2012.05.07

アートオブコネクティング・・・田中敦子の丸と線

東京都現代美術館で5月6日までの「田中敦子 - アート・オブ・コネクティング」。

どうもCosは初期の作品が「いい」とはあまり思えない。たくさんの蛍光灯をつないで作った電気服もそうだし、たくさんのベルが時間差で鳴り、ベルの音が遠くに離れまた戻ってくるなんていう作品は、どちらかと言うと(本人の意志にはかかわりなく)奇をてらっているような印象を受けてしまうのだ。
「こんなことをやってみました」「あんなことをやってみました」という感じだろうか。

それに比べてたくさんの丸から出ている曲線が、つながったり、バラバラだったりしながら描かれている作品は逆にとても親しみを感じる。
見た瞬間に思ったのが、数学者のマンデルブローの「自然は真っ直ぐではない」という言葉を見せているような気がしたくらいだ。

たくさんの丸と曲線が彼女自身のあり方を表しているようで、心のなかを描いているようで、はたまた世界を表しているかのようでとても面白かった。


二階の窓から一階の展示室の入口のところまで太い太いチューブ(のように見える)が下がっていて、膨らんだりしぼんだりしていた。


between here and there is better than either here or there》は、タイトルの通り
バルーンによって、2階展示室の空間を1階のエントランスに引っ張り込み、隣り合った空間であることを
視覚化している。バ ルーン状の布は区切られた空間でつくられたごくわずかな圧力差によって膨らんでいるが、
2階展示室の扉を開けることで、若干の気圧変化が生じてバルーンは音を立てて収縮する。いわばこのバルーンの
内部に存在しているのは空気という物質ではなく、田中敦子が布の作品や《作品》(ベル)で表現した「現象」
なのである。


2回の休憩室の入り口のところには壁とドアが作られていて、ドアをあけるたびに太い太いチューブ・・・半径2mぐらいあるだろうか・・・しぼむのだ。
その動きはまるで食道の動きのようにも感じられて、(現実よりもずっと大きな)クジラに飲み込まれたピノキオがクジラの胃の中で見ていた動きのようにも見えてくる。
何をもってアートとするのかというのはとても難しく、かつまたすべてはアートにつながるのだからアタリマエのことでもあるんだろうけれど、見学者の何気ない行為が作品を作っているのがとても面白く、ついつい長居をしてしまって、常設展をのんびり見る余裕がなくなってしまったのはいつものとおり。

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2012.05.05

地上の天空 故宮博物院展

 東京富士美術館は創価学会の持っている美術館で、いい絵をたくさん持っているけれど、場所がちょっと遠いので、なかなか行けない美術館の一つ。

 先日上野の等伯で見てきた故宮博物院展で気になった「地上の天空 故宮博物院展」をどうしても見たいと思っていたら、チケットを頂くことができたので一も二もなく出かけてきた。
日曜日だったこともあって場所の割には(あるいは創価学会に来た人がついでに見てたのかもしれないけれど駐車場に入ってくる車は必ずしもそうではない感じ。)人が多くてのんびり見る感じはなかったのが残念。
東博は日本の国宝や重要文化財級の一級文物ばかりで歴史的な重み、芸術的な価値の高いものが多かったけれど、こちらはきらびやかな宮廷をしのばせるようなきれいなものがいっぱい。
華やかな宮廷を思わせるようなものが多かった。

こうした華やかさにあこがれる人は多いんだろうけれど、説明文にあった故宮のしきたりの厳しさがまたとても印象的だった。
しきたりや作法を重んずることで格式が保たれている・・・それが文化を創り出しているということなのかもしれない。
普段生活している日本の現状ではしきたりや作法はどこかに消えている部分がかなりある。それが必ずしも悪いこととは思わないし、こうやって歴史は一番生活に密着した部分から変わっていくのだろうけれど、もしかしたらそうしたことも実は大切なのかもしれないと思った。

この特別展に対して、常設展は人も少なく、のんびりと楽しむことができた。
ここのコローの絵とかルノワールとかはいつみてもほっとする。
たぶん、常設のほうが時間をかけてみた気がする。見終わって外を見たら土砂降りの雨。この雨の多さ、激しさもまた、歴史の流れを感じさせるのかも。

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2012.05.04

靉嘔 再び虹のかなたに

 「虹」という一言を聞くとついひかれてしまうのは、色、色の変化に対する興味が子供のころからあったからだろうか。

 地下から三階までの吹き抜けにつりさげられたレインボーの布地、これはパリのエッフェル塔に渡された例ボーだったとか。その根元は毎週日曜日に靉嘔がその周りにおいてあるレインボーに塗り分けられたいろいろなものを展示し直すオブジェクト・マンダラ。
 どんなことを思いながら彼は並べ直しているんだろう。一組の靴の一方のみを他の靴と置き換えて裏返してみる。置き換えることによって何が変わるんだろう? Cosにはよくわからない気がするけれど・・・

そしてそのそばには暗闇の部屋。膝の位置に張り巡らされた手すりを伝って、真っ暗な中を進むのだけど、その中を歩きながら、「もしかしたら見えないだけで、壁はレインボーなのかもしれないな」と思ってみたりもした。

ちょうどこの日はアーティストトークの日でもあり、展示を見るよりも先に彼のトークを楽しんできてしまった。
虹に塗り分ける・・・12色の虹、24色の虹、48色の虹、・・・192色になるともはや色の違いを見分けるのは難しくなってくる。しかしその192色を使って書かれた詩はきれいなだけじゃなくて、思いもこもっているように見えた。他に何を話していたのか・・・・とても面白かったことは覚えているのだが、あまりに強烈な体験があったもので、ほかのことがすっ飛んでしまった。(いったのは4月1日だったし…)

 美術館の展示室で、やってはいけないことの一つに、間違いなく縄跳びは入るだろう。
靉嘔氏の作品にかけられた一本のロープ、おもむろにそれをはずすと「縄跳びをしよう」と言い出したのだ。
縄を持たせて回させ、「さぁ、入って」と。
最初は驚いていただけだった人たちも一人入り・・・順に縄跳びを始めた。が、当然のように縄跳びの縄から抜けようとした人が、絵にぶつかった。
靉嘔氏はどうということはないとにこにこしているが、真っ青になったのは美術館員。
絵の前に身を挺して、人がぶつからないように・・・・

そしてお約束のように最後に自分も飛ぼうとした靉嘔氏が縄に引っかかっておしまいに。

エプリールフールに美術館で縄跳びなんて、できすぎだけど、これは本当の話。

 そんな楽しいアーティストトークの後に彼の作品をじっくりと見た。レインボー再び。虹に塗り分けられた作品たち。Cosが好きなのは虹の色の変化かもしれない。エリアソンの作品でもやっぱり虹の色に強く惹かれたし…
そんなこんなでじっくりと見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまって、同時に見たいと思っていた田中敦子展までは手が回りきらなかった。
(実際にはそのおかげでチケットを頂けたのでCosにとってはとてもよかったのだが…)

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2012.04.01

あなたに見せたい絵・・・・

ブリジストン美術館の「あなたに見せたい絵があります」2012年3月31日~6月24日
のブロガー対象の内覧会に行ってきました。
ブロガー対象ということで、許可を得て写真もとらせていただけました。ありがとうございました。

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「あなたに見せたい絵」・・・ブリジストン美術館から私達へのメッセージ。

「自画像」「肖像画」・・といった章立てになっているばかりではなくそれぞれの章の中でも思わぬ絵が同じ味わいだったり、同じ題材を同じように描きながらそれぞれにまるっきり違っていたり・・・
「見せたい」部分が自ずと伝わってきたり、聞いてみて初めてわかったり(でも、絵は自分の主観で楽しめがばいいんだから、無理に聞いてわかろうとする必要はないんだけど)・・・

例えば、第4章 モデルの章では
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どちらもCosの好きな作品だけど、黒田清輝の「プラハの少女」とコローの「森の中の若い女」。
雰囲気はまるっきり違うように感じていたけれど、こうやって並べてみるとどこか共通したものが見えていて面白い。
二人の視線はあってないけれど、互いに意識しているのかもしれない。


という程度なら、Cosでも気がつくのだが・・・
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モネの「黄昏、ヴェネツィア」、クレーの「島」、藤島武二の「屋島よりの遠望」という3枚になると、並べてもらわないと、Cosにはとても気が付かない。そして、この3枚が同じ部屋に展示してあることによって、夕方の光を描いているのが感じられる。
さすがにモネはタイトルの中に黄昏とあるから夕方だとすぐにわかるけれど、他の2枚も同じ空気を捉えていることには多分気が付かなかったんだろうな。

押し付けがましくなく、さり気なく展示してあるけれど、そんなことを考えながら見ていると、ブリジストンに来るたびに見ているような見慣れた絵がまた新鮮な驚きを持って迎えてくれる。

ちなみにこのクレーのはそばに寄ってじっくりとひとつひとつの点を見るとまた新しい発見があるのかも。

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更ににくいばかりのこころくがりがこの短い解説文。子供でもわかるように難しい言葉を使わずに解説してあるから、まさにCos向け。
これだけたくさんの絵に付けられている解説だから、さっと読めて、
「ほぉ」
「ふ~ん」
「そうなのかぁ」
なんて思いながら一枚づつ見ていくのには短くてわかりやすいのがうってつけ。
展示をした人達から見れば、もっともっとアピールしたこともたくさんあるんだろうけれど、そこを抑えて簡潔に書かれているのだ。

「いつ来てもお客様がご覧になれるように」ということで滅多なことでは貸し出さないという見慣れた何枚もの絵。

その絵のの間に、石橋美術館から6年ぶりに上京してきた雪舟の「四季山水画」がある。
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これもいつ来てもあって欲しい絵だけれど、本来の石橋美術館でも年に2,3ヶ月しか展示できないということだから、今回見そこねたらまた6年後になるのかもしれない。
そう思うと時間のゆるす限り、これはじっくりと見ておきたい。
(この日は時間の制限があったので、ちょっと見足りない感じ。もう一度見に行かないとな。丁度ポロックが国立近代美術館に貸し出しているのでそれが帰ってきた頃にもう一度行きたいな)

そして新鮮な驚きが今回新収蔵品となった、カイユボットの「ピアノを弾く若い男」と岡鹿之助の「セーヌ湖畔」
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カイユボットのこの絵は第二回印象派展に出品されたもの。
カイユボット自身の絵はかなりたくさんあるけれど、これは印象派の初期のもので非常に優れた作品なのだという。
確かに、写真で見るよりも実物はずっといい。光のあたり具合、黒いピアノと明るい窓。

このピアノをひく男性はカイユボットの弟なのだそうだ。
女性ではなく男性が真剣に弾いているピアノ、
何かストーリーがあるわけではないかもしれないけれど、そこには美しいものを美しく描くだけではない何かがあるような気がする。
長い間個人の元にあった一枚が、ブリジストンに来たと、本当に嬉しそうに語ってくれた学芸員の方。
この絵も「行くたびに待っていてくれる一枚」になるんだろうなぁ・・・
この2枚の絵のバックも対照的な色になっている。どこかほのぼのしたカイユボットと、すっきりと澄んだ空気を感じさせる岡鹿之助と・・・
どちらの絵も明るい光が溢れている。
なるべく早くまた会いに行ってこよう。
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同じ部屋の中で、絵の中の人と人とがならび、また別の部屋では山と山、海と海が隣り合っていて楽しい。

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或いはこんなふうに部屋の端と端で向い合って・・・・


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2012.03.04

アナグラ

2012年3月4日まで国立新美術館で展示されていた、文化庁メディア芸術祭受賞作品展に(がんばって)行ってきました。

最終日だけあって混んでいて、Cosが入場した時にはまだ行列にはなっていなかったけれど、帰るときには入り口にかなり長い行列ができているほど。
本当はひと通りは見たかったんだけど、思わずアーティストトークを聞いてしまったので見そこねてしまったものもあったのがとても心残り。

Cosが聞いてしまったアーティストトークは日本科学未来館に展示(?)されている「アナグラの歌 --消えた博士と残された装置--」。
参加型と言うよりは経験型の展示といったほうがいいのかもしれない。
「空間情報科学」をゲームクリエーターたちが未来感のスタッフまで巻き込んで、経験型のゲームに創り上げた作品。
実際に体験したわけではないので、その内容については今ひとつはっきりとはわかってないものがあるけれど、
例えば、東北大震災のときの仙台での携帯電話の位置情報が時刻と共にどんな変化をしているのかを見ることによってその時にどんなことが起こったのか、あるいは人々の動きからから何が起こりつつあるのかが見えてくる、といったことを研究しているらしい空間情報科学をつかって、(多分)IDカードを持っている人間を特定してその動きに(レーザー光を使って)対応させる床の上の映像「ミィ」(というらしい)が変化していく。
そのへんかも一人だけの変化だけでなく、他の人との関わりによって、現れてくるものが違う(らしい)。
「最後に自分の情報が社会全体を幸せな気分にさせる「うた」(みらい館のスタッフが歌ったらしい)というかたちになって表現される」のだという。

「こんなにすごいことができますよ」ではなく、心温まるゲームを楽しむための道具として情報と科学が使われている・・・
そんなアーティストトークを聞きながら、これが将来(実際には現在)の科学とアートの橋渡しをゲームがして、科学がますます魔法に近づいていくんだなぁ・・・なんて思ったりしていた。

実物を見ないとなんとも言えないけれど、確実にこれからの社会のあり方に関わってくるような気がする。
Cosたちが想っている以上に早く社会は変化していくのかもしれないなぁ・・・

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2012.01.11

アートが創り出す新しい環境

「エル・アナツイの新作が出ている」と聞いた瞬間に矢も盾もたまらず大急ぎで見にいった都立現代美術館「アートが創り出す新しい環境展」。

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このところ「建築」関係の展示が多かったので、建築自体を見に行くんじゃなくて、「新しい環境」を見にいったかんじ。
そのくせ、「Bamboo House」・・・次から次へと継ぎ足していくことによって建築物自体がどんどん大きくなる。
実際に生活することが出来る「建築物」と言うよりは子供の頃に憧れた「秘密基地」の大人版の感じ(爆)
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しかも、会場には実物はなくて、写真のみ。
どこかで実際に作られているのを見て、中に入ってみたいな。
床も平らじゃないだろうし、結構下が見えて怖そうな気もするけれど・・・

そして、やっぱりエル・アナツイの新作ガーデン・ウォール。天井が高く広々とした空間である東京都現代美術館、それも3Fの更にその上の天窓(というのかな?)までの高い高い空間の中にかけられた彼の大きな大きな作品は今まで見た神奈川近代美術館葉山や、さいたま近代美術館でのイメージとは全く違って見えた。

前に見た2ヶ所のものが空間の中に収まり切らないスケールの大きさを感じさせたのに対して、ここではその大きさが伸びやかさに変わっているように見えた。

前に見たものが、作品の中に閉じ込められた想いが外に出てこようとしている感じだったのに、
ここではその想いがまっすぐに伸びてきている感じ。
丁度Cosたちが夢に見るアフリカの広々とした大地のように。

あるいは、荒神明香の「コンタクトレンズ」
天井から下げられた大小様々なレンズが向こう側の景色をそれぞれの位置に応じて映し出している。
こちらが動けば当然レンズに写った姿も動く、見ていると一枚のカーテンのように下げられたたくさんのレンズが立体的に配置されているかのように錯覚してくる。
向こう側に何があるかで作品の勝ちが決まってしまう感じもしたけれど、レンズ越しの世界は以前に見た、床に置かれたたくさんのガラスのボールに映し出されていた天井の景色という作品とも共通している虚像の面白さ。

あんまり「建築」という言葉にとらわれない、いろいろな作品を見ることができて、予想以上に楽しかった。

・・・・だから他のところへ行くい時間がなくなったりもしたんだけど・・・


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2012.01.09

山種コレクション展

山種美術館で、印刷したのではわからない、生のままの絵の良さを普通では気づかない話を伺って一つ一つの絵をじっくりと味わって来ました。

青い日記帳企画「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション展」山﨑館長ギャラリートーク・・・青い日記帳のtakさんのお陰でとても有意義な楽しい時間を過ごしてくることが出来ました。

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速水御舟の研究で学位を取られた山﨑館長が最初に解説してくださったのが小林古径の「静物」輪郭線を大切にして描かれているこの作品は12世紀頃の中国の影響を受けているといった話から東博の「故宮博物館200選」の話題へ・・・う~ん・・・やっぱり清明上河図も見に行かないと・・・・
なんて、気持ちがそれていたのも束の間、次第に館長のトークに引き込まれていきます。

例えば、佐伯祐三の作品は戸外でスケッチをしたときのゴミが練りこまれているとか、
川合玉堂の早乙女の女性が微笑んでいる話・・・
奥村土牛については30代で日展に入選したしたけれども絵が売れなかったので当時の山﨑種二が買ったとか・・・

その土牛の桜の花を描いた「醍醐」については絵そのものはもちろんだけれど、さくらの花の色・・ピンクのさくらの花の色はエンジ色をしたコチニールカイガラムシの色素を綿に含ませたわた絵の具(なのだそうだがよく分からなかった・・・ワタエンジだという話もあとからコメントでいただきました。)と胡粉(これは貝殻を砕いたものをにかわと混ぜて白い色を描くらしい)を混ぜて作ったという今では使われることがないような絵の具で描かれているのだという。
今のピンクの絵の具ではこの色は出せないのだとか・・・

確かにギャラリートークが終わったあとにもう一度じっくり見なおしてみたら、他の部分は日本絵の具独特の透明感のある色使いで薄く塗ってあるような感じなのに、桜の花びらだけが・・・それもひとつの色ではなく淡いピンクではあるけれど、ほとんど白いものから桃色ぐらいのものまでいろいろな色があっただけではなく、絵の具の塗り方も、まるで、胡粉の厚みが出ているかのようないろいろな厚みがあり、中には「ぼてっとした」という表現がふさわしいような塗り方をしたピンクまでもあった。
この色の厚み、ピンクの鮮やかさは確かに印刷では見ることができないだろうなぁ・・・


或いはこの美術館で一番大きな作品である東山魁夷の「満ち来る潮」。
この作品は東山魁夷が皇居に描いたものに対して、「万人が見ることができるようなものをかいて欲しい」と依頼したとか。
そして本人の希望でしたからもライトがあてられている。
この作品には金と銀と白金の切金が施されている。その金や白金が上からと下からのライトに照らされて、絵が輝いている。
更に黒っぽい岩は黒い色ではなく、絵の具を焼いて作ったのだとか・・・そうすることによってどんな効果を狙ったものなのかはよく聞き取れなかったけれど、立体感が増していることには間違いがないだろう。

これもまた、ギャラリートークのあとでもう一度じっくり見てみると話がよくわかるし、確かに言われたようなことに気づきながら見ると作品がまた違って見える。
上からのライトと、下からのライトの光で作品がより輝いて見えるし、白金の真っ白な光は下からのライトがなければ、白ではなく金属光沢にしか見えなかったかもしれない。
或いは切金の中に黒みがかった部分がある。これは一体何だろうと思わず館長さんのところへ行って質問。
あっさり「銀です。」銀というのは貼るとすぐに黒くなってしまうのだそうだ。
だから最初からそうした効果を狙ってはるのだとか。

フライパンで焼いた絵の具は・・・確かに黒ではなかったけれど、う~~ん、どう違うのか今ひとつ分からなかった。

川端康成にいわれて描いた京洛四季(?)の作品の中の「年暮る」もよく見ると明かりが灯っていたり車があったりしているのだそうだが・・・それを思い出したのは終わってからだったのがとても残念∥>_<∥

そして速水御舟・・・紅梅白梅にも土牛と同じわた絵の具を使っているのだとか・・・彼もまた色にこだわっているのだ。
その圧巻はやっぱり「炎舞」たくさんの蛾のスケッチを色々な向きから描いたけれど、実際には正面からのものだけだし、炎のスケッチはないけれど、平安時代の仏画などから影響を受けているなどなど・・・
が、絵のバックは黒ではない、おそらく紫、と聞いてびっくりした。
暗い中の焔に向かって蛾が舞っているはずだし、どう見ても黒にしか見えないのに・・・というのが正直なところ。
第二展示室に行ってじっくりと眺めてみると、確かに黒は違うのかもしれない・・・・紫とも違う気がするけれど・・・なんて思い始めた。
これもまた、図録などの印刷にすると違いが全くでてこないのだそうだ。

他にもいろいろな話を伺って実り多き時間だったけれど、何よりも印刷では見ることのできない生の絵の持つ良さをじっくり学んできたような気がする。

絵を見に行くというのは自分では言葉にして理解できているわけではないけれど、印刷にはでてこない絵の良さを見に行っていることなのかもしれない。

今回のギャラリートークでは「色」「絵の具」にまつわる話の印象がとても強かったけれど、これはまた山﨑館長が家庭画報という雑誌でで連載をしていることと関係しているのかもしれない。
京都の絵具屋さんが画家の好みに合わせて大量に絵の具を持って行くとか、群青というのはとても高い絵の具、なんていう話も伺ってきたし・・・群青の鉱石も見てみたいなぁ・・・
家庭画報は会場にもおいてあったのでちょっとだけ見てきたけれど、もう少しじっくり読んでみたかったな・・・

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2012.01.04

フェルメールからのラブレター

Bunnkamuraで去年の暮から展示されている「フェルメールからのラブレター展」
手紙にかかわるフェルメールの絵が3点来るというのでかなり前から楽しみにしていた。
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今回来たのはこの3枚。
行ったのが夜だったこともあって、人もあまりおらずのんびりじっくり見てくることができたのはとても嬉しかった。

こうやってじっくり見てみると改めてフェルメールという人の絵はサッと見るものではなくてじっくりと向き合って対話してくるものなのだと痛感してきた。

これはフェルメールに限ったことじゃなくて、オランダ絵画にはそういった物語性が内在しているような気がする。絵を絵として楽しむだけじゃなくて、その中にあるものがたりを訪ねてみるという見方がどの絵についてもできるのだ。
それは他の国の画家たちが人物を描いた時との大きな違いかもしれない。
しかも、オランダ絵画の初期のものは人物の表情が殆ど無いように見えるので、そこからいろいろな感情も読みとかなくてはならない。
彼等は表情を描くんじゃなくて、情景を描くことに力を入れていたのかもしれないなぁ・・・

そんなことを感じてきました。

そしてもうひとつ、「手紙」のもつ意味。
この頃からようやっと個人と個人の間でのプライベートなメール(元々の意味のメールだ)が可能になったのだと言う。
ワクワクしながらあの人からの手紙を見るという気持ち・・・
あの人のことを考えながら書く手紙・・・
そして返事が帰ってくるまでに待つ長い長い時間。

今と違って(寿命は短いのに)ゆったりと時間が流れる時代であっても、待っていた返事が来るときの気持ち、返事が来るまでにはずいぶんと時間がかかってしまうので、場合によっては心変わりをしているかもしれない、そんなドキドキ感を持ちながら手紙を読む・・・

いろんなストーリーを読み解きながらじっくりと眺めた至福の時間。

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2012.01.03

年の始めも美術館

お正月に美術館に行くようになって何年になるんだろう。
去年の年末までが自分でも信じられないほどに心身ともに忙しかったので、このお正月はのんびりしたい気持ちがなかったわけじゃないんだけど・・・・

みなさんの予想通り年始からあちこちに走りまわっています∥^o^∥
正月2日の今日は東京都現代美術館常設と近代美術館常設(どっちも企画は改めて行く予定)
更に写真美術館で雅楽を聞いて、展示を見て・・・
夜は実家でのあつまりがあって・・・大忙しの一日になりました。

現代美術館の常設はピピロッティ・リストの天井ビデオ(と言うんだろうか?)をのんびり見るのが主な目的だったりするけれど、実際には白髪一雄の同心円的な赤の作品・・・この赤が良かったなぁ・・・
やモーリス・ルイスの金色と緑色・・・重なりあって染みこんでいく絵の具の調和・・・
マーク・ロスコの川村記念美術館にあるのとはあまりに雰囲気の違う「赤の中の黒」
マーク・ロスコは明るい所で見るのがいいのか、川村のように暗い中で見るのがいいのか・・・
暗い中で見ているとその中に取り込まれそうな雰囲気があって、暗さの中に溶け込んでいるようにも見えるけれど、
明るい所で見るとなんだかすごく独立した主張が強いような気がしました。

そして無料のゾーンにはクラウドスケープ。
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こうやって外から見るとただの霧の出ている箱という感じだけれど、中にはいって上まで登って下を見下ろすと、丁度山に登った時のような、飛行機に乗った時のような、雲の中にいる感じを体験できる。
ぼーっと雲の中に入って何かを想っているのにはぴったりと言いたいところだけれど、下には係員がいるし、Cosは次が控えているし・・・・
もうちょっと長居したかったかも
・・・

国立近代美術館の常設は展示替えがそれなりにあったりするので、いつ行っても面白いけれど、企画展を見てからでは意欲がそがれてしまっていて、あまり集中できない感じもするので、たまには常設だけを見に行こうと。
ここは許可を受ければ写真をとれるので・・・
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今年は辰年だからここからスタート∥^o^∥

今回は「ぬぐコレクション」ということで裸婦が多いんだけど、
ことし、いいなぁと思ったのはこれ。
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土田麦僊の「海女」
海女がヌードで泳ぐのかどうかは疑問だけど、なんともこの構図がいい。
Cosとしてはヌードだからといって特にひかれることはないんだけど、今回の展示の中ではとても気に入った作品。

もちろんいつものようにクレーやカンディンスキー・・・草間彌生・・いいものはたくさんあったけれど。

そして一日の最後は写真美術館で雅楽を聞いて展示を見て。
展示は「ストリート・ライフ」「写真の飛躍」「見えない世界の見つめ方」
この中でも「写真の飛躍」は新しい写真のあり方とでも言うのか、いろいろな見方描き方があってちょっと面白かった。
でもぜんぜん違う意味で得るものが大きかったのは「見えない世界の見つめ方」
今回写真として「これだ」と感じたものはなかったけれど、
世界地図を正しい面積のままに長方形で描いたAuthaGraph World Mapはすごい発想だと思った。
球を丸みを帯びた正四面体に写像し、それを正四面体に投影して、展開するというのだ。正四面体の辺以外の部分はほぼ正しい図形になる。
その時々に応じて必要な部分が正しい地図を考えれば良いという・・・なかなかな発想。
使い道もたくさん有りそうですごく面白かった。

また立体を記述する言葉(?)としてSuper Eyeというのが出ていた。発想としては面白いけれど、今ひとつどう考えているのか複雑すぎて「展示」としてみるのには難しかったのがちょっと残念。

年の初めの美術展。
結構忙しい時間を過ごすことになってしまったのがちょっと残念だけど、充実した貴重な時間でした。
冬休みの間にどれだけこうした時間が過ごせるのか・・・頑張ってみようかな。


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2011.10.04

磯江毅=グスタボ・イソエ

9月に入ってからの忙しさで一寸でも何かあると美術館にいけなくなってしまうひびが続いている。
どうしても見たいと思っていた「磯江毅=グスタボ・イソエ展」に行ったのも閉幕を翌日に控えた2011年10月1日。
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「真実の写実絵画を求めた」とあるけれど、以前、ホキ美術館で彼の絵を見たCosには単なる写実で済ませることのできない何かを感じたのだ。

「写実」というのはほんとうに難しいと思う。
写真に取って代わることが可能な写実であれば、絵画である必要はない。
そうした写真を取るのがどれほど難しく大変なことなのかCosにはよく分からないけれど、「写真のような」ということになれば、写真のほうがいいということにもなりかねない。

これだけ写真が発達して身近になった今、写真には決して描き得ないものをもった絵でなければ見たいと思わない。
磯江毅の絵にそれがあったかどうか・・・・Cosは彼の絵の中に所謂スーパーリアルの萌芽のようなものを感じた。

このイワシの絵も面白かったけれど、その意味では少し弱い気もする。
(いわしだし・・・∥xx;∥☆\(--メ))

Cosがオモシロイと思ったのはお皿の上に盛られた果物・・・そこに描かれている中に1つだけあるしなび始めた果物・・・一房の中の一粒だけのしなびかけたぶどうの粒・・・確かにしなびはじめているけれど、相変わらずのみずみずしさを感じさせる不思議。
ここが彼の写真に出せない絵画の良さと感じたのだ。
本当はどうなんだろう?
しなびてしまった果物じゃなくて、しなびはじめた果物のもつ雰囲気ってどうなんだろう?
そんなことを考えながらしばし彼のぶどうをじっくりと眺めてしまった。
(本当は他のところにも回ろうとも思っていた・・・・)この日は一寸風邪っぽかったので、本当は遠くまで外出しないほうが良かったんだけど、じっくりと彼の絵を堪能してしまった。
次の日から風邪で調子が悪かったのはそのせいだろうか?

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