キリコ会館
「キリコ」と聞いて普通は何を思い浮かべるのだろうか?
Cosはてっきり「江戸切子」とか「薩摩切子」と同じように「能登切子」があるのかと思ってしまったし,わざわざの戸にまで来て「切子」を見たいわけじゃないしなぁ・・・
と思ってしまったのだ.
が・・・観光案内でもらった冊子には「おまつり・・・がどうのこうの」と書いてある.
ガラスとお祭りの関係???
と頭を捻る事になったのだが,どうやらガラスではなくお祭りに関係があるらしいとわかったので
「キリコ会館に行きたい!!」と言っては見たものの周囲の反応は芳しくない.
お祭りに関係があるらしいということだけはわかったけれど
「じゃあ,どういうところなのか?」と聞かれてもそれ以上のことは答えられるはずもなく・・・漆芸会館が隣になければ他の人達に反対されかねないところだった.
Cosにしたところでちゃんとわかっているわけじゃないから「なにがなんでも」と主張できる程でもなく,漆芸会館によったついでに・・・入ってみたのだが・・・
中に入った瞬間に三階分ぐらいはありそうな高い天井いっぱいまでにそびえているものに圧倒される.
どうやらこれが「キリコ」らしい。
確かにお祭りには関係していそうだけど,こんなに巨大なものが待ち構えているとは思いもしなかった.
縄文の頃から、大陸からさまざまな人々が渡来し、技術や文化をもたらした。さらに、「海の道」が主要交通路だった時代は、日本海沿岸各地との交流も盛んに行われ、いわば「日本海文化」の交流拠点の役割を担っていた。 さまざまな交流の中で、独自の文化を育んできた能登半島には、今も、祭りをはじめとする貴重な民俗行事が受け継がれ、「民俗の宝庫」「祭りの宝庫」と呼ばれている。その中でも、能登半島に唯一、と言われる祭りが「キリコ祭り」である。
「キリコ」とは、直方体の形をした山車(だし)の一種で、これに担ぎ棒がつけられている。切子灯篭(きりこどうろう)をつづめた呼び名で、切篭(きりこ)と書く。奥能登ではほとんど「キリコ」と呼んでいるが、中能登では「オアカシ(お明かし)」とか「ホートー(奉燈)」とも呼ぶ。
神輿のお供として、道中を練り歩き、夜には中に明かりが灯り、大きな「行灯」となる。現在は高さ4~5mのキリコが多いが、中には高さ15~16m、100人以上で担ぐキリコもある。キリコが1本だけ出る祭りもあれば、50本を超すキリコが乱舞する祭りもある。ということなのだが,こんなものは見たことがない.
こんなふうに光が入って街を練り歩いたら・・それは壮観だろうと思う.
今も能登のあちこちのお祭りで使われているというのだから、実際に使われているところを一度見てみたいものだ。人々の方に担がれた巨大な灯篭が街を海を練り歩く・・・壮観だろうなぁ・・・
キリコには字が描かれたものばかりではなくこんなふうに絵が書かれたものもある.
これだけの大きさの絵を描くのは時間もかかるし大変だろうと思う・・・・
それを何百年もつづけてきた能登の人たち・・・
今でこそCosたちがいわゆる都に住んでいて豊かな生活を享受しているようにみえても、実はこうした歴史と文化をたゆまず守り続けてきた能登の人達の方がずっと豊かなんじゃないかと・・・今日本のあちこちで文化や芸術にかける予算がどんどん縮小されてきている.
独立採算制という言葉の裏に人のこない博物館は文化財の収集や保存のために書ける費用が削られていくのだ.
「祭り」のようないわば形のないものを保存するのはこうした形のある「キリコ」だけではダメなのである.
それを担ぐ人、作る人、祭りに参加する沢山の人達がいて初めて歴史が保存されていく。
何百年にもわたって能登の人たちが守り続けてきた祭りはこのキリコだけではなく季節ごとに各戸で行われるものもあった.
これは「あえのこと」のジオラマ。
12月5日に神様をお迎えして冬の間一緒に暮らし冬が終わると神様は帰っていくというのだ。
神様をお迎えするときには二股の大根を備えて食事でもてなすというのだ。寒い寒い冬の間は神様も暖かい家の中に滞在するということなのかも.
いったいいつごろからあるものなのか・・・木ノ実をいろいろとお供えするところから、稲が作られていなかった縄文時代の名残と行ったようなことも考えられるらしいところをみるとかなり古いのだろう。
次第にやる家庭が減ってきているのは時代を考えれば当然といえば当然だけど、工やって文化が消えて行くのかもしれない・・・実際に生活している人達にとってはそんなあまっちょろいものではないだろうけど・・・
この他にも能登独特の祭りがいろいろとある.
木型のそうではかったご飯を山盛りにして食べるもっそう祭り、
巨大な鏡餅を作って周りの人がケチを付けて主人がフォローするという いどり祭り・・能登には不思議な祭りや祭りごとがいろいろとある.
同じ日本海側にある男鹿半島でもなまはげがいたりしてやっぱり古い歴史が息づいているのがちょっと不思議.海を見て通りすぎるだけだと決して知ることのできない歴史や文化を知ることができたひととき。
形のない歴史や文化を守り伝えてきた社会はまた、Cosのように新しいものが好きな人間にとっては生きていくのが厳しい社会かもしれない・・
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