2021.03.28

コンスタブル展 光を描く、空気が動き出す。

三菱一号館美術館で2021年2月20日~5月30日まで開催中の「コンスタブル展」のブロガー内覧会に行ってきました。人の名前を覚えることが特に苦手(だから歴史が苦手ということもあるし、仕事柄かなり困ったりもしたんだけど)なので彼の絵は何度となく見たことがあるし聞き覚えはあるけれど、名前はたぶん意識したことがなかった気がする。言い換えると、彼の絵を見るためだけに展覧会に行ったことはないということなのだ。
 しかし、フライヤーを見た瞬間に「この人の絵は知ってる。絶対に見に行く」と決めた。

 

 本当は内覧会の日には他の予定もあり、できる限り早い時間に帰らなくてはならなかったし、他の人、例えば同時期に見てきた吉田博展であれば行くのをやめていただろう。もちろん、吉田博が良くなかったわけではない。「こんな木版画の世界があるのか・・・」と驚いたし、浮世絵ではないけれど、どこか浮世絵とも同じ空気があって、それはそれは豊かな時間が過ごせたので、Cosにとっては十分な価値のある時間だったけれど、このコンスタブルの作品の多くは光が生きていて、光を受けた空気が光っている。特に今、世界中を包んでいる重くよどんだものを動かしていきそうな空気がそこにはある。

 


(写真はすべて特別に許可を頂いたものです)

手前はイースト・バーゴルド・ハウス 1809年の初期の作品だけれど、情景の中の空気が伝わってきている。

 


右が「雲の習作」この絵がフライヤーに出ているのを見て、見に行きたくなったのだが、行くだけの価値はあった。写真には描き切れない雲が命を持っているかのような雰囲気は何度見返してもよかった。(これをモチーフにしたマグカップを買ってしまったほど) 明るい雲ではないのに、なぜか明るさがあって、どことなく期待を持たせるような雲になっているのが不思議。

 

 

 同じ時代にターナーがいなければ、コンスタブルの評価も変わっていたのだろうか。

 

確かにCos自身もターナーのほうが好きかもしれない。ターナーの描く空気も意志を持っていてとても好きだ。
この右側の「ウォータールー橋の開通式」がコンスタブルの作品、左側の「ヘレヴーツリュイスから出港するユトレヒトシティ64号」がターナーの作品。二人の描く空気の違いが感じられるだろうか。この2枚を並べて展示してあるので二人の違い、共通点などが自然にわかってくるような気がした。


そして最後の方にあったこの「虹が立つハムステッド・ヒース」
雨が上がって、空気が澄み虹が2本出ている・・・物語があるのかもしれないし、ないのかもしれないけれど、ここにもまた「これから」を感じさせる空気がある。

 

 

写真がうまく表示できない・・・このところココログの調子が今一つうまくない。

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2013.10.15

三内丸山遺跡~~その2~~

 前日はギリギリの時間に行って、発掘現場などという思いもよらぬものを見てしまった翌朝、再びオープンの時間に合わせて三内丸山遺跡へ。
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 前日は目の前にあるものを見るだけで精いっぱいだったけれど、今日は過去に生きた人たちにおもいをはせながらの見学。
 5500年前にできた村は4000年前までの1500年間ここにあったという。1500年間といえば、今ならば奈良時代よりももっと前から続いていた感じになるのだろうか。それだけ長い時代続いてきた村に住んでいるというのはどういう感じなんだろう?
 亡くなった人たちは広い道の両側に足を道に向けて埋葬されていたという。自分が今通っている道は(彼らからすれば)考えもつかない昔からここに住んでいた(たぶん)自分の先祖が守っているという感じなんだろうか?

 朝一番のガイドツアーに参加していろいろと聞いてきた。

 ここは野球場を造ろうとして調べてみたら次から次へと遺跡が出てきて、野球場を造るのをあきらめた場所で、隣の青森県立美術館もこの遺跡の発掘のイメージをもとに建てられているともいう。(あおもり犬を見に行く時の細く狭い両側が切り立った通路はまさに発掘の現場のイメージなんだそうだ)

 遺跡公園の中に見えている青々とした草の部分はいったん遺跡を掘り出して調査したのちに保護のために埋め戻したところ。いずれはこの上にいろいろな気も茂って自然に戻っていくのだという。

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この白い建物の中に実際の遺跡がある。保護のために周りに建物を建てて湿度を保っているのだという。この白い建物の中に入ると実際の状態がどうだったのかを見ることができる。ただ、この土地は酸性のために骨が残っていない。お墓だったかどうかは残っていた脂肪酸で確認したのだという。骨が残ってないのに縄文ポシェットなどが残っているのも不思議な気がしてくる。(といってもほとんどは消えてしまっていてごくわずか残っているだけなんだろうな)


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これは大型掘立柱建物。ただし、実際に残されていたのは柱のあった穴とそこに残された木材のみ。このうわものは大林組が研究の末に「こんなんじゃないか」と作ったものらしい。この復元には当たってはこれだけの太さの木が手に入らなくて、チタから取り寄せたともいう。縄文時代にはこんなに太い栗の木がこの辺には生えていたとも。

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これが実際の穴の後。こんな穴が6個あって、それぞれが微妙に傾斜していて高い柱を立てたときに安定するようになっている(らしい)。そして穴と穴の間は4.2m。いろいろな物の間隔を測ってみると縄文時代の長さは35cmが基準になっているらしい。そしてこの穴と穴の間もその12倍。

1フィートよりも長いのはどうしてだろう?縄文人の身長は今の人たちよりもかなり低かったのだが、何を基準にして長さを決めたんだろう??そして、この柱と柱の間隔はその12倍。この12倍という数字もある程度は世界共通かもしれない。昨日見たポシェットの大きさも35cmが基準なのかなぁなんていうことを考えたりしながら・・・・・


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 あっという間に時間は過ぎ、バスの時間が来てしまった。 さんまるくんのお見送り。お約束通り泣いている小さい子供もおりました。

 今回の旅行で・・・というよりも地方に旅行をするときにはいつもこのバスの時間と列車の時間の接続の悪さで泣かされる。今回もこの次のバスでは新幹線に乗り損ねるので、新青森駅で1時間以上も暇をつぶさなくてはならないのだ。

 

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2013.09.29

三内丸山遺跡~~その1~~

 今回の旅行で一番得をした気分だったのはここ。

 青森県立美術館の人に「6時までやっていますからこれからでも間に合いますよ」と言われてその気になって数百メートルの距離を鞄を転がしていってみたところ、
「発掘現場見学--本日17:00まで」の文字。一旦は鞄を転がしていこうかと思ったけれど、実際には細い林の中の泥の道を上らなきゃならないことが分かったので、慌てて時遊館の総合受付に荷物を預け、発掘現場へ。

 到着したのは16:50。つまり、終了10分前。しかし、現場でまだ説明している方がいたのであわててそこに加わって説明を聞く。

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 この何のことはない地面の白っぽくなっているところが道路の跡だという。明らかに土の硬さが違っていて掘ってみるとすぐわかるのだそうだ。

 この道路の幅は10mもあり、長さもわかった限りでは300m以上のものと400m以上のものの2本(だったと思う)。道路と言っても2,3mも幅があれば十分なはずの縄文時代になぜこの幅の道路があったのか、道路ではなく広場だったかもしれない、祭祀場だったかもしれない、それについてはまだわかっていない。

そして道路のすぐわきにはたくさんの土杭墓。この遺跡では道路の両端にたくさんの土杭慕があったそうで、死者が生者とともにいたとのこと。

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 この石の並べ方が環状配石といういわゆるストーンサークル。三内丸山遺跡ではいくつも出ているが、ほかの環状配石は何体もの土壙墓の周りに配置されているのに対して、今見つかっているこの環状配石からは一基の土壙墓しか見つかっていないという。もしも、それが正しければ新しい発見につながるのだも。

 最近発見された人面土器を発見したのもここにいらした方。と言ってもほかのものを掘っている時に見つけたとのことでしたけれど、そんな話を聞くとこっちまで気分がわくわくしてくる。

 あっという間に5時過ぎ。もうとっくに終わっている時間なんだけれど、最終日ということもあるのか、まだまだくる見学の人に丁寧に解説をしてくれている。申し訳ないなぁと思いながらも発掘の様子、あっちでは土杭慕がたくさん出たとか、土器が出たとかのお話を楽しく聞いてしまった。

 時遊館に戻ると閉館時間まであと30分ほど。発掘現場に行く前に総合受付の方に聞いておいたバスも閉館時間直前なので、ぎりぎりまで「さんまるミュージアム」を見ることにする。

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 2013年9月23日までの展示の縄文ポシェット。本当にポシェットかどうかは別として、実物を見られたのはこれもとてもラッキー。(もちろんほかの時期に来ればその時の目玉がやっぱりあるんだろうけれど)

 バスの時間ぎりぎりまでさんまるミュージアムを見たけれど、やはりミュージアムも見終わらないし、発掘現場以外の遺跡も全く見ていない。

 翌日は海を見に行こうかなと思っていたのだが、まだまだ三内丸山遺跡をろくに見ていないので、予定を変更して、翌日もここに来ることにした。

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2013.09.23

青森県立美術館

 今回の旅行の目的の一つが「あおもり犬」に会いに行くことだった。
できれば帽子をかぶった「あおもり犬」が見たかったけれど、青森に行くこと自体大変なのに、真冬の青森はちょっと条件がきつすぎる。
いつかは行ってみたいと思っているけれど。

「三連休切符」の広告を見た瞬間に思い浮かんだのが「青森に行く」だったぐらい。

 念願かなっての新青森の駅で降りるとまっすぐ「ねぶたん号」乗り場へ。青森市のルートバスで10分ほどで着くという。バスが来さえすれば青森県立美術館まですぐなのだ。

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 丁度今の企画は

横尾忠則の「昭和NIPPON」-反復・連鎖・転移横尾忠則の「昭和NIPPON」-反復・連鎖・転移

吉村作治のエジプトと古代文明展~太陽の船と七大文明~(これは企画展ではなくイベントらしい)

 さすがにエジプトや古代文明は見る気がしなかったけれど、横尾忠則は(このために青森に行こうとは思わないまでも)ぜひ見たい企画だったので、見ることにした。

 美術館に入るとすぐに大きな部屋。そこにはシャガールの描いたバレエ「アレコ」の3枚の背景画。舞台の背景だからとんでもなく大きい。天井の高い(美術館サイズというのだろうか、都現美の天井の高い部屋ぐらい、壁の白いのも一緒だな)ひろい部屋にかけられているので大きさからくる圧迫感はない。部屋の中央に置いてある肘掛け椅子(足に車輪がついているらしく動く)にどっしりと座りながら見るようにできていた。美術館に着いた時がもう3時だったので、時間が気になってあまりのんびりはできなかったけれど、シャガールらしい夢のある暖かな絵は来た人を歓迎しているかのようでいつまでも見ていたかった。

 その部屋の先にあった「横尾忠則展」。Twitterで見たのかもしれないが、量の多いのは覚悟していたけれど、見ても見ても終わらない感じさえしてくるほどの多さ。
幸いなことにそのうちの多くは知っているものだったからそれだけで閉館時間になるという恐れはなかったけれど、見覚えのないものも多く、思わず立ち止まって見てしまうものもいくつか。
行っても行っても終わらない作品。とうとう棟方志功展示室にまで横尾忠則が進出・・・

そのおかげですっかり常設が少なくなってしまっていたのが残念。

 でも奈良さんのニューソウルハウスとか、その中の犬とか、窓の外のあおもり犬とかあったし、成田亨さんのウルトラマンとその怪獣たちの原画も楽しかった。棟方志功の「柵」にまつわる作品シリーズもちょっと視点がいつも見るものとは違っていて楽しかった。
しかし、それしかなかったのが本当に残念。
もっといろんなものを持っているし・・・でもまあ、東京で見るチャンスもあるだろうから、よしとしよう。

 最後に一旦美術館の外に出て、外をぐるっと回って階段を上って思いっきり降りて両側が高い壁になっている細い通路を通り抜けた先にある「あおもり犬」に面会。
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 でもこの子は何をこんなに憂いているんだろう。奈良さんの描く女の子の鋭いナイフの切っ先のような目と対照的にこの目は何か深く悲しんでいるかのようにも見える。

そこに意味づけをするのは見る側の人間だろうから、その時々によってたぶん思うことも違うんだろうな。

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下から見上げてみると、なんだか大仏様を見上げているのと同じような感じがしてきた。いろいろと考えてしまったからそう見えるのか、それともそういう表情なのか・・・・

あっというまに時間が過ぎても4時半になってしまった。

 隣にある三内丸山遺跡にも行くつもりだったけれど、閉館は5時だろうからもう物理的に無理だろうなと思い、大きな荷物を預けてあった総合案内で、明日の三内丸山遺跡のオープンの時間を尋ねてみるとなんと今日も6時まで開館しているというではないか。しかも青森駅まで行くバスの時間まで調べてくれて、ぎりぎりに出るバスもあることが判明。

 まだ間に合うではないか、1時間あればかなり見ることができるからとりあえず行ってみよう。

 この時の館員さんのおかげで、三内丸山遺跡ではとてもいいことがあったのだけど、それはまたこの次の話。

 しかも、ぎりぎりまでいたおかげで帰りは薄暗くなり、

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帰りのバスの中からではあるけれど、一番見たかった外観・・・・青森になっている青森県立美術館も見ることができたのだ。

 ありがとうございました。


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2012.11.05

早朝の清水寺

ちょっと関西に行ってきた。行ってきたといってもアートを楽しみにではなくて、愚にもつかない(というとおこられそうだが)用事。昼間はそっちにかかりきりだったから自分のための時間は早朝や夜。

 ありがたいことにCosは夜行バス(3列シートに限る)は全く苦にならないので京都(目的地は京都じゃないんだが、まあ間に合うだろう)へ。朝6時半に京都について「さて、どこへ行こう?」この時間ならばどこへ言っても空いているけれど、お寺の中に入るのは難しいかもしれない。もちろん、きちんと調べていけばいいんだけれど、このところ忙しくてそんな余裕もなく、行き当たりばったり。行ってみてダメだったら「哲学の道」の散策もいいかもしれないと思いながら・・・「そうだ清水寺」

 もちろんひとでいっぱいの清水寺には何度となく行っている。たぶん、小学生の頃から来ている気がする。いつ来ても参道もお店や人でいっぱいで、騒々しい場所という印象しかないけれど、人のいない時に行けばまた違って見えるんじゃないだろうか。

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入り口(というのか?)はこんな感じ。どっしりと京都の街を見下ろしながら立っている仁王門。もちろん仁王様はいつ来ても楽しんだけれど、今まで門全体をじっくりと見たことがなかったような気がする。

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逆に門の階段からしたを見下ろしたところ。本当は向こうの方に広がっている京都の街が見えているのだが、写真にはうまく写せなかった。狛犬もなんだか楽しそうに笑っている気さえしてくる。

まあ、時間が時間だから清水の舞台には上がれないだろうなぁと思っていたのだが、なんと、こんな時間(多分6時半か7時からかな?)参拝できたのだ。


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本堂に上る前に静かな朝の空気の中で目の前の森と向こうに広がる京の町を眺めると、鳥の声だけが聞こえる。景色を眺めながら鳥の声を聞いていると静かな敬虔な気分になってくる。何も考えずにぼーとしているひとときは何ものにも代えがたい。

 本来お寺というものはこうした雰囲気の中で拝ませていただくものなんだろうな。


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振り返って本堂を見てもほとんど人はいないし、話し声も聞こえず、静寂に満ちている。とても贅沢なひとときを堪能することができた。


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清水の舞台からも京の町と森を見下ろすことができる。山にはまだ陽が差さず京の町だけを太陽が照らし出している。そこに観音様の思いが伝わっているように昔の人達は見たのかもしれない。

ここでしばらく時を過ごしておりていくとさすがに人が増えてきている。来るときには閉まっていたお店も少しずつ開け始めている。これから、Cosがよく知っているあの人で溢れかえっている清水寺の時間が始まるんだろうな。

そしてCosも俗世に戻って俗な用事を済ませに行ったのだ。

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2011.06.06

山梨県立博物館

「山梨いくなら県立博物館も面白いから行ってみな」と教えてくれたのは展示の仕事をしているCosの友人。
「うん。行ってみる」とすっかりその気になったのだが、Cosの車のナビは山梨県立博物館を見つけてくれない。
なんだか似たような名前の県立博物館博物館があったので、多分そこだろうと見当をつけていくことにした。
前の日に県立美術館からの所要時間が30分ちょっとなのを確認しているし、時間的にも同じぐらいだから、ちょっと名前が違っているような気がするけれど大丈夫だろうとスタート。

で、着いたのは「山梨県立考古学博物館」・・・・・∥>_<∥
入口まで行ってみたら入館料が200円、これは昨日検索した金額と違う。
というわけで車に戻ってiPhoneで検索。

あぁぁぁぁ・・・・違ってる・・・・
住所を調べてナビに入れたら・・・「そんな住所はないよ」と。
あぁぁ・・・住所変更がされてるんだぁ・・・・

仕方が無いので電話番号で検索して近くの建物を見つけてナビに入力。
ふぅ・・・・

というわけで県立美術館から三角形の二辺を回るコースで県立博物館へ。
(時間があれば考古学博物館も面白そうだったのだが・・・)
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いかにも新しくてきれいな博物館だ。

中に入るとチケット売り場では案内の人がいて、懇切丁寧に解説してくれる。
ふだん美術館や博物館の人にこんなに丁寧にされたことがない(他でもされたことがないが・・・)から、おたおたとしてしまった∥^o^∥

おたおたついでに「ここはいつで来たんですか?」と来客数の少なさに頭を抱えていそうな相手の神経を逆なでするような質問。
「5年前にできてつい先日5周年でした」と。

・・・・Cosのカーナビはもっと古いんだなぁ・・・・
そういえば、よくナビでは道じゃない新しそうな道を走ってるもんなぁ

遠回りをしてしまったおかげで見る時間が短くなってしまったけれど、せっかく来たのだから駆け足で見ることに・・・

それが大きな間違いだった。

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企画展の「やまなしの森と人」は予想通りの面白さ
サラッと見ることができた∥xx;∥☆\(--メ)
(ひらがなで「やまなし」と聞くと、山梨県より宮沢賢治のイメージのほうが強くてこまったのは別として)

が、常設は入口に入った最初から動けなくなってしまったのだ。
入って最初は天井から太い太いロープが何本も下がっていて、ロープの一番下の先端にはなにやら明かりが点滅しているのがある。
明かりが点滅しているのをとって耳に当てるとなにやら声が聞こえるのである。
しかも、ロープごとに違うことを言っているからそれを全部気功としたらそれだけでおしまいになってしまいそう。
とりあえずいくつかをちょっとずつ聞いて、他はパス。
(縄文時代の話だったような記憶があるけれど・・・自信はない)

常設展の展示室自体は決して広くない。おそらく小学校の体育館のほうが広いだろうというほど。
ところが動線がとてもうまく出来ていることとそれぞれのコーナーにタッチパネルの解説などがあって、それをちゃんと聞こうとするととんでもなく時間がかかるのである。

ヘタをするとそれだけじゃなく、展示台の下の引き出しを開けて中に入っているものを見たりもする。

山梨は海のない県なのに大きなさかなやイルカの骨が出てきたりして昔から交易が盛んな土地だったらしい。
とか
やっぱり武田信玄だなぁ・・・
とか・・・
金山とか金鉱・・・今でもあったりしないかなぁ・・
なるべくざっと見るだけにしようとしていたのだが、途中で解説をしてくれるお兄さんに捕まりかかったり、
前を通りかかったら等身大のパネルのおねえさんに話しかけられたり、
トランクの中のものを覗き込んだり
大急ぎでろくすっぽ見てない印象があるのだがそれでも観終わったときにはかなり遅くなっていた。

結局帰りもしっかり高速の渋滞にはまって、
「こんなことなら下の道で帰ればよかったなぁ」状態・・・

ダメな博物館は予定時間よりもずっと早く見終わるけれど、面白い博物館はじっくり時間をかけてみないとダメだ。
展示の仕事をしている友達が進めてくれただけのことはある、面白い展示だった。
ただ、中身が「歴史」博物館だったけれど。
可能ならひとりでのんびり時間をかけてもう一度見たいところ。
でもちょっと遠いなぁ・・・


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2010.08.11

空に消えていった花火

昨日の夜,夏休みらしいことは何もなかったCosにも夏の夜を分けていただくことができた.

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花火大会としては決して大規模ではない(の割りには電車はラッシュ時以上の混雑だったのだが・・・)けれど、自由席ではあるけれど椅子席で余り混まない正面という特等席に連れていっていただいた.

花火が打ち出されるところも川向うに見え,大きな花火はおもいっきり見上げると上から降ってきそうな感じのするような席.

この距離の近さと音と明るさが花火の醍醐味.
TVで見る花火,遠くに光る花火もいいけれど・・・・
夏の夜を満喫させていただいた.


↑これはCosがとった動画。花火の上がるところから取れたので\∥^O^∥/


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2010.07.25

森毅さん

先日,ずっと前の卒業生にあった.
「先生,覚えてる?先生のおかげで数学が好きになって今でも好きだよ」なんて言ってもらえて\∥^O^∥/
だったけれど,そのころも今も数学の楽しさを伝えたいと思い続けている.
それが思うように伝わっているかどうかということになるとかなり疑問だけど,数学ってきれいだったり楽しかったりもするんだということだけはわかって欲しい.

Cosがそう思い始めたのはたぶん大学生の頃.
もともと数学が好きだし,ストイックに一つのことを突き詰めて考えていくのも好きだから数学科の中で数学に対する真摯な・・・とても真面目な取り組み方ももちろん好きだけれど,真面目にコツコツと数学だけをやっているのはどこか違うような気がしていた.

そんな時に出会ったのが森毅。
もちろん彼一人のおかげというつもりはないし,数教協との出会いも大きかったし,サマーヒルとの出会いも忘れてはならないけれど,もっと気楽に数学と付き合っていこうよというメッセージを彼の本から受けたのだ.

コツコツと真面目に勉強するのももちろん大事だけど,それをちょっと違う視点からも見てみようよ。
ほら、数学ってこんなに楽しいんだ.

Cosにできることはその楽しさを伝えていくことかもしれないなぁ・・・・

asahi.com(朝日新聞社):数学者で京都大名誉教授の森毅さん死去 独特な社会評論 - おくやみ・訃報.

数学者で時事問題にも鋭い視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。

ご冥福をお祈りしますm∥_ _∥m

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2010.03.27

南禅寺とインクライン・・・みずととらとさる・・・

ここ何年かずっと気になっていた南禅寺。
「インクラインってなんだ?」・・・状態(笑)
どうやらなにか水路に関係していることだけはわかったんだけど・・

というわけで関西いいくチャンスができた途端に朝一番で京都南禅寺に行くことを決めた∥^o^∥

京都駅から地下鉄に乗って蹴上駅へ。
駅から南禅寺の方に歩いていくとこんなトンネルが・・・
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この上を水が流れているのだろう。

ということでまずはインクラインを見に。(でもインクラインてなんだ?水路か?状態・・・)

インクラインとは・・・琵琶湖の疎水を引くことで水力発電をしてこの坂を上がる鉄道を作ったということらしい
京都の観光案内によれば

京都市観光文化情報システム.

琵琶湖疏水の大津から宇治川に至る20.2キロの舟運ルートの途中、水路落差のある2カ所に敷設した傾斜鉄道。蹴上インクラインは延長581.8メートルで世界最長。伏見インクラインは延長290.8メートル。1890年代(明治23~)に完成、1940年前後(昭和15前後)に休止。蹴上のみ形態保存。

ということなのだそうだ。

と言っても実は実物を見るまではどういうものだかよくわかっていなかったのだが、
P1020720
写真でこの激しい水の流れがわかるだろうか?
この激しい水の流れを使って発電した電力で、左側のレールのところを台車を押し上げたのである。
たぶん、Cosは「疎水の流れ」「発電」「傾斜鉄道」の関連性が今ひとつわかっていなかったんじゃないかな。この3つが一つになった途端に「おお!!\∥^O^∥/」となったのである。

この坂道にはレールが残っていて台車も展示してあるのだが、どうも台車の写真がうまく取れていなかった
のだ。P1020732

水路を流れて良く水の激しさ、この写真は真ん中辺りからとったのだけど、この坂道を登ってくる船を載せた台車の姿は当時の技術の華だったんだろうなぁ・・・

かつて、物流が水路を中心として行われていた頃、たぶん、明治の中頃まではまだ水路が一般的な運送機関だったんだろうなぁ・・・

なんていうことを思いながら南禅寺へ。

朝まだ早い時間だったので、あまり人がいなくてとてもいい感じ。
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まずは疎水の水道橋

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この写真の橋の上を今でも水が流れているのだ。
Cosはあまり見たことがないけれど、自然にできた「天井川」なんていうのもあるそうだから、水が上を流れていても不思議はないのかもしれないけれど、・・でもやっぱりなんとなく不思議。


そうこうしているうちに、拝観が始まった途端に奥の方丈の見学へ。
まだ人は中に殆どはいっていないので人の声もせず、静かに座って鐘の音と鳥の声を聞いている人と二人(と言っても一言も話してないんだけど)で静かなひととき。

このすぐあとに人が入ってきて静かなひとときが打ち破られちゃったのが残念だったけれど、まだまだ人は少なくて、部屋の中の襖絵をじっくりと楽しむことができた。

この奥には虎の間があってそこでは探幽筆と伝えられる 《群虎図》を見ることができる。
部屋のなかにはいることができず、外から部屋を覗く感じだけどやはりお寺で見る襖絵はいい。

 当初の予定では南禅寺を9時か9時半までに終わらせて大阪に向かうはずだったのだが、この段階でもう9時15分。

が、金地院に来てみると「特別公開」ということで等伯の猿猴捉月図が見られるというではないか・・・
「たしか等伯のお猿さんは東京で見たような・・・」と思いながらも時間なんぞ、無視して特別公開へ。
これは金額もちょっと張る(1100円)けれど、ガイドをしてくださる方がいて、部屋の中に入ってじっくりと襖絵を鑑賞することができるのだ。

あるがままの姿を一番自然な形で部屋の中で座って絵を見ることができるのだ。
等伯の猿は「東京に出張中」とのことで一匹しかいなかったけれど、絵から50センチのところに座り、30cmの近さからガラスなどもなく心ゆくまで見ることができた。
モフモフとした墨の毛皮。
水に映った月に手を伸ばしている(と思ったけど違ったかも)。
しあわせなひととき。

庭をもう少しじっくり見ることができればよかったのだけど、その頃にはもうすっかり遅くなってしまっていて、橋予定していた大阪の美術館はどこもいけなくなりそうだったので庭はそこそこにして大阪に向かったのだった。


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2010.01.06

石川県立歴史博物館

本当は県立美術館にも行きたかったけれど、もう年末で閉まっていた。残念。

というわけで雨の中県立博物館へ。

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もともとは陸軍の兵器庫だった建物3棟からなっている石川県立歴史博物館。
倉庫と兵器庫はちょっと違うんだろうけれど、横浜の赤レンガを思い出すような雰囲気がちょっとある。
中はしっかり改装されて(第1棟は)歴史的な雰囲気を感じさせる内装。
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天井からはシャンデリアが下がり、階段には赤い絨毯が敷いてあって優雅な雰囲気。
どこまでが当時のものの復元で、どこまでがそうでないかはわからないけれど、ゆっくりと時間を過ごしたい。

展示室は写真が禁止。
博物館なんだからとらせてもいいんじゃないかと思ったけれど、あとになって県立博物館のサイトに「借りたものが多いので写真は禁止」と書いてあった。
まぁ、仕方ないんだろうなぁ・・・

ついたときには閉館まであと1時間、しかも予想外に展示室が多くて広い。
歴史は苦手だから見るものは多いし時間は少ない。
結果的に消化不良のまま終わってしまった気がするけれど、大急ぎで見て回ってきた。

ふだん、東京、京都、奈良にばかり目を向けがちだけど、実はこうした日本海側には古くから伝わっている独特の文化が残っている。
考えてみれば、今でこそ太平洋側が交流の中心なのかもしれないけれど、ずっと昔小さな船しかなかったような時代には日本海側こそが他国との交流の中心だったはず。

第一棟では出土した縄文土器、弥生土器。珠洲では特大の土器が生産されていたし、大陸交流の要でもあったこの土地には古い形の祭りあるいは祭りごとがいろいろとあった様子などが説明されていた。
Cosが見たことも聞いたこともないような生活の中の行事がとても不思議だった。
作物の収穫、海の神様に対する祈りみたいなものを表しているのだろうか。
おそらくそうした祭りの中にかつての人々の暮らしの片鱗が伺えるのだろうなぁ・・・
その辺のところをもう少しじっくりと見たかったけれど・・・
なかなか思うようにはならない。

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棟と棟の間の中庭にはこんな池も。
池におかれているのは延長10kmにも及ぶ辰巳用水の導水管に使われていた石管なのだそうだ。
冬は水が出ないけれど、夏には水も流す・・・と書いてあったと思うけれど、冷たい雨の冬の空でやっぱり寒そうだった。
この池を挟んで第2棟は体験コーナー
第3棟は科学技術関連の歴史が展示されていて二階に登るとそこからもともとの兵器庫の天井の様子をみることができる。
(しっかり読んでくればよかったんだけど・・・)

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体験コーナーではこんなふうにいろいろなことを試してみることができる。
一箇所に集めてしまうのはそれはそれでほかとの関連が良く見えてこないかもしれないけれど、楽しそう。

と閉館時間ギリギリまで粘って外に出てくると・・・

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すっかり陽は落ちてライトアップ。雪が少しだけあっていかにも冬の金沢。
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ライトアップされた歴史博物館は赤レンガの赤が消えて白っぽくなり冬の金沢の寒さを象徴しているかのよう。

行く時には雨がかなり降っていて道を歩くのもちょっと大変だったけれど、それだけの価値のある面白い展示だった。

特に能登の歴史・・古い古い能登の文化は面白そうだ・・・

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