2011.10.04

磯江毅=グスタボ・イソエ

9月に入ってからの忙しさで一寸でも何かあると美術館にいけなくなってしまうひびが続いている。
どうしても見たいと思っていた「磯江毅=グスタボ・イソエ展」に行ったのも閉幕を翌日に控えた2011年10月1日。
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「真実の写実絵画を求めた」とあるけれど、以前、ホキ美術館で彼の絵を見たCosには単なる写実で済ませることのできない何かを感じたのだ。

「写実」というのはほんとうに難しいと思う。
写真に取って代わることが可能な写実であれば、絵画である必要はない。
そうした写真を取るのがどれほど難しく大変なことなのかCosにはよく分からないけれど、「写真のような」ということになれば、写真のほうがいいということにもなりかねない。

これだけ写真が発達して身近になった今、写真には決して描き得ないものをもった絵でなければ見たいと思わない。
磯江毅の絵にそれがあったかどうか・・・・Cosは彼の絵の中に所謂スーパーリアルの萌芽のようなものを感じた。

このイワシの絵も面白かったけれど、その意味では少し弱い気もする。
(いわしだし・・・∥xx;∥☆\(--メ))

Cosがオモシロイと思ったのはお皿の上に盛られた果物・・・そこに描かれている中に1つだけあるしなび始めた果物・・・一房の中の一粒だけのしなびかけたぶどうの粒・・・確かにしなびはじめているけれど、相変わらずのみずみずしさを感じさせる不思議。
ここが彼の写真に出せない絵画の良さと感じたのだ。
本当はどうなんだろう?
しなびてしまった果物じゃなくて、しなびはじめた果物のもつ雰囲気ってどうなんだろう?
そんなことを考えながらしばし彼のぶどうをじっくりと眺めてしまった。
(本当は他のところにも回ろうとも思っていた・・・・)この日は一寸風邪っぽかったので、本当は遠くまで外出しないほうが良かったんだけど、じっくりと彼の絵を堪能してしまった。
次の日から風邪で調子が悪かったのはそのせいだろうか?

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2011.09.27

羽の生えた恐竜

疑う人なんかいないと思うけれど、恐竜が好きだ。
ただ、Cosの場合にはその大きさにひかれるのではなく絶滅してしまった生物であること、その形の面白さがあって、その次にあれだけの大きい体で地上に生息していたことに惹かれる。

Cosが子供の頃には恐竜の姿は「ゴジラ」スタイルであって、小さな手で獲物を捉えていた。
それがいつの間にか頭の位置が下がって、頭から尻尾までが地面に平行にあったと考えられるようになった。
しかも今回はあの爬虫類らしい体の表面ではなく羽も生えていたのではないかといわれ始めてきているというのだ。

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Cosの子供の頃の恐竜のイメージとはずいぶんと違っているけれど、羽が生えたぶん、(羽の生え方がなんだか変な感じではあるけれど)身近な存在に見えてきたことも事実。
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骨の展示の仕方も子供の頃とは違うけれど、まだこっちのほうが馴染みがある。

石になってしまったものから、こうやっていろんな事実を掘り起こしていくのは本当に面白そう。

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ワニのように外側に向いてついていたと考えられていたトリケラトプスの前足も、なんだか自然な感じについていたと考えられるようになっている。
恐竜の皮膚の色もすこしずつわかりはじめている。
極彩色の恐竜なんていうのも面白そうだけど実際には保護色に近いものだったのかもしれない。
なんて考えてみたり・・・\∥^O^∥/

時間と共に発見されたことが増え、いろんな謎が解明され、更に謎が深まり・・・
見ているだけでなんだかワクワクしてくる。


最近は科学博物館の企画展は子供だましというか、お金を払ってみるのはもったいないような展示が多かったけれど、今回の展示に限っては子どもだけでなく大人も夢を楽しむことが出来る内容になっていた。

恐竜展の最後に、東北大震災で被害を受けた博物館の収蔵品が展示されていた。
津波を受けて泥だらけになったプレートやフニャフニャになってしまった本・・・・一旦失われてしまえば二度と元には戻らないものも少なくない。

今回はミュージアムショップでは何も買わずにそのぶんを全部(といっても大したことはないけれど)博物館の再建に向けての寄付にしてきた。
とはいえ、本当はもうティラノサウルスキティのボールペンをいただいていたのだけど・・・(いろいろとありがとうございました。職場で羨ましがられながら使ってます\∥^O^∥/ )


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2011.09.26

BIOMECANICA 異形の博物誌

茗荷谷の小石川植物園の一角にある東京大学総合研究博物館小石川分館で2011年9月25日まで行われていた河口洋一郎の「BIOMECANICA 異形の博物誌」を見て来た。
(同じ日に他にも何箇所か行ったので、それはまたおいおいかければいいと思っているけれど、今日は簡単に書けそうなこれだけ)

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このBIOMECANICAは適当に作った静物もどきではなく、きちんとした理論に裏付けられたCGから創りだされた立体モデル。

河口洋一郎 1952 年鹿児島県種子島生まれ。1976 年九州芸術工科大学画像設計学科(現九州大学)卒、1978 年東京教育大学大学院(現筑波大学大学院)修了。筑波大学助教授を経て、1998 年より東京大学教授。1975 年からCG( コンピュータグラフィックス) に着手し、世界的CG アーティストとして活躍中。その作風は成長のアルゴリズムを使った「グロースモデル」という独自世界を確立し、現在では超高精細立体視映像・演者に反応するCG 舞台空間・CG 映像に凹凸反応する立体ディスプレイ・生命体から発想する深海/宇宙探査型ロボティック立体造形の創出など、多岐にわたり拡張を続けている。2010 年、ACM SIGGRAPH にてデジタルアート分野の貢献者に与えられる“Distinguished Artist Award for Lifetime Achievement in Digital Award” 受賞。

多分CosはかれのCGを何度か見たことがあると思う。
今回見た立体のうち幾つかはCGでみたことがあるようにも思うし・・・今回のものではなくても過去に作られたCGと共通したものがある。

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博物館にいる異形の者たちはある意味で怖い。異形だからこそ博物館にいるのが似合っているんだけど、他の展示品の時を感じさせる古さに対して、彼等は未来を感じさせる新しさがあるからかもしれない。
ふとした時のひずみ、場所のひずみの中から出てきたかのような感じがする。
なんとなく、一つひとつの作品には「何故この形なのか」という必然があるようにも感じられる。
それがどんな必然なのかはCosには分からないけれど。

最初の写真と同じように外に展示されているものはもっと自然な感じがする。
あくまで異界から来た生命体としては・・・であるけれど。
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これはパーゴラ(というのかな?)から宇宙に向けて交信中の宙魚・・・
小石川植物園の緑に囲まれた平和な空間から何を発信しているのだろう。なんとなく、人間には理解出来ない哲学的なもののような気がする∥^o^∥

その宇宙では
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この細胞都市が宙魚からの連絡に聞き入っているのかもしれない。

植物苑も、博物館も、宙魚も、ぴったりと絡み合っているかのような不思議な世界で過ごしたひとときだった。

上野では恐竜が、小石川では宙魚達が、過去や未来から訪ねてきているのだ・・・


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2011.09.06

楽器博物館

浜松に行ったら一度は行ってみたかったのが「浜松市楽器博物館」
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予定では1時間ぐらいで済むと思ったんだけど、実際に行ってみたら圧倒的な量と面白さでかなり長い間見ていた(聞いていた?)ような気がする。
(そのおかげで浜松餃子のおいしい店に行く余裕がなくなったんだけど・・・)

世界中のいろいろな楽器・・・
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これはリラ・ギター。

名前だけで知っていた楽器で、たぶん何かの本に出てきたんだろうと思うけれど、こんな形だなんて思いもよらなかった。
確かに弦はギターなんだろうけれど、今のギターとは曲線の向きが逆の感じがする。
どんな音なんだろう?

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これはピュサン・・・見ているだけで笑えてくる。
ピストンがないから曲を吹くのは難しそうだけど、人々の目は龍(?)に釘付けだから、それでもいいのかも。

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これは「ンゴマ」これもやっぱり名前だけ知っていた楽器
何処で読んだどんな話だったかはすっかり忘れているけれど・・・・

いくら見ても次から次へと面白いものが出てくる。
かなり時間をかけたけれど、もっとじっくりと見る時間があると、もっと面白かったんだろうなぁ

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2011.09.04

秋野不矩美術館

本当は浜名湖にファスナー線を見に行きたかったから安い1Day浜松というチケットを取ったのだけど、「台風」。
となるとどう考えても湖の上を走る船は出航するはずがないので、チケットの変更が効かない以上、他の美術館へ。

ファスナー線を見にいっていたら、ちょっと離れているので行けなかったかもしれない、秋野不矩美術館へ。

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浜松からは遠州鉄道にのって終点まで行き、そこからタクシー。

天竜川とその支流の二俣川をわたり、更に山を登ったところにある秋野不矩美術館は趣きのある白壁と地元の天竜杉で作られている。

建物自体がそれだけで一個の美術品にもなっている感じ。
真っ白に見える壁はわらが混ざった白い漆喰の壁。
靴を脱いではいる一方の展示室の床は細く裂いたような竹で作った靴を脱いだ足に気持ちのいい素材。
もう一方はコンクリートの上になにか塗ってある感じのそざいで
展示室もそれぞれの部屋の顔を持っている。

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そして、秋野不矩の作品は・・・やっぱりインドに魅せられて何度となく通ったというだけあって、インドのものがいい。いろの使い方が何処か日本でもない、欧米でもない感じがしてならない。

何処かゆったりした大陸のリズムも感じさせる。
この不思議な色が見たくて行ってきた気もする・・・

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2011.08.29

紅板締め

「江戸から明治のランジェリー」と言うサブタイトルを見て、何を連想するだろうか?
素肌の上、着物の下に着る腰巻みたいなもののような気がしないだろうか?

国立歴史民俗博物館の企画展「紅板締め ---江戸から明治のランジェリー」
2011年9月4日まで
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どうやらこれは肌に直接つけるものではなく、肌襦袢の上に着る長襦袢に類するものらしい気がする。
そこのところが結局今ひとつ分からなかったし、着物を着るとどうなるのか、歩いたらどんなふうに見えたりするのかもよくは分からなかったのが残念。

型板と呼ばれる白く残したいところを凸に、赤く染めたいところを模様と模様が同じ位置に来るように彫った2枚の板の間に記事を折りたたんできつくきつく挟みつけ、赤い染料につけることで、凸になった部分には染料が染み込まずに模様が描ける。
折りたたんだ折り目の部分はどうしても先になって赤く残ってしまうのがわかるだろうか。
実物を見ながら「どう折りたたんだんだろう」と考えるのも面白い。

襟元、袖口、前立て(でよかったっけ?)などには他の生地を縫いつけてあったりするものも多く、この部分を着物と同じ記事にするおしゃれもあったようだ。

江戸時代には紅花から取れる染料はとても高価なものだったけれど、明治時代になって外国から入ってきた化学染料によって安価に作られるようになり、金持ちだけのものではなくなったらしい。

この紅板締めに関しては分からないこともたくさんあって、会場のビデオでは実際に染めてみた時の様子を流しているけれど、それも試行錯誤の連続だったし、今でもわかってないことがたくさんあるのだそうだ。

つい、100年とか150年前のことなのに、どうやって布を折り曲げたのかもわからないものがあり、失われてしまった技法の一つだったりするのだ。

今の着物で比較すると、これは長襦袢に当たるんだろうか?
それとも長襦袢と着物の間に着たんだろうか???

一つ一つの赤い柄の着物はそれだけでも楽しいけれど、謎を秘めた着物たちと思うと着物がニヤリと笑っていそうな気もする∥^o^∥

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伝統の朝顔

今年も佐倉の国立歴史民俗博物館くらしの植物苑へあさがおを見に行ってきました。
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朝顔は朝でないといい花が見られないんだけれど、丁度この日は雨・・・
普段なら花を見に行きたくはない天気だけれど、そのおかげで遅い時間まで咲いていてくれるのだ。もちろん雨が激しいと、戸外にある花は雨に打たれて見る影もないけれど、東屋や温室(暖かくはないけれど)にある花をゆっくりと楽しめる。

江戸時代に交配をさせて楽しんだという変化朝顔はふつうのものに比べて花がつくのが遅いので、あまり早く見に行っても「これがあさがお?」とおもえるような不思議な花もあまりなかったりもする。
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写真に取ると花の色は変わってしまう。この花の色は何色に見えるだろうか?
本当はもっとくすんだグレーに近いような色で「葡萄鼠」と呼ばれる色らしい。

こうしたグレーや茶の入った色は朝顔(に限らず普通の花でも)には珍しい色。華やかではないけれど、なんとなく江戸の渋い情緒を感じさせる色でもある。
茶、栗皮茶、濃茶・・・微妙な色の違いを江戸の人々が表した言葉。和色と呼ばれる色にはしっとりとした色が多い。そんな色の世界が朝顔の中にも待っているのだ。

この変化朝顔は変化してしまうと種が取れないので、変化した個体を出した同じ親からとった種を育ててその中から変化しやすいものを探していく(なんか表現が変)ことで変種をつくり出していくのだが、時として予想もしていなかった変化が現れることがある。
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こうやって思った花でない花・・これは「変」と書いてあるので、(変じゃなくて)変化したということなんだろうと思う。
これはおしべとめしべがありそうだから種が取れそうなので、そこから育てていけば同じ華が咲くものが出てくるかもしれない。
その確率はおそらくかなり低いだろうけれど。
めしべやおしべが変化してしまうと当然種がつかないから、そうした品種を増やしていくのは難しい。何十本に一本、何百本に一本の割合でしか変化しないものも多い。
しかも種が取れないから、毎年同じ事を繰り返して行かないと品種が消えてしまう。
ここに展示してあるものの何倍もの苗を育てているのである。
その努力の積み重ねによって、一時は消えてしまったと思われた品種が生き残っている。
消えてしまったものも多いだろうけれど・・・・


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2011.08.23

花に見る日本の美---高崎市タワー美術館

軽井沢の帰り、高崎で途中下車して寄った高崎市タワー美術館では
「花に見る日本の美」をやっていた。
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2011年8月28日まで

おそらくこれが「女性に見る」だったらCosは行かないだろうなぁ・・・
どんな絵が待っているのかあまり期待もせずに・・・でも一度は行ってみたい美術館だったので、折角のチャンスと見に行ってきたのだ。

このチラシを見てもわかるように、「わーすごい!」というようなものはなかったけれど、軽井沢美術館で穏やかなはっきりとしないバラを見てきたあとではこういういかにも日本的な花の絵もいいものだった。

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中でも横山大観記念館から借りてきた作品は大観の還暦のお祝いにみんなが送ったものが多く(全部が層だったかもしれないけれど・・)、とてもいい絵が多かった。
中でもこの速水御舟の夜桜はほとんどが墨、それも下書きなしに手早くかいた作品らしい(というようなことを学芸員の方が説明していた)夜の静寂にポッカリと浮かんで見える八重の夜桜は花としても見事だろうな。

そしてもう一点、やはり大観記念館の小川大月の「朝顔」も別な意味でとても良かった。
この小川大月という人は殆ど作品を残していないらしい。
そしてここに展示されている朝顔も、ちょっと普通の朝顔とは違っている。
朝顔の葉っぱは3つに裂きが分かれていると思っているけれど、ここに描かれている朝顔の葉っぱは5つのものがあったり、2つのように見えるものがあったり、しかも茎は短く、花は殆ど黒い。
葉っぱの形にはいろいろあるし、茎の長さは途中を切っているのだと学芸員の方の言葉・・・
そして花は濃い藍色のように見えているけれど、よく見ると中心の方は微妙に赤かったり青かったりしている・・・・
高崎市タワー美術館のページにその写真がある
えっと・・・それって変化朝顔じゃないかなぁ・・・
この花の色は黒玉と呼ばれる朝顔の色と同じだし、葉っぱの奇形や茎の短さは変化朝顔なら(何でもありみたいだから)おかしくない。
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これは黒雲という品種だけれど、縁や中心部の微妙な色の違いがわかるだろうか。
そして写真では色が薄く見えているけれど、本当はもう少し濃かったような気がする。

もちろん、このしばらく後に佐倉へ変化朝顔を見に行くから、何を見ても朝顔→変化朝顔じゃないか?と思ってしまうのだったが・・・∥^o^∥

花ごとに分けられて展示してある会場はたまに子どもが入ってきて美術館のレポートの「宿題」をやっていたりはしたけれど、混んでもいないし、人がいないわけでもないとてもいい雰囲気だった。

この日はとても暑い日だったけれど、(一応クーラーも効いてはいたし)すがすがしい時間だった。

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2011.08.20

アンリ・ル・シダネル・・・メルシャン軽井沢美術館

ずっとまえから気になってはいたけれど、距離の遠さから行ったことがなかったメルシャン軽井沢美術館が今年(2011)の11月で閉館になると聞いて、チケットを頂いたし頑張って行ってきました。

電車でいくと軽井沢は新幹線しか止まらないというのもあんまりだし、横川野駅からバスが一日に何本か出ているけれど、それだって1,2時間に一本しかない。
(新幹線だってそんなものだけど・・・∥^o^∥)
しかもメルシャン美術館はそこから更にしなの鉄道に乗って行くのでますます時間を見て行動しないと一日で行って帰ってくるのは難しい。

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というわけで高崎から新幹線に乗り、しなの鉄道に乗って行ってきたメルシャン軽井沢美術館。

行ってみるとメルシャンのウイスキー醸造所なども見学できたし、ワインも少し試飲してきたし、予想以上に展示も良かった。

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実はこの絵にはひかれるものがあったし、絵は見たことがあるのかもしれないけれど、アンリ・ル・シダネルという人は知らなかった。
「薔薇と光のフランス人画家 アンリ・ル・シダネル展」と言われても、いかにも軽井沢らしいおしゃれな絵が並んでいるんだろうと思って期待もしていなかったけれど、思っていたようなものとは全く違って、コローの静けさにも似た、静かな中にそっと入っていくような感じさえする絵が何枚もあった。
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(夕日のあたる道沿いの川 もっと森を描いたもののほうが、コローの静けさに似たカンジがするんだけど・・・他になかったので・・・)
そして「薔薇」もいわゆる普段目にするような「薔薇の絵」ではなく、何の花だか分からないけれど、雰囲気が薔薇に似ているかなという程度の花の絵で、薔薇の艶やかさを主張するのではなく、花に包まれた穏やかさを描いている感じだったかもしれない。

絵の中には見る人の緊張を強いるものは何もなく、穏やかさと静けさがなんだかとても平和に感じられた。

そうした彼の穏やかさがフランスのジェルブロワに薔薇の街を作ったのにもつながっているのだろう。(彼自身が穏やかだったかどうかは分からないけれど)
いつかチャンスがあったらちょっと行ってみたいきがする。

華やかでおしゃれな街の軽井沢ではなくて、古くからあるしっとりとした別荘地としての軽井沢にふさわしい絵。そしてそうした古い軽井沢の影がどんどん薄くなると同時にこの美術館も閉鎖されていくのかもしれない・・・

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2011.08.15

出発点としての鉄

鉄という材質は何も処理をしなければ、赤錆が発生して、いつの間にかもろく崩れていく。そんな鉄を使って作品作りをしている金沢健一。

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「鉄板という素材に本質的な美しさを見出し、加工を最小限に留めつつもその特性を最大限に引き出す幾何学的な構成の作品」というのだが、それ以上に鉄の柔らかさがかっちりと形作られた造形の中に見えるような気がする。

そして何よりも鉄板を叩く或いはこすることによって人工大理石の粉で形作られる「振動態」や鉄板を切って創り出す「音のかけら」のほうが有名なのかもしれない。

円形或いは正方形の鉄板の上に載せた人工大理石の白い粉が、鉄板をばちでこすることによって生じる唸りから(たぶん)作られる形は音の出し方、ばちの種類によって変わってくる。
平らな鉄板のように見えても、音を出したときには唸りが生じているのだから、微妙な歪みがあるんだろう。その歪みがきれいな形になって出てくるのはなんだか嬉しい。

お寺の鐘のあの唸りと同じ状態なんだろうと思うけれど・・・

その鉄板の音は「音のかけら」を叩いてみるとよく分かる。
鉄板を叩いて出てくる音は鉄琴のような単純な一つの音ではなく、叩く場所によっても微妙に音が変わる。自分の出した音を確認しながら鉄板を叩く操作はお寺の鐘の音を静かに聞いているのにも似ている。

いつかこの振動態を実際にじっくりと見てみたい。

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