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2011.08.29

紅板締め

「江戸から明治のランジェリー」と言うサブタイトルを見て、何を連想するだろうか?
素肌の上、着物の下に着る腰巻みたいなもののような気がしないだろうか?

国立歴史民俗博物館の企画展「紅板締め ---江戸から明治のランジェリー」
2011年9月4日まで
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どうやらこれは肌に直接つけるものではなく、肌襦袢の上に着る長襦袢に類するものらしい気がする。
そこのところが結局今ひとつ分からなかったし、着物を着るとどうなるのか、歩いたらどんなふうに見えたりするのかもよくは分からなかったのが残念。

型板と呼ばれる白く残したいところを凸に、赤く染めたいところを模様と模様が同じ位置に来るように彫った2枚の板の間に記事を折りたたんできつくきつく挟みつけ、赤い染料につけることで、凸になった部分には染料が染み込まずに模様が描ける。
折りたたんだ折り目の部分はどうしても先になって赤く残ってしまうのがわかるだろうか。
実物を見ながら「どう折りたたんだんだろう」と考えるのも面白い。

襟元、袖口、前立て(でよかったっけ?)などには他の生地を縫いつけてあったりするものも多く、この部分を着物と同じ記事にするおしゃれもあったようだ。

江戸時代には紅花から取れる染料はとても高価なものだったけれど、明治時代になって外国から入ってきた化学染料によって安価に作られるようになり、金持ちだけのものではなくなったらしい。

この紅板締めに関しては分からないこともたくさんあって、会場のビデオでは実際に染めてみた時の様子を流しているけれど、それも試行錯誤の連続だったし、今でもわかってないことがたくさんあるのだそうだ。

つい、100年とか150年前のことなのに、どうやって布を折り曲げたのかもわからないものがあり、失われてしまった技法の一つだったりするのだ。

今の着物で比較すると、これは長襦袢に当たるんだろうか?
それとも長襦袢と着物の間に着たんだろうか???

一つ一つの赤い柄の着物はそれだけでも楽しいけれど、謎を秘めた着物たちと思うと着物がニヤリと笑っていそうな気もする∥^o^∥

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伝統の朝顔

今年も佐倉の国立歴史民俗博物館くらしの植物苑へあさがおを見に行ってきました。
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朝顔は朝でないといい花が見られないんだけれど、丁度この日は雨・・・
普段なら花を見に行きたくはない天気だけれど、そのおかげで遅い時間まで咲いていてくれるのだ。もちろん雨が激しいと、戸外にある花は雨に打たれて見る影もないけれど、東屋や温室(暖かくはないけれど)にある花をゆっくりと楽しめる。

江戸時代に交配をさせて楽しんだという変化朝顔はふつうのものに比べて花がつくのが遅いので、あまり早く見に行っても「これがあさがお?」とおもえるような不思議な花もあまりなかったりもする。
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写真に取ると花の色は変わってしまう。この花の色は何色に見えるだろうか?
本当はもっとくすんだグレーに近いような色で「葡萄鼠」と呼ばれる色らしい。

こうしたグレーや茶の入った色は朝顔(に限らず普通の花でも)には珍しい色。華やかではないけれど、なんとなく江戸の渋い情緒を感じさせる色でもある。
茶、栗皮茶、濃茶・・・微妙な色の違いを江戸の人々が表した言葉。和色と呼ばれる色にはしっとりとした色が多い。そんな色の世界が朝顔の中にも待っているのだ。

この変化朝顔は変化してしまうと種が取れないので、変化した個体を出した同じ親からとった種を育ててその中から変化しやすいものを探していく(なんか表現が変)ことで変種をつくり出していくのだが、時として予想もしていなかった変化が現れることがある。
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こうやって思った花でない花・・これは「変」と書いてあるので、(変じゃなくて)変化したということなんだろうと思う。
これはおしべとめしべがありそうだから種が取れそうなので、そこから育てていけば同じ華が咲くものが出てくるかもしれない。
その確率はおそらくかなり低いだろうけれど。
めしべやおしべが変化してしまうと当然種がつかないから、そうした品種を増やしていくのは難しい。何十本に一本、何百本に一本の割合でしか変化しないものも多い。
しかも種が取れないから、毎年同じ事を繰り返して行かないと品種が消えてしまう。
ここに展示してあるものの何倍もの苗を育てているのである。
その努力の積み重ねによって、一時は消えてしまったと思われた品種が生き残っている。
消えてしまったものも多いだろうけれど・・・・


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2011.08.28

ちょっとばたばたしてます

あと2,3日すると落ち着くと思いますが、ちょっとバタバタしています。書きたいことも多々あるのですが・・・

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2011.08.23

花に見る日本の美---高崎市タワー美術館

軽井沢の帰り、高崎で途中下車して寄った高崎市タワー美術館では
「花に見る日本の美」をやっていた。
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2011年8月28日まで

おそらくこれが「女性に見る」だったらCosは行かないだろうなぁ・・・
どんな絵が待っているのかあまり期待もせずに・・・でも一度は行ってみたい美術館だったので、折角のチャンスと見に行ってきたのだ。

このチラシを見てもわかるように、「わーすごい!」というようなものはなかったけれど、軽井沢美術館で穏やかなはっきりとしないバラを見てきたあとではこういういかにも日本的な花の絵もいいものだった。

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中でも横山大観記念館から借りてきた作品は大観の還暦のお祝いにみんなが送ったものが多く(全部が層だったかもしれないけれど・・)、とてもいい絵が多かった。
中でもこの速水御舟の夜桜はほとんどが墨、それも下書きなしに手早くかいた作品らしい(というようなことを学芸員の方が説明していた)夜の静寂にポッカリと浮かんで見える八重の夜桜は花としても見事だろうな。

そしてもう一点、やはり大観記念館の小川大月の「朝顔」も別な意味でとても良かった。
この小川大月という人は殆ど作品を残していないらしい。
そしてここに展示されている朝顔も、ちょっと普通の朝顔とは違っている。
朝顔の葉っぱは3つに裂きが分かれていると思っているけれど、ここに描かれている朝顔の葉っぱは5つのものがあったり、2つのように見えるものがあったり、しかも茎は短く、花は殆ど黒い。
葉っぱの形にはいろいろあるし、茎の長さは途中を切っているのだと学芸員の方の言葉・・・
そして花は濃い藍色のように見えているけれど、よく見ると中心の方は微妙に赤かったり青かったりしている・・・・
高崎市タワー美術館のページにその写真がある
えっと・・・それって変化朝顔じゃないかなぁ・・・
この花の色は黒玉と呼ばれる朝顔の色と同じだし、葉っぱの奇形や茎の短さは変化朝顔なら(何でもありみたいだから)おかしくない。
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これは黒雲という品種だけれど、縁や中心部の微妙な色の違いがわかるだろうか。
そして写真では色が薄く見えているけれど、本当はもう少し濃かったような気がする。

もちろん、このしばらく後に佐倉へ変化朝顔を見に行くから、何を見ても朝顔→変化朝顔じゃないか?と思ってしまうのだったが・・・∥^o^∥

花ごとに分けられて展示してある会場はたまに子どもが入ってきて美術館のレポートの「宿題」をやっていたりはしたけれど、混んでもいないし、人がいないわけでもないとてもいい雰囲気だった。

この日はとても暑い日だったけれど、(一応クーラーも効いてはいたし)すがすがしい時間だった。

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2011.08.20

アンリ・ル・シダネル・・・メルシャン軽井沢美術館

ずっとまえから気になってはいたけれど、距離の遠さから行ったことがなかったメルシャン軽井沢美術館が今年(2011)の11月で閉館になると聞いて、チケットを頂いたし頑張って行ってきました。

電車でいくと軽井沢は新幹線しか止まらないというのもあんまりだし、横川野駅からバスが一日に何本か出ているけれど、それだって1,2時間に一本しかない。
(新幹線だってそんなものだけど・・・∥^o^∥)
しかもメルシャン美術館はそこから更にしなの鉄道に乗って行くのでますます時間を見て行動しないと一日で行って帰ってくるのは難しい。

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というわけで高崎から新幹線に乗り、しなの鉄道に乗って行ってきたメルシャン軽井沢美術館。

行ってみるとメルシャンのウイスキー醸造所なども見学できたし、ワインも少し試飲してきたし、予想以上に展示も良かった。

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実はこの絵にはひかれるものがあったし、絵は見たことがあるのかもしれないけれど、アンリ・ル・シダネルという人は知らなかった。
「薔薇と光のフランス人画家 アンリ・ル・シダネル展」と言われても、いかにも軽井沢らしいおしゃれな絵が並んでいるんだろうと思って期待もしていなかったけれど、思っていたようなものとは全く違って、コローの静けさにも似た、静かな中にそっと入っていくような感じさえする絵が何枚もあった。
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(夕日のあたる道沿いの川 もっと森を描いたもののほうが、コローの静けさに似たカンジがするんだけど・・・他になかったので・・・)
そして「薔薇」もいわゆる普段目にするような「薔薇の絵」ではなく、何の花だか分からないけれど、雰囲気が薔薇に似ているかなという程度の花の絵で、薔薇の艶やかさを主張するのではなく、花に包まれた穏やかさを描いている感じだったかもしれない。

絵の中には見る人の緊張を強いるものは何もなく、穏やかさと静けさがなんだかとても平和に感じられた。

そうした彼の穏やかさがフランスのジェルブロワに薔薇の街を作ったのにもつながっているのだろう。(彼自身が穏やかだったかどうかは分からないけれど)
いつかチャンスがあったらちょっと行ってみたいきがする。

華やかでおしゃれな街の軽井沢ではなくて、古くからあるしっとりとした別荘地としての軽井沢にふさわしい絵。そしてそうした古い軽井沢の影がどんどん薄くなると同時にこの美術館も閉鎖されていくのかもしれない・・・

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2011.08.15

出発点としての鉄

鉄という材質は何も処理をしなければ、赤錆が発生して、いつの間にかもろく崩れていく。そんな鉄を使って作品作りをしている金沢健一。

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「鉄板という素材に本質的な美しさを見出し、加工を最小限に留めつつもその特性を最大限に引き出す幾何学的な構成の作品」というのだが、それ以上に鉄の柔らかさがかっちりと形作られた造形の中に見えるような気がする。

そして何よりも鉄板を叩く或いはこすることによって人工大理石の粉で形作られる「振動態」や鉄板を切って創り出す「音のかけら」のほうが有名なのかもしれない。

円形或いは正方形の鉄板の上に載せた人工大理石の白い粉が、鉄板をばちでこすることによって生じる唸りから(たぶん)作られる形は音の出し方、ばちの種類によって変わってくる。
平らな鉄板のように見えても、音を出したときには唸りが生じているのだから、微妙な歪みがあるんだろう。その歪みがきれいな形になって出てくるのはなんだか嬉しい。

お寺の鐘のあの唸りと同じ状態なんだろうと思うけれど・・・

その鉄板の音は「音のかけら」を叩いてみるとよく分かる。
鉄板を叩いて出てくる音は鉄琴のような単純な一つの音ではなく、叩く場所によっても微妙に音が変わる。自分の出した音を確認しながら鉄板を叩く操作はお寺の鐘の音を静かに聞いているのにも似ている。

いつかこの振動態を実際にじっくりと見てみたい。

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2011.08.12

MOA美術館

山の中の何処につながっているのかわからないような道をカーナビが指示してくるのでその指示に従いながらも「大丈夫かなぁ」なんて思っていたら目の前に大きな美術館・・・(の駐車場)

あの、アットホームな箱根美術館とは違って、いかにも美術館らしい建物。

前に来たときには海側から延々と長い長いエスカレーターを登ってきたのだけれど、車だと逆に一番上から入ることになるMOA美術館。

あの長いエスカレーターも結構好きなんだけど・・・・

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これは上から見下ろしたところ。写真ではよく分からないけれど、一番下に海も見えていた。
ポーラ美術館も広かったけれど、ここも広かった。
しかも内容が二つの企画
夏休み企画 所蔵 東海道五十三次展 -江戸の旅とくらし-
追悼 人間国宝 三代 徳田八十吉展~煌めく色彩の世界~
これに平常展のコレクションがあるのだから見ごたえは十分。
(しかも、能舞台があってそこでは児童コーラスが歌っていたし・・・・)

Cosは東海道五十三次の浮世絵をパスしたのだがそれでも時間が足りないほどだった。

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今回のCosのお目当てはこれ。
陶芸にはあまり関心がないこともあってこういう作品はたぶん見たことがなかったんじゃないかと思う。
この青と緑とオレンジの色に惹かれたのだ。
思ったとおり素晴らしい青と緑と黄色だった。
色としてはCosの好きな色たちとはちょっとちがうけれど、中間色を200色以上も作ったというグラデーションがほんとうに見事だった。

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これはチラシにあったお皿だけど、この微妙な色の変化はいつまで見ていても見飽きないような気がする。
時間もあまりなかったのだけれど、2つの展示室(だったと思う)一杯に飾られた徳田八十吉の作品と彼の先祖の作品を見ただけで充分だった。
青の中の一筋の黄色い光が未来だったり平和だったり・・・
同じ作品がほんのちょっとの間に意味しているものが変わって見えてきたり、そばに寄ってみないと微妙に色を変えて塗り分けていることがわからないようなグラデーションが外に向かって開いていったり、中に向かって集中して行ったりしていた。

もしこれが都内での展示であれば、もう一回見に行くのになぁ・・・・

結局のところ常設をざっと見て、徳田八十吉をじっくり見て終わってしまった。
全部を堪能できなかったのが残念だったけれど、それがこの距離を頑張ってきてみようという意欲につながるかもしれないな。

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2011.08.11

観光地の美術館(成川美術館)

観光地の美術館に要求されるものは何だろう。
誰もがフラっと寄って、何かしら満足するものがあるようにすることなのかもしれないし、お土産物屋さん感覚でいろいろなおみやげものを用意しておくことだろうか。

きっと普段Cosたちが美術館に求めるものとは違うものが求められているのだろう。

そう思うとその要望に答えようとしているのがこの美術館かもしれない。

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企画展を見ると
* 美の巨人 平松礼二展
* 追悼 毛利武彦の世界 第1回追悼・回顧展「総集編」
* 今日の巨匠展~現代日本画の展望~

決して悪くないのである。たしかに有名な作品ばかりを集めたわけではなかったし、平松礼二は結構面白い作品だったので、そこだけを見れば、満足できたかもしれない。
(にしては料金の設定は高いけど)

でも、絵を飾ってある展示室に値札のついた作品がおいてあったり、石を彫って作られた中国の作品(決して悪くないけれど)を「秘宝」と呼んでみたり、果てはラウンジに万華鏡が展示してあって・・・・形としては凝っているかもしれないけれど中の万華鏡は決して珍しくも美術的な価値が高いようなものでもなかった・・・・

この雰囲気は観光地ならではのものかもしれない。

が・・・よく考えてみると最近の国立の美術館ですら、「コラボ企画」が横行している。
一応その時々の展示と関連を持たせてはあるけれど、時として「無理やり関連付けた」と思えるようなものもあるし、ガチャガチャが悪いわけではないけれど、ガチャガチャを置くのだって、観光地のお土産物屋さんと大差ないかもしれない。

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まあ、ラウンジからの芦ノ湖の景色は宣伝文句に違わずとても良かった。
周りを見ずにここでのんびりと景色を見ながら本を読んだりするのもそれはそれで良さそうな気もする。

せっかく行った美術館に否定的なことは書きたくないけれど、それもまた美術館のあり方なのかもしれないと思った。でも書きにくいです。

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2011.08.05

好きなんだなぁ・・・箱根美術館

箱根二日目の朝は箱根美術館からスタート。
元々はここがMOA美術館だったところで、それだけに展示のスタイルも古い感じ。
国立近代美術館の工芸館とちょっと似た感じもしているので、Cosには親しみやすかったかな。

ここは焼き物が展示してあるけれど、美術品よりも庭で有名なのかもしれないけれど、展示品の前で(たぶん)学芸員の人が次から次へと説明してくれる。

ずっと昔、縄文時代にまでも遡るいろいろな壺。そこ特徴を・・・模様の付け方から火の入り方まで熱心に説明してくれるのだ(彼のいた部屋がそういう部屋だったからなんだろうと思う)

ここにある一つひとつの作品に対する彼の思い入れがしっかりと伝わってくる。
こんなふうに愛されている美術館はたとえ小さくても、有名な作品がなくてもいい美術館だ。

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手入れの行き届いた庭もそこここに花が咲いていて、散歩をすると楽しい。
この大きな岩はどうやって持ってきたんだろう?
最初からあったのだろうか?
その周りに庭を作ったのか、庭を作ってから持ってきたのか、形を整えるために移動したんだろうか?
などなど一緒に行った友達と愚にもつかない推理が始まる。

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そして見事な苔庭。
一面に杉苔が生えている。
こどものころ、京都の苔寺で「杉苔の手入れはとても大変だ」と聞いたのを今でも覚えているけれど、その手入れの大変な杉苔がしっかりと生い茂っている。
一つ一つが杉の苗のように見える杉苔はCosの好きなこけ。
手入れが行き届いているからか、他のところで見るのよりも大きいような気もしてくる。

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そしてたくさんの山百合。
この百合達は数年前にイノシシにやられて壊滅状態になった後、子孫を残そうと頑張ってそれまで以上に増えたのだという話も伺った。
植物に意思があるのかどうかCosには分からないけれど、そう話してくれた入り口の係員の人の花に対する気持ちが伝わってくる。
「秋には真っ赤に紅葉がこうようしてきれいですよ。特に朝早い時間には落ち葉で真っ赤な絨毯を敷き詰めたようにも見えていいですよ~」
ぜひ見たいと話し合うCosたちに、
「あっ、でもお客さんが入る前にはいちゃうから・・・・」と。
彼もまたこの庭が好きでたまらない一人。

世界救世教という宗教団体の美術館(MOAもそう)だからなのかもしれないけれど、
働いている人が大切に思っているのが伝わってくるのはなんだか嬉しい。


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2011.08.04

レオナール・フジタ展(ポーラ美術館)

実は箱根のポーラ美術館に行ったのは今回が初めてなのだ。
もちろん今までだって何度となく行きたいと思ったけれど、箱根、それも仙石原となると車でないと少々行きにくい。
車で箱根に行くことはあっても、殆どの場合美術に関心のない人たちと一緒だから結局ポーラにはいけずじまいになってしまっていたのだ。

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これは美術館の入口。天井は全てガラス張りで強度を出すのはなかなか大変らしい・・・と後から聞いた。
しかもこの日は日差しの強さが刺すような暑い日だったから、館内の冷房は大変だっただろうなぁ・・・

林の中の美術館・・・もう少し気候がよかったら周辺の散歩もしたかったところだけれど、さすがに猛暑だったから美術館の中だけを散策してきた∥xx;∥☆\(--メ)

今回のお目当ては「レオナール・フジタ展」
東京の目黒美術館でもほんのちょっと展示があったけれど、その規模と作品の良さは比較にならなかった。
さすがポーラ。

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彼の作品の不思議な白さは実はベビーパウダーだったなんていう話もたのしく見てきたけれど、そうした話よりもやっぱり作品がいい。
光る白さもたしかにいいんだけど、やっぱりCosがいいと思うのはこの少女たちの評定であり、ひょうきんなしぐさをしている猫や動物たちの楽しそうなところなど微塵もない顔であり、現実を超越したような苑立ち振る舞いだったりする。

最初見たときには楽しそうな動物たちにしか見えなかった「ラ・フォンテーヌ頌」も見ているうちに見えてくるものが変わっている。いくら見ていても見飽きない一枚。

今回のポーラ美術館ではタイル状のキャンバスに描かれたたくさんのパリの職人たちのマンガのようなたくさんの子供の絵がとても不思議だった。

底に描かれているのはたしかに子どもなんだし、それぞれこどもの視点からその職業を見ているカンジがするんだけど、不思議に老成している。

そのうちのなんまいかはCosはどこかで見ている。
レオナール・フジタの作品としてではなく、単なる本のページとして(挿絵ではなかったと思う)描かれているのをどこかで見ている気がする。
もしかしたらモノクロだったかもしれないけれど、ここに描かれた子どもたちに馴染みがあるのである。

一体何処で見たんだろ???

ポーラ美術館の常設もかなり量があって面白かった。
西洋絵画、日本海が、東洋磁器・・・そして化粧道具のコレクション、
さすがポーラ。

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