2009.09.20

シカン展・・・考古学者の夢

今は考古学とは無縁の世界で生きてはいても、かつて子供だったころ考古学者の世界にあこがれた人は多いだろう。
もちろんCosもその一人∥^O^∥


その夢を実現させてひとつの文化をよみがえらせたのが島田 泉博士。
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この写真はシカン黄金製トゥミの向こう側ではそうしたビデオを見る人たち。
トゥミはこうやって写真で見ると怖い感じがするけれど、実物はそれ以上にユーモラスな感じがしてあんまり怖くない。どうしてだろう?

今回は「一日ブログ記者」として2009年10月12日まで国立科学博物館で開催中の「黄金の都 シカン展」の取材、首からIDカードをさげ、腕章を巻いて・・・(当然といえば当然の)条件付ではあるけれど写真撮影までさせていただいてきた。

シカン文化はナスカ文化よりは新しく、インカ文明よりもちょっとだけ古い、日本で言えば鎌倉や平安といった時代。
もう文字を持っていた日本とは違って文字を持たず、いろいろな建造物も残っている日本と違って、日干し煉瓦の建造物はもはや形あるものは写真を見る限りでは土の山としか見えない。

その土の山であるロロ神殿のふもとに埋葬された人々を通じてシカンをよみがえらせたのだ。

大量の黄金製品が出土したことに目は向かいがちだけど、その社会構造、文化までもが浮かび上がってくるということは、子供のころにあこがれた「いいものが出てこないかなぁ」という宝探しにも似た関心からは離れて、人類の遺産の検証といった幅の広い収穫だなぁ。

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この「黄金の仮面」も黄金の仮面の豪華さだけではなく、


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こんな風にどう埋葬されていたのかを検証することで、そこに隠れている文化や社会構造が見えてくる。
一番下に埋葬された女性たち・・・
その上に首を切られ、埋葬された支配者と思われる男性の首につけられていた仮面、彼の体は首を切られ、上下を逆に埋葬されている。
地位の象徴である仮面をつけて埋葬したけれど、彼が生き返るときに体がどこにあるのかわからなくて生き返ることができないようにしたのだろうか・・・礼は尽くすけれど、もう生き返ってくるなよとでも言いたいのだろうか・・・なんて思ってみたりもする。


豪華な黄金文化というだけでなくそこで生きていた人々の社会や暮らしにまで思いをはせることができる。

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ろくろをつかわずに作られた土器、特に黒色土器の黒い輝きは見事なものがある。
当時も多彩土器よりもこっちのほうが人気があったと推測できるらしい。
帰りにミュージアムショップでよみがえった黒色土器を売っていた(写真撮ればよかったなぁ)けれどちょっと茶色がかった黒の光沢は土で作られているとは思えないほど。
同じようにしてシカン風でないものを作ったらそれはそれで面白そう。

どんなものが展示してあるのか、「きれいだなぁ」「おもしろいなぁ」だけではなく、そこからもう一歩踏み込んだ展示になっていた。

ほかにもいろんなものを見て、いろんなことを考えて・・・シカンの女性とか、他の国の人々との交流とか・・・違った視点から楽しい時間をすごさせてもらった。

かいてある知識、見ている画像だけからは浮かび上がってこない背景が見えてくるのがなんといっても現場で見る醍醐味かな。


【追記】
タイムリーにモチェ文化の仮面が見つかった。写真はこちら。(ここのが元記事。これはたぶん削除しないと思うのでこっちをリンク)

プレ・インカ文化:金箔の仮面

 ペルーのサン・ホセ・デ・モロで発見された金箔(きんぱく)の施された仮面。この地は「モチェ文化」と呼ばれるプレ・インカ文化の時代に共同墓地としての役割を担っていたとされており、近年数々の発掘品が見つかっている。この仮面は棺(ひつぎ)の正面に添えられていた。

モチェ文化はシカンと同じような地域の一つ前の文化に相当する。
会場にあった年表を見る限りペルー北海岸ではA.D.元年ぐらいからA.D.700年ぐらいまでのモチェ文化の後にA.D.800年ごろからA.D.1400年ごろまでシカン文化があったことになる。

実際の場所はモチェがシカンよりもちょっと南にあるけれど、文化としては同じ流れになりそうだ。

より大きな地図で 青がシカン赤がモチェ? を表示

この地図はシカンの地名であるランバイエケとモチェから検索したものなのでかなりいい加減。単にどの程度は慣れているのかを見るだけと思ってください。
(正確な位置はわからなかった)

ただ、会場で見た地図からはこんな感じにはなっていた。

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2009.04.12

少女漫画でルーブルを!

アートテラーとに~さんのアートエンターテインメントイベントに行ってきた。
今、上野と六本木でやっている二つのルーブル展を少女漫画から解き明かそうというもの。
バロックとロココ二つの流派をそれぞれ70年代と80年代の少女漫画になぞらえて解説。

なんとなく敷居の高いように感じられる美術を日常の高さまで引き摺り下ろして解説をするのでその切り口がとても面白いのだ。

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ホワイトボードに次から次に絵を張りながら解説していくとに~さん

またきっとどこかでやるのかもしれないので、内容についてはここに書かないけれど、先日見てきた西洋美術館の17世紀のルーブル展の中なら何枚かを取り出して少女漫画との共通点を解説。

教科書っぽいまじめな解説はなかなか好きにはなれないCosだけど、こういう解説なら何度聞いても楽しいかも。

こうした普通と違う切り口で美術を解説していくのは1から作らなくてはならないから大変だろうと思う。
また、まだまだ荒削りのところもあったりして何度か繰り返すうちにより洗練されたものになっていくんだろうと思うけれど、その分親しみやすいイベントになっていた。

もっと派手にアピールしていればもっと人もたくさん集まっていいんじゃないかと思うのだけど、ちょっと人数が少なかったなぁ・・・

こうした新しい試みが軌道に乗るまでは大変なんだろうけれど、とに~さんにはがんばって欲しいなぁ・・・・

欲を言えば有名な美術展だけでなく、マイナーでいいからもっと身近な・・・同じ西洋美術館でも常設展などなら、アートテラーの後実際に見ながら少し話をするなんていうこともあってもいいんじゃないかなぁ
なんて思ってみたり。


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2009.04.04

グローバルではなくローカルを目指すシウマイ

「崎陽軒」と聞いてどれぐらいの人がなんのことだか分かるのだろうか?

東京の片隅にいるCosにとっては聞いたとたんにその味までもがよみがえってくるとてもメジャーなシュウマイやさん。
どこのデパートでも売っているし、その辺のちょっと大きな駅の売店でも売っているシュウマイなのだが、どうやら決してメジャーな商品ではないらしい。

数年前に来たことのある崎陽軒の横浜工場に知り合いの人たちと一緒に行ってきた。
(土曜日にこんなことが出来るのは長期休暇のときぐらいで・・・学期中はまず無理∥>_<∥ )

もともと駅弁用に作ったシュウマイだから「さめてもおいしい」を売り物にしている上に、保存料や着色料は使っていないから日持ち・・・・日持ちどころか時間持ちしない・・・つまり、工場からある一定の時間以内に配達できるところでしか販売できない。
どれぐらいの時間かというと常温で17時間
いかに早く配達するかが問題になってくる。

というわけで横浜工場は「第三京浜道路 港北I.Cより横浜環状北線を新横浜方向に30秒」と書いてあるほど港北インターに近いところにある。

が、
「神奈川県に100店舗」という解説を聞いて普段見慣れているCosはちょっとびっくり。
どこのデパートへ行っても、近くのJRのちょっと大きな駅の中の売店にもおいてあるからCosなどには
「どこにでもある崎陽軒のシュウマイ」と思い込んでいたのだけれど、これはCosが住んでいるところがどちらかといえば横浜に近いということなのだろう。

「グローバルな企業を目指す」のではなく「ローカルな横浜名物のシ・ウマイ」を作り続けるのだという企業の精神がこういうところにも表れているということか。
(創業者の社長は駄洒落の好きな社長でもあったらしい・・・)

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これは崎陽軒がこだわりをもって作っている醤油入れの「ひょうちゃん」
アンクルトリスの柳原良平が作ったものもあったりして、集めると楽しい・・・はず
(でも集めようと思ったことはないσ∥^O^∥ )

工場見学の最後は

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この出来立てのシュウマイが買ってきたものに比べてとてもおいしいのだ。
どこが違うのかといえば、出来てからの時間が違うだけのはずなのだがたったそれだけのことでこれほど味が違っているのも驚き。

ここでなければこの味は楽しめないのかもしれない。

といいつつも売店でしっかり「崎陽軒のシ・ウマイ」を買って帰ったのはいうまでもない。

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2008.12.18

玉虫厨子

国立科学博物館で「平成玉虫厨子」とその映画を見てきた。

asahi.com(朝日新聞社):「平成の玉虫厨子」国立科学博物館で公開 - 社会.

 東京・上野の国立科学博物館で13日朝、飛鳥時代の玉虫厨子(たまむしのずし)を現代の職人たちが再現した「平成の玉虫厨子」の組み立て作業が行われた。日本のモノづくりの原点を感じてもらおうと開かれる企画展示「蘇(よみがえ)る技と美 玉虫厨子」(13~21日)で公開される。制作を追ったドキュメンタリー映画の上映に合わせた展示。東日本での一般公開は初めて。

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虫好きのCosであるからかつて「法隆寺展」でみた玉虫厨子に玉虫の羽なんてほとんどなくて、がっかりした記憶があるのは当然と言えば当然だろう。(たぶんそのときに残っていた一枚を見た記憶も残っている気がする)

玉虫の羽を一面に貼り付けたらどんなになるだろう・・・

その夢をかなえたのが飛騨高山の中田金太。
高山の資産家が資材をなげうって、飛鳥時代に作られた玉虫厨子を復元したものを法隆寺に奉納し、同時に新たに平成の玉虫厨子を作らせたのだ。

その「平成の玉虫厨子」が国立科学博物館に来ているのだ(2008年12月21日まで)
そしてその制作のドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子」を日本館の講堂で見てきたのだ。

(この日本館の講堂も「昔の博物館建築」と言う感じのつくりでとても面白かったのだが・・・)

なぜ東博ではなくて科博なのか、
作られたものを鑑賞するだけではなく、それにこめられた職人達の技の展示でもあるのだ。

今日見た映画はこの玉虫厨子を復元するに当たって、宮大工、蒔絵師、彫師、塗師と言った職人がそれぞれに工夫し、かつての技術者とこの厨子を通じて心を通わせながら制作したドキュメンタリー。

宮大工は屋根のカーブに苦労し、
蒔絵師は今は消えてしまっている絵の復元に苦労し、
彫師は屋根のかわらの表現に苦労し、
塗師は玉虫をどうやってつけるのかに苦労し・・・
そんな職人達の物語。

劣化してしまっていてもう見えなくなってしまった絵をじっと見つめることで見えてくる線を丹念にたどり、
どうしても分からないところは他の部分との調和を考えながら描いていたり
屋根の瓦を彫った上から漆を塗るときには線の細さ深さが塗り師にとって不可能にしか見えなかったり、
飛鳥時代と違って、思うようにつけられない玉虫の羽は2mmの短冊状にして貼り付けていくことになったり。

さらに平成の玉虫厨子では絵柄の中にも使われているのだが、そこでは2mm角に切ったものが使われている。
実物を見てもきったものを集めてあるとはとても見えないほどの細工の細かさ。
飾り金具の下にある羽はよく見えなかったりもするけれど、拡大してみてみると金具の中で羽が光っている。
よく見えない部分、人々が見ない部分までも丁寧に作られている。

現在の職人の持つ技術を集めた美術作品が出来上がったのだ。

映画を見なければきっと「きれいだなぁ」で終わってしまったのだろうけれど、映画の後で見た厨子からは職人達の心意気が伝わってきた。

そして宮大工の言った「飛鳥時代の玉虫厨子には遊びがあるけれど、これはあまりにきっちり出来てしまっている」という言葉が耳に残って離れない。

それにしても・・・今回、この厨子に使った残りの玉虫の羽で携帯ストラップとペンダントを作ったと言うのだが、携帯ストラップが3300円、ペンダントが5500円・・・・欲しかったなぁ
ちょっと手が出なかったのが残念・・・_| ̄|●


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2008.12.15

大多喜城分館

千葉県立中央博物館大多喜分館と言うのが本来の名前の大多喜城。
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お城の天守閣を再建して博物館にしてある。

 本館は、城郭様式の建物で、「房総の城と城下町」をテーマに房総を中心とした中世から近世にかけての城郭やこれに関する武器・武具・調度・文書及びこれらを取り巻く人々の生活資料等を展示しています。
と言うことで中は一応こうした資料が展示してある。

「こんなものがありました」
「あんなものを使っていました」
とならべてある。

さすがにお城だけあって農業に関しての展示はなかったように思うけれど・・・

「どこそこになになにがありました」と言われるとどうも「ああそうですか」で終わりになってしまう気がする。
「へえ~、」と言う驚きや面白さがなかったのが残念。

今回は「武の美」と言うことでかぶとや鎧、馬に使う馬具や刀などの企画展が12月7日まで行われていたのを見に行ったのだが、これはそれなりに面白かった。

かぶとにつけた飾りは目立つためのものだったとかどんな飾りがあったとか・・・そういうところに視点を置いての展示はなかなかよかった。

今のイメージではちっとも強そうに見えないけれど「うさぎ」なんていうのもあって昔の人のものの見方が新鮮に見えたりもした。

常設展でもそういう視点があると面白いのになぁ・・・・


が、4階は一種の展望台になっていて山の上の一番高いところに立っている天守閣から四方八方を見ることが出来て面白かった。

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続きを読む "大多喜城分館"

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2008.11.24

[染]と[織]の肖像

佐倉での楽しみの一つに歴博がある。
派手な展示はないし、企画展にしてもお金のかかっているように見える展示はまずないのだが、じっくりと研究された成果が展示されていて歴史の苦手なCosにとってもおもしろい。

今回は「[染]と[織]の肖像
今のようにどこも痛んでいないけれど、着なくなったからといって衣服を処分できるようになったのは歴史を振り返ってみるとごく最近のこと。

衣服に仕立てられた布は穴が開けば継ぎ、刺し子をし、ぼろぼろになればオムツになったり(たぶん)雑巾になったりして使いつぶされたから、かつて人々がどんなものを着ていたのか分かるような形のものはほとんどない。

そこで、寺に奉納された打敷によって研究すると言うことになるのだが・・・

この奉納される打敷ってなんだろう?
と言う話題になった。
裏に戒名が書いてあったりして、お寺に奉納するもの・・・
普通はどんなイメージを持つんだろうか?

Cosたちの場合には「もしかしたら死んだ人の下に引いた布かもしれない」という話になってきた。
あわてて、たずねてみるとお供物などを乗せる台に引くテーブルクロスのようなものだそうだ。
そう聞いてちょっとほっとしてみて回る。

着物の柄もおそらく流行があったのだろう。
かつては「織」-「刺繍」-「染」の順で高級とされていた時代があったり、赤いリボンで縁取った 幢幡裳(どうばんも)に作り変えられてみたり・・・

この幢幡裳(コピペでないと絶対にかけない・・・)・・・いかにも布が貴重だった時代に手をかけて作り変えているのがよくわかる。

元の布よりいっそう華やかに飾られている。

元になる知識があまりになかったからなのか、時代に寄っての違い、どんな風に変化していったのかはよくわからなかったけれど、今ともずいぶんと違うような気もする。

これを着ていた人たち、作り変えて奉納した人たち・・・布が貴重だった時代の着物の価値は今とは大きく違っていたに違いない。

そんなことを思いながら結局のところいろいろな柄を楽しんできただけかもしれない・・・Cosの場合_| ̄|●

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2008.08.20

旅の楽しみ

といってもCosが旅をしてきたという話ではない。
(もちろん、旅はしたい!! 一人かあるいは・・・でも基本的に人に合わせるのが嫌いだから誰でもいいわけじゃない・・・)

2008年8月31日まで国立歴史博物館で「旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-」を見てきたのだ。
徒歩旅行である江戸の旅も公務である参勤交代はせっせと歩いたけれど、追い狭い理に代表される物見遊山のたびは道中も(たいへんなんだろうけれど)あっちへ行ったりこっちへ行ったり、その土地土地のおいしいものを食べたり・・・

なんというタイトルの本多か忘れてしまったのが悔しいけれど、江戸時代の旅行案内の中には各地の名産品・・・もちろん食べ物・・・が次から次へと紹介されている本があった。

旅行へいってその土地のおいしいものを食べようとするのは今も昔も代わりがないのかもしれない。
旅のガイドブックに食べ物やさんが満載されているのは日本のひとつの文化なのかもしれない・・・

当時の旅行者の小遣い帳も展示されていて、一泊がおよそ48文、お昼ごはんが一人12文ぐらい、難所の川の渡し賃が40文・・・なんて書いてあって、この金額でいったい何をどう食べたんだろうかとか、どんなところに泊まったんだろうかとか金額と品目を見ているだけでも楽しくなってくる。

雨が降ったから同じところに泊まっていたり・・・
(実際にはのんきではなかったんだろうけど)のんびりと旅行を楽しんでいるように思えてきてとてもうらやましかった。

「東海道・中山道・甲州街道図屏風」には3本の道が同時に描かれていて、今の地名と見比べると面白かった。
中には「やぶ」なんていう記載もあって、旅行をした人が難儀したんだろうなぁ
なんて思わされるものもあった。

明治時代になって全国に鉄道が走るようになると、今と余り変わらないような時刻表があったり、名所案内、温泉案内のガイドブックを田山花袋が書いていたりして、当時と今とでは実はそんなに変わっていないのかもしれないと思ってみたりもした。

旅行・・・移動のための旅行ではなく、旅行を楽しむための旅行もいいなぁ・・
ざんねんながらCosには各地の名産品を食べるのは怖いものがあるけれど・・・

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2008.08.10

のうがく鑑賞会

アート系の友達が、金沢へ行ったときから熱中し始めて、怠け者のCosと違って本を買い込んでしっかり事前学習までして今日という日になったのだが・・・

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「のうがく」といっても「農学」ではなく「能楽」なのだ・・・
どう考えてもCosにはハイレベルすぎるのだが、「夏休み親子のための」というサブタイトルも着いていることだし、子供向けのやさしい演目だから何とかなるかと一緒に千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。

最初にお話があって、能楽の舞台のかたちについてのはなしなどがあって面白かった。
舞台の前のほうが下がっているとか、
下の写真にある橋掛かりの3本の松は舞台に近いほうから高い順に並んでいるとか・・・

しかも椅子の前の席の背には「字幕」用のディスプレイがあって舞台で何をしゃべっているのか(うたっているのか)が一目瞭然だったりする。
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この写真の四角いところにその字幕が出てくるのだ。
「英語」「日本語」「子ども」向けのものがあって、省略は多いけれど、子供用のものは内容が一番分かりやすかった(爆)

狂言は
今日の町ではうだつが上がらないので東に下ろうとしているやぶ医者のところに、間違えて空から落ちて腰を痛めたかみなりが藪医者に治療をしてもらうという「神鳴」
「ぴっかりぴっかり」とか「ぐわらり、ぐわらり」といった擬音がとても面白かった。
擬音を楽しむというのがずいぶんと昔からあるんだと感心してみたり、
普通は敬語でよぶときには「雷様」となるのに狂言の中では「お神鳴」とは言うのに「さま」をつけないのがとても不思議だったりした。

能は
「小鍛冶」
稲荷明神の助けを借りて刀を打つという刀鍛冶の話。
一つ一つの動きがすべて様式化されているかのようにも見える舞台。
今回は男性役ばかりだから華やかな衣装はなかったけれど、稲荷明神の衣装の見事さ
謡の人たちだけではなくて、太鼓や鼓の人たちの掛け声もまた音楽の一部になっている面白さを堪能してきた・・・
といえるといいのだが、実際には動きがなくなると・・・・まぶたが重くなってくる。
後ろの席からはいびきが聞こえてくるし・・・

というものの、やはり実物は面白いので、次は大人向けのを見ようということになった(Cosも反対はしなかったのだ・・・)

ちょっと眠くなって落ちちゃった面々は次回はどこまで起きていられるかが勝負どころになりそうだ
∥xx;∥☆\(--メ)
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2008.06.22

美術館で数学談義!

今日から多摩美術大学美術館で新しい展示が始まるのでついふらふらと美術館に吸い寄せられたCos。
絵画のコスモロジー」2008年7月20日まで

さすがに雨の日だけあって美術館の中にはほとんど人もいない。

橋本倫・黒須信雄・小山利枝子の三人の絵。
あいまいさを許さずに
かっちりと書き込まれた鮮やかな色彩の橋本倫、
雲のような波間のような羊の原毛のようなでも立体感にあふれる黒須信雄、
4m×3mぐらいはありそうな大きなキャンバスいっぱいの「光--誕生」はその大きさと迫力に圧倒された。

会場の奥へ行くと、小山利枝子の描いたたくさんの花のスケッチ、この花のエッセンスを取り出してそのイメージを画面に描き出したのだということがよくわかるような作品も何点かかけられていた。

さらに奥には橋本倫の展示資料がガラスケースの中にあったのだが・・・・そこで見たものは・・・若き日の橋本の数学のノート。
微分して曲線の性質を調べてグラフを描いている。
今だったら、このレベルのグラフはMathematicaを使わなくてもGRAPESを使えばあっさり描けてしまう・・・
かつてはCosもこうやって悪戦苦闘してグラフを描いたりしていたのだ∥^O^∥
そんなことを思ったり、式を確認したりしていたら・・・
「関心がおありですか?」
と声をかけられた。

いろいろとはなしをしてみると数学に対する造詣がとても深い方・・・
代数幾何学(おそらく楕円関数論的なほうじゃないかな?)に詳しい方らしい。
数学の話、絵を描く人と数学の話、アーベルの書いた論文の話、ポアンカレ予想を解決した論文の話・・・Cosには太刀打ちできない・・・∥>_<∥

写真やCGでは決して描き得ない「絵」の感性の話・・・・

数学をやっていた人たちが美術の世界に入っていく話(逆は余りなさそうだけど)や関数模型を撮った杉本博司・・・

多摩美術大学では数学の授業もあるのだとか・・・曲線や曲面の持つ、数学の持つ美しさを考える可能性を秘めているんだろうなぁ・・・どんな勉強をしているのだろう?


よもや美術館で数学の話をすることがあるなんて思いもしなかっただけにとても新鮮で楽しいひと時だった。

またどこかでお目にかかれると面白いけれど、どうかな?

ただ・・・時間がなくなってしまって十分に絵を見てこれなかったのが心残りかな。
ま、近いうちにもう一度行って来よう。


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2008.05.29

ガラパゴスだ、ビーグル号だ、ダーウィンだ

動物に関心があればそのなを知らない人はいないだろうと思うダーウィン
国立科学博物館のダーウィン展(2008年6月22日まで)を楽しんできた。

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子どものころから知っているダーウィンともなるとさすがにその業績で知らないことはほとんどなく、純粋に展示を楽しんでくることが出来て\∥^O^∥/

なんといっても会場に入った途端に目に入った、「進化論以前の動物の分類」はほほえましくて見ているだけでうれしくなる。
「ノアの箱舟」に乗れなかった動物たちの化石・・・も楽しい。
進化論が生まれるのは時間の問題だった時代、必ずしもダーウィンでなくてもよかったのだけど、「ビーグル号航海記」の存在が「種の起源」をダーウィンのものにしたのだ。

ビーグル号のコーナーでは船の中を模した通路につけられた丸窓からは海面が上下する様子が映っていて、ちょっと船の中にいるような感じ。
(結果としては)無給で5年間ビーグル号に乗り込むというのは考えてみるとすごいことだし、収集した品々はすごい荷物だっただろうに、船に積んで帰ってきたのだろうなぁ。

子どものころ、ビーグル号航海記を読んだか読もうとしたかの記憶が少し残っている。
ちょっと読んでみて面白くなかったという記憶なのだ∥^O^∥

大人になった今もう一度読んでみるとまた違うのかな?

ガラパゴス島のコーナーではゾウガメとイグアナが動物園から出張してきていた。
こういうのがあるとその場から動けなくなるσ∥>_<∥
ちょうどゾウガメの給餌の時間と重なったので、元気よく食べるさまをじっくりと見てきてしまった∥^O^∥

結局種の起源でもなければビーグル号航海記でもなく見終わったその足で動物園に行ってしまったのは自然な行動?

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2008.03.22

プールの底で

飛行機の中から見た雪山・・・

そこへ行きたいと思ったけれどそれはかなわぬ夢にしかならないのかも。
というわけで海の底に沈む代わりにプールの底から空を見てきた。

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プールの底からは何人もの人たちがこっちを見ているのがプールの水越しに見えた。
「一人でプールの底に沈む」・・・・それはそれでいいなぁ・・・・

金沢21世紀美術館・・・ずっと長い間来たかったところ。
ひょんなことから友達と一緒にくることになったのだ。


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上から見るとこんな感じ。

このほかに「タレルの部屋」に、昼と夜の2回いってきたがとてもよかった。
写真は
「続きを読む」から。

続きを読む "プールの底で"

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2008.03.21

金沢21世紀美術館への旅(1)

いつかは行きたい美術館のひとつだった「金沢21世紀美術館」に行ってきた。

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この本を読んだときから、「必ずいつかはいこう」と思い続けてきたのだが、なかなかそのチャンスが訪れなかった。

何よりもお金がない。行くことがあるとしても、夜行のバスで行って夜行のバスで帰ってくるような行きかたでないとまず無理だと思い続けてきた。それでも交通費だけで2万円近くかかる。
なかなか実行するだけの余裕もチャンスもないままだったのだが、
「金沢21世紀美術館に行く」と言う美術の好みがとてもよく似ている友達と一緒に互いの懸案だった金沢21世紀美術館に行くことにした。
それも飛行機で一泊2日の旅・・・・費用はバスで行ってくるのとほとんど変わらないのだ。

美術館に人と行くのはなかなか難しい。
美術の分野では好みと言うよりも感性が違う人と一緒に行くと結果的に「一人で来ればよかった」と思うことになりかねない。
「どうしても見たい」と言う内容でなければ別にそれはそれでかまわないのだが、ずっとあこがれ続けてきたところではやはり満足できるような見方をしたい。
それが一緒に体験できる友達がいると言うのは本当にありがたいことだ。
特に、「旅行」となると一人で行くと割高だからありがたいと言う面もあるのかもしれないが・・・


と言うわけで「金沢へ行く」ではなく、「金沢21世紀美術館に行く」・・・・

が、そこは珍道中・・・しょっぱなから寝坊したCos_| ̄|●
目が覚めたのがリムジンバスの出発する時間・・・・
前の晩に余計な物思いにふけって寝られなくなったのが敗因・・・

リムジンバスは道路を走るので事故があったときのことを考えると早めに出ないとと考えていたのが幸いして、まだ電車に乗っていっても間に合う時間。
当然荷物の再チェックなどをせずに一目散に駅へ。

途中で「遅れます」とメールをしたら「一台飛行機を遅らせようか?」とみんなにすっかり心配させてしまった。
が間に合う時間に無事に羽田に着いて他の人たちと合流。
とりあえずおにぎりを買って朝ごはん。

飛行機の中からはCosの好きな雪をかぶった山々が見えて来た。
雪山の世界・・・これも行ってみたいところのひとつ。・・・雪山のふところに抱かれたくなって・・・金沢なんかやめて飛び降りたくなってしまった(爆)

小松空港に着くと早く行きたくてまっしぐらに「特急金沢行き」のバスに・・・・・

金沢駅で乗り換えたバスで「香林坊」まで行ってからちょっと歩くのだが、この途中で午後予約してある能楽美術館を発見して、気はせいていたけれどにちょっと寄り道。
3時半からの体験イベントの予約を確認。
そのときに「安宅コレクション」のチケットを持ってくれば入館料が無料になることも聞いてみんな大喜び・・・・
美術館で体験教室に参加すると言うのに無料で済ませようというのだ・・・う~む・・・

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が時計を見るとそろそろランチタイム・・・ロッカールームに荷物を置くと近くのレストランで昼食・・・・

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金沢21世紀美術館の旅(粟津潔)

最初は 「荒野のグラフィズム:粟津潔展」へ。多彩な粟津潔の作品は好きなものもあれば好きじゃないものもあるけれど、全体としてはシルクスクリーンになっていたりポスターだったりする作品が好きだ。

中でも線で描かれた作品群はシュタイナーのフォルメルンにも似た感じがしている。まるで絵のバウムクーヘンのように一枚一枚を剥ぎ取っていってつなげたかのような感じ。

先日のテレビにも出ていた「ピアノ炎上」
テレビで見ていたときにはそんなにいいとは思わなかったけれど実際に21世紀美術館で昭和48年のものが上映されているのを見るとまるでピアノに対するレクイエムのような感じすらした。
燃えていくピアノと音は必ずしも同期していない。
音が映像を追いかけているから崩れ落ちてしまった後も燃えるピアノのかすかな音、鍵盤をたたく音が響き渡っている。

この「ピアノ炎上」がもう一度海岸で公演された。


中日新聞:炎上ピアノ 志賀で弾く 山下洋輔さん、あす :石川(CHUNICHI Web).

 一九七三(昭和四十八)年、山下さんはグラフィックデザイナー粟津潔さんに頼まれ、粟津さん宅で消防士のヘルメットをかぶり燃えるピアノを演奏。その姿を粟津さんが16ミリカメラで収めた実験映像「ピアノ炎上」は、芸術作品として残された。

 三十五年後の今年二月十七日、山下さんは21世紀美術館の関連企画「ピアノ再炎上」で当時の映像と共演。「だれもやらなかったある芸術表現を獲得したのではないか。一体何であったのか。これはもうあらためて確かめるしかない」との思いを抱いたという。

このときの映像

何も知らずに話だけを聞いたときにはピアノがかわいそうにも思えたのだが・・・


そして、Cosがほれてしまったのは「花札想」シリーズ。
なんともいえずにセクシーでしばらくの間その前から動けなくなってしまった。
このはがきが欲しいと思ったのだが、結局売ってなかったのが残念。


やっぱりすごい人だ。

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金沢21世紀美術館の旅(安宅コレクション)

大阪から里帰りしてきていると言う安宅コレクション。
大阪へ行けばもっといい状態で見ることが出来るのがわかっていることもあって、あまり期待をしていなかったこともあるし、人があまりに多すぎたこともあるけれど、ざぁっと見ただけで終わってしまった。

せっかくやっているんだから見ていこうという気持ちと本拠地で見ればもっといいんだからという気持ちのせめぎあいだったのかも知れない。

でもやはり金沢21世紀美術館では現代美術がいいなぁ


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金沢21世紀美術館の旅(デザインギャラリー)

Cosたちが行ったときには金沢21世紀美術館のデザインギャラリーは「大巻伸嗣 Liminal Air-descend-2007」
だった

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たくさんの(数千本だそうだ)真っ白な紐の下がった空間の中で紐をかき分けて進んでいくと底ではもはや距離感も何もわからなくなってしまいそうな空間。
まっすぐ進めば、理屈ではその先に壁があるのだが、それさえ見えはしない。

距離感を失って、白い紐の世界をまるでさんご礁を泳ぐクマノミになったような気分で歩き回る。
さほど広くない空間だから、迷子になる心配はないのだが、自分の位置を見失ってしまってとても不安。

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金沢21世紀美術館の旅(タレルの部屋)

金沢21世紀美術館のスイミングプールは前にアップしているので、今回は「タレルの部屋」

このタレルの部屋と同じようなものは夏に行った香川の地中美術館にもあったけれど、こっちの方が部屋も広く天井も高くゆったりとした感じ。

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四方の壁はベンチになっていてそこから空を見上げるようになっている。
ここは床暖房ならぬベンチ暖房になっていて、くりぬいてある天井から外気が入ってきて寒くても、おしりと背中は温かいように出来ているのだ。

ぼんやりと座って天井を眺めていると空では雲が同じように漂うように流れていく。
切り取られた空なんだけど、逆に切り取られることで、すぐそこにあるかのような気がしてくる。

何人かの人がいたけれど、声を出して話をするでもなく、みんなが空を見上げていた。
満ち足りた平和な空間。

金沢21世紀美術館は有料ゾーンは18:00までだけど無料ゾーンは22:00まで開いている。

「ナイト・ミュージアム」を楽しむことが出来るのだ。

無料ゾーンとはいえ、タレルの部屋が空いているかどうかは疑問だったし、そんなに星も出ていない夜だったので、空を見上げてもあまり面白くはなさそうに見えたけれど、どんな風に見えるのかちょっとのぞいてみることにした。

確かに星はほとんど見えなかったけれど、切り取られた夜空には明るく輝く月。

写真にしてしまうと小さな明かりにしか見えないけれど、実際にはもっと大きく感じたし、もっと身近に見えた。

Img_7240

真っ暗な空の中で輝く月。
いつもは手の届かない月がこのときばかりは手を伸ばせば届きそうなほどの近さだった。
本当に手が届いたらどんなにいいだろう・・・・

ここにいたのはCosたちだけ。
静かに歌っている友達の声だけが聞こえていた。

至福のひと時に感謝。


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金沢21世紀美術館の旅(隣の能楽美術館)

金沢21世紀美術館の隣にある小さな能楽美術館

ここに21世紀美術館を見ている途中で抜け出して見学し、その後また21世紀美術館に戻って18:00まで展示を楽しんだので、21世紀美術館の旅のひとつとして記事にしておこう。

なぜ中抜けで能楽美術館に行ったか・・・

第一、誰がどう考えたって「能楽」なんてCosとは無縁世界。
今までに一度しか見たことがなくて、当然のように面白いとは思わなかったんだから・・・・

が、金沢へ行ったらどこへ行こうなんていう話をしながらあっちこっち検索していたらこの能楽美術館を見つけた。


ここ数年、
「知らないもの、好きじゃないものであっても、ついでがあれば『よい』とされているものは積極的に見よう」
と思いながらあちこちを見ているので、もともと関心のない「能楽」も関心がないからこそ見ておきたいかもしれないと思ったのだ。

で、もう少し調べて見つけたのがこれ。

金沢能楽美術館「能楽体験」   3月のご案内

能装束や能面、能楽の楽器などの体験ができます。

3月は2回しかやらないのに、そのうちの一回がCosたちが金沢へ行くその日。
一緒に行く友達に「こんなのがあるけどどう?」
と聞いてみたらいつの間にか友達がしっかり予約しておいてくれたのだ。

予約の取れた時間が3時半。それから30分ぐらいの予定で能装束を着たり楽器に触ってみたりすることになった。

実際に行ってみると21世紀美術館と敷地を接しているところにあったので、中抜けをして能体験をしてきたのだ。

Img_7184

時間になってCosたちが行くと通されたのは3回の研修室(のようなところ)ここで能の練習をしたりもするそうなのだ。

着せてもらったのはここに映っている衣装ではないけれど、同じような唐織の衣装。
(この写真に写っている方がいろいろと教えてくださったし、本当に親切にしていただいた。感謝m∥_ _∥m )

能の着付けは一人では出来ず、二人がかり。
実際の能の場合にも二人がかりで着せるのだと言う。着せてもらう本人はじっとたって待っているだけ。

普段の服の上から、袖のない巨大な半襟のような形をした白い下に着る着物(の一部)をまず身につけてから唐織の着物を着る。

この唐織は文様が最初から織り込んであってちょっと帯のような感じのする生地で二人がかりで、でも一本の紐だけで着せ付ける。

服装によって役柄が決まってくるけれど、ここではこの若い女性の形のみ。

さらに着付けがすんだら、能面をつける。
この能面に対してはつける前に一礼をしてからつけるのだそうだ。
Img_7169

部屋の反対側には4つの柱のある舞台を模してあって、そこで歩いてみたりもした。
どんな風に歩くのか、
能面にあいた小さな穴からどんな風に見て、どうやって行動するのかなんていう話も楽しく聞かせていただいた。

能装束は重く、視界が狭いので舞台も広く見えるのだという。


そして最後に小鼓、大鼓、大太鼓を実際にたたいてみた。

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小鼓は締めてある紐を緩めたり引き絞ったりすることで音色が変わるし、
実際の大鼓は使う前に火であぶってから使い、一つの大鼓は2回ないし3回買い使うともはや使い物にならなくなるとか・・・だから小鼓よりもずっと甲高い音になる・・・不思議だ・・・

大太鼓は普通の打ち方のほかに返しを使って打つやり方(名前忘れた)があってなかなかたたくのは難しいとか・・・

いろいろな話をたくさん伺って「ありがとうございました」とお礼を言って時計を見たら・・・・・なんと1時間以上・・・
次の方がいらっしゃらなかったのでよかったけれど・・・・・本当にありがとうございました。

体験が終わったあとはゆっくりと館内を見学。

ちょうど「加賀宝生の名品選3」をやっていて、いろいろな能装束を見ることが出来た。
今、実際に見てきた唐織、刺繍・・・
いかに着たときにきれいに見せるのか・・・・いろいろな植物がすそに飾られているものもあったりしておもしろかった。
実際に着てみるとまた違った見方が出来て面白い。

さらに、一番大きな収穫は能の舞台のビデオを見ているとき・・・
どうやって歩いているのか、楽器はどうやって弾いているのか、
生の能舞台を見たくなってきてしまった。


この能体験は出来るスタッフが限られているので、なかなか回数を増やすことが出来ない上に、いつやるのかを決めることが出来るのも一ヶ月ぐらい前になるから、宣伝が行き届いていないのだそうだ。

金沢に行くことがあって、うまく時間が合えばお勧めの体験!

ゆっくりと能楽美術館を見た後でもう一度21世紀美術館に戻って見学!!

食事を済ませてさらに夜の21世紀美術館を見学!

この日は21世紀美術館とその周辺で一日を過ごしてとても楽しかった。

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金沢21世紀美術館の旅(夜の美術館)

東京でも金曜日の夜は8時までオープンしているところが多いので、夜の美術館を知らないわけではないのだが、ほとんどの美術館は中に入ってしまうと昼であろうと夜であろうと雰囲気は変わらない。

建物の中にいるのが夜と言うだけで人も結構いるし絵を見たりしているときには夜を意識したことはない。

金沢21世紀美術館の無料ゾーンは22:00、つまり夜の10時までオープンしている。Img_7225

9時過ぎのこの誰もいない美術館がまだ開いているのだ。中は明るいけれど、人もいないし夜の雰囲気が漂っている。

無料ゾーンだけと言うことで、実際には見るべきものはほとんどないのだが、一面の窓が全部夜だから、普段見ている美術館と違って静寂が支配しているかのよう。

特に何かが展示してあるわけではなかったので、ぐるっと一周散歩をして帰るつもりだったのに、「タレルの部屋」があいているのを見つけてすっかりとはまり込んでしまったことは前の記事に書いた。

ここはどこに行っても廊下にいる限りどこかしら外とつながっているからいやおうなしに外の暗さを意識する。

これで見学の人がたくさんいればまた違うイメージになるんだろうけれど、ほとんど人もいないし外の暗さと中の明るさが対照的で、どこかしら昼間よりも美術館と人との距離が遠いような、それでいて美術館が意思を持っているかのような不思議な感じがした。

Img_7252_2

昼間はこのゆり椅子もほとんど満席だったのにさすがにこの時間には誰もいない。
この椅子に座って、今の調和を乱すことが出来なかった。

夜の美術館・・・・それは不思議な時間の始まりのようにも見えてきた。


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2008.01.30

暗く静かなとき

ちょっと風邪っぽいからかもしれないけれどこのところ精神的な気力が減退している。
やる気があるとかないとかではなく精神的に沈み込んでいる感じかな。

仕事上でも人間関係に問題が起こったりプライベートでもストレスがあったりしているから仕方ないのかもしれないけれど、こんなときには誰もいない静かなところにいきたくなる。

本当は人のいない自然の中に埋もれたいんだけど、なかなかその余裕はないのが残念。

というわけで、上野の国立博物館にある法隆寺宝物殿。

普段、ここはほとんど人がいない。

先日Cosが行ったときにも係りの人も一階にはいたけれど、二階は椅子だけがおいてあって丸っきりの無人だった。

特別展の人と人の間から展示を覗き込まなくてはならないのとは大違いだ。

照明をかなり落として薄暗いと言うよりは「暗い中」といえるほどの暗さの中に、規則正しく並んでガラスケースの中に一体ずつずつ納まった仏像が縦横に並んでいる。
他の人がいないから暗い中で仏像に囲まれてしまったようなイメージがあって、信仰心のある人にとっては荘厳な雰囲気なのかもしれない。

信仰心のないCosにとってもどこか厳かさも感じる静かな空間。
もしかしたら、そこから何かが出てきたとしても不思議はないような感じ。ちょっと不気味でさえある。

ガラスケースがなければもっといいんだけど、仏像の価値を考えるとそれはさすがにむりだろうな。

ベンチは部屋の壁際にしかないので一体一体のんびりゆっくり見ながら部屋の中を回るひと時は人のいない静かなお寺(?)で仏像に対峙しているのと少し似ているのかもしれない。

しばらく時を過ごすうちにCosも静かな気持ちになってきた。だれもいない静かな仏像の中で自分の存在がその静けさを乱しているようでいやだったけれど・・・

が、いったん外に出るとそこは上野の喧騒。
いつものようにやらなければならないことがいっぱい押し寄せてきた・・・_| ̄|●

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2008.01.29

ここでもカーボンナノチューブ

なんとなく「チューブ」でなくてもいいような気がするけれど、チューブの穴が光を吸収するので、フラーレンでは光を反射してしまうのかもしれない。


黒よりも黒い? 「最も暗い」物質 米大学チーム作製 .

 米レンセラー工科大とライス大の研究チームが「世の中で最も暗い物質」をつくった。当たった光の99.955%を吸収するという。ギネスブックに世界記録として申請している。

 この物質は、基板の上に微細な炭素の筒(カーボンナノチューブ)を成長させたもの。光を0.045%しか反射せず、従来の記録より約3倍も「暗い」という。穴がたくさん開いた長いカーボンナノチューブと、やや粗い表面の基板を使うのがコツという。

半導体になったり良導体になったりという電気的な性質しか知らなかったけれど、この六角形の格子で出来た蜂の巣状の六員環の構造がこれからいろいろなところで見え隠れするようになるんだろうな。


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2008.01.27

かはくのアロサウルス

子どものころからずっと本館がリニューアル工事に入るまで一階の正面玄関のところには恐竜がいた。

国立科学博物館に行くとまず、恐竜に挨拶をしてから他のところに回ったものだった。

そのアロサウルスが期間限定(2008年2月3日まで)ではあるけれど、上野に帰ってきた。

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子どものころには天井まで届きそうなほど大きく直立した恐竜だったけれど、今は前傾姿勢で動いていたと考えられるようになって、骨格の表示もそれにあわせて少し高さが低くなっているようだ。

今はすっかり館内も明るくなって、子どものころの感じていたどことなく薄暗い秘めやかな雰囲気はなくなっているけれど、それでもやはり、かつての地球を支配していたひとつの歴史がそこにあると言う神秘的な雰囲気が漂っていた。

説明を見ると1064年から展示されていたと言うことなので、少なくとも当時は恐竜の化石そのものが展示されていたのだろうから、化石つまり、石の重さを考えると大変なものがあったんだろうと思う。

今回の展示も実物の化石なんだろうか?

正直なところ、今は本物なのかかたどりをしてプラスチックで作ったレプリカなのかは見ただけでは判断できないのだから、展示のためだけであればレプリカで十分だと思うのがどうなんだろう。

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子どものころから同じようにかはくに行き続けている友達も言うように、正面玄関を入った途端に、あのかはくの高い天井に向かって首を伸ばしている恐竜と長い長いロープの先にぶら下がっていて、一日中のんびりとゆれているフーコー振り子は、子どものころから変わらずにあるかはくのお約束と言う感じがしてならない。

今は恐竜は地球館の地下にずっといい形で展示されて入るけれど、やっぱり「かはくの顔」であり続けてほしいなぁ

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2008.01.06

文学の触覚

1月2日に行った東京都写真美術館の3つ目の展示。

「参加型の作品群に触れ、私たちの手のひらにこぼれる文学と映像メディアの美しさを体験」というだけあって、「しゃび」じゃなくて、「ICC」じゃないかと思うような展示がずらずらと並んでいた。
そうでない展示ももちろんあったけれど、印象に残ったのは「文学」じゃなくて、文章で遊ぶと言うところだろうか。

文章を書く・・・あるいは小説を書くということで一番面白かったのは「タイプトレース道」
ラップトップコンピュータにある日時を選ぶとラップトップに出ている文章を作家が実際に書いたときのとおりにプロジェクタで投影された前の大きなスクリーンに文字が現れ、好くリーの前においてあるキーボード・・・ちょっと見た感じはキーボードがタイプライター化しているような「かちゃかちゃ」と音を立てながら前のスクリーンの文字を自動的にタイピングしていく。

投影された文字は書くのに時間がかかった文字は大きく、実際にどうやって書いたのか、悩んだところ、修正したところが実際に作家が書いたのと同じように時間をかけて描き出されていく。

ラップトップには完成された文章がアップされているから、スクリーンの文字がこれから変わることを知っていたりするわけだ。

しばらくその画面を見ていると自分が未来を予測できるような不思議な気がしてくる。
一回読んだ本を読み直しているかのように、何が起こるかわかっている・・・
「あぁ、そこは葬書くんじゃないんだよ~~」と言いたくなるような・・・

まさに、体験型の文学・・・だろうか?

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このポスターに出ているモルフォタワーは音に反応しているのではないかと思うけれど、すごく面白かった。

黒い磁性液体が円錐の側面を上って行ってこんなとげとげを作る。
それは液体が生きているかのようでもあり、液体ではなく、何かかたちのあるもののようでもあり、値段を考えなければ一つ欲しいと思うほどだった。

この磁性液体はこすもす: 磁性液体に書いたものと同じもので、磁性流体を使って、児玉幸子さんがメディアアートとして磁性流体アートプロジェクトをやっているものだ。
(北海道大学物理学科の出身で芸術学の博士号を持っているのだそうだ。物理やってないとこんなことできないよなぁ)

この磁性流体の使い道はいろいろありそうだけれど、とりあえず、
磁性流体・MR流体サンプル.

磁性流体・MR流体サンプル販売 サンプル内容と価格:  (A)磁性流体(イソパラフィンベース)50ml 代金:6,000円(送料込み・税別)  (B)MR流体(ポリアルファオレフィンベース)50ml 代金:6,000円(送料込み・税別)

だそうだ・・・欲しい気はするけど、使い道がないよなぁ・・・

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2008.01.03

回転回

東京都写真美術館で2008年2月20日までの「スティル|アライブ」

もっとゆっくり見に行ってもよかったんだけど、1月2日は写美が無料と言うので、さっさと見てきてしまったのがこれ。

Img_6721

ありがたいことに混んでいなかったのでじっくりと楽しんでくることが出来た。

最初に見たのは正面と横の壁面いっぱいに流れる伊瀬聖子の 「Swimming in Qualia(スイミング・イン・クオリア)」 
「映画ではない映像作品」と言う感じで時の流れと静けさを表しているような気がしてそれなりに面白かったけれど、見ているこっち側はどうしてもストーリーを求めてしまうような気がする。

絵や写真を見ているときには必ずしもストーリーを求めないどころか、作品の中に意味をみようとしないことも少なくないのに、見るために時間を要求されると、そこに時間の流れを見ることをこっちが求めてしまうのかもしれない。

作品自体は面白かったけれど・・・・


そして今回見たかった屋代敏博。

目黒美術館で見たときには写真なのにどうも写真ぽく見えなくて、不思議な感じがしていたので、他の作品も見て比べてみたいと思っていたのだ。

屋代敏博の展示の写真は内容は別としてごく普通の写真らしい写真。
つまり目黒美術館での銭湯シリーズはそういう効果を狙った作品だったと言うことになる。

それがわかってその点ではすごくすっきりしたのだが、今回のテーマである回転回もすごく不思議な写真たち。
シャッター速度を10秒とか30秒とか長い時間にしてその間に人が回転すると出来てきた写真は「人」ではなくて「風景の一部」になる。

いろいろな学校や人の集まる場所で「回転回ライブ」をやってきた記録ともいえる写真が並んでいる。
会場には小学校6年生の感想文もあって、なかなか面白かった。

続きを読む "回転回"

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2008.01.02

年の初めはしゃび

例年は正月2日なんていうとうちでおとなしくしているのだが、今年は都心まで遠征∥^O^∥

事の発端は「1月2日は美術館がただ」という話を聞いたことに始まる。

東京の国立博物館をはじめいくつかの美術館がどうやらただらしいと言う情報を聞いて、その気になったのだがどう考えても東博は混むだろうし、有名どころは人が大いに違いない・・・

Img_6717
と言うわけで友達といってきたのがここ。
なんといっても3つに展示が無料になるのだから、お正月の一日を過ごすのにふさわしいし、メジャーじゃないからそうひどくは混まないだろうと読んで、朝一番(といっても今日は11時からだが)からともだちと「行こう」ということになった。

幸いなことに予想以上に人が多くなくて、混んでいたらさっさと済ませて帰ろうと思っていたCosもじっくりと一日楽しむことが出来た。
(もしかすると普段よりもすいていたかもしれない)


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2007.12.23

7人の作家7つの表現

鈴木康弘の「まばたきの葉」が出品されると聞いて、何が何でも行ってこようと思ったのが、2008年1月13日(日)まで目黒区立美術館でやっている「7人の作家7つの表現

目黒区に住む、あるいは関係のある若手の7人の作家による美術展。
実はこの中で名前を知っていたのはこの鈴木康弘だけ。

「まばたきの葉」は思った通り面白かった。
強力なシロッコファンが入っている煙突のような長い筒の中に小さなスロットから一面には開いた目裏には閉じた目の描いてある木の葉状の紙(の様なもの)を入れるとそれが吹き上がって上から落ち葉のようにまって落ちてくるのだ。

最初はスロットから入れると上から降ってくるのが単純に面白くて(他に人もいなかったので)ずっとやっていた。
あまりたくさんの紙を入れるものだから、係りの人に怒られたり・・・∥^O^∥

がある程度遊ぶと逆に人がやっているのを見ているほうがずっと面白いことに気がついた。
自分で紙を入れているときにはあまり意識しなかったひらひらと舞い落ちてくる葉っぱの表情・・・無機的に瞬きを繰り返しているようにも見えて不思議な感じ。

他の人たちの作品もなかなか面白かったのだが、今回は3人が写真で出ている。
この3人の写真を見ていて、写真の面白さっていったいなんだろうと考えさせられた。

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2007.12.19

カオスモス

タイトルを聞いたとたんに「ここに行く」と決めたのはどうしてだったのか・・・

子どものころから持ち続けている孤独感がそうさせたのか、
「カオスモス」という言葉に引かれたのか・・・・

このカオスモスという言葉カオス(混沌)とコスモス(秩序)を組み合わせた造語なのだそうだ。

カオスに満ちた人生を送りながらこすもすこすを書いているCosにいかにもふさわしい。

さびしさと向き合って  カオスモス’07

Img_6576


と言うわけで「佐倉市立美術館」まで遠征してきた。
片道3時間・・・
ただし、乗り換えは一回でずっと寝ていけるから物理的にはそんなに大変ではないのだが・・・時間がかかる・・・

市立の小さな美術館ががんばっている感じ。
Chaosmos(カオスモス)にしても美術館独自の視点を生かした構成になっている。

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2007.12.18

ダイアモンド ファイアーを見てきた

2007年12月16日まで東京都庭園美術館でやっていた「世界を魅了したティファニー展」を駆け込みで見てきた。

Cosは宝石や貴金属に憧れはないし、欲しいとも思わないので行きたいとは思っていなかったのだけれど、そばを通りかかった(と言うよりは目黒に行ってきた)のでついでに寄ってきたのだ。

会期末と言うことでかなりの人。
人ごみは苦手だし、どうしても見たいというほどのものもないから、混んでないところを人の後ろから眺めてきた。

展示してある作品のプレートもよく見えないので、何を見たのかもわかってないけれど、まあ、ダイアモンドファイアーをいろいろと眺めてきたと言うところだろうか。

Cosなどに言わせるとガラスだまとダイアモンドの違いって、このファイアーぐらいしか思いつかないのだが・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

で、ここで役に立ったのが、日本美術用に勧められた単眼鏡。
焦点距離が30cmからなので、結構近くのものもよく見えるし、×5から×15までの可変なので、見やすい倍率で見ることも出来る。

部屋に入るのにまで行列をしているところもあったけれど、この単眼鏡のおかげで部屋の外から、覗き見
\∥^O^∥/


と言うわけで、普段は無縁の豪華な世界を垣間見てきた。
世の中には金持ちが多いんだなぁ・・・・

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2007.12.15

静寂な空間・・・太田記念美術館

日本画はそんなに好きじゃないので、チケットをいただくということがなければ浮世絵の美術館であるこの太田記念美術館には行かなかっただろう。

ただし、怖いもの見たさで興味津々ではあったのだが・・・
なにしろ、場所は原宿。中学生レベルの若い人たちが大勢たむろしている街。

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開館前に打ち水をしたのか、入り口の石畳はぬれている。

入り口を入るとなんとそこには「スリッパに履き替えてください」。
何のためのスリッパなのか、理由はいくつも思いつくけれど何よりも絵と雰囲気を大事にする美術館の姿勢がそこに見える。

靴を下駄箱にしまい、荷物をロッカーに入ると真っ先に目に入るのは部屋の中にしつらえた日本庭園(風の空間)。
渋谷文化のページにある写真のもの。
入り口はちょうど隠れている右手側になる。
カメラのある位置は畳敷きの一段高くなったところで、そこにはスリッパを脱いで上がる。

二階は吹き抜けになっていて壁に沿って出来ている回廊をぐるっと回るようになっている。

今回の展示は2007年12月16日(明日だ)までの肉筆広重展 初代から四代まで
本来は浮世絵の専門館だけど、今回は肉筆画で版画はほとんどなかった。

他の美術館に比べて絵の手前にあるガラスまでの距離が短く見やすいのがうれしい。
おしゃべりをしないで欲しいと言う掲示があるからなのか、二人連れで着ている人たちは何組もいるのに、館内は静か。

この建物の外を流れる華やかな賑々しさとはちがって、ここでは静寂に包まれた静かな時間が流れる。

やはり肉筆画でも初代の広重の絵はいいように思える。
普通に見たのではわからないような着物の柄の細かなところまできっちりと書いてあって、広重のこだわりがそこに伺える。
浮世絵になるとその差はあまりに歴然としてしまっている。
初代広重は視点となっている場所からの想いが絵の中に垣間見えるような重みがある。
一枚の版画の中にそこには見えていない主人公のストーリーが見えてくるかのような重みだろうか。

確かにCosの好きな絵のようなわくわくするようなどきどきするような興奮はないけれど、静謐さがそれなりにいい。

また機会があったら訪れてみたい美術館のひとつ。
○○があるから見に行くと言う楽しみ方だけではなく、その空間自体を楽しむことが出来る美術館だから。

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2007.12.09

あらばしり

Cosは日本史とか日本酒とかが苦手なのだが、昨日はその両方と一緒に楽しいときをすごしてしまった。
(ただし、日本史の話題は出なかったのが救いかな?)

某所の忘年会(と言うほど人が集まったわけではないのだが)日本酒を飲ませる店荒とよに行ってきたのだ。
他の人はビールからスタートしていたりしたけれど、アルコールのキャパのないCosは最初から日本酒。

最初に飲んだのが辻善兵衛のあらばしり・・・
これがおいしいのである。

以前この店で飲んだ渡舟の斗壜取りと同じように作っているもののようだけど、このあらしぼりにはこってりとしたフルーティさはないけれど、やっぱりさわやかなフルーティさがあって日本酒が苦手なCosでも本当においしいと思った。
セーブしなくてはいけないと思いつつもついつい飲んでしまう。

で、2杯目は梅酒。
どこの梅酒だったんだろう?
これは日本酒の衝撃的なおいしさに比べるとおいしいんだけどインパクトが少ない感じ。
すごくあっさりとした梅酒で最初に飲めばきっとおいしいんだろうなぁ・・・

で、次が獺祭(だっさい)
二杯で限度なので、他の人が頼んだのを分けてもらって飲んだけれど、これもおいしい。大吟醸とか吟醸とか純米とか書いてあったのかもしれないけれど、何を飲んだのかは皆目見当もつかない。
このころにはかなり酔っ払っていて、おしゃべりの内容は覚えていると思うけれど、とんでもないことをいっていたような気がする∥^O^∥
これもさわやかでおいしかった。今度行くことがあれば、ここから飲んでみたい。

これでやめるはずだったのだが・・・・最後の〆は渡舟。
これは前に飲んでおいしいのがわかっていたのでついつい全部飲んでしまう∥^O^∥
やっぱりおいしい。
と言うわけで間違いなく飲みすぎ。
帰りの電車に乗っているのが厭でその場で寝てしまいたかったほど∥^O^∥


この店で飲むと日本酒は本当においしいものなのだと納得してしまう。
普段Cosたちが行っている居酒屋で日本酒を飲みたいとは思わないけれど、ここの日本酒はキャパの少ないのが悔しい感じ。
ぐいぐいと次から次へ飲む飲兵衛と一緒だったから余計悔しい・・・∥^O^∥

が、失敗したのはサイダーを飲み損ねたこと。
冷蔵ショーケースにはちゃんとあったのに・・・・
次に行ったときにはもうなくなってるんだろうなぁ・・・

そして忘年会のおしゃべりも楽しかった。
普段接しているような人たちとは交わすことのない話が多くて、酔っ払いながら違った世界を垣間見ることが出来たのはとてもうれしい。

生きている世界はまったく違っても共通したものを持っていて互いの違いを認識しながら相手の世界に入っていけるような付き合いが出来るのは本当にありがたいことだ。

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2007.12.05

恐竜の筋肉の化石

最初に見出しを見たときには「恐竜のミイラ」と書いてあったので、化石ではなく、本当にミイラになっているのかとびっくりしたのだけれど、残念ながら化石であることに変わりはなかった。

草食恐竜の筋肉化石を発掘=動作解明の手掛かりに-米.

推定6700万年前(白亜紀後期)に生きた草食恐竜ハドロサウルス(全長12メートル)の体の一部とみられるが、骨格以外の柔組織を含む恐竜化石発掘は極めて珍しく、恐竜の動作解明につながる「恐竜のミイラ」として注目を集めている。

でもこうやって残されたものを丹念に調べることで過去がわかっていくのはおもしろい。
いつか恐竜についても復活させることが可能なほどのものが得られる日が来るのかなぁ?

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2007.11.22

過去を探る

Cosは歴史が好きじゃないし、先日も徳川展に行ってきて会場に入った瞬間にそれを確認してきてしまった。

ところが、「好きじゃない」といっても実際には教科書的な歴史が好きじゃないだけで、過去に何があったのか、どうやって暮らしていたのかなどを知ることは決して嫌いではない。

その当時の人たちがどうやって暮らしていたのかとか(戦いや争いを含まなければ)特定の人がどうやって生きてきたのかを知るのは結構面白がっている。
(人と戦う人の話は嫌いだが・・・)

数学氏の中で関孝和といえば当時の代数学者に当たる人で、Cosなどの大先輩(えらさはまるっきり違うが・・・∥^O^∥ )。
その彼がどうやって生きてきたのかというのはとても興味がある。

asahi.com:江戸時代の数学者・関孝和、菩提寺の過去帳調査 - 暮らし.

 天才数学者は幼い娘の死を乗り越えて研究に没頭していた――。鎖国時代、欧米の影響を受けずに方程式の解き方や行列式を編みだし「算聖」と称されながら、その暮らしぶりなどが謎に包まれてきた関孝和(1708年没)の横顔の一端が明らかになった。

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2007.11.18

恋人と? シャガール

重く内省を要求するムンクの後は色彩のファンタジー「シャガール」

上野の森美術館で2007年12月11日まで

ムンクの重さに比べてシャガールの軽さ明るさ。

エロティシズムもあっけらかんとした明るさで、裸がとても当たり前のことに見えてくる。
恋人と見に行ったら見終わった後に、「じゃ、行こうか」と実践してしまいそうな明るさ(爆)

残念なことに、ムンクの重さを一緒に支えてくれたり、シャガールの軽さを一緒に楽しんでくれる相手がいればいいのだが・・・
_| ̄|●ガックリ


100色もの色を使ったというリトグラフ、「ダフニスとクロエ」はさすがにきれいだった。これだけ色をたくさん使っているととてもリトグラフとは思えない。

「多色刷り」の見事さがあれこれの作品に見えている。
印刷(これ自体印刷なのに)ではこんな色が出ないだろうと思いながら色彩のファンタジーを楽しんできた。

そして圧巻は「聖書」の挿絵の多さ。
これでもか、これでもかといわんばかりに並べてある。
題材が旧約聖書なので、実在しそうもない生き物がいたりして一枚一枚を見るのも楽しい。

これはやっぱり恋人と肩を寄せ合ってみる絵だなぁ・・・

募集しようかな・・・シャガールを見るのに\∥^O^∥/
∥xx;∥☆\(--メ)

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2007.11.17

誰と見る? ムンク

ムンクは重い。

一枚一枚の絵に自分を映し出してみてしまうから絵を通じて自分の内側を見てしまうことになる。

ムンク展国立西洋美術館で2008年1月6日まで

会場の最初に展示してあるのが「吸血鬼」
うつぶせにひざの上に抱かれた男性のうなじに長い髪の女性がくちづけをしている。キスなのか、血を飲んでいるのかはわからない。
といってもこの吸血鬼というタイトルはムンク自身がつけたものではなくムンクは吸血鬼を描いたつもりではなかったらしい。

それにしても、この絵の男性は女性に身をゆだねているし、ムンクの時代に女性に身をゆだねるということがどういうことなのか・・・一般的ではなかったはずの時代・・・ムンクの絵には支配という言葉は適切ではない気がするけれど、男性が女性に身をゆだねる、あるいは女性のほうが強い立場にある絵が少なくなかった。

ムンクはそういう人だったんだろうなぁ・・・

そして、今回の目玉の「不安」と「絶望」
「絶望」そんなにひきつけられるものがなかったけれど、「不安」はとてもよかった。単純な不安じゃなくてのしかかってくる不条理な不安が目に見えるよう。
単に自分の不安を映し出しているだけかもしれないが・・・

が、今回の展示は「装飾」への挑戦ということで、いろいろな建物の壁画、オスロ大学の講堂やチョコレート工場の社員食堂などの壁画、個人の住宅のために作られて壁画などにかかわる絵が展示されていた。

さすがにこうした壁画には個人の感情を映し出すような重さはないけれど、それでもやはり一枚一枚が考えさせられる。
明るい絵であっても底抜けの明るさや軽さは感じられない。

自分の心を省みることを要求される絵を見続けていると心のどこかが張り詰めてくる。
普段絵を見るときには一人がいいと思うけれど、ムンクはこの屈折した思いを分かち合うことが出来る人と静かに見るのがいいかもしれない。

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2007.11.11

木版画は日本?

東京の町田の国際版画美術館
木版画東西対決 -仏教版画から現代版画まで-」展
(2007年11月25日まで)
を見に行ってきた。
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東西の対決といっているけれど、浮世絵に代表される日本の木版画と西洋の木版画のあり方を対比させる試みという感じ。

絶対数の違いなのか、この美術館が集めることが出来なかったのかはわからないけれど、日本のもののほうが質、量ともに優れていたような気がする。

といってもCosには版画の事はほとんどわからないので、なんともいえないのだが、企画展の後に見た常設展のいろいろな版画にあった西洋の版画はどう見ても木版画とは比較にならないレベルのような気がした。

思わず笑いたくなったのは
一番最初に見た南北朝時代の地蔵菩薩立像坐像烙印
心行くまで紙いっぱいに立像と坐像のはんこを押したという感じで今も昔も変わらないんだなぁという感じ。

西洋のものではデューラーの版画の黙示録の四人の騎者(?)のうちの一人が剣ではなくて天秤を持っているのが面白かった。

日本の古い版画には線のやわらかさ、色のやわらかさがあるように感じられた一方で、西洋の古い版画には緻密さがあるような感じがした。

日本のやわらかさは浮世絵のやわらかさで、西洋の緻密さは銅版画の緻密さに似ているのかもしれない。
この緻密さが木口版画につながったんだろうなぁ・・・

そういえば、常設展だったかもしれないけど、「垣根の恋人」の手の位置に注目してしまった・・・う~ん・・・

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2007.11.10

モリゾの時代

今は女性だからといって絵を発表できないなんていうことはもちろんないし、性別によってその芸術作品を差別されることもないけれど、
損保ジャパン東郷青児美術館のベルト・モリゾ展(2007年11月25日まで)ではそういう時代に思いをめぐらせてきた。

女性がアカデミーに入って美術教育を受けるなんていうことが出来なかった時代に生きたモリゾの絵は時として未完成を思わせるようなラフなタッチで描かれている。
しかも題材は彼女にかかわる人たちの情景がおおい。
男性たちが静物画を描いたり、人物像を描いたりしているのとはずいぶんと違っている。

さらに、裸体を描く訓練をつんでいないということもあるのだろうけれど、裸を描いても「裸」ではあっても色っぽさが感じられなかった。

時代がそうだったのか彼女のスタイルがそうだったのかはCosなどにはとても判断できないけれど、そうなることを余儀なくされたということに違いはないだろうな。

そんな彼女の絵は時として「印象派」といいながら現代のにおいも漂わせていて、なかなか面白かった。

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2007.11.08

キスリング展

2007年11月18日までの
キスリング モンパルナスの華」展 府中市美術館
を見に行ってきた。

Img_6466

キスリングの絵は写実的に見えていてどこか非現実的なにおいのする不思議な絵。

ちょうどピカソの絵がとても抽象的に顔を描いているのに、モデルと並べるとどう見てもそのモデルにしか見えない写実性が浮かび上がってくるのとちょうど反対側という感じがする。

絵の具の中にニスを混ぜているともいう光に満ちた絵の中から、アーモンド形の憂いと悲しみに満ちた目がこっちを見ている人物画。
少年や少女を描いているのに、その表情には大人でしか知りえないのではないかと思えるような憂いに満ちている感じ。


Cosは普段は人物画よりも静物画のほうがすきなのだが、このキスリングに関しては静物画よりも人物画のほうが面白かった。

決して媚を売っていないその表情をみているといつの間にか表情の裏側にあるものに想いをはせてしまう。

キスリングはモンパルナスで売れっ子の画家だったらしく、たくさんの絵を描いているが、「花の絵は作りだめがきく」と。
だからということもないのだろうけれど、今回見た花の絵にはずば抜けて「これがいい」と思えるような花の絵はなかったのが残念かな。

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2007.11.06

素顔のツタンカーメン

ツタンカーメン王がお墓から出て一般に展示される。

ツタンカーメン王のミイラ、素顔を初めて公開 .

エジプト当局は4日、当地近郊にある「王家の谷」に眠るツタンカーメン王のミイラを墓から取り出し、展示用のアクリルガラスケースに移した。作業はテレビで生中継され、5日から一般公開される見通し。

写真を見てみると、つい先だって見てきたマヤ・アステカ文明展のミイラとはまったく違っていて、真っ黒になっているのもなんだか不思議な感じがする。

ミイラになってしまっては元がどうだったのか、素人のCosにはまったく見当もつかないけれど、顔の輪郭は御棺の金のツタンカーメン王にも似ている気がする。
こんないい男だったのかなぁ?

これまではお墓においておくのがもっとも保存にいい環境だったのだけれど、見学者などにより湿度の増加などで、環境が悪化しておりよりよい場所で保存するためにお墓から出してガラスケースに入れることになったのだという・・・( National Geographic News Photo Gallery: Tut's Face Displayed for First Timeを読んでみるとどうやらそうかいてあるらしい・・・)

不思議なのは、この Tut's Face Displayed for First Timeの記事を読んだ(読めてないんだろうなぁ・・・実際には)限り、写真を見た限りでは体には布がかけられて展示されるのは顔だけらしい。

展示の様子の写真を見ると出ているのは顔だけ。そこにいる人がOKを出しているから、この形で展示されるんだろうと思うけれど、なんだかちょっと違和感がある。

死者に対する尊厳ということなのかもしれないけれど、どんな風になっているのかという関心はないんだろうか?

あるいは何らかの形で損傷が激しいとか?この写真を見た限りではそんな感じはしないけれど、どうしてだろう?

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2007.11.03

幻想美術館

ファンタジー好きのCosとしては絶対に避けて通れないのがこれ。

横須賀美術館で行われている
澁澤龍彦 幻想美術館」展
2007年10月6日(土)~11月11日(日)

若いころに熱心に読んでいた時期もあったし、中世ヨーロッパ(ドイツかな?)のおどろおどろした民話やその挿絵にも関心があったから、交通の便の悪さを乗り越えていってきた∥^O^∥

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初めて行った横須賀美術館は底抜けに明るく白を貴重とした「海と丸窓」という感じの建物(なんだそりゃ?)。
この雰囲気はどこかにすごくよく似ている感じがするけれど、それがどこなのかはよくわからないのだが・・・
おそらく、海、船、空をイメージしたのではないかと思うのだが・・・どうなんだろう?

この底抜けの明るさに対してCosが澁澤龍彦に持っているイメージはもっと暗くうごめく感じ。
好きな作家であることに違いはないけれど、本を見かけたら買ってしまうほど好きだったことはない。
今回の企画にしてもどうして「絶対に見に行こう」思ったのか自分でもよくわからなかった。

澁澤龍彦が好んだ古今東西の幻想美術家約80人の250点に及ぶ作品とともに

という言葉の通り、いろいろな作品が並んでいる。

マン・レイ、ダリ、加納光於、中世ヨーロッパのちょっと奇怪な版画たち、ルドン、アンソール、エルンスト、ピカソ、クレー、マグリット、フィニ、四谷シモン、加山又造・・・・・e.t.c
これ以外にも絵をもう一度見れば、「これ!」というものもたくさんあるのだが・・・

何のことはない、Cosの好きな作家たちが一堂に会しているのだ\∥^O^∥/

彼に対しては文章ではなく、おそらくはその美に対する感覚に惹かれ続けているのだろう。
子どものころからファンタジーがこんな風につながってくるとは思いもしなかった。

そして中世ヨーロッパのちょっと怖い民話・・・そのイメージを膨らませる当時の版画がこんな風につながってくるとは思わなかった。

何枚かの版画は知っているような気がしたのだが、町田の国際版画美術館のものが多かったのにはびっくり。
いつもは企画展のついでに見ていた常設展にいくつかは展示してあったんだろうなぁ・・・

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2007.10.30

苦しかった家計?

広重といえばCosの好きな絵もたくさんある人気浮世絵師

でもやっぱり芸術家らしく(?)家計は決して楽ではなかったらしい。

asahi.com:広重の窮状、版元が助ける 絵の裏に「庶民金融」の記録 - 文化・芸能.

 江戸時代の浮世絵師歌川広重(1797~1858)が金に困った際に、出版業者たちが庶民金融である無尽講で助けていた――。東京・原宿の太田記念美術館が所蔵する広重の「江戸名所写生帖(ちょう)」に使われた紙の裏に書かれた記録から、当時のこんな実態が明らかになった。広重の暮らしぶりや、絵師と版元との関係がわかる貴重な史料だ。11月1日から同館で開かれる「肉筆広重展」に出品される。

「無尽講で助けていた」と書いてあるけれど、最初に集められたお金は広重が受け取ったらしいから、考えようによってはまとまったお金が必要だったとも見える。
細かく稼ぐけれど、金遣いも荒い・・・といういかにも芸術家らしいお金の使い方なのかも。

どんな生活をしていたのか、考えるとなかなか楽しい。
「宵越しの金は持たない」江戸っ子だったのかなぁ・・・

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2007.10.29

美術学校の創始者

かつて、東京藝術大学は音楽学校と美術学校に分かれていた。今はもうとっくに亡くなってしまった方たちからその時代の話を聞く機会があった。

秋葉が秋葉が原で日比谷が日比谷が原だった時代、円タクが走りJRが省線と呼ばれていた時代のこと。もうそのころには岡倉天心は芸大を去ってしまっていたけれど、新しい息吹に満ちてた文化の中心地の上野だった時代。

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そんな時代に思いをはせながら芸術大学美術館で2007年11月18日まで開催されている

岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ―
を見てきた。

おそらく美術的には非常に優れたものはそんなに多くなかったのかも知れないけれど、
「見るための美術品」ではなく、そうした美術品を作る人たちを育てる「教育のために美術品」という見方は門外漢のCosなどにはとても新鮮な見方だった。

新しい時代である明治の最先端を切り開いていく芸術を作る、天心の理想を求め、いろいろな教授陣と一緒に学校を作り上げていく姿が見えるような気がした。

奈良時代の服装を真似たかのような制服も、教授陣も学生も同じ形の服を着て、色と材質だけが違うという、いかにも「一緒に時代を作る」という意気込みが伝わってきそうな気もしてくる。

今年の3月、東京都美術館などで行われていた芸大の卒業制作を見てきたのだが、それと比較すると今回の展示にあった「卒業制作」は今の時代との違いをまざまざと感じさせる。

ここがスタート地点だったんだなぁと思いながら美術展を見終わった後、構内の岡倉天心像を見に行ってきた。
彼が今の学生たちをどう思っているかは知らないけれど、今も昔も変わりなく芸術に青春をかける人たちが集まってきているのだ。

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2007.10.26

がんばれ青空文庫

知っている本を読み返したいとか、あの本にこんな部分があったはずなどということを調べるのに一番手軽なのが「青空文庫

ここにある本のほとんどは読んだことのある本。

昔読んだ本を読み返してみたくなったり、読んでなかったような気がする本はここで探してみるのが一番早い。

宮沢賢治なんか、全集もちゃんと持っているのにこっちで読むことのほうが多かったりする∥^O^∥

そんな青空文庫ががんばっている。


asahi.com:6500作がDVD1枚に 青空文庫、図書館に無料配布 - 文化・芸能.

 夏目漱石やコナン・ドイルなど国内外の作家ら407人の約6500作品が1枚のDVDに収められ、全国の図書館約8千館に無償で配られることになった。民間の電子図書館「青空文庫」がインターネットで提供しているデータを元に制作した。同文庫の魅力をDVDを通じてネットの外にも広め、文学作品などの著作物を社会が共有する意義を強くアピールするのが狙いという。

 同文庫はノンフィクション作家の富田倫生(みちお)氏らが97年7月に始めた。

 DVDには、漱石や芥川龍之介、太宰治などサイトで人気を誇る作品のほか紫式部、泉鏡花、坂口安吾、アンデルセンやユーゴー、魯迅なども収録予定で、さながら「世界文学全集」だ。直木三十五の「南国太平記」といった一般書店での入手が難しい作品もカバーする。今月末から配布予定。

(中略)

 DVDや冊子の制作費には、同文庫が蓄えてきた広告収入を充てた。DVDの配布には、文化審議会で検討されている著作権の保護期間の延長の動きに、ストップをかける狙いもある。

 著作権法は、著作権の保護期間を「作品誕生から作者の死後50年まで」と規定しているが、米政府や著作権団体などは「死後70年まで」に延長するように求めている。

 青空文庫は死後50年が過ぎるのを待って、作家の顔ぶれを増やしてきた。保護期間が20年間延長されれば、20年間は新たな作家を加えることが難しくなるという。

ただ、webをさまようようになってから読書量が激減したのは紛れもない事実で、本をどんどん買わなくなってきている。

青空文庫にあるような本の多くは家の中を探すと出てきそうな気がするけれど、新刊はなかなか本あさりに出かける余裕もなくなっているからなぁ

ちょっとこのニュースを期にせめてまた青空文庫をさまよってこようかな。

唯一の難点は時間がないことだけど・・・・

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2007.10.23

状況証拠から 大豆栽培

大豆が縄文中期にも栽培されていたという。

縄文中期も大豆栽培 山梨の遺跡 約5000年前に.

 山梨県北杜(ほくと)市の酒呑場(さけのみば)遺跡で出土した縄文時代中期の土器から、大豆の圧痕(あっこん)が発見されたと17日、県立博物館などの研究グループが発表した。大豆の栽培開始は弥生時代が定説だったが、9月に熊本大などが、九州の縄文後期の遺跡で大豆の圧痕を確認。今回の発見はそれを1500年ほどさかのぼり、すでに約5千年前に大豆が栽培されていたことを示す。地域も九州から中部へ広がったことで、大豆をはじめとする雑穀栽培が、縄文中期に日本列島の広範な地域で行われていた可能性が強まった。


 研究グループによると、県内各地の遺跡で出土した2万点の土器を調べ、植物の種子などの跡があれば、型に取って顕微鏡で観察する「レプリカ法」で調査。県北西部の酒呑場遺跡で出土した深鉢形土器の取っ手から、長さ11.9ミリ、幅5.7ミリ、厚さ3.7ミリの大型種子の圧痕が見つかり、大豆特有の「へそ」が確認された。野生種だと、水につかって膨張した場合でも最大長さ8ミリ程度にしかならないことなどから、扁平(へんぺい)系の栽培種と判断した。

大量に炭化した大豆があったり、栽培した跡が見つかったわけではなく、一つ一つの状況証拠を積み上げての結論。

本来歴史というものは実際に実験したり検証したりは出来ないのだから、こうした状況証拠を積み重ねていくしかない。

そこから生まれたものは事実ではなくあくまで推測。
その推測をどこまで事実に近づけることが出来るのかが問題になってくるはず。

そういう意味では歴史は推理小説みたいなものなのかもしれない。

事実を検証していくのではなく、推測を事実に近づけていくのがなんとも面白いのかも。

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2007.10.17

出世して社会に還元

見出しを見たときには「北里研究所長」なんていうのは金持ちでないとなれないんだろうなと思ったのだが、
北里研究所長、故郷・韮崎市に美術館贈呈 5億円相当 - 文化・芸能.

 抗生物質の研究で知られる大村智(さとし)・北里研究所長(72)が、生まれ故郷の山梨県韮崎市に近く完成する私設美術館を、同市に寄付する。展示・収蔵する美術品を含め、総額5億円は超えるという。人口3万3000人の市は、思わぬビッグプレゼントに感激している。

 大村さんは、絵画や陶器、彫刻など美術品の収集家でもある。今回寄付する「韮崎大村美術館」は27日に開館する予定。もともと故郷のためにと造ったもので、土地・建物と美術品を、開館から約1年後に市に一括して引き渡すという。

(中略)

 大村さんは、東京理科大大学院修了後、山梨大助手、北里大教授などを経て、90年から北里研究所理事・所長を務める。都立工業高校の定時制で教師をした経験もある。

 約40年間の研究生活で約360種の微生物由来の新たな天然有機化合物を発見。うち17種は、医薬品や農業用薬剤として世界中で使用された実績を持つ。特に米・メルク社と共同研究で開発した寄生虫駆除薬イベルメクチンは、熱帯病のオンコセルカ症(河川盲目症)の代表的な予防・治療薬として年間約6000万~7000万人に使われているとされる。

 これらの薬の「大ヒット」で、大村さんは巨額の特許料を手にした。

数学と違って薬学はお金になるんだなぁとおもう一方で、人の命を守りながら巨万の富(Cosには巨万に見える・・・)を築き上げた人が社会に還元するというのはすごいと思う。

この業界の事はCosにはわからないけれど、彼に対して批判的な人もいるんだろうけれど、あくどく金儲けをしてその富の上にあぐらをかいている人が多い中で貴重な存在。

悲しいニュースが多い中・・・・ニュースにならなくても世の中には自分の立場をかさに来て弱いものを人間扱いしないような人もCosの周囲でも少なくない・・・もちろん大村氏がそういう人でないという保証はまったくないのだが・・・

他者をを殺めたり傷つけたり苦しめたりするような人ばかりのこの世ではとても爽やかに見えてくる。

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2007.10.10

ツタンカーメンの素顔

(訳があっているかどうかわからないけれど)近いうちにツタンカーメンの素顔が見られるらしい。


King Tut's Mummy to Be Displayed for 1st Time.

The mummy of King Tutankhamun will soon go on public display for the first time, exposing the bare face of the boy king, Egyptian officials have announced.

今までも研究はされていたけれど一般に公開されることはなかったというのだが、政府関係者によれば来月展示されるらしい。

ここの写真がツタンカーメンのものかどうかは今ひとつわからなかったけれど、保存するということに関して、今までとは考え方が変わってきているのだろう。

お墓の中にあっても湿度によるダメージを防ぐことができないとかいてあったから、外に出しても同じ程度あるいはそれ以上に守ることができるようになったということなのだろうと思う。

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2007.10.08

蔵元 交流会

なんのことはない、散々日本酒を飲んできたというだけなのだが酔っ払うまでは歴史と文化に感動してきたのだ。

茨城の府中誉の蔵元の山内氏がいらして、解説をしながら試飲。
府中誉は180年ほど続いた蔵元で渡舟という今は作られていない晩生の酒米(山田錦の原種に当たるらしい)でお酒を造っている。

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最初にいただいたのがこれ 渡舟 純米大吟醸 「斗壜取り」原酒。
一口、ふくんだとたんに「これが日本酒?」と驚愕!!
こんなおいしいものは飲んだことがない。

Cosが知っているどの日本酒とも似ても似つかないおいしさ。
濃厚な、でもフルーツのようなさわやかな感じとでも言うのだろうか。
アルコールは低くないのにアルコールを感じる前に味とかおりの豊かさが広がる。


渡舟を35%まで削り込んだ米で作られたお酒の、「フネでしぼる際、圧をかけ始める前にその自重だけでほとばしり出てきた部分を壜に詰めました」とのこと。
もちろん火入れもしていないし搾ってもいないのだそうだ。
取れたまま、そのままの一番いい部分を瓶詰めにしたのだ。

市販はしていないそうなので、Cosにはこんなにおいしいものをもう二度と飲むチャンスがないのかもしれない。
目の前に置かれたコップに入っていた分を飲み終えてもっとほしい・・・と思ったけれど、そこはお酒に弱いCos。

まだまだ続きがあるのでぐっと我慢。
(二度とチャンスがないならへべれけになって返れなくなってもいいからもっと飲んでおけばよかったかなぁ・・)



二番目が渡舟 大吟醸
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これはフルーティな日本酒でいくらでも飲めそうなかんじ。
(もちろんぶっ倒れるといけないので当然自制したけど・・)

これは渡舟を45%まで削り込んだお米で作ったのだとか。
この米を削る砥石の話も面白かった。
砥石を作るのも大企業ではなく、職人の手作業で作られたものが一番いいとか、
じっくりと時間をかけて研ぐことによって米の水分の含有量が減り、その米を浸水するときには時間をストップウォッチで計る。
そうしないと、のどが乾いた米はどこまでも水を吸ってしまう・・・といった話を聞いたと思う・・・
(何しろこのころには2杯目・・・アルコールが決して得意でないCosとしては危ないものがある)

こんな感じでいろんな話を聞きながらさらに

渡舟 純米吟醸 槽絞り(なんて読むの?)  これは50%精白

渡舟 純米吟醸55生詰 これは55%

太平海 純米おり絡み 炉過前取り 本生 (このころには理解力がかなり低下・・・)

府中誉 開きあがり特別純米

を飲んだのだが・・・・どれもこれもおいしかったけれど、太平海はかなりそれまでと味が違っていたような気がする。やっぱり米の違いかな。

蔵元が「おりがあります」と見せてくれたのは覚えているけれど、よく見えないような気がしたとか
府中誉は最後に危うく忘れ去られそうになっていたような気がしていたとか・・・
もちこみのつまみがどれもこれもおいしかったとか・・・・

完全に酔っ払いの世界になってた∥^O^∥

・・・・・・・・・・
普段なら都心で飲むと家に帰るころにはすっかりさめているのだが、
1時間半かけて家に帰っても酔っ払ったままでとてもおきていられなくて突っ伏してしまった。

こういう経験もすごく久しぶり。
お店はちょっと遠いけどすごく面白かったので、またチャンスがあったら行きたいなぁ

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2007.10.02

イサムにあいに・・・

これがなかなか厄介だった。
何しろ会うためには事前にアポイントをとらなくちゃならないというのだから・・・・

というわけで往復はがきで申し込んで行って来たイサム・ノグチ庭園美術館

予約しても自由にいけるわけではなく、時間指定のガイドツアーなのだ。

琴電の「八栗」から歩いて20分・・・ここは石の町。普通の公園の中にもいろいろな石の彫刻が置いてある。
標識どおりに行ったにもかかわらず、すんなりと「案内所」には出られなかった・・・_| ̄|●

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ここが案内所。
中は土間になっていてビデオをまわしている。
「ひえぴた」とか「虫除けスプレー」とかも売っていてちょっと不安・・・・

ガイドツアーの参加者は10人ほど。
入館者のリストの用紙には上のほう1/3ほどしか人の名前がなかったから決して多いほうではないのだろう。

時間になるとガイドさんが案内してくれる。
最初は作業場にしていた土間と外に並べられた完成品や未完成作品。
なくなる前にイサムが並べさせたのだという。
原石の一部だけが切り出してあるものやちょっと磨いてあるものなどがほとんど。

そしてもうひとつの土間に東京現代美術館で見たエナジーヴォイド(リンク先のページの下のほうにある)
現代美術館での展示はだだっ広い中にぼぉ~んとおかれていて孤独を感じたけれど、ここでは他の作品(完成品)と一緒に土間の中におかれている。
土蔵の中の現代彫刻・・・どこかミスマッチのように聞こえるけれど、実際にはちょっと不思議な感じで調和している。

ここでは作品の名前すら案内がないからなんと言う作品かはわからないけれど、同じように黒色花崗岩で作られたちょっと似た感じの作品があったり横浜美術館にある作品「真夜中の太陽」と同じ作品があったりして、ちょっとほっとする。

ここの見学が30分ほどでその後イサムの家と庭園の見学。
家は外から中をのぞくだけで実際に入ることはできなかった。
アメリカ人であるイサム・ノグチに合わせて改造された家は丸亀市から持ってきた古い家だという。

そして庭園には原石のままの作品がいくつか置いてある。
ここは作品に触れてもいいのだということだった。
作品の写真はだめでも本当はそこから見える風景はほしかったかも。

海を眺めながら山を眺めながらこの地で何を考えたんだろう?

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ここが入り口。
この中に土蔵があって、エナジーヴォイドがいる。

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2007.10.01

もういちど 書院の美

しばらく前に芸大美術館でやっていた「書院の美」が本拠地に帰ってきて本拠地で展示されている。
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ここがその本拠地の本山

芸大美術館での展示は見たからもう見なくていいかという気もしていたけれど、せっかくのチャンスだから
「本来あった場所で見る」ことにした。

「した」のはいいけれどここを見るためにはたくさんの階段を上がらなくてはならない(どこか途中までのタクシーはあるらしいけれど、1000円もするのだ)。
普段から階段はしっかり上り下りしているから大丈夫だろうとたかをくくったけれど、大変なものはやっぱり大変。
あしたかあさって足が痛くないといいなぁ・・・・




で、いったのがここ

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いやぁ、よかったです。
どれもガラスなしにあるがままの状態で見ることができるうえに作品までの距離も近い。
しかも、今日が初日ということもあってガラガラ。

一人で独占してきました。

応挙のトラのえも芸大で見たときと違ってホームグラウンドに帰ってきたかのような落ち着きとやさしさがって
「これが同じ絵なのか」と思うほど。

ちょうど芸大で展示にかかわった方がいらしていて、
「アクリルガラスで息が詰まっているかのように見えて、ガラスをはずしたとたんにトラがほっとしたように思えた」とのこと。
(何しろほとんどお客はいなくて、スタッフの人のほうが圧倒的に多かったのだ)

トラを描いている一つ一つの線がやわらかく見えて歴史ある部屋との調和がトラを落ち着かせている感じ。
部屋はもちろんたたみだし人はいないし、当然畳の上に座って絵を見ました。

「こういうふすまにかかれた絵はたってみるためのものじゃなくて座ってみるためのものなんだ」と痛感しました。
いくら下がたたみでも座ってみるなんていう贅沢は人が多かったらできないからコスにとっては本当に運がよかったのだ。

最初に見たのがこのトラだった(芸大と一緒)けれど、これを見ただけできてよかったと思った。

ほかの絵も同じように本来あるべきところでガラスなしにありのままで見ることができた。芸大で見たときとの雰囲気の違いがどの絵も大きかった。

中でも芸大ではそんなにいいと思わなかった若冲の花丸図・・・
芸大では4枚のふすまだけがガラスに入って展示されていて残りはレプリカだったのだが、今回は(4枚のふすまは別室に展示してあったけれど)部屋がそのまま花丸図。

とても言葉で説明できないので部屋の様子の絵葉書の写真
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もちろん写真ではそのよさ・・・芸大の展示と比較してのよさは分からないけれど、どんな風になっていたのかその違いだけは分かると思う。

一応、絵の前には柵があるけれど、その前に座って絵から数十cmのところから見ることができる。

若冲のこの部屋も華やかなんだけど思った以上に重々しくて奇をてらったような派手さはなく、重厚な趣さえあって背筋をぴんと張るような緊張感があってよかった。

ふすまははずしてあって、このふすまの位置から見る(さすがにこれは部屋の前に柵があって部屋には入れなかった)のだけれど、人が誰も来なかったのでずいぶんと長いこと見ていたような気がする。

そしてもちろん9月に発見された若冲のツバメも見てきたけれど・・・これは本当に断片でよく分からなかったのが残念。

金刀比羅宮 書院の美
金刀比羅宮で 10月1日から2008年1月31日まで

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2007.09.26

弥生の仮面

つい最近、「弥生はいつから」という国立歴史民俗博物館の展示を見てきたから余計に関心があるのかもしれない。

纒向遺跡:国内最古の木製仮面が出土 奈良・桜井-話題:MSN毎日インタラクティブ.

 奈良県桜井市教委は26日、同市内の纒向(まきむく)遺跡から、国内最古の木製仮面(3世紀前半)が出土したと発表した。縄文時代の土製仮面は確認されているが、弥生・古墳時代は、土製を含め仮面の実物がない。同遺跡は邪馬台国の最有力候補地。市教委は、当時の日本の中心地である遺跡の農耕祭祀(さいし)の実態を示す、貴重な発見としている。

 今年4~6月に同市太田のため池を調査し、仮面は、素掘り井戸の穴から見つかった。長さ26センチ、幅21.5センチ、厚さ0.6センチ。アカガシのくわを転用したとみられ、くわの頭部側をあごにし、柄をつける穴を口に利用。両目の穴を開け、まゆ毛は線刻で表現、周辺には赤い顔料が付いていた。

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特に凝ったつくりをした仮面ではなく、くわを利用したシンプルな仮面で農耕祭祀に使われたのではないかという。
テレビのニュースでは節分の起源ともいえる儀式(名前忘れた)と同じようなものに使ったのではないかとも言っていた。

弥生時代、どんな人たちによってどんな風に使われていたんだろう?
どんな暮らしをしていた人たちが使っていたのかということはある程度わかるのかもしれない。

・・・今頃、年代測定をやっているのかなぁ・・・・
と思うのは歴博の影響だな∥^O^∥

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2007.09.15

男鹿和雄・・・自然へ

「混んでいる」という話なので、何が何でも朝一番に見るんだ!
と心に決めて行ってきた「男鹿和雄展」(東京都現代美術館2007年9月30日まで)

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オープン前に並ぶつもりで行ったのだが、開場も10時前だったのでほとんど一番乗りに入ってみることができた。
「あぁ・・・明日のジョーやはだしのゲンもやったのかぁ」なんて思いながら暗い通路をずっと抜けると・・・「トトロの眠る穴」。

ここででいびきをかいているトトロの姿(の一部分)を見た瞬間に脳裏には「とっとろ♪~とっとろ~・・・♪」の音楽が流れ続ける。

が、今日はトトロじゃなくてその背景を見にきたんだと思い直しながら脳裏を流れるトトロの音楽を聴きながらじっくりと見て回った。

「宮崎アニメ」というとどうしてもキャラクターに目が向きがちだけれど、こうやって背景だけを見ているとその背景の深さがよくわかる。
実際に映画を見ているときにはさっと流れていってしまう景色がこんなにも緻密にしっかりとかかれていたのかと思うと映画を見ただけで終わってしまうのがもったいない感じ。

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これは絵ではなくて、前で写真を取れるようになっているパネルだから、絵のよさや深さは失われているけれどその雰囲気は伝わってくる。

この絵だけではなく、トトロの穴やもののけ姫なんかの森の奥深くの背景は「アニメの」というよりも自然の中に人を誘い込んでいるような感じのする絵。

これを見ているだけでどこか山奥のこんな景色のところに行ってしまいたくなる。

トトロの折り紙も楽しかったし、Cosもしっかり折ってきたけれど、なんとなくそれは今回の展示とはちょっと種類が違うのかなという感じもした。

どちらかといえば会場内で流されていた「種山ヶ原の夜」の雰囲気のほうがずっと今回の内容にはふさわしかった。

この作品はアニメではなく「紙芝居映像」ということで一つ一つの絵をじっくり見ることになるのがもしかしたら原作者の宮沢賢治には一番ふさわしいのかもしれない。

種山ヶ原の夜種山ヶ原の夜
宮沢賢治


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

種山ヶ原の夜 にかいてあるのとはちょっとストーリーが違うようだが・・・

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2007.09.13

現代のモアイ

丸ビルに「モアイ」が来ていると聞いて、これは見てみたいと思っていたのだが9日の日曜日にようやっと見ることができた。

Image018

この写真はあちこちで見るから珍しくもないし、Cosは実際のモアイも見たことが無いから直接の比較もできないのだけれど、なんとなくもっとずっと大きなものという気がしていた。

もちろんCosが子供のころから知っているモアイはこんな風に目も入っていなくて、磨耗した石だからということもあるのだろうけれど、どこか畏怖を感じさせる存在だった。
作ったばかりで目が入っていると畏怖を感じるというよりは身近な感じのする(一種の)神様という感じがあって、依然見た「マオリの神々」とも雰囲気が似ている。

あっけらかんとした南の国の雰囲気がしっかりと伝わってきて楽しい。

一緒に行った友達はかつて大阪の万博に来ていたモアイの像を見て
「3歳ぐらいのころ大怖くて泣いた」
といっていたけれど、このモアイならそんなことは無いだろうな。

このモアイについては「本物のモアイ」ということになっているけれど、かつてイースター島で作られたモアイとは本質的に違うという人も多い。
「本物とは何か」ということになるとそれこそ人によって見方、考え方は違うのだろうし、このモアイが本物かどうかに関心がある人も少なくないだろう。

でもCosにとっては本物かどうかというのは気にならなかった。
ひとつの伝統文化、それも今まで考えられていたものとは違う存在だったことがわかった事のほうが大きな意味があるように思うのだ。

おそらく、このモアイ像がこなければモアイに注目することもなく、子供のころから知っていたままの形で考え続けていたのだろうから、Cosにとってはそれだけの価値はあるのだ。

ただし・・・・ガーター亭別館でも紹介されている
Image020

これはいただけない。
もう会期も終わりに近づいているのに一向に訂正される気配も無い。
19世紀の終わりからなら、このモアイだって100年以上たっているんだよなぁ・・・∥^O^∥

それともうひとついただけなかったのは「モアイパフェ」
Cosたちが行ったときにはもう売り切れていてサンプルすら見ることができなかったのはとても残念。
∥xx;∥☆\(--メ)

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2007.09.08

我れハ天年

もともと日本画は得意ではないし、友達の勧めがなければきっと行かなかったと思うのだが、美術に対する好みが似ている友達までもが薦めているので、出光美術館へ「仙崖 禅画に遊ぶ」(2007年10月28日まで)を見に行ってきた。

仙崖といえば□△○というおでんみたいな絵しか知らなかったCosだけれど、思いのほかに面白くてすっかり楽しんでしまった。

しっかりと技術を身につけてから、その技術を捨てて描いた絵の面白さは漫画とも抽象がとも共通するものがある。
単純な線でデフォルメされた表情の中からはすっぽりと包み込むような笑顔が隠れている。
悟りを開いた上で、そこにおごることなく「さぁおいで」といわれているような感じだろうか。

有名な「指月布袋賛画」の子どもは本当に無邪気に布袋様の月を指し示す指を見つめている。その布袋様の笑顔は無邪気というよりは何もかもを悟った上での無の境地の笑顔なのかもしれない。

どことなくにこやかな鶴の絵には
「鶴ハ千年
亀ハ萬年
我ハ天年」・・・・

まったくもってもう、Cosたちが楽しんでいる言葉遊びと大差ないような感じ。
言葉を楽しんでいた人なんだなぁ・・・

そして、静かな美術館で思わず大笑いしそうになったのが、

「一喝三日」・・・それぐらいの勢いで叱り飛ばせたら教師冥利に尽きるかも
∥xx;∥☆\(--メ)

ただひとつ、とても残念だったのは読み方を書いたものはあったのだが、Cosには仙崖の書いた文字がろくすっぽ読めなかったこと。
日本の古いものを見るたびに、こうした文字が読めないのがすごく残念だ。
昔ながらの「あきめくら」状態。
(あぁ・・・あきめくらって差別用語だろうなぁ・・・でも目には見えているのに理解できない悲しさがこういうときに理解できたりするのだ)

もし、余裕があったら会期中にもう一度見てきたいな。

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2007.08.31

年代を測る

夏休みの終わりにもう一度歴博へ。

前回行った時にも見た企画展「弥生はいつから」をもう一度。

弥生がどこからなのかは前回見て分かったような気がするけれど、なんとなく消化不良・・・・
図録(と言うのかどうか分からないけれど)があるのでそれを見るとかなり雰囲気が違うような気もしてずっと気になっていた。

えっと・・・「バーチャル土器回し」もやってみたかったし・・・∥xx;∥☆\(--メ)

確かに前回行ったときには歴博にしては人も多く、じっくりと考える余裕はなかったような気がするので今回は夏休みの終わりの平日に。

歴博に入るとまっしぐらに企画展へ。
さすがに空いている。

前回は人だかりがしていてほとんど見なかった入り口のところに大きな屋久杉の断面。
この屋久杉の年輪を利用して時代測定をすることができる
企画展示室入口~第1部「プロローグ」.

屋久島(鹿児島県)の屋久杉年輪デスク(森林総合研究所)です。とても大きいですね。これらの樹木の年輪から「標準パターン」を作り、年代不明の木材の年輪と照らし合わせて年代を測定します。

この屋久杉がじっくりと眺めていると1500年近くも生きてきたその歴史の長さに感動を覚える。
年輪も素直にバームクーヘンのように丸くなっているのではなく、傷があったりずれていたり、波打っていたり。
一つ一つの年輪の幅はごく狭くて数えるのもすごく大変そうに見える。
この狭い年輪の一つ一つに一年が閉じ込められているのだ。

年輪の一つ一つの中に閉じ込められている環境変動を測って指標にしていくらしい。
だからこの一本の屋久杉では1500年しか測れないけれど、その情報を元にいくつもの木の年輪を積み重ねて正確な年代を測定していくのだと言う。

そのために使われた木は杉とヒノキ。

年代の分かっているものを使って分かっていない木材の環境情報を比べることで年代を出すといった方法じゃないかとCosは理解したのだが、その積み重ねで紀元前500年ぐらいまでがわかるようになったという。

年輪による年代測定のコーナーでは「樹皮直下」の年代と言う言葉が使われている。
樹皮があればその年まではその木は生きていたのだからそれによって年代が決められるわけだ。

そして前回も見てきたC14による年代測定。
有機物が地上の大気中で生きている間はそのときの大気中のC14と同じだけれど、活動をやめるとそこからは5730年の半減期にしたがって減っていく事を利用している。

C14による年代測定には有機物が必要だから、測定技術の進歩によって土器についたすすから年代を測定する。

このC14による年代測定と年輪による年代測定の両方から弥生時代の年代を測定したのだ。

建築物に使われた木、煮炊きに使われたすすのついた土器、
どちらもそんなところに年代を判定することができるものが隠れているなんてかつては誰も思わなかったことだろう。

まるで推理小説みたいに「見えているもの」は変わらないけれど「読み取れるもの」が時代とともに変化していく・・・・

歴史というよりも考古学のおもしろさにつながるのかもしれない。

で、楽しみにしていた「バーチャル土器回し」・・・
画面上を指でドラッグすることで土器を回すことができるのだが、正四面体の問題などで遊んでいるCosの関心は当然・・・
・どんな画像を組み合わせているか
・指をどう動かすと土器はどう動くか
・画像と画像の境目はどうしているか
なんていうところにあって・・・・どう見ても立体としての土器を回すことには関心がなかったような気がする(爆)

あぁ・・・画像と画像を切り替えるとき以外のドラッグに対応する動きはどうやっているんだろう?

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2007.08.23

常設展の楽しみ

東京八重洲のブリジストン美術館に行く楽しみの一つがモネの「黄昏 ヴェネツィア」を見に行くこと。

ブリジストン美術館の平日はそんなに人も多くなく、静かな空調の音だけが聞こえることも少なくない。
すわり心地のいい椅子に座ってぼぉっとこの絵を見ていると絵の中に入ってしまうような、何も考えていないような、それでいていろいろな想いが浮かび上がってくるような静かな時間が流れる。
絵の中にすべての想いが飲み込まれていく。
そのまま絵の向こう側に行ってしまうと言う選択もできそうな気がしてくる。

そうした貴重な時間を楽しむことができるのが常設展の楽しみ。

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2007.08.21

NTTのICC

NTTのICCなんて書くとなんだかふざけているようにも見えるし、何のことだかさっぱり分からない気もするけれど、
NTTのインターコミュニケーションセンター

どっちかって言うとコンピュータを使ってさまざまな形でコンピュータや人間とのかかわりを楽しむみたいな展示が多い。

ある意味でヴァーチャルとリアルが混在しているから、本当はその区別のつかない年齢の子どもにはふさわしくない気がするけれど、逆に一番楽しんでいるのがそういう子どもたちだったりした。

Cosが行ったのは土曜日だったからかかなりの人がいて、一つ一つの展示を楽しむ余裕が余りなかったのが残念だけど、
「これはこういう処理をしているんだろうなぁ」なんて思いながら見ているととても楽しかった。

ちょうど今「立体視」に関心があるせいかもしれないけれどファースト・パーソン・スペースがとても印象的だった。

頭にゴーグルのようなもの(ディスプレイと説明しているがともかく覗き込む感じのもの)をつけてあっちを見たりこっちを見たりすると3Dの映像がその向きに合わせて変化するのだ。
見ているディスプレイだけではなくその部屋全体にその同じ景色が広がっている。

覗き込んだ先は異空間・・・そこでひとつ間違うと奈落のそこに落ちていくσ∥>_<∥・・・自分の足元がなくなるような気がして・・・

異空間自体もどこか不条理な感じがする場所で、どう動いていいのか分からない。
見た方向に進むというわけでもなさそうで、どう操作すればいいのか、でも見た方向には視界が広がる。

ICC Online | オープン・スペース | アート&テクノロジー.

また,この作品で描かれるストーリーは,非人間的な秩序が支配する無生物世界のファンタジーです.再帰関数によって生成する自己相似構造をもつ無機生命体(ナノマシン)が成長・暴走し,世界を美しく作り変えてゆく様子が描かれています. さらに今回の展示のため,映像ストーリーの根幹をなす自己相似構造という題材を共有する音楽が新たに作曲されました.

と言うことらしいのだかわけの分からない状態にはまってしまったCosは音楽にも気がつかず・・・∥^O^∥

9月2日までの展示と言うことでもう一度行って覗いてきたい気がするのだが・・・いけるかなぁ

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2007.08.14

禅、漢字と・・・

足利義満600年御忌記念「京都五山 禅の文化」展
東京国立博物館 平成館 2007年7月31日(火)~9月9日(日)

このところ、「漢字は苦手、歴史は嫌い」と言うCosを捕まえて、「歴史もおもしろいですよ。」とおっしゃりながらチケットを下さる方がいて(正しくは「くれ!」と言ったのはCos・・・)確かに食わず嫌いはよくないと、見に行ってきた。

日本の歴史もちゃんと分かってないし、まして「禅」なんてぜんぜんわからない。
見ては来たけれど、「おもしろいものはあったか?」と聞かれれば「?」で返すしかない・・・
よく分からないのだ・・・・

が、会場の広さもあるのだろうけれど、入ってから出るまでになんと3時間半もかかったのだ∥>_<∥

当初の予定では芸大美術館の
金刀比羅宮 書院の美― 応挙・若冲・岸岱 ―
2007年7月7日(土)-9月9日(日)

も見るつもりだったのにそんな時間はまるっきりなくて、国立博物館で同時開催されていた常設展の
特集陳列・親と子のギャラリー博物館のおもちゃ箱
本館14室 2007年7月3日(火)~2007年9月24日(月・休)
を見るだけで手一杯になってしまった。

なにしろ、絵の具がひび割れていたり、薄くなっていたり、絵がない部分があったりすると
「これを修復するのは大変なんだろうなぁ」と一つ一つじっくりモノクルで見るし、
「顔の表情が・・・」と書いてあるとやっぱりじっくり見るとおもしろいのである。
絵が面白いというよりは細部まで見えるのがおもしろいのだ。

と言うわけで、じっくり親父たちの顔を見てきたことになる・・・・

これで漢字が読めたらもっとおもしろいんだろうなぁ・・・

仏像の中の「釈迦如来坐像および十大弟子立像」は木が白く変色(カビ?)したり、表面が膨れ上がっていたりする部分もあったりして、見ていると痛々しい感じがする。

作られた当時は極彩色だったのだろうと思わせる色が残っていたりするけれど、その顔は病魔に冒されているようでまるで殉教者の一群のようにも見えた。

この10人の弟子はそれぞれにいろいろな動作している瞬間を捉えたような感じの像だけに、余計そう感じるのかもしれない。

すごく大きなファイルですが、博物館ニュースの2ページ右の真ん中辺りにある横を向いた像が弟子の一人の迦旋延(旋の字が違う気がする・・・)。

「ん?なに?」と言っているようにも見える。


そして、雪舟の絵・・・やっぱりどこか漫画∥^O^∥
観音図が2枚あるのだが、一枚は画面の下のほうでもどしている人を見て眉をひそめているのだ。
並んだもう一枚と観音様の表情はほとんど変わらないのに、「いやぁねぇ」と言う感じがはっきり出ていてなんだかおかしかった。

相国寺の本尊のなかの阿難尊者の表情もすごくよかった。

こうやって思い出してみると楽しかったものはいくつもあるのだけれど、「帰る前にもう一度見たい」と思うほどのものはなかった。
どうしてだろう?

でも、京都に行きたくなった・・・秋になって涼しくなったら、祖母の墓参り(Cosはまだ行ってないのだ)と称して行ってこようかなぁ・・・

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2007.08.12

メルティングポイント

東京オペラシティアートギャラリーで
2007年7月21日から10月14日まで
Melting Point

昨日までの講習会の疲れがないわけではなかったけれど、一日中頭をしっかり使う時間をすごしたせいもあるのだろうけれど、家にいて暑さに負けて鬱々としているのがいやになったせいもあるのだろうけれど、心にゆとりが欲しくて出かけてしまった。

今回は3人の作品。

最初はジム・ランビー
最初の部屋全体でひとつの作品という感じ。
部屋に入った途端に動けなくなってしまうほどの強さ。床もひとつの作品になっていて、その床が他の作品を際立たせている。

床に映った作品の影がまたひとつの作品になっているのもおもしろい。

2番目が渋谷清道
彼のところでは靴を脱いで真っ白な空間に入っていく。
茶室の入り口のような小さな入り口を入ると中は白一食で、天井には明かりの変わりに円形の窓のようになっていてそこには・・・・・内サイクロイド(スピログラフでかいたような花)のたくさんの真っ白な花・・・・昨日の記憶が鮮明によみがえってきてしばし呆然・・・∥^O^∥
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真っ白なこんな感じの花が天井の大きく空けられた丸い明り取りから見えている。

Cosがその中に入ってしまうという・・・なんとも暗示的な状態。

そして最後がエルネスト・ネトの作品。
大きないくつもの穴の開いた伸縮性のある、丈夫なストッキングみたいな感じの布が上と下に2枚ちょうど背の高さよりもちょっと低いぐらいのところに張り巡らしてある。

そこにはいくつもの穴が開いていて下をくぐってその穴のところから周囲を見ると、そこには非現実的な世界が見えてきてしまう。

このネトの作品が一番よかった。
まるでそこだけが異空間。下側をくぐって顔を出すとそこではまるで自分が巨大になったかのような錯覚をおぼえ、外の見えない丸い切り込みでは閉鎖感におそわれる。
そしてなんといってもこれを外側から見るといかにも「傍観者」の気分。

香川で同じ時期に個展をやっているらしいのだが・・・行くのは無理だろうなぁ・・遠すぎ_| ̄|●


同時開催の収蔵品展「いのちの宿るところ」もとてもよかった。ここの作品はCosの琴線に触れるものがおおい。
これだけを見てもいい感じ。

と、何のことはない、昨日と違う世界を訪れたつもりだったのに、結局は昨日とつながった今日になってしまった。
極めつけは出口でスピログラフを使って模様を書いていた子どもたち・・・

Cosだってスピログラフは持っているぞ。100円じゃなくてちゃんとしたのを・・・
あぁ・・・何回も使ってないけど・・・・∥xx;∥☆\(--メ)
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2007.08.07

トプカプ宮殿の至宝展

友達から分けてもらった特別招待券で夜の美術館へ。

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2007年9月24日まで東京都美術館でやっている
トルコ・イスタンブール歴史紀行
トプカプ宮殿の至宝展
オスマン帝国と時代を彩った女性たち

もちろん入場したときにはまだ明るかったのだけれど、会場内もかなり暗く、宝石の光を輝かせるためにか普段よりももっと暗かったように思う。
そのおかげでスポットライトを浴びて光り輝いていたわけなんだけど・・・

「至宝」というだけあって宝石で飾り立てられたものが光り輝いている。
宝石もガラスだまも区別のつかないCosにはちょっともったいない気もするけれど、宝石をふんだんに使った物を見るのもなかなか楽しかった。

本当にオスマンって金持ちだなぁと変なところに感心したり、宝石をちりばめた金のゆりかごを見たら「金がかかっている割には成金趣味になってないなぁ」とやっぱり変なところに感心したり・・・∥^O^∥
きれいなんだけど・・・

いいなぁと思ったのは(もちろん読めないけれど)それだけで芸術になっているかのような文字と花押。
「花押」と書いてあるから「花押」なんだろうと思うだけで、ただの文字だといわれたら「ああそうですか」と納得してしまいそうだ∥^O^∥

そして七宝とそこへの鍍金。
ちょっと見るといかにもトルコという感じなんだけど、よく見ると七宝の絵柄はヨーロッパの様でもあり中国の様でもあり(互いに影響しあっているから当たり前だろうけど)、両方の文化をつなぐところなんだなぁと感じてみたりもした。

中でも気に入ったのはくすんだピンクと薄い青でできた七宝装飾つりランプ。
こんな色使いもするのかとびっくりしてしまってしばらくそばにたたずんでしまった。

オスマン帝国の文化、どんな国だったんだろうとスルタンにハーレムにちょっと思いをはせては見たものの・・・これ以上歴史に深入りするのはやめようと思いなおしてかえってきた∥^O^∥

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2007.07.31

鉛筆と黒鉛の旋律

線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律
2007(平成19)年7月7日(土)~9月9日(日)
目黒美術館

その前から行くつもりはしていたんだけど、土曜日(か日曜日)に「絶対にCos向けだよ」といわれてその気になって大急ぎで今日行ってきました。
(さすがに昨日は月曜日だから休みだし・・・)

いやぁ、よかった!!

久しぶりにどきどきする絵と対面して来た。
こんな絵
鉛筆で書かれたたくさんの絵、
どうやったら鉛筆でこんなものがかけるんだろうという疑問がないわけではなかったけれど、そんな疑問に浸っていられないほど、柔らかな鉛筆の黒のかもし出すしなやかな世界に圧倒されて来た。

中でも、篠田敦夫の繊細な、見慣れたようでシュールな絵は見れば見るほどこことは違う世界を思わせるような絵。
どうやったら鉛筆で描けるのかが不思議。
見慣れているはずの海辺の岩が、砂浜が、見つめている人が他のものに変わっていく・・・という感じかな。

そして、関根直子
いかにも鉛筆でたくさんの線を描いて重ねていってできた抽象画。柔らかな鉛筆の短い線がたくさん重なってひとつの絵を作っている。

中にはためし書きをするときのようなくるくるとまわした線で絵がかかれたものも・・・

今回の一番のお気に入り。

木下晋。
大きな画面いっぱいに年老いた人たちの表情を捉えている。その絵の前に立つと彼らの人生の深さに姿勢をただ図に入られない漢字。

他の人たちの絵もそれなりによかったのだけど、この3人の絵はそばを立ち去りがたいよさがあった。

メゾチントのどこか硬い繊細さとは違う鉛筆のやわらかい繊細さもまたいいなぁ・・

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2007.07.30

弥生はどこから?

最初に断っておくと、Cosは歴史が嫌いではないけれど苦手である。
だから、普段は歴史関係の企画と聞くとおっかなびっくりそぉっと足を踏み入れるかどうか考えるのだが、今回のオフはなんと「歴博ツアー」・・・・

というわけでほとんど何も知らない状態で関係者の方にすっかりお世話になりながら、歴博の「弥生はいつから!?-年代研究の最前線-」を見てきた。

弥生時代・・・Cosが知っていたのは稲作文化の始まりが弥生時代と思っていたのだが、どうもそれとはちょっと違うらしい。

弥生時代の前の縄文時代にも稲作をしていなかったわけではないらしいということが遺跡から稲の実が出土することより分かっているらしい。
ただ単純に「稲作」ではなく、稲作が生活の基盤として位置づけられ稲を栽培するために定住をしていたのが弥生時代であり、稲作をしていなかったわけではないけれど、定住はしていなかったのが縄文時代だし、
人種的にも、中国から朝鮮半島を通って日本に移住してきた弥生人とそれまでの縄文人とでは人種も違うらしい。
(じゃ、縄文人は弥生時代にはどうしていたんだろう?)

というのが弥生時代の始まりらしい。

で、国立歴史民俗博物館の研究によって、この弥生時代の始まりがそれまで考えられていたのよりも500年ほど早くなったのだ。

この500年早くなったというのはただ早くなっただけではなく、「稲作が急速に広まった」と習っていた「急速」の部分が変わりうるということにもつながるのかもしれない。
(この辺はよく分からなかった)

この年代測定に威力を発揮したのが炭素14の年代測定法。
これまでに比べて精度が上がったので、ごく微量の炭化物からも年代測定が可能になったということなのだろう。

イオン化した炭素を磁場にかけることによって重さによる曲がり具合の差を利用してC14を取り出して調べるのだ。

C14は大気中あるいは地表にあれば大気の濃度と変わらないけれど、地面の中に埋もれてしまうとそこで地表とは切り離されて地表とは異なった状態になる(どう違うのかは分からないけれど・・・)

それまでは副葬品の中に含まれる年代の分かっている中国製の鏡などから年代を推定していたけれど、このC14の年代測定法によって、普段人々が煮炊きに使っていた土器のすすからも年代を調べることができるようになったのだ。

土器に付着したすすなんて、火にかけたことが分かるだけでそんなに価値があるようには見えなかったのに、
それまでも目の前にあったのにうまく使いこなせずに見過ごしてきた部分が突然価値を持ち始めたのだ。

気づかずに捨て置かれたものが実は宝の山だったということになるのかな。
歴史の研究というのはこうした事実がひとつずつ明らかになっていくことで、かつてそこに厳然としてあった事実が解明されていくのかもしれない。

ちょうど数学で「谷山・志村予想が証明されたならば、それはフェルマーの最終定理が証明されたことをも意味する」ということが長い間分かっていてようやっとそれが証明されたのと同じような感じかもしれない。

当日は教えてくださる方もいたのにやっぱりたくさんの?が生まれてきてしまった。
図録を見ながらちょっとは勉強してもう一度行ってこよう・・・∥>_<∥


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2007.07.20

インカ・マヤ・アステカ

密林の中の不思議な文明・・・その存在すら知られていなかった不思議な文字を持つ都市・・・
去年の夏の特別展の「ナスカの地上絵」はそんなに期待しなかったけれど、今年はずいぶん楽しみにしていたかはくの「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」へ。

戦争はしてもたくさんの都市がそれなりに共存を続けたマヤ文明というのは前からすごく不思議だったし、マヤの文字にも(見るだけの)関心があったから何よりもこのマヤ文明についてみるのが楽しみだった。

人なんかいそうもない密林を抜けると突然表れる都市・・・・いいよなぁ・・・

マヤではヒスイが珍重されたらしく、今回日本で始めて公開されるヒスイの仮面もいくつかあった。
ヒスイに限らず、緑の石に価値を見出す・・・・これって去年国立博物館で見てきたマオリの人たちにも共通していた。
それどころか、いろいろなところに描かれた人物像がどことなく似ているように感じたのはCosだけだろうか?

ちょっとお茶目で舌を出すところもマオリと似ている。
マヤの太陽神も思いっきり下を出しているし、マオリの人たちのハカというダンスでも思いっきり目をむいて舌を出している。

共通の祖先だったりするのかなぁ・・・・

アステカは水上都市がおもしろいと思ったけれど、一番感動したのは一番期待していなかったインカ。

インカの人たちが作ったという総長4万キロにも及ぶインカ道。
断崖に作られた人一人がかろうじて通れるかどうかの狭い箇所を見た瞬間にCosも歩きたくなった。
もちろん足を鍛えたことのないCosなどに歩けるはずもないのだがあの道をどこまでも歩いていきたくなったのだ。

そしてその道の向こうにあるミイラ。
インカの人たちはミイラになってしまったなくなった人たちの福を着替えさせたりもして、死を忌むべきものとしては捉えてはいない。
一緒に暮らしていたりすらする。
「ミイラ文化」・・・

死に対して異質なものとしてではなく生の延長上にあるものとして捉えているような気がした。

それには死んだ人をそのままにしておけば自然にミイラになってしまうという乾燥した気候も大きく関係しているのだろう。

普通の感覚だと死んだ人をそのままにしておけばすぐに腐敗が始まって見られたものじゃなくなるわけだし、そういうのを見ていれば死ぬことは今の世界とはまったく違う世界なのに、その姿のままずっとそこにいればまた受け止め方は違うに違いない。

もしかしたらそういう死生観が「いけにえ」がたくさんいたことにもつながっているのかもしれない。

インカ道を登っていって極寒の地に行けばあっという間に凍死してそのままミイラになれる。
それもまたいいなぁ

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2007.07.13

山種美術館

「食わず嫌いはよくない」
といわれるとついその気になって「見てみようかなぁ」と山種美術館に行って来た。

Img_4491

日本画は好きじゃないので今までいったことがなかったのだが、日本美術に詳しい人と知り合ったのがきっかけで「ちょっと見てみよう」という気になっていたから、しばらく前から一度行ってみたかったのだ。

九段にある小さな美術館だから混んでいないだろうと思ったのがそもそもの間違い。
結構人が多くて、人の頭越しに絵を見るというところまでは行かなかったけれど、ちょっとまたないと見られなかったり、一人でのんびり見るという雰囲気からは程遠かった。

しかも写真を見て分かるように普通のビルの1Fにあるから天井も低くて結構圧迫感がある。
人が多いから余計圧迫感を感じるのだろうけれど、他の小さな美術館ではこんな風に感じなかったのはどうしてだろう?

今回は「開館40周年記念展 山種コレクション名品選」ということだったのだが、Cosがいいなぁと思えるものは少なかった。

といってもご承知の通りCosは人物画は好きじゃないから人物のないものがいいとなるとそれだけで候補はぐっと限られてしまうから仕方ないのかもしれない。

いいと思えるものは少なかったのだが、最初にドキッとしたのは加山又造の「波濤」後の作品のように屏風に独特の描き方をしたものではなく、荒々しい波が岩場に打ちつけている様子を描いたもので、日本画らしからぬ迫力があった。

日本画のあののっぺりとした感触にもかかわらず波の激しさが伝わってくる。
切羽詰った緊迫感がたまらなくいい。
日本画に物足りなく思えるのはこの切迫感のなさかもしれない。

いいなと思えたのはこれともう一枚、この美術館の顔ともいうべき速水御舟の「炎舞」。
あたかも裏から照明を当てているかのように燃え盛っている火の中に飛び込まんとしている蛾たち・・・
激しさは余りないけれど、燃え盛る炎がまるで本物であるかのような揺らぎを持っているし、その炎の中にとびこんでいこうとしている蛾たちの無常さが表れているような感じがした。

だが、この絵もやっぱり一歩引き下がったところから映し出しているので、見ているこちら側にはその厳しさが響いてこない。

日本画というのはこうやって一歩距離を置いて映し出すものなのかもしれない。


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決定的瞬間

ようやっと時間ができて行きたかった所にやっと行くことができた。

「決定的瞬間を捉えた」写真家である
アンリ・カルティエ=ブレッソン
知られざる全貌

東京国立近代美術館
2007年6月19日(火)~8月12日(日)

次の瞬間には水溜りの中に着地する男性の写真を見た瞬間に、「これは見に行こう」と思ってからずいぶんと時間がたってしまった。

この写真のように決定的瞬間を捉えたもの、ちょっと見ると日常のありふれた(徒は限らないのだが)情景に見えるのによく見るとそこには訴えかけてくるものがある写真たち。

歴史の流れと人々の生き様を切り取って集めたのだが、何よりも残念だったのはCosにその歴史の一こまがなかなか読み取れなかったことだ。

「ベルリンの壁」と題された写真の前で「えっと・・・ベルリンの壁っていつなくなったんだっけ?」と考えているのでは壁の前で遊ぶ子どもたちを見ても感じるところは少ないし、道路のメータボックス(みたいなもの)の上にのって壁の向こうを見ている人たちを見ても、「えっと・・・このころには壁があって・・・」なんて考えているようではどうにもならない。

他の写真についても、そういう時代背景が分かってないとおもしろさは半減してしまうものも少なくなかったに違いない。

(音声ガイドを借りればよかったのかな?でも説明を聞かなければ分からないおもしろさというのは違うような気がする)

それでも何枚か衝撃を受けた写真もあった。

アフリカの(たぶん)海岸に漁船のいかりだろうか、綱のついた鉄の棒を曲げただけで作ったたような錨(だと思う)の周りで遊んでいる子どもたち。
彼らの体は細い錨と同じように細い。
こういう漁だけでは十分に食べることができないんだろうなぁ・・・

虐げられている子ども、周囲がいろいろな意味で厳しい状況にある中で無心に遊んでいたり歩いていたりあるいはそこにいるだけの子どもの姿は状況の厳しさをいっそう際立たせている。

そして世界各地を回った彼の写真を見ていると、世界中の人々の中でアメリカの人たちだけが楽しそうにしているように感じた。

他の国々の人たちの表情は険しかったり憂いに満ちていたりするのにアメリカの人たちの表情はおおらかでどこか楽しそうなのだ。

フランス人の彼にはそんな風に見えたということなんだろうな。

「あるものをあるがままに」撮っているはずの写真でそういう違いが見えてくるのはおもしろい。

そしてその違いの最たるものが「ヴィンテージプリント」。
写真が撮られて最初にプリントされた写真が集められていた。

写真の中には新しいプリントの同じ写真が展示してあるものもあったのだが、確かに同じ写真なのだが、でも伝わってくるものが違っていることが多かった。

写真のプリントの仕方ひとつで受け取られ方が変わる(もしかしたら古いからというだけかもしれないけれど・・・)というのはすごく不思議。
やはりとった人の思い入れがプリントになって出てくるのだろうか。


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2007.07.01

チャイコフスキーコンクール

かつて、ロシアがソ連だったころには「ソ連人でないと優勝できない」とも言われたチャイコフスキーコンクールで、四人目の日本人の優勝者が出た。

中日新聞:バイオリンの神尾さんが優勝 チャイコフスキーコンクール:社会(CHUNICHI Web).

 【モスクワ=稲熊均】モスクワで開かれていた若手音楽家の登竜門、第十三回チャイコフスキー国際コンクールで二十九日、バイオリン部門で神尾真由子さん(21)=大阪府豊中市出身=が優勝した。バイオリン部門での日本人優勝は一九九〇年の諏訪内晶子さんに次いで二人目。また他の演奏、声楽部門も含めた同コンクールの日本人の優勝は四人目となった。三十日にプーチン大統領も出席して授賞式が行われる。

どんな弾き方だったのか聞きたいと思ったけれど、この決勝の時の様子は見つけられなかった。
決勝ではどんな弾き方をしたんだろう?

Cosに見つけられたのはその前のときの演奏。
円熟した丸みはないけれど、ねっとりとしたセクシーなバイオリン。
これで、丸みがあったらもっといいなぁ・・・

続きを読む "チャイコフスキーコンクール"

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2007.06.27

全周型立体映像

先日、科学博物館のシアター360を見てきたけれど、実際には自分が動いていないのに空間を移動しているような気がしてなかなかおもしろかったのだが、さらにおもしろくなりそうだ。

asahi.com: 裸眼で使える全周型立体映像 東大教授が開発 - サイエンス.

 周囲360度から飛び出てくるような3次元映像が楽しめる立体ディスプレーを、東大の舘暲(たち・すすむ)教授(システム情報学)のグループが開発した。激しい開発競争が続く立体映像システムだが、これまでは特殊なメガネが必要か、見える範囲が狭かった。舘さんは「裸眼で、しかも全周囲カラーの立体動画が味わえるのは世界初」という。

 装置は高さ1.2メートル、直径2メートルの円筒形。円筒の内壁面に約5万個の発光ダイオードを柱状に特殊な配列で並べ、毎秒1.6回転の速さで回転させる。人が中に入ると左右の目に微妙にずれた映像が届き、立体的に見える。周囲どの方向でも立体的に見えるので、現実空間にいるような感覚が得られるという。

確かに見てきたものは角度によってはいかにもとってつけたような映像だったから、これが自然につながるともっとおもしろくなるだろうなぁ

早くどこかで実用化されないかなぁ・・・・たのしみ\∥^O^∥/

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2007.06.16

大正シック

大正という時代はCosにとってとても不思議な時代。
大正末期から昭和初期にかけての時期に西欧にあこがれる青春を過ごした方たち(もうとっくに亡くなられてしまったけれど)からいろいろなお話を聞いた不思議な時代。

Cosがお話を伺ったときにはもう皆さんすっかりお年を召してしまっていたから、話もずいぶんと偏っていたし、整合性にかけていたりもしたけれどCosにはどこか親しい時代。

大正シック---モダン日本の里帰り

東京都庭園美術館で7月1日まで

この時代の人たちが何にあこがれていたのか、どんなものがはやっていたのかを知るにはいいのではないかと思うけれど、人物画が余り好きではないCosには今ひとつだったかもしれない。

もともと服飾には関心がないからいままで見たことがなかっただけかもしれないけれど、はやりものの着物の柄がおもしろかった。

また、絵(日本画)の展示に際して、絵の前に低い柵を立てたり台を置いたりしてガラス越しでない絵を楽しむことができたのはなんだかうれしかった。
(絵自体はCosにとっては「これだ」というのがなかったのがちょっと残念)

大きな柄の幾何学模様だったからかもしれない。

Image004

今回は3階のウインターガーデンにロッキングチェアをおいて,自由に撮影ができるようにしてあった。
このウインターガーデンの壁の一部と床は黒と白のモザイクになっていておもしろい。
しっかりCosも座ってみたけど、さすがに写真は撮らなかった∥^O^∥

ここに座ってのんびりと音楽でも聴きながら本を読んだらいいだろうなぁ・・・


今回はとても残念なことにちょっとうるさくてのんびりと見るという気分にとてもならなかった。
ここはある程度お年を召した女性が見に来ているせいか、それぞれに声高におしゃべりをしているのだ。
どうもこういうおしゃべりがCosは苦手。
(女性のおしゃべりに限ったことではないし、女性が嫌いというわけでもない・・・念のため・・・)

というわけで余り楽しめなかったかもしれない。

・・・・それにしても・・・・
庭園美術館から写真美術館までのいいルートを見つけないと、毎回迷子になりかかっているσ∥^O^∥

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レオナルドの夜

今日は受胎告知の最後の夜間開館日。
仕事を終えてから大急ぎで上野へ。
Image015_1
(画像がピンボケなのはひとつにはCosの腕が悪いからだし、もうひとつには携帯から撮った写真からだからなのだ∥xx;∥☆\(--メ) )

夜間開館ということで普段なら時刻とともに人が減っていくはずなのだが、6時に会場に着いたときには0分待ちだったのに監修者の方のお話を聞いているうちにどんどん人が入ってくる。

Cosが見たときにもかなり混んでいて、「じっくりみる」からは程遠い状態。図録からは分からないいくつかのポイントに絞ってみたのだが、やっぱりできればもっとしっかり見たかったなぁ・・・

後は前に買った図録で確認することにして、もうひとつ確認したかった第二会場へ。

「広くなった」と聞いていたのでちょっと楽しみにしていたのだけれど、何のことはない「ひろくした」だけという感じで前と内容は一緒。

ビデオの楕円コンパス、放物線コンパスの動きをじっくりと観察して、本当に放物線になっているかどうか疑問に思いながらも同じものをそう何度も見ることはできないし、コンパスの前は人がたくさんいて、コンパス自体もじっくり見られない。

なんとなく、楕円コンパスは楕円を書いているように見える(実際にはいびつかもしれない)けれど、放物線コンパスはもしかしたら放物線ではないかもしれない。
どうなんだろう??

自然科学に造詣の深いレオナルドだからこそ、あの人ごみの中でもやっぱり見に行ってよかった。

が、それにしても疲れた・・・年だなぁ

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2007.06.15

Strictな自然

会場に入って最初の一枚の写真の前で釘付けになった。
山の中からあふれ出る光・・・「日の出」

まだ暗い夜明け前、高い山の向こうではもう太陽が顔を出しているのだ。山の向こうの地平に顔を出した太陽はその光を山の頂上に向けて放っている・・・・

大地への想い 水越武写真展
東京都写真美術館 7月1日まで


グレゴリーコルベックのAshes and SnowがSweeなラブストーリーだとしたら、これは向かい合う人にまっすぐ対峙することを要求するStrictな自然。

なんとなく自然保護に力を入れていて木の表情などを描く写真家と思っていたのだが、今回は人を寄せ付けない荒涼とした山の過酷さがとてもよかった。

ちょうどビックメルトの記事を読んだところだったので余計そう思ったのかもしれないけれど、冬の写真、雪の写真、氷河の写真がよかった。

第一部奇跡の星地球への旅ではざくざくと切り立った氷河はまるでどこか他の星の世界を見ているかのようだったし、
水越武のテーマでは

多様性こそが地球を美しく彩り、美しく調和させ、地球の無限のリズムを守る。

という言葉そのままだった。


とりわけ第3部天空のかおりのなかの「厳冬の穂高」が余りによくて、この写真欲しさにカタログを買おうと思ったほど。
が、カタログを見ると実物とは印象があまり違っていたのでかわずに帰ってきたのだが・・・

写真のことはよく知らないのだが、写真でも絵と同じように実物とカタログとではずいぶん印象が違っているのをはじめて知ったような気がする。
ま、そのおかげでカタログ代がかからずに住んだのだが・・・

自然が好きなら、しっかりと向き合うことに耐えられるならお勧めの写真展。

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2007.06.11

俳句文化なるか?

俳句を作ったのは多分中学生のときが最後だろうな。

asahi.com:俳句、「脳トレ」より活性化度大 川島教授と実証 松山 - 文化・芸能.

 俳句を詠むと、脳の「司令塔」と呼ばれる前頭前野が刺激され、強く活性化することが松山市の研究グループの実験でわかった。認知症の予防や改善に効果があるといわれる四則計算などの「脳トレーニング」より、脳の血流量が増したという。研究者は「正岡子規らを生んだ『俳句王国・松山』から、全国に俳句文化を広げるきっかけになれば」と期待している。

「四則演算と俳句のどっちがいい?」ときかれたらCosはなんて答えるんだろう?
普段から「計算は苦手だ」と豪語しているCosだし、
「難しい言葉は分からない」と自負しているCosなんだから・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

ひとつの文化が生活の中に自然に存在している生活というのはそれはそれでとてもいいものかもしれない。

が、字数をあわせただけで中身のない俳句を聞かされるのは・・・遠慮したいなぁ
∥xx;∥☆\(--メ)

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2007.06.10

だれだっけ・・・

この本じゃなくて、この表紙の人形を作っている人はだれだっけ・・・

「私」は脳のどこにいるのか

東京現代美術館でやった展示を見た記憶がある。
というわけで「過去の展覧会」の中でようやっとみつけた舟越 桂
なんと表現していいのか分からないけれど、不思議な親近感と距離感を覚える。
また見に行きたいなぁ・・・

それにしてもこの本はどんな本なんだろう?
∥xx;∥☆\(--メ)

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現展

知り合いが出品している現代美術家協会の公募展の「現展」(新国立美術館で6月11日(月)まで)に行ってきた。

今年から新国立美術館で開催されると言うのでちょっとわくわく。余裕があったら「モネ展」もなんて思ったけれど、さすがに「20分待ち」なんていう表示を見るととても見る気はしない。

Img_4169
写真にしてしまうとそのよさは半減どころではないけれど、見る位置によって立体的に見えたり見えなかったりでおもしろい。

色の微妙な変化を楽しみながら製作しているんだろうな。
このところ、青に凝っているようだけど・・・赤に凝らないかなぁ
∥xx;∥☆\(--メ)

でも、この日本絵の具の微妙なマットさがCosのお気に入り。


江波戸栄子 「千の青」

公募展は知っている人が出品していない限り見る機会はごく少ない。他の美術展を見たついでに「無料」などと書いてあると入ることはあるけれど、わざわざお金を払ってまで見ようという気にはなかなかなれない。
玉石混合なのだからその中にはたくさんの玉もあるはずなのだが・・・・

実際に中に入ってみてみると知り合いの作品だけでなくおもしろい作品がいくつもあった。
(知らない人なので画像はなし)
覚醒のとき 村田 一天
こだま    菊池 輝年
現象I    折原 康子(この人の作品はいつ見ても好きだなぁ)
微速前進  内田 義光 (遠くから見たときとそばによったときの違いがおもしろい)
新たなる胎動 古市 宣子
(はいはい)然たり 佐藤 八生 (このタイトルはなんと読むんだろう? )
水の台座 山口博之 
美しい国日本 奥田幸子
春きざす うかい小夜子
コンプライアンス 久保田兼一
般若 川崎 剛
未来へ 高橋茂
フレア2007 藤井 章江

おもしろいものがこれだけあれば十分かな。
Cosの好きなイサム・ノグチを髣髴とさせる作品があってイサムに会いに行きたくなっが(イサム・ノグチ庭園美術館は遠いから簡単にはいけないのが悲しい。
横浜美術館(リンク先のページの右上にあるリング状のものがそれ)にもひとつあるから見に行こうかな。

「未来へ」は谷にかかる小さな橋の写真なんだけど、それを日の光もカメラも下から撮っているので、どこか明るい国につながって、確かに「未来へ」という感じ。
写真展ではないので、加工してある写真が多いのだけど、この写真は実写じゃないかとおもう。
よくこんな写真が取れたなぁ・・・

どきどきするようなすごいものはなかったけれど、普段余り目にすることのないような作品をいくつも見て楽しいひと時を過ごしてきた。

モネも見たいんだけど混んでいるし、そのうち時間が取れるかなぁ・・・

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2007.06.04

日本館(科学博物館)

オープンしてから1ヶ月以上たつけれど、やっと国立科学博物館の日本館を見に行ってきた。

いままで「新館」と呼ばれていた部分は地球館と名前を変え、かつて本館と呼ばれていた部分が「日本館」と言うことになり、日本に限定した自然科学の展示がされている。

参加型の地球間に比べると、この日本館はあくまで展示が主体で、昔ながらの博物館のスタイル。
地球館の「探検広場」のように、実際にいろいろとやってみるのはもちろんおもしろいけれど、(大人だからか)こういう「見るだけ」のスタイルも結構好きなのだ。

日本館オープンのお知らせ 国立科学縛物館.

今回オープンの「日本館」は、「日本列島の自然と私たち」をテーマとして、日本列島の豊かな自然と生い立ち、そこに暮らす生き物たちの進化、日本人の形成過程と私たちと自然の関わりの歴史について展示します

と言うことで奇をてらったものもなく、落ち着いた展示になっている。

先だって見てきた国立歴史博物館と重複している縄文時代、弥生時代の話がCosにはおもしろかったかもしれない。

今回はこの辺の展示をじっくりと見てきた。

自然科学のほうから見たときと社会科学から見たときの対比がどことなく感じられてちょっと不思議な気分になった。

Img_3924

写真はすっかりきれいになった天井。Cosが子どものころからこのステンドグラスは入っていたのかなぁ・・・
天井がどうだったのかはまったく覚えていない。
少なくともこんなにきれいで人目を引くような上体でなかったことは確かだ。

また、なんと言っても子供のころから慣れ親しんだ「かはく」と言えば入り口にあった恐竜のたまごの化石だったのだが、本館(日本館)の一階にはもうその展示はなく、子どものころから「怖いもの見たさ」で必ず覗いていたミイラもここからは姿を消していたのがなんだかさびしかった。

「日本館」だからもちろんフタバスズキリュウはいたし、江戸時代の女性のミイラがあって、どちらもそれなりにおもしろかったのだが・・・

ここでの展示は(地球館のものも含めて)知っているものが多いのだが、それでもじっくりと見て歩くとおもしろい発見もいくつもある。
これから、機会を見つけて覗きにきてみよう。


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想像する世界

何も文書の残っていない昔の人たちがどうやって生活していたのか、いろいろな状況証拠を集めつつ推理していくしかない。

つい先日も国立科学博物館の4月にオープンした日本館を見てきた。
Img_3906
その中に昔の人たちの暮らしとして石器時代の人たちの様子、縄文時代の人たちの様子、弥生時代の人の様子、中世の人たちの様子、・・・最後はリアルな現代人までの様子が展示してあるところがあった(写真は弥生時代の様子でちょっと違うけど)。

その一つ一つの展示もいろいろな遺跡から分かったことが表現されている。この写真で子どもが犬をなでていると言う状況もこの時代の犬と人間のかかわり方の一端を示しているらしい。

等身大のジオラマでは、沖縄で発見された石器時代の男女が展示されていた。
男性はヤンバルクイナをぶら下げて、女性は木の実と貝を手にしている。体つきや顔もその後の縄文時代移項の人たちとはちょっと違っている。

遺跡から彼らが何を食べていたのか、どうやって暮らしていたのかが推測されているといった話を聞いてきた。
(「男性が狩りに行って女性が採集をしていたと言うのも分かっているのか?」とたずねたら「その証拠はない。」とのことだったのがちょっと印象に残った)

先日、シンポジウムでの文系(歴史的考察)の発表では「私は思う」「私は考える」といった表現がほとんどだったことから不思議に思っていたら、歴史を専門としている方に「歴史は状況証拠を集めて推測していくのだから、誰も見たことがないのだから」と言われてすごく納得できたのだが、実際に歴史(と言うか考古学)が推測の学問なのだと実感させられる記事があった。

asahi.com:虫食いドングリ 選んで捨てた穴? 縄文の「貯蔵庫」か - 社会.

 縄文時代のドングリ貯蔵庫は、虫食い選別後のごみ捨て場だった――。奈良市で開かれた日本文化財科学会で3日、奈良教育大の金原正明・准教授(古環境学)が西日本の縄文遺跡の分析から導いた研究結果を報告した。縄文人の生活実態の解明に一歩近づく新説だ。

(中略)

 全国各地の縄文遺跡では、地面に掘られた穴に多数のドングリが詰まった状態で見つかる例が多く、縄文人が食用のドングリをためた「貯蔵穴」と一般に思われてきた。

 金原さんは、西日本最大級の貝塚・東名(ひがしみょう)遺跡(佐賀市)など西日本各地の縄文遺跡が、当時は海岸や湧水(ゆうすい)地など低湿地だった場所に多いことに着目した。

 収穫したドングリを水に浸せば、虫食いで軽くなったドングリは浮いて選別できる。民俗学上、現代でもそうした例が知られていることから、金原さんは、西日本の縄文遺跡では選別目的の穴が多かったと推定。詰まっていたドングリは選別後に捨てられた虫食いドングリと想像した。

「想像した」・・・・正に推理小説の世界なんだなぁ・・・・・

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2007.06.02

弥生美術館

上野というよりは東大の裏にある個人美術館。

明治、大正、昭和の挿絵画家、その時代を彩る出版美術の魅力に迫る

という弥生美術館と隣接する竹久夢二美術館

Img_3836この写真では分からないけれど、隣の建物が夢二美術館でこの二つは中でつながっている。

少女雑誌の挿絵を集めた美術館、と言うところだろうか。
今回やっていた
「理知と官能の女性美
   蕗谷虹児展
    1920年代パリの香りと日本の抒情」
では対象から昭和の少女雑誌の挿絵を中心に展示してあった。
少女雑誌とっても対象年齢は「少女」よりももう少し上なのかもしれないけれど、そこの表紙に描かれている少女は服装こそ女性らしいけれど、その表情はどこか中世的でエロティック。
もしかしたらサディスティックな物を含んでいるのかもしれないと言う気もしたけれど・・・・

もっと幼い子供向けの本や絵本にはそれがないから、若い女性をターゲットに下絵と言うことなのだが、対象から戦前にかけての若い女性たちがこの絵に惹かれたというのはなかなかおもしろい。

かつて、こうした本を読んだ青春を過ごした女性を娘さんが連れてきていた。
昔の話を・・・どんな本を読んでどんな絵だったかと言う話を娘さんにしていた。

絵はなかなかおもしろかったけれど、Cosにはちょっと甘すぎるかな。

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2007.05.31

異国への憧れ

日本の画家たちが異国にあこがれた時代の2つの展覧会を見てきた。

ひとつはレオナルドのシンポジウムのときにいただいた藝大のパリへ―洋画家たち百年の夢

Img_3884


東京美術学校とその後身の東京芸術大学卒業生と教員による名作約100点を通して、 日本固有の「洋画」というジャンルの歩みを振り返るとともに、その将来を見つめます。

さすがに何度か見たことのある絵も多くて、見ているだけで楽しかった。
いいなぁと思った絵を後から考えてみると人物を描いたものはほとんどなくて、風景画だったり静物だったり・・・
基本的にはそういうものの方がすきなのかもしれない。

明治時代からみんなパリに渡り、吸収できるものをすべて吸収して日本に帰ってきていた時代。
いまはその歴史的な重みの違いはあるにせよ、かつてほどパリにこだわる必要がなくなっているんだろうな。

おもしろいのは留学生の義務に名画の複製があったというのだ。勉強の一端でもあり、母国に名画を伝えるひとつの方法でもあったのだろう。

そういえば、日本に限らず師匠の絵を写すなどということはどこの国でもよくやっていたことだし、質の良い写真やコピーのない時代に文化を伝えるための方法はそれしかなかったんだろうな。

Img_3883


それを痛感させたのは異国への憧れと言う点では同じものがある町田の国際版画美術館で6月24日まで行われている中国憧憬―ちゅうごく・しょうけい―日本美術の秘密を探れ

本展では、平安~室町時代の仏画や絵巻物から、江戸時代の狩野探幽(かのうたんゆう)や池大雅(いけのたいが)、谷文晁(たにぶんちょう)らの作品まで、豊富な作例を展示し、版本を介した中国画題受容の様相を検証します。小さな木版の画面がまだ見ぬ中国のイメージを喚起し、新しい日本美術を生み出してきた歴史を、重要文化財9点を含む約110点の作品によってたどる試みです。

中国で作られた版画の図柄をそのまま題材として新しいものを作ったり、写本を作ったり・・・かつては中国と言う国が日本の人たちにとってどれほど憧れのある国だったのかを思わせる絵の数々。

中国美術に対してはそのままの形、そのままの図柄で写し取るけれど、明治時代パリにあこがれた人たちは(模写もしたけれど)自分なりの世界を作って、人によっては日本画の雰囲気を漂わせた洋画を描いていたと言うことなんだろうなぁ・・・

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2007.05.30

超・美術館革命

今日、帰りに本屋さんに寄ったのはレオナルド系の本がないかなと思ったからで、特に本を買うつもりはなかったのだが、思わず衝動買いをしてしまった(だから本屋は鬼門なのにぃ)_| ̄|●

で、買ったうちの一冊が

超・美術館革命―金沢21世紀美術館の挑戦超・美術館革命―金沢21世紀美術館の挑戦
蓑 豊


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サブタイトルの金沢21世紀美術館に惹かれて手にとって見たら、なかなか面白そうだったので立ち読みだけではなく最後まで読むために買ってみたのだ。
(母のところに寄った帰りに本屋に寄ったら帰りがどれだけ遅くなるか考えなかったCosが悪いのだが、帰宅はその分遅くなってしまった・・・自業自得_| ̄|●)

「俺様はこんなにがんばってこんなにすごいんだぞ」式の書き方は反感を持って読み始めるのだが、それにもかかわらずおもしろい。
(まだ半分ちょっとしか読んでないのだが・・・)

何よりもおもしろいと思ったのは金沢21世紀美術館のコンセプト。
子どもの声が響く普段着で気楽にいける場所にしようとしたと言う美術館のイメージ改革の部分。

体験型の庶民派の美術館なのだ。

静かに整然と美術を「鑑賞」するのではなく、試してみて、気楽に遊びに行く、生活の一部になるような美術館を目指しているのだそうだ。

そういう美術館を館長がどうやって作ってどうやってそのコンセプトを守り続けているのかを書いた本だから、Cosが知っているいろいろな美術館や博物館と対比しながら読むことができておもしろかった。

そういえば、Cosもぐるっとパスを知ってから美術館に対する考え方がすっかり変わった。
個人的には子どもの声が響き渡るような美術館が好きかどうかはよく分からない(博物館なら当然だと思うが美術館はまた違うかも)けれど、ぐるっとパスのおかげで美術館や博物館がすっかり身近になった。

時間があればいつもの絵を見にふらっとよってみる。
ほかを回ったついでにふらっと寄ってみる。
そこではCosの好きな作品が待っているのだ。

有名な人の作品が来る華やかな、人であふれている企画展(もちろんこれも見るけど)ではなく、すごい作品はそんなにはないけれど、しっとりと落ち着いた人の少ない常設展を見る楽しみを覚えた。

金沢21世紀美術館とコンセプトはちょっと違うけれど、これもまた美術館を身近なものにするひとつの方法だな。

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2007.05.26

ダビンチのシンポジウム

今日恵泉女学園大学で行われてきたダビンチのシンポジウム、レオナルド・ダ・ヴィンチという一人の人に10の方向からのアプローチを15分ずつ垣間見てきたのだ。

4490206062レオナルド・ダ・ヴィンチの世界―All about Leonardo
松浦 弘明 池上 英洋
東京堂出版 2007-05

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この本の
レオナルドの絵画
建築
工学
北方美術との関連
医学、
音楽、
彫刻
天文学、
絵の修復、
日本におけるレオナルド
と言うテーマで本を書いた10人がそれぞれの分野からの話を聞いてきた。

ダビンチの時代には一人の人があれもやりこれもやり・・・芸術家でもあり科学者でもあり技術者でもあったのだが、500年たって各分野の人が集まってひとつにまとまろうとしつつある。

一つ一つの分野については深く研究している人がクロスオーバーして一堂に会しているのだからおもしろくないはずがない。

ついこの間日本画と油絵の違い、日本画の修復について話を聞いてきたCosとしてはやはり最後の晩餐の修復の話はおもしろかったし、
なによりも
「天文学ではレオナルドは彼の業績となるものは何も残さなかった」
と言うのを聞いて、いままでもやもやとして納得できなかった部分がいっぺんにすっきりしたような気がした\∥^O^∥/

できればもうちょっと行く前に勉強しておけばよかった思うけれど・・・忙しかったんだよなぁ・・・

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2007.05.10

灰は雪になる

2007年6月24日まで
お台場の東京テレポート駅前の特設会場ノマディック美術館で開催されている
グレゴリー・コルベール「ashes and snow」展。Image030
コンテナと紙パイプで作られた美術館。

中に入ると人の歩くところは普通の材木を並べて作ったかのようなウッドデッキの上を人が歩き、通路以外はまるで線路に敷き詰めてあるかのような砂利と言うのにはちょっと大きい砕石。
ある意味都市の殺伐とした風景の中に似つかわしいつくりでもある。

この外壁にある写真はひざまずいた象の前で本を読む少年の写真。
あたかも少年が読んでいる本を象が聞き入っているかのように見える。

中に入ると動物と人間が一体になったかのような写真が出迎える。
その高い天井から和紙でできた2.4m×5mの大きな写真が吊り下げてある。
外で風が吹くとこの写真も一緒に微妙に揺れているようにもみえる。
まるで外の呼吸を感じ取っているかのように。
和紙にプリントされた写真はやわらかいセピア色。
普段見ている写真とは感じ方がずいぶん違う。
どこか懐かしくどこか敬虔な気持ちにさせられる写真たち。
場内では静かな音楽・・・・現代の宗教音楽とも言えるかもしれない・・・が流れていて
写真と、音楽と、そして証明や床がひとつになって何かを語りかけてくる。

こんな感じの写真がずっと奥までウッドデッキの通路の置くまで並んでいる。
そして一番奥では映像が流れている。

この映像を見ているうちにどこが懐かしいのかが見えてきた。
ここにあるのは野生のエルザの芸術版と言う感じ。
野生動物(象やわしは飼育されているのだろうけれど)の中に入った人間が容認されているのではなく、排除されていないだけのような感じ。

象やチンパンジーやわしの前では動きが激しいけれど、野生のままのひょうやマナティの前では静かな相手を刺激しないような動きをきちんと取っている。
そうすることで相手の動物に受け入れてもらっているのかもしれない。

その中の主題は
「愛と死と死の優しい兄弟である眠」りかもしれないと思えるほど映像の多くで人間は目を閉じて動かない。
Cosもこの映像を大切な人のことを考えながら見ていたような気がする。

今回展示されている写真はこの映像から切り出したようなものばかりなのだが、なぜか映像よりも写真のほうがずっといい。なぜだろう?

Image037

どの写真も、どの映像もすべてセピア色。
たった一度だけ長編の映像の中で人の腕が自然の色だったような気がするけれど、確認したわけではないので自信はない。

「血は骨となり
骨は髄になり
髄は灰になり
灰は雪になる」

長編のなかで語られていた一説。
なんだかわかるようなわからないような・・・・

写真はこちらからも見ることができますが、やはりwebにあるものは現実に見るのとはずいぶん雰囲気が違う感じ・・・

象やマナティと一緒に泳いでいるのはコルベールさん自身だとか。
これからも進化していくノマディック美術館を育て続けるんだろうなぁ・・・

それにしても、何もかもが高すぎ!!
結局3時間以上も中にいたから1900円の入場料はべらぼうな値段ではないかもしれないけれど、ミュージアムショップでは何もかもがいい物を使っているからだとしても余りに高すぎ。
これじゃCosには何も買えない

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2007.05.09

浮遊する水

目黒にお寺がやっている小さな美術館がある。現代彫刻美術館である。

世界的に有名な作品があったりするわけではないし、野外展示場は何箇所にも分かれていて住宅の間を通っていかなければならないようなところもあって、決して恵まれた環境にはない。

Cosにしたところで名前は前から知っていたものの、行ってみようと言う気にはなかなかなれなかったところ。

Img_3697

しかし、美術館の中はほとんど人がいなくて静かだったし、のんびりゆっくりと一つ一つの作品を楽しむことができた。

ちょうど屋内展示場である本館では「浮遊する水 松田重仁展」をやっていた。
木を掘って流れている水、水の波紋を映し出そうとしている感じの作品や、大きな種からいろいろな葉が出てきて伸び行く世界を表しているような作品の数々が並んでいた。

静かな美術館の中で、そこには吹いてない風に乗って波紋を投げかけている水の動きがおもしろかった。

屋内展示場を一通り見て常設展示(かな?)の野外展示場に向かおうとして「closed」の表示のある喫茶室の横を通ったら中から人が出てきて
「もしよかったら冷たいお茶かジュースはいかがですか?
今回の展示のDVDもありますのでもしよかったらご覧ください」と声がかけられた。

ちょうど暑い日だったのでオレンジジュースをいただきながらこの松田重仁氏のビデオを見せてもらった。
お金にこだわりたくはないけれど、このオレンジジュースは無料。
そして喫茶室ではCos一人だけのためにビデオがつけられていた。
ビデオが始まると美術館の人も事務室に引き上げて、Cosは完全に一人でじっくりとビデオを見たのだ。

流木を利用して、その木の性質を読み取った上で彫っていく。彫る道具の一つとしてチェーンソーを使っていること・・・・などなど・・・ビデオも結構おもしろかった。
氏が町田市在住で多摩美で教えているのもなんだか身近に感じられてうれしかったりもした。

ビデオが終わってCosは外に出て野外展示を楽しんだ。
小さな小さな公園に彫刻が置いていあるという感じで、場所としてはどこも狭いのだけれど、気分としてはゆったりとしてくる。

この野外展示場は小雨のときもまた趣があってよさそう・・・

しかも、野外展示場はもちろん、本館も含めてここは無料なのだ。
たぶんお寺が運営資金を出しているのだろうと思うが・・・・
(ジュースをご馳走になったからだけじゃない)美術館の人もとても親切だったし、美術館の空間も無料だからといって手を抜くことなく内も外も充実した空間になっていたこともとてもうれしかった。

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2007.05.06

哀しい予感

吉本ばななのこの本の表紙の絵はすごく印象に残る絵。

4344408950哀しい予感
吉本 ばなな
幻冬舎 2006-12

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よしもとばななについては特に嫌いと言うこともないし、おもしろそうな内容の文庫だったら買ってもいいなと言う程度に好きだから、表紙は印象に残っていてもこの本のことは余り印象に残っていなかった。

Gomi2_17


目黒美術館で2007年6月24日までやっている「原マスミ 大全集」のチラシを見てもなんだか懐かしい感じはするものの余り食指は動かなかった。

友達が「おもしろかった」といっていたし、そんなにメジャーじゃないからGWでも混んでいないだろうと行ってみてびっくり。

「あぁ!!この人知ってる!!」状態∥^O^∥
よしもとバナナのイラストを手がけているだけじゃなく、ポールギャリコの「雪のひとひら」、かつてはまり込んでいたふたこま漫画(どこで見ていたのかは覚えてなかったんだけど)
あちらこちらでCosが好きだったものを作っていた人だった。

だからなのだろうか、彼がいろいろなものに対して持っているイメージをそのまま絵にしているのを見て、心底うらやましいと思ったのだ。
彼の絵には、それが文章との関連がないものでさえストーリーがある。

Cosは絵はかけない(描こうと思ったこともない)けれど、自分の思ったことをこんな風に表現できたらいいな。

今回の展示ではミュージシャンとして、詩人としての彼の姿は余り浮き上がってこなかった。
レコードが会場のあちこちでかけられているけれど、今ひとつだったかも。
一度彼の音楽をのんびりと聴いてみたいものだ。

と言うわけで今回は美術展に行ったにもかかわらず、本を買って帰ってしまった∥^O^∥

4877287213SLY(スライ)―世界の旅 2
吉本 ばなな
幻冬舎 1999-04

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ご当地ソングならぬ、ご当地本・・・・エジプトの紹介小説。
まあ、本としてではなく、イラストで選んだ本だからいいんだけどさ∥^O^∥


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2007.04.29

ブロークン・ホワイト

「いま私たちの怒りや悲しみ、死や愛といった感情をリアルに表現してくれるのは写真や映画になってしまった。かつては絵画が担っていたそのテーマをもう一度絵画の中に取り戻したい」

というマルレーネ・デュマスとは意見が違うけれど、この言葉に惹かれてマルレーネ・デュラス(かっこいいんだわぁこの人)の「ブロークン・ホワイト」(東京都現代美術館2007.07.01まで)を見てきた。

現代美術館の天井はかなり高くできていてほとんど2回分の高さがあるんじゃないかと思うけれど、その部屋中を真っ白にしてそこに何枚かのポートレイトがかけられている。絵の数が多くなくて、普段よりも壁の白さが際立っていた。(他の部屋ではそんな風には感じなかったのでそういう効果を狙ったものだろう)

そこに描かれている人々の顔はよく見るとかなり写真では描き得ないような変な顔をしているのだが、その表情は生き生きしている。
そして、いろいろな感情がそこには映し出されていた。

おもしろかったのは「最後の晩餐」
キリストはどっちを向いているのだろう?

人間としての弟子の姿はなくキリストの向こうにはもやもやとしたちょっと胎児の形にも似たものがいくつもある。
Cosには原罪を表しているようにも見えたのだが・・

彼女は実際に見たものばかりでなく、写真から題材をとって絵を描いたりもしているのだが、今回の展覧会のテーマにもなっている「Broken White」は荒木経惟の一枚の写真を元に描いたもの。

元の写真も一緒に展示してあったけれど、その写真からは好色な彼らしいいま真っ最中という感じがするのだが、この写真を基に描いたマルレーネの絵はもっとセクシーでもっと感情がむき出しになっている感じすらする。
Broken White・・・Brokenされた白は赤になる・・・と語っている。

もともとCosは人間の絵(も写真も)は好きではないのだが、好きとか嫌いとかといった範疇を離れてすごくおもしろかった。

「もっと楽しく、もっと自由に」・・・と言われているような気もしてきた。

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2007.04.17

器は新しくなっても

17日は上野の科学博物館の本館「日本館」のオープン。

このところの科学博物館の企画はなかなか「これはいい!!」といえるものがない。
前回のミイラも内容はたいしたことがなかったので、結局行かなかったし、今回の花の展覧会も、今ひとつらしい。

誰もがわくわくするような展示を作ることはきっと難しいのだろうけれど・・・

科学博物館 よく学び、考える場にするには : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

 日本は「科学技術創造立国」を掲げている。政府の科学技術基本計画でも、科学博物館などの博物館は、次世代の科学者を育成し、国民が科学技術の知識や能力を高める場と位置づけられている。しかし、実態は楽観できない。

 文部科学省によると、国内には博物館と呼べる施設が約5600ある。このうち3割程度が自然科学系で、その多くが予算難にあえいでいる。入館者の総数は減る一方だ。博物館を支える学芸員も、ほとんど新規採用はない。

 科学博物館も、他の博物館と同様、政府からの交付金が毎年、減っている。人員削減も求められている。

限られた予算で・・・と言うのはどこも一緒だろうけれど、それ以上にkahakuでは人員の問題があるような気がする。

何でもいいからある程度名前のあることをやりさえすれば人が入ると思っているような面はないのだろうか?

企画展に比べて常設展の展示はその場しのぎではなく「どう見せようか」としっかり考えられている。
一度でなく、何度見てもおもしろい展示になっている。

まだ、新しくできた日本館には行ってないのでなんともいえないけれど、ここの展示はどうなんだろう?
楽しみのような不安のような・・・

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2007.04.14

動物絵画の百年

府中市美術館で2007年4月22日まで

新学年が始まって一週間。
体力的にはまだそんなに疲れていない気がするけれど、精神的にはかなり疲れている感じ。

どこかで平和な気分を取り戻したくなって、(余り時間はなかったんだけど)仕事の終わった土曜日の午後、府中市美術館、動物絵画の100年展へ。

Img_3466


日本画はそんなに好きではないけれど、動物はどんな動物でも好き(あぁ・・・蚊とゴキブリとハエは嫌いかも)だから、昔の人がどんな風に見ていたのかを見るだけでもとても楽しかった。

会場もさすがに土曜日の午後だけ会って、府中美術館にしては混んでいたけれど、それでも人の頭越しに絵を見ることはなかったから気分もゆったりと見ることができた。

一番よかったのは葛飾北斎の瑞亀図か、看板にもなっている伊藤若冲の隠元豆図(隠元豆・玉蜀黍図のうちの一枚)だなぁ・・・

北斎の亀も若冲の蛙も実物とはかなり違っている気がするけれど、見ていて楽しくてわくわくする。

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2007.04.04

西のみやこ、東のみやこ

国立歴史民俗博物館で2007年5月6日までやっている「西のみやこ、東のみやこ」を見てきた。
もちろんこれだけじゃなくて、前回来た時に見た常設展もざっと見てきたのだが・・・やっぱり時間が足りない。
一度に全部見ようとするのが間違いなんだろうけれど、やっぱりくやしい。

まあ、最後に回していたら、もっと時間が足りなくてもっと悔しい思いをしたに違いないので、最初に見て正解だったとは思うのだが、あんなに時間がかかるとは思わなかった∥^O^∥

まあ、上野の国立博物館だって科学博物館だって何度となく行っているけれど、企画展のついでに常設展を見るときには全部どころかごくごく一部しか見ないのだから「博物館」と言うのがそういうところなのかもしれない。

と言うわけで何はともあれ一番最初に今日じっくりと見てきたのは「西のみやこ、東のみやこ」。
中世,近世の描かれた都市を見てきた。

入って最初にあるのは京図(と言うのかな?) 誰が住んでいるか分かる今の地図ともちょっと違うけれど、位置関係と名前だけが記されているもの。今のどんなビルがあるのか、どんな住宅があるのかが分かる1/10000の地図のような感じのもの。

この時代には建物の絵などはなかったらしい。

この後、、室町時代の洛中洛外図屏風はおもしろかった。
ちょうど気分としては今で言うと、1/10000から航空地図のグーグルマップと言うところかもしれない。

いまなら国立歴史民俗博物館をこんな風に表すのと同じかな。

Img_3336
(この図はパズルになっているもの。白い部分に合うピースを探して貼り付ける。何しろここだけは撮影禁止ではなかったので・・・)

この屏風かどうかは分からないけれど、こんな感じの屏風は何度も見たことがあるし、細かいところまで見るのはちょっと面倒だし・・・なんて思ったけれど、手前に「図のどこに実際のどのお寺が書かれている」なんていうのが表示されていたのを頼りにあっちの寺、こっちの寺、加茂川にかかった橋なんかを探してみたり、描かれている人が何をしているかを見たりしていた。

で、この屏風は2枚で1組(一枚が6個のパネルでできている・・・パネルとは言わないと思うけど)でこの2枚で京の春夏秋冬を現しているだけではなく、一枚は右が南、一枚は左が南になっている。

この南の位置の違いから2枚の屏風は向き合わせておくものではないかと、複製を向かい合わせにおいてその真ん中に京都の地図を置くことで実際の景色と屏風とを重ね合わせて見られるようにしてあった。

これが京の町並みをちょっとしか知らないCosにはとてもおもしろかった。

他に見ている人がいなければ地図の上に載って実際に方位を確認しながら地図と屏風を見比べられたのだが、なかなか完全に人がいなくなることはなかった。
う~ん、残念。

地図はたぶん上が北なんだろうから、屏風もその向きにあわせておいてあるんだと思うけど・・・どうかな?
この屏風は一枚の屏風に春と夏、もう一枚の屏風に秋と冬が描かれているんだけれど、これが東西南北に一致しているのだそうだ。

しばし、地図と屏風を見ながら
「どっちが東で、どっちが春」なんて考えながらあっちを見たり、こっちを見たり∥^O^∥
ちょっとでも人がいなくなると地図の上に乗って、確認すると屏風のところに行ってそれが本当にそうなっているかどうか見てみたり・・・

さすが歴博、体を使っての見学だった。

この洛中洛外図屏風には大画面のタッチパネルを使った展示があって、画面を拡大したり移動したりしながらそこに現れる解説を読むことができる。

これがなかなかの優れもの。一回の拡大で何倍になるのかは確認してこなかったけれど、7回まで拡大できて、画像をきちんと見ることができるのだ。
一回ごとに2倍なら128倍まで見ることができることになる。

もともと屏風にかかれた絵は屏風までの距離があって、細かい部分まではきちんと確認することができない。
中には双眼鏡(単眼鏡)を持ってきてみている人もいるほどだ。l
だけどこんな風にタッチパネルで試すことができれば何が描かれて亥lるのか読み取れなかった部分も見ることができる。
(そりゃ実物で確認するのが一番だろうけど・・・)

web上にも同じようなもの(洛中洛外図屏風読み解きパネル)があるのだが、これは残念ながら拡大するとあっという間にぼやけてきて、人物が何をしているのかは読み取ることができない。

会場でもっとじっくり見てくるんだった。
このほかにも京の町を描いた屏風で江戸時代のものが2点あったけれど、やはり新しいものになると画面がきれいになって、金のレリーフ上になっているところなどもきれいなまま残っている。

ただし、絵としては最初のものほどはおもしろくない。古いもののほうがおもしろいのかもしれない。

2番目のコーナーの江戸もさすがに京都より新しいからきれいなものが多かった。

Img_3336_1
(この写真はクイズのところにあったもので、ここは撮影可)

が、ここでおもしろかったのは八戸藩士の遠山親子の日記。日本版サミュエル・ピープスと言うところだろうか。

せっかくの江戸詰めもなかなか外出もままならずお風呂にもいけなかったことがよく分かる。

そして、「うわ~」と思ったのが、「元禄二年堺の大絵図」

全体はとても展示できるような大きさではないのだが、その一部だけ展示してある。
よく見るともう紙はぼろぼろで、裏にもう一枚の紙を当てて崩れ落ちないようにしている。
以前「補強する紙もわざとX線などをかけて弱くする」といっていたのと同じように弱くしてある紙かもしれない。
補強の紙がなければ立てて展示しただけでもぼろぼろになって、見ることもできなくなりそうな有様。
こんなのが何枚も合って大きな地図を作っている
そんな馬鹿でかいものをどこで何のために使ったんだろう?

そして最後はお遊びコーナー・・・
しっかり遊んできました。
Cosがやったのは江戸図屏風の中でいろいろな人々の様子を見て何をしているのか見つけるゲーム。
なかなかおもしろかった。

こんなことをやっているからすっかり時間が遅くなってしまったのだが・・・・

400420206Xピープス氏の秘められた日記―17世紀イギリス紳士の生活
臼田 昭
岩波書店 1982-01

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2007.03.30

受胎告知

春休みだから、朝はのんびりと惰眠をむさぼって♪
うとうとしながら何気なく外の音に気がつく。
「雨だ!チャンス!」

何しろ朝一番で言っても混んでいると言うレオナルド・ダビンチの「受胎告知」・・・しかも「今度の日曜日にはテレビに出るからもっと混むぞ」と聞かされていたのだ。

と言うわけで一念発起して上野へ。
ついたのはお昼ごろだったけれど、待ち時間は0だった。

本館にある第一会場は「受胎告知」だけがおいてあって、それを見るためにつづらおりになった通路(要するにTDRなんかの行列みたいな感じ)が会場いっぱいに続いている。

一番絵に近いところでは係員が「止まらないでください、少しずつ進んでください」と時々声をかけているがちょっと高くなっている2番目の通路ではそんなことも言われなかったので、一番絵に近いところに立ってじっくりと見てきてしまった∥^O^∥

一番前の通路では3列ぐらいになってみているから、実際には3人の頭越しと言うことになるのだが、そこは通路が一段高くなっているので、前の人の頭はほとんど邪魔にならない。
細部まではよく見えなかったけれど、マリアや天使(ガブリエル)の表情、色を楽しんできた。

やっぱり本物はいい。
ポスターや他のところで複製はいくらでも見ることができるけれど、本物と複製の違いは余りに大きい。

複製のマリアは厳しさもあるけれど、それと同時にどこか取り澄ました冷たさのようなものを感じるのだが、本物にはその冷たさはない。

ぎりぎりのところで厳しい決断をさせられた決意といったようなものに変わっている。
もはや退くことはできない。決して平坦な道ではないけれど、進むしかないと言う決意のように見える。

受胎を告げざるを得なかった天使とその事実を受け入れざるを得なかったマリア。
好むとか好まないとかではなく、その事実だけがそこにある。
天使もマリアもぎりぎりのところまで来ている感じがする。この緊迫感が複製には出ていない。

そして色の深み、もちろん絵がかかれた当時の色ではなくなっているのは分かっているけれど、それでもとても深い天使の赤とマリアの赤、この赤は複製には再現されていなかった(あっ、赤はCosの好きな色なのだ)。

そんなことを2番目の通路からじっくり楽しんだ後、一番前の通路に進んだ。
もちろん一番前で遠くからでは見ることのできなかった細部を見たかったのだが・・・・
「止まらないでください」で、じっくりと見ることは難しい。
ゆっくりゆっくり進んだけれど、列は長く、待っている人は多い。
まあ、細部がどうなっているのか、なんていうことは複製でも分かることだし、
絵自体は気が済むまでじっくりと見たわけだし、
人の多い展覧会では人の頭越しにざっと見るだけで終わることも少なくないわけだし、

なんと言っても天使とマリアの表情はすごくよかったし・・・

と言うわけであきらめて第二会場になっている平成館へ。
第一会場がそんなに込んでいなかったし、ラウンジもそこそこ空いていたので、とりあえずお茶。
Img_3251
上野のさくらは満開だし、季節に合わせて桜餅。
ペットボトルのお茶はちょっと優雅さにかけるけれど、天使とマリアを思い浮かべながら優雅な気分でほんわかとしながらお茶\∥^O^∥/

が・・・絵を楽しむ優雅な気分はここまでだったのだ・・・・・

第二会場に入って自分の考え違いに愕然とする。
まず人人人・・・・すごい人。
まあ、それだけならそれなりにあきらめればいいのだが、今回はあきらめることも許されなかった。

なにしろ、レオナルド・ダビンチである!!
しかも今回の展示のサブタイトルは「天才の実像」なのである!
画家としてのレオナルド・ダビンチに焦点を当てているわけではないのだ。

最初の「レオナルド・ダビンチの生涯」、これは人の頭の後ろからざっと見て「まぁいいや」
次の「受胎告知・思索の原点」、DIS(これか?)による複製画を使って受胎告知の絵を分析しているのだが、そんなに人が多くなかったこともあってまあまあだった。

3番目の「レオナルドの書斎」に来て、それまでの本沸かした気分がいっぺんに消えてしまった。
何しろ最初に目に付いたのが「楕円コンパス」のビデオだったのである。
しばしの混乱の後、天使もマリアもすっ飛んでしまった・・∥>_<∥

実際に楕円コンパス、放物線コンパス、エピトロコイドコンパスを作って作図しているのだ。

さらに、黄金比、正方形、円、正六角形、正七角形・・・が出てくる「ウィトルウィウス的人体」

「幾何学的な「かたち」の変形とか、月型の万華鏡とか・・・

それも人が多くてメモもろくに取れないのだ。
もちろん鉛筆とメモ帳は用意していたのだが、余りに人が多くて鉛筆を出すのも危なそうに見えるのだ。
ビデオを見ている間もパネルを見ている間も、人がぶつかってくる∥;_;∥
他の人たちはそんなにじっくり見なくてもいいのかもしれないけれど、Cosは一つ一つの展示をじっくりと見て考えて・・・

あぁ・・・受胎告知をじっくり見ていたときとはじっくり見る点では同じだけど、意識が余りに違う・・・

結局こうした部分だけのために図録も買ってしまった・・・_| ̄|●

美術と数学と、1度で2度おいしいと言えば確かにそうなのだが・・・・・
予期していなかったCosが悪いのだが・・・・

ふぅ、疲れた。

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2007.03.28

チェコの絵本とアニメーション

ともかく、春休みのうちにしっかり遊んでおこうと目黒美術館で2007年4月8日まで開催中の「チェコ絵本とアニメーションの世界展」へ行ってきた。

これは何が何でも行きたかったのだがなかなか時間が取れなくて、目黒まで足を伸ばせなかったのだ。(2月にアルフレッド・ウォリス展に行ったのは月曜日だったから休みだったし)

ようやっと春休みに入って時間が取れたのでぐるっとパスの有効期限が切れる前に大急ぎで行ってきた∥^O^∥

その前に見た三鷹市民美術館のものよりはかなり内容が深かったような気がする。まあ、三鷹のほうはチェコだけではなかったのでそれはそれでおもしろかったのだが・・・

絵本ももちろんおもしろかったのだが、海上のあちこちに小さなモニタがあって、そこではその場にある絵本の原画に関連しているようなアニメーションの映像を流していた。

このアニメーションは絵本がたくさん置いてあるコーナーやプロジェクタを使って大画面で見ることのできる映像コーナーで流しているものと同じだからいちいちとまって見なくてもよかったのだが、やっぱり流れているとついつい見てしまう。

映像コーナーではアニメーションだけでなく、絵本を実際にめくって見せる映像もあいだあいだにながれていた。
展示作品になっている一冊の絵本を全部見るチャンスは少ないからなかなかおもしろかった。
(もちろん自分の手にとって見るのがBestだけど、それはさすがに望めないし)

チェコでは1960年代ごろ(はっきり覚えてない)から毎日7分間のアニメーションを放送する番組があって、そこでアニメーションが育ってきたのだそうだ。

今回会場で流されているアニメーションはそういう番組の中で作られたものといった感じで、子どもが見て楽しめるものばかりだった。

アニメーションを見ているとやっぱりトルンカはいい。また作者の名前は忘れてしまったけれど、「頭」と言うアニメーションがかなりシュールでおもしろかったのだが、近くに座っていた小学生低学年ぐらいの子どもも「これおもしろい」といっていたところを見ると子どもからでも楽しめるものなんだろうな。

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2007.03.27

さくらオフ(4) 国立歴史民俗博物館(3)

さくらオフ(3) 国立歴史民俗博物館(2)の続き

さすがにこれで終わりにしたい・・・

と言うわけで第4室へ。
第4室も最初はやっぱりジオラマ。
Img_3195

法善寺横町のジオラマなのだが・・・・
が、これは実物大なのだ。
Cosはこのときまで実物大でもジオラマというとは知らなかった。
(じゃあ、ジオラマじゃないならなんというかももちろん知らなかったのだが・・・)
そのまま暖簾をくぐって、「もうやってますか?」と聞きたくなる雰囲気。

ここは「都市の暮らし」なのだそうだけれど、このあたりになると今住んでいるところと隔絶された時間の流れは余り感じない。


それに比べると村の暮らしのコーナーでは・・・
Dcp_2289

(これは今回撮った写真じゃなくて、おととし来たときに撮った写真なのだが、展示も変わってないようだからよしとしよう)

村の境に置かれている「鹿嶋様」
山ノ神と似たような役割で村を守るのだという。
この鹿嶋様は4mぐらいもある実物。
髪が顔にかかっていて顔の表情がよく見えないので顔をちゃんと見たいと思ったりもする。
今もこういうものを作っているらしい。

で、この鹿嶋様は女性なのだと言う。
とてもそうは見えないと言いたいところだけれど、確かにぺったんこだけどちゃんと胸がある。
やっぱり女性なのかぁ・・・

実際には女性だけではなく男性のものも作るのだけど、
「立派なものをお持ちなので展示できない・・・
いや、別にかまわないんですけどね」
と学芸員の方の言葉。

思わず検索してしまった・・・∥^O^∥(絶対にかまうと思うぞ・・・間違いなく保護者から苦情が来そうだ)
それにしても、男性は立派なものがあるのに女性はぺったんこ・・・・もしかしたら昔はそういう女性がよかったのかも・・・
(とすると、あれはおへそではなく・・・・)
∥xx;∥☆\(--メ)

そして印象的だったのが船の暮らしの中に展示されていた「竜王丸」
(この写真もない・・・とってこないと・・・)
ここに展示してあるのは実際の船で一度だけだけど本当に海(だったと思う)に出て航海をしたことがあり実際に船籍も持っているのだと言う。
そしてこうした船を作る技術が失われつつあると言う話になっていった。
「修理をしている間はまだいい、その修理をする船もなくなったときが技術が失われるとき」
「こうしたものは一人だけでできるものではなくていろいろな技術を持った人たちが集まって初めて作ることができる。その中のたった一つが失われただけでももう作り上げることができない」

それも時代の流れといってしまえばそれまでだし、それだけでは食べていけないのも事実だけれど、今あるもの・・・できたものを保存していくことは可能でも、それを作る技術を保存していくことは本当に難しい・・・・
そればかりはいくら保存に力を入れている人たちでもどうにもならないのだろうなぁ・・・

そして切り絵とわらでできた竜神が祭ってあるところ・・・ここの話も聞いたのに断片的にしか覚えていない∥;_;∥

Img_3207
そして、捨てるに忍びないお雛様を集めた流し雛の船・・・この船の中にぎっしりとはいっているお雛様を見て広告を思い出すとみんな大喜び。
学芸員の方は「適当に入れたわけでもないんですけどねぇ」と。
でもそれぞれにお雛様が表情豊かでいろんなことを思わせるのだ・・・整然と並んでいるわけではないから埋もれそうになったりかしいだりしているお雛様もあるのだ。
どれがそう思わせたのか・・・∥^O^∥

そして最後の第5室へ。
このころにはだいぶくたくた。しかも閉館時間までには後30分しかない。

当時としては最新鋭の同潤会アパートの台所と京都の古くからある台所の比較のところでは
「皆さんに聞いて見るとこの古いほうの台所がいいというんですよね」と当初の期待と違った結果になってしまっていたことを話してくださった。
水道とガスがあっても、確かに今の台所から見るとめちゃくちゃ狭くて使い勝手の悪そうな台所と、井戸から水を汲み、ガスの代わりに巻きのかまどでご飯を炊く生活とでは古いほうが夢があっていいような気がする。
(ここも写真がない・・・とってこないと・・・)

そして怪しげな広告のいっぱい張ってある(禁煙の広告も張ってあった)大正時代の町の(等身大の)ジオラマを楽しんだり・・・

それを見た途端にCosはラーメン博物館を思い出したのだが、「そんなところとは一緒にしないでくれ」としっかり顔に書いてあった。
そうだよなぁ・・・どれだけ史実に忠実に正確に作っているかを考えれば比較の対象にもならないよなぁ・・・


昭和初期の映画のポスターがたくさんおいてあるところでは今回来れなくなった方のことを思い出して、「彼がくれば喜んだだろうねぇ・・・」と口々に。
今回はもう時間が遅くて活動写真を見ることはできなかったけれど、いずれもう一度来てちゃんと見てこよう。

そんなことをしているうちにしっかりと閉館時間に。
少年二人はワークシートをどうやら仕上げたらしい。
あっさりとあきらめた大人に比べてずっと偉い!!

まだまだ見たりない思いを残しながら外へ。

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2007.03.26

さくらオフ(3) 国立歴史博物館(2)

さくらオフ(2) 国立歴史博物館(1)の続き

このペースで書いていたら、とんでもない量になりそう・・・・
まあ、自分の記録のためと思えば別にかまわないのだが・・・・もう少し急ぎ足で進むことにしようと思う

そんなこんなで第2室では藤原道長の邸宅の話から・・・といっても歴史の話じゃなくて、この邸宅のジオラマを前にして、この前に見た平城京のような政治をするところではなくて一応私邸であったこと、でも実際には指定といってもある程度の仕事をしていたなどと言う話をしていただいた。
(ここだったと思うのだが他のジオラマだったかもしれない)
このジオラマを作るのには本当のうちよりも高いのだとか・・・
(う~ん、写真を撮ってくるの忘れた・・・近いうちにいって撮ってこよう\∥^O^∥/ )
そんな話を伺っていたら、ワークシートに取り組む少年たちが来て、「階段はいくつあるか」と一生懸命に数えていた。
Cosも一緒に数えたのだが、見えないところに階段はないんだろうか?
とちょっと不安・・・

そして、十二単のところでは色の話・・・
その色の話から印刷の色、日本語の色の話にみんなの話題が飛んでいく。
色の話から日本の季節の話になったんじゃなかったっけ?
余り記憶がはっきりしない・・・∥>_<∥

前にある町並みが上がったり下がったりする京の町並み・・・
Cosなどは単純だから街が上がったり下がったりすることやそのジオラマの中の人々がいろいろなことをしていたり、表通りだけではなく、家の裏側での生活の様子が見られることに単純に感動していたのだが、ここで
「ジオラマの撮影の仕方」を教わった。

Img_3180

この町並みのジオラマだけでなくほかのジオラマもテレビ局が撮影に来たりもしているのだそうだ。どんな風に使われているのかは実際に見たわけじゃないのでよく分からなかったけれど、しっかりと検証された史実に基づいて、おそらく日本のトップレベルの技術を持って作られたジオラマなのだ。

教わったとおりにとったのがこの写真。(ろうそくのようなものの×印の前にいる人は何をしているんだろう?)

とり方を教わったらみんないっせいにカメラを構えてあれやこれやと写真を撮り始める・・・
まさか、博物館で撮影会になるとは思ってもいなかったが、「後でみんなで発表会をしようか」などとも話が膨らんでくる。
Cosもせっせとったのだが、暗いのでどうしてもぶれてしまい、それなりに取れたものの方が少ないかも。

以前、ソフトを使って実写をミニチュア風に見せるとり方を試していた友達がいて「ミニチュアらしくとるのには周囲のピントをぼけさせること」(といったようなことを)いっていたと思うのだが、実際にとって見ると確かに周囲のピントがずれているといかにもミニチュアのように見える。

今度もう一度行ったら他のジオラマもこうやってとってみよう。
色合いがちょっと違う感じがするから修正が必要だろうけれど、修正してしまえば「昔の生活」としてどこかで展示されている写真のように見えるかもしれない・・∥xx;∥☆\(--メ)

この部屋の最後にやったのがささら(なんとかささらだったのだが忘れた)の実演。

Mvi_3191_0001
この手に持っているものをみんなで鳴らして遊んだのだ。
なかなかうまく鳴らなくてみんな悪戦苦闘。
最後には大人もみんなやり始めて・・・

と楽しく遊んで第2室が終了。

幸いなことに第3室はリニューアルの工事中で見ることができない(オープンしていたらどうなることやら・・・)
「これで半分終わった」と時計を見たらもう2時間近くここにいる・・・・
当初の予定では
「余裕があったら佐倉市美術館にも」と欲を出していたのだが、そんな余裕などどこにもない。
歴博がおもしろくて他へ行こうという気など起きないのだ。
これもひとえにお話がおもしろいからなのだが・・・・
だって見るだけなら次の機会にまわしてもよかったんだし・・・

と言うわけでまだ続く・・・∥xx;∥☆\(--メ)

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さくらオフ(2)国立歴史民俗博物館(その1)

さくらオフ(1)から続く

お昼ごはんを食べた後はみんなで国立歴史民俗博物館へ。
ここはもうともかく広い。
「ざっと歩くと15分あれば歩けますけれど、ケースを全部きちんと見ると8km(ぐらいだったと思う)だと調べた人がいます」と伺ったけれど、8kmって強歩会とかで歩くなら可能だけど、展示を見て歩く距離じゃないぞ!!
(第一ざっと歩くのに15分って・・・歩くだけで1キロ以上あるわけだ)
と言うほどの広さだから、今回は何も企画展がなかったのが幸いだったかもしれない。

それでも、結局閉館時間までじっくりと急ぎ足で終わりのほうはほとんど時間をかけずに見ることになってしまった。
(夜間開館があれば、もっと遅くまでいたかも∥^O^∥ )

今回は学芸員の方が一般的な解説じゃなくて、彼の見方からの解説をしてくださったのが何よりも貴重な体験だんった。
今まで何度も見たこともあるものでも新鮮な驚き、違った見方ができるようになったのがとてもうれしい。

Img_3165

たくさんの土偶が並んでいるが、この土偶はすべて復元されたもの。写真の土偶の現物は歴博が所有しているのだがここにはあえて復元したものがおいてある。
なんとなくものは何でも本物を見たいと思いがちだけれど、逆にここでは複製のほうが見るには適しているのだ。
本物であれば、その価値は計り知れないものがあるから、こんな風にむき出しで展示することはできない。

ここではこの土偶の下に支えの棒が埋め込んであるので自立しているように見えるけれど、本物であればそんな乱暴なことはできないから糸でつらなくてはならない。

ガラスケースに入って糸でつられたものを見るのとむき出しのまま(多分さわっちゃいけないんだろうとおもうけれど)触ろうとすれば触れる位置に展示してあるのと・・・
まあ、土器であれば写真を撮るのは本物でも問題がないかもしれないけれど、気楽に写真をとることができるのも同じ。

と言う話を伺った。

以前、今はなきダイノソアファクトリーで同じように実物の石ではなく軽いレプリカだからこその展示であると言う話を聞いたことがあるけれど、それと同じように複製だからこそ身近に感じることができるわけなのだ。

また、写真は撮ってこなかったけれど、縄文時代の暮らしのジオラマについても、最初は建物だけだったこと、人々の暮らしがいろいろ分かってくるにつれて建築物だけじゃなくてそこに生きている人々の暮らしのいろいろなシーンを描くことができるようになったことなども話していただいた。

おかしかったのは黒曜石の展示のところでCosが子どものころ、アスファルトの塊を見て「黒曜石」と信じていたと言う話をしたら、「このころからアスファルトは使われていたんですよ」と話してくださったこと。接着剤として使われていたのだそうだ。
アスファルトと言うと道路の舗装に使うと言うイメージしかなかったけれど、確かに融点が低いから接着剤としても使えるだろうけれど、そんなこと考えたこともなかった。

全国から出土した縄文式土器の展示のところではどこの地方が技術的に優れていたのかという話をみんなでしていたり、北海道からも縄文式土器が出土しているけれど、北海道には弥生時代がなかったとかといった話が出ていた。

銅鐸のところでは実際に鳴らして、オフに参加していた少年たちに「鳴らしてごらん」と。
最初のころの銅鐸は実際に鳴らしていたことが銅鐸の裏側を見ると分かることなども教えていただいた。
作られたころはきれいなどう色に光っていた派手な楽器だったとも。

古墳の展示のところでは
Img_3169(写真がピンボケだけどこれしかないのだ・・・_| ̄|●)
実は緑豊かなCosたちが知っている古墳の姿は作られたときの姿ではなく、作られた当時は写真のように土を持って木などは一本もなかったのだが、その後手入れが悪かったから木が生えちゃったのだとか、埴輪も最初は土止めとしての役目もあったけれど次第にいろいろな形をとるようになったなどという話(だったと思うけど間違ってないといいなぁ)を伺った。

律令国家のところでは中国から入ってきた平城京の作りとその後生活の部分である「奥」ができたとか、羅城門のところでは、まだ庶民が竪穴式住居に住んでいるような時代にこんな真っ赤なもんを作ったこと、この門の2階の部分は人が入るところではなく神域とされていたこと・・・だから羅生門のように人が入り込むことが可能だったわけなのだ・・・その後、実際の役割は変わっていったこと(どう変わっていったのかは忘れてしまった∥>_<∥ )

などなどなどなど・・・
余りに話がおもしろくて写真を撮るのも忘れていろんな話に聞き入ってしまった。
何しろこれだけ見て、話を聞いても全部で5室(そのうち第3室は工事中なので実際には4室しかないのだが)のうちたった一部屋しか終わってないのだ。
ここまでで一時間以上がたっている∥^O^∥

最初入館するときに大人も子どももワークシートを手にして入ったのだが、大人たちは話に熱中してワークシートどころじゃなくさっさとリタイアしたのに、子どもたちはしっかりとワークシートを埋めていく。
どう見ても大人よりずっとまじめだ∥^O^∥

これだけ見て歩いてもまだ1部屋しか終わっていない・・・しかも全部を見たわけでもない・・・ことに驚愕しつつ、次の部屋へ。


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さくらオフ(1)川村記念

Cosのお気に入りの美術館のひとつがこの川村記念美術館。大日本インキの研究所の一角にあるこの美術館は森の中のお城のようなところ。

オフはここに10時ごろ集合の予定だったけれど、土砂降りで強風の中、車で行った人たちから次々にメールが入る。
「早くついちゃいました」・・・∥^O^∥
電車組のCosたちは予定通り成田エアポート行きの快速電車で予定通りの時間に駅につくと今回すっかりお世話になったYさんが迎えに来てくださっていた。
(今回は何から何まですっかりお世話になってしまった・・ありがとうございますm∥_ _∥m
オフの皆さんはとなりや反対側も一台置いた向こうの車の中。
全員集合したし、もう美術館もオープンしているので、覚悟を決めて雨の中を美術館に向かう。

Img_3125今回はチケットが入手できていて\∥^O^∥/

さすがの雨で人々の出足は遅く、ほとんどどの展示室に行ってもCosたちだけだったので、本当にゆったりと心ゆくまで見ることができた。

いつものようにCosはピカソのシルヴェットにくぎづけ。
何度見てもいいなぁ。

Cosの美術の好みはちょっと変わっているらしくて、誰とでも意見の一致を見るわけではないのだが、今回参加してくださったメンバーの現代美術の好きなかたたちと「これはいい」と意見が一致するという貴重な体験をしてきた。

今回おもしろかったのはアレクサンダー・カルダーの4つの作品が展示された部屋。
もともと一部屋だった部分の入り口を仕切って、部屋の中を壁を大きくくりぬいた窓のようなところから見るようになっていて、その窓の向こうでは4つのモニュメントが飾られている。
じっと見ているとわずかな風にモニュメントは風になびいて床や壁にその影が映し出されている。
この光と影の揺らぎを見ていると、それだけで時間が流れていく。
じっと見ていないと動いているのが分からなかったりもするのだけれど、影の動き出始めて動いていることに気がついたり、ふとした拍子にすっと動いてみたり・・・静かに静かに見ていないと見えてこない。
伺ったところ、風を送っているそうなので、この目に見えない風もこの作品の一部なんだろう。

そしてマノン・ロスコーの部屋。7月から始まるリニューアルが住んだ後は別棟に移動するのだと言う。今の部屋では見納めかな。
ここはやっぱり一人で部屋の中にいるのがいいので、皆さんが他のところへ行った隙に一人でのんびりと・・・
このロスコーの赤は不思議な雰囲気。


2階の企画展は「mite見て! あなたと話して、アートに近づく」思いがけない組み合わせで展示された何枚かの絵を比べてみる。そこでどう感じるかは一人一人違っていい。
広々とした会場の割りにちょっと絵が少ない感じもしたけれど、なかなかおもしろかった。

一通り見終わって外に出てみると雨はちょっと小止みになっていたし、お昼ご飯にはまだ早かったので、ちょっとだけ庭を散策。

美術館にはかさが用意されていて、誰でも借りることができる。しかもそのかさは美術館ではなくバス停に返せばいい。
おそらくバス停と美術館の間のためのかさだと思うのだが、その傘をしっかり借りて散歩。

ここでもかたくりを発見。
Img_3132雨中を咲いた花が重そうだった。

雨が降っていたけれど、やはり庭園がよかった。
(写真がいっぱいだと重くなるのでページを変えて続けます)


続きを読む "さくらオフ(1)川村記念"

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2007.03.10

製図家の鉛筆

鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にある神奈川県立美術館で2007年3月25日まで開催されている
今日の作家XI
鷲見和紀郎/畠山直哉
に行ってきた。

それにしてもどうしてあんなに鎌倉、それも鶴岡八幡宮は人が多いのだろう。
Img_2906
この美術館のある一角は池があってそこだけが静かな池と緑に支配されていて、観光客の姿はどこにも見えない。
静かに絵や彫刻を楽しむのにふさわしい空間になる。
そこに行き着くまでが人ごみでわさわさしていて、どうにも好きになれない。
多分、駅から遠回りをして人のいない所を歩いていけばいいのだろうけれど、鎌倉まで来ると早く美術館に行きたくて、いつも人ごみの中を歩くことになってしまうのだ。


Img_2914

今回の展示のように二人の作家を同時に展示するのは展示される側にとってはかなりシビアなものがある。必ずどっちがよかったのかと誰もが考えるだろうから。

Cosは写真にはそんなに関心がなかったので、鷲見和紀郎のトップにある「《EVIDENCE》2006年」を見に行くのが第一の目的だった。
だから畠山直哉の写真・・・それも建築物の写真・・・はCosにとってはおまけみたいなものだったのだ。

実際に美術館に入ってみると最初に見るのが畠山直哉の「Draftmans Pencil」だったので、まずは建築物の写真を楽しむことにした。

ちょうどつい最近、伊東豊雄 建築 新しいリアルを見たところだったのでちょうどよかったのだ。

もともとCosの写真に対するイメージは「そこにあるものをあるがままに映し出すもの」だったから絵でも印象派がそんなに好きではないCosとしては「ありのままの姿」と言うのは余り惹かれるものがないのだ。

でも映し出されたものは「ありのまま」のものだから元がよくて、写真の腕がよければそれでいい・・というイメージしかもっていなかったのだ。

モントリオールの写真を見たときには「ふーん、おもしろいな」と言う程度だったのだが、その次の2枚組みの一枚、大阪球場の跡地に作られた住宅展示場を見たときに自分の思い違いに気がついた。

たしかに「ありのままの姿」なのである。

たしかに「リアル」な姿なのだけれど、そこからは(人間のではなく)球場の悲しみが伝わってくる。
夕暮れの中で球場の真ん中にはぎっしり住宅が並べられ、球場の周囲のいすがその建物を無人のままに眺めている。

すぐ脇では光の帯となった高速道路が走り、球場の夕暮れと対応している。
そこに人の姿はない。

2枚組みのもう1枚は住宅展示場もなくなり、周囲の座席が順に取り壊されている。
もうすぐここに球場があったとは思えなくなるに違いない。

これ以外のシリーズも一つ一つが印象深かったのだけれど、衝撃を受けたのは「ニューヨーク/世界の窓」(うえの看板の写真とリンク先の下のほうにあります)。

ニューヨークにしてはなんだかビルが安っぽい感じだなぁとか、
ビルが傾いているように見えるなぁ
などと最初は思っていたのだけれど、ある瞬間に気がついた。
このビルは実際のビルではなく、深川(へんが王で、つくりが川)にある「世界の窓」と言うところにおかれたミニチュアなのだ。
次の瞬間、Cosは自分の見ているもののサイズを変えようとあたふたとし始めることになる。
実物大の写真を見ていると思っていたのにそれは実はもっとずっと小さなものだったのだ。
そのサイズの差を修正するまでにはかなりの時間がかかった。

確かに「ありのままの写真」なのだが、Cosの目はそれを自分の都合のいいように解釈しているのだ。「見えるがまま」なのだが、それはリアルではない。

そしてもっと怖かったのが「ニューヨーク/東武ワールドスクエア」のシリーズ・・・
ここの写真はよりリアルな写真。前の写真を見て予想しなければ実際のビルを撮った写真だと思ったに違いない。
いや、「きっと本物じゃないに違いない」と思いながら見ていてもリアルサイズに見えてくるのだ。
実物の写真でない証拠を一生懸命に探し出す。

不自然なありえない角度に曲がったたった一本の窓のさん、
チラッと見るとごく自然だけれど、じっくり見るとその動きが不自然な人、
そんなものを探している自分に気がつく。

そしてこの東武ワールドスクエアの最後の一枚には模型の中に立つ人の姿。
ビルの中に立つ巨人のように見える人の姿でさえも、できれば合成写真だと思いたがる自分がいるのはとても怖かっ
この畠山直哉の建物の写真には人の姿が感じられない。
たとえばStill Lifeの写真の中には人の姿もあるのに、人の動きがまったく感じられないのだ。
たとえば東京の航空写真の作品「森ビル」は東京のビルの群れがまるでコケか何かでできている森のように見えてきて、その中で人間がダニのように暮らしているんじゃないかと思えてくるような写真。
人間の視点ではなく、ビルの視点から撮られた写真と言う感じ。

たしかに「ありのままの姿」を捉えているけれど、そこにあるのは人間ではなくて、建築物の想い。

まさに、この展覧会のサブタイトル、「Craftsmans Pencil(製図家の鉛筆)」
カメラは人間によって作られた者たちの思いを伝える鉛筆。
だがそこには人間の姿はない。

「ありのまま」を伝える写真。
ありのままのリアルとは何かを考えながらもう少し写真を見てみようか。

続きを読む "製図家の鉛筆"

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2007.03.07

ぐるっとパス2007

それまでは
「絵を見に行くこと」を楽しんでいたのだが、
「絵を見ること」自体を楽しむようになったのはぐるっとパスを買うようになってからだ。

ぐるっとパス2007は2007年4月1日から発売開始で
都内56の美術館・博物館・動物園・水族園の入場券または割引券が綴られていて2000円という値段。

有名どころの特別展は100円分の割引券がついているだけが多いけれど、人の頭越しに見るようなところじゃない美術館や博物館は常設展の入場券だけじゃなくて企画展の入場券もついていたりする。

Cosが始めてこのぐるっとパスに出会ったのは2005年の2月。
買おうと思ったら販売が1月31日で終了してしまっていたのではっきり覚えているのだ。
ちょうど春休みだったこともあって、ぐるっとパス2005を四月に早速買ってみてあちらこちらの美術館や博物館に行ってみたりした。

去年からはぐるっとパスのコミュもに参加してみんなで共同購入(50冊以上なら10%引き)をしていたりする。
Cosの場合には休みごとに一冊(有効期限は2ヶ月)使ってるかな。

ぐるっとパスを使うようになって一番変わったのは「知っている絵や展示をまた見に行く」ようになったこと。知っている絵を見るために800円なりを使うのはちょっと躊躇するけれど、ぐるっとパスなら使った分だけ得という感じがするから、自分の好きなものだけを見るために美術館へ行ったりすることができる。

逆に特別展などの割引は少ない上に混んでいるから行く前には躊躇することが多く、どうしても見たいもの以外は見ないで済ませることも多くなってきた。

なんといってもゆったりと見られる美術館で自分の好きな物をじっくりと見る楽しさを覚えてしまうと、混んでいて人の頭越しに見たり、一つの作品をじっくり見ることができない(人がぶつかってきたりする)ようなところはあんまり食指が動かなくなってしまったのだ。

時間が取れれば必ず行くところは
庭園美術館(企画展の入場券も含む)
松岡美術館(ジャコメッティの猫に会いに行こう)
ブリジストン美術館(モネかな)
科学博物館
日本未来館
西洋美術館(ここはぐるっとパス2007には入ってないのが悲しい ∥;_;∥ )
オペラシティ アートセンター(でよかったかな?)
上野動物園(行かなくてもいいと思うのだが、結局行ってる)

お金を出して企画展を見に行くときにもついでに近くのぐるっとパスの使えるところによったりするから、絵を見たりする以外の時間はほとんど取れなかったりするけれど、満ち足りた時間をすごすことができる。

今、2006年の最後の一冊を使っている最中。
次はどこへ行こうかな。

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2007.02.25

卒展

オルセー美術館の人に疲れ果てたCosは会場を出て美術館の出口に向かいながら右手に入場制限町の人々でも左手には見下ろすことのできる彫刻室があって、そこにはほとんど人がいない。

覗き込んでみたらちょっと面白そうな立体(絶対に彫刻ではない)があったので何をやっているんだろうと気になったので、入り口を見てみたら、「卒展」の文字。

そういえば都美術館にくる前、芸大の前を通ったらそこでも「卒展」の文字があったのを思い出した。大学には大学院の学生のものが展示してあるらしいけれど、この都美術館には学部の卒業制作が展示されているようだった。

入場料も無料だったし、これから世界に羽ばたく人たち(もいるはず)だから、今は無名でもこれからの作品もたくさんあるに違いないからと入ってみることにした。
やっぱりすごい量・・日本画、油絵、デザイン、彫刻、工芸・・・ざっと見て回っただけだけど楽しかった。

「芸大」というとなんだかすごそうに見えるけれど、実際に中に入ってみると確かに気を衒う作品は少なくないけれど、そうでない作品のほうがどちらかというと主流だったので見やすくてちょっと安心した。

中には「これが芸大?」と思うような作品も結構多い。かわいいだけ、どこからネタを持ってきたのか一目瞭然なだけの上に元のものよりもずっと中身がないなんていうのがあって、「芸大生といっても千差万別」を実感してほっとしたり・・・

が、中には「これは絶対にいい」というのがいくつもあった。
何年かしてこうした作家が世の中で売れるようになってくるんだろうか?
これからが楽しみだ。

大きな立体の前で本人が友達と話している会話の中で、
「お前これどうするんだ?」
「実家においておいてもらおうと思うけど、おいといてくれると思うけどなぁ・・・」

∥^O^∥
が、彼の作品はすごくいいものだったので、壊さずにおいておいてもらえるといいなぁ

ここであった作品たち、またいつかどこかで出会うことがあるんだろうか。
いいなぁと思ったものはまたであったときに「あっ、これ知っている」・・・その日が楽しみだ。

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2007.02.24

オルセー美術館展

というわけで、人の頭越しにオルセー美術館展を見てきた。

黒山の人だかりで他の人の後ろからは見えないような絵は見なかったので、ずいぶんたくさんいい絵を見逃したんだろうと思うけれど、人に押されながら見るのはもっといやだったのでまあ仕方ない。全部をのんびりじっくり見たければパリに行けばいいわけだし、その余裕がなければ人が多いのはあきらめるしかない。

特に印象派が好きという事はないけれど、やはりいい絵が多かった。
基本的には印象派ではモネが好きなんだけれど、今回はピサロの「赤い屋根、村はずれの冬の印象」がよかった。
冬というよりも晩秋といったほうがいいような感じ。小春日和もちょっと寒いぐらいの温かさを感じる絵。この絵はかなり混んでいたので、いつかどこかでもっとじっくり時間をかけて見たい一枚。

今回写真が何枚も出品されていた。19世紀の写真(プリントしたのは最近だったりするけれど)ということになると中身よりも「写真を撮る」ということ自体が大変だったんだろうな。
「これがいい」と思えるような写真はほとんどなかった。
その中でも一枚、エドワード・スタイケンの「谷への道、月光」は夜の景色の中の大きな木の向こう側に明るい月が隠れているのだろう。木の幹の輪郭が光っている。
左側に続くこの夜道を歩いていけば月が待っているに違いない。
希望が待っているようなそんな感じのする写真だった。

おかしく感じたのは画家が他の画家たちを描いた絵を集めた「芸術家の生活--アトリエ、モデル、友人」のコーナー。
黒山の人だかりを絵の中の人たちはちょっと冷笑しながら見ているかのような・・・
(あまりに人が多くてチラッと見ただけなんだけど)

印象派からちょっと離れた作風の人たちを集めた「幻想の世界へ」は面白かった。
印象派ではないので人も少なく(実際には少ないというより絵をちゃんと見ることができる程度の混雑)一枚一枚をじっくり見ることができた。
絵として面白かったのはデュヴォセルの「目の飛び出した頭蓋骨」タイトルのおどろおどろしい感じとは裏腹に、ひょうきんな骸骨がこっちを見ている。アンソールの影響を受けたのかもといったことが書いてあったけれど、確かに共通するたのしさがある。

かなりショックだったのが、ジョルジュ・ラコンプの「ベットの木枠」(リンクページの一番下にあります)
いや、芸術作品としてみる限りではショックを受けたりはしないけれど、こういうベットに寝るというのはかなりショックが大きいかもl。
Cosはたぶん、この頭のところに来るはずの「存在」が見ているようなベットに入る勇気はなさそうな気がする・・・
あんなギロッとした目と唇で見られたら行儀よく寝るしかない・・・・

あまりの混雑に心行くまで見ることができなかったのが残念(Cosは人の多いところは苦手なのだ)だったけれど、混雑にもかかわらずやっぱり行ってよかったか。
あっ、そういう人が多いからますます混むのか・・・_| ̄|●

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2007.02.22

チャペックの日

何とはなしに出掛けに寄った本屋さんで

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の文庫版を買った。

「チェコスロバキアめぐり」・・・チェコの地理は(チェコに限らずどこの地理でも)さっぱり分からない。
まあ、分からなかったら読めないというものでもないだろうからと、電車の中で読んでみた。

この本の最初はチャペックの故郷の話