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2017.11.16

典雅と奇想・・・先の見えない時代

泉屋博古館分館で「典雅と奇想 明末清初の中国名画展」(2017年11月3日~12月10日)の内覧会に参加してきました。なお、写真は美術館より特別の許可をいただいています。

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                    静嘉堂のフライヤーの猫がこの魚を狙っているとか・・・とも


明末清初といわれる時代・・・・明王朝がが16世紀半ばから衰退し始めると同時に江南諸都市を中心として経済は大きく発展し、都市文化が爛熟していく時代なのだという・・・先の見えない時代という点では今と似ているのかもしれない。

 今回の泉屋博古館での展示にはいいものが多いのだそうだ。

 最初に目に付くのが2枚の徐渭(じょい)の「花卉雑画巻」1575年のものと、1591年のもの。この2枚が並んで展示されるのは初めてと解説をしてくださった板倉先生。

 徐渭は奥さんを殺害した罪で6年間(短いなぁ)の獄中生活を送ったという。そういう気性の激しい人が書いたとは思えないようなあっさりとした感じの絵。

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 手前にあるのが東京国立博物館所蔵のもので、釈放されてすぐの55歳ぐらいのときのもの。奥にあるのがよくは見えないけれど泉屋博古館所蔵の晩年のもの。前期展示ではCosなどにどう違うのかよく分からないけれど、前半、中半(問う居国立博物館所蔵のもののみ)、後半で展示替えをやるので、後期には療法に魚の絵が出てくるはずだから、そうすると見分けやすいかもとは、今回も解説してくださった板倉先生の言葉。

 今回の展示は展示替えがおおいどころか、中には毎日のように展示するページを変えたり、そこまで行かなくても毎週変えるものが何枚もあるのだという。そんな話を聞いて、「パスポートとか、定期券とかはないんですか?」と聞く人もいた。中国画がすごく隙だったらそうしたいかもしれないな。

 こんな風に絵は典雅(?)だけど、人物が典雅じゃない絵から始まった明末清初の中国画だけど、「奇想」になるのはこの次のⅡ明末奇想派のところ。

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 この左側の絵は米万鍾(べいばんしょう)の柱石図(根津美術館)。絖本という光沢のある生地に描かれているのだが他のと比べてその違いは見えるだろうか。

 この向こう側の絵もとても面白い。もしかしたら中国にはこんな景色があるのかもしれないとも思うけれど、この時代の人たちが想像を働かせて書いたのだとすればそれは中国風のファンタジー。

その奇想の流れは清初に入っても残っていて、正統派の王原祁(おうげんき)の「倣原四大家山水図」(ほうげんしたいかさんすいず)(京都国立博物館)などは左側の1枚目は普通の絵だけれど右に移るにつれダイナミックになってきて、最後の一枚などは「どうなっているんだろう」状態。

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 よく見てみると墨だけではなく色も入っていることに気がつく。山水画なので、華やかなという感じにはならないけれど、どこかほっとする雰囲気。


 中国画はかっちりとした雰囲気ばかりのような気がするけれど、中にはこんなほっこりする絵も。

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 今回の展示でもこの絵は人気があっていつも誰かしらがこの絵のところにいた。これは八大山人の「安晩帖」の第九図「猫児図」。この案晩帖は展示替えが多く、毎日のように違うページが展示される。この猫は11月18日と19日に展示されるはず。Cosとしては12月1日から3日まで展示される小魚図を見たいのだが・・・







 



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2017.11.09

川合玉堂展 -四季・人々・自然ー

 先日、山種美術館の「【特別展】没後60年記念 川合玉堂 -四季・人々・自然ー」 展の内覧会に行ってきました。この記事の写真は全て許可を受けて撮影したものです。

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             この写真は会場の入り口。川合玉堂作 「春風春水」(山種美術館所蔵)をパネルにしたもの。

まさにサブタイトルにある「四季・人々・自然」を描いている一枚。このパネルと実際に絵を比較するのも面白かった。こうやって写真で見るとそんなに変わらない気がするけれど、実際にはやわらかさや暖かさが違っていたような気がする。
 たぶん、表装の有無や種類によっても感じ方が違うんだろうな。

 川合玉堂は自然を描いた作品を得意としていたという。自然が大好きなCosにとっては大好きな一人。奥多摩の御岳にある「玉堂美術館」は何度かドライブしていったことがある。比較的小さな美術館なので、「堪能した」というには展示してある絵が少ないのだが、今回は山種美術館でじっくりと楽しむことができてとてもよかった。


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                     川合玉堂作「猿」 山種美術館

 玉堂は猿を好んで描いたという。写生した作品などもあるけれど、この猿の表情には猿に対するやさしさに満ちているような気がする。下の猿はがけを登り、上の猿はそれを見ているが、この表情からは見守っているかのようにも見える。向こうの山までは遠く、広々とした空間が広がっていることを感じさせる。昭和30-31年ごろの作ということだから、奥多摩だろうか、下は谷川なのかなぁなどと見えていない部分にも景色が広がってくる。

 

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                   川合玉堂 紅白梅 玉堂美術館

 

 尾形光琳の「紅白梅図屏風」(MOA美術館)をはじめとする琳派を強く意識した作品なのだそうだが、幹のたらしこみなど画風を真似ているのかもしれないけれど、この生き生きとした植物らしさ(というのかな?)は自然を愛する玉堂ならではの感じもしている。この写真では分からないけれど、シジュウカラの姿も愛らしい。この作品は山種美術館のオリジナル和菓子の「東風(こち)」にもなっている。「紅白梅」をモチーフにしたこしあんのあっさりした甘さのお菓子。

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              特別展に合せたオリジナル特製和菓子。左の奥が「東風」


左手前が千寿(せんじゅ)といってつがいの鶴のモチーフ。夫婦円満を象徴する絵だそうだけれど、中が黄緑色の柚子あんでとてもおいしかった。中央が黒砂糖風味の大島あんの里の秋。どれも絵を見終わった後、のんびりゆっくりと優雅にいただきたいお菓子たち。優雅にする時間がどこかで取れればどんなにいいか・・・

 結局のところ、時間をゆったり使うことのできないCosはせめて絵だけでもゆったりと見たいといつも思うのだけど、結局時間に追われてしまって貧しい時間の使い方に終始してしまうのだが・・・

 

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                  川合玉堂 早乙女 山種美術館

 気を取り直して、Cosが「田植え」とか「早乙女」とかといわれた瞬間に脳裏に浮かぶのはこの絵。

 年中行事の民俗学の授業の中で、旧暦の4月8日に山の神が下に下りてきて里で他の髪になる。そのときに早乙女が田植えをして・・・という話しだったときにもこの絵が脳裏に浮かんだ。

 戦争のさなかに描かれたこの絵は玉堂の戦争に対する考え方をはっきりと示している。彼は戦争中でも戦争を賛美する絵は描かず、文部省戦時特別美術展にも直接的な絵は出品しなかった。

 

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                   川合玉堂 荒海 山種美術館 

 この荒海は玉堂71歳のときの作品で文部省戦時特別美術展に出品したもの。戦争という激動の時代に何を思って描いたのだろう。

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                  川合玉堂 水声雨声 山種美術館

 静かな静かな水の音だけが聞こえてくるこの作品は同じように自然を描いたコローと共通したものがあるような気がする。玉堂はコローのような光を描いているわけではないので、それが何なのかはよく分からない。描かれている二人の農婦も口を開かずに仕事に向かっているのだろうか。

 たぶん、玉堂の自然とこの静けさが好きなんだろうな。

 

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                  川合玉堂 松上双鶴 山種美術館

 玉堂が山種美術館の創立者山﨑種二の長女の結婚祝いに贈った作品。上のほうに写真のある和菓子の千寿となった作品。松の上に2羽の鶴がいるという縁起のいい伝統的な吉祥の画題なのだそうだ。

 明治学院大学の山下祐二先生の見所の紹介の中で、川合玉堂が橋本雅邦の元で作風や画法を学んだ「白雲紅樹」(東京藝術大学大学美術館)と川合玉堂の「渓山秋趣」(山種美術館)を比較した。

 雅邦の絵は中国の絵の影響が大きいけれど、玉堂の絵になるとそこここに日本らしさが漂ってくる。

 川端龍子、川合玉堂、横山大観の3人が山崎種二が希望して行われた「松竹梅展」の話を聞くと、この前の特別展が川端龍子で、次が川合玉堂、そして次回の特別展が横山大観(2018年1月3日(水)~2月25日(日) 山種美術館)というのも納得できる気がする。残念ながら川端龍子の時にはいけなかったけれど、横山大観の時には親交と違いについてみてくるのも面白いかもしれない。




 




 

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2017.11.06

あこがれの明清絵画

静嘉堂文庫美術館(http://www.seikado.or.jp/)の2017年10月28日(土)~12月17日(日)の「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」の内覧会に行ってきました。写真は全て静嘉堂文庫美術館様より許可をいただいて撮影したものです。

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 日本絵画さえよく分かってないCosだけど、若冲や応挙などの日本画を見ていると、、中国の風景が描かれていたりすることがよくある。この後で見に行った、山種美術館の河合玉堂展でも川合玉堂作「赤壁」(青梅市立美術館)も蘇軾の「赤壁賦」を主題にしているとのこと、今の日本では今の中国絵画にあこがれる人はごく少ないだろうけれど、かつては日本にとっては憧れの大陸であったことは間違いない。
 今回は静嘉堂だけでなく、泉屋博古館の「典雅と奇想」ともコラボしている(こちらも行ってきたので、後日アップする予定)。
 中国絵画ということを意識しての展覧会は見に行ったことがないような気がする(もしかしたら意識せずに「山水画」を見に行ったことはあるかも)。ただ、東博などで中国絵画を見ると、日本画よりもいいんじゃないかと思うことが何度もあったので、気にはなっていたところに、今回の展覧会「あこがれの明清絵画」があったというわけなので早速行ってきたわけだ。
 上のフライヤーの猫は沈南蘋の「老圃秋容図」。、日本の猫とはかなり違う感じがするけれど、とても生き生きとしていて見事だったのだが、せっかくの内覧会で写真撮影の許可はいただいたのに、自分でとった写真はいまひとつだったのがとても残念。
 会場ではこの絵を模本(でいいのかな?)とした谷文晁派の「沈南蘋筆老圃秋容図粉本」も展示されていて、こちらはなぜか日本の猫になっているのがとても面白かった。これは板倉先生たちが調査中に見つかったものなのだそうだ。

P1040954_2                   「虎図」を前に解説する板倉聖哲先生

 写真の中央は初公開の「虎図」16世紀前半の作で、けがきの表現が若冲などに通じるものがあるとは、今回のギャラリートークをしてくださった東京大学東洋文化研究所・情報学環教授板倉聖哲先生(写真で見上げている方)からうかがった。これは日本の虎の絵に通じるものがあるということで、じっくりと見てきた。虎の表情が・・・本当の虎ではなく、日本画のなかの虎・・・絵の中でよく知っている顔だった。
 いつかこの虎の顔と日本画の虎を比較してみたいものだ。

 面白かったのは藍瑛の「秋景山水図」と谷文晁の「藍瑛筆 秋景山水図模本」が並んで展示されていたところ。

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 模本だからもちろん模写だし、忠実に写している感じはあるのに、見比べると下部などは違っている部分もある。おそらく2枚並べないとこうした違いは見ることができないだろう。

 日本の画家たちの憧れだったというだけでなく、また見たいと思うような絵が何枚もあって、とても楽しかった。また、絖本とかきんせんといった織り方の違いで光を表現していたり、模本を描いた日本人の受け止め方で、どこを強調しているかが違っていたりした。

 残念なことに、Cosの基礎知識がなさ過ぎて分からなかった部分も多かったのだが、Takさんをナビゲーターとし、静嘉堂文庫美術館の河野元昭館長と板倉先生とのトークショーは饒舌館長と異名をとる河野館長の話がとても面白く、板倉先生が口を挟む余裕もなくしゃべり続けていてとても面白かった。(あとで、板倉先生が「河野先生にも教わっているのであまりいえない・・」と。)

 大幅に時間が伸びてしまった板倉先生のギャラリートークもCosなぞに理解できる部分は限られていたものの、中国絵画の世界が大きく広がった気がする。

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 森の中の静嘉堂文庫美術館 森を抜けていくのも楽しかった。



 



 
 

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2017.11.01

いつの間にか秋

 去年の四月、放送大学に入ってあっという間に1年半。「教える」ことに比べてなんと「教わる」のは楽なんだろうと痛感はしたものの、相変わらず予定通りには進まない。

 「これだ!」とのめり込むほどのものはまだ見つからないので、だらだらと内職をしながら日々を送っているところかな。

 だらだらとwebを見てあるいていたら、東洋経済で一年以上前の去年の10月のこんな記事を見つけた。
 実際問題として、こういう生徒たちを以前教えていたわけだし、この子達の多くが大学に進学していってしまう・・・Cosの教えていた生徒のかなりの部分は分数も分からない。しかもかなりの生徒が大学に進学していく。・・・・
 今大学では十分に高校の内容が理解できていない生徒に対して、補習的な内容の授業を行っているところが少なくない。本来は高校生の取る単位であるはずなのに、大学の卒業要件を満たす単位になっているというわけだ。
 今学んでいる放送大学は「教養学部」なのでそれでいいのかもしれない。
 最近気がついたのだが、「教養学部の○○としてはここまで」といった感じの発言を聞いて、それが学びたいと思った授業のない理由なのだ。
 というわけでサークルなどで遊びながら教養を身につけよう。・・・たぶん・・・
 

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