2021.04.14

与謝蕪村の楽しい時間

 今日は以前からの知り合いのグループと一緒に府中美術館へ。

今年の「春の江戸絵画まつり」テーマ「ぎこちない」を芸術にした画家「与謝蕪村」。

今までだって、何度となく見てきた与謝蕪村だけれど、すごい絵を描くという印象はなく、「うまいけど、そこそこいい絵」を描く人だという程度の認識しかなかった(もちろん、Cosに基礎教養がないからそう思うのであって、一つ一つの絵をじっくり見たことがないということ)173351579_4167924289908463_9182444017813

このポスターにかかれている作品はどれもかわいい系の絵で「すごいなぁ」という感想は出てこない。餅つきをしているウサギは単純な線で描かれているのに、どうしてこんなにかわいいんだろう?このウサギはこの展覧会の「顔」なのだそうだ。他の絵の賛だけど「春の海、終日のたりのたりかな」という蕪村の句にもふさわしいウサギのように感じる。

 実際にはこのウサギは夏の暑さの中、いくばくか涼しくなった夜のうちに臼で麦(だったと思う。持ちではなかった気がする)を打っているというところで、決してのんびりとした雰囲気の絵ではなかったのだが、このウサギの表情はこちらにのんびりしたものを感じさせる。展覧会の言う「ぎこちなさ」なのだろう。 

 

それに引き換え、この絵はほんわかしたというよりもきっちりとえがかれていて、たぶん絵としての完成度は高いのだろう。本物と見比べないと何とも言えないけれど、これは一応重要文化財。これはあくまで写真にとることができた看板だけど、これ以外にも何枚もの真剣に描かれた絵が展示されていて、それはさすがにそれなりの出来栄え。

 国宝の宣夏図(十宣帳から)などもそんな一枚だけど、よくよく見るとそこにある小屋の中の人物はどこかほんわかしている。この差が蕪村の面白いところなんだろうと思った。この人も「終日のたりのたり」タイプ。こうやって一枚の絵の中に二つの描き方をした部分が混じっていると、どう評価していいのかわからない。それがこの美術展のサブタイトル「ぎこちない」につながるのかもしれない。緊張感のある絵の中に一点ふっと気の抜けるところがあることで絵の世界がふわっと広がるような感じかもしれない。

 与謝蕪村を堪能した後、いっしょにいったメンバーでサイゼリアへ。ご時世ということもあって、二つのテーブルに分かれて座り、「他のテーブルとは話をしないでください」といわれたけれど、不良老年がそんなことを守るはずもない。Cosだって、生徒がいなければ平気。一緒に行ったなかにはサイゼリア初体験の方もいて、(こんな所へ行くのか?)という感じだったけれど、マグナムの白ワインを飲み、次から次へとみんなが注文するテーブルに乗りきらない料理に目を丸くし、すごくおいしいというほどではなかったけれど、コストパフォーマンスが最高の料理を次々に口にして、最後の会計では金額の安さに驚いていたのはご愛敬。

 というわけで一年以上ぶりに楽しい食事会をすることができた。これでまたしばらくはこうしたことはできなくなるんだろうけれど、こういう時間はまたほしいなぁ

 

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2021.03.28

コンスタブル展 光を描く、空気が動き出す。

三菱一号館美術館で2021年2月20日~5月30日まで開催中の「コンスタブル展」のブロガー内覧会に行ってきました。人の名前を覚えることが特に苦手(だから歴史が苦手ということもあるし、仕事柄かなり困ったりもしたんだけど)なので彼の絵は何度となく見たことがあるし聞き覚えはあるけれど、名前はたぶん意識したことがなかった気がする。言い換えると、彼の絵を見るためだけに展覧会に行ったことはないということなのだ。
 しかし、フライヤーを見た瞬間に「この人の絵は知ってる。絶対に見に行く」と決めた。

 

 本当は内覧会の日には他の予定もあり、できる限り早い時間に帰らなくてはならなかったし、他の人、例えば同時期に見てきた吉田博展であれば行くのをやめていただろう。もちろん、吉田博が良くなかったわけではない。「こんな木版画の世界があるのか・・・」と驚いたし、浮世絵ではないけれど、どこか浮世絵とも同じ空気があって、それはそれは豊かな時間が過ごせたので、Cosにとっては十分な価値のある時間だったけれど、このコンスタブルの作品の多くは光が生きていて、光を受けた空気が光っている。特に今、世界中を包んでいる重くよどんだものを動かしていきそうな空気がそこにはある。

 


(写真はすべて特別に許可を頂いたものです)

手前はイースト・バーゴルド・ハウス 1809年の初期の作品だけれど、情景の中の空気が伝わってきている。

 


右が「雲の習作」この絵がフライヤーに出ているのを見て、見に行きたくなったのだが、行くだけの価値はあった。写真には描き切れない雲が命を持っているかのような雰囲気は何度見返してもよかった。(これをモチーフにしたマグカップを買ってしまったほど) 明るい雲ではないのに、なぜか明るさがあって、どことなく期待を持たせるような雲になっているのが不思議。

 

 

 同じ時代にターナーがいなければ、コンスタブルの評価も変わっていたのだろうか。

 

確かにCos自身もターナーのほうが好きかもしれない。ターナーの描く空気も意志を持っていてとても好きだ。
この右側の「ウォータールー橋の開通式」がコンスタブルの作品、左側の「ヘレヴーツリュイスから出港するユトレヒトシティ64号」がターナーの作品。二人の描く空気の違いが感じられるだろうか。この2枚を並べて展示してあるので二人の違い、共通点などが自然にわかってくるような気がした。


そして最後の方にあったこの「虹が立つハムステッド・ヒース」
雨が上がって、空気が澄み虹が2本出ている・・・物語があるのかもしれないし、ないのかもしれないけれど、ここにもまた「これから」を感じさせる空気がある。

 

 

写真がうまく表示できない・・・このところココログの調子が今一つうまくない。

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