2008.06.22

美術館で数学談義!

今日から多摩美術大学美術館で新しい展示が始まるのでついふらふらと美術館に吸い寄せられたCos。
絵画のコスモロジー」2008年7月20日まで

さすがに雨の日だけあって美術館の中にはほとんど人もいない。

橋本倫・黒須信雄・小山利枝子の三人の絵。
あいまいさを許さずに
かっちりと書き込まれた鮮やかな色彩の橋本倫、
雲のような波間のような羊の原毛のようなでも立体感にあふれる黒須信雄、
4m×3mぐらいはありそうな大きなキャンバスいっぱいの「光--誕生」はその大きさと迫力に圧倒された。

会場の奥へ行くと、小山利枝子の描いたたくさんの花のスケッチ、この花のエッセンスを取り出してそのイメージを画面に描き出したのだということがよくわかるような作品も何点かかけられていた。

さらに奥には橋本倫の展示資料がガラスケースの中にあったのだが・・・・そこで見たものは・・・若き日の橋本の数学のノート。
微分して曲線の性質を調べてグラフを描いている。
今だったら、このレベルのグラフはMathematicaを使わなくてもGRAPESを使えばあっさり描けてしまう・・・
かつてはCosもこうやって悪戦苦闘してグラフを描いたりしていたのだ∥^O^∥
そんなことを思ったり、式を確認したりしていたら・・・
「関心がおありですか?」
と声をかけられた。

いろいろとはなしをしてみると数学に対する造詣がとても深い方・・・
代数幾何学(おそらく楕円関数論的なほうじゃないかな?)に詳しい方らしい。
数学の話、絵を描く人と数学の話、アーベルの書いた論文の話、ポアンカレ予想を解決した論文の話・・・Cosには太刀打ちできない・・・∥>_<∥

写真やCGでは決して描き得ない「絵」の感性の話・・・・

数学をやっていた人たちが美術の世界に入っていく話(逆は余りなさそうだけど)や関数模型を撮った杉本博司・・・

多摩美術大学では数学の授業もあるのだとか・・・曲線や曲面の持つ、数学の持つ美しさを考える可能性を秘めているんだろうなぁ・・・どんな勉強をしているのだろう?


よもや美術館で数学の話をすることがあるなんて思いもしなかっただけにとても新鮮で楽しいひと時だった。

またどこかでお目にかかれると面白いけれど、どうかな?

ただ・・・時間がなくなってしまって十分に絵を見てこれなかったのが心残りかな。
ま、近いうちにもう一度行って来よう。


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2008.06.06

数学は美術だ?

友達が出品するというので「現展」を国立新美術館に見に行ってきた。

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公募展ということで普段見に行く美術展とは違っていろんな人が描いているのがそれなりに面白い。
素人のCosが見ても「これはいいなぁ」というのは数点あったけれど、「絵が上手」というだけの範疇の人も少なくない。(さすがにCosが見ても下手だと思うようなのはほとんどないが・・・)

展示されている作品の数も半端じゃないから、会場をぐるっと回るだけで見飽きるほどなのだが、今回はこんなのも・・・

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しかもこれは絵じゃなくてポスターなのだ。

確かに数学とアートは近い・・・何よりもCosが両方好きなんだからそれは間違いないけれど、美術展を見に行って数学教室と出会うとは夢にも思わなかった\∥^O^∥/

で、筑波大学数学系のwebページを見に行ったら、この雰囲気そのままのトップページでとてもうれしくなってしまった。

「You are always welcome !」こういうところでCosもまた勉強したいなぁ・・・
(もう頭が付いていかないだろうけど・・・_| ̄|●)

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2008.06.05

岡崎紀展

この人が有名なのかどうか、今までにこの人の絵を見たことがあるのかどうか・・・・なんとなく見たことがあるような気はするけれど、名前までは覚えていないことは確か。

Cosの家からは比較的行きやすいところにある多摩美術大学美術館は美大の付属だけあって面白いものをやっていることが多い。

なぜだか分からないけれど、なんとなくちょっと入りづらい雰囲気はあるものの中に入ると静かでゆっくりと美術を楽しむことが出来る空間になっているのがうれしい。

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今回の岡崎紀展もそんな美術展のひとつ。
しかも、今回は無料・・・\∥^O^∥/
見たければ何度でも気楽にいけるというありがたさ。

最初は日曜日に買い物のついで(!)にふらっと寄ったのだが、さすがにオープニングだけあって、この美術館にしては人が多くのんびりと見ることが出来なかったので、日を改めてもう一度。

下の階には若いころの作品、上の階には最近の作品が展示されている。
さすがに若いころの作品は鋭い感じがする。
「浮いた風景」というタイトルでいくつかの絵を組み合わせているかのような作品をいくつも出しているのだが、この中で赤を背景に海の波の上に浮いている風景(2枚組み?)がとてもよかった。

ここにあるチラシの左上の絵だけれど、期間が終わると見られなくなってしまうのだろうなぁ・・・残念・・・

でも、一番気に入ったのは上の階にあった最新の作品。

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実際の絵はずっと大きくて伸びやかな広がりと奥行きを感じさせる。
画面の中を吹き渡る風が木々を揺らしている。

下の階の絵の持つ緊張感に比べて、落ち着きと平和が感じられて音楽を聴きながらワインを傾けながらのんびりと見ていたいような絵。

どこかの収蔵品か何かになればまた見るチャンスもあるのだろうけれど、そうでなければCosなどにはもうお目にかかれないのだろうなぁ・・・
(カタログが販売されているんだから、カタログを買えばいいんだけど・・・・はがきなら間違いなく買うんだけど・・・)

そう思うと会期中にもう一度ぐらい行って置きたい気もする。
18時までやっているから仕事の帰りにいけるといいなぁ・・・・

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2008.06.03

人生は冒険だ

いくつになっても遊び心を忘れない・・・大人として威厳よりも自由な発想を大切に・・・
そんな想いが伝わってくるような横尾忠則展
世田谷美術館で2008年6月15日まで

見に行く前には「横尾忠則」というとやることが派手でどことなくいいとは思えなかったのだが、実際に見てみると(もともと自由な発想をする人だとは思っていたけど)思っていた以上に遊び心があって自由な人だった。

その自由さが・・・性に対する自由さが「子どもにはふさわしくない」とされたのだろう。

東京新聞:『児童に不向き、過激』 横尾展の鑑賞教室中止 世田谷区教委 :社会(TOKYO Web).

 東京都世田谷区の世田谷美術館で開催中の画家横尾忠則さん(71)の企画展をめぐり、教員から「教育上、子どもに好ましくない」との声が上がり、区教育委員会が地元小学生向けの美術鑑賞教室を急きょ中止したことが分かった。横尾さん側には事前に知らされておらず、区教委へ抗議する事態になっている。

 この企画展は「冒険王・横尾忠則」と題し、四月十九日から六月十五日まで開催。「平凡パンチ」の挿絵をはじめポスターや絵画など約七百点が展示されている。

 鑑賞教室は一九八六年の開館と同時に区教委が始めた。今回予定されていた鑑賞教室は、同館が一月に区内の小学校に対して説明会を開き、二月に二十二校の小学四年生の受け入れを決定。今月十四日からの実施に向けて準備を整えていた。

 企画展には血の付いたナイフを持つ少年や半裸の女性など性を描いた作品も含まれ、区教委によると、下見をした教員から「小学生にふさわしくない」「過激すぎる」といった意見が出た。このため、校長会の意向を受けて四月末、鑑賞教室の中止を決めた。だが、横尾さんや同館には事前に相談しなかったという。

実際に見てみると過激かどうかは別として、絵の一部分だけを切り取って眺めると「小学生にはふさわしくない」とある意味で頭の固い人たちにとってはかんじられるのだろうと思う。

特に今のような職場はと昔ながらの道徳観、性に対する意識がそのまま通用している世界だから、こういう意見が出てくるのも分からないでもない。

それを何よりも象徴しているのが看板の前で(自分も裸の癖に)そっぽを向いているこの女性。

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うがった見方をすると横尾忠則の自由さ自体が受け入れがたいのかもしれない。

(全部とはいわないけれど)まじめそうな絵の中にも、そのシリアスさを突き崩すようなものがさりげなく書かれていて、どの絵もどこか斜に構えた感じがする。
その部分がCosなどから見ると「いいなぁ」と思えるのだが、そう思えない人もいるんだろうなぁ・・・

何よりもこれを見ているうちにCosも「もっと自由に羽ばたきたい」と思い始めたことだし。

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2008.05.29

ガラパゴスだ、ビーグル号だ、ダーウィンだ

動物に関心があればそのなを知らない人はいないだろうと思うダーウィン
国立科学博物館のダーウィン展(2008年6月22日まで)を楽しんできた。

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子どものころから知っているダーウィンともなるとさすがにその業績で知らないことはほとんどなく、純粋に展示を楽しんでくることが出来て\∥^O^∥/

なんといっても会場に入った途端に目に入った、「進化論以前の動物の分類」はほほえましくて見ているだけでうれしくなる。
「ノアの箱舟」に乗れなかった動物たちの化石・・・も楽しい。
進化論が生まれるのは時間の問題だった時代、必ずしもダーウィンでなくてもよかったのだけど、「ビーグル号航海記」の存在が「種の起源」をダーウィンのものにしたのだ。

ビーグル号のコーナーでは船の中を模した通路につけられた丸窓からは海面が上下する様子が映っていて、ちょっと船の中にいるような感じ。
(結果としては)無給で5年間ビーグル号に乗り込むというのは考えてみるとすごいことだし、収集した品々はすごい荷物だっただろうに、船に積んで帰ってきたのだろうなぁ。

子どものころ、ビーグル号航海記を読んだか読もうとしたかの記憶が少し残っている。
ちょっと読んでみて面白くなかったという記憶なのだ∥^O^∥

大人になった今もう一度読んでみるとまた違うのかな?

ガラパゴス島のコーナーではゾウガメとイグアナが動物園から出張してきていた。
こういうのがあるとその場から動けなくなるσ∥>_<∥
ちょうどゾウガメの給餌の時間と重なったので、元気よく食べるさまをじっくりと見てきてしまった∥^O^∥

結局種の起源でもなければビーグル号航海記でもなく見終わったその足で動物園に行ってしまったのは自然な行動?

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2008.05.25

要求する写真

Cosには写真のよしあしはよくわからないのだけれど、ちょっと面白そうだと思っていたら「アレ、ブレ、ボケの世界を味わってきてください」と友達に言われ、行けば「写真のよさとは何か」を見ることが出来るような気がした森山大道
東京都写真美術館で2008年6月29日まで

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展示は3Fと2Fに分かれていて別々に見るようになっている。
最初に見たのが3Fの「Ⅰ.レトロスペクティヴ1965-2005」

ここに「アレ、ブレ、ボケ」の世界があるはずなのだが・・・・いや、確かにそういう写真がたくさんあったのだが・・・・
それはあくまで写真知る人たちにとっての話。

写真を知らないCosにとってはそれ以上に、写真から伝わってくるもののインパクトの強さに驚いてしまった。

Cosにとって写真というのはそこにあるものをあるがままに写し出すものというイメージが強いのだが、「あるがまま」からかけ離れた写真・・そこにあるものが何であるにせよ、そこからは明確な意思を持ってこちらに何かを要求していたりする。

おそらく被写体がそういう要求を持っていたはずもなく、森山大道の要求なんだろう。
でも何を要求されているのか、こちらをどこに追い詰めようとしているのか見定めることが出来ないジレンマで写真にしばし向かい合ってしまう。

見ているうちにふとムンクの絵を思い出した(リンク先は美術館ではありません。西洋美術館や東京新聞のサイトからは内容が伝わってこないので)。

ムンクは愛と死の世界に人をいざなったけれど、この森山大道は絶望への決意に対する判断を要求しているような気がした。
「受け入れるもよし、逃げ出すのもよし・・・決めるのはお前だ」という感じかな。

そうやって最も人を追い詰めるのが犬の町の
(リンク先のアートスケープの記事も面白いです)

この写真は多分どこかの本か雑誌で見たことがあるのだが、その印象はあまりに違う。
絵ならば実物と印刷との違いが理解できるけれど、写真でもその差が大きいことを展覧会を見に行くたびに痛感させられる。

重く苦しい気分になって考え込みながら2Fの「Ⅱ.ハワイ」へ行くとそこはまるっきり別世界。
入り口を入ってすぐの天井まである大きなプリントは写真の向こう側まで続く一本の道。
天井から空へと続いて行きそうな雄大さは、こちらの気分も大きくゆったりとさせてくれる。

3Fと違って新しく撮った写真だからか一枚一枚の写真が大きく伸びやかな感じがする。
どの写真もこちらに何かを要求するのではなく、「こうなんだよ、こうだったんだよ」と語りかけてくる感じ。

3Fから2Fで苦悩するストリートカメラマンから苦悩がふっきれたカメラマンへ。
「解脱」という言葉がふさわしいような気がする。
あっ、もちろんCosが解脱できたわけではなく、そんな雰囲気というだけ。
Cosはといえば相変わらずあっちへこっちへとじたばたしてどっちへ進んでも誤った道しかないという八方塞(笑)

のびやかな「ハワイ」という土地のなせる業もあるのかもしれない。

会場の中にたった3枚あるカラー写真。
何を撮ったのかその色彩だけしか分からないけれど、新しい世界がそこにはあるんだなという感じかな。

Cosには難しくてよくわからない部分も多かったし、かなり要求されたものも多いので その要求を改めてみてみたい気がする・・・・
それにしてもCosに要求されているのはいったい何なんだろう?

会期を考えると時間的には厳しいけれど、もう一度見てみるとまた違った見方が出来そうな気がしてならない。


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2008.05.23

夏空に誘われて

あまりに気持ちのいい気候だったので、バラの花を見に庭園美術館へ・・・・

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といっても実際には「オールドノリタケと懐かしの洋食器」を見てきたのだが、こういう瀟洒な食器はCosには似合わない。
Cosが自分で欲しいとしたらシンプルであっさりとした物がいいなぁ・・・
なんて思いながらぐるっと見てきた。
さすがに「優雅な食器」ということでたくさんの女性が連れ立ってやってきていて、皆さん声高におしゃべりしながら見ている。
おしゃべりでうるさいのは職場だけで十分なので、そういう環境からはどうも逃げ出したいという気持ちも働いて、そそくさと見終わってしまったのかもしれない。
もったいなかったかも。

で、今日のお目当てはバラ。
庭園美術館の庭のバラはちょっと面白いつくりになっている。
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残念ながら花は少なかった(秋のバラだったような気もしてきた・・・)けれど、このかたち、子どものころ読んだ「不思議の国のアリス」の中でトランプの兵隊たちがペンキを塗っている木の挿絵によく似ている。
(今ではほとんどみられないけれど、こういう仕立て方が昔ははやっていたそうだときいた。)
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ちょっと雑然とした東京の街から離れてゆったりとした庭園に咲いたバラ。トランプの兵隊がやってきても不思議はないような環境・・・\∥^O^∥/

残念ながら今回は期待したほど花はなかったけれど、トランプの兵隊たちが色を塗ったような真っ赤な大輪のバラ・・・

ルネッサンスの時代にはこの赤いバラが性的な象徴でもあったのだと聞いたけれど、バラの赤はやっぱりいいなぁ・・・黒いほどに赤いバラがいいなぁ

小さな子どもを連れた人が何組かいたけれど、それがまた、いかにも庭園らしい感じがしてよかった。

庭園を楽しんだ後は初夏を楽しむために隣の自然教育園へ。

木々の間からこぼれる初夏の日差しがとてもいい。
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木の葉越しの光が輝いている道を
ああやって手を取り合って歩いている二人を見ると年齢を問わずにうらやましい。

さすがに初夏の日差しが暑くてまるで夏のような気がしたからか、なんとなく「ナンバンギセル」の花が最低そうな気がして水生植物園に行ってみたけれど、さすがにあれは夏の花、まだまだ陰も形もなかった∥^O^∥

この後、東京都写真美術館へ歩いていくつもりだったので、あまりあちこちを回らずにぐるっと一周。
何しろ自然教育園を心まで歩くと結構疲れるのだ∥^O^∥

出口(あるいは入り口)のところにある教育管理棟ではかわせみの巣の中にカメラを置いてライブ中継をしていた。
親ガスの中の雛たちにやるえさの量が突然減って3日ぐらいすると巣立ちの季節なのだという。もうそろそろ巣立ちらしい。

思わずしばし見とれてしまった。
巣の中の雛なんて、早々見られるものじゃないし・・・

が、この後もう一軒回るので、早々長い時間見ているわけにも行かず、適当なところで切り上げたけど、もっと見て痛かったなぁ・・・


自然教育園の中のさわやかな散歩と違って、目黒の町は日差しが強くてさわやかというよりも暑かったのが残念。
それでも電車に乗るよりはさわやかだったかも・・・

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2008.05.19

ビオソフィア イカロスを夢見て

鳥類学者がイカロスを夢見ていたのかどうかはらないけれど、その鳥への思い入れはイカロスの名前を思い起こさせる。

昨日で終わってしまった
東京大学創立130周年記念特別展示
鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展
会期末のぎりぎりになって行ってきた。

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タイで作られた信仰の対象にもなっている鶏なのだそうだ。プラスチック製などの張りぼてではなく、コンクリート製だという。

会場に入ると真っ先に目に付くのが現代美術・・・プランクーシの「空間の鳥」・・・その姿はとりでもなければ羽でもないけれど、自由に空を飛び回る姿を感じさせる。
その瞬間に「博物館」から「鳥へのあこがれ」へ

最初の部屋には絶滅した鳥たちの遺物などが並び、ハンス・アルプの版画の詩集「われらの鳥たちについて」、レオナルド・ダビンチの「鳥の飛翔について」が飾ってある。

この部屋はまさに博物学とアートの出会い。

進んでいくと鳥たちの剥製がガラスケースに入って飾られている。
が、自由に飛ぶ鳥たちを箱の中にしまっているとはいえ、あたかも自由を思い出すかのように、高さを変え、間隔を変え・・・・彼らは本来自由であったのだ・・・・

なんといっても感動的だったのは赤で統一された「鳥類学者の部屋」床も壁も柔らかな感じのする布の赤。ちょっと暗い部屋の中にはたくさんの引き出しの着いたたんすがあり、本棚があり天井近くまで鳥の絵が飾られている。
ここは19世紀の鳥類学者の部屋、という想定なのかもしれない。
引き出しの中には仮剥製と呼ばれる体をまっすぐ細く伸ばしたかたちで剥製にされた鳥たちがぎっしりと並んでいる。この剥製たちはその美しさをめでられるためでなく、研究されるために並べられているのだ。

この部屋で過去の研究者に想いをはせるのはとても楽しかった。
何しろ、「鳥」の展示のはずなのにウエブスターの辞書までが展示してあるのである。
床からの高さのある書見台の上におかれた辞書・・・この重い辞書はこうやって使ったのかな。

そこから出ると真っ白な部屋。
そのコントラストも印象的だった。
しかも真っ白な部屋には家禽である鶏の展示。
これはガラスケースではなく、真っ白な棚に置かれている。
一番上では床までの高さでも足りない尾が真っ白な棚の最下団にまで流れている尾長鳥。
こうした家禽も保存が難しくなってきているのだという。

そして最後が博物学陳列場。
ここは今までの斬新な展示と違ってスタイルは昔ながらの科学博物館のような感じの展示。

Cosなどには馴染み深い展示でどこか心休まる。

今回の展示は博物学とアートの融合というだけではなく、

「鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展 東京大学総合研究博物館.

展示デザインに関するミュージアム・テクノロジー(博物館工学)の研究成果も併せて公開します。自然誌と文化誌、学術標本とアートワークの新しい融合展示、モバイル・ミュージアムとしての展開が可能な実験的展示モジュール、レプリカの活用法、さらには空間構成、ライティング、グラフィックなど、ミュージアム展示における各種の先端的な試みを集大成します。

というだけあって展示がとても面白かった。
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帰ろうとするとさっきの鳥たちが帰る人を名残惜しげ(?)に見ていた。

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2008.05.10

西洋版画の世界

考えてみるとすごく当たり前なんだけど、写真が生まれる前は画像データを大量に扱うために版画があったということが版画に対する見方をちょっとかえたような気がする。

埼玉県立近代美術館の

「いとも美しき西洋版画の世界-紙片の小宇宙を彷徨(さまよ)う」
2008年4月5日(土)~5月18日(日)
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名前は明かされていないけれど、一人のコレクターが50年間に集めた版画たち。絵画に比べて手を出しやすい版画だけれど、やっぱりよほどの財力なんだろうなぁ・・

とりあえず、(Cosの中では)多面体で有名なデューラーの作品から・・・・
幾何学的な構図があるのかなぁとおもったけれど、今回出品されているものの中にはそういうものがなかった気がするのがちょっと残念だったけれど、それ以外は予想すらしなかったほど面白かった。

ちょうどちょっと前にウルビーノのヴィーナスを見たときに解説していただいた官能に対する表現が、ここにも表れていることに気がついた。
絵画の場合と違って、(今から考えると慎ましやかだが)露骨な表現も使っていたりして、分かりやすかったかもしれない。

今の版画ではなくて、古い形の西洋版画に対する関心は阿部謹也の本の挿絵から始まったような気がする。緻密に線で表現された世界がそこにはあって、中世の人たちの想いが見えているようにも思われた。

それと同じような世界がここには開かれている。
ブリューゲルの「7つの大罪」の中に現れるいろいろな生き物たち・・・「罪」といいながらもそれがまた楽しそうなのだ。

そして、カロの緻密さ。
写真のない時代の写真の代わりともいえるのがこの人の版画かな。

彼の聖アントニウスの誘惑の中に出てくる鳥のような生き物が展示のマスコットにも使われていた。
(この鳥のくちばしがどこに突っ込まれているのかを思うとこの企画を立てた人はユーモアがあるんだなぁと思わずにはいられない。

比較的近い時代のものになるとCosの好きな作家たちのものも多くなってきて、それはそれで面白かった。

おそらくは絵画よりも密接に人々の暮らしに結びついていた版画だからこそ、不思議な生き物が出てきたり、風刺に使われたりというより身近な表現になるんだろうなぁ・・・・

わざわざ埼玉まで出かけていくだけの価値のある展示だった。
(夏には八王子夢美術館にも来るらしいが・・・きっといくだろうなぁ・・・)

デューラーの幾何学は見ることが出来なかったけれど、帰りに
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「放物線は相似である」の手ごろな教材を見つけてきた∥^O^∥

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2008.05.09

海へのあこがれ

日本橋の三越で2008年5月11日までやっている
中村征夫写真展
「命めぐる海」-都会の海から聖地の海へ-
を見てきた。

さすがにデパートだけあってかなり混んでいる。
混んでいるところの苦手なCosとしてはそれだけでもあまりいい印象がなかったりするのだが、まあ、仕方がないだろう。

さんご礁に囲まれたジープ島の美しさは何もかも捨てていってしまいたくなるほどだったし、そこにいる魚をはじめとする海中の生き物たちと会うことが出来るなら、ダイビングをやろうかとも思い始めてくる。

子どものころ通っていたスイミングには2mの深さのあるところがあった。
一番そこに潜って上を見上げると何の音も聞こえないし、水面がずっと遠くのほうに見えて普段と違った世界にいるような気がしてくるのがとても好きだった。

プールの中には人間以外の生き物はいないけれど、海の中にはさまざまな生き物がいる。
中村征夫の写真を見ているとそういう生き物に会いたくなってくる。

が、Cosがいいなぁと思ったのは水のにごった東京湾の、そこで一生懸命生きているノリを下側から撮った写真。

それまできれいなさんご礁の海の写真をみてきた目からはにごった水の中で精一杯お日様の光をあびようとしている海苔の姿がとてもけなげに見えた。

こんなにごった水のところにCosたちも生きている・・・・

そんな感じのする写真で、すごくきれいというわけではなかったけれどとてもよかった。

ただ、おそらく今回の写真展はキャプションがテーマでもあるんだろうけれど、写真は写真だけで楽しみたかったかもしれない。
感情を込めずに淡々と解説があれば、そこでまたいろいろと考えたかもしれないのに・・・

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2008.05.05

ティツィアーノのヴィーナス

ルネッサンスの時代のヴィーナスの意味・・・
そんなことを考えながら見ることになった
ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜
2008年5月18日まで

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ヴィーナス自体は神話からとられた題材だけれど、その背景は当時の室内の様子そのものであって、決して神話の世界から持ってきたものではない。

このヴィーナスの表情や体からはいわゆるアガペーではなくエロスを感じさせるものだし、ヴィーナス自体は結婚に際して贈られることがおおかったのだそうだから、こうした絵がどういう目的だったのかは分かるような気がする。

時代とともにヴィーナスが官能的になっていって、このヴィーナスではこの絵を見ている人と視線を合わせている。
実はルネサンスとはそういう時代だったのかもしれない。

なんていうことを思いながら解説を聞いていたらなんとなく当時の人たちの生活の様子が垣間見えるような気がしてきて、面白かった。

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2008.05.01

ジェラルド・ダレルにささげる本

普段、美術展に行っても図録を買うことはまずない。
買った後何回図録を開くのかを考えるとよほどのことがない限り買う価値がCosにとってはないのだ。

が、「本書をジェラルド・ダレルにささげる」という一文を見たとたんに買ってしまったのがこれ。
地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)
地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)

調布市文化会館たづくりで2008年5月18日までやっている「岩合光昭写真展」の写真たち。
彼の撮る野生生物たちはあまりに人間くさくて写真を見ていると「直接あったことはない隣人」という気がしてくる。
一歩間違えば「かわいい動物」でしかないような写真になりかねないのに、どこか動物の持つ厳しさを残して見る人に伝えている。
あくまで「隣人」でありペットではない動物たちの姿は確かにジェラルド・ダレルの動物観とつながるところがある。

本に出ていたり、web状にあったりする小さな写真ではなく、パネルに伸ばされた写真はやはりいい。
彼のサイトに行けばほとんどの写真は見られるような気がするけれど、やはり写真はその大きさも大切。

彼の写真ももっと大きなパネルに伸ばすとかわいらしさが減って彼らの環境の厳しさが伝わってくるんじゃないか
という気もしてくる。


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まなざしの呪縛

そのまなざしが自分の内側のすべてを見透かして、その呪縛のとりこになってしまうとそこから逃れられない。

日本画だというのに、友達が持っているチケットに書かれた女性のまなざしを見たとたんにそんな感じすらした中村岳陵・・・

しかもやっている場所が横須賀・・・

Cosのうちからは決して近くはない場所だ。この前電車で行ったら3時間近くかかってしまったくらいだからそうそう簡単にはいけない。

それでもどうしてもこの目に出遭いたくて・・・その目に見つめられたくて行ってきてしまった。

中村岳陵展
横須賀美術館
2008年4月1日(火)~5月11日(日)

本当にどの絵もとてもいい目をしていた。人間のみならず動物の目までもが、Cosをとりこにして離さない。
チケットにあった貴妃賜浴も白狗も人の心の内側までも見通すかのような、小さな少女までもが同じ目をしている。

この目の鋭さは風景や静物を描いているときにも表れている。
赤く染まる空に黒く映る冬の木を描いた残照・・・先日見た東山魁夷の残照も雄大さがあっていいけれど、絵としてはこっちのほうがCosの好みかも。

爽秋、砂浜・・・たくさんの絵がCosの琴線に触れる。
そこにこちらを見通すような目は描かれていないけれど、凛とした空気が伝わってくる。
(が、こうやって考えてみると人の絵よりもやはり風景画などのほうがすきなんだなぁCos)


Cosを呪縛する目を思いながら・・・
一幅の絵のような横須賀美術館で心を奪われたひと時。


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2008.04.20

これが写真?!

展示室に入って最初の一枚を見たとたんにあまりにも自分の思っていたものと違っていたので自分の頭の中をどう処理していいのか一瞬分からなくなったほどの衝撃。

どうしていいか分からなくなって、ぜんぜん違う次のシリーズの写真から見はじめたり・・・∥^O^∥

「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展
東京都現代美術館で2008年5月6日まで

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東京都写真美術館で写真を見る」という先入観がなければ「これはいい!」の一言ですんでしまったのだろうけれど・・・・

しかも展示の順序が新しいほうから順に・・・つまり、彼が死の直前に死を意識しながら取った写真たちからのスタート。

おそらく写真そのものではなくて加工してあるんだろうし、どうやらジャコメッリはそうした技術に長けていたらしい。

「この憶い出を君たちへ」のシリーズには無表情な彼自身が登場する。鳥のオブジェがあったり不思議な感じの犬がいたりする現実にあってある意味では現実の中にはない夢の中のような世界が写し出されている。

この世を取り巻く「生と死」を撮りつづけたという解説があったけれど、彼がここで描いているのは生でもなければ死でもない、心の内側の世界を現実化して描いたと言う感じがしてならない。


写真と言うものが「真(まこと)を写し出す」ものだとすれば、確かにそのとおりだけど、そこに写し出されているものは彼が作り上げた世界・・・・その意味では写真は彼の芸術を表現する手段でしかないのかもしれない。
写真で何かを表現するのではなく、表現する手段としての写真かもしれない。

写真が少しずつ過去に戻るにつれてその表現はおとなしくなっていくけれど、たとえば人物以外は真っ白にしてしまっていたり(ポスターになっている神学生のシリーズ)、空中から撮った写真に畝を作ってみたりといった加工が随所に施されている。

中には写真のドット(と言う表現があるのかなぁ?)を変えることで写真の雰囲気が一変していたりもする。

このポスターになっている神学生のシリーズでは踊っている神学生たちもいいけれど、生真面目な顔をしている神学生たちからは見えないところで木の幹にへばりついている子猫の写真がCosは好きだ。
この子猫と戯れる神学生の写真もあったけれど・・・・この写真が彼らの将来と若さを象徴しているみたいだった。

黒のカラフルさが彼の写真からは伝わってくる。
その場においてあった印刷した写真集を見たけれど、そこで見る写真と会場で見る写真とでは黒の鮮やかさがまるっきり違うのだ。
生き生きとした黒の中に写真の技術が生きていると言うところなんだろうか。

ピントをずらすことによって夢の世界のような雰囲気を作ったり・・・・

久しぶりに堪能した美術展だった・・・・・

続きを読む "これが写真?!"

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2008.04.17

異国へのあこがれ:ジャポニズム

ぽっかりとあいた時間を埋めるべく、六本木ミッドタウンへ。

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こういう生け花だとCosも好きなんだけどなぁ・・・
ダイナミックに鮮やかに・・・

と言うわけで行ってきました、サントリー美術館ガレとジャポニズム

実を言うとCosはガレのあの派手派手しさはどうにも好きになれない。今回も「ジャポニズム」の一言がなかったら行かなかったんじゃないかと思う。

ジャポニズム・・・つい先だって見てきた歴博の江戸の展示や府中美術館で見てきた「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」をちょうど反対側から見た感じになっているはず。
日本の人たちがどう見たのか、ヨーロッパの人たちがどう見たのか・・・どちらも異国趣味であり、自分たちにはないものを求めていたと言うことになるんだろうと。

どちらももちろん「日本」があったけれど、その日本のとらえ方がちょっと違うという感じだろうか?
う~む、よくはわからない。

日本にあこがれて、日本人のように美を求めようとしたのがガレなんだろうな。

日本と違ってヨーロッパでは小さな昆虫や爬虫類をめでることはしなかったのだそうだ。
ガレの作品の昆虫やかえるたちはあるときには忌み嫌うべき存在のように、あるときには親しみを込めて描かれている。
なんとなくそれが象徴的かも。
(でもやっぱり好きにはならなかったなぁ・・・)

ついでに帰りには富士フィルムのFUJIFILM SQUAREで「時代を彩る女優展」を見てきたが・・・
こっちも今ひとつだった。
基本的に写真じゃなくて絵でも肖像画などの人を描いたのが好きでないこともあるし・・・
美女が好きでないわけじゃないけれど、「これだ」と言う感じの写真がなかったのは残念。


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2008.04.16

見に行くんだろうなぁ・・・

人寄せパンダ、二匹めか三匹目のどじょうとわかっていても見に行くんだろうなぁ・・・σ∥>_<∥

奈良・興福寺の阿修羅像 来年、東京・福岡で公開.

 奈良・興福寺が所蔵する国宝の阿修羅像が、来年3月から東京・上野の東京国立博物館で、同7月から福岡県太宰府市の九州国立博物館で、朝日新聞社などが主催する展覧会に出展されることが決まった。興福寺の創建1300年を記念し、奈良時代の天平文化の仏教美術を中心に紹介する特別展。阿修羅像が東京で公開されるのは約半世紀ぶり、九州では初めてとなる。

奈良からこういう仏像を持ってくればそれだけで人が集まるからいいんだろうけれど・・・・なんかなぁ・・・・
薬師寺展も、確かにいい物を持ってきているのかもしれないけれど・・・

なんとなく、安易に仏像を持ってくればそれで人が集まるから・・・なんていう気もしてこないではない。
う~む・・・

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2008.04.13

コレクションの新地平

4月のこの時期は忙しくて都心まで出かけるなんてとんでもないのだが、友達の
「でもザオ・ウォーキーだよ」の一言で、ブリジストン美術館へ。

「コレクションの新地平--20世紀美術の息吹--
2008年4月13日までブリジストン美術館

Img_8232

会場内はこんな感じ

もう少し早く気がついていればもっとのんびりと見ることが出来たのに、時間の余裕がなくてざっと見ることしか出来なかったのが残念。

それでも、クレーをはじめとする好きな作家の作品をいくつも見ることが出来て\∥^O^∥/

ブリジストン美術館に来るといつもたちどまって見る絵の一つにザオ・ウォーキーがいる。


個人的には青はどうも苦手な色なんだけど、彼の青はいい。
(もっと厳しい表情をした人かと思っていたけれど、リンク先を見るとそんなでもない感じだな)

彼の「07.06.85」を見ていると違った世界に入り込んでいくような、自分の存在が無になってしまえるような感じすらした。
(ちょうどそのときに聴いていた曲がケルンコンサートだったのも影響しているだろうけど・・・)

この世のいろいろな想いからはなれて違う世界に入り込んだような・・
そのままそっちの世界に行ってしまいたくなるような・・

まあ、この絵自体は普段からブリジストン美術館の常設展に出ていることが多いので、今回無理に見に来なくてもよかったんだけど、普段まとめてみることがないだけに、やはりZaoの作品がいくつも並んでいるのを見るのはいい。

堂本 尚郎、白髪 一雄、ジャン・デュビュッフェ、カンディンスキー・・・・いいなぁ・・・


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2008.04.10

紅毛のまぼろし

つい先日、歴博で見てきた近世の展示に鎖国の中での長崎の貿易・・・中国、琉球、そしてオランダ。

その同じ時代、オランダと言う国を夢見てあこがれていた人たちがいる。
そしてその「あこがれていた人たち」にまたあこがれているひとたちも・・・

そういうオランダ人(紅毛人?)にあこがれていた江戸の人たち、
明治、大正、昭和になってからそういう時代を夢見た人たちの展示・・・

南蛮の夢、紅毛のまぼろし
府中市美術館で2008年5月11日まで

Img_8228

一番最初の展示が先代藩主伊達政宗によりメキシコとの公益や宣教師の派遣の依頼などのために派遣された支倉常長。
彼は任務を全うせずに失意のうちに帰国するとそこでは江戸幕府による禁教体制。
持ち帰った数々のものはすべて藩によって厳重に保管されて明治39年の「嘉永以前の西洋輸入品参考品展」間で日の目を見ることがなかったという。

長い間封印されてきた南蛮の記憶は明治末期、大正時代の人にとってはロマンに満ちたものだったのかもしれない。

支倉の絵、彼がわたった西欧の様子などの絵がそのころにいろいろと描かれたらしい。

仙台で長い間封印され続けた文化との接点が長崎にあった。

長崎では蘭学とともに絵だけではなく、版画の技法も日本の中に入ってきていた。

ちょうど今歴博のミニ企画でやっている「海を渡った漆器」と同じような螺鈿蒔絵花樹鳥文聖龕があったり、
阿蘭陀婦人や蘭人食事之図を描いたりしてる。歴史的な背景は歴博が面白いかも。

内容も重なる部分が多く、当時の日本の人たちからは隔絶された長崎出島の人たち・・・
彼らの世界にあこがれた江戸時代のごく一部の人たち
その人たちにあこがれたその後の人たち・・・

歴史と文化と芸術が密接に関連してくる・・・・

そして松本華羊の「伴天連お春」 大正5年頃。
実際には吉原の遊女朝妻であったと言われる。
キリシタンであったために処刑されることになったが、せめて桜を見てから刑に処されることを願った最後の姿なのだそうだが、なんとも切ないいい絵になっている。

長崎だけでオランダと交流のあった時代だからこそ伴天連として殉教・・・そうした時代に想いをはせるひと時だった。


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2008.04.09

雨の薬師寺展

雨が降っているのですいているに違いないと期待して行ってきた東京国立博物館の「薬師寺展

Img_8218(写真をとっても人が写らない程度に空いていたということになるかな)

Cosとしてはがらがらを期待していったからそれに比べると混んでいた印象があるけれど、人の頭越しに展示を見る必要がなかったので、東博で空いていると状態はこんなものかもしれない。

(面白かったのは会場内のお客さんは年配のサラリーマン風の人たちが多かった。普段とはかなり違うかも)

どう見ても会場のつくりは「混雑」を前提に作られていたし・・・

日光・月光菩薩像のほかに聖観音菩薩立像が展示されていて、Cosはこっちの表情のほうが好きだった。日光・月光菩薩立像の表情はどこか遠いところにいるような現世とは距離があるような感じだったかもしれない。

聖観音菩薩立像から斜路を登って折り返すと一階分近く高くなった踊り場のようなところから、日光・月光菩薩立像を見ることが出来る。

レオナルド・ダビンチなどのときのように高さを変えてたくさんの人が見ることが出来るようにしているわけだが、対象の仏像が大きいので距離はあるけれど、見上げなくてすむ高さというところだろうか。
正面のかなり暑さのある壁のような手すりにはいくつか穴が開いていて、小さい人、車椅子の人はそこから見ることが出来るのだろうと思う。
顔の高さよりはちょっと低かったけれど、今回は混んでいなくてもこの高さがよかった。
何しろ下から見上げていると首も疲れるし・・・

下に降りて足元の正面から見上げるとどちらもさすがにいい。
美術的な価値というのはCosにはよくわからないし、歴史的価値はもっとよくわからないのだけれど、(首と足が疲れるのを別にすれば)いくらでも見続けていられる感じ。
おそらく一体につき15分ぐらいずつ見ていたかもしれない。さらに首が疲れたのでちょっと戻って高いところからもう一度じっくり。

薬師寺にあるときと違って、横や背後からも見ることが出来るというのが今回の売りのひとつ。
確かに仏像をお寺で見るときにはそういう角度からは見ることが出来ないから貴重な体験。
普段人が見るわけではない後姿もなかなかよかった。

東博の企画展では人が多くてなかなかこうやってじっくり見るのは難しいから雨の中をがんばっていった甲斐があったというところかな。

さらに絵自体は決して大きくないのでたくさんの巨大なパネルで解説してあった吉祥天像。
パネルの大きさからいってもっと大きな絵をなんとなく期待していたのだが、現物は結構小さくて会場が混んでいればチラッと見ることが出来る程度だったに違いない。
さすがにこれは正面からじっくりというのははた迷惑だから横から・・・それでもじっくりと眺めてくることが出来たのはうれしかった。
じっくり見ながらいろいろなことを考えていると奈良時代の人のものの見方が垣間見えたり、吉祥天の表情が妙にリアリティを感じさせたりして面白かった。

続きを読む "雨の薬師寺展"

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瞬写---水に挑むバシリスク

子どものころから、「水の上を走る方法」として、「右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出せばいい」と散々聞いてきたけれど、それを実践するバシリスク。

以前、映像で診た記憶はあるけれど、どんな表情をしていたのか、どんなトカゲだったのかの記憶はあまりなかった。ただ、「水の上を走るとかげ」としてだけしか。

友達が教えてくれた今回の写真展。

嶋田忠写真展 「瞬写-野生の瞬間を捉える-」 キヤノンサロンS 東京都港区港南2-16-6 キヤノンSタワー 3月28日(金)~5月7日(水) 10:00~17:30 休館日:日曜祝日

ここではバシリスクがその表情もしっかりと見せてくれている。

大きなパネルに伸ばされたふくろうにせよ、かわせみにせよ、そしてバシリスクにせよ、その一瞬をとらえている。

バシリスク 水上を走る忍者トカゲ
バシリスク 水上を走る忍者トカゲ

この本のバシリスクがたたみ一枚分ぐらいの大きさになっているのだ。
彼のこの表情は、これから水にいどもうとするトカゲの決意を見せているかのようにすら見える(実際にはバシリスクにとってはそんなすごいことじゃないのかもしれないけど)

時間に余裕があればもう一度のんびりと見たい。

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2008.04.08

歴博 リニューアルした近世

今回の歴博の目玉はリニューアルした第3展示室「近世」

Img_8095

ただ、他の展示室では多くが写真撮影が可能なのに、ここはまだリニューアルしたばかりだからか写真撮影は不可。

残念!

Cosのつたない言語表現能力ではその面白さはほとんど伝わらないのではないかと言う気もするし、最初のほうをじっくり見ていたらあっという間に時間はたってしまうし・・・・う~ん・・・

江戸という時代は実は思いのほかに身近な時代。
この時代の影響をいろいろなところで色濃く残している。

何よりも最初に見た江戸の屏風絵は面白かった。
江戸の人たちは地図(あるいいはそれに類したもの)を描いているのに、距離は問題とせずに描いているから、すぐそこに川越があったり、日本橋界隈がとんでもなく広かったりしている。

言い換えるとその時代の人たちの心理的な重みがそこにはしっかり出ている。

その地図(?)の中に鬼子母神や(本郷の)吉祥寺、伝通院を見つけて、うれしくなったり・・・・
一緒に行った友達から、
当時は川越→東京を船で旅行したりもしていたなんていう話を聞いたりしてきた。

長崎のところでは出島の話。
最初のうちは出島の外でも貿易をやっていたけれど次第に出島に限定するようになったとか、
子どものころに習った出島のイメージがどんどん広がる。

そして北海道から琉球を経て輸出された昆布。
(正しくは琉球に輸出かな?)
海を通じてきたから南からつながっていた日本・・・・男鹿に住む友達が京都とロシアを結ぶ航路が男鹿を通っているなんていう話をしていたけれど、それと同じものがこうやって出てきている。

ただ、なんとなく残念だったのはこの辺のところの解説。
何枚ものラミネートシートに解説文があって本のように順に読むようになっているんだけど、一番下の一行の印刷が半分しか出ていない。

気がついてプリントアウトをやり直せばほとんどお金もかからないのに、時間がなかったのかもしれないが、たったそれだけのことで未完成のイメージがあったりする。

未完成と言えば、Cosの見学も未完成。

寺子屋「れきはく」もすごろくと習字をやっているのをチラッと見ただけだし、
自然科学とのかかわりでは算額がちょっと出ているとか、変化朝顔のレプリカが置いてあるとかを確認したにとどまるし、
もっとじっくり見たかった 「『もの』からみる近世」の普段目にすることがないようなヨーロッパ向けの漆器、
細かいところまでもっとよく見たかった日本橋あたりのジオラマ・・・今までの歴博のジオラマに比べて一