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2011.07.10

世界報道写真展2011

行く前からこんなに気が重い写真展も珍しい。

世界に目を向けると、日本の報道写真では決して目にすることがないような写真がたくさんある。
目にすることはないけれど、眼を背けてはいけないものがたくさんある。

それが分かっていても、もしチケットをいただけなかったら見に行かなかったかもしれない。

201107

夫の家から逃げ出した妻が・・・・妻に逃げられるような夫は鼻がないも同然という・・・・夫と同じ罰を与えられたという。夫の鼻が切り落とされたとは思えないけれど、彼女の鼻と耳が切り落とされたのだという。
世界にはそういうところがまだまだあるのだ。

ハイチの地震では亡くなった人をほおり投げて積み上げている。
死体の映像を一切人目に触れさせないようにしている日本とはあまりに違う。
亡くなった人も日本のあの大震災の津波で亡くなった人よりも一桁多い人数が無くなっているのだ。
そうしたことに目を向けただろうか?

暴動や戦争で、切り離された体の一部だけが映っている写真、犯罪で首から上だけが地面に置かれている写真、そんなものをこの日本で見るとしたら映画やドラマの世界だけだろう。

名前も付けてもらえなかった水頭症の子ども、枯葉剤のせいで異常のある少女。

それがCosたちの生きている世界、普段見ているところから一寸離れたところではそんなことが起こっているのだ。
まだまだ死は身近なものであり、死体の存在が特別なものではない社会がたくさんあることに改めて気付かされる。

そして、今回は3月の大震災の報道写真のスライドが上映されていた。
それを見る人々は一様に押し黙り、食い入るように見ている。
そこには屋根の上に登った船、瓦礫の中の家族の写真、ブルーシートに包まれた死体、瓦礫の下敷きになっている手、・・・・

会場に人の声が聞こえないわけではないけれど、静かにみんなが見入っている。

どれほどひどいものであろうとも、それは今現実に起こっていることであり、是非を離れて知らなければいけないことなんだろうな。

もちろん会場にはスポーツや自然といった平和な物の報道写真もある。
でも圧倒的に平和でないものが多い。

見ると、普段の生活との落差を感じずにいられないし、命の重みの違いを感じずにはいられない。
みたくなかったけれど、見て楽しかったわけではないけれど、見るべきだったし見てよかった。

戦争や暴動で、体から離れた足だけが映っている写真、亡くなった人の写真、傷ついている人の写真、

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