2012.12.27

Over The Rainbowほっとするひととき

午後から時間ができたので、仕事の帰りみちに府中市美術館に行ってきました。
Over The Rainbow 展 2013年2月24日(日)まで
201212overtherainbow_004

はっきり言って「これぞ」というほどすごい作品はないけれど、夕方だったこともあって人がほとんどいなくて静かにのんびりと観賞できてとてもよかった。
作品としてもCosの好きな伊庭靖子さんのカップがいくつか展示してあったし、常設展のロビーにはゼリーを描いたUntitledもあったからそれだけでも満足だった。

伊庭さんの作品はいつもまるで写真のようなのに、写真では決して表せないものを表現している気がする。写実的に描いているように見えるのに、写実でない何かがそこにはある。
光を受けてその光を反射している陶器もゼリーも絵の具で描かれている。
絵の具で描かれた光がやわらかくてとても好きだ。

mamoruさんの作品は発想がとても面白い。
天井から氷を吊るしてその氷が解けていくときに落ちる水滴を瓶で受けてその音を聞こうとしたり、空っぽのペットボトルを並べて扇風機の風を当ててその音を聞こうとしたり・・・・どちらもあまりに音が小さくて「いいな」と思えるような音ではなかったのが残念・・・発想は面白いと思ったんだけどな。試してみなかったのかなぁ??
彼のもう一つの作品、金属のハンガーをたくさん並べて洗濯ひも(のようなもの)にかけ、やはり扇風機の風を当てるというものは金属のしゃらしゃらいう音がなんだか耳に心地よかった。

そして、数学的に面白かったのが、Rocca Spiele。紙に印刷されたカードゲームなんだけど、一つ一つのカードがまるで立方体のように見える。
これについてはまた見てこようと思っているけれど、だまし絵的な面白さがあって、とてもよかった。

もうひとつ、同じ府中市美術館の市民ギャラリーにあった、Blank・・・萩谷但馬さんの個展がとても面白かった。
20121227black_002
これだけみるとちっとも面白くないのだが、これと同じようなものがギャラリーの広い空間いっぱいに天井から床まで広がっているのだ。
床の上に置かれた部分の上を歩いて中に入ることができる。
白と黒の縞で描かれた作品は絵柄としては細かいところまで描かれているのに全体としてはとてつもなく大きい。
見た瞬間に若さと(ある意味での)無鉄砲さを感じさせられてとても面白かった。
こんなにとんでもなく大きい作品は展示される場所が限られるだろうけれど、またチャンスがあったら見てみたいな。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.13

須田悦弘展

初めて見たのはどこだったのかはもう忘れちゃったけれど「雑草」。
人の意表を突く展示の仕方にすっかり魅入られてしまったのだ。
というわけで千葉市美術館まで頑張っていってきました。
「須田悦弘展」千葉市美術館で2012年12月16日まで

20121206_001

ちょっと見ただけでは本物と見間違いそうな植物。でもよく見てみると木彫りであり、あり得ない状態にあるのだ。
この芙蓉(たぶん)の花も実際には真っ黒な漆塗りの小部屋の奥に飾られている。
P1130123
真っ黒な壁に映っている姿が見えるだろうか。花の向こう側は少し明るくなっていてそこだけが不思議な空間になっている。

が、何といっても彼のすごさは生きている花のように作品を作ることだけではない。上手というだけならほかのもうまい人はたくさんいるだろう。
一番すごいと思ったのは写真撮影ができなかった「ゆり」という作品だけど、この薔薇もなかなかのもの。
P1130134
写真の上側が実際の上。壁にこの薔薇の花が逆さに展示されている。
どこでこの花を固定しているのかじっくり見ると・・・・今にも落ちんばかりの花びらもしかり。

一階のさや堂でも4つ作品を展示している。
P1130105
これもまた不思議な設置の仕方をしている。これでどうやってバランスが取れているんだろうと思わずにはいられない。

「見せる」あるいは「見せない」ように展示してある植物をやってきた人たちは探すことになる。あっちをのぞいたりこっちを覗いたり…

さや堂にはこんなキキョウも咲いていた。
P1130099

どうも千葉市美術館にはあちこちに草が生えてきたらしく
P1130150
いすの下にも雑草が生え始めている。やはり人が通らないからだろうか。

P1130160
やはり人が通らない奥のほうでは菫も咲いていた。

ごくありふれた草が、今回はあり得ないところに咲いている。
以前21世紀美術館で見たときには雑草がありそうな所に雑草が生えていたのでごく自然のような、でも場所からいってあり得ないような咲き方をしていた。
ただ、リアルなだけじゃなく展示の仕方も遊び心満載なのだ。探す楽しさ、めでる楽しさ、そして、同時に開催されている「須田悦弘による江戸の美」も彼の遊び心が満載。
(写真の作品のうちいくつかは江戸の美にあったもの)

家から千葉まではかなり遠いし、時間に余裕がないので、必然的に見る時間が限られてしまうけれど、本当に楽しかった。
もう少し近かったら何度も遊びに行くのになぁ・・・


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.09

ブリ美ナイト

今の仕事になってから、いろいろな企画に参加できずに歯がゆい思いをしているけれど、日曜日の夜というCosでも参加できる時間の「ブリ美ナイト」・・・正しくは「ブリヂストン美術館ナイト」。
ブリヂストン美術館は今年で60年、その60周年を記念してのいろいろな企画があったし、その中でも「あなたに見せたい絵があります。」というテーマは押し付けるほどではないけれど、「さぁ、見てください」と言わんばかりでとても印象に残ったし、ドビュッシー展はもう一度彼の作品をたくさん聞いておけばよかったと思ったりもした。

「ブリヂストン美術館ナイト」をやると聞いて、しかもそれが日曜日の夜という願ってもない時間だということを聞いて、一も二もなく手を挙げたのだった・・・・・試験直前だというのに・・・

そんなこんなで本当はもっと早い時間からいって、一通り見てから参加したかったのだけど、結局あれこれしているうちに遅くなって、着いたのはもうすぐ始まろうという時間になってしまった。

最初は最初はブリヂストンの賀川さんと三菱一号館美術館の阿佐美さん。賀川さんがブリヂストンの60年を振り返る。P1130004
常設を中心とした美術館であること、いつでもここにきてなじみの絵を見ることができること・・・ある意味で生活の一部としても美術館であること。
確かに、東京駅まで行って時間があって、なおかつぐるっとパスがあれば必ず行くことにしている美術館だ。

そして、「印象派」のはずなのになぜ古代のものや現代のものまでがあるのかなんて言う話もとても面白かった。

それに引き換え、三菱一号館はまだまだ自然によれる美術館にはなっていない。出来てからあまり時間が経ってないこともあるし、常設展示がないこともあって、その時々の展示に関心がなければ行こうと思わないかもしれない。特に時間に余裕のない今はそう。
P1130005
三菱一号館美術館の阿佐美さん。
古い建物でもあり新しい建物でもある一号館について語ってくださった。

面白かったのはお二人の対談で建物の構造による展示や気を使う部分などの話。
一号館は古い建物の構造そのままなので下の階の天井から上の階の床までの距離(幅といったほうがいいのかな?)があまりないことや、天井が低いので展示する作品に制限があること

ブリヂストンも天井の梁があって、それなりに工夫しているけれど、やはり制約を受けていることなど・・・

第二部はブロガ―対談。
Cosもよく知っているおふた方と、六次元の中村さんの対談。
弧の中村さんの作ってくださった相関図が秀逸。

P1130043
また、この門外不出のセザンヌの「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」にまつわる話もとても面白かった。

シャトー・ノワールの絵はいくつもあるけれど、このサント=ヴィクトワール山と一緒に描かれたものはほとんどないこと・・・以前に一度だけ貸しだしたことがあること・・・・一枚の絵の中にもいろいろな歴史が詰まっているのだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、二階で展示を楽しむ。
さすがにところどころ人は集まっているけれど、(時間がないながらも)じっくりと見ることができた。


館内ではミニギャラリートーク。
P1130049
カイユポットとドビュッシーの関連についての話。ここにある楽譜はドビュッシーのものではなく、横に置いてある楽譜がどうやらドビュッシーの先生の作品だったらしい(だったと思った)とか、ここに描かれているピアノは当時フランスではやっていたピアノだとか、細かな光の反射の様子まで描きこまれているという話とか…
時間は短かったけれど、とても楽しい話を聞いてきた。
P1130079
そしてそのピアノを聴き入るルノアールの少女「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」。
画面から見えないところではこの二人の間に会話がありそうな雰囲気。
どんな事を話しているんだろう??

このあとちょっとだけ懇親会にも顔を出したけれど、まだテスト問題のできていなかったCosは後ろ髪をひかれながら他の方たちより一足お先に会場を出た。
外に出ると雨が降り始めていて・・・ちょっとさびしい雰囲気。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012.11.05

早朝の清水寺

ちょっと関西に行ってきた。行ってきたといってもアートを楽しみにではなくて、愚にもつかない(というとおこられそうだが)用事。昼間はそっちにかかりきりだったから自分のための時間は早朝や夜。

 ありがたいことにCosは夜行バス(3列シートに限る)は全く苦にならないので京都(目的地は京都じゃないんだが、まあ間に合うだろう)へ。朝6時半に京都について「さて、どこへ行こう?」この時間ならばどこへ言っても空いているけれど、お寺の中に入るのは難しいかもしれない。もちろん、きちんと調べていけばいいんだけれど、このところ忙しくてそんな余裕もなく、行き当たりばったり。行ってみてダメだったら「哲学の道」の散策もいいかもしれないと思いながら・・・「そうだ清水寺」

 もちろんひとでいっぱいの清水寺には何度となく行っている。たぶん、小学生の頃から来ている気がする。いつ来ても参道もお店や人でいっぱいで、騒々しい場所という印象しかないけれど、人のいない時に行けばまた違って見えるんじゃないだろうか。

P1120868
入り口(というのか?)はこんな感じ。どっしりと京都の街を見下ろしながら立っている仁王門。もちろん仁王様はいつ来ても楽しんだけれど、今まで門全体をじっくりと見たことがなかったような気がする。

P1120870
逆に門の階段からしたを見下ろしたところ。本当は向こうの方に広がっている京都の街が見えているのだが、写真にはうまく写せなかった。狛犬もなんだか楽しそうに笑っている気さえしてくる。

まあ、時間が時間だから清水の舞台には上がれないだろうなぁと思っていたのだが、なんと、こんな時間(多分6時半か7時からかな?)参拝できたのだ。


P1120891

本堂に上る前に静かな朝の空気の中で目の前の森と向こうに広がる京の町を眺めると、鳥の声だけが聞こえる。景色を眺めながら鳥の声を聞いていると静かな敬虔な気分になってくる。何も考えずにぼーとしているひとときは何ものにも代えがたい。

 本来お寺というものはこうした雰囲気の中で拝ませていただくものなんだろうな。


P1120893

振り返って本堂を見てもほとんど人はいないし、話し声も聞こえず、静寂に満ちている。とても贅沢なひとときを堪能することができた。


P1120897


清水の舞台からも京の町と森を見下ろすことができる。山にはまだ陽が差さず京の町だけを太陽が照らし出している。そこに観音様の思いが伝わっているように昔の人達は見たのかもしれない。

ここでしばらく時を過ごしておりていくとさすがに人が増えてきている。来るときには閉まっていたお店も少しずつ開け始めている。これから、Cosがよく知っているあの人で溢れかえっている清水寺の時間が始まるんだろうな。

そしてCosも俗世に戻って俗な用事を済ませに行ったのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.07.29

アラブ・エクスプレス展

「アラブ」と聞くと戦争、あるいは紛争というイメージが最初に浮かんでくる。産油国とか、イスラムとか、ベールとかといった言葉はその後から追いかけるように浮かんできて、最後はアラビアンナイトで落ち着く。

森美術館で2012年10月28日まで行われている「アラブ・エクスプレス展」はまた違ったアラブが見られるのではないかと随分前から楽しみにしていた。

アラブの現代美術P1090958

作者たちにとって「アラブ」という言葉でひとくくりにされるのはきっと意にそぐわないだろうなぁと思いつつ、それでも意識しなくても共通項を見つけようしながら見てきたような気がする。

そして、否定しようとするまいと戦争の大きな影の影響を受けた(基本的には)男性が描いているという印象を受けた。

一番面白かったのはこれ。

サーディク・クワイシュ・アル・フラージー 《私の父が建てた家(昔むかし)》
一室の壁いっぱいに描かれた人の形と両親の写真と壁にかけられたスーツ。

これは爆撃のあと父の家に残っていたものだという。

P1090965

この上に彼は黒く描かれたアニメーション・・・ちょっとケントリッジに似ている感じかも・・・が流れていく。
たぶん、彼が住んでいた頃の過去の思い出が流れていくんだと思うけれど・・・平和なアニメーション。

P1090966

こうしたアニメーションが終わったあと再びスーツと写真と巨大な人型だけが残る。
動くことのないこうしたものは過去と現在をつなぐものなんだろう。
映像として映し出すしかない過去・・・爆撃はなかったけれど、今の日本でも同じような場所がある。

そして、マハ・ムスタファの 《ブラック・ファウンテン》

P1090973

製油所が爆破されて燃え上がり、その火が続いている間に雨が降ると、こんな黒い雨が降ったのだという。
窓の向こうには平和な六本木の街が広がり、白い部屋の中で吹き上げている黒い水はすこしずつ床にも飛び散り、真っ白な床も灰色に染めている。彼等のところには言葉通り黒い雨が降ったのだ。
前にどこかで見たインクの噴水とも似たような発想かもしれないけれど、意味するところはずっと重い。

P1090974


こうやって見てみると印象に残っているのは戦争、紛争の影を色濃く残しているもの。
それが当たり前の日常の中に埋め込まているのがアラブなのかもしれないなぁ・・・・

実際にはそれは現象としてはアラブだけのことなのかもしれないけれど、意味としては等しく世界中が抱えているのであり、平和そうに見える日本だって・・・・実は同じように目には見えない黒い雨が降り・・・Cosたちを取り巻く気象も次第に荒々しくなってきている。

そうした状況の中でCosたちが未来に向かって語るべきことはこれだけなのかもしれない。

P1090995

アーデル・アービディーンの《アイム・ソーリー》

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.07.06

日本橋展

東京江戸博物館で2012年7月16日まで開催されている「描かれたランドマークの400年・・・日本橋」を見てきました。

小学校の頃、「江戸時代は五街道の起点であり、日本の商業の中心でもあった日本橋」と習ったような気がするけれど、三越と高島屋があるという以外にはほとんど関心を持たずに育ってきたのだ。

日本橋の歴史なども殆ど知らなかったので、絵を楽しむと言うよりは「日本橋」という場所について、色々と見てきた気がする。

浮世絵を見る以前にまず「えっ、」となったのが日本橋の魚河岸。
よく考えれば不思議はないんだけれど、今の日本橋を考えるととても想像が出来ない。
そしてそれがまた、人々で賑わう江戸の中心地でもあった(?)とは・・
この魚河岸も含めた日本橋を描くときの3点セットが魚河岸と富士山と江戸城というのもなんとなくピンとこない。
多分Cosの頭の中には今のビルがいっぱい立ち並ぶ場所が日本橋であって、それが過去の日本橋につながっているというのが感覚的に理解できないんだろうな。

江戸城が見える木造の橋だった日本橋は明治の終わりに石の橋に架け替えられるとなんとなく馴染みのある橋に見えてくる。
そして、川にかかった橋としてではなく、街としての日本橋が浮き上がってくると、Cosの知っている日本橋のイメージにつながってくる。

かつては川に面していることで交通の要所としてさかえ、そこから五街道がのび、物流が水上から陸上へと映るに連れて、「橋」としてではなく、「街」としての商業の中心になっていったということなんだろうなぁ・・・

なんて言うことを思いながら展示を楽しんできた。

江戸博物館の常設にある日本橋も照明を変えてすっかり明るくなっており、いま見てきた浮世絵の世界を思わせてくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.07.02

たむらしげるの世界展Ⅱ

八王子夢美術館で2012年7月16日まで。

前にも書いたような気がするけれど、たむらしげるがいいなぁとおもったのは
「ロボットの国SOS」という一冊の絵本を見た時から。

ストーリーはSFだし、絵も内容としてはそれにふさわしいものがあるくせに、描かれているのはほのぼのとしたSFの景色。
そして、前回たむらしげるの世界展を見た時に知った「ファンタスマゴリア」
ほのぼのとした異世界を旅するのにも似た不思議な時間。

201206_001

近衛からはちょっとイメージしにくいかもしれないけれど、氏はいろいろな印刷の手法に関しても実験を繰り返している。
インクジェットを使ってみたり、色のシートを貼りあわせていくような方法を使ったり、リトグラフを使ったり、果ては印刷のはずなのに、きらめくビーズのように細かいものを貼ってみたり・・・
中でも印象的だったのは初期のドットプリント。黒で印刷しているはずなのに、どこか色が見えているような気がしてくる(実際には微妙に色がついているらしい)なんていうのがあったりしても作品だけじゃなくてその表現方法も見ていて楽しい。

他の用事もあったのでそそくさと出てこなければならなかったけれど、時間に追われなければもっとじっくりと見ていたかった平和な時間。

このところそんな時間がちょっと少ないような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.05.07

アートオブコネクティング・・・田中敦子の丸と線

東京都現代美術館で5月6日までの「田中敦子 - アート・オブ・コネクティング」。

どうもCosは初期の作品が「いい」とはあまり思えない。たくさんの蛍光灯をつないで作った電気服もそうだし、たくさんのベルが時間差で鳴り、ベルの音が遠くに離れまた戻ってくるなんていう作品は、どちらかと言うと(本人の意志にはかかわりなく)奇をてらっているような印象を受けてしまうのだ。
「こんなことをやってみました」「あんなことをやってみました」という感じだろうか。

それに比べてたくさんの丸から出ている曲線が、つながったり、バラバラだったりしながら描かれている作品は逆にとても親しみを感じる。
見た瞬間に思ったのが、数学者のマンデルブローの「自然は真っ直ぐではない」という言葉を見せているような気がしたくらいだ。

たくさんの丸と曲線が彼女自身のあり方を表しているようで、心のなかを描いているようで、はたまた世界を表しているかのようでとても面白かった。


二階の窓から一階の展示室の入口のところまで太い太いチューブ(のように見える)が下がっていて、膨らんだりしぼんだりしていた。


between here and there is better than either here or there》は、タイトルの通り
バルーンによって、2階展示室の空間を1階のエントランスに引っ張り込み、隣り合った空間であることを
視覚化している。バ ルーン状の布は区切られた空間でつくられたごくわずかな圧力差によって膨らんでいるが、
2階展示室の扉を開けることで、若干の気圧変化が生じてバルーンは音を立てて収縮する。いわばこのバルーンの
内部に存在しているのは空気という物質ではなく、田中敦子が布の作品や《作品》(ベル)で表現した「現象」
なのである。


2回の休憩室の入り口のところには壁とドアが作られていて、ドアをあけるたびに太い太いチューブ・・・半径2mぐらいあるだろうか・・・しぼむのだ。
その動きはまるで食道の動きのようにも感じられて、(現実よりもずっと大きな)クジラに飲み込まれたピノキオがクジラの胃の中で見ていた動きのようにも見えてくる。
何をもってアートとするのかというのはとても難しく、かつまたすべてはアートにつながるのだからアタリマエのことでもあるんだろうけれど、見学者の何気ない行為が作品を作っているのがとても面白く、ついつい長居をしてしまって、常設展をのんびり見る余裕がなくなってしまったのはいつものとおり。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.05.05

地上の天空 故宮博物院展

 東京富士美術館は創価学会の持っている美術館で、いい絵をたくさん持っているけれど、場所がちょっと遠いので、なかなか行けない美術館の一つ。

 先日上野の等伯で見てきた故宮博物院展で気になった「地上の天空 故宮博物院展」をどうしても見たいと思っていたら、チケットを頂くことができたので一も二もなく出かけてきた。
日曜日だったこともあって場所の割には(あるいは創価学会に来た人がついでに見てたのかもしれないけれど駐車場に入ってくる車は必ずしもそうではない感じ。)人が多くてのんびり見る感じはなかったのが残念。
東博は日本の国宝や重要文化財級の一級文物ばかりで歴史的な重み、芸術的な価値の高いものが多かったけれど、こちらはきらびやかな宮廷をしのばせるようなきれいなものがいっぱい。
華やかな宮廷を思わせるようなものが多かった。

こうした華やかさにあこがれる人は多いんだろうけれど、説明文にあった故宮のしきたりの厳しさがまたとても印象的だった。
しきたりや作法を重んずることで格式が保たれている・・・それが文化を創り出しているということなのかもしれない。
普段生活している日本の現状ではしきたりや作法はどこかに消えている部分がかなりある。それが必ずしも悪いこととは思わないし、こうやって歴史は一番生活に密着した部分から変わっていくのだろうけれど、もしかしたらそうしたことも実は大切なのかもしれないと思った。

この特別展に対して、常設展は人も少なく、のんびりと楽しむことができた。
ここのコローの絵とかルノワールとかはいつみてもほっとする。
たぶん、常設のほうが時間をかけてみた気がする。見終わって外を見たら土砂降りの雨。この雨の多さ、激しさもまた、歴史の流れを感じさせるのかも。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.05.04

靉嘔 再び虹のかなたに

 「虹」という一言を聞くとついひかれてしまうのは、色、色の変化に対する興味が子供のころからあったからだろうか。

 地下から三階までの吹き抜けにつりさげられたレインボーの布地、これはパリのエッフェル塔に渡された例ボーだったとか。その根元は毎週日曜日に靉嘔がその周りにおいてあるレインボーに塗り分けられたいろいろなものを展示し直すオブジェクト・マンダラ。
 どんなことを思いながら彼は並べ直しているんだろう。一組の靴の一方のみを他の靴と置き換えて裏返してみる。置き換えることによって何が変わるんだろう? Cosにはよくわからない気がするけれど・・・

そしてそのそばには暗闇の部屋。膝の位置に張り巡らされた手すりを伝って、真っ暗な中を進むのだけど、その中を歩きながら、「もしかしたら見えないだけで、壁はレインボーなのかもしれないな」と思ってみたりもした。

ちょうどこの日はアーティストトークの日でもあり、展示を見るよりも先に彼のトークを楽しんできてしまった。
虹に塗り分ける・・・12色の虹、24色の虹、48色の虹、・・・192色になるともはや色の違いを見分けるのは難しくなってくる。しかしその192色を使って書かれた詩はきれいなだけじゃなくて、思いもこもっているように見えた。他に何を話していたのか・・・・とても面白かったことは覚えているのだが、あまりに強烈な体験があったもので、ほかのことがすっ飛んでしまった。(いったのは4月1日だったし…)

 美術館の展示室で、やってはいけないことの一つに、間違いなく縄跳びは入るだろう。
靉嘔氏の作品にかけられた一本のロープ、おもむろにそれをはずすと「縄跳びをしよう」と言い出したのだ。
縄を持たせて回させ、「さぁ、入って」と。
最初は驚いていただけだった人たちも一人入り・・・順に縄跳びを始めた。が、当然のように縄跳びの縄から抜けようとした人が、絵にぶつかった。
靉嘔氏はどうということはないとにこにこしているが、真っ青になったのは美術館員。
絵の前に身を挺して、人がぶつからないように・・・・

そしてお約束のように最後に自分も飛ぼうとした靉嘔氏が縄に引っかかっておしまいに。

エプリールフールに美術館で縄跳びなんて、できすぎだけど、これは本当の話。

 そんな楽しいアーティストトークの後に彼の作品をじっくりと見た。レインボー再び。虹に塗り分けられた作品たち。Cosが好きなのは虹の色の変化かもしれない。エリアソンの作品でもやっぱり虹の色に強く惹かれたし…
そんなこんなでじっくりと見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまって、同時に見たいと思っていた田中敦子展までは手が回りきらなかった。
(実際にはそのおかげでチケットを頂けたのでCosにとってはとてもよかったのだが…)

| | コメント (0) | トラックバック (0)