典雅と奇想・・・先の見えない時代
泉屋博古館分館で「典雅と奇想 明末清初の中国名画展」(2017年11月3日~12月10日)の内覧会に参加してきました。なお、写真は美術館より特別の許可をいただいています。
明末清初といわれる時代・・・・明王朝がが16世紀半ばから衰退し始めると同時に江南諸都市を中心として経済は大きく発展し、都市文化が爛熟していく時代なのだという・・・先の見えない時代という点では今と似ているのかもしれない。
今回の泉屋博古館での展示にはいいものが多いのだそうだ。
最初に目に付くのが2枚の徐渭(じょい)の「花卉雑画巻」1575年のものと、1591年のもの。この2枚が並んで展示されるのは初めてと解説をしてくださった板倉先生。
徐渭は奥さんを殺害した罪で6年間(短いなぁ)の獄中生活を送ったという。そういう気性の激しい人が書いたとは思えないようなあっさりとした感じの絵。
手前にあるのが東京国立博物館所蔵のもので、釈放されてすぐの55歳ぐらいのときのもの。奥にあるのがよくは見えないけれど泉屋博古館所蔵の晩年のもの。前期展示ではCosなどにどう違うのかよく分からないけれど、前半、中半(問う居国立博物館所蔵のもののみ)、後半で展示替えをやるので、後期には療法に魚の絵が出てくるはずだから、そうすると見分けやすいかもとは、今回も解説してくださった板倉先生の言葉。
今回の展示は展示替えがおおいどころか、中には毎日のように展示するページを変えたり、そこまで行かなくても毎週変えるものが何枚もあるのだという。そんな話を聞いて、「パスポートとか、定期券とかはないんですか?」と聞く人もいた。中国画がすごく隙だったらそうしたいかもしれないな。
こんな風に絵は典雅(?)だけど、人物が典雅じゃない絵から始まった明末清初の中国画だけど、「奇想」になるのはこの次のⅡ明末奇想派のところ。
この左側の絵は米万鍾(べいばんしょう)の柱石図(根津美術館)。絖本という光沢のある生地に描かれているのだが他のと比べてその違いは見えるだろうか。
この向こう側の絵もとても面白い。もしかしたら中国にはこんな景色があるのかもしれないとも思うけれど、この時代の人たちが想像を働かせて書いたのだとすればそれは中国風のファンタジー。
その奇想の流れは清初に入っても残っていて、正統派の王原祁(おうげんき)の「倣原四大家山水図」(ほうげんしたいかさんすいず)(京都国立博物館)などは左側の1枚目は普通の絵だけれど右に移るにつれダイナミックになってきて、最後の一枚などは「どうなっているんだろう」状態。
よく見てみると墨だけではなく色も入っていることに気がつく。山水画なので、華やかなという感じにはならないけれど、どこかほっとする雰囲気。
中国画はかっちりとした雰囲気ばかりのような気がするけれど、中にはこんなほっこりする絵も。
今回の展示でもこの絵は人気があっていつも誰かしらがこの絵のところにいた。これは八大山人の「安晩帖」の第九図「猫児図」。この案晩帖は展示替えが多く、毎日のように違うページが展示される。この猫は11月18日と19日に展示されるはず。Cosとしては12月1日から3日まで展示される小魚図を見たいのだが・・・
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