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2011.05.31

おわらないアトリエ パウル・クレー展

ひょんなことから友達に連れていってもらったパウル・クレーの内覧会。
大好きなクレーを他の人よりも一日早く見られるので\∥^O^∥/

東京国立近代美術館で2011年5月31日~2011年7月31日まで
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真ん中近くに先が入っているのがわかるだろうか?
実はここで左右にひらくことのできる三折になったチラシなのだ。
ここでひらくとそれまで一つだった絵が二つの絵に分かれる。
左側が「なおしている」右側が「マネキン」なのだ。

今回、(京都近代美術館とこの東京国立近代美術館では)はじめて国立の美術館でのクレー展とのこと。
今まで何度となくクレー展を観てきたけれど、そこには気がつかなかった。
そして、今まで観てきたクレー店との一番大きな違いは
アトリエに注目!、彼の絵の技法に注目!

展示会場に入って最初の自画像の後は小さな部屋に分けられたアトリエの中の作品たちの展示・・・現在・・・
本来は細長い展示場になっている部分を仕切ってまるでそれぞれが部屋になっているかのような印象をうける。
それを抜けてでた大きい会場では4つのプロセス(Prozess)に合わせて衝立のような高さの壁を作って順路に従って展示している。
そして最後は売りに出さなかった「特別クラス」の作品たち・・・過去・・・
そして一番最後にクレーの部屋(絵などは何も無いけど)でみる「回転する部屋のインスタレーション」

4つのプロセスのなかでの絵を見る順序が少しわかりにくい部分はあったけれど、展示の仕方自体がとても面白い。
アートテーマパークといった作りになっている。
ただし内容はどちらかというとどのようにして彼の作品が作られて言ったかということだから一つ一つのテーマごとに色々と考えさせられた。

180点ほど展示されている中に、派手な絵がそんなにたくさんあるわけじゃない(と言っても決して少なくはないのだが)けれど、素描とその油彩転写、切断と再構成された絵の考察、切断分離された絵とその組み合わせ・・・クレーが彼独自の世界をどうやって創り上げていったのかを垣間見ることができる。

今まで知っていた作品もその素描と一緒に見ることができたり(蛾の踊り)、一人ぼっちで寂しさを表していると思った作品(別れをつげて)が大きな作品の一部で決して寂しさばかりを表しているのではないことがわかったり・・・

(まあ、好きだからなんだけど)いくら見ていても見飽きない・・・
きっともう一度は行くんだろうなぁ・・・・

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これは今のチラシじゃなくて、もっと前に配られたチラシにあった絵。この作品もまた面白いのだ。
一筋縄では行かない、クレーらしい作品。
回転、表裏、切断、・・・それもまたクレーの世界。


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2011.05.28

現展

現展は現代美術家教会の公募展。
知っている人が出品していなければ観に行かないだろうけれど、こういう公募展もたまに見ると面白い。
今回は関東、東北に住んでいる人の多くが震災のあの大きな地震を体験し、直接であれ、間接的にであれ津波を体験し、原発の事故を体験している。
会場に入って最初に気がつくことは多くの作品にその影響が感じられること。
もちろん震災をテーマにしている絵もあるけれど、そうした直接的な影響じゃなくて画面から伝わってくる不安、青さ、赤さ、暗さが目立っているのだ。

P1060358

この絵(江波戸栄子 晴天)を描くときもそうだったのだという。
描き始めたときには黒ばっかりの絵で明るい色が使えなかったのだ。
震災の後も余震が続きより震源地に近いアトリエでは余震の大きさも不安を感じさせられたのだと。
それが時間と共に明るい色を使い始め(それでも寒色系だけど)
「青空が描きたかったのだ」という。

「暗い」というほどではないけれど、やはりこの絵からは不安が伝わってくる。
写真では分からないけれど、細部にもその不安がにじみだしている感じなのだ。

もちろんそうでないものもたくさんあるんだろうけれど、これだけたくさんの人が同じような時期に同じような不安にかられながら描いた絵が集まっているというのもなんだかとても不思議な感じがする。

その点では今年の展示はちょっといつもと違った感じがしているのかもしれない。
(例年より20人ぐらい出品した人が少なかったとのことだったのだが、震災の影響だったのかどうか聞くのを忘れてしまった・・・)

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(八幡一郎 オイラーの贈物)
この人は毎年どこか数学的な部分のある絵を描く人だったかもしれない。


複素数平面を描いた物・・なんだろうなぁ・・・
現実には見ることのできない複素数をひとつの平面に描くのだ。


長さと角度から表す極形式と円・・・・
数学的な性質を絵にしているんだろうなぁ・・・
 
 
 
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この2枚は同じ人が描いたものだけど、絵の大きさが全く違う。


ただそれだけで印象がすっかり変わってしまうのが不思議だった。

Cosは小さいほうがなんとなく好きだなぁ・・・

面白そうな絵は他にもいくつもあったんだけど・・・・


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倉橋三郎展

「背景の描き方が面白いんだよ」友だちがCosに力説する。
が・・・・話をいくら聞いたところで今ひとつどうなっているのかは分からないし、印刷したものを見せられても、よく分からなくて困っていたのだが、
「稲田堤で個展をやっているから」と連れていってもらったのがここ。
P1060416
京王稲田堤の駅近くのアートスペースMEI TEL 044ー944ー4978で6月2日まで
稲田堤の(多分)古くからある商店街、しかも向かい側は激安の八百屋さん。
(あぁ・・・八百屋さんを探したほうが見つけやすいかも・・・∥xx;∥☆\(--メ) )
でもこの階段を登って中に入るとそうしたざわざわとした雰囲気とは打って変わって静かな緑の世界。

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緑の中に咲く白い花たち。
(実際にはそうでない絵もたくさんあったんだけど、ギャラリーにはいって最初に感じたのが緑と白だったのだ∥^o^∥)

「白がいちばんきれいだ」といったのは先日見てきた熊谷守一。彼は何も色をつけない白が綺麗だといったのだけど、ちょっと見ると白一色に見える塗った白も工やってみるときれい。
植物の絵はどこか癒しの効果を持っている。

そしてこの緑が単純な緑ではなくどこか深みのある微妙な色のようにも見える。
微妙な緑が真っ白な花を浮き立たせている。

P1060402_2


この写真でわかるだろうか。
色だけでなく背景の塗り方自体が違うのだ。
(絵をクリックすると大きな絵が別ウィンドウで開きます)
どんな風にしてやるんだろう?
しかも写真にしちゃうと、まるでひびがたくさん入っているようにも見えて、とても残念。
色の複雑さは画面から見えても、その微妙な立体感は写真には出てこないんだなぁ

これ以外にも、波のような線が沢山入っているものなどがあったり、一枚の絵の中で背景のマチエールの作り方を変えていたりして絵だけでなくそんなところも楽しかった。

写真にはないけれど、月夜のうさぎの絵も好き。
倉橋さんは高知の出身で、以前はもっと違う背景の書き方をしていて、その頃の作品から
高知新聞が版画を積極的に力を入れてくれているということだった。
そっちの絵のほうが知っているひとが多いのかもしれない。

P1060398
沢山の本の表紙を描いているのだが、残念なことに(というか以前はこういう描き方をしていなかったので当然なんだけど)本を見たのでは背景の面白さ、微妙さは伝わってこない。
う~ん、ちょっと残念。

Cosたちが行ったときには他の人もいなくてのんびりと見せていただいてきたんだけど、東京新聞で紹介されていたとのことで、昨日はお客さんも多かったらしい。

まあ、都心から行くのはちょっと大変かな・・・・
でもCosにはおもしろかったし、そんなに遠くないので\∥^O^∥/
またこのへんで個展をやってくれないかなぁ・・・


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2011.05.26

熊谷守一美術館

しっかりと描かれた輪郭線の中をきっちり塗ってある熊谷守一の絵はちょっと見たところ子どもが書いた絵のようにも見える。
しかも、その画面には絵の具をひっかいてカタカナで「クマガイモリカズ」とカタカナで名前を書いてあったり・・・
ずっと行ってみたかった熊谷守一美術館にやっと行ってきた。
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美術館の壁にも彼が毎日のように観察していたアリの姿と名前とが書かれている。

もしかしたら、Cosが好きなのはそうやって毎日のように有りを観察していたことかもしれない。
Cosも子供の頃は(時間が許せば今だってやりたいけれど)アリをじっと何時間も観察しているような子供だったからなぁ・・・

今はもう彼が生きていたときのような池袋の芸術村もなければ雑木林もないけれど、美術館の前庭の一本の木はその風情を伝えている。
それはまた、木に囲まれた地に住んでいるCosの友達の持っている雰囲気と同じもののようにも感じられた。
カチカチと時を刻む時計の時間で生活をするのではなく、巡りゆく日時計の影の時間で生活している感じかなぁ・・・

それはちょうど、彼の描く絵がかっちりとした線で囲まれているのにそこから見えるものは柔らかな息遣いだったりするのにも似ている。

美術館の中も同じように、かっちりとしたコンクリートで出来ているのに、建物は美術館というよりも普通のおうち。
展示室も決して広くないし、ベンチのように置かれている椅子が作品だったりもして、座っていいのかいけないのか躊躇する。
きっと「躊躇するようなやつは座るな」ということなんだろう。(あるいは本当に展示品なのかもしれない)

廊下や階段には熊谷守一にインスパイアされた作品が飾ってあったり、娘の榧さんのキャプションが愛情にあふれていたり、家族とその周りの人達が創り上げた美術館という感じ。

絵を飾ってあるのだけではない暖かさが感じられる小さな美術館だった。

派手なことを好まず、自宅と庭に引きこもって、「ヒトがもっとくると嫌だから」と勲章も断ったという熊谷守一は「おたく」の見本のような人だったのかもしれない。
なんだかとても羨ましくなる。
まあ、実践できないからうらやましいんだけどさ。


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2011.05.25

宝石サンゴ展

「宝石サンゴ展」上野の科学博物館で2011年5月29日まで
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サンゴと聞くと条件反射のように「テーブルサンゴ」とか南の海といったイメージが沸き上がってくるけれど、アクセサリーにもなる宝石サンゴはもっと深いところで取れるらしい。

「宝石」と名前がつくのはその骨格が固い方解石で出来ているもので、ふだん海で見かけるサンゴのように骨格がザクザクではないものなのだそうだ。
だからだろうか、地球温暖化との関連とか、サンゴの保護といった話は出てこなかった(少なくともCosは気付かなかった)。

しかし、宝石サンゴの成長は遅く、50年で1cmなんていうこともある
という話を聞くと、もっと保護に力を入れなきゃいけないんじゃないかという気もしてくる。

今回の展示は「生物としてのサンゴ」よりも「宝石としての珊瑚」についての話がメインだったような気がする。
「宝石サンゴ」というのだからそれはそれで仕方が無いのかもしれないけれど、せっかく深海生物なんだからその不思議な生態についての話がもっとあってもいいような気がした。


続きを読む "宝石サンゴ展"

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2011.05.24

花になった父

先日の樹木葬の集いの時に、父の木がつぼみ(正しくはがくが白く花びらの様に見えるので、つぼみというのは間違いだけど)だったので、そろそろ咲く頃かと行ってみてきた。

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まだちょっと「満開」というのには間があるけれど、沢山の花が咲いていた。
ただ・・・Cosの背の高さよりもずっと高いところで咲いているのがほとんどで、それを下から写真にとると白く見えない・・・∥>_<∥

よくみると上の方にもたくさん花があるのがわかるとおもうのだが・・・・

母はまだ長いドライブが出来るほど元気になってないので、この日はCosひとりだけ。
ひとりで勝手気ままに歩けるのを幸いに天徳寺の周りをあちらこちらと散歩してきてしまった。

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真夏のように暑い日、天徳寺の庭先(っていうのかな?)では輪切りにした夏みかんが干してあった。
これとヨモギとオドリコソウで入浴剤を作るのだ。
前回天徳寺に泊まったときにこれを入れたお風呂に入ってきたけれど、なかなかいい感じ。
いかにも自然に恵まれた寺ならではかもしれない。
 
 



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Cosの父がいるところは一番最初にできた場所なので、父の木も含めてみんな大きくなってしまっていて、少しずつ「林」になりつつある。
いずれは沢山の木が大きくなって、墓所なのか、
花木のたくさんある林なのか区別が付かなくなる予定。
そうなるまでにはまだまだ時間がかかるけれど、いずれ里山になる日が楽しみ。
 
 

(一応)墓参りをしてから、お散歩。
P1060304
今日は裏山の杉山の中にできた新しい道。
新しい道と言っても、今ある杉の木を倒して雑木林にしていくためにつけられた道。
まだまだ杉の木はそのままで、殆ど人が入らないから、
杉の木は植林されたものであるけれど、
自然のまま、なるがままになっている。
写真にはないけれど、木の皮が同じ高さに剥ぎ取られているのは猪だろうか?
静かな林の中にはうぐいすをはじめ(Cosの名の知らない)小鳥たちの声だけが
響いている。
 
 

P1060310
 
 

更に裏山に登る。
天徳寺の向こうには房総の低い山が連なり、あの山の向こうには海が待っている。
杉の木が5本だけ残っているけれど、その周りの茶色いところは整地したところ、
今はまだ泥の地面だけど、2年もすると緑でいっぱいになって、いつの間にか小さな雑木が増えてくるのだ。
 
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ふと見るとところどころにこんなふうに木材の杭がうちこんである。
よくみると木の名前の書いてある標識。
そのとなりに植えられているのはどれも花の咲く木の苗。
墓所だけでなくその周りの場所も花でいっぱいにしようと。
一番最初に天徳寺に来たときにそれまで持っていたお寺のイメージとはまるっきり違う
「人の行き交う花でいっぱいのお寺」という言葉が印象的だったのを思い出してしまった。

寺の池ではたくさんのカエルが日向ぼっこをしていて、人が近づくと「にゃー」とないて水の中に逃げていくし、
樹木葬地のももはしっかりと身を付けているし、
今の季節はあざみで野原がいっぱいになっていたり、
なぜか荒地に蓮華が咲いていたり・・・
ベニシジミもクロアゲハも遊びに来る・・・
そして、前回まだ手も足もなかったサンショウウオのオタマジャクシもも手足が出ていた。
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2011.05.21

おいかけっこ

これも追いかけっこ。
本当は追いかけてないんだけど、何となくそう見えなくもないので∥^o^∥

まだまだ上手くインスタンスがまとめられないけれど、もうちょっと考えればできるだろう。

2011052107cos
チラチラするので、画面をクリックしてください。
別ウィンドウで開きます。

「続きを読む」にも同じものがあります。

続きを読む "おいかけっこ"

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長谷川潔展のコンサート

長谷川潔が好きになったのは横浜美術館でメゾチントを見てからだから、急遽決まった美術展であってもやっぱり長谷川潔を見に横浜まで行ってしまうのだ。
(それにしても次は何をやるんだろう???)

今日は横浜美術館とみなとみらいホールの主催によるチャリティコンサート。
物理的、時間的には厳しかったんだけど、ついふらふらっと行ってきてしまった∥^o^∥

カザルス編曲のカタルーニャ民謡「鳥の歌」は自己をとりに託して描いた長谷川潔にぴったり。
チャリティに参加してくれた東フィルの服部さんのチェロとスクリーンに映し出された長谷川潔の版画がぴったりと息があっている感じ。
こういう所が美術展と音楽のコラボのいいところ。

コンサートの後はコンサートホールの入口のところで銅版画の実演をやっていたけれど人がすごくてCosは見るのを断念。

横浜美術館へさっさと行って今度は長谷川潔を堪能してきた。

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(ちなみにこの絵の中のジャイアントたんぽぽは実在しているのだそうだ。Cosは見られなかったけれど、今日から実際のジャイアントたんぽぽも展示されるらしい)

初期の作品で気になったのはこれ。
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木版画の持つ柔らかさがのちの彼の作品にはないまるさになっている。
Cosの知り合いの版画家の作ったものにちょっと似ているかも。

渡仏してからなくなるまで日本に帰ってくることのなかった彼は収容所に入れられてしまう。
そのことで彼の作品は転機を迎える。
あるとき楡の木が話しかけてきたのだという。
その後の彼の作品には真っ黒なメゾチントの中に透明な光があるかのようにも感じられて、ウォン・ウィンツァンさんの透明なピアノと重なるものを感じさせられた。
黒と白とでちょうど正反対なんだけど・・・・
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花瓶の後ろに水槽をおくと、鼻の中を魚たちが泳いでいるかのような不思議な絵になるのだという。
いくつかの不思議なものたちをおいた静物も実際に存在しているものなのだけど、メゾチントの中ではまるで何か意識を持っているかのように自己主張をしている。
それを見ているこちら側がウォンさんの世界のような感じ。

魚たちにどんな意味があるのかないのか・・・彼の作品の鳥は彼自身を表しているとも言うのだが、魚が何を表しているのかは説明がなかったなぁ・・・
水槽に捉えられている魚たち、自由に花の中を泳いでいるかのような錯覚を覚えるけれど、それは叶わぬ望み。
錯覚できるだけ魚たちは恵まれているのかもしれないけれど、やっぱりせつないなぁ


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2011.05.18

運動会

子どもたちの声がする、応援合戦の練習の声だ。
近いうちに運動会があるのだろう。

例年であれば、微笑ましく思う光景が今年は不安を感じる。
政府は大丈夫だというけれど、地面に近いところにいる子供たちが土埃を上げながらの運動会。
おそらく何らかの形で気をつけはするのだろうけれど・・・

政府の言うことがどれだけ信用できるのだろうか。
政府がなんと言おうとも周囲がなんと言おうとも自分の身は自分で守らなければいけない。
それが自分ではできないのが子ども。

しかも、大人に比べて子どもは体の細胞の活動が活発だから、その分影響を受け易い。
今なんともなくても十年後、二十年後に出てくることも少なくない。
ただ、個々の事例としてはそれが放射能によるものかどうかの判断はできないのだろう。
全体としてがんが増えれば「そうじゃないだろうか」と言われるのにとどまる。
「因果関係ははっきりしない」ということになるのだ。

窓の外から子どもたちの歓声が聞こえる。
それが原因で何かがあっても、確定できないし、何もなくても分からない。
でも、だからこそ・・・・

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2011.05.17

写楽って・・・

事あるごとに書いてきたけれど、Cosは人物画はすきじゃない。

でも、「写楽」と聞くと好き嫌い以前に「写楽ってどんな人?」という疑問が先に立ってくる。
10ヶ月だけ活躍した画家、その野とこつ然と消えてしまう写楽。
しかもそのたった10ヶ月の間に作風も変わるのだという。
今回は全作品145作品(だったと思う)のうち141作品(だったと思う)を一同に集めたのだ。
展示されていない作品のうち2作品は行方不明、1作品は「公開禁止」もう1作品はボストン美術館店で展示中(やるなぁ、千葉市立美術館)なのだそうだ。

人物画が好きとか嫌いとか以前に「写楽」を見たくていってきた東博の「特別展写楽」
期間が延長されて、2011年6月12日まで
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このギョロッとしため、パッと開いた手・・・上半身だけの大首絵の迫力はやっぱりすごい。
それまでの全身像を描いたものはまるっきり雰囲気が違っていて、ぐぃっ、と惹きつけられるものがある。

必ずしも美男美女に描かれているわけではないけれど、なんとなくリアリティがありそうで面白い。
同じ役者を描いた絵でも、他の画家の全身像を描いたものと比較すると「ぱっ」と見たときに目がまず大きな顔に行くのは当然だろう。
どの絵だったか忘れたけれど、必ずしも写楽の絵のほうがいいわけではないけれど、惹きつけられるのは写楽の絵かもしれない。

第2期・・・・5月にデビューして7月にはもう第2期になっているわけだが・・・になると全身像。
201105_00202二人いると三角形になっていてバランスがいい。
こっちのほうがいいという人もいるけれど、(人物画の好きじゃない)Cosとしてはやっぱり最初の大首絵のほうがインパクトがあっていいなぁ・・・
この後、時間と共に写楽の絵はつまらなくなってくる。
一番最後の第4期の絵は面白くない。

今回は同じ浮世絵が版の違いを示してあったり保存状態の違いがはっきりと分かるようにした展示があった。
海外の美術館で保存されたものと、東博で保存されたものを見るとその違いがはっきりと分かる。
多くの場合、海外の美術館のもののほうがずっといい。

東博は何度となく展示をしたり、貸し出しをしたりしているから、なんていうことも関係しているのかもしれない。
常設での展示だったりするとヘタをすると写真を取ることもできたりするくらいだから大事に大事に保存することよりも、多くの人の目に触れることを大事にしているのだろう。
そう思ってみるとより良い状態で保存できないのはなんだか残念な気もするけれど、そのことも感謝しなければいけないんだろうなぁ・・・

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2011.05.16

風の部屋から、そして羽化の時

ハラミュージアムアークで思ったより時間がかかってしまったので、今回もまた富弘美術館には行きそこねてしまった。
いつか行きたいとは思うけれど、ちょっと距離があるのでエリアソンとダブルは難しいかもしれない。

ということで帰りに簡単に寄れそうだった、渋川市立美術館に行ってきた。
銀行と同じ建物の一階に常設の桑原巨守彫刻美術館、3階に今回の企画展「本田高侶展---風の部屋から、そして羽化の時」2011年5月20日まで
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以前は金属を素材として、鏡面に自然を写し込んで「環境と造形を融合させること」とテーマに製作していたけれど、1998年からは自然の中に人体を解放するべく「風」をテーマに古木を主の素材とし、それと同時に「題材と素材の一致」に日間に取り組み制作をしているという。

このチラシを見たときにこのくり抜かれた木に惹かれてしまったのだ。
何百年という時間を自然のままに生きてきた木がその中に人工物を取り込んで一体となる不思議。木(もちろんこれも削り出すという意味では彫刻されているわけだけど)と彫刻、木が彫刻に侵略されているのかもしれないけれど、木はそれをも受け止めている感じ。
自然は強いなぁ・・・こんな時だからこそ余計にそう感じるのかもしれないけれど、長い年月を生きてきた木と共存する・・・
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「風の部屋Ⅱ」
見ているだけで森を抜ける風が吹いてきそうな感じ。
今、さいたま市で「大原大ケヤキ再生造形」に取り組んでいる。
切り倒された古木に鋸を入れて新しい姿で再生していくのだ。
どんなものになるのか楽しみ。

これを書きながらウォン・ウィンツァンさんのUSTREAMを聞いている。
これは音楽の風。
森の中で戯れるこもれびの音・・・
私たちが守っていかなければいけない自然、そして生まれてきた命たち。

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2011.05.15

オラファー・エリアソンの虹

朝おきたら、外はとてもいい天気だったので、高速道路が高くなる前にハラミュージアムアークにリベンジしてきた。
もちろん目的はオラファー・エリアソンの「SUNSPACE FOR SHIBUKAWA」
前回とは違って高速道路もすいていたので2時間半ほどで到着。
(これなら千葉よりも時間的も高速道路代も楽\∥^O^∥/)

「天空を横断して動く太陽の軌跡を、年間を通して視覚的に捉えることができる観測所」なのだそうだが、「年間を通して」というのはかなり難しそう。
もちろん、高速代が1000円で道がすいていれば何度か行くことはできるだろうけれど・・・

実際に中にはいってみたら、日差しが強かったこともあって本当にきれいな虹が出ていた。
なぜか写真にとると白くなってしまうのが残念。

というわけで今日はFLASHを使ってスライドにしてみた。
写真があるとうまく埋め込めないのが残念。
こちらから


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2011.05.14

おいかけて~2

ぴーちゃんからヒントを頂いたので、その2を作成。


マウスを動かさないと追いかけてはくれませんが・・・
(初期値を設定すればいいんだけど、このほうが面白いかと∥^o^∥)

おいかけて~

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2011.05.12

追いかけて・・・

久しぶりのFLASH。
どこにでもあるし、JavaScriptでもかけるんだけど、ここからどうやって遊ぼうかと楽しみ。


上のFLASHが動かない方はこちらからどうぞ追いかけて

【追記】ご要望にお答えしてもうひとつ作りました。

続きを読む "追いかけて・・・"

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駒井哲郎 第I部

1920-1976心の造形物語・・・・駒井哲郎展
町田市立国際版画美術館で第I部は2011年5月8日まで第II部は2011年6月11日まで

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Cosはそんなに美術には詳しくないから、この駒井哲郎という人もよくは知らなかった。
このチラシを見て、
なんだかクレーに似ているこの絵はどこかで見たことがあるなぁ
なんていう程度の関心しかなかったのだ。

といっても「クレー」というCosのキーワードがしっかりと入っていたので、第Ⅰ部の最後に滑り込みで観てきた。

この駒井哲郎展は資生堂の名誉会長である福原義春氏の所有する作品なのだという。
(やっぱりあるところにはあるものだとそっちにも感心)
どれぐらい作品を作ったのかは分からないけれど、彼が気に入ってせっせと集めたという感じなんだろうなぁ・・・
ある意味で文化を守るのは持てるものの義務という考え方があるけれど、それを実践、いいなぁ・・・

で、その作品。初期のものは今ひとつだったけれど、抽象画に入ってからはとてもいい。
中でもCosが気に入ったのはこれ。
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束の間の幻影

どこかで見たことがあるんだけれど、どこだかは思い出せない。
幾何学的な立体図形のオンパレード。
下底が円で上底が正方形の中心にある図形はどう変化しているんだろうと考えてみたり、鼻のついた円錐台とか、ふんわかとした空虚の中に漂っている感じ。
同じように空間に角錐台が浮かんでいる「時間の迷路」もおもしろかった。

同じ版画を福原コレクションのものと、版画美術館所有のものと並べて展示してあるのも面白いけれど、Cosには比較してどうのこうの考えるよりも一つ一つの絵を楽しむほうが性にあっている。

なんとなく、数学記号がたくさん並んでいる「記号の静物」にニヤリとし、ちょっと間の抜けたような不条理感が漂う樹木やある空虚の寂しさにしんみりし、「13」とか『夜の芽生え」とかの黒に感動したり・・・

1967年ぐらいになると突然絵の迫力が増す。
絵の雰囲気が「どかん、どかん」という感じで迫ってくるような。
絵がどこか活き活きとしているようにも見える。

第Ⅰ部はこんな感じ。
第Ⅱ部はもう始まっているけれど、いつになったら行けるかなぁ・・・


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2011.05.10

江戸の人物画

もう終わってしまったけれど、府中市美術館でやっていた「江戸の人物画」
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個人的な好みとしては「人」よりも「動物」とか「植物」とか「風景」とかのほうが好きなんだけどなぁ・・・

とは言っても「江戸」という時代に西洋の写実的な描き方を見てそれに影響を受けていたりするのは結構面白かった。

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前期と後期に分かれていてほとんど入れ替わったんだけど、面白かったものとしてはやっぱりまず若冲だろう。

これは後期に展示されいていた古くなった品物の妖怪たちの付喪神図。黒い背景の中に浮かび上がっているユーモラスな妖怪たちは楽しい。
おどろおどろした妖怪ではなくて、親しみを持って描かれている妖怪たち。

Cosにはよく分からないけれど、こういうふうに書くのも難しそう。


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ユーモラスといえば仙厓の凧揚げ図。
これは前期の展示でほのぼのとしたいかにも仙厓らしい絵。
後期も同じようにほのぼのとした絵が展示されいてた。
「指月布袋図」・・・月が取れたらお前にやろうと子どもに言っている
見ているだけでほのぼのとしてくる
これよりも頭蓋骨から草が生えているもののほうが好きかもしれないなぁ・・・

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前期に展示されていた円山応挙の「元旦図」
元旦のお日様に向かっているのだろうか?
明るい絵柄なんだけど、どこか静謐を感じる。
これに対して後期は東東洋の「夕陽人影長」。これもまた影を見る絵。
どちらもたった一人の人が立っているだけ。
どちらも時間の長さと静けさを感じるのがおもしろい。


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これはご存知蝦蟇仙人
3本足の蝦蟇をつれている。あれこれガマ仙人の絵を見ていると前足が一本なのではなく、後ろ足が一本らしいのだがどうしてだろう??

ここにはないけれど、久米仙人が雲から落ちるところも面白い。
女性の足を見て邪念が出て雲から落ちてしまうのだが、「足が出る」なんていう半端なものではなく、上から下まで足が丸見えになっているのだから、久米仙人が落ちるのも無理は無い
とでもいいたげ∥^o^∥


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これは前期も後期も展示されている円山応挙の「波上白骨座禅図」
衣服も性別も、ひとりの人としての特徴をすべて失って、「ヒト」であることだけが残っている白骨がどこでもない波の上で坐禅を組んでいる。
すべてを無に返した「ヒト」が坐禅を組んでいるのがきっと究極の信仰なんだろうな。

「ヒト」の強さと、付属物を持っていなくては気の済まない「人」の弱さが浮き彫りになっているような気がした。

それにしても、こうやってみてみるとCosが選んだ絵はどれ一つとして普通の人の絵がないなぁ・・・
まあ、人物画はすきじゃないので、こういうモノばかりを選んでしまうのかもしれない。
だからこそ、「江戸の人物画」なのにすごく楽しく見られたのかもしれないが・・・・

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2011.05.08

理想の生活の現実

樹木葬には天徳寺の檀家の方たちが手伝いに来ている。
Cosたちも毎回お手伝いをしているので、檀家の方達とも自然に親しくなってくる。
「うちにもいらっしゃい」といつも誘っていただいているので、今回はちょっとおじゃましてくることにした。

兼業農家に嫁いできて、子供たちは成人して家を出ていってしまい今は夫婦ふたりで暮らしているお宅。
どんな暮らしをしているのか今までは考えたこともなかったけれど、お宅におじゃましてびっくり。
広い裏庭は果樹や野菜の畑。
家で食べる野菜や果物は全部此処で作るという・・・いや、実際にはそれ以上に取れてしまうので本人は売ったりしたいのだが、「そんなことをしなくても暮らしていける」という言葉で親戚に配ったりしているらしい。

「年をとって歩くのが大儀になっても喉が乾いたらすぐに果物が手の届くところにあるように」と次第に家の近くに果樹を植えるようになったのだという。

若い頃は夫婦ふたりで共稼ぎ、畑は土日にやっていた・・・どう考えてもめちゃくちゃ忙しい生活。
「一週間もほっといたら草がすごくなりませんか?」というCosたちの質問にも笑いながら
「あたりまえだよ。毎週毎週草取りだったよ」と。

自分たちの食べる野菜(たぶん田んぼも持っていると思うった)は全部自分たちで作って自給自足。
きれいなものが好きだからといろいろな花を植え、果物を植え、いろんな野菜を作る。
Cosが若い頃に夢見た理想の生活なのだが、話を聞いてみるとCosにはとても務まりそうもない。
草取りひとつとってみても、見せていただいた畑の草取りだけでもすごく大変そう・・・・

なんてCosたちが言ったら「じゃあ、今度うちに草取りにおいで、泥だらけになるから汚れていいようなぼろ靴を持っておいで」と・・・
ひえぇ~~~

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2011.05.07

2011春 樹木葬の集い

年に2回行われている樹木葬の集いはことしから埋骨をなさった方とまだの方に分けて行われることになった。
Cosが参加したのはもちろん埋骨を済ませた方のほう。
分けたので人数が減ったとは言え、それでも100人以上いるから準備は大変そうだ。

前日は曇だったのに、夜中にはすごい雨。

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結局朝になっても雨はやまず、集まりを本堂でやることになってしまったのはちょっと残念。
本堂からは雨のおかげで手前の緑が生き生きとし、遠くの山が霞んで見えるので景色としてはいいのだが、せっかくの集まりなのだから、みんなで唱える般若心経も、「ふるさと」や「千の風になって」の歌も亡くなった方にも聞かせてあげたかった。(当初は本堂では「ふるさと」だけを歌う予定だったのだが、急遽「千の風になって」も歌うことになって焦った焦った・・・∥>_<∥ )

焼香だけはは外にテントを出して、各自でやっていただくことにしただがそれもちょっと寂しいかも。
(写真は終わったあとでとった物)
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そしていつも楽しみにしているお弁当
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Img_0462

つくしと菜花のおひたしはつくしの出たときに作った佃煮を利用。
今年は去年が暑かったからか、筍が余り取れなかったとのこと。
同じような感じのメニューでも年によって微妙に違っているのが面白い。
今年はよもぎ団子が2種類も入っていて、ヨモギが大活躍。

ヨモギは食べるばかりではなく、天徳寺特性の入浴剤にも使われている。
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この写真はオドリコソウ。ヨモギと一緒に干してあった。
この他にも干したあまなつが入っていて、お風呂に入ったときにはとても気持ちがいい。
(Cosも前の日に入浴剤入りのお風呂に入らせていただきました。気持よかったァ・・)
あっという間に売り切れていて「買おうと思っていたのにぃ」・・・
同じ干したものとしては入浴剤じゃないけれど、しいたけなども一年分ほしておこうということで住職が作ったのが、この干し機
P1060007
中にニクロム線の伝熱が入っているらしい。
住職は何でも作ってしまうのだ。
きっといずれは薬草とかハーブも作るんだろうなぁ・・・・

昼過ぎには雨も上がったのでCos達はお散歩。
お寺の長靴を借りて行ったけれど・・・泥のところを歩いたので凄まじいことになりました・・・∥^o^∥
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第二樹木葬地の入り口にはこんなふうにつつじが咲き誇っている。
つつじはここだけじゃなくて樹木葬地のあちこちで花を開いるおかげで「花いっぱいの樹木葬」になっていました。
「花に囲まれた天徳寺」の言葉通りに・・・

そして、今回の天徳寺の訪問で(Cosにとっての)最大のニュースはこれ。
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なんと、サンショウウオ(確かトウキョウサンショウウオ)のオタマジャクシが天徳寺の近くにいた事。
となりの総代さんのオタクで、サンショウウオの卵は見たことがあるけれど、実物ははじめて見た。
住職はある程度大きくなったら帰すのだといってたけれど、その前にもう一度見たいなぁ・・・

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2011.05.06

樹木葬の夜

今夜は樹木葬の準備で天徳寺にお泊り。

母の具合が悪かったこともあって、しばらくきていなかったのだが、父の木はしっかりとたくさんの蕾をつけていた。

もうあと何日かすると花をつけるだろうけれど、母に見せることはできないだろうなぁ・・・


慈しみ基金を使って、被災地に行った住職からいろいろなはなしをうかがった。
被災地の避難所で必要とされているもの、いろいろな人が欲しいと思っているもの、
卵が欲しいとか、調味料が欲しいとか、タバコが欲しいとか、必ずしもみんなが送っている様なものばかりとは限らない。
被災地の方達は必要なものはいただいているので、それ以上には欲しいものがあっても言い出せないなんていうこともあるらしい。

今住職が考えているのは買い出しがかり。被災地には必要なものはあるけれど、欲しいものがあるわけではない。車があれば買いに行くこともできるけれど、車がなかったり高齢者で出ることが出来なかったり、という人のお手伝いをすることができないだろうか、そういう人を雇うことができないだろうかと。
それはそれもいいなぁ・・・と思うのだけど実際の所はどうなんだろう。

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2011.05.05

artcircleへ

「アート好きのアート好きのための図録放出会」はtwitterの中から生まれたイベント。
みんなの家庭に眠っている図録を放出して、その売上を東日本大震災の義援金として寄付しようというのだ。
あっという間にartcircleができて、トントン拍子に話が進んでいった。

Cosなんかからみると「こんな大変なことを・・・」と思うのだが、あっさりと実現してしまうその行動力にはすごいものがある。

というわけで今日は第一回の放出会。
知っている人、知らない人、いろんな人が来ていてCosが行った時には
「もういいのは出ちゃったよ~~」とも。
しかし・・・実はいいのがいっぱいあったら困るのである。
それでなくても図録は重いし場所をとるし、出来る限り買わずに済ませてきているのに、欲しい物がたくさんあったら絶対に買い込んでしまうに違いない。
だいたいそれでなくても「アート」+「本」+「安い」とCosを誘惑する三点セットが揃っているわけなんだから・・・

それでもまだまだたくさんある図録をじっくりと眺めて我慢に我慢を重ねて・・・・
重さをじっくり確かめて・・・・

一階ではいっぱい飲みながらみんながおしゃべり。
美術関係の大勢の人と合うのは久しぶりの気がする∥^o^∥
余裕があれば夜までのんびりしたかったところだけれど、この週末は予定があって忙しいので今日はおとなしくビール一杯だけで帰宅。

その前にもう一度図録を見に二階へ・・・
当然のごとく荷物が重くなって時間も予定より遅くなって・・帰宅。

@taktwiさん、@sachie さん、@sorciere4さん、皆さん、ありがとうございました。

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2011.05.04

ハラミュージアムアーク

ハラミュージアムアーク・・・もう何年も一度行きたいと思っていた場所。
特にエリアソンの作品が展示されていると聞いてからは何がなんでも行くと決めていた場所だけど、気楽に行くには遠すぎてのびのびになっていた。
が、高速道路が高くなると聞いたらあわてて・・・・∥^o^∥

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どこか、瀬戸内で見た南寺や松代で見た光の家と似たような感じの建物。
(たぶん)三方に伸びた形が枠にはまっていない。

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ジャン=ミシェル オトニエルのKOKORO

ムラーノガラスというガラスで出来ているのだそうだ。
私とあなた、あなたともう一人の人、その人とまた次の人・・・人と人をつないでいく。
「今」に一番ふさわしい作品かも。

そして中に入らずに野外にあるエリアソンの作品へ。
(なんていう名前だか忘れたのがすごく悔しい)
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外からみるとこんな感じでかなり変な形。
中を覗くと・・・
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中に入ると
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外から見た形は知っているけれど、距離感を失って真っ白な壁に向かい合っているような、真っ白な空間がどこまでも広がっているかのような錯覚を覚える。
小さな丸のようなものが明かり取りの窓。
この時間は曇っていたので晴れていれば中はもっと真っ白になるんだろう。
ただ、一箇所微妙に汚れているところがあって、そこを見ると距離感が分かってくるのが残念だった。

ここはもっと晴れていれば光が浮かび上がるとも聞いている。
残念なことに曇っていたのでこの程度。
もう一度晴れている日に来なくてはならない・・・・・

気をとりなおして建物の中へ。
入り口には
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「すべての落日の断片的解剖」 イ ブル
鏡を利用して同じ形がつづくようにしてある。

なかなか面白かった。

今は「宇・宙(コスモス) コレクション展」
ギャラリーA、B、Cと観海庵に分かれて展示されている。
展示室の入口はこんな感じ。
P1050888
そしてカメラはここまで。

ギャラリーAだったかな?中に入ると波の音が聞こえる。
地球の動きを感じさせる野村仁さんの∞マークの月の写真を見ながら音のでどこはどこだろう??

部屋の一番奥に暗幕が引いてあってその向こうには・・・・・
「束芋だぁ!!」
束芋の「真夜中の海」のビデオインスタレーション(?と言っていいのだろうか?)
一つではなく、鏡を使って見渡す限りの海。
そのスケールの大きさにも感動。
それはちょうど彼女の通勤電車の三方向の映像に取り囲まれていたときに感じたショックにも似ていたかもしれない。
さすがは束芋。

そして、ギャラリーBの一番奥の部屋で引き戸を開けるとそこは一面の黄色の中に黒い丸が点々と付いている草間彌生の「ミラールーム かぼちゃ」
ん?かぼちゃがない!
部屋をぐるっと回って覗いた先にはかぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃ・・・・
Cosはひとりで行ったから言葉が出なかったのは当然だけど、あとから来たカップル、それまではずっとおしゃべりをしていて、やっぱり「かぼちゃがない」なんて言っていたくせにかぼちゃを見た瞬間に言葉を失って沈黙。
これもやっぱり実際に見てみないとそのショックは伝わらないかもしれないけれど、入り口のポスターなど
P1050939

ギャラリーCは杉本博司の写真。
考え方は面白いけれど、見て面白いものではなかった。

最後の観海庵で待っていたのは江戸時代ぐらいの日本の美術と現代の美術の融合。
これが不思議にマッチしていて面白かった。
ただ、カプーアの虚空は光の当て方が今ひとつで、作品の良さが失われていたのが残念。
でもここでマーク・ロスコに出会って\∥^O^∥/

すっかり満足して、Cosは再び渋滞に突入して行った∥>_<∥

あぅっ、でもエリアソンはもう一度見に行かないとなぁ


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渋滞の真っ只中へ

ETC割引の1000円が6月いっぱいで廃止になりそうだと聞いて、「行くなら今のうち」と考えた人がいかに多かったことか。

当然Cosもその一人で、けさは頑張って早起きしてお出かけ。
中央高速の八王子インターから乗ると、圏央道経由で関越道に行けば圏央道は大都市近郊区間のくせにこのルートだけは上限が1000円になるのだ。
ただし、八王子インターから八王子JCT経由で圏央道になるので、直接圏央道から乗るのに比べるとかなり距離がかさむ。
でも、1000円の魅力にはかなわず、当初の予定では八王子へ。

が・・・八王子インターに何時まで経ってもつかない・・・というのはオーバーとしてもうちを出て1時間たってもまだまだインターにつかないどころか、八王子から下りはずっと渋滞で八王子JCTまで90分とか出ているのを見て急遽予定を変更。

さらに一般道を走って、あきる野インターから圏央道へ。
これで2時間近くショートカットできたはずなのだが、金額は1250円になるのだ。
お金はかかるけれど中央高速の渋滞を避けて、圏央道を気持ちよくドライブした。

が、関越道に入ってからは・・・今日のニュースを見た人はご存知と思うけれど、ずっと渋滞。
GoogleMapさんは3時間と言っていたけれど、この分では6時間かかりそうな勢いになってしまった。

途中でやめようかとも思ったけれど、一人旅の気楽さで「行ってみたら閉館時間なんていうことはないだろうから」そのまま突っ走る・・・というかそのままたらたらと高速道路を走る。
前橋を過ぎてやっとすいてきたと思ったら
「渋川伊香保インター出口渋滞」・・・アチャ∥>_<∥

当然のごとく、渋滞は出口だけじゃなく、目的地まで断続的に渋滞・・・_| ̄|●
というわけで着いたのは昼過ぎ。

となりの牧場と共用の駐車場は大きな臨時駐車場を幾つも作ってあって、子供連れがたくさんきているのでCosが止めたのはずっと奥のほう。
たぶん普段は牧場として使っているのだろう。
草が生えていて歩くととても気持ちがいい。

幸いなことに美術館はそんなに人が多くなくて(でもたぶん普段に比べるととんでもなく人が多かったんだろうな)ほっとした。
P1050855

まあ、走って入ったわけじゃないけれど、ひと通り見終わってお茶でも・・・と思ったら
牧場から次から次へと親子連れが駐車場に向かっている。
小さい子供がいる→早く帰る→早くから帰り道が渋滞→出口渋滞+帰り道渋滞+高速渋滞・・・
別にそんなに急いで帰らなくてもいいけれど、トリプル渋滞は嫌だったので、お茶も飲まずにそのまま帰宅の途につく。

もちろん見たいものは心いくまで見たから気分すっきり、満足して 
出口渋滞なし→帰り道渋滞あり→高速渋滞途中までなし
帰り道で寄居のPAによったけれどここは星の王子様ストアでなかなか感じが良かった上に、飲んだコーヒーがとても濃くて眠気も取れて\∥^O^∥/

ここで寄り道したせいでこの後渋滞になったうえに土砂降り。
それでも帰りは予定通り八王子インターから出て無事に帰宅。

本当は3時間でついて3時間で帰って来れるなら、のんびりとお茶をしたり、他のところによってもいいなぁ
なんて思っていたけれど、そんな余裕がなかったのはちょっと残念。

またチャンスがあったら行ってみたいところではあるけれど、高速代が高くなったらいけないだろうなぁ・・・

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2011.05.02

椿書院 田窪恭治展

もし、行ったことがなければこの田窪恭治展にも関心がなかったかもしれない。

東京都現代美術館で2011年5月8日まで

Cosが金刃比羅宮へ行ったのは2007年。

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このときに応挙や若冲を見た後で書きかけの椿書院を見て襖からはみ出し、壁からはみ出している椿を見てお寺にこれがふさわしいんだろうかとびっくりしたことを今でも憶えている。
そのあとで椿のタイルも見たんだけど、書院のショックのほうが大きくてどんなだったかよく覚えてない。
まぁ、少なくとも壁画(と言っていいのかなぁ?)よりは「普通」という感じがしたのは確か。

Img_6014


だけどその椿の絵は作家の名前も含めて忘れることはなく、「田窪恭治展」と聞いた瞬間にあの椿の部屋が思い出されたのである。
「きっと壁画ができたからなんだろうな。」と思ったのだが・・・

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入ってすぐにあった「琴平山再生計画」・・・う~~ん、現地でも見たような気がするけれど、自信がない。
椿のタイルを見ながら入った次に区画には一面にタイルが敷き詰めてあった。
「コルテン鋼」あるいは「鋳物」のタイル(どっちだか分からない)の上を歩くと微妙にカタカタと音がする。平らな床の上に敷き詰めているので、そのままでは音がしないような気もするから、音が出るように工夫してあるんだろう。

そして、前回にはその言葉と写真だけでよく分からなかった「りんごの礼拝堂」
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都現美の地下の吹き抜けにこの礼拝堂が模してあった。
実際には似て非なるものなのかもしれないけれど、フランスの白い石(なんだったか忘れた)の代わりに切り出したばかりの大谷石で作られた造作はどこか敬虔な雰囲気も残しているようにも見えた。
(床のタイルも良かったしね)

そして椿書院
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Cosが見たときにもちょうどこんな感じで椿(やぶつばき)が襖だけで収まりきらず先へ進むに連れ壁に天井に伸びていく。
若冲の百花図の後に見たのだが、派手さでは負けてないなぁと思ったのを覚えている。

今回は襖と壁を外して持ってきていて、縁側から座ってみることができる。
が・・・2007年にはまだできてなかったのだが、今回もまだまだ未完成なのだ。
今、見るのなら未完成のままで終わってもいい感じがするけれど、将来時間が経ったらどうなんだろう??
そして、今回の襖や壁のさんがアルミなのである。
金属のアルミの色が入ることで絵の雰囲気がまるっきり変わっている。
書院で見たときの柔らかさが無くなってしまっている。ちょっと残念。

風景芸術・・・単体としてではなく、今ある風景の中で描かれた芸術ということなのだろうか?
壁画だけでなく、教会を、書院を、そしてその周りの景色までも含めてひとつの世界を作り上げるということなのだろうか。
今ひとつCosには分からなかったけれど、これから先「こんぴらさん」がどうなっていくのか完成したら見てみたい気がする。


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2011.05.01

五百羅漢展

そもそもCosは「羅漢」という言葉は聞いたことがあってもそれが何なのか知らなかったし、いずれ見に行くかもしれないけれど、そんなに慌てていくことはないと思っていた
東京江戸博物館の五百羅漢展
2011.7.3まで
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本当は今日も他のところへ行こうと思っていたのだが、周囲の人達が「いいよ~」「いずれ混むから早めにいかないと」などと言っているのを聞いて急遽予定を変更して見に行ってきた。
(後の理由のほうがCosにとっては問題だったのだが)

確かに行ってみて面白かった。
江戸時代のスーパーヒーロー500人の羅漢たちの活躍絵物語なのである。

何度となく行っているような気がするけれど、Cosは人物画が好きじゃないからこれを描いた狩野一信という人の力量はよく分からない。
だいたい、日本画の力量なんてさっぱりわからないのだ。単に若冲の自然描写がすごいとは思っているだけでそれ以上は誰がうまいも下手もないのだ。

この一信という人もうまいらしい。
確かに一枚一枚の絵を見ているとそこから人物たちがうごきだして、ひとつの話を創りだしてくるから見ているだけで面白い。

最初の方にあった第15幅第16幅の「論議」なんて、一生懸命に発言している羅漢もいれば、ふむふむと話を聞いていたり隣の人とおしゃべりしている羅漢も居る。一生懸命にノートをとっている従者(?)もいれば、サボっておもしろがっているのも居る。
この2枚を見ているだけでもそうそう飽きない。
絵を見ながらああでもない、こうでもないと考えていたりする。
その上、解説には「さながら朝まで生テレビ顔負け」とか何とか書いてあるのだ。
その解説を読みながら見ていると笑いがこみ上げてきたりもする。

第19幅第20幅の伏外道なんて、異教徒を無理やり改宗させちゃう話なのだ。
異教徒は首から髑髏のネックレスをかけていて・・・第19幅でそれを外して、
第20幅では自分たちの持ってきた経典か何かを燃やしちゃうのである。

それでもまだ最初のうちはあんまり荒唐無稽じゃないんだけど、「地獄」が出てきたあたりからおかしくなってくる。
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宝珠からのビーム発射!
が、まだここではあんまりビームが強くないらしく氷地獄に落ちた人達を救うことができないのだ。
羅漢ともあろうものが・・・。

ところがだんだん神通力が強っくなって・・・ビームも強力になるし
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ここではお腹の中をひらいてその中に居る菩薩(だったかな?)をサルたちに見せているのである。

あるいは顔をはがすとその中から菩薩の顔が出てくるなんていう二十面相並みの絵もあったり、人間を助けることもできなかったビームも悪鬼や羅刹をあっさりと倒せるようになったりもするのである。

こうなってくると正に「スーパーヒーロー」・・・
100幅も考えているうちにだんだんエスカレートしてきたのかもしれない。

がさすがに100枚は体力が続かなかったのか最後の数枚は一信ではなくお弟子さんたちが描いたものということでやっぱり器が小さくて面白みがない。

この五百羅漢、芝の増上寺で明治、大正時代には羅漢堂があって年に数枚ずつ展示されたこともあったらしいけれど、そこが空襲で焼けてからはひっそりとお蔵入りをしていたという。
一度に数枚ずつならのんびりとストーリーを考えながら見るのも楽しそうだ。

100枚となると・・・う~ん、自分が見た絵をきちんと覚えてないなぁ・・・

でも巨大な成田山新勝寺の釈迦文殊四天王十大弟子図はサイズが大きいだけじゃなく、光の当て方一つで見え方が変わってくる不思議な絵だった。これも一見の価値があるなぁ

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