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2020.11.16

東郷青児 蔵出しコレクション

 コロナ禍が落ち着いてきたように見えたと思ったら、また感染者が増え始めていた先日、SOMPO美術館の「異国の旅と記憶 東郷青児 蔵出しコレクション」の内覧会に行ってきました。感染者はまだそんなに増えていなかったのでぎりぎり間に合ったん感じかな。

 美術館は5階から始めて、4階、3階とみて最後に2階のミュージアムショップを通る感じ。新しくなってからは初めてで、中も広くなり、展示も余裕を持っていた感じ。ただ、高層の眺望がなくなったのは残念かも。

 東郷青児がすごく好きなのかと聞かれれば、そうは答えないだろうけれど、今のコロナの怖さの中で彼の絵は柔らかく、どこか安心感がある。ちょっとオーバーだけど、コロナの怖さからの避難所のような感じだったかもしれない。それに、東郷青児の絵はよく見る(SOMPO美術館が多い気がする)けれど、それだけをまとめてはみたことがなかったので、一度どこかでまとめて見て見たかったのも事実。

 しかし、こんなにたくさん持っているとは思わなかった。いかにも東郷青児という絵ばかりでなく、「こんな絵もかいていたのか」とびっくりするようなものもあった。

 

 第1章1920年代のフランス

 東郷青児が18歳の時に描いた「コントラバスを弾く」(写真はすべて特別な許可を頂いています)

 さすがに晩年の柔らかさとはかなり違っていて、若さでとがっているようにも感じられる。「こんな絵も描いたんだなぁ」と思った1枚目。

美術学校に行かず芸術家や文化人たちの集まる場所に出入りしていた彼の気持ちが伝わってくる。

それにもかかわらず、二科展に出品し、初出品で二科賞を受賞したという。

1921年から1928年までフランスに留学。


パネルの写真は1922年ごろ。フランスに留学したばかりのころ、いかにもきざな写真だけれど、よく見ると不安が見え隠れしているようにも見える。このころ書かれた「巴里の女」は不安げな表情。この1922年に描かれた作品はどことなく不安が漂っているような気がする。

しかし、たった3年の差だけれど、彼の柔らかさが画面に広がる「ラケット」(1925)

表情はまだ柔らかさが少ないけれど、彼らしい曲線と直線が描かれている。

 第2章 モダンボーイの帰国

1928年に帰国してからもこの傾向は変わらず、次第に女性が柔らかくなっていく。

 

1931年から1933年までの「二科美術展覧会出品作品の絵葉書」。「超現実派の夢No.3」以外は女たちを描いているが、まだ柔らかくとろけ切った女性にはなっていない。

女性たちがとろけるのは

第3章イメージの中の西洋(1935-59)

奈良の仏像を取材して描いたという「舞」、有名な「赤いリボン」などの、柔らかい曲線でできた彼の想う女性たち。私がイメージする「東郷青児」はこんな絵かな。

写真は「赤いベルト」

 実際のところ、こんな絵ばかり描いていたような気がしていたけれど、今回の展示ではそうでない絵もたくさんあった。

第4章 戦後のフランス(1960-78)

このころから性的対象としての女性(と私には思えた)だけでなく、現実の人々の姿を描くようになった。

「母と子a」と「母と子b」

生きることにつかれてしまったかのような女性のつらさを彼の持つ柔らかさの中に加えている感じがする。

4階で展示されている同じ時期の作品にはそれまでと同じような柔らかさといとおしさで描かれている作品もあり、こちらの方が彼らしいという感じはするけれど、その中にもつらさが含まれているような気がしてきた。

(実際には違っていると思うけれど)痛みなど知らないいわゆる「モダンボーイ」から東郷青児美術館を作り美術界の大御所となった彼の絵がすごく好きになったということはないけれど、年齢とともに変化していく姿を見ていると、彼を少し見直すことができてよかった。

 

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