている・・・

小さな虹のブロッケン現象・・・

何よりも感動的だったのが夜の虹。
星の輝く夜空にかかった虹は想像したことのない世界。
写真だから、地面が明るく写し出され、虹の上の夜空は夜の空として映し出されいて、まるで浮世絵の夜の景色のようだ。
実際にはどんな風に見えるんだろう・・・

ハワイでは祝福だといわれる夜の虹・・・Cosはまだ見たことがない。
満月の夜、大きな滝に行けば見られるのだろうか・・・
月の光で出来た虹・・・考えただけでも幻想的な世界・・・
いつの日にか見ることが出来るといいなぁ・・・


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2008.07.15

ザウリの白を見つめる

国立近代美術館で2008年8月3日までの「カルロ・ザウリ展

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陶芸には詳しくないので、「カルロ・ザウリ」の名前には惹かれていった美術展。「白」という言葉からは純白をイメージしていたのだが、ザウリの白は純白という意味の白ではなく、1200度という高温で焼くときに使う釉薬がザウリの白らしい。

作られた作品は真っ白なのではなく、白の中に色のある不思議な感覚。

初期の作品には「壺」とか「皿」とかといった名前がついているのだが、
「壺といえば壺だけどつぼとして使うわけじゃないよなぁ・・・」という感じの作品。
このころの作品はストーンウエアといわれるものらしい。これも高温で焼いている作品。
まだまだ具象の世界という感じかな。

そして「ザウリの白」


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写真を見ただけでは陰影があることぐらいしかわからないけれど、実際にじっくりと見るとその表面のかたちにあわせて白い釉薬が白い色を放っている部分、ほとんど白が乗っていない部分があって深みのある白の世界になっている。

こればかりは写真で見てもその面白さは伝わってこない。

東山魁夷のときにも感じたことだけど、今回も会場の使い方のうまさが光っていた。

最初はごく普通の展示なのだけれど、大きな部屋に入ったとたんにまるで無造作に置かれたかのような作品がいくつか台の上に飾られている。

ほとんど床と同じ高さに置かれたもの、テーブルの高さに置かれたもの・・・
広い(すごく広いわけじゃないけれど)部屋にゆったりと飾られた作品はちょっと見たところきちんと飾ったというよりはどことなく雑然とした感じもしていたりするのだが、実は一つ一つの作品にあわせて高さを調節してある。

床に置かれた球体はどの角度からも見ることが出来るし・・・・

テーブルぐらいの高さの台の上におかれた白の中に赤が隠れている「形態のうねり」はCosのお気に入りの一品になった。

こうした作品を炉の中で焼いてそれを取り出すときがザウリにとっての最高の瞬間なんだろうな。
炉の中から出てきた作品と見つめあう・・・まるで恋人とのまなざしを交わすかのように・・・

絵や彫刻と違って焼いてみるまではどんな仕上がりになるのか、思い通りになっているのかどうかは分からないわけだし、出来上がった作品をはじめて見つめるときの一瞬・・・

それがどんなものであれ、その何物にも変えがたい瞬間・・・・
幸せな一瞬・・・・

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2008.06.22

美術館で数学談義!

今日から多摩美術大学美術館で新しい展示が始まるのでついふらふらと美術館に吸い寄せられたCos。
絵画のコスモロジー」2008年7月20日まで

さすがに雨の日だけあって美術館の中にはほとんど人もいない。

橋本倫・黒須信雄・小山利枝子の三人の絵。
あいまいさを許さずに
かっちりと書き込まれた鮮やかな色彩の橋本倫、
雲のような波間のような羊の原毛のようなでも立体感にあふれる黒須信雄、
4m×3mぐらいはありそうな大きなキャンバスいっぱいの「光--誕生」はその大きさと迫力に圧倒された。

会場の奥へ行くと、小山利枝子の描いたたくさんの花のスケッチ、この花のエッセンスを取り出してそのイメージを画面に描き出したのだということがよくわかるような作品も何点かかけられていた。

さらに奥には橋本倫の展示資料がガラスケースの中にあったのだが・・・・そこで見たものは・・・若き日の橋本の数学のノート。
微分して曲線の性質を調べてグラフを描いている。
今だったら、このレベルのグラフはMathematicaを使わなくてもGRAPESを使えばあっさり描けてしまう・・・
かつてはCosもこうやって悪戦苦闘してグラフを描いたりしていたのだ∥^O^∥
そんなことを思ったり、式を確認したりしていたら・・・
「関心がおありですか?」
と声をかけられた。

いろいろとはなしをしてみると数学に対する造詣がとても深い方・・・
代数幾何学(おそらく楕円関数論的なほうじゃないかな?)に詳しい方らしい。
数学の話、絵を描く人と数学の話、アーベルの書いた論文の話、ポアンカレ予想を解決した論文の話・・・Cosには太刀打ちできない・・・∥>_<∥

写真やCGでは決して描き得ない「絵」の感性の話・・・・

数学をやっていた人たちが美術の世界に入っていく話(逆は余りなさそうだけど)や関数模型を撮った杉本博司・・・

多摩美術大学では数学の授業もあるのだとか・・・曲線や曲面の持つ、数学の持つ美しさを考える可能性を秘めているんだろうなぁ・・・どんな勉強をしているのだろう?


よもや美術館で数学の話をすることがあるなんて思いもしなかっただけにとても新鮮で楽しいひと時だった。

またどこかでお目にかかれると面白いけれど、どうかな?

ただ・・・時間がなくなってしまって十分に絵を見てこれなかったのが心残りかな。
ま、近いうちにもう一度行って来よう。


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2008.06.06

数学は美術だ?

友達が出品するというので「現展」を国立新美術館に見に行ってきた。

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公募展ということで普段見に行く美術展とは違っていろんな人が描いているのがそれなりに面白い。
素人のCosが見ても「これはいいなぁ」というのは数点あったけれど、「絵が上手」というだけの範疇の人も少なくない。(さすがにCosが見ても下手だと思うようなのはほとんどないが・・・)

展示されている作品の数も半端じゃないから、会場をぐるっと回るだけで見飽きるほどなのだが、今回はこんなのも・・・

Img_8566
しかもこれは絵じゃなくてポスターなのだ。

確かに数学とアートは近い・・・何よりもCosが両方好きなんだからそれは間違いないけれど、美術展を見に行って数学教室と出会うとは夢にも思わなかった\∥^O^∥/

で、筑波大学数学系のwebページを見に行ったら、この雰囲気そのままのトップページでとてもうれしくなってしまった。

「You are always welcome !」こういうところでCosもまた勉強したいなぁ・・・
(もう頭が付いていかないだろうけど・・・_| ̄|●)

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2008.06.05

岡崎紀展

この人が有名なのかどうか、今までにこの人の絵を見たことがあるのかどうか・・・・なんとなく見たことがあるような気はするけれど、名前までは覚えていないことは確か。

Cosの家からは比較的行きやすいところにある多摩美術大学美術館は美大の付属だけあって面白いものをやっていることが多い。

なぜだか分からないけれど、なんとなくちょっと入りづらい雰囲気はあるものの中に入ると静かでゆっくりと美術を楽しむことが出来る空間になっているのがうれしい。

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今回の岡崎紀展もそんな美術展のひとつ。
しかも、今回は無料・・・\∥^O^∥/
見たければ何度でも気楽にいけるというありがたさ。

最初は日曜日に買い物のついで(!)にふらっと寄ったのだが、さすがにオープニングだけあって、この美術館にしては人が多くのんびりと見ることが出来なかったので、日を改めてもう一度。

下の階には若いころの作品、上の階には最近の作品が展示されている。
さすがに若いころの作品は鋭い感じがする。
「浮いた風景」というタイトルでいくつかの絵を組み合わせているかのような作品をいくつも出しているのだが、この中で赤を背景に海の波の上に浮いている風景(2枚組み?)がとてもよかった。

ここにあるチラシの左上の絵だけれど、期間が終わると見られなくなってしまうのだろうなぁ・・・残念・・・

でも、一番気に入ったのは上の階にあった最新の作品。

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実際の絵はずっと大きくて伸びやかな広がりと奥行きを感じさせる。
画面の中を吹き渡る風が木々を揺らしている。

下の階の絵の持つ緊張感に比べて、落ち着きと平和が感じられて音楽を聴きながらワインを傾けながらのんびりと見ていたいような絵。

どこかの収蔵品か何かになればまた見るチャンスもあるのだろうけれど、そうでなければCosなどにはもうお目にかかれないのだろうなぁ・・・
(カタログが販売されているんだから、カタログを買えばいいんだけど・・・・はがきなら間違いなく買うんだけど・・・)

そう思うと会期中にもう一度ぐらい行って置きたい気もする。
18時までやっているから仕事の帰りにいけるといいなぁ・・・・

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2008.06.03

人生は冒険だ

いくつになっても遊び心を忘れない・・・大人として威厳よりも自由な発想を大切に・・・
そんな想いが伝わってくるような横尾忠則展
世田谷美術館で2008年6月15日まで

見に行く前には「横尾忠則」というとやることが派手でどことなくいいとは思えなかったのだが、実際に見てみると(もともと自由な発想をする人だとは思っていたけど)思っていた以上に遊び心があって自由な人だった。

その自由さが・・・性に対する自由さが「子どもにはふさわしくない」とされたのだろう。

東京新聞:『児童に不向き、過激』 横尾展の鑑賞教室中止 世田谷区教委 :社会(TOKYO Web).

 東京都世田谷区の世田谷美術館で開催中の画家横尾忠則さん(71)の企画展をめぐり、教員から「教育上、子どもに好ましくない」との声が上がり、区教育委員会が地元小学生向けの美術鑑賞教室を急きょ中止したことが分かった。横尾さん側には事前に知らされておらず、区教委へ抗議する事態になっている。

 この企画展は「冒険王・横尾忠則」と題し、四月十九日から六月十五日まで開催。「平凡パンチ」の挿絵をはじめポスターや絵画など約七百点が展示されている。

 鑑賞教室は一九八六年の開館と同時に区教委が始めた。今回予定されていた鑑賞教室は、同館が一月に区内の小学校に対して説明会を開き、二月に二十二校の小学四年生の受け入れを決定。今月十四日からの実施に向けて準備を整えていた。

 企画展には血の付いたナイフを持つ少年や半裸の女性など性を描いた作品も含まれ、区教委によると、下見をした教員から「小学生にふさわしくない」「過激すぎる」といった意見が出た。このため、校長会の意向を受けて四月末、鑑賞教室の中止を決めた。だが、横尾さんや同館には事前に相談しなかったという。

実際に見てみると過激かどうかは別として、絵の一部分だけを切り取って眺めると「小学生にはふさわしくない」とある意味で頭の固い人たちにとってはかんじられるのだろうと思う。

特に今のような職場はと昔ながらの道徳観、性に対する意識がそのまま通用している世界だから、こういう意見が出てくるのも分からないでもない。

それを何よりも象徴しているのが看板の前で(自分も裸の癖に)そっぽを向いているこの女性。

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うがった見方をすると横尾忠則の自由さ自体が受け入れがたいのかもしれない。

(全部とはいわないけれど)まじめそうな絵の中にも、そのシリアスさを突き崩すようなものがさりげなく書かれていて、どの絵もどこか斜に構えた感じがする。
その部分がCosなどから見ると「いいなぁ」と思えるのだが、そう思えない人もいるんだろうなぁ・・・

何よりもこれを見ているうちにCosも「もっと自由に羽ばたきたい」と思い始めたことだし。

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2008.05.29

ガラパゴスだ、ビーグル号だ、ダーウィンだ

動物に関心があればそのなを知らない人はいないだろうと思うダーウィン
国立科学博物館のダーウィン展(2008年6月22日まで)を楽しんできた。

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子どものころから知っているダーウィンともなるとさすがにその業績で知らないことはほとんどなく、純粋に展示を楽しんでくることが出来て\∥^O^∥/

なんといっても会場に入った途端に目に入った、「進化論以前の動物の分類」はほほえましくて見ているだけでうれしくなる。
「ノアの箱舟」に乗れなかった動物たちの化石・・・も楽しい。
進化論が生まれるのは時間の問題だった時代、必ずしもダーウィンでなくてもよかったのだけど、「ビーグル号航海記」の存在が「種の起源」をダーウィンのものにしたのだ。

ビーグル号のコーナーでは船の中を模した通路につけられた丸窓からは海面が上下する様子が映っていて、ちょっと船の中にいるような感じ。
(結果としては)無給で5年間ビーグル号に乗り込むというのは考えてみるとすごいことだし、収集した品々はすごい荷物だっただろうに、船に積んで帰ってきたのだろうなぁ。

子どものころ、ビーグル号航海記を読んだか読もうとしたかの記憶が少し残っている。
ちょっと読んでみて面白くなかったという記憶なのだ∥^O^∥

大人になった今もう一度読んでみるとまた違うのかな?

ガラパゴス島のコーナーではゾウガメとイグアナが動物園から出張してきていた。
こういうのがあるとその場から動けなくなるσ∥>_<∥
ちょうどゾウガメの給餌の時間と重なったので、元気よく食べるさまをじっくりと見てきてしまった∥^O^∥

結局種の起源でもなければビーグル号航海記でもなく見終わったその足で動物園に行ってしまったのは自然な行動?

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2008.05.25

要求する写真

Cosには写真のよしあしはよくわからないのだけれど、ちょっと面白そうだと思っていたら「アレ、ブレ、ボケの世界を味わってきてください」と友達に言われ、行けば「写真のよさとは何か」を見ることが出来るような気がした森山大道
東京都写真美術館で2008年6月29日まで

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展示は3Fと2Fに分かれていて別々に見るようになっている。
最初に見たのが3Fの「Ⅰ.レトロスペクティヴ1965-2005」

ここに「アレ、ブレ、ボケ」の世界があるはずなのだが・・・・いや、確かにそういう写真がたくさんあったのだが・・・・
それはあくまで写真知る人たちにとっての話。

写真を知らないCosにとってはそれ以上に、写真から伝わってくるもののインパクトの強さに驚いてしまった。

Cosにとって写真というのはそこにあるものをあるがままに写し出すものというイメージが強いのだが、「あるがまま」からかけ離れた写真・・そこにあるものが何であるにせよ、そこからは明確な意思を持ってこちらに何かを要求していたりする。

おそらく被写体がそういう要求を持っていたはずもなく、森山大道の要求なんだろう。
でも何を要求されているのか、こちらをどこに追い詰めようとしているのか見定めることが出来ないジレンマで写真にしばし向かい合ってしまう。

見ているうちにふとムンクの絵を思い出した(リンク先は美術館ではありません。西洋美術館や東京新聞のサイトからは内容が伝わってこないので)。

ムンクは愛と死の世界に人をいざなったけれど、この森山大道は絶望への決意に対する判断を要求しているような気がした。
「受け入れるもよし、逃げ出すのもよし・・・決めるのはお前だ」という感じかな。

そうやって最も人を追い詰めるのが犬の町の
(リンク先のアートスケープの記事も面白いです)

この写真は多分どこかの本か雑誌で見たことがあるのだが、その印象はあまりに違う。
絵ならば実物と印刷との違いが理解できるけれど、写真でもその差が大きいことを展覧会を見に行くたびに痛感させられる。

重く苦しい気分になって考え込みながら2Fの「Ⅱ.ハワイ」へ行くとそこはまるっきり別世界。
入り口を入ってすぐの天井まである大きなプリントは写真の向こう側まで続く一本の道。
天井から空へと続いて行きそうな雄大さは、こちらの気分も大きくゆったりとさせてくれる。

3Fと違って新しく撮った写真だからか一枚一枚の写真が大きく伸びやかな感じがする。
どの写真もこちらに何かを要求するのではなく、「こうなんだよ、こうだったんだよ」と語りかけてくる感じ。

3Fから2Fで苦悩するストリートカメラマンから苦悩がふっきれたカメラマンへ。
「解脱」という言葉がふさわしいような気がする。
あっ、もちろんCosが解脱できたわけではなく、そんな雰囲気というだけ。
Cosはといえば相変わらずあっちへこっちへとじたばたしてどっちへ進んでも誤った道しかないという八方塞(笑)

のびやかな「ハワイ」という土地のなせる業もあるのかもしれない。

会場の中にたった3枚あるカラー写真。
何を撮ったのかその色彩だけしか分からないけれど、新しい世界がそこにはあるんだなという感じかな。

Cosには難しくてよくわからない部分も多かったし、かなり要求されたものも多いので その要求を改めてみてみたい気がする・・・・
それにしてもCosに要求されているのはいったい何なんだろう?

会期を考えると時間的には厳しいけれど、もう一度見てみるとまた違った見方が出来そうな気がしてならない。


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2008.05.23

夏空に誘われて

あまりに気持ちのいい気候だったので、バラの花を見に庭園美術館へ・・・・

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といっても実際には「オールドノリタケと懐かしの洋食器」を見てきたのだが、こういう瀟洒な食器はCosには似合わない。
Cosが自分で欲しいとしたらシンプルであっさりとした物がいいなぁ・・・
なんて思いながらぐるっと見てきた。
さすがに「優雅な食器」ということでたくさんの女性が連れ立ってやってきていて、皆さん声高におしゃべりしながら見ている。
おしゃべりでうるさいのは職場だけで十分なので、そういう環境からはどうも逃げ出したいという気持ちも働いて、そそくさと見終わってしまったのかもしれない。
もったいなかったかも。

で、今日のお目当てはバラ。
庭園美術館の庭のバラはちょっと面白いつくりになっている。
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残念ながら花は少なかった(秋のバラだったような気もしてきた・・・)けれど、このかたち、子どものころ読んだ「不思議の国のアリス」の中でトランプの兵隊たちがペンキを塗っている木の挿絵によく似ている。
(今ではほとんどみられないけれど、こういう仕立て方が昔ははやっていたそうだときいた。)
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ちょっと雑然とした東京の街から離れてゆったりとした庭園に咲いたバラ。トランプの兵隊がやってきても不思議はないような環境・・・\∥^O^∥/

残念ながら今回は期待したほど花はなかったけれど、トランプの兵隊たちが色を塗ったような真っ赤な大輪のバラ・・・

ルネッサンスの時代にはこの赤いバラが性的な象徴でもあったのだと聞いたけれど、バラの赤はやっぱりいいなぁ・・・黒いほどに赤いバラがいいなぁ

小さな子どもを連れた人が何組かいたけれど、それがまた、いかにも庭園らしい感じがしてよかった。

庭園を楽しんだ後は初夏を楽しむために隣の自然教育園へ。

木々の間からこぼれる初夏の日差しがとてもいい。
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木の葉越しの光が輝いている道を
ああやって手を取り合って歩いている二人を見ると年齢を問わずにうらやましい。

さすがに初夏の日差しが暑くてまるで夏のような気がしたからか、なんとなく「ナンバンギセル」の花が最低そうな気がして水生植物園に行ってみたけれど、さすがにあれは夏の花、まだまだ陰も形もなかった∥^O^∥

この後、東京都写真美術館へ歩いていくつもりだったので、あまりあちこちを回らずにぐるっと一周。
何しろ自然教育園を心まで歩くと結構疲れるのだ∥^O^∥

出口(あるいは入り口)のところにある教育管理棟ではかわせみの巣の中にカメラを置いてライブ中継をしていた。
親ガスの中の雛たちにやるえさの量が突然減って3日ぐらいすると巣立ちの季節なのだという。もうそろそろ巣立ちらしい。

思わずしばし見とれてしまった。
巣の中の雛なんて、早々見られるものじゃないし・・・

が、この後もう一軒回るので、早々長い時間見ているわけにも行かず、適当なところで切り上げたけど、もっと見て痛かったなぁ・・・


自然教育園の中のさわやかな散歩と違って、目黒の町は日差しが強くてさわやかというよりも暑かったのが残念。
それでも電車に乗るよりはさわやかだったかも・・・

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2008.05.19

ビオソフィア イカロスを夢見て

鳥類学者がイカロスを夢見ていたのかどうかはらないけれど、その鳥への思い入れはイカロスの名前を思い起こさせる。

昨日で終わってしまった
東京大学創立130周年記念特別展示
鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展
会期末のぎりぎりになって行ってきた。

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タイで作られた信仰の対象にもなっている鶏なのだそうだ。プラスチック製などの張りぼてではなく、コンクリート製だという。

会場に入ると真っ先に目に付くのが現代美術・・・プランクーシの「空間の鳥」・・・その姿はとりでもなければ羽でもないけれど、自由に空を飛び回る姿を感じさせる。
その瞬間に「博物館」から「鳥へのあこがれ」へ

最初の部屋には絶滅した鳥たちの遺物などが並び、ハンス・アルプの版画の詩集「われらの鳥たちについて」、レオナルド・ダビンチの「鳥の飛翔について」が飾ってある。

この部屋はまさに博物学とアートの出会い。

進んでいくと鳥たちの剥製がガラスケースに入って飾られている。
が、自由に飛ぶ鳥たちを箱の中にしまっているとはいえ、あたかも自由を思い出すかのように、高さを変え、間隔を変え・・・・彼らは本来自由であったのだ・・・・

なんといっても感動的だったのは赤で統一された「鳥類学者の部屋」床も壁も柔らかな感じのする布の赤。ちょっと暗い部屋の中にはたくさんの引き出しの着いたたんすがあり、本棚があり天井近くまで鳥の絵が飾られている。
ここは19世紀の鳥類学者の部屋、という想定なのかもしれない。
引き出しの中には仮剥製と呼ばれる体をまっすぐ細く伸ばしたかたちで剥製にされた鳥たちがぎっしりと並んでいる。この剥製たちはその美しさをめでられるためでなく、研究されるために並べられているのだ。

この部屋で過去の研究者に想いをはせるのはとても楽しかった。
何しろ、「鳥」の展示のはずなのにウエブスターの辞書までが展示してあるのである。
床からの高さのある書見台の上におかれた辞書・・・この重い辞書はこうやって使ったのかな。

そこから出ると真っ白な部屋。
そのコントラストも印象的だった。
しかも真っ白な部屋には家禽である鶏の展示。
これはガラスケースではなく、真っ白な棚に置かれている。
一番上では床までの高さでも足りない尾が真っ白な棚の最下団にまで流れている尾長鳥。
こうした家禽も保存が難しくなってきているのだという。

そして最後が博物学陳列場。
ここは今までの斬新な展示と違ってスタイルは昔ながらの科学博物館のような感じの展示。

Cosなどには馴染み深い展示でどこか心休まる。

今回の展示は博物学とアートの融合というだけではなく、

「鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展 東京大学総合研究博物館.

展示デザインに関するミュージアム・テクノロジー(博物館工学)の研究成果も併せて公開します。自然誌と文化誌、学術標本とアートワークの新しい融合展示、モバイル・ミュージアムとしての展開が可能な実験的展示モジュール、レプリカの活用法、さらには空間構成、ライティング、グラフィックなど、ミュージアム展示における各種の先端的な試みを集大成します。

というだけあって展示がとても面白かった。
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帰ろうとするとさっきの鳥たちが帰る人を名残惜しげ(?)に見ていた。

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2008.05.10

西洋版画の世界

考えてみるとすごく当たり前なんだけど、写真が生まれる前は画像データを大量に扱うために版画があったということが版画に対する見方をちょっとかえたような気がする。

埼玉県立近代美術館の

「いとも美しき西洋版画の世界-紙片の小宇宙を彷徨(さまよ)う」
2008年4月5日(土)~5月18日(日)
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名前は明かされていないけれど、一人のコレクターが50年間に集めた版画たち。絵画に比べて手を出しやすい版画だけれど、やっぱりよほどの財力なんだろうなぁ・・

とりあえず、(Cosの中では)多面体で有名なデューラーの作品から・・・・
幾何学的な構図があるのかなぁとおもったけれど、今回出品されているものの中にはそういうものがなかった気がするのがちょっと残念だったけれど、それ以外は予想すらしなかったほど面白かった。

ちょうどちょっと前にウルビーノのヴィーナスを見たときに解説していただいた官能に対する表現が、ここにも表れていることに気がついた。
絵画の場合と違って、(今から考えると慎ましやかだが)露骨な表現も使っていたりして、分かりやすかったかもしれない。

今の版画ではなくて、古い形の西洋版画に対する関心は阿部謹也の本の挿絵から始まったような気がする。緻密に線で表現された世界がそこにはあって、中世の人たちの想いが見えているようにも思われた。

それと同じような世界がここには開かれている。
ブリューゲルの「7つの大罪」の中に現れるいろいろな生き物たち・・・「罪」といいながらもそれがまた楽しそうなのだ。

そして、カロの緻密さ。
写真のない時代の写真の代わりともいえるのがこの人の版画かな。

彼の聖アントニウスの誘惑の中に出てくる鳥のような生き物が展示のマスコットにも使われていた。
(この鳥のくちばしがどこに突っ込まれているのかを思うとこの企画を立てた人はユーモアがあるんだなぁと思わずにはいられない。

比較的近い時代のものになるとCosの好きな作家たちのものも多くなってきて、それはそれで面白かった。

おそらくは絵画よりも密接に人々の暮らしに結びついていた版画だからこそ、不思議な生き物が出てきたり、風刺に使われたりというより身近な表現になるんだろうなぁ・・・・

わざわざ埼玉まで出かけていくだけの価値のある展示だった。
(夏には八王子夢美術館にも来るらしいが・・・きっといくだろうなぁ・・・)

デューラーの幾何学は見ることが出来なかったけれど、帰りに
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「放物線は相似である」の手ごろな教材を見つけてきた∥^O^∥

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2008.05.09

海へのあこがれ

日本橋の三越で2008年5月11日までやっている
中村征夫写真展
「命めぐる海」-都会の海から聖地の海へ-
を見てきた。

さすがにデパートだけあってかなり混んでいる。
混んでいるところの苦手なCosとしてはそれだけでもあまりいい印象がなかったりするのだが、まあ、仕方がないだろう。

さんご礁に囲まれたジープ島の美しさは何もかも捨てていってしまいたくなるほどだったし、そこにいる魚をはじめとする海中の生き物たちと会うことが出来るなら、ダイビングをやろうかとも思い始めてくる。

子どものころ通っていたスイミングには2mの深さのあるところがあった。
一番そこに潜って上を見上げると何の音も聞こえないし、水面がずっと遠くのほうに見えて普段と違った世界にいるような気がしてくるのがとても好きだった。

プールの中には人間以外の生き物はいないけれど、海の中にはさまざまな生き物がいる。
中村征夫の写真を見ているとそういう生き物に会いたくなってくる。

が、Cosがいいなぁと思ったのは水のにごった東京湾の、そこで一生懸命生きているノリを下側から撮った写真。

それまできれいなさんご礁の海の写真をみてきた目からはにごった水の中で精一杯お日様の光をあびようとしている海苔の姿がとてもけなげに見えた。

こんなにごった水のところにCosたちも生きている・・・・

そんな感じのする写真で、すごくきれいというわけではなかったけれどとてもよかった。

ただ、おそらく今回の写真展はキャプションがテーマでもあるんだろうけれど、写真は写真だけで楽しみたかったかもしれない。
感情を込めずに淡々と解説があれば、そこでまたいろいろと考えたかもしれないのに・・・

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2008.05.05

ティツィアーノのヴィーナス

ルネッサンスの時代のヴィーナスの意味・・・
そんなことを考えながら見ることになった
ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜
2008年5月18日まで

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ヴィーナス自体は神話からとられた題材だけれど、その背景は当時の室内の様子そのものであって、決して神話の世界から持ってきたものではない。

このヴィーナスの表情や体からはいわゆるアガペーではなくエロスを感じさせるものだし、ヴィーナス自体は結婚に際して贈られることがおおかったのだそうだから、こうした絵がどういう目的だったのかは分かるような気がする。

時代とともにヴィーナスが官能的になっていって、このヴィーナスではこの絵を見ている人と視線を合わせている。
実はルネサンスとはそういう時代だったのかもしれない。

なんていうことを思いながら解説を聞いていたらなんとなく当時の人たちの生活の様子が垣間見えるような気がしてきて、面白かった。

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2008.05.01

ジェラルド・ダレルにささげる本

普段、美術展に行っても図録を買うことはまずない。
買った後何回図録を開くのかを考えるとよほどのことがない限り買う価値がCosにとってはないのだ。

が、「本書をジェラルド・ダレルにささげる」という一文を見たとたんに買ってしまったのがこれ。
地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)
地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)

調布市文化会館たづくりで2008年5月18日までやっている「岩合光昭写真展」の写真たち。
彼の撮る野生生物たちはあまりに人間くさくて写真を見ていると「直接あったことはない隣人」という気がしてくる。
一歩間違えば「かわいい動物」でしかないような写真になりかねないのに、どこか動物の持つ厳しさを残して見る人に伝えている。
あくまで「隣人」でありペットではない動物たちの姿は確かにジェラルド・ダレルの動物観とつながるところがある。

本に出ていたり、web状にあったりする小さな写真ではなく、パネルに伸ばされた写真はやはりいい。
彼のサイトに行けばほとんどの写真は見られるような気がするけれど、やはり写真はその大きさも大切。

彼の写真ももっと大きなパネルに伸ばすとかわいらしさが減って彼らの環境の厳しさが伝わってくるんじゃないか
という気もしてくる。


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まなざしの呪縛

そのまなざしが自分の内側のすべてを見透かして、その呪縛のとりこになってしまうとそこから逃れられない。

日本画だというのに、友達が持っているチケットに書かれた女性のまなざしを見たとたんにそんな感じすらした中村岳陵・・・

しかもやっている場所が横須賀・・・

Cosのうちからは決して近くはない場所だ。この前電車で行ったら3時間近くかかってしまったくらいだからそうそう簡単にはいけない。

それでもどうしてもこの目に出遭いたくて・・・その目に見つめられたくて行ってきてしまった。

中村岳陵展
横須賀美術館
2008年4月1日(火)~5月11日(日)

本当にどの絵もとてもいい目をしていた。人間のみならず動物の目までもが、Cosをとりこにして離さない。
チケットにあった貴妃賜浴も白狗も人の心の内側までも見通すかのような、小さな少女までもが同じ目をしている。

この目の鋭さは風景や静物を描いているときにも表れている。
赤く染まる空に黒く映る冬の木を描いた残照・・・先日見た東山魁夷の残照も雄大さがあっていいけれど、絵としてはこっちのほうがCosの好みかも。

爽秋、砂浜・・・たくさんの絵がCosの琴線に触れる。
そこにこちらを見通すような目は描かれていないけれど、凛とした空気が伝わってくる。
(が、こうやって考えてみると人の絵よりもやはり風景画などのほうがすきなんだなぁCos)


Cosを呪縛する目を思いながら・・・
一幅の絵のような横須賀美術館で心を奪われたひと時。


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2008.04.20

これが写真?!

展示室に入って最初の一枚を見たとたんにあまりにも自分の思っていたものと違っていたので自分の頭の中をどう処理していいのか一瞬分からなくなったほどの衝撃。

どうしていいか分からなくなって、ぜんぜん違う次のシリーズの写真から見はじめたり・・・∥^O^∥

「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展
東京都現代美術館で2008年5月6日まで

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東京都写真美術館で写真を見る」という先入観がなければ「これはいい!」の一言ですんでしまったのだろうけれど・・・・

しかも展示の順序が新しいほうから順に・・・つまり、彼が死の直前に死を意識しながら取った写真たちからのスタート。

おそらく写真そのものではなくて加工してあるんだろうし、どうやらジャコメッリはそうした技術に長けていたらしい。

「この憶い出を君たちへ」のシリーズには無表情な彼自身が登場する。鳥のオブジェがあったり不思議な感じの犬がいたりする現実にあってある意味では現実の中にはない夢の中のような世界が写し出されている。

この世を取り巻く「生と死」を撮りつづけたという解説があったけれど、彼がここで描いているのは生でもなければ死でもない、心の内側の世界を現実化して描いたと言う感じがしてならない。


写真と言うものが「真(まこと)を写し出す」ものだとすれば、確かにそのとおりだけど、そこに写し出されているものは彼が作り上げた世界・・・・その意味では写真は彼の芸術を表現する手段でしかないのかもしれない。
写真で何かを表現するのではなく、表現する手段としての写真かもしれない。

写真が少しずつ過去に戻るにつれてその表現はおとなしくなっていくけれど、たとえば人物以外は真っ白にしてしまっていたり(ポスターになっている神学生のシリーズ)、空中から撮った写真に畝を作ってみたりといった加工が随所に施されている。

中には写真のドット(と言う表現があるのかなぁ?)を変えることで写真の雰囲気が一変していたりもする。

このポスターになっている神学生のシリーズでは踊っている神学生たちもいいけれど、生真面目な顔をしている神学生たちからは見えないところで木の幹にへばりついている子猫の写真がCosは好きだ。
この子猫と戯れる神学生の写真もあったけれど・・・・この写真が彼らの将来と若さを象徴しているみたいだった。

黒のカラフルさが彼の写真からは伝わってくる。
その場においてあった印刷した写真集を見たけれど、そこで見る写真と会場で見る写真とでは黒の鮮やかさがまるっきり違うのだ。
生き生きとした黒の中に写真の技術が生きていると言うところなんだろうか。

ピントをずらすことによって夢の世界のような雰囲気を作ったり・・・・

久しぶりに堪能した美術展だった・・・・・

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2008.04.17

異国へのあこがれ:ジャポニズム

ぽっかりとあいた時間を埋めるべく、六本木ミッドタウンへ。

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こういう生け花だとCosも好きなんだけどなぁ・・・
ダイナミックに鮮やかに・・・

と言うわけで行ってきました、サントリー美術館ガレとジャポニズム

実を言うとCosはガレのあの派手派手しさはどうにも好きになれない。今回も「ジャポニズム」の一言がなかったら行かなかったんじゃないかと思う。

ジャポニズム・・・つい先だって見てきた歴博の江戸の展示や府中美術館で見てきた「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」をちょうど反対側から見た感じになっているはず。
日本の人たちがどう見たのか、ヨーロッパの人たちがどう見たのか・・・どちらも異国趣味であり、自分たちにはないものを求めていたと言うことになるんだろうと。

どちらももちろん「日本」があったけれど、その日本のとらえ方がちょっと違うという感じだろうか?
う~む、よくはわからない。

日本にあこがれて、日本人のように美を求めようとしたのがガレなんだろうな。

日本と違ってヨーロッパでは小さな昆虫や爬虫類をめでることはしなかったのだそうだ。
ガレの作品の昆虫やかえるたちはあるときには忌み嫌うべき存在のように、あるときには親しみを込めて描かれている。
なんとなくそれが象徴的かも。
(でもやっぱり好きにはならなかったなぁ・・・)

ついでに帰りには富士フィルムのFUJIFILM SQUAREで「時代を彩る女優展」を見てきたが・・・
こっちも今ひとつだった。
基本的に写真じゃなくて絵でも肖像画などの人を描いたのが好きでないこともあるし・・・
美女が好きでないわけじゃないけれど、「これだ」と言う感じの写真がなかったのは残念。


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2008.04.16

見に行くんだろうなぁ・・・

人寄せパンダ、二匹めか三匹目のどじょうとわかっていても見に行くんだろうなぁ・・・σ∥>_<∥

奈良・興福寺の阿修羅像 来年、東京・福岡で公開.

 奈良・興福寺が所蔵する国宝の阿修羅像が、来年3月から東京・上野の東京国立博物館で、同7月から福岡県太宰府市の九州国立博物館で、朝日新聞社などが主催する展覧会に出展されることが決まった。興福寺の創建1300年を記念し、奈良時代の天平文化の仏教美術を中心に紹介する特別展。阿修羅像が東京で公開されるのは約半世紀ぶり、九州では初めてとなる。

奈良からこういう仏像を持ってくればそれだけで人が集まるからいいんだろうけれど・・・・なんかなぁ・・・・
薬師寺展も、確かにいい物を持ってきているのかもしれないけれど・・・

なんとなく、安易に仏像を持ってくればそれで人が集まるから・・・なんていう気もしてこないではない。
う~む・・・

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2008.04.13

コレクションの新地平

4月のこの時期は忙しくて都心まで出かけるなんてとんでもないのだが、友達の
「でもザオ・ウォーキーだよ」の一言で、ブリジストン美術館へ。

「コレクションの新地平--20世紀美術の息吹--
2008年4月13日までブリジストン美術館

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会場内はこんな感じ

もう少し早く気がついていればもっとのんびりと見ることが出来たのに、時間の余裕がなくてざっと見ることしか出来なかったのが残念。

それでも、クレーをはじめとする好きな作家の作品をいくつも見ることが出来て\∥^O^∥/

ブリジストン美術館に来るといつもたちどまって見る絵の一つにザオ・ウォーキーがいる。


個人的には青はどうも苦手な色なんだけど、彼の青はいい。
(もっと厳しい表情をした人かと思っていたけれど、リンク先を見るとそんなでもない感じだな)

彼の「07.06.85」を見ていると違った世界に入り込んでいくような、自分の存在が無になってしまえるような感じすらした。
(ちょうどそのときに聴いていた曲がケルンコンサートだったのも影響しているだろうけど・・・)

この世のいろいろな想いからはなれて違う世界に入り込んだような・・
そのままそっちの世界に行ってしまいたくなるような・・

まあ、この絵自体は普段からブリジストン美術館の常設展に出ていることが多いので、今回無理に見に来なくてもよかったんだけど、普段まとめてみることがないだけに、やはりZaoの作品がいくつも並んでいるのを見るのはいい。

堂本 尚郎、白髪 一雄、ジャン・デュビュッフェ、カンディンスキー・・・・いいなぁ・・・


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2008.04.10

紅毛のまぼろし

つい先日、歴博で見てきた近世の展示に鎖国の中での長崎の貿易・・・中国、琉球、そしてオランダ。

その同じ時代、オランダと言う国を夢見てあこがれていた人たちがいる。
そしてその「あこがれていた人たち」にまたあこがれているひとたちも・・・

そういうオランダ人(紅毛人?)にあこがれていた江戸の人たち、
明治、大正、昭和になってからそういう時代を夢見た人たちの展示・・・

南蛮の夢、紅毛のまぼろし
府中市美術館で2008年5月11日まで

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一番最初の展示が先代藩主伊達政宗によりメキシコとの公益や宣教師の派遣の依頼などのために派遣された支倉常長。
彼は任務を全うせずに失意のうちに帰国するとそこでは江戸幕府による禁教体制。
持ち帰った数々のものはすべて藩によって厳重に保管されて明治39年の「嘉永以前の西洋輸入品参考品展」間で日の目を見ることがなかったという。

長い間封印されてきた南蛮の記憶は明治末期、大正時代の人にとってはロマンに満ちたものだったのかもしれない。

支倉の絵、彼がわたった西欧の様子などの絵がそのころにいろいろと描かれたらしい。

仙台で長い間封印され続けた文化との接点が長崎にあった。

長崎では蘭学とともに絵だけではなく、版画の技法も日本の中に入ってきていた。

ちょうど今歴博のミニ企画でやっている「海を渡った漆器」と同じような螺鈿蒔絵花樹鳥文聖龕があったり、
阿蘭陀婦人や蘭人食事之図を描いたりしてる。歴史的な背景は歴博が面白いかも。

内容も重なる部分が多く、当時の日本の人たちからは隔絶された長崎出島の人たち・・・
彼らの世界にあこがれた江戸時代のごく一部の人たち
その人たちにあこがれたその後の人たち・・・

歴史と文化と芸術が密接に関連してくる・・・・

そして松本華羊の「伴天連お春」 大正5年頃。
実際には吉原の遊女朝妻であったと言われる。
キリシタンであったために処刑されることになったが、せめて桜を見てから刑に処されることを願った最後の姿なのだそうだが、なんとも切ないいい絵になっている。

長崎だけでオランダと交流のあった時代だからこそ伴天連として殉教・・・そうした時代に想いをはせるひと時だった。


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2008.04.09

雨の薬師寺展

雨が降っているのですいているに違いないと期待して行ってきた東京国立博物館の「薬師寺展

Img_8218(写真をとっても人が写らない程度に空いていたということになるかな)

Cosとしてはがらがらを期待していったからそれに比べると混んでいた印象があるけれど、人の頭越しに展示を見る必要がなかったので、東博で空いていると状態はこんなものかもしれない。

(面白かったのは会場内のお客さんは年配のサラリーマン風の人たちが多かった。普段とはかなり違うかも)

どう見ても会場のつくりは「混雑」を前提に作られていたし・・・

日光・月光菩薩像のほかに聖観音菩薩立像が展示されていて、Cosはこっちの表情のほうが好きだった。日光・月光菩薩立像の表情はどこか遠いところにいるような現世とは距離があるような感じだったかもしれない。

聖観音菩薩立像から斜路を登って折り返すと一階分近く高くなった踊り場のようなところから、日光・月光菩薩立像を見ることが出来る。

レオナルド・ダビンチなどのときのように高さを変えてたくさんの人が見ることが出来るようにしているわけだが、対象の仏像が大きいので距離はあるけれど、見上げなくてすむ高さというところだろうか。
正面のかなり暑さのある壁のような手すりにはいくつか穴が開いていて、小さい人、車椅子の人はそこから見ることが出来るのだろうと思う。
顔の高さよりはちょっと低かったけれど、今回は混んでいなくてもこの高さがよかった。
何しろ下から見上げていると首も疲れるし・・・

下に降りて足元の正面から見上げるとどちらもさすがにいい。
美術的な価値というのはCosにはよくわからないし、歴史的価値はもっとよくわからないのだけれど、(首と足が疲れるのを別にすれば)いくらでも見続けていられる感じ。
おそらく一体につき15分ぐらいずつ見ていたかもしれない。さらに首が疲れたのでちょっと戻って高いところからもう一度じっくり。

薬師寺にあるときと違って、横や背後からも見ることが出来るというのが今回の売りのひとつ。
確かに仏像をお寺で見るときにはそういう角度からは見ることが出来ないから貴重な体験。
普段人が見るわけではない後姿もなかなかよかった。

東博の企画展では人が多くてなかなかこうやってじっくり見るのは難しいから雨の中をがんばっていった甲斐があったというところかな。

さらに絵自体は決して大きくないのでたくさんの巨大なパネルで解説してあった吉祥天像。
パネルの大きさからいってもっと大きな絵をなんとなく期待していたのだが、現物は結構小さくて会場が混んでいればチラッと見ることが出来る程度だったに違いない。
さすがにこれは正面からじっくりというのははた迷惑だから横から・・・それでもじっくりと眺めてくることが出来たのはうれしかった。
じっくり見ながらいろいろなことを考えていると奈良時代の人のものの見方が垣間見えたり、吉祥天の表情が妙にリアリティを感じさせたりして面白かった。

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瞬写---水に挑むバシリスク

子どものころから、「水の上を走る方法」として、「右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出せばいい」と散々聞いてきたけれど、それを実践するバシリスク。

以前、映像で診た記憶はあるけれど、どんな表情をしていたのか、どんなトカゲだったのかの記憶はあまりなかった。ただ、「水の上を走るとかげ」としてだけしか。

友達が教えてくれた今回の写真展。

嶋田忠写真展 「瞬写-野生の瞬間を捉える-」 キヤノンサロンS 東京都港区港南2-16-6 キヤノンSタワー 3月28日(金)~5月7日(水) 10:00~17:30 休館日:日曜祝日

ここではバシリスクがその表情もしっかりと見せてくれている。

大きなパネルに伸ばされたふくろうにせよ、かわせみにせよ、そしてバシリスクにせよ、その一瞬をとらえている。

バシリスク 水上を走る忍者トカゲ
バシリスク 水上を走る忍者トカゲ

この本のバシリスクがたたみ一枚分ぐらいの大きさになっているのだ。
彼のこの表情は、これから水にいどもうとするトカゲの決意を見せているかのようにすら見える(実際にはバシリスクにとってはそんなすごいことじゃないのかもしれないけど)

時間に余裕があればもう一度のんびりと見たい。

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2008.04.08

歴博 リニューアルした近世

今回の歴博の目玉はリニューアルした第3展示室「近世」

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ただ、他の展示室では多くが写真撮影が可能なのに、ここはまだリニューアルしたばかりだからか写真撮影は不可。

残念!

Cosのつたない言語表現能力ではその面白さはほとんど伝わらないのではないかと言う気もするし、最初のほうをじっくり見ていたらあっという間に時間はたってしまうし・・・・う~ん・・・

江戸という時代は実は思いのほかに身近な時代。
この時代の影響をいろいろなところで色濃く残している。

何よりも最初に見た江戸の屏風絵は面白かった。
江戸の人たちは地図(あるいいはそれに類したもの)を描いているのに、距離は問題とせずに描いているから、すぐそこに川越があったり、日本橋界隈がとんでもなく広かったりしている。

言い換えるとその時代の人たちの心理的な重みがそこにはしっかり出ている。

その地図(?)の中に鬼子母神や(本郷の)吉祥寺、伝通院を見つけて、うれしくなったり・・・・
一緒に行った友達から、
当時は川越→東京を船で旅行したりもしていたなんていう話を聞いたりしてきた。

長崎のところでは出島の話。
最初のうちは出島の外でも貿易をやっていたけれど次第に出島に限定するようになったとか、
子どものころに習った出島のイメージがどんどん広がる。

そして北海道から琉球を経て輸出された昆布。
(正しくは琉球に輸出かな?)
海を通じてきたから南からつながっていた日本・・・・男鹿に住む友達が京都とロシアを結ぶ航路が男鹿を通っているなんていう話をしていたけれど、それと同じものがこうやって出てきている。

ただ、なんとなく残念だったのはこの辺のところの解説。
何枚ものラミネートシートに解説文があって本のように順に読むようになっているんだけど、一番下の一行の印刷が半分しか出ていない。

気がついてプリントアウトをやり直せばほとんどお金もかからないのに、時間がなかったのかもしれないが、たったそれだけのことで未完成のイメージがあったりする。

未完成と言えば、Cosの見学も未完成。

寺子屋「れきはく」もすごろくと習字をやっているのをチラッと見ただけだし、
自然科学とのかかわりでは算額がちょっと出ているとか、変化朝顔のレプリカが置いてあるとかを確認したにとどまるし、
もっとじっくり見たかった 「『もの』からみる近世」の普段目にすることがないようなヨーロッパ向けの漆器、
細かいところまでもっとよく見たかった日本橋あたりのジオラマ・・・今までの歴博のジオラマに比べて一つ一つが小さく出来ている。見るための望遠鏡(といっていいのか?)はおいてあるけれど、暗いしちょっと見えづらいのが残念。
決まったスペースに出来る限り詰め込んだのかもしれない。

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歴博のミュージアムショップの上の窓からの桜。
ここから見ると一幅の絵になっている。

桜の季節が終わって人が少なくなったらもう一回行って来たいな。

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2008.04.06

リニューアルした川村記念美術館

2008年3月15日リニューアルした川村記念美術館にやっと行ってきた。

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ちょうど桜の季節で桜や菜の花、かたくりがそこここに咲き誇っている自然探索路も魅力だけれど、ここにはCosの好きな絵がいくつもあって、それに再開できるのが一番の楽しみ。

とりあえず中に入ってみると最初の部屋は前と一緒。
ピカソのシルヴェットや藤田嗣治のアンナ・ド・ノアイユの肖像が前と変わらぬ顔をして待っていた。

日本画の部屋も茶室も中庭も前とまったく変わらない。

増設された部分で一番変わったのはロスコルーム。
なんと絵に合わせて部屋を作ってあるのだ。暗い部屋の中は床も真っ黒になっていて赤の暗さが引き立つようになっている。
もともとインパクトの強い部屋だったけれど、今度は(絵に合わせた)変形の7角形の部屋。
包み込まれるような感じすらしてくる。

前もよかったけれど、包み込まれるような・・・たぶん子宮回帰というのだろう・・・暗い赤に包まれて違う世界に入り込んでしまったような・・・・もっとじっくり見たかった。

そこから左右に分かれた階段を登るのだが、この階段が半周した真ん中でひとつになっている。
ひとつになった階段を登りきったところがニューマン・ルーム

ニューマンの鮮やかな赤が真っ白な部屋に輝いている。
絵の両側は天井までの大きな大きなガラス窓になっていてそこから森が見えているが、今日は薄いカーテン越しの森。

白と赤と緑と・・・
こちらは下から上がってくるとものすごい開放感。
「解き放たれた」と言う言葉がふさわしい感じ。

この二つの部屋を見るだけでもここまで来る価値がある。

ニューマンルームから二階の展示に進むとフランク・ステラの大型の作品が「ボン、ボン、ボン」と言う感じで並べてあって、ここもまたゆったりとした感じ。


この常設展を見た後で企画展、「マティスとボナール ―地中海の光の中へ―」
ちょっと見たところ展示室はあまり広くないような感じで「これしかないの?」と思ったりしたのだが・・・
いやいやどうしてどうして・・・

いくつモノテーマに分けてマティスとボナールが交互に並べてある。
二人の作品を見比べながら、あるいは関連を考えながら見ることになるわけだけれど、
「来てよかった」と思うほどの作品はなかったような気がする。

4月5日は講演会があってブリジストン美術館長の島田紀夫氏の「ボナールのパリと地中海」
どうしてこういう絵になったのか、何を目指していたのかといった話を聞くことが出来た。

話を聞いた後で見るとまた違った見方が出来るのだが、ちょっと今日は時間がなくてじっくりともう一回見ることが出来なかったのが残念。

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2008.04.05

ソビエトと言う時代

イリヤ・カバコフ『世界図鑑』-絵本と原画-
2008年2月9日(土)-4月6日(日)
世田谷美術館

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子どものころに見た懐かしい挿絵・・・なのかもしれない。
絵のイメージはとても懐かしいけれど、一つ一つの絵を覚えているわけではないので、カバコフの作品を見ていたのかどうかはわからない。

今のロシアがソビエトだったころ、芸術家に限らず多くの人たちが自分のやりたいことが出来なかった時代だった。
共産主義国家において自分の好きな絵を描くことも出来ず生活のために描いた子どもの絵本の挿絵。

「本の挿絵を描いたのは「私」ではなく「彼」だったのである。たとえ、「彼」が「私」の手で書いたとしても」と言う彼の言葉、「彼」とは編集者であり言い換えると国家権力であり、「挿絵画家の社会的役割」・・・自らの意思で自分の描きたいものを描くのではなく、編集者にいわれたとおりの挿絵を描いていく・・・生活の糧としての挿絵画家・・・

ここでは「非公式芸術家」と言う言葉があるくらいの国・・・

描かれた挿絵はいかにも共産主義の挿絵なのだがじっくり見ると結構シュールだったりする。
そこに彼の思想は生きてはこないのかもしれないけれど、「頑固な地平線」などはなかなか面白かった。
それぞれの本にはそれぞれのエピソードがつけられていて、どんなことを考えながらどんなことをしていたのかといったこともわかって面白い。

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2008.04.04

通路と解きほぐすとき

東京都現代美術館で2008年4月13日まで

先にいった人に聞くと必ずしも評価が高くない「川俣正 通路」

いわゆる美術展ではなく、大勢の人たちによって作られた紅あで仕切られた通路のあちこちに「ラボ」があって、そこでは場合によると今でも進行型のイベントが進められている。
と言う感じの展示だろうか。

おそらくざっと通ってみているだけではそんなに面白くないものなのだろうと思う。

展示の内容も含めて大掛かりな文化祭風という印象を受けた。
内容もどんどん進化しているから、最初のうちに見た人と今見ている人とでは見ているものが違っていることにもなる。

Cosはこのベニヤで仕切った通路がまるで現代の路地のモデルになっているような印象を受けた。

かつてCosが住んでいた四谷には細い路地があちこちにあり、行き止まりのように見えているところの人の家の軒先からまるで、そこのうちの庭にしかつながってないように見える横の通路に入るとそれは実は向こう側の道に抜ける路地だったり、よそのうちの玄関先をひょいと曲がると庭先をかすめて階段の上に出るとか、一見と俺なさそうに見える路地があちこちにあった。

この通路もベニヤで作ってあるけれど、ちょっと似た感じ。
通路を抜けるとそこにはラボがあって人が何かをしていたり展示してあったり、写真があったり。

中庭にはテーブルとベンチがあって、そのベンチではスタッフが寝ていたり・・・

ラボでの展示はアートと言うよりも社会科見学みたいな感じがしてそれなりに面白かった。

それと対照的な『アート』が「解きほぐすとき」
会場である3Fまで登って真っ先に目に飛び込んでくるのが彦坂敏昭
東京都現代美術館:MOT [MOTアニュアル2008 解きほぐすとき].

写真を凹版によって独自の技法で紙に定着させ、そこにあらわれた線をなぞっていく。一度解体された輪郭の一つひとつと対話を繰り返し、選び取っていくことで、独自の世界を生む。

これを赤インクでやったのが燃える家。 ある意味自然に出てくる線が面白い。

そして巨大化してプリントアウトしている高橋万里子の写真。
圧倒的な存在感と違和感が面白かった。

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2008.03.31

建築の記憶

建てられたものはそのままの姿で長い間存在しているはずだから、いつ見ても同じように見えるはず。

建築物に対してはそんな風に感じることが多いのだけど、実際には

東京都庭園美術館「建築の記憶」では

 建てられた地から動かすことのできない建築は、実際にそこを訪れない限り見ることはできません。また様々な理由により形を変えられてしまったり、時代の変化とともに失われてしまうこともあります。したがってわたしたちの建築体験の多くは写真によるものなのです。建築家の意図を的確に反映し、表現してくれる写真により、建築は多くの人々に共有され、歴史の中で普遍化されていきます。そして写真は、時として建築家自身も気づかなかった建築の新たな魅力を引き出してくれることもあります。

なのだそうだ。

建築物を見る、写真を見る、どっちかが主体ではなくその時代その時代に合わせた人の目をとらえていると言うことになるのかな。

どちらもCosにはよくわかっていない分野かもしれない。

「面白いのだろうか?」と疑問に思いながら会場に入ってショックを受けたのは明治初期に撮影された熊本城の写真。

お城の写真と言うと時代の違いはあっても立派な存在感のあるしっかりと立てられている感じのする写真しか見たことがなかったのだが、この熊本城は(記憶違いでなければ最初に撮られたお城の写真だと思うけれど)よく見ると荒れている。

かわらが外れていたり、窓がちゃんとなってなかったり・・・

きれいなもの、立派なもの(人)を撮っておこうというのがほとんどの中で、こんなお城の写真をとっていることがびっくりした。

これをとった人は何を考えてとったのだろう。
「立派なお城をとった」のだろうか。
それとも熊本城に思い入れがあったのだろうか。

たぶん、展示されていたのは最古の写真スタジオ冨重写真所ここに小さく出ている写真が展示されていたのではないかと思うけれど・・・

確かに立派に整備されたお城ではないけれど、その写真を見ているだけで逆にいろいろなことを考えさせられる。

そう思いながら他の写真を見ていると、今はきれいに整備されているところがかつてはどんな風に見えていたのかということも気になってくる。
知らない建築物はもちろんだけれど、知っている建築物を見るときにも自分の見たものとの違いを考えたり、親近感を覚えたり。

最後に見た鈴木理策の撮った「青森県立美術館」の写真。
厚く積もった雪の中の真っ白な建物の印象は強烈。
建築について | 青森県立美術館.

青森県立美術館は、隣の「三内丸山縄文遺跡」の発掘現場から着想を得て、設計されました。

なのだそうだ。

いつか必ず行きたいと思い続けている「三内丸山遺跡」、そのときには合わせてここも行ってみよう。

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2008.03.30

色の深さと多彩さと・・・東山魁夷

ちょっと間隔があいてしまったけれど、東山魁夷展の続き

小学生だったころの写生の時間に図工の先生が「緑といってもいろいろな緑がある」と言う話をしたのに感銘を受けて、絵の具をいろいろと混ぜ合わせて画用紙一面にいろんな緑を載せていったことがある。

先生は「なんだ?これは!」と怒ったのだが、Cosは写生そっちのけで緑にはどんな緑があるんだろうと実験してみたのだった・・・∥^O^∥

そんなCosにとっては東山魁夷の色は色の競演と言う感じがしてとても楽しい。

Ph_11

ここに見えている緑は見えているだけの色ではなく、実際にはあまりに微妙で写真にはでてこない色がたくさん隠れている。

そのいろいろな緑が幻想的な絵の深みを出しているのかもしれない。

が、それよりも感動したのはこれ。
Img_7747

こうやって見るとまるで黒で塗りつぶされたように見える背景、実際に見るとそこには黒で木々が描かれているのだ。
その微妙な黒はチラッと見ただけでは気がつかない。
気がつかないのだけれど、その見えない部分が写真とは違う絵のよさを作り出しているのかもしれない。

真っ暗な中に木々がある。
その木々は暗闇でしかないように思えるけれど、実際には暗闇ではなく、木々の作り出す闇・・・と言う感じだろうか。

繊細な色使い・・・「詩と旋律」・・・確かに。

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2008.03.29

本来あるべきところで・・・東山魁夷

2008年3月29日から5月18日まで東京の国立近代美術館で行われている東山魁夷展。
この中で近代美術館がすごいと思ったのが、唐招提寺障壁画。
もともとふすまに書かれた絵だから展示するときにはそのふすまの部分を持ってきて展示する。

しかし、この絵は唐招提寺の置かれた部屋にあわせて描かれた絵なので本来持っている雰囲気とはかなり違ったのっぺりとしたもになりかねない。
Ph_09

以前、東京藝術大学で見た「金毘羅宮書院の美」もそのための工夫が随所になされていたけれど、その後四国の金刀比羅宮の本来の場所で見たものとはまるっきり違っていた。

そのときの印象は もういちど 書院の美.

応挙のトラのえも芸大で見たときと違ってホームグラウンドに帰ってきたかのような落ち着きとやさしさがって 「これが同じ絵なのか」と思うほど。

ちょうど芸大で展示にかかわった方がいらしていて、
「アクリルガラスで息が詰まっているかのように見えて、ガラスをはずしたとたんにトラがほっとしたように思えた」とのこと。

場所にあわせて作られたものはその場所においてみるのが一番だと言う言葉の通り、一つ一つの襖絵が本来の場所では描いた人の思い通りの効果を生み出している。

どうしてもどこかから持ってきて展示をするとなるとその雰囲気はすっかり変わってしまう。

襖絵は本来どっしりと落ち着いた広い畳の部屋に置かれて座った位置から見るものと思うのだが、なかなか美術館でその雰囲気を出すのは難しい。

Img_7797_3

今回の「東山魁夷展」ではその雰囲気を作り出すのに成功していたように思う。
といっても唐招提寺へ行ってみてきたわけではないから、本当に成功しているのかどうかはわからないけれど、帰りがけにスタッフの方に伺ったら「唐招提寺でよりずっといい展示になっていると思っています」おっしゃっていたほどだからスタッフの方たちも満足できるような展示だったのだろう。

この襖絵は2回に展示してあるのだが、階段を登って展示室に入るとまず気がつくのはそこの新しい畳のにおい。
このにおいであっという間に気持ちが「和室」になってしまう。

ひざぐらいの高さに畳があってその向こう側に絵があるのだが、さすがにたたみに座って鑑賞することは出来ないけれど、まるでお寺で絵を拝見しているような雰囲気がある。
ガラスもないから絵が生き生きとしている。

ひざぐらいの高さのところに台があってその上に畳がひかれその向こう側に「濤声」の一部が展示されている。
圧倒的な畳のにおいと絵に合わせて古びたイメージをかもし出している柱、
これはどれも近代美術館側で作ったのだという。

静かに、襖絵と対峙していろいろな思いをめぐらせることの出来た至福の時間。

写真を見てもわかるとおり、ここで静かに座って待っていれば、向こうから誰かがすっとふすまを開けてどなたかが出てきそうな雰囲気さえある。

その瞬間、それまで調和していた絵が二つに分かれて、そこから新しい時間が始まる・・・

そうした時間を想像することが不可能ではない展示になっていた。

Img_7792
これはその裏側に展示されていた「揚州薫風」

こっちでは全部に畳がひかれているのではなく一部が板の間になっていた。
本来そうなのか、それとも全部にはひかなかっただけなのかはわからないけれど、(ちょっとピンボケではあるけれど)会場の雰囲気は伝わるのではないだろうか。

手前の柵のところに立つと見えるのは畳と壁と柱と襖絵。
普通に見ているだけなら、柱ごと持ってきたのかと思えるほど。
おそらく寺にいてみるのと遜色ないものが見えているのではないだろうか。

今回、プレビューに参加させてもらって一番ありがたかったのはこうした写真・・・美術展の雰囲気を直接伝えることの出来る写真を取らせてもらえたことかもしれない。

Cosなどは文章が決してうまいわけではないからどれほど言葉を尽くしてもその場の雰囲気を伝えることは難しい。

でも、こうやってあれこれ書いて一番書きたいのは、写真では伝わってこない実際の雰囲気、場所の雰囲気のよさだったりする。

Cosは写真もへたくそだからこの写真で絵を見ないで欲しいけれど、その展示の雰囲気の一端が伝わればとてもうれしい。

そうしてこういう機会を作ってくださった方々に感謝m∥_ _∥m

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2008.03.28

あこがれとせつなさと・・・東山魁夷

今日という日だったから余計そう感じたのかもしれない・・・
抽選で当たったので夕方からのプレビューで見学してきた「東山魁夷展

彼の緑や青の色使いがちょっと不思議な奥行きのあるような色に見えたし、以前から好きだったので大喜びで行ってみたのだが、さすがに100名限定のプレビューだけあって人も少なく1時間半と言う制限はあったもののじっくりと見てくることが出来た。

Img_7752

きっと明日のオープンからは混んでいるだろうなぁ・・・

以前はそんなに好きだと思わなかったのだけど、今回ぐっと来たのがこの白い馬のいる風景。
Ph_11

東山魁夷自身はこの馬を

東山にとって「心の願い、祈り」であるという白馬は、

と心の願い、祈りと表現しているけれど、確かに願いであり祈りであるけれど、Cosにとっては今にも手が届きそうなのに、決して手が届かないあこがれとせつなさ、かなわぬ望みを体現しているように、今日は見えた。

幻想的な風景の中に馬がいることによっていろいろな感情が呼び覚まされるような気さえした。

彼の描く色はこうやって写真にしてしまうとその深さ、奥行きが見えてこないけれど、実際の絵の中ではどの青も単純な青でなく、どの緑も単純な緑ではない。
それがまた、近くて遠い幻想的な世界を現してせつなさをいっそう深めているような気がする。

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2008.03.27

レアンドロのプール

金沢21世紀美術館のレアンドロのプール。

こんな風に水面を見ていると大洋のきらめきと人の影で本当に水中にいるような気がしてくる。


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2008.03.25

真夜中の太陽

横浜美術館に行ったら当然「イサム・ノグチ」・・・

Img_7583

こんなにシンプルな形なのにCosをとらえて離さない「真夜中の太陽」
誰にでも作れそうな形なのにどうしてそんなにいいんだろう?

ここには何点かイサムの作品が展示されている。
真夜中の太陽ほどインパクトのある作品は他にないけれど、いかにも彼らしい作品が並ぶ。
他のところでも彼に会えるとうれしいけれど、横浜美術館に行く目的の一つがいつもこれ。

今回のコレクション展「見ることの楽しみ--見れば、見るほど--」にはエッシャーやエルンスト、好きな作家が何人も出ていて\∥^O^∥/
のんびりゆっくり見ていたら・・・あっという間に時間がすぎて他のところにはどこにもいけずに大急ぎで帰宅・・・
_| ̄|●

せっかく桜木町まで行ったのになぁ・・・

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ゴス展

「ゴス」といっても今流行のファッションとしてだけの「ゴス」ではなく、もともとはゴシック様式などのゴシックから生まれてきた言葉。
どちらかと言うとイメージとしてはいわゆるゴシック小説の持っているおどろおどろしたものを表現していると言う感じかな。
Img_7580


2008年3月26日まで横浜美術館で。

日本で「ゴス展」と言うだけあってゴスロリのかかわる展示もあったし、それはそれで面白かったけれど、なんといってもCosの一番の目的は束芋

この人の作品は巨大なスクリーンに何台ものプロジェクタを使って大きなひとつの映像を投影すると言う形がおおい。
今回は直径5mぐらい(かな?)の円形のスクリーンを天井から下げてそのスクリーンの中に入って上を見上げるかたち。

手の指が、足の指になり、無限に変形し続ける「ギニョる」

現実を離れて自分自身がどこか別のところに行ってしまったかのように感じる、その感覚が好きだ。
本人はそう感じていないのかもしれないけれど、ちょっとカフカの世界を具象化したような気がする。
(これはゴシック小説よりもずっと後の時代の小説だけど)

後の展示についてはゴスロリに関心がないのでほとんど期待しなかったんだけど、Dr.ラクラも面白かった。
古い肖像写真に手を入れて骸骨を書き込んだり、浮世絵に書き込んだり、昆虫を使って人の顔を表現したりの不気味さはジョージマクドナルドのリリス(今流行のエヴァのリリスじゃなくて、幻想文学。
古い図書室で本と本の間に挟まっていた一冊の薄い羊皮紙の本から始まるアダムの最初の妻にかかわる話。

あるいはC.S.ルイスの「沈別世界物語」の3部作の不気味さとも共通するものがある。

イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッター」の映像。
立てられたスクリーンのほかに、床に敷き詰められた角砂糖に投影されている白い部屋の裸の赤ちゃん、ごくありふれたまだ動けない赤ちゃんが床の上にいるだけの映像なのだけれど、なんだかすごく不思議な印象があった。
立てられたスクリーンでは両側にそれぞれ異なった映像が投影されていて、それはそれで面白かったんだけど・・・

ゴスロリも(わざわざそのために横浜まで行こうとは思わないけれど)なかなか面白かった。
おそらくCosとは相容れない世界なんだろうけれど。

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2008.03.22

プールの底で

飛行機の中から見た雪山・・・

そこへ行きたいと思ったけれどそれはかなわぬ夢にしかならないのかも。
というわけで海の底に沈む代わりにプールの底から空を見てきた。

Img_7082

プールの底からは何人もの人たちがこっちを見ているのがプールの水越しに見えた。
「一人でプールの底に沈む」・・・・それはそれでいいなぁ・・・・

金沢21世紀美術館・・・ずっと長い間来たかったところ。
ひょんなことから友達と一緒にくることになったのだ。


Img_7111

上から見るとこんな感じ。

このほかに「タレルの部屋」に、昼と夜の2回いってきたがとてもよかった。
写真は
「続きを読む」から。

続きを読む "プールの底で"

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2008.03.21

金沢21世紀美術館への旅(1)

いつかは行きたい美術館のひとつだった「金沢21世紀美術館」に行ってきた。

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この本を読んだときから、「必ずいつかはいこう」と思い続けてきたのだが、なかなかそのチャンスが訪れなかった。

何よりもお金がない。行くことがあるとしても、夜行のバスで行って夜行のバスで帰ってくるような行きかたでないとまず無理だと思い続けてきた。それでも交通費だけで2万円近くかかる。
なかなか実行するだけの余裕もチャンスもないままだったのだが、
「金沢21世紀美術館に行く」と言う美術の好みがとてもよく似ている友達と一緒に互いの懸案だった金沢21世紀美術館に行くことにした。
それも飛行機で一泊2日の旅・・・・費用はバスで行ってくるのとほとんど変わらないのだ。

美術館に人と行くのはなかなか難しい。
美術の分野では好みと言うよりも感性が違う人と一緒に行くと結果的に「一人で来ればよかった」と思うことになりかねない。
「どうしても見たい」と言う内容でなければ別にそれはそれでかまわないのだが、ずっとあこがれ続けてきたところではやはり満足できるような見方をしたい。
それが一緒に体験できる友達がいると言うのは本当にありがたいことだ。
特に、「旅行」となると一人で行くと割高だからありがたいと言う面もあるのかもしれないが・・・


と言うわけで「金沢へ行く」ではなく、「金沢21世紀美術館に行く」・・・・

が、そこは珍道中・・・しょっぱなから寝坊したCos_| ̄|●
目が覚めたのがリムジンバスの出発する時間・・・・
前の晩に余計な物思いにふけって寝られなくなったのが敗因・・・

リムジンバスは道路を走るので事故があったときのことを考えると早めに出ないとと考えていたのが幸いして、まだ電車に乗っていっても間に合う時間。
当然荷物の再チェックなどをせずに一目散に駅へ。

途中で「遅れます」とメールをしたら「一台飛行機を遅らせようか?」とみんなにすっかり心配させてしまった。
が間に合う時間に無事に羽田に着いて他の人たちと合流。
とりあえずおにぎりを買って朝ごはん。

飛行機の中からはCosの好きな雪をかぶった山々が見えて来た。
雪山の世界・・・これも行ってみたいところのひとつ。・・・雪山のふところに抱かれたくなって・・・金沢なんかやめて飛び降りたくなってしまった(爆)

小松空港に着くと早く行きたくてまっしぐらに「特急金沢行き」のバスに・・・・・

金沢駅で乗り換えたバスで「香林坊」まで行ってからちょっと歩くのだが、この途中で午後予約してある能楽美術館を発見して、気はせいていたけれどにちょっと寄り道。
3時半からの体験イベントの予約を確認。
そのときに「安宅コレクション」のチケットを持ってくれば入館料が無料になることも聞いてみんな大喜び・・・・
美術館で体験教室に参加すると言うのに無料で済ませようというのだ・・・う~む・・・

Img_7016

が時計を見るとそろそろランチタイム・・・ロッカールームに荷物を置くと近くのレストランで昼食・・・・

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金沢21世紀美術館の旅(粟津潔)

最初は 「荒野のグラフィズム:粟津潔展」へ。多彩な粟津潔の作品は好きなものもあれば好きじゃないものもあるけれど、全体としてはシルクスクリーンになっていたりポスターだったりする作品が好きだ。

中でも線で描かれた作品群はシュタイナーのフォルメルンにも似た感じがしている。まるで絵のバウムクーヘンのように一枚一枚を剥ぎ取っていってつなげたかのような感じ。

先日のテレビにも出ていた「ピアノ炎上」
テレビで見ていたときにはそんなにいいとは思わなかったけれど実際に21世紀美術館で昭和48年のものが上映されているのを見るとまるでピアノに対するレクイエムのような感じすらした。
燃えていくピアノと音は必ずしも同期していない。
音が映像を追いかけているから崩れ落ちてしまった後も燃えるピアノのかすかな音、鍵盤をたたく音が響き渡っている。

この「ピアノ炎上」がもう一度海岸で公演された。


中日新聞:炎上ピアノ 志賀で弾く 山下洋輔さん、あす :石川(CHUNICHI Web).

 一九七三(昭和四十八)年、山下さんはグラフィックデザイナー粟津潔さんに頼まれ、粟津さん宅で消防士のヘルメットをかぶり燃えるピアノを演奏。その姿を粟津さんが16ミリカメラで収めた実験映像「ピアノ炎上」は、芸術作品として残された。

 三十五年後の今年二月十七日、山下さんは21世紀美術館の関連企画「ピアノ再炎上」で当時の映像と共演。「だれもやらなかったある芸術表現を獲得したのではないか。一体何であったのか。これはもうあらためて確かめるしかない」との思いを抱いたという。

このときの映像

何も知らずに話だけを聞いたときにはピアノがかわいそうにも思えたのだが・・・


そして、Cosがほれてしまったのは「花札想」シリーズ。
なんともいえずにセクシーでしばらくの間その前から動けなくなってしまった。
このはがきが欲しいと思ったのだが、結局売ってなかったのが残念。


やっぱりすごい人だ。

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金沢21世紀美術館の旅(安宅コレクション)

大阪から里帰りしてきていると言う安宅コレクション。
大阪へ行けばもっといい状態で見ることが出来るのがわかっていることもあって、あまり期待をしていなかったこともあるし、人があまりに多すぎたこともあるけれど、ざぁっと見ただけで終わってしまった。

せっかくやっているんだから見ていこうという気持ちと本拠地で見ればもっといいんだからという気持ちのせめぎあいだったのかも知れない。

でもやはり金沢21世紀美術館では現代美術がいいなぁ


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金沢21世紀美術館の旅(デザインギャラリー)

Cosたちが行ったときには金沢21世紀美術館のデザインギャラリーは「大巻伸嗣 Liminal Air-descend-2007」
だった

Img_7131

たくさんの(数千本だそうだ)真っ白な紐の下がった空間の中で紐をかき分けて進んでいくと底ではもはや距離感も何もわからなくなってしまいそうな空間。
まっすぐ進めば、理屈ではその先に壁があるのだが、それさえ見えはしない。

距離感を失って、白い紐の世界をまるでさんご礁を泳ぐクマノミになったような気分で歩き回る。
さほど広くない空間だから、迷子になる心配はないのだが、自分の位置を見失ってしまってとても不安。

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金沢21世紀美術館の旅(タレルの部屋)

金沢21世紀美術館のスイミングプールは前にアップしているので、今回は「タレルの部屋」

このタレルの部屋と同じようなものは夏に行った香川の地中美術館にもあったけれど、こっちの方が部屋も広く天井も高くゆったりとした感じ。

Img_7185

四方の壁はベンチになっていてそこから空を見上げるようになっている。
ここは床暖房ならぬベンチ暖房になっていて、くりぬいてある天井から外気が入ってきて寒くても、おしりと背中は温かいように出来ているのだ。

ぼんやりと座って天井を眺めていると空では雲が同じように漂うように流れていく。
切り取られた空なんだけど、逆に切り取られることで、すぐそこにあるかのような気がしてくる。

何人かの人がいたけれど、声を出して話をするでもなく、みんなが空を見上げていた。
満ち足りた平和な空間。

金沢21世紀美術館は有料ゾーンは18:00までだけど無料ゾーンは22:00まで開いている。

「ナイト・ミュージアム」を楽しむことが出来るのだ。

無料ゾーンとはいえ、タレルの部屋が空いているかどうかは疑問だったし、そんなに星も出ていない夜だったので、空を見上げてもあまり面白くはなさそうに見えたけれど、どんな風に見えるのかちょっとのぞいてみることにした。

確かに星はほとんど見えなかったけれど、切り取られた夜空には明るく輝く月。

写真にしてしまうと小さな明かりにしか見えないけれど、実際にはもっと大きく感じたし、もっと身近に見えた。

Img_7240

真っ暗な空の中で輝く月。
いつもは手の届かない月がこのときばかりは手を伸ばせば届きそうなほどの近さだった。
本当に手が届いたらどんなにいいだろう・・・・

ここにいたのはCosたちだけ。
静かに歌っている友達の声だけが聞こえていた。

至福のひと時に感謝。


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金沢21世紀美術館の旅(隣の能楽美術館)

金沢21世紀美術館の隣にある小さな能楽美術館

ここに21世紀美術館を見ている途中で抜け出して見学し、その後また21世紀美術館に戻って18:00まで展示を楽しんだので、21世紀美術館の旅のひとつとして記事にしておこう。

なぜ中抜けで能楽美術館に行ったか・・・

第一、誰がどう考えたって「能楽」なんてCosとは無縁世界。
今までに一度しか見たことがなくて、当然のように面白いとは思わなかったんだから・・・・

が、金沢へ行ったらどこへ行こうなんていう話をしながらあっちこっち検索していたらこの能楽美術館を見つけた。


ここ数年、
「知らないもの、好きじゃないものであっても、ついでがあれば『よい』とされているものは積極的に見よう」
と思いながらあちこちを見ているので、もともと関心のない「能楽」も関心がないからこそ見ておきたいかもしれないと思ったのだ。

で、もう少し調べて見つけたのがこれ。

金沢能楽美術館「能楽体験」   3月のご案内

能装束や能面、能楽の楽器などの体験ができます。

3月は2回しかやらないのに、そのうちの一回がCosたちが金沢へ行くその日。
一緒に行く友達に「こんなのがあるけどどう?」
と聞いてみたらいつの間にか友達がしっかり予約しておいてくれたのだ。

予約の取れた時間が3時半。それから30分ぐらいの予定で能装束を着たり楽器に触ってみたりすることになった。

実際に行ってみると21世紀美術館と敷地を接しているところにあったので、中抜けをして能体験をしてきたのだ。

Img_7184

時間になってCosたちが行くと通されたのは3回の研修室(のようなところ)ここで能の練習をしたりもするそうなのだ。

着せてもらったのはここに映っている衣装ではないけれど、同じような唐織の衣装。
(この写真に写っている方がいろいろと教えてくださったし、本当に親切にしていただいた。感謝m∥_ _∥m )

能の着付けは一人では出来ず、二人がかり。
実際の能の場合にも二人がかりで着せるのだと言う。着せてもらう本人はじっとたって待っているだけ。

普段の服の上から、袖のない巨大な半襟のような形をした白い下に着る着物(の一部)をまず身につけてから唐織の着物を着る。

この唐織は文様が最初から織り込んであってちょっと帯のような感じのする生地で二人がかりで、でも一本の紐だけで着せ付ける。

服装によって役柄が決まってくるけれど、ここではこの若い女性の形のみ。

さらに着付けがすんだら、能面をつける。
この能面に対してはつける前に一礼をしてからつけるのだそうだ。
Img_7169

部屋の反対側には4つの柱のある舞台を模してあって、そこで歩いてみたりもした。
どんな風に歩くのか、
能面にあいた小さな穴からどんな風に見て、どうやって行動するのかなんていう話も楽しく聞かせていただいた。

能装束は重く、視界が狭いので舞台も広く見えるのだという。


そして最後に小鼓、大鼓、大太鼓を実際にたたいてみた。

Img_7182

小鼓は締めてある紐を緩めたり引き絞ったりすることで音色が変わるし、
実際の大鼓は使う前に火であぶってから使い、一つの大鼓は2回ないし3回買い使うともはや使い物にならなくなるとか・・・だから小鼓よりもずっと甲高い音になる・・・不思議だ・・・

大太鼓は普通の打ち方のほかに返しを使って打つやり方(名前忘れた)があってなかなかたたくのは難しいとか・・・

いろいろな話をたくさん伺って「ありがとうございました」とお礼を言って時計を見たら・・・・・なんと1時間以上・・・
次の方がいらっしゃらなかったのでよかったけれど・・・・・本当にありがとうございました。

体験が終わったあとはゆっくりと館内を見学。

ちょうど「加賀宝生の名品選3」をやっていて、いろいろな能装束を見ることが出来た。
今、実際に見てきた唐織、刺繍・・・
いかに着たときにきれいに見せるのか・・・・いろいろな植物がすそに飾られているものもあったりしておもしろかった。
実際に着てみるとまた違った見方が出来て面白い。

さらに、一番大きな収穫は能の舞台のビデオを見ているとき・・・
どうやって歩いているのか、楽器はどうやって弾いているのか、
生の能舞台を見たくなってきてしまった。


この能体験は出来るスタッフが限られているので、なかなか回数を増やすことが出来ない上に、いつやるのかを決めることが出来るのも一ヶ月ぐらい前になるから、宣伝が行き届いていないのだそうだ。

金沢に行くことがあって、うまく時間が合えばお勧めの体験!

ゆっくりと能楽美術館を見た後でもう一度21世紀美術館に戻って見学!!

食事を済ませてさらに夜の21世紀美術館を見学!

この日は21世紀美術館とその周辺で一日を過ごしてとても楽しかった。

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金沢21世紀美術館の旅(夜の美術館)

東京でも金曜日の夜は8時までオープンしているところが多いので、夜の美術館を知らないわけではないのだが、ほとんどの美術館は中に入ってしまうと昼であろうと夜であろうと雰囲気は変わらない。

建物の中にいるのが夜と言うだけで人も結構いるし絵を見たりしているときには夜を意識したことはない。

金沢21世紀美術館の無料ゾーンは22:00、つまり夜の10時までオープンしている。Img_7225

9時過ぎのこの誰もいない美術館がまだ開いているのだ。中は明るいけれど、人もいないし夜の雰囲気が漂っている。

無料ゾーンだけと言うことで、実際には見るべきものはほとんどないのだが、一面の窓が全部夜だから、普段見ている美術館と違って静寂が支配しているかのよう。

特に何かが展示してあるわけではなかったので、ぐるっと一周散歩をして帰るつもりだったのに、「タレルの部屋」があいているのを見つけてすっかりとはまり込んでしまったことは前の記事に書いた。

ここはどこに行っても廊下にいる限りどこかしら外とつながっているからいやおうなしに外の暗さを意識する。

これで見学の人がたくさんいればまた違うイメージになるんだろうけれど、ほとんど人もいないし外の暗さと中の明るさが対照的で、どこかしら昼間よりも美術館と人との距離が遠いような、それでいて美術館が意思を持っているかのような不思議な感じがした。

Img_7252_2

昼間はこのゆり椅子もほとんど満席だったのにさすがにこの時間には誰もいない。
この椅子に座って、今の調和を乱すことが出来なかった。

夜の美術館・・・・それは不思議な時間の始まりのようにも見えてきた。


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2008.03.01

いまめまい

上から読んでも下から読んでも同じ文章になる回文がタイトルになっている国立近代美術館の「わたしいまめまいしたわ---現代美術における自己と他者

それぞれにそれぞれの表現で「私」との対話をしたかのような作品が並ぶ。

圧倒的な「私」は澤田知子の「ID400」証明写真のような4枚一組になった写真がずらっと並ぶ。その一組一組は澤田のそれぞれに異なった自分の写真。
「これでもか、これでもか」と言わんばかりにさまざまな澤田が4枚一組になって並べられている。

最初のうちこそ「いったいこれは何なんだ?」としか思わなかったのだが、見ているうちに「圧倒的な澤田」に飲み込まれていくような気さえしてくる。

そして無限にも思える草間彌生の「天上よりの啓示」。同じような模様の繰り返しのようにも見えるけれど、その無限さ(こんな表現はないだろうなぁ)が逆に安心感を与えるようにも思える。

さらには自己の存在を問いかけてくるような舟越桂の「森に浮くスフィンクス」。
先日西村画廊で見たものは口にばったをくわえていて、その狂気が畏怖の念さえ起こさせたのだが、ばったを加えていないこの作品からはこちらに問いかけている何かを見ることが出来る。

自分を見つめ問いかけた後は他者のまなざし。
牛腸茂雄の「SELF AND OTHERS」。このほとんどの写真がこちらを凝視している。
そこにはほのかな警戒も映し出されていて、写真を眺めている側にも微妙な動揺を与える。

たしかに、「いまめまい」だなぁ・・・

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2008.02.29

もうひとつのリヒター

国立近代美術館の常設展の「9つのオブジェ」、ペンローズの三角形のように現実にはありえない(ペンローズの三角形は見る角度によってそうなっているように見えるものが作れるけれど)立体の写真(の様なもの)

イメージ検索をしてみたけれど、この「9つのオブジェ」は見つからなかった。

この作品を見たときに作者の名前「ゲルハルト・リヒター」に見覚えがあったのだが、それもそのはず、2005年に川村記念美術館での「リヒター展」見てきているのだ。
そのときとはかなり感じが違っているけれど、「目に映るもので遊ぶ」と言う感性はおなじでとても面白い。

近代美術館は常設展示も展示替えが多いから、いつでもあるというわけに行かないので、今の展示のうちにもう一度見てこないと・・・

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2008.02.22

府中千年

武蔵国府が府中の地におかれたのが7世紀末。それから1000年・・・・
(ん?計算が合わないが・・・)
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府中千年 こころのかたち
府中市美術館 2008年3月2日まで

全体を7つのセクション「月火水木金土日に分けてそれぞれのコーナーに府中にかかわる作品を集めて展示されている。

府中の歴史を何よりも感じさせるのが一番最初の「月」のコーナーにある大国魂神社の暗闇祭りに関連した作品だろうか。
一説によると111年に出来たという大国魂神社の歴史は国府として府中よりも古いことになる(実際のところはわからないが・・・)。

そして、「木」のコーナーでは会場にいくつもの背の低い柱を木立のように立ててその前面と背面に水木真一のケヤキのスケッチを展示したコーナーは府中のケヤキ並木をイメージしたものだろう。

コーナーの分け方は面白かったし、水のコーナーでは魚を捕まえるわなが天井から下がっていたり、釣竿作りの名人の釣竿が展示してあったり・・・(ここだけガードマンがいたのはどうしてだろう?)

それぞれのタイトルがイメージできて展示の仕方は面白かった。

ただ・・・逆にそれぞれのコーナーに古いものから新しいものまでもが一緒にあるので、そこから1000年という時間を感じるのは難しかった。

また、「府中」とのかかわりが今ひとつ見えてこなかったりしたのが残念。

が、大竹敦人の写真(?)には衝撃を受けた。

続きを読む "府中千年"

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2008.02.17

浮世絵の夜景

太田記念美術館で2008年2月26日まで。

浮世絵はよく知らなくて、今まで「昼」と「夜」を意識したことがなかったのだけれど、今回初めて建物の中の明かりで照らされて、背中がシルエットになっているような浮世絵を見て初めてふつうなら浮世絵は夜も明るく描くと言うことに気がついた。

きっと昔の人たちにとっては自然に夜か昼かわかったのだろうけれど、Cosには一つ一つ判断しないとよくわからない。

夜は今よりももっと暗かったはずなのに、今よりももっと夜が近かったのかなぁ・・・

太田記念美術館は大きな美術館ではないけれど、一枚一枚をじっくり楽しむことが出来る落ち着いた空間。
普段のばたばたした生活とは違ってどこか優雅な雰囲気も漂っている。
靴を脱ぎ荷物を預けて浮世絵を楽しむ時間。

浮世絵のよしあしはCosにはよくわからないけれど、この時間はとても貴重だ。

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2008.02.14

王朝の恋

王朝の恋といってもCosが高貴な人と恋に落ちたわけではなく、高貴な方との恋物語を描いた物語の絵を見てきたのだ。

(高貴な人であろうとなかろうとCosと恋に落ちてくれるような人はいないかも・・・_| ̄|● )

出光美術館で2008年2月17日まで
王朝の恋 描かれた伊勢物語

伊勢物語に書かれたいろいろな情景を絵にした色紙や襖絵・・・嵯峨本・・・

切ない想い、恋焦がれる想い、屈折した想いがそれぞれの絵の中に描き出されている。
即物的な今から見るとずいぶん奥ゆかしいように見える絵であっても、書かれている文章は激しい思いを静かな言葉に託しているかのようにも見える。

もう少し文章がしっかり理解できたらまた感じ方も違っただろうに。

残念だったのは会期末が近かったせいか出光美術館にしてはとても混んでいたことかもしれない。一つ一つの絵をじっくり見ることも文章を味わうことも出来ず、二列目からのぞき見るのが精一杯だった。
(まぁ、その後の予定もあったので時間をかけずに見ることが出来たのはよかったのかもしれないけど)

伊勢物語・・・学校で少しは習ったのかなぁ?

いずれにしても恋物語は今のCosにはちょっと苦手だが、いつかどこかでじっくり読んでみたい。

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2008.02.12

盗まれる絵画

有名な絵画を盗んでどうするのかと言えばどこかに売る・・・買った人間はそれを持っていることで満足するのだろうなぁ・・・

盗まれたものとあっては人に見せるわけにも行かないし、自分ひとりで楽しむのか、表には出てこない場所で売買されていくだけなのか・・・

175億円相当の絵画盗まれる=セザンヌ、ゴッホなど4点-スイス.

 盗まれたのはセザンヌの「赤いベストを着た少年」とゴッホ、モネ、ドガの計4作品。

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2008.02.09

工芸の力

人形ってどうしてこんなに怖いんだろう・・・
等身大の人形の真正面に立って目をあわそうとしても、どこかあっちのほうを見ている。
テラコッタで出来ているはずの人形なのに、まるで意思を持ってCosから目をそらそうとしている・・・
まるでつれない恋人のように。
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国立近代美術館工芸館「http://www.momat.go.jp/CG/30th_II/index.html」2008年2月17日まで。

北川宏人がテラコッタで作った人形は粘土の跡も生々しいのに、人間の存在を超越しようとしているかのようにも見える。
人形と意思を通じたくてずいぶんと長い間彼らの間に建っていた。

そしてこの看板にもある高見澤英子のFlower Shell。
会場ではこっちの写真にあるように花を下にしておいてあったのだけれど、そのバランスがなんともいえずとてもよかった。
ガラスでどうやって作るんだろうという不思議さもあったけれど、それ以上に不思議さが楽しかった。


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この工芸館の建物もCosの好きな建物のひとつ。
どういう使われ方をしていたのかを考えるとあまり好きじゃないけど。

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2008.02.05

文化を守る

財力に物を言わせていろいろなものを集めた徳川家と(財力がまるでなかったとは思わないけれど徳川家とは比較にならないほど豊かではなかったけれど)歴史を守り続けてきた近衛家。

どちらがいいとか悪いとかではなくて、文化を守っていくためには目に見えない部分でお金を使い、それを維持していくのにはまたお金が必要だ。

国立○○美術館や博物館というところでは最近のミュージアムショップにタイアップ商品が並ぶことが多くなった。展示にかかわるものではなく、展示を記念しての商品が増えてきた印象がある。

レストランに入ればタイアップメニュー・・・

最後には「ここでなければ買えない」と会場内で宣伝があったりしてずいぶんと金儲けに熱心だなぁという印象がある。


「図書館以外は不要」橋下氏、大阪府施設の廃止・売却検討 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 行財政改革の一環で、大相撲春場所の会場である府立体育会館(大阪市浪速区)や、女性総合センター(ドーンセンター、同市中央区)、上方演芸資料館(ワッハ上方、同市中央区)などの施設については廃止・売却の検討を行うよう指示した。知事就任後、庁内に発足するプロジェクトチームで検討を進め、6月に結論を出すという。

 ほかに廃止・売却の対象となるのは、大型児童館ビッグバン(堺市)など。この日の協議で、橋下氏は「図書館以外、基本的にはすべて必要ない」との持論を説明。終了後、報道陣に「就任後、すべて視察しながら、選別にかけていく」と述べた。

真っ先に一番簡単に切り詰められるのが文化にかけられるお金。

企業が切り詰めるのは仕方がないとしても、自分たちの文化を守るために、育てるために必要ではないかもしれないけれど、今いる人たちのために、将来のためにお金をかけるべきところには行政が率先してお金をかけるべきではないのだろうか。

近衛家が守ってきた「宮廷のみやび」の展示の中には内容としてはたいした内容のないと思われる書がたくさんあった。

その当時には決して貴重だったものではないと思えるのだけれど、それが今になってみればどれほど貴重なものになっていることか・・・

そうした草の根の文化、あるいは人々の暮らしの中の文化を守っていくのが行政の勤めではないだろうか。

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奥谷博展

本当は束芋も出ている横浜美術館の「GOTH展」を見に行きたかったんだけど、横浜に着いたらもう5時。
いくら6時までやっているとはいえ、横浜駅から電車に乗って桜木町へ行き、そこから10分歩いたら見る時間はほとんどなくなる。

束芋の作品はチラッと見るだけではなくてじっくり見てこないといけないからどう見ても時間的に無理。

かといって横浜に出てきたのは6時半に人と会う(飲むともいう)ためなので、それまでぶらぶらしようかと思ってそごうに向かってみると「奥谷博展」のポスター。しかもそこには「描くことは生きること」とあって「霧り渡る」(絵の名前は後から知ったのだが)の真っ赤な鳥居から覗いた厳島神社の絵。

この絵にひかれてついふらふらとそごう美術館に入ってしまった。

ヨドバシカメラかそごう美術館かと言ういい加減な選択で入ってしまったのであまり期待していなかったのだが、どうしてどうして、予想に反していい絵がいくつもあった。

現代の洋画壇を代表する画家の一人である奥谷博(1934-)。高知県宿毛市に生まれた奥谷は東京藝術大学で林武に師事し、抽象画全盛であった風潮に反し、一貫して具象画を描きつづけてきました。フレスコ画の技法で模写した経験を通じ、初期の厚塗りから薄塗りの技法へと転換して以来、鮮明な色遣いによる作品は多くの人を魅了してやみません。

とは文章にあるけれど、決して具象の範囲にとどまらず、自由な連想と思いがそこには描かれていた。

一見すると具象なのだがよく見ると必ずしもそうではない、あるいはどこか誇張されている絵が多かったように思える。

最初にこれだと思ったのは足摺遠雷。波の強さと祈るかのような女性(?)と笹のは。
どう考えてもこんな風に波が近くにあるのはおかしいのだけれど、その強さがすごく自然だったりもする。
祈るような人物の肌の色は(彼の作品の特徴でもあるんだろうけれど)かなり不気味で憂いを秘めているというか、悲しみを抱えているかのような感じ。

そしてインパクトが一番強かったのは観空。
鳥居の赤い柱のうちの一本が画面の半分を占めるという大胆な構図で、緑がかった皮膚をした人物とリアルな遠吠えをしているような犬、鳥居の向こう側ではたこが揚がっているらしい。

鳥が向こうのほうの空を舞い、お日様が小さく小さくなって地平線のほうにかかっている問い上なのだろうか?

真っ赤な鳥居の太い柱には何箇所かさびが浮き上がっているかのように絵の具が盛られている。この柱のイメージは写真では絶対に伝わらないだろう。

なんとしてでも見に行きたいと言うほどではないけれど、とても面白い絵だった。
つまらない展覧会だとあっという間に見終わってしまうのに予想外に時間がかかって、美術館を出たときには待ち合わせの時間までにはあまり余裕がなくなっていた。


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2008.01.30

暗く静かなとき

ちょっと風邪っぽいからかもしれないけれどこのところ精神的な気力が減退している。
やる気があるとかないとかではなく精神的に沈み込んでいる感じかな。

仕事上でも人間関係に問題が起こったりプライベートでもストレスがあったりしているから仕方ないのかもしれないけれど、こんなときには誰もいない静かなところにいきたくなる。

本当は人のいない自然の中に埋もれたいんだけど、なかなかその余裕はないのが残念。

というわけで、上野の国立博物館にある法隆寺宝物殿。

普段、ここはほとんど人がいない。

先日Cosが行ったときにも係りの人も一階にはいたけれど、二階は椅子だけがおいてあって丸っきりの無人だった。

特別展の人と人の間から展示を覗き込まなくてはならないのとは大違いだ。

照明をかなり落として薄暗いと言うよりは「暗い中」といえるほどの暗さの中に、規則正しく並んでガラスケースの中に一体ずつずつ納まった仏像が縦横に並んでいる。
他の人がいないから暗い中で仏像に囲まれてしまったようなイメージがあって、信仰心のある人にとっては荘厳な雰囲気なのかもしれない。

信仰心のないCosにとってもどこか厳かさも感じる静かな空間。
もしかしたら、そこから何かが出てきたとしても不思議はないような感じ。ちょっと不気味でさえある。

ガラスケースがなければもっといいんだけど、仏像の価値を考えるとそれはさすがにむりだろうな。

ベンチは部屋の壁際にしかないので一体一体のんびりゆっくり見ながら部屋の中を回るひと時は人のいない静かなお寺(?)で仏像に対峙しているのと少し似ているのかもしれない。

しばらく時を過ごすうちにCosも静かな気持ちになってきた。だれもいない静かな仏像の中で自分の存在がその静けさを乱しているようでいやだったけれど・・・

が、いったん外に出るとそこは上野の喧騒。
いつものようにやらなければならないことがいっぱい押し寄せてきた・・・_| ̄|●

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2008.01.27

かはくのアロサウルス

子どものころからずっと本館がリニューアル工事に入るまで一階の正面玄関のところには恐竜がいた。

国立科学博物館に行くとまず、恐竜に挨拶をしてから他のところに回ったものだった。

そのアロサウルスが期間限定(2008年2月3日まで)ではあるけれど、上野に帰ってきた。

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子どものころには天井まで届きそうなほど大きく直立した恐竜だったけれど、今は前傾姿勢で動いていたと考えられるようになって、骨格の表示もそれにあわせて少し高さが低くなっているようだ。

今はすっかり館内も明るくなって、子どものころの感じていたどことなく薄暗い秘めやかな雰囲気はなくなっているけれど、それでもやはり、かつての地球を支配していたひとつの歴史がそこにあると言う神秘的な雰囲気が漂っていた。

説明を見ると1064年から展示されていたと言うことなので、少なくとも当時は恐竜の化石そのものが展示されていたのだろうから、化石つまり、石の重さを考えると大変なものがあったんだろうと思う。

今回の展示も実物の化石なんだろうか?

正直なところ、今は本物なのかかたどりをしてプラスチックで作ったレプリカなのかは見ただけでは判断できないのだから、展示のためだけであればレプリカで十分だと思うのがどうなんだろう。

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子どものころから同じようにかはくに行き続けている友達も言うように、正面玄関を入った途端に、あのかはくの高い天井に向かって首を伸ばしている恐竜と長い長いロープの先にぶら下がっていて、一日中のんびりとゆれているフーコー振り子は、子どものころから変わらずにあるかはくのお約束と言う感じがしてならない。

今は恐竜は地球館の地下にずっといい形で展示されて入るけれど、やっぱり「かはくの顔」であり続けてほしいなぁ

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2008.01.24

宮廷のみやび

子どものころ、新しく読む本がないと(家にある本は何回となく読んでしまっていたので)電話帳までも読んでいたCosだからかもしれないけれど、読めないのがとても悲しかった「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝

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Cosにはまだ書の美しさはわからない上に、「まず読みたい」と思ってしまうので、頭が「読めないこと」にしか向かないのだ。

こういうところで学のなさが出てしまうと言うところなのだろうが、会場に来ている人たちの誰もがこれだけのものを読めるのかどうかはちょっと疑問かも。

と言う負け惜しみはさておいて、前回の徳川展に比べるとずっと地味な今回の展示。
徳川が財に物を言わせた贅を見せびらかすのなら、近衛家はその学を見せ付けたと言う感じだろうか。
長い歴史の中で文化を継承し続けたと言うことなのだろう。

展示されているものの中には他の人にあてた手紙や納品書みたいなものまであって、「ここまでやるのかなぁ」と言うのが正直なところ。
それだけ過去を大切にしたということになるのだろうけれど・・・

字の読めないCosは結局、表装に使われているいろいろな裂やたくさんの芥子人形を楽しんできた。

もう少し字が読めると言いのだが・・・う~む

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2008.01.22

二つの人生

その前に見たのが、見れば見るほどさびしさが浮き彫りになるようなものだったと言うことも関係しているのかもしれないけれど、土方久功のたくさんのレリーフや彫刻や絵を見た途端に、「パラオでは時の流れ方も違っているんだなぁ」とほっとした世田谷美術館の「パラオ-ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」
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1941年にパラオでであったこの二人の人生は戦争の前のひと時を時間の流れ方さえ違うこの場所で一緒に過ごした。
おそらく内地ではもっとシビアな状況だったのだろうけれど、土方の描いたものにはそのシビアさは感じられない。

実際にはのほほんとした時ばかりでなかったはずだけど、暖かな空気が流れている。
ほっとするひと時をすごしてきた。

会場にはムットーニの「山月記」が展示してあったのだけれど、動かすのは1時間に一回と言うことで、ちょうど行ったときに終わったところだったために結局見損ねてしまったのが残念。

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2008.01.16

六本木クロッシング

友達に「いいよ」と言われて込んでいるのを覚悟で行った六本木の森美術館「六本木クロッシング


(当然)好きでない作品もあったけれど、本当にいい作品が所狭しと並んでいた。

ゴミ箱から拾ってきたたくさんの金属を旋盤で磨き上げて作られた鋼鉄都市は榊忠のRPM-1200。
上からそして真ん中に入って周囲を見渡すことの出来る鋼鉄都市は照明によって昼になったり夜になったりする。

それを見ていると無機的なだが、どこか暖かさを感じる近未来の鋼鉄都市が浮かび上がってくるかのようだった。

「カトリーヌ」と言う女性のハリケーンを捕まえて閉じ込めて風船とお札を空中に舞わせた宇川直弘の「ハリケーン」
激しい風の向こうは(本当の)窓になっていて、風の向こうに平和な六本木が見えている。
自然の力のとりこになっているCosとしてはそこから逃れることがなかなか出来なかった。

そして四谷シモン。かわいいようにも見えてどこか不気味な人形たち。彼らの持つ不気味さがたまらなく好きだ。

見て想像したものと実際とがあまりに違っている中西信弘の34mmネガを24枚重ねて立体的に見せている作品はすべてが同じネガに焼かれていて実際の大きさがまるっきりわからないので、その映像(?)の持つ不思議さがとても面白かった。

この作品に刺激(と言うほどえらそうなものは作ってないけど)されてむげんを作らずにいられなかったのだ。
作りたいものとしてはこの中西信弘のような平面を重ねて立体に見せる、見る位置を変えるとその一枚一枚の平面のずれが見えてくるといったものかな。

田中偉一郎の「はと命名」が面白いという友達は多いのだけれど、Cosはこれはどこかで以前見ている。それもこんな小さな画面ではなくプロジェクタで投影された大きな画面で見た記憶があって、それに比べると今ひとつかな。
それにしてもこれはどこで見たんだろう?

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2008.01.14

岡本太郎美術館

かつて、「向ヶ丘遊園」といえば、子どものころから何回となく行った遊園地だった。
そんなに大騒ぎをするような乗り物はないけれど、バラ園があったりのんびりとした雰囲気の遊園地で、人も多くないから、ゆったりと遊ぶのにはちょうどいいところだったのだが、その「人の多くない」のが原因で結局つぶれてしまった。

今は生田緑地として川崎市の公園になっていてその一角には日本民家園があり、川崎市の青少年科学センター、そして岡本太郎美術館がある。

なぜか今まで行ってみようと言う気にはならなかった。「向ヶ丘遊園」と言うのはやはり子どものころから楽しかった場所と言うイメージが強いからかもしれない。

2008年1月14日までの「岡本太郎が見た50年」をついでに見るために何年かぶりに向ヶ丘遊園の駅で降りてかつての向ヶ丘遊園、今の生田緑地に向かった。

階段を登った一段と高くなったところに岡本太郎美術館はある。
おそらくここは観覧車のあった高台だろう。今は観覧車の代わりにシンボルタワーである「母の塔」がある。
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かつては小さい子どもだけでなく、いろいろな年齢の人が楽しめた観覧車があったところに母の塔というのはそれなりの意味があるんだろうな。
登れないけれど・・・

Cosとしてはあの有名な太陽の塔よりもこっちのほうがずっと好きだ。必ずしも子どものほうを向いているようには見えないけれど、彼の作品にしては暖かい気がする。

夕方の母の塔・・・・なんとなくふさわしい。


必ずしも岡本太郎を好きというわけではなかったのだが、今回の常設展「真空と過密 - 岡本太郎の絵画空間」展は面白かった。
彼のシルクスクリーンの作品やあまり大きくない油彩にはいいものがたくさんあった。

万博公園の太陽の塔ははじめてみたときから(今も)好きになれずにいたそのイメージが強すぎて、食わず嫌いだったのかもしれない。

つい先日東京都現代美術館で見た明日の神話同じような好きになれない部分がある。

それがどこかはわからないけれど、彼がこれだけ有名になったのはそれだけのものを作っているのだということがすとんと納得できるものがたくさんあった。

また機会があったら、のんびりゆっくりと時を過ごしたい美術館のひとつかもしれない。

「岡本太郎が見た50年前の日本」については「続きを読む」からどうぞ。


続きを読む "岡本太郎美術館"

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2008.01.06

文学の触覚

1月2日に行った東京都写真美術館の3つ目の展示。

「参加型の作品群に触れ、私たちの手のひらにこぼれる文学と映像メディアの美しさを体験」というだけあって、「しゃび」じゃなくて、「ICC」じゃないかと思うような展示がずらずらと並んでいた。
そうでない展示ももちろんあったけれど、印象に残ったのは「文学」じゃなくて、文章で遊ぶと言うところだろうか。

文章を書く・・・あるいは小説を書くということで一番面白かったのは「タイプトレース道」
ラップトップコンピュータにある日時を選ぶとラップトップに出ている文章を作家が実際に書いたときのとおりにプロジェクタで投影された前の大きなスクリーンに文字が現れ、好くリーの前においてあるキーボード・・・ちょっと見た感じはキーボードがタイプライター化しているような「かちゃかちゃ」と音を立てながら前のスクリーンの文字を自動的にタイピングしていく。

投影された文字は書くのに時間がかかった文字は大きく、実際にどうやって書いたのか、悩んだところ、修正したところが実際に作家が書いたのと同じように時間をかけて描き出されていく。

ラップトップには完成された文章がアップされているから、スクリーンの文字がこれから変わることを知っていたりするわけだ。

しばらくその画面を見ていると自分が未来を予測できるような不思議な気がしてくる。
一回読んだ本を読み直しているかのように、何が起こるかわかっている・・・
「あぁ、そこは葬書くんじゃないんだよ~~」と言いたくなるような・・・

まさに、体験型の文学・・・だろうか?

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このポスターに出ているモルフォタワーは音に反応しているのではないかと思うけれど、すごく面白かった。

黒い磁性液体が円錐の側面を上って行ってこんなとげとげを作る。
それは液体が生きているかのようでもあり、液体ではなく、何かかたちのあるもののようでもあり、値段を考えなければ一つ欲しいと思うほどだった。

この磁性液体はこすもす: 磁性液体に書いたものと同じもので、磁性流体を使って、児玉幸子さんがメディアアートとして磁性流体アートプロジェクトをやっているものだ。
(北海道大学物理学科の出身で芸術学の博士号を持っているのだそうだ。物理やってないとこんなことできないよなぁ)

この磁性流体の使い道はいろいろありそうだけれど、とりあえず、
磁性流体・MR流体サンプル.

磁性流体・MR流体サンプル販売 サンプル内容と価格:  (A)磁性流体(イソパラフィンベース)50ml 代金:6,000円(送料込み・税別)  (B)MR流体(ポリアルファオレフィンベース)50ml 代金:6,000円(送料込み・税別)

だそうだ・・・欲しい気はするけど、使い道がないよなぁ・・・

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2008.01.03

回転回

東京都写真美術館で2008年2月20日までの「スティル|アライブ」

もっとゆっくり見に行ってもよかったんだけど、1月2日は写美が無料と言うので、さっさと見てきてしまったのがこれ。

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ありがたいことに混んでいなかったのでじっくりと楽しんでくることが出来た。

最初に見たのは正面と横の壁面いっぱいに流れる伊瀬聖子の 「Swimming in Qualia(スイミング・イン・クオリア)」 
「映画ではない映像作品」と言う感じで時の流れと静けさを表しているような気がしてそれなりに面白かったけれど、見ているこっち側はどうしてもストーリーを求めてしまうような気がする。

絵や写真を見ているときには必ずしもストーリーを求めないどころか、作品の中に意味をみようとしないことも少なくないのに、見るために時間を要求されると、そこに時間の流れを見ることをこっちが求めてしまうのかもしれない。

作品自体は面白かったけれど・・・・


そして今回見たかった屋代敏博。

目黒美術館で見たときには写真なのにどうも写真ぽく見えなくて、不思議な感じがしていたので、他の作品も見て比べてみたいと思っていたのだ。

屋代敏博の展示の写真は内容は別としてごく普通の写真らしい写真。
つまり目黒美術館での銭湯シリーズはそういう効果を狙った作品だったと言うことになる。

それがわかってその点ではすごくすっきりしたのだが、今回のテーマである回転回もすごく不思議な写真たち。
シャッター速度を10秒とか30秒とか長い時間にしてその間に人が回転すると出来てきた写真は「人」ではなくて「風景の一部」になる。

いろいろな学校や人の集まる場所で「回転回ライブ」をやってきた記録ともいえる写真が並んでいる。
会場には小学校6年生の感想文もあって、なかなか面白かった。

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2008.01.02

年の初めはしゃび

例年は正月2日なんていうとうちでおとなしくしているのだが、今年は都心まで遠征∥^O^∥

事の発端は「1月2日は美術館がただ」という話を聞いたことに始まる。

東京の国立博物館をはじめいくつかの美術館がどうやらただらしいと言う情報を聞いて、その気になったのだがどう考えても東博は混むだろうし、有名どころは人が大いに違いない・・・

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と言うわけで友達といってきたのがここ。
なんといっても3つに展示が無料になるのだから、お正月の一日を過ごすのにふさわしいし、メジャーじゃないからそうひどくは混まないだろうと読んで、朝一番(といっても今日は11時からだが)からともだちと「行こう」ということになった。

幸いなことに予想以上に人が多くなくて、混んでいたらさっさと済ませて帰ろうと思っていたCosもじっくりと一日楽しむことが出来た。
(もしかすると普段よりもすいていたかもしれない)


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