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2011.07.27

生命の星・地球博物館

随分前から一度は行ってみたいと思っていた箱根湯本のちょっと手前にある神奈川県立生命の星・地球博物館。
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箱根ということで「火山」がテーマになっているんだと勝手に思っていたけれど、火山というよりは地球の成り立ちがテーマになっていた。
もちろん県立の施設だから教育という目的もあるので、それ以外の自然科学の分野についても展示はあるけれど、圧倒的に地球内部の話が多かった。

知らない話が出ていたかというと・・・残念ながらCosの知っていることがほとんどだったけれど、ひとつひとつ確認しながら見て歩くのは楽しかった。

まあ、地震の後だから余計に地震との関連に意識が向いていたかもしれない。

子供の頃から好きだった、いろんな石の標本も楽しい。
砂漠のバラと呼ばれる重晶石、まるで細胞のようにも見える球状花崗岩、・・・Cosのお気に入りの「石の花」というお話の中にも出てくる孔雀石、・・・
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どうしてこんな形になるのか、自然の技というのは人間の想像以上のものがある。
こんな面白そうなものを自分で見つけることができたらいいなぁ・・・
「石を磨く」というのも面白そう。

そして、いろいろな化石、今回は
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このひょうきんな顔のようにも感じられるウミサソリが楽しかった。
このあとの動物のコーナーでは会場に来ていた子どもたちは歓声をあげていたけれど、まあ、これはどこにでもあるから・・・・

「神奈川」ならではの展示が丹沢の変化。
海の中で作られた丹沢の山が本州にぶつかって、丹沢山地になったのだという。
P1070309その両側に相模トラフと駿河トラフという深い海がある。
まあ、これが地震につながるのだろうし、100万年もすれば、もっと本州の奥まで行って伊豆半島が半島じゃなくなるなんていうこともあるのだという。
そしてこの丹沢を境にして、植物の植生も違っていたりするのだそうだ。
そのへんの話がもっと掘り下げてあるとCosにはもっと面白かっただろうな。

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1階を上から見たところ。
恐竜や動物のコーナーは通り一遍の教育用のもの・・・という感じがしたけれど、地学分野の内容はとても面白かった。
もう少し「神奈川」あるいは「火山」に特化したものが多くても良かったとは思うけれど、とても楽しくてつい長いをしてしまった∥^o^∥


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2011.07.23

写実の美術館・・ホキ美術館

「土気」まず、最寄りの駅名前が読めなかったのがショックだったホキ美術館。
しかも今は電車の乗り継ぎの便が悪くなっているので、思っていた以上に時間がかかってしまった。
駅から2キロほど離れた昭和の森のすぐそば・・・住宅街の中にあったホキ美術館は建物のデザインもとても面白かった。
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2010年11月にオープンしたのだが、写実専門の美術館なので、何がなんでも見たい絵というのはなかったけれど、どんなものがあるのかずっと気になっていた美術館がホキ美術館。

ありがたい事にチケットをくださる方がいて喜び勇んで・・・というのにはちょっと遠い・・・駅からも遠いので、なかなか行けずにいた。

というわけであまり暑くない日に頑張って行ってきた。

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しかも今はちょうど「時をこえて 静物と風景画展」をやっている。どちらもCosの好きな題材なのである。

美術館に入って真っ先に眼に入るのがこのロブスター!
巨大な美味しそうなロブスターが目の前にヌッと出てきたのにはちょっとびっくり。
写実というと一つ間違うと写真に劣るものしか描けなかったりするけれど、写真では決して描き得ないような物が目の前に現れると、「写実もいいなぁ」∥^o^∥

中でも良かったのが五味文彦。
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こんな写真で見るとその良さははっきりしないけれど、以前見た上田薫のスーパーリアルと似たようなパンの描き方をしている。
写真では出てこないリアルさ・・・絵画だからこそのリアルさがそこに出ている。
彼の絵を見ただけで長い時間を来てよかったと満足。

もちろん他の絵も悪くはなかったけれど、物によっては写真のようでしかないもの、写真にとっただけのほうがもっといい絵になるんじゃないかと思えるようなものもなかったわけではないけれど、ときどきこうやってキラっと光る絵があるのが嬉しい。

しかも小さな美術館かと思ったらギャラリーが小さなものまで含めて9室もあるし最初の縦にずっと長いギャラりーなどは壁の両側にかかった絵を順に観るだけでもずいぶんと時間がかかってしまう。

後から見たら、最初に見た2階のギャラリー1はこんなところだったのにもびっくり。
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10年以上にわたって同じ女性を描き続けていたり、
それぞれの絵をどんな事を考えて描いたのかといった話を音声で聞かせながら絵を鑑賞できたり、
飽きさせない工夫だろうか、とても楽しかった。

ただ、この美術館は駅から遠いのに駐車場が有料なのがとても残念だった。
となりの昭和の森へ行く人に遠慮してもらうためかもしれないけれど。
そして、美術館の中では水も飲めないこと、コーヒーショップがあるからそこを利用しろというのだが、この暑さでそれはないだろうと思う。
(喉の乾いていたCosは美術館の外に出てごくごく飲みましたよ・・・とーぜん)
そしてギャラリーの構造もあるんだろうけれど、声高におしゃべりをしながら見ている人達。
ずっと大きな声で話し続けている・・・・これはとても苦手。

たぶん、もうちょっと近かったらまた行きたいような内容だったけれど、絵以外のところで再訪したい気分に離れなかったのが残念。

でも・・・昭和の森の散策もしたかったんだよなぁ・・・


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2011.07.21

空海と密教美術

2011年7月20日から国立博物館で始まった空海と密教美術展。(9月25日まで)

当初の予定では始まってもすぐに行こうなどという予定はなかったのだが・・・
7月20日は歩みの遅い台風の接近にともなって、一日中風雨が強いという予報。
いつ行っても混んでいる上に今回は国宝重要文化財立98.9%などという東博の企画展を見るのなら台風の時に限る!
というわけで公開早々見に行ってきた。

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Cosはほとんど人のいないがらがら状態を期待していたのだけれど、実際には昼間はアメの降っていない時間帯も多かったせいか思っていたよりは人がいた。
と言ってものんびり見るのには充分な少なさだったので、じっくりと楽しむことができた。

第一会場にはいると弘法大師像はいいとしても、書がたくさん並んでいたり、絵があってももう古くてよく分からないようなもの(じっくり見ればまた違うんだろうけれど、「みたい」と思わなかった)だったりして一寸拍子抜けしたんだけれど、これは入り口をこまないようにするためのひとつの工夫ではないかとも思った。最初の方にあまり人気が高くなりそうもないものを並べておいて、人をどんどん奥に進ませる工夫・・・かもしれない。

Cosのお目当ては仏像。どの仏像も一段或いは2,3段高いところにあるから遠くからでもはっきり見える。
今回はすぐそばでじっくり見ていても大丈夫な程度の混雑だったから、位置が高いような気がしたけれど、混んできたらこれが大事なんだろうな。

京都東寺の平安時代の女神坐像。おそらく平安時代の髪型なんだろうけれど、他ではあまりみないヘアスタイル。平安時代のまったりとした雰囲気(があったのかどうか知らないけれど)そのままの表情の優しさがなんとも心地よい。
こちらから「わーわー」とまくしたてても、のんびりと話に耳を傾けてくれそうな感じ。

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ここにある如意輪観音菩薩坐像は醍醐寺の青竜宮に安置されていたのだが、これもまたゆったりとリラックスした雰囲気。
でもここではどこかものうい雰囲気があって何かを話しかけるというよりは、一緒にリラックスして時を過ごす感じ。

今回はこの仏像の展示がとてもいい。
混んだ時にも見やすいだろうというだけではなく、LEDの明かりが上からとしたからと照らし出している。
仏像によっては(ほとんどそうじゃないかと思うけれど)上からの明かりは少し黄色味がある電球色に近い色で、したからの光はLEDの白い光。
その光が光輪(でよかったかな?)に当たって壁に出来る影がなんとも見事だったりした阿弥陀如来および両脇侍像。これも平安時代だなぁ・・・

そして極めつけはスロープを登りながら入っていく仏像曼荼羅。
(東寺のものは東寺講堂立体曼荼羅から見ることができる)
スロープを上がったところからは広い部屋の中にある8体の仏像を見下ろすことができる。
阿修羅展の時も同じようにスロープがあったけれど、今回はあれより広い感じ。
人も多くなかったので、上から見なければ見えないということはなかったけれど、なんとなく目の高さが良くて後からもう一度登ってみたりもした。

「仏像の中で一番怖い顔をしている」という持国天立像の顔は確かにいかついんだけど、怖いというよりは激しさ、厳しさを感じさせる顔で、Cosは好きだなぁ・・・

そばへ行ってみるとお寺にあるときと違って四方八方から見ることができるし、ライトニングもしっかりしているので多分お寺にあるときよりもよく見えるんじゃないかと思う。ひとつだけ、天井からのライトが微妙に揺れているのがあったけれど、あれはどうしてだろう?
光の加減で表情が変わったりするのならそれはそれで面白いのだけれど、今回は必ずしもそうじゃなかったと思うし・・・・

こうやって記事を書いていると行ったときのことをあれこれ思い出して、じっくり見てこなかったことが悔やまれる部分もあったりするので、本当はもう一度ぐらい行きたい(展示替えもあるし)
でも、いつも混んでいて東博の企画をじっくりと見るなんていうのはほとんど不可能。
それが何よりも残念だ。


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2011.07.18

もういちどカレル・ゼマン

実は7月10日にもう一度松涛美術館に行ってきた。
前回見そこねたもうひとつのアニメーション「ホンジークとマジェンカ」を地下の講堂で見るために。
なにせ、2回の踊り場ではソファはあるけれど、1時間座ってみているのはかなりきついので、地下で「ふつうの」椅子に座ってみたかったのだ∥^o^∥

これは1980年の作品。
なんと、「切り紙アニメーション」というある意味では18世紀ぐらいからある紙に描かれた人形(町田の版画美術館にあったようなもの)を切り抜いて関節をビスで止めて作られた紙人形のアニメーションなのだ。

ある意味では古典的な人形アニメーションなのだが、その紙人形が違うのだ。
人形を実際につくり、それをフォトコピーにとったものを紙人形としてアニメーションを作っているのだ。
普通の人形と違って動きがかなり制限され、表情も動きによって変わって見えるわけではない。
その厳しい制限がアニメーションとしてはあまりに普通じゃない斬新さを感じさせる。

さすがに講堂は満席で立ち見まで出ていたみたいだったし、床が平で前の人の背中が邪魔をして字幕がちゃんと読めないという難点はあったけれど、元々が民話だろうし、およそのストーリーはわかるので、言葉がわからなくても面白かった。

この後Youtubeであれこれ見て回ったのは言うまでもない∥^o^∥


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2011.07.17

皇帝の愛した彩られたガラス

前回は透明なガラスを中心にしたけれど、今回はいろいろに彩られたガラスたち。皇帝の愛したガラスの続き

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ヴェネチアのガラスにもいいものはあったけれど、なんといっても今回一番いいと思ったのが、ドイツのルビー・ガラス
金によって赤く発色しているのだそうだ。
深みのある透明な濃い赤が人を惹きつける。
その製法は秘密にされたためにこのガラスの配合はいまもって分からないらしい。
そう思うとますますこの赤が綺麗にみえてくるから不思議だ∥^o^∥
後にロシアで真似をして作ったものが出品されているけれど、なんとなく色が違っているような気もしないではない。

ろくなカメラを持っていなくて残念に思うのはこんな時。
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本当はもっと重厚で深みのある、けれどももっと透明な赤なのだが、Cosのカメラでは思うように色が出てくれない。

いや、単にCosが下手なだけかもしれないけれど・・・・・
もしかしたら、ガラスというのは写真に映しだすのが難しいのかもしれない。
う~~ん・・・

同じ金でも、ガラスとガラスの間に挟みこんであるのがこのボヘミアの「ノウサギとキツネ狩りを描いたゴブレット」。
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光ってしまっているけれど、ガラスとガラスの間に金が挟みこんであるのだとか。
これは逆にもっと昔の時代に行われていた技法を蘇らせたものらしい。

失われた技法・・・・蘇らせた技法・・・・そして後のロシアでの「栓付きデカンター」P1070138
これはガラスの層と層の間に、金箔にエナメルで描かれた花があるのだ。その複雑な製法は今もわからないのだという。

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ひびが入っているのがわかるだろうか・・・・

だけど、今回一番楽しかったのはこれ。「円形小片を載せたパレット」
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まさに金太郎飴そのもののように長い棒をスライスして作られた見本。
左のほうにあるのはこんな感じのアメが「飴屋さん」で売られているような気がするし、右のほうでは、切る前の「中はこうなってます」という感じ。
拡大してよく見るとわかるけれど、小さな円が三つ入っているもののその円は実は人の顔なのだ。
これがどんなふうに使われたのかはCosにはよく分からなかった。
だってすぐそばで見ないと何が書いてあるのか分からないのだから。
このパレットのとなりにあったビーズの見本(これも面白い)と同じように使うのだろうか?
飴ではないので食べるものではないし・・・∥xx;∥☆\(--メ)

というわけで庭美では
庭美のオリジナルキャンディーを販売してみたり、
8月6日に
■夏休みファミリー企画「キャンディーでミッレフィオーリ」 【入館者・庭園入場者対象、事前申込み不要・無料】
を開催したり・・・

頭の中には以前見たことのある金太郎飴の製法・・・・飴の棒を重ねて巻いて伸ばしていく・・
ガラスもこんなふうに作ったのかなぁ・・・と頭の中には金太郎飴。
ガラスじゃなくて、そっちの方向についつい引きずられてしまいそう・・・∥^o^∥

もちろんガレの「ヒキガエルとトンボ」もあったし、それ以外にもアールヌーボーの作品もとても良かったし、モザイク画も面白かったけれど、ひかりものが好きなCosとしてはついついそっちへ目がいってしまったのだ。

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ガラスは元々家の中で使われ飾られたもの。
味気ない美術館じゃなくて、こうした邸宅の中で・・・(出来ればガラス越しじゃなく)さり気無く置いてあるのが一番自然なんだろうな。
この雰囲気が飾られたものをより重厚に見せているのは間違いない。
同じものが他の美術館で飾られたら、こんな風には感じられなかったかもしれない。

本当は庭美自体がアールデコなんだから、アールデコが一番に合うはずだけど・・・・


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2011.07.14

皇帝の愛したガラス

「ブロガー招待」という文字を見た瞬間に手を上げて参加してきた、
東京都庭園美術館の「皇帝の愛したガラス」展
2011年7月14日~9月25日まで
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もともとガラスの持つ透明感、本当に透明なものから、透明ではないくせに、まるでゼリーのような透明感を感じさせるものまで全部がすきだから、今回の展示も楽しみにしていたのだ。

P1060908まっさきに惹きつけられたのがこのシリーズ。
透明なガラスの中に白い線が埋めこまれている。
細かな白い線だけが浮き上がって見えている。
17世紀のヴェネチアン・グラス。
足もとの影もまたたくさんの線を浮き上がらせている。
ここに何を入れたら、この影がもっと綺麗に輝くのだろう?

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影がきれいだったのはこれ。
ここには何も入れずに影の中の光を楽しみたい気がする。
16世紀後期のヴェネチアの鉢。
ぱっと見ただけではどうしてこんなふうに反射するのか不思議に思ったけれど、よくみると側面と底とではガラスの作り方が違うのだ。
カットが違うんじゃないかと思うけれど、、こんなふうに光を楽しみ、光がが踊るようにつくってあるんだろうな。
上に果物か何かが華やかに盛ってあって、それがなくなるとテーブルでは光が華やかにきらめく。
ガラスだけじゃなく、その光の影をも楽しむことを教えてくれた友だちに感謝。

ガラスは、光を浴びてこそ、その美しさが生きてくる。
光をあてたときにどう反射するのか、どんな色を生み出すのか、
透明でないガラスでも、光を浴びたときにはその光がガラスの中に入っていくのが見える。

絵画の世界で光と影を求めたように、ガラスにも光と光のない部分とを求めているのかもしれない。
実際には写真を撮ると、その光の良さが半減してしまう。
もちろんCosの腕が悪いということもあるんだけれど、図録の写真を見ても実際のものほど光が生きてないので、腕の悪さばかりではあるまいと思うが・・・∥^o^∥

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これはチラシにもなっている「ウェッジウッド様式」の磁器製台座をもつ4本の蝋燭用枝付燭台と円形盆
燭台は18世紀の西ヨーロッパ、円形盆は19世紀フランスのもの。
これとこの上に明かりをともされていた20世紀初めのシャンデリアの展示に関しては一悶着あったのだそうだ。
「こういう時代の違うものをまとめて展示するのはいかがなものか」とエルミタージュ側が言ってきたのだそうだ。
それに対して庭園側は「そっちだっていろんなモノを一緒にあちこちに展示してるじゃないか、建物だってそうだし(と言っていたと思う)・・・庭園美術館の建物はアールデコで統一されているんだぞ」と反論してこうした形で展示するこのになったのだそうだ(おもいっきり意訳なので、引用は禁止∥^o^∥)

これだって、チラシを見ても、図録を見てもその輝きはあまり伝わってこない。
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かろうじて拡大してとったときにその片鱗がうかがえる。
ガラスが青に、緑に光っているのがわかるだろうか。
実物はこれよりもっときらめいている感じがするけれど、Cosの腕では伝えようがない。
他の部屋に「植木鉢の椰子の木を模した枝付き燭台」というのがあったけれど、それとは比較にならないほど輝いていた。
(もちろんもしかしたら照明の加減かもしれないけれど)

更に、観る角度によってもずいぶんと違って見える。

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これは何色に見えるだろうか?
図録では真っ青なのだ。
グラスの下側から見上げる角度で写真をとったのだが、角度によってはもっと赤くなって見えたりもしている(そっちはピントがあってなかったので・・・)
これはもう一度行って確認してきたいものだ。


続きを読む "皇帝の愛したガラス"

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2011.07.13

クーデルカ プラハ1968

これも写真美術館。

2011年7月18日まで
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写真の意味、重さをきちんと理解するためには予習が必要だったと痛感した、
「ジョセフ クーデルカ プラハ1968」
プラハの春、チェコ事件、ソ連軍の侵攻(実際にはワルシャワ機構軍)という言葉はしっているけれど、詳しいことを何も知らずに見に行ったのは失敗だった。

1968年友好国であるソ連が侵攻してきた。
チェコの共産党は冷静な対応を求めた。
戦車を取り囲み、侵攻をやめさせようとする人々の写真。
この写真は国内では発表できず、秘密裏にスミソニアンに運ばれて翌年そこで発表された。

戦車を取り囲む人々は、ソ連軍に対して武力対決をしようとしているわけではなく、「帰れ」と言っているだけのようにも見えた。
そうした行動はとても危険なものだったろうし、逮捕を恐れた町の人達は住居表示を外し、間違った住居表示を貼りつけて、少しでも逮捕を免れようとした。

地下に潜ったレジスタンスたちの時代の始まり。

ソ連軍が来る直前までは、プラハの春と言われ、自由がたくさんあった時代。
そんな時代を生きてきた人達が、身を挺して守ろうとし、守りきれなかったのだ。
自由を失っていく、その時の写真。

家に帰って調べてみて、改めてその意味に気付かされた、
予習をしっかりしていけば、見るべきものも違っただろうと思うととても残念。

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2011.07.12

こどもの情景

報道写真展と同じ写真美術館で、報道写真展の直後に見たもうひとつの写真展。
「こどもの情景---戦争と子供達---」(2011年7月10日まで)

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他の時だったら、「こども」とタイトルが付いていても、戦争を体験した子どもたちの姿は胸が締め付けられるような気もするのだろうけれど、この日ばかりはそんなこどもの笑顔に救われるような思いがした。

テーマが戦争だから、子供達がみんな笑顔というわけではないし、その笑顔だって素直には喜べない種類のものだったりもするけれど、子どもの笑顔には将来と希望がある。

戦争中の「子供の隣組」子供達を組織して、愛国少年、愛国少女を育てていったのは日本に限ったことではない。
アメリカでの収容所でバトントワラーの練習をしている子供達。
アメリカでは子供達にはたとえ収容所に入れたとしてもそれまでと変わらない生活をさせようというのだ、日本の自由な子供達よりもずっと恵まれているように見える。国力の差はすごい。

そして戦後の浮浪児。
「九州くん」と名付けられた少年や、親(?)の乞食につれられている子ども、靴磨きの子ども、一人前の顔をして煙草をすっている小学生ぐらいの子ども。米兵と手をつないで歩いている子ども。
半世紀ちょっと前には日本の姿もこうだったんだ。
今の豊かさ、大切にされている子どもたちの姿なんてたったこの半世紀ぐらいのことで、それ以前はこんな子供達がどこにでもいたのだ。

この直前にみた、まるで異世界のように思えた報道写真の距離が急に近づいてきたように見えた。

ベトナム戦争での
枯葉剤の影響で右腕欠損で生まれてきた少女。
この少女は決して過去のことではない。
日本には戦争はないけれど、
「直ちに健康に影響はない」とされている目に見えないもっと恐ろしい敵に直面している。
一番被害を受けやすいのが、幼い子どもやまだ生まれていない子どもなのだ。

100年後の「子供の情景」にはこの敵との戦いも出てくるんだろうか。

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2011.07.10

世界報道写真展2011

行く前からこんなに気が重い写真展も珍しい。

世界に目を向けると、日本の報道写真では決して目にすることがないような写真がたくさんある。
目にすることはないけれど、眼を背けてはいけないものがたくさんある。

それが分かっていても、もしチケットをいただけなかったら見に行かなかったかもしれない。

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夫の家から逃げ出した妻が・・・・妻に逃げられるような夫は鼻がないも同然という・・・・夫と同じ罰を与えられたという。夫の鼻が切り落とされたとは思えないけれど、彼女の鼻と耳が切り落とされたのだという。
世界にはそういうところがまだまだあるのだ。

ハイチの地震では亡くなった人をほおり投げて積み上げている。
死体の映像を一切人目に触れさせないようにしている日本とはあまりに違う。
亡くなった人も日本のあの大震災の津波で亡くなった人よりも一桁多い人数が無くなっているのだ。
そうしたことに目を向けただろうか?

暴動や戦争で、切り離された体の一部だけが映っている写真、犯罪で首から上だけが地面に置かれている写真、そんなものをこの日本で見るとしたら映画やドラマの世界だけだろう。

名前も付けてもらえなかった水頭症の子ども、枯葉剤のせいで異常のある少女。

それがCosたちの生きている世界、普段見ているところから一寸離れたところではそんなことが起こっているのだ。
まだまだ死は身近なものであり、死体の存在が特別なものではない社会がたくさんあることに改めて気付かされる。

そして、今回は3月の大震災の報道写真のスライドが上映されていた。
それを見る人々は一様に押し黙り、食い入るように見ている。
そこには屋根の上に登った船、瓦礫の中の家族の写真、ブルーシートに包まれた死体、瓦礫の下敷きになっている手、・・・・

会場に人の声が聞こえないわけではないけれど、静かにみんなが見入っている。

どれほどひどいものであろうとも、それは今現実に起こっていることであり、是非を離れて知らなければいけないことなんだろうな。

もちろん会場にはスポーツや自然といった平和な物の報道写真もある。
でも圧倒的に平和でないものが多い。

見ると、普段の生活との落差を感じずにいられないし、命の重みの違いを感じずにはいられない。
みたくなかったけれど、見て楽しかったわけではないけれど、見るべきだったし見てよかった。

戦争や暴動で、体から離れた足だけが映っている写真、亡くなった人の写真、傷ついている人の写真、

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2011.07.09

フェルメールを見に行こう?

電車に乗って出かけたら、明大前の駅でこんなポスターを見かけた。

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たしかにフェルメールは好きには違いがないし、余裕があれば観に行きたいと思うけれど・・・・

明大前の駅には色々な美術展のポスターがずらりと並んでいていつも木にはしているんだけど、

東京の明大前で京都の美術展のポスターってやり過ぎじゃないの?


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2011.07.07

インタラクティブアート展

松尾高弘のインタラクティブアート展が銀座のポーラミュージアムアネックスで7月10日まで開かれている。

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暗い部屋の中にぐるっと薄い布が丸く張り巡らされていて、その向こうには明かりが見える。
その薄い布に、手を近づけるとそこには海の中から浮き上がってきたかのようにクラゲが漂い表れる。
まるで自分の手がクラゲを呼び寄せているかのように。

薄いスクリーンに映し出されたクラゲはスクリーンを超えて背中を向けている壁にまで姿を表し、壁を漂う。
そばを離れてじっとしていると、次第にクラゲは薄くなって海の底に戻って行く。

「Aauatic Colors」

こんな文章ではその魅力はとても伝わってこない。
自分の手がクラゲを呼び寄せ、ただようその姿の美しさはCosなどにはとても文章に出来ない。
幻想的なその空間に行かないと、きっとその良さは半分も伝わらないことだろう。

そしてもうひとつ、「WhiteRain」
やっぱり暗い部屋に置かれた沢山の透明な棒の様に見える細い細い円柱には光が雨のように降り注いでくる。
その雨は乱数に従って降る雨であり、人が近づくとそれに応答して光が強くなったりもするけれど、流れてくる音楽に合わせて明滅を続けるのだ。

「せわしく点滅を続ける光」・・・銀河鉄道にでも出てきそうな光の雨。
椅子に座ってじっと見続けているといつの間にか光の雨と一体になっているようなきまでしてくる。

「光と影」は絵を書くときにもずっと大切なテーマだったし、光をどこに当てるかで絵の評価までもが変わってくる。
光をどう描くのか、影をどう描くのかに画家たちは苦労してきた。

そしてその光の描き方は例えばオラファー・エリアソンの光の芸術であり、この松尾高弘の光の雨だったりするんだろうなぁ・・・

光をどう描くのか・・・・遠い過去から、遠い将来まで、美を表現する人達の永遠の課題なんだろうなぁ・・・

見る側にとってはその光を堪能すればいいだけだけど。

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2011.07.05

時と共に変わる友の絵

いろいろな美術展を見に行くと、歳と共に作風が変わるのがごくあたり前のこと。
でもそれが、自分の友だちとなるとちょっと不思議な気がしてくる。

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友達の10年のブランクの後の久しぶりの個展。
銀座の松屋の裏にあるギャラリーはちょっと表通りからは離れているけれど、一階にあるからかえって入りやすいのかもしれないな。

伊藤理恵子展
ギャラリー檜
2011年7月9日まで

以前は彼女はもっと暗い画面で、つんつんしたところのある絵を書いていた。
それが10年の月日と経験からすっかり丸く柔らかくかわった。
和紙ではなく韓紙に描かれ、額装もせずに自然のままに貼られているから余計丸く感じるのかもしれない。

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手作りの韓紙は一枚一枚が微妙に違うから長さも微妙に違っていたりする。
それもまたあるがままの自然体。
丸いものが描きたくなったという今回の作品はどれもが丸く、どれもが収まりきれないものを持っていて面白い。

逆に若い時のほうが収まりきれていたのかもしれない。

紙のもつよさが以前のキャンバスの油絵よりもずっと素直な感じで・・・・
その変化がお互いの付き合いの長さを感じさせる。

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これから先も変わり続けるんだろうなぁ

生きている彼女と話しているとそれはそれで不思議な感じ。
いつか老成した絵を描くことがあるんだろうか?それとも、又違う方向に進んでいくんだろうか。
たのしみ。

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2011.07.01

おはかにはかが多い

「お墓には蚊が多い」と書こうとしたらタイトルが「お墓に墓が多い」と変換されてしまったのでタイトルはひらがなで∥^o^∥

先日納骨をしたときの話をしていたとき、
「暑かったでしょ?」と聞かれたので、
「まあ、ひなたは暑いけれど、木がいっぱいあるからそんなでもなかったよ。それよりも蚊が多くてねぇ」というとちょっと怪訝な顔をされて、
「花立てに水がたまるからね」といわれた。

まあ、間違いではないのかもしれないけれど、
「う~ん、木が鬱蒼としげっているからねえ」と答えるとますます怪訝な顔。

どうやら(樹木葬ではない)普通のお墓のイメージがCosとかなり違いそう。

先日納骨したお墓は鬱蒼と茂った木立の中にあって、昼なお暗いような場所にある。
丁度こんな感じ
(全く関係の無い方のblogです。検索したら出てきたので・・)

多磨霊園でも整然と石のお墓だけが並んでいるところもあるけれど、Cosの知っている一角は古いお墓が多い場所だからかもしれないけれど、お墓の話が出るたびに持っているイメージの違いに驚いてしまう。

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