2011.05.21

長谷川潔展のコンサート

長谷川潔が好きになったのは横浜美術館でメゾチントを見てからだから、急遽決まった美術展であってもやっぱり長谷川潔を見に横浜まで行ってしまうのだ。
(それにしても次は何をやるんだろう???)

今日は横浜美術館とみなとみらいホールの主催によるチャリティコンサート。
物理的、時間的には厳しかったんだけど、ついふらふらっと行ってきてしまった∥^o^∥

カザルス編曲のカタルーニャ民謡「鳥の歌」は自己をとりに託して描いた長谷川潔にぴったり。
チャリティに参加してくれた東フィルの服部さんのチェロとスクリーンに映し出された長谷川潔の版画がぴったりと息があっている感じ。
こういう所が美術展と音楽のコラボのいいところ。

コンサートの後はコンサートホールの入口のところで銅版画の実演をやっていたけれど人がすごくてCosは見るのを断念。

横浜美術館へさっさと行って今度は長谷川潔を堪能してきた。

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(ちなみにこの絵の中のジャイアントたんぽぽは実在しているのだそうだ。Cosは見られなかったけれど、今日から実際のジャイアントたんぽぽも展示されるらしい)

初期の作品で気になったのはこれ。
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木版画の持つ柔らかさがのちの彼の作品にはないまるさになっている。
Cosの知り合いの版画家の作ったものにちょっと似ているかも。

渡仏してからなくなるまで日本に帰ってくることのなかった彼は収容所に入れられてしまう。
そのことで彼の作品は転機を迎える。
あるとき楡の木が話しかけてきたのだという。
その後の彼の作品には真っ黒なメゾチントの中に透明な光があるかのようにも感じられて、ウォン・ウィンツァンさんの透明なピアノと重なるものを感じさせられた。
黒と白とでちょうど正反対なんだけど・・・・
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花瓶の後ろに水槽をおくと、鼻の中を魚たちが泳いでいるかのような不思議な絵になるのだという。
いくつかの不思議なものたちをおいた静物も実際に存在しているものなのだけど、メゾチントの中ではまるで何か意識を持っているかのように自己主張をしている。
それを見ているこちら側がウォンさんの世界のような感じ。

魚たちにどんな意味があるのかないのか・・・彼の作品の鳥は彼自身を表しているとも言うのだが、魚が何を表しているのかは説明がなかったなぁ・・・
水槽に捉えられている魚たち、自由に花の中を泳いでいるかのような錯覚を覚えるけれど、それは叶わぬ望み。
錯覚できるだけ魚たちは恵まれているのかもしれないけれど、やっぱりせつないなぁ


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2011.04.28

シュルレアリスムのチャリティコンサート

本当は今日はフレンチ・ウィンドウ展に行くのが目的だったはずなのだが、ついふらふらと国立新美術館へ。
もちろんお目当てはシュルレアリスム展のはずだったのだが、そこで見た一枚の掲示。
「シュルレアリスム展 チャリティコンサート」・・・出演は鈴木重子とウォン・ウィンツァン・・・・
ん?ウィンツァン?

彼の名前が身近になったのは東日本大震災からなのだ。
彼のファンである友達が、「インターネットで地震で被害を受けた方たちのために毎晩ライブをやってる」と聞いて、時間のあるときには聞くようになっていたのだ。
もちろん、Cosは直接的な被害を受けたわけじゃないし、電車が止まったり、計画停電があったりという程度には不便を強いられていただけ。
それでも、ピアノの演奏はどこか澄んだピアノ。
家事をしたり、他のことをしたりしながらだけど聞いていたピアノ。
それが今日突然聞けることがわかって\∥^O^∥/

ヴォーカリストはたおやかなという言葉が似合いそうな鈴木重子さん。
静かな流れるようなピアノのウォンさんとならぴったりだったかも。

公演は2回あったのだけど、1回目は時間にかなり遅れてしまって最後の方だけ聞いてからシュルレアリスム展へ。

シュルレアリスム展は今日で二回目。
前回見てよかったものをもう一度見たい、前回ちゃんと見なかったものを今度こそみたい、ということでポイントを絞って見学。
やっぱり、マックス・エルンストとかジャン・アルプとかルネ・マグリットとか・・・
ただ、不思議に思ったのは午前中に見たフレンチ・ウィンドウ展にも出品されていたビン乾燥機がこっちにも出ていたこと。
いくらレディメードだと言ってもなんとなく変な感じ。
レディメードの商品を「芸術」と言って展示するのは芸術には違いないかもしれないけれど、Cosの趣味じゃないからどっちでもいいんだけど・・・

サラッと見てからロビーの演奏会場へ。
なるべく前の席と思ったのだが、これはちょっと失敗だったかも。
スピーカーが近くて歌っている鈴木重子さんの生の声とスピーカーの音がなんとなく違和感があるのだ。
でもピアノがしっかり見てしっかり聞けたからそれはそれでOK。

2回目の最初の曲はピアノ・ソロ。
なんとなく、どことなくイヴ・タンギーみたいな曲だった。
あとから「シュルレアリスム展を見たらアブストラクトになった」のだそうだが・・・
普段はちゃんと聞いてないから意識してなかったけれど、こういう演奏もいいなぁ

鈴木重子さんの歌も「マイ・フェバリット・シングス」がなんだかとっても嬉しかった。
もともと好きな曲ではあるし、「元気をだそう、がんばろう」という感じ
もっと静かに歌うのが彼女の持ち味なんだろうけれど、今日の気分にはこっちが良かったような気がする。

そして最後のアンコールの「ふるさと」
樹木葬で必ず歌う歌。
きっと日本人の心の歌になっているんだろうな。

ふるさとが、今までのふるさとからすっかり変わってしまった方達がいて・・・
実はこの方たちだけじゃなく、日本という国がこれから変わってしまうのかもしれない岐路にたっている今にふさわしい歌かも。

・・・あぁ・・・今日は本当は4時ぐらいには母のところに行っているつもりだったのだ・・・
でも大急ぎで会場を出たのが4時。
もちろん母は怒らないけれど、その分時間が押せ押せになってしまった∥>_<∥

ま、ウォンさんに毎晩のお礼を言えたから良しとしよう。

今夜はライブがお休みだけど、また明日のライブを楽しみに\∥^O^∥/

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2010.11.07

ズービン・メータ指揮イスラエルフィル

つい先日バレエを見てきたばかりなのだが,今日はまたコンサートを聞いてきた.
値段も高いし,ストラビンスキーの春の祭典はバレエの時にも聞いたのでどうしようかとちょっと躊躇したのだが,音楽は音楽できっちり聞きたかったので,ちょっともったいなかったけれど,チケットをお願いした.

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結果から言うと,行ってよかった.
去年なんども聞いた東京フィルとは音からして違うのだ.
一つ一つの楽器の音,特に管楽器の音がずっと豊かな感じがする.
色々なテーマを奏でるオーボエはひとりの人がソロを吹いているのに,同じ学期から出ている音とは思えないほどに表情豊かだし,フルートの音は今まで聞いてきたものよりもずっと丸い.
ティンパニはカッコいいし・・・

がそれ以上にすごいと思ったのはピアニッシモの演奏.
音は確かに小さいのかもしれないけれど,しっかりと響いていて一つひとつの音が細いけれど明瞭に響いている.
ピアニッシモだから当然音は小さいのだろうけれど,「小さい音」という感じはしない.
どうやったらこんなふうに音が出せるんだろう???

曲自体も、つい先日のバレエと同じ曲なのに、「どこが」ということはうまく説明できないのだが,その表情がすごく豊かな感じがする。

そしてマーラーの巨人。これがCosのお目当てだったんだけど,とてもたのしくて,揺れ動いている心を音で表現しているかのような感じ.
よく聞くと何を考えているのかが見えてきそう.

やはりいいものはいいなぁ・・・
もう聞くチャンスはないかもしれないけれど,こんな演奏もあるんだということを知っただけでもとてもしあわせ.

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2010.11.04

奇跡の競演

ひょんな事でズービン・メータ指揮イスラエルフィル+モーリス・ベジャールバレエ団+東京バレエ団の奇跡の響演を見てくることができた.

もともとバレエなんていう華やかな世界にはほとんど関心のないCosなのだが、さすがにベジャールの名前は(名前だけだけど)知っていたし、ズービン・メータも一度は聞いてみたいところだったから思わず「行く!!」

最初は東京バレエ団の「ペトルーシュカ」
Cosの予想通りのバレエできれいだった.
金額的には問題があるけれど、バレエというのも実際に見てみるとなかなかいいなぁ・・・
音楽もいいし・・・さすがはズービン・メータ。

二つめのベジャールの「愛が私に語りかけるもの」・・・・
これがバレエ?
確かにバレエの動きなんだけど、それ以外にヨガのたくさんのポーズがあったり、男女の違いを超えた肉体の美しさを演じきっている感じの踊り.
この踊り(なんだけどリンク先が韓国語でなんと書いてあるかわからないのが不安・・Youtubeで見つけられなかったんだ・・・)

そして東京バレエ団との合同で演じられた「春の祭典」もすごかった(としかいいようがない)
たぶん、テレビでは見たことがあるんじゃないかと思うけれど、実際に見てみるとやっぱり伝わってくるものがまるっきり違う.
Youtubeを見るとその時の感動が蘇ってくるのがうれしい。

一緒に行った母は「生きているうちにこんなものが見られて感動した」と大喜び.
たぶん、もうこれを見るチャンスもお金もないだろうけれど、何者にも代えがたい貴重な体験をしてきた.

あぁ・・・音楽については・・・・あぁ・・・それどころじゃなかったのだ∥^o^∥

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2010.07.03

オーケストラ

映画を見に行く余裕ができたのかどうか自分でもよくわからないけれど,この映画は見る前から関心があったので友達の誘いに応じて見に行ってきた.

そのおかげでやっぱり睡眠時間が短くなったけれど・・_| ̄|●

ブレジネフ時代のソ連。
30年前に天才指揮者として有名になったけれど,党の方針に従わなかったためにホールの掃除夫をしてる主人公が、パリから来た一通のFAXを見ることで話は始まる.

30年前の団員を集めてパリへ行き,ゆかりのある有名なヴァイオリニストとの共演をするという話なのだが・・・

割と話は荒唐無稽.

妻はさくらを集める仕事をしているのだが,一方では結婚式、一方では共産党員の演説、に人を集めるのだ。
そして結婚式に1000人集めたら田舎に別荘を買おうと.

パリに着いた(元)楽団員たちが一斉に仕事を放り出して商売に走るのがユダヤ人を茶化しているのだと気がつくまでにしばらくかかってしまった.他にもCosなんかが気がつかないところが多々あるんだろうけれど・・・

リハーサルもサボり,ぶっつけ本番の楽団員達.
出だしはひどい音だったのに,次第にまとまり音楽が豊かになっていく.
こんなことってありえないようなぁ・・・と思いつつもチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の見事さにはまり込んでいった。

映画の中の満員のホールの人たちも、曲が始まったときには笑っていたのに,終わったときにはそれぞれに舞台に花を投げ入れている.

とそのとたん,「パリの人たちは音楽会に行く時には投げ入れるための花の準備をいつもしているんだろうか?」という疑問がむくむくと湧いてきて・・・・

映画の感想はこれと、チャイコンの見事さだったかも。

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2010.04.17

20世紀の音楽たち

みぞれまじりの雨のよる、サントリーホールに行ってきました。

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あまり・・・というよりもほとんど馴染みのない曲ばかりだったけれど,逆にそれがとても面白かった。
一緒に行った母に言わせると「曲と同じ指揮をしている」指揮者の広上淳一さん、

パリで留学する船の上でデュシャンに出会って芸術論を戦わせたというコープランド、
必ずしも前衛的な曲というわけではないけれど,そう言われて聞いてみるとつい先日見てきたデュシャンのイメージにどこか共通するものがあるような感じもする。

もっと彼の作品を聞いてみたいなぁ・・・

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2010.03.13

ロッシーニのスターバト・マーテル

2010年3月11日オペラシティコンサートホールで
指揮:アルベルト・ゼッダ
ソプラノ:イアーノ・タマー
メゾソプラノ:松浦 麗
テノール:シー・イージェ
バス:牧野 正人
合唱:新国立劇場合唱団

ロッシーニ/カンタータ「ディドーネの死」
ロッシーニ/教会音楽「スターバト・マーテル」

を聞いてきた。
この前の日曜日に聞いたのと同じメンバーなのだが、曲の深みがずいぶんと違っていたような気がする。

どちらも教会音楽だからすごく派手な部分はなく、歌い上げるという感じの曲。
じっくりと引き込まれるように聞いてきた。

なんといっても一緒に行っていた母が食い入るように聞き入っていたのは珍しいことだ。
どちらかというとCosは声楽曲は苦手なんだけど・・・・母は好きなんだなぁと。

スターバト・マーテルって、こんなに短いのか・・・
一曲が終わるのに1時間もかかったのに・・・


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2010.03.07

ぎよーむてる

「ぎよーむ」はウイリアムのこと。

というわけで
★第782回 オーチャード定期演奏会
ロッシーニ「ギョーム・テル」を聞いてきた。
チラシには「ウイリアム・テル」と書いてあって、オリジナルのフランス語では「ギヨーム」だから「ギヨーム・テル」が正しいことになるらしい。

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指揮:アルベルト・ゼッダ
ソプラノI:イアーノ・タマー
ソプラノII:松浦麗
テノール:シー・イージェ
バス:牧野 正人
合唱:新国立劇場合唱団

当初の予定ではソプラノはマリーナ・レベカだったのだが、肺炎になったので急遽変更。
指揮のゼッダはロッシーニの研究でも有名らしく、プログラムの中のメッセージでも


このオペラが執筆された言語であるフランス語で上演されるべきだ。なぜなら「ギヨーム・テル」はフランス人の詩人によって描かれたリブレットをもとにロッシーニが作曲したフランス・オペラであるからだ。カリスト・バッシによるイタリア語訳には、他ならぬロッシーニ本人が意義を唱えており、自らの最高傑作に対してロッシーニはフランス語以外の言語を認めなかったのだ。

とある。
悲しいことにCosにはフランス語もイタリア語も分からない・・・その違いがわからない・・・_| ̄|●
「ウイリアムテル」だって、よく知っている気がしていたのだが、序曲以外のウイリアムテルを聞いたのは初めて。
第一、ストーリーもよく分かってなかったのだ。

序曲は流石に何度聞いてもいいなぁ・・・ウイリアムテルと聞いた瞬間にこの曲が脳裏に響き渡るほどよく知っている曲。

が、それ以外は字幕があるものの、ストーリーがちゃんと分かってないから曲のイメージもつかめていなかったのが残念。
オーストリアの王女マティルドとスイスの青年アルノールの恋の物語でもあるらしい・・・

どんな曲だったか・・・なんだかストーリーを追うのが精一杯だったような気もするけれど、ゆったりとした曲が多かったような気がする。

今回すごく良かったのはバリトンの牧野正人。
他の3人に比べると圧倒的にうまく、引き込まれるような歌い方をしていた。
それでいて、他の人と一緒に歌うときには彼だけが目立つような歌い方ではなく、しっとりとまとまって聞こえてくるのが不思議だった。

それにしても・・ゆったりと流れるような曲・・・寝落ちしやすい曲ともいえるなぁ・・・

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2010.02.14

AIDA

アレーナ・ディ・ヴェローナとプラシド・ドミンゴのアイーダを国際フォーラムで見てきた。

オペラなんて今までに数えるほどしか見たことがないので、比較の対象があまりに少なすぎて「すごい、おもしろい」ではあったけれど、それがどの程度のものなのかはCosにはとてもとてもわからない。

でも、Cosがのめり込むように見てしまった、聞いてしまったのは確かだし、音楽として聞いているだけでもとても良かった。
(演技に関してはいいも悪いもさっぱりわからないのでCosにとっては面白かったけれど・・・よくわからない)

指揮:プラシド・ドミンゴ
アイーダ:ダニエーラ・デッシ
ラダメス:ファビオ・アルミリアート
アモナスロ:クラウディオ・スグーラ
アムネリス:ロッサーナ・リナルディ
管弦楽・合唱:FONDAZIONE ARENA DI VERONA
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誰をとっても本当にうまかった。
主役の二人のデュエットなど言葉はわからないのだが二人のそれぞれの歌が一つに絡まり合って新しい言葉、新しい歌になっているかのような不思議な感触すらあった。

奥行きのない国際フォーラムのAホールの狭さを感じさせないCGを使った背景も、最初は奥行きのなさをカバーするものだというイメージしかなかったけれど、実際に見ているうちに背景がそれ自体動きを持っていることがオペラに大きさを与えている事に気がついた。

神殿の入口が近づいていくると言った表し方も面白かったけれど、一番良かったのは最後の神殿の地下牢に閉じ込められた二人が近づく死を歌っている時、最初は高かった天井が次第に低くなってきて二人の背の高さほどになりその上では月が、星が輝き・・・その上でアムネリスが歌っている時、そして二人の命が消え、神殿が星空に変わるときだったかもしれない。


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それにしても、アモナスロ役のクラウディオ・スグーラは背が高くて、他の人達よりも頭一つ上に出ている感じ。
それがエチオピアの捕虜の集団から出てきた時の存在感の大きさにつながっていて、それがまた隠れもった王の威厳という雰囲気を漂わせていた。

そしてバレーダンサーたち・・・一瞬女性は裸で男性はスカートと思っちゃったんだけど・・・女性は(着ているけれど)これは裸をイメージしているんだろうなぁ・・

3時に始まったオペラ、終わったのが7時・・・もっと早く終わると思っていたんだけど・・・・さぁ仕事しないと・・・

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2009.12.17

だいくとこうてい

「大工と校庭」ではなくて、「第九と皇帝」なのだ。
メサイアのあとに第九・・・まさに年末らしい過ごし方と思うのだが・・・
先日メサイアを聞きに行ったことを知っている知人に
「今年は第九も聞きに行く」なんていう話をしたら・・・
「Cosさんの趣味は高尚だから」といわれてしまった・・・
う~~ん・・・


ベートーベンのピアノ協奏曲第5番皇帝

Découvrez la playlist Concerto5 avec Vienna Symphony Orchestra

弾いている人たちは違うけれど、今日もこれはなかなか良かった。
流れるように弾かれるピアノ
多分Cosはもっと激しく感情を揺さぶるような弾き方が好きなんだろうけれど、すっかり曲の中に入り込んでしまっていた∥^o^∥

この後聞いた第九のオーケストラがいまいちだったことを思うと、同じオーケストラなのにあらが目立たなかったような気がする。

第九は・・・一般公募した200人の大合唱団。
それなりの声の質。
オーケストラは殆どの楽器が下手ではないんだけど、どこかバランスが悪くて、メロディが浮き上がってこなかったり・・・う~ん・・・うまく生かしきれてなかったのが残念。
ひとりひとりの演奏はそれなりに上手いのになぁ・・・

が、聞いているうちに受け止め方が違っていることに気がついた。

これは演奏する楽しみ、歌う楽しみの表現。
楽しみながら演奏する人がいて、楽しみながら歌う人がいて、Cosのように楽しみながら聞く人がいる。
最初の二つの人たちは厳しい練習をモノにしてこの舞台に立っている。
演奏家たちはそれぞれが他の場所で演奏活動をしている人たち。
そういう人達が集まってひとつの曲を作っているのだから、Cosが普段聞いている東京フィルのようにまとまっていなくても不思議はない。

そう思うと、弦楽器の重厚さが光って見えてきた。
これはこれでなかなかかもしれない。

会場の外では今年の丸の内のクリスマスの飾り付けが始まっていた。
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それにしても・・・皇帝を聞いている間じゅう指と指の間が痛かったのだ・・・・
どうやら痛みというのは視覚に依存するような気がするなぁ・・・。

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