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2013.10.15

三内丸山遺跡~~その2~~

 前日はギリギリの時間に行って、発掘現場などという思いもよらぬものを見てしまった翌朝、再びオープンの時間に合わせて三内丸山遺跡へ。
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 前日は目の前にあるものを見るだけで精いっぱいだったけれど、今日は過去に生きた人たちにおもいをはせながらの見学。
 5500年前にできた村は4000年前までの1500年間ここにあったという。1500年間といえば、今ならば奈良時代よりももっと前から続いていた感じになるのだろうか。それだけ長い時代続いてきた村に住んでいるというのはどういう感じなんだろう?
 亡くなった人たちは広い道の両側に足を道に向けて埋葬されていたという。自分が今通っている道は(彼らからすれば)考えもつかない昔からここに住んでいた(たぶん)自分の先祖が守っているという感じなんだろうか?

 朝一番のガイドツアーに参加していろいろと聞いてきた。

 ここは野球場を造ろうとして調べてみたら次から次へと遺跡が出てきて、野球場を造るのをあきらめた場所で、隣の青森県立美術館もこの遺跡の発掘のイメージをもとに建てられているともいう。(あおもり犬を見に行く時の細く狭い両側が切り立った通路はまさに発掘の現場のイメージなんだそうだ)

 遺跡公園の中に見えている青々とした草の部分はいったん遺跡を掘り出して調査したのちに保護のために埋め戻したところ。いずれはこの上にいろいろな気も茂って自然に戻っていくのだという。

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この白い建物の中に実際の遺跡がある。保護のために周りに建物を建てて湿度を保っているのだという。この白い建物の中に入ると実際の状態がどうだったのかを見ることができる。ただ、この土地は酸性のために骨が残っていない。お墓だったかどうかは残っていた脂肪酸で確認したのだという。骨が残ってないのに縄文ポシェットなどが残っているのも不思議な気がしてくる。(といってもほとんどは消えてしまっていてごくわずか残っているだけなんだろうな)


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これは大型掘立柱建物。ただし、実際に残されていたのは柱のあった穴とそこに残された木材のみ。このうわものは大林組が研究の末に「こんなんじゃないか」と作ったものらしい。この復元には当たってはこれだけの太さの木が手に入らなくて、チタから取り寄せたともいう。縄文時代にはこんなに太い栗の木がこの辺には生えていたとも。

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これが実際の穴の後。こんな穴が6個あって、それぞれが微妙に傾斜していて高い柱を立てたときに安定するようになっている(らしい)。そして穴と穴の間は4.2m。いろいろな物の間隔を測ってみると縄文時代の長さは35cmが基準になっているらしい。そしてこの穴と穴の間もその12倍。

1フィートよりも長いのはどうしてだろう?縄文人の身長は今の人たちよりもかなり低かったのだが、何を基準にして長さを決めたんだろう??そして、この柱と柱の間隔はその12倍。この12倍という数字もある程度は世界共通かもしれない。昨日見たポシェットの大きさも35cmが基準なのかなぁなんていうことを考えたりしながら・・・・・


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 あっという間に時間は過ぎ、バスの時間が来てしまった。 さんまるくんのお見送り。お約束通り泣いている小さい子供もおりました。

 今回の旅行で・・・というよりも地方に旅行をするときにはいつもこのバスの時間と列車の時間の接続の悪さで泣かされる。今回もこの次のバスでは新幹線に乗り損ねるので、新青森駅で1時間以上も暇をつぶさなくてはならないのだ。

 

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