2009.11.07

大地の芸術祭秋(その4) タレル光の館

今回どうしても行きたかったのがタレルの光の館。

以前金沢の夜を過ごしたタレルの部屋の良さが忘れられなくて・・・

宿泊施設にもなっていて泊まることができるのだけど、予約がいっぱいだから夜を楽しむことはできなかったのが残念。
そのうち何とか泊まれないものだろうか・・・

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この高床式(といっても一階部分があるので実際には違うのだけど)になっている光の館。

二階の四方が回廊になっていて直接自然を感じることができる。
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これはほかの部屋だけれど、温かな間接照明。
はっきりした記憶はないけれど見たのはすべて間接照明だった気がする。
キッチンは直接照明になっている部分もあったかもしれないけれど、和室はすべてこんな感じで落ち着いた雰囲気。

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宿泊客でないと使用できないトイレ。
こんな風に柔らかな光に囲まれてすごす夜はうらやましい。

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そして屋根が空いて四角く切り取られた空。
畳の上にねっころがって空を見ていると距離感も失われてどこまでも広がって伸びていくような不思議な感じ。

こうやって映像で見るとたいしたことはないけれど、部屋の中で見ていると空と一体になったような不思議な感動。
これを味わいに来たんだなぁ・・・

(新しいカメラは動画がQUICKTIMEの形式なのでそのままでは編集できずに悪戦苦闘・・・)


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2009.10.18

大地の芸術祭秋(その3) 霧の朝

当初の予定では「朝は棚田」と思っていたのだが、ちょうどこの時期は稲刈りが済んだところで水が入っていないときいて、(早起きも苦手だし)まあいいか・・・

それでもあと10日ほどするとまた水を張ると聞いたので、この記事を書いている今頃は棚田では旭や夕日が輝いているんだろうなぁ・・・

平地であれば水を張らなくても大丈夫だけれど、棚田では水を張らないと田んぼが割れて水が漏るようになってしまうのだとも言う。
それだけの手入れを必要とする棚田・・・かつては出稼ぎの盛んなこの土地で残った人たちが水を張って田んぼを守ったのだろう。

「きれい」というだけで済ませてはいけないひとつの文化。

なんていうことを宿に入っておいしいお米の食事をしながらちょっと考えはしたけれど・・・・

それなら!
とばかりに早起きをして見られなかった松代のほかの場所を朝食前に見に行くことにする。

結果としてはそのおかげで幻想的な風景が見られたし、霧が深かったので同じ宿にいた方に伺ったら棚田の景色も今ひとつだったようだった。

というわけでCosたちは早起きをして昨日の鉛筆から見始めることに。
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霧の中に昨日も見た「リバース・シティ」
一本一本の巨大鉛筆には世界の各都市の名前が入っている。
深い霧の中の姿は何かを象徴しているかのよう・・・
箱に入った色鉛筆のように世界が集まっている。

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まあ、「この鉛筆はかけるんだろうか?」というのがCosの素直な感想だったかもしれないが・・・∥^O^∥

霧の中に浮かび上がってくる作品は「霧」というだけで幻想的にも見えてくるから不思議。

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意味を知らないと面白くもない作品。
北斗七星の形にあけられた穴から雑草が生えてきて季節とともにその姿を変えていくという「関係--大地 北斗七星」
概念としては面白いし、頭の中だけで考えるとそれなりによさそうに見えるけれど、実際に見てみると・・・北斗七星だと知っていてもあまりCosに響くものはない。

発想としては面白いと思うんだけどなぁ・・・

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これも発想としては面白い、「今を楽しめ」
松代の子供たちと作ったという雪だるまを冷蔵庫に閉じ込め、会期終了後は解けていくのだという。
が・・・・雪でできているなんて見ただけではわからないのだ。
雪だるまはかわいいし、雪深いこの地を象徴しているのだろうとは思っても、そこまでは思いつかなかった。
まあ、かわいいからいいんだけど・・・

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「平和の庭」インドのやわらかい大理石で作ったハスの花のオブジェ。
日本人の発想のハスじゃなくて、インド人の発想のハスなんだろうな。

昨日、農舞台から見た棚田の一番上になる小さな池のほとりにさりげなく。
左の方に見える黄色い人が昨日農舞台から見た棚田で働く人。

静かに、まるで本当の植物のようにさりげなくおかれている。
派手なところ、主張するものは見えてこないかもしれないけれど、静かな池にふさわしい。

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陽がほのかに差し込んできて・・・・なまえのわからないトーテムポール(?)を浮き上がらせている。
アート作品としてはすごいとは思わないけれど、霧と朝日の中の姿は・・・自然の力は・・・本当にきれい。
早起きをしてここまで上って来てよかった。
(といっても、もちろんくるまで上ってきたんだし、この写真も多分車を降りることなく開けっ放しの屋根から撮った・・・のだったと思う)

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見ただけで笑い出したくなるようなかかしプロジェクトはMOT(東京都現代美術館)近くの深川の人たちの作品。
この深川の町は「アート」に力を入れていて、MOTの行き帰りに楽しんでいるのだが、東京を離れたここでまた出会うとは・・・
なんだかうれしくなってしまった。


道の脇に並んだかかしたちはオズの国に迷い込んでしまったかのように通る人を歓迎してくれている。
気分はちょっとファンタジー。

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ある意味、Cosの理想郷である森の中の図書館「フィヒテ」
ここで本を読んでのんびりすごしたくなったのはいうまでもない。
本来、本は湿気や光に弱いから、戸外に図書館を作るのは無理。
子供のころ、森の中の隠れ家を楽しんだように、森の中の秘密の図書館を楽しみたいものだ。
雨が降ったら傘を差して、雪が降ったら雪に埋もれながら・・・

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材木を積み重ねて作られた「棚守る竜神の塔」
棚田を見下ろす山のキャンプ場の入り口の空き地に作られている。
製剤所から出てきたような板で作ってある竜神はなかなか面白い。
この竜神の脇の道を登って上のほうに上がっていくと、眼下には
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竜神は深い霧の中に沈みこんでいる松代の街を見守り、霧の向こうには街を挟んだ向こう側の山の緑が見えている。

霧の向こう側に見える山は不思議なこの世のものとは思えないような不思議な世界・・・

確かにここでCosはアートに出会った。
が、自然に勝るアートはないのだと改めて感じたひととき。

このあとぐるっとまわってから降りるころには霧もすっかり晴れて不思議な世界も消えてしまっていた。

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2009.10.12

大地の芸術祭秋(その2)農舞台周辺

大地の芸術祭秋(その1)農舞台からの続きです。

農舞台を見終わった後は「暗くなる前に」見られるだけ見ようとせっせとうろうろ。
第一の目標はそこに見えている草間弥生なのだが、なかなかそこまで行き着けない。
何しろ農舞台を出た途端に
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里山アート遊園地・・・が待ち構えているのである。

さすがに遊園地では遊ばなかったけれど、これ以外にもジャングルジムがあったり・・・


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藤本修三の「空と地の間にて」
足が日本しかないデッキチェアは互いに支えあっているんだろうな。
二人が・・・二人がけのソファと違って微妙な見つめあいながらも近づけない距離をおかなければならないせつなさを味わいながら・・・語らう。
このほかに5人用(写真の奥のほうのデッキチェア)のもあったけれど、こっちのほうがずっとよかった。

さらに、カラフルなたくさんの板が並んでいるような「まつだい住民博物館」とか

さらには「かまぼこ型倉庫プロジェクト」
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この大きさの順にならなんだかまぼこ型の倉庫の中にはいろいろなものが展示してある。
(中身はCosの趣味じゃなかったけど・・・)

こんな調子で一つ一つ見ていくからいつまでたっても草間弥生にたどり着けない・・・∥^O^∥

とうとう、ちょっと見てみたかった郷土資料館はパスして草間弥生「花咲ける妻有」へ。

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もう少しして雪が降り始めると、この花も雪に埋もれるのだろうか。

以前直島で見たかぼちゃはこれに比べると自己主張が弱いように見えてくる。
自然の美・・・向こう側の棚田に負けないだけの存在感と自己主張を持って咲き誇っている花。

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ばったが止まるのにふさわしい。

しばらくの間あっちからこっちから楽しんでいるうちにあたりは次第に夕暮れになっていく。

くるときとは違う道から農舞台の駐車場に戻る途中には里山アート動物園が待っていた。

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Cosは最初のどこかうらぶれたアリが好きだなぁ・・・
トラの向こうにちょっとだけ見えているのは「地震計」だったと思う。

農舞台の下では遊園地の隙間滑り台とか、車にペインティングしたものとか・・・
そしてなによりも今日刈っていた稲がここに集められていた。
稲刈りをしていたおじさんとおしゃべりを楽しんで・・・
「松代の米は収量が少ないから有名じゃないけど魚沼産のコシヒカリなんかよりもずっとおいしいんだ」
「市場には流通してないけど、直接買っている人も少なくないんだ」という話を聞いて今夜のご飯が何よりも楽しみになった。

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このほかにもまだまだいろんな作品がこの近くにあったけれど、空にはこんな月も出てきて、

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反対側の澄んだ空の雲は紅く染まっていた。
東京で見るのよりもずっと澄んだ空気と豊かな自然。
アートに負けない美がここにもあった。

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なんていう感傷的な気分とは裏腹に・・・帰る道でみた
川沿いに並んでいる「帰ってきた赤ふん少年」・・・
ヤッパリCosたちの落ちはここにあるのかも・・・・


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2009.10.11

サイトシーイングバス

府中市美術館で11月3日まで開催されている「多摩川で/多摩川から、アートする」のイベントのワークショップ「サイトシーイングバスカメラで府中の風景再発見!」に参加してきた。

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最初はピンホールカメラと思ったのだが、ピンホールではなく窓にレンズをつけていた。

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「暗室になっているバスにバスの左右の窓に取り付けられたレンズから車内のスクリーンに映し出される映像。

暗い車内でスクリーンを映したのでかなり暗くなってしまって何がなんだかわからない部分もあるけれど、実際にはもっとはっきり見えたのだが、動画にするとかなり見づらくなっている。

しかもパナソニックのデジカメを買ったために、もともとはmovファイルというWindowsに対応していない形式でサイズも馬鹿でかかったのでそれを小さくしてmpegにしたから画質もかなり劣化している。


交差点で止まったバスが進むところからスタート。
上下がさかさまになり、バスは右方向に進んでいるのに、見ていると後ろに進んでいるようにも錯覚してくる。

両側の窓のレンズから入った景色が真ん中のスクリーンに映し出されているので、普通は明るいほうが映っているのだが、交差点にくると右からの像と左から像が入り乱れて入れ替わったりもする。
この映像ではよくわからないかもしれないけれど。

実際に見るとまるっきり違って幻想的な不思議ないい雰囲気なんだけど・・・

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日のあたっているところは明るく映っているけれど、当たっていないところは夜のようにくらい。
マグリットの絵のように。

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大地の芸術祭秋(その1)農舞台

越後妻有で開催されている「大地の芸術祭秋」・・・Cosだって本当はメインである「夏」に行きたかったのだが、夏休みは思いのほか忙しくてとうとう行き損ねてしまったのだ・・・_| ̄|●

まあ、行ってみたら本当に楽しかったし、思いっきりたくさん見たし、充実した時間がすごせたので純分満足したからいいんだけど・・・
満足した割りに後でチェックしてみると半分も見てないのだ。
う~ん、もっと見たかったなぁ

仕事の都合で昼前に東京を出発して関越道を通って松代へ。
東松山からは1000円だけど、そこへ行くまでに何やかやを通って1850円。
ついたのは3時ごろだったからこの日は松代台へ。
ほくほく線松代駅の向こう側に農舞台が見える。

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まず駅の観光案内所で地図とパスポートを入手。
ここには夏の間はもうひとつ作品があったようだけど、今は閉鎖されていて見ることができない。
ちょっと残念。

まあ、いくらでも見るものはあるんだからと気を取り直して駐車場にもどる。
画面にはないけれど、駐車場からは草間彌生の作品が見えて早く行きたくてうずうずする。
が、草間彌生は野外の作品だから閉館時間にかかわらず見ることができるのではやる気持ちをぐっと抑えて小さなトンネルをくぐって農舞台へ。

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駐車場に入るとそこにはこんな作品が待っている。いや、これだけじゃなくてあっちにもこっちにもおもしろそうなものが・・・・小さな川の向こう側にも待っているのに・・・
「野外は後!」
再び我慢をして建物の中に入る。

入り口では楽しそうな不思議な動物たちが出迎えてくれる。
「おお!いたねぇ」とばかりにちょっと見ただけで奥へ。

最初に待っていたのは「ファブリス・イベール」の「火の周り、砂漠の中」。
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小さい写真ではわかりにくいかもしれないけれど、暗い、たくさん(1001個だそうだ)の光の点に囲まれた部屋の真ん中にあるテーブル(?)を囲んで部屋の壁に沿ってベンチがある。
ここに座って壁を見ていると静かな夜に囲まれているような気がしてくる。
音楽でも聴きながら物思いにふけりたくなる・・・・


が!
次がある、次が・・・
閉館時間までにせっせと見ないと・・・∥>_<∥

受付を済ませて最初に入ったのは「クモ 一本の糸から始まる宇宙」
これは前にINAXで見たのと同じもの。
さすがにあまり興奮しない(爆)

楽しかったのは河口龍夫の「関係ー黒板の教室」
教室中が黒板になっていて、どこに書いてもいいのだ。
いたずら書きの写真を撮ったつもりだったんだけどどこにもない・・・とり損ねてしまった。

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テーブルがガラスになって天井を映し出す「カフェ・ルフレ」
窓からは棚田が見え、テーブルには天井に張られた写真がうつりこんでいる。
ここでシソジュースを飲んでのんびりと・・・したかったのだが、こんどは
「暗くなる前にできるだけ見る!」
というわけでさっさと飲み終わると
階段を上って屋上へ。
屋上から見えるあれやこれやの作品がCosたちを手招きしている。

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こんな階段を下りて外へ行くのだが・・・・
この赤い階段の明るい赤さはどこかほのぼのしていてとても好き。
この光の中でひと時をすごしたかったのだが・・・・

階段を下りて外へ出ると、今までずっと見ていたカバコフの「棚田」がひとつの作品となって登場する。

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手前に下がっているのは伝統的な稲作の風景を読んだテキスト。
ちょっと読みにくいけれど、何が書いてあるかは読めると思う。
川の向こうの山を登る棚田では何人もの人が働いている姿。

実際の人間よりもかなり大きく作ってあるけれど違和感なく棚田に溶け込んでいる。

この棚田とここで働く人たちの姿が松代に来てからずっと見えていて、どこへ行っても棚田が存在しているこの土地の象徴のようにも見えていた。

この土地でなければ表現し得なかった一つの形・・・

(つづく)


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2009.10.09

やっぱり動植綵絵だなぁ

台風一過の午後、風はまだまだ強いけれど、少しは人手が少ないかもしれないと期待して、東京国立博物館の「皇室の名宝」へ。

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つい先日THEハプスブルグを見てその圧倒的な量と質に驚いたけれど、さすが皇室、こちらも負けない量と質。
1期:2009年10月6日(火)~11月3日(火・祝)/2期:2009年11月12日(木)~11月29日(日)
と二つの会期に分けて転じもすっかり入れ替えるのだという。

今回展示されている絵画は人物を描いた絵よりも自然を描いたものの法が圧倒的に多いのがうれしい。
皇室に献上したりするのには特定の人物の絵というのはまずいということなのだろうか??

ただ、国立博物館はいつ行っても混んでいてじっくりのんびりと見るのは至難の技。ほとんどの場合はほかの人の頭越し・・・下手をすると3列目とか4列目からのぞき見るのが精一杯だったりする。

というわけで4時前から閉館時間まで(見たりなかったけど)見に行ってきた。
さすがに最後の15分ぐらいは人も少なくて見たい絵をじっくり見ることができて\∥^O^∥/

Cosのお目当てはなんといっても若冲の動植綵絵全30幅。緻密な緊張感の走るある意味でリアルな絵はいくら見ても見飽きない。


いったん会場を回ってから、追い出されるまでじっくり見ていたのがこれ。

その緊張感も緊張させるばかりではなくどこかにふっと息を抜くポイントがあったりもする。

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老松白鳳図
尻尾の羽のハートがなんとも愛らしい・・・ってあの時代にはハートのマークはなかったんだけど・・・
この白い色も不思議な白さ。おそらく写真には出てこないのだろうと思うけれど、深みのある白で、白の複雑さがなんとなく見えているような気もする。
確か白い絵の具の下にベージュが塗ってあったような気がするけれど・・・違ったかな?

こうしたきりりとした絵ばかりでなく、いろいろな種類の虫がちりばめられた池辺群虫図やひょうきんなたこの親子(?)のいる諸魚図といったお茶目な作品もある。
仏教絵画ということなのだが・・・以下にも若冲らしいユーモアのある作品もいい。

かわいらしかったのは薔薇小禽図。つる薔薇だろうか?ピンクと白の薔薇がどこか和風に咲き誇っているのだが、薔薇の持つ西洋の華やかな匂いがどことなく漂っている感じがする。

花の絵も動物の絵もいくら見ても見飽きない。

おそらく混んでいればざっと見ておしまいにしてしまうのだろうけれど、人が少なかったこともあって閉館時間で追い出されるときにもまだ見たりないようで心残りだった。

何しろ、基本的に図録を買わないCosが買い込んだほどだから・・・∥^O^∥

もう一度、日を狙って見に行ってきたいなぁ・・・

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2009.10.05

THEハプスブルグ・・・君主たるものの務め

2009年12月14日まで新国立美術館の「THEハプスブルグ」の講演会を聞いてきた。

「THE」とついているだけあってウィーン美術史美術館、ブダペスト国立西洋美術館からハプスブルグ家ゆかりの作品が集まっている。

金にあかせて歴代の当主などが集めたすばらしい作品が一堂に会しているのだ。

金にあかせて・・・・・実のところ今回の講演会で一番感銘を覚えたのは美術品に限らず技術、芸術、科学にお金を使うことが当主としての勤めであると考えていたというルドルフ二世の話であり、昨今の文化予算の削減がはなはだしい日本の貧しさを痛感してきたのかもしれない。

侵略や戦争によってではなく、結婚によって支配を広げようとするハプスブルグ家らしい発想かもしれない。

「デューラー、ティツィアーノ、ブリューゲル、ルーベンス、ベラスケス ―ハプスブルク家とその画家たち」
カール・シュッツ氏(ウィーン美術史美術館絵画館長)の話を聞きながら歴史に疎いCosもどんな時代だったんだろうと興味がわいてくる・・・・

ルドルフ二世・・・つい先日のだまし絵展で野菜の顔になって現れたルドルフ二世がここでも登場する。
少年時代をスペインの宮廷で育ち、そのことが彼の猜疑心の強い性格にも影響しているのだとも言う。
政治的能力には問題が合ったとも言われているけれど、芸術に対する理解は並々ならぬものがあった。

こんな絵を描かせる皇帝・・・よほどの理解がなければこういう姿に描かれることをよしとはしないだろう。
(だまし絵展のアルチンボルトの作品)

今回も王としての装束ではなくて私服(!)の作品が展示されている。

どんな思いで肖像画を描かせたのだろう??

もうひとつ、カール・シュッツさんの話を聞いていて面白かったのは絵のカタログ的な絵・・・
自分のところにある絵を一堂に並べている絵を何枚も描かせていたことかもしれない。
それは実際の大きさとは違って描かれたり、整然と並べられたりしている。
そして、こうしたカタログ的な絵はウィーン美術史美術館には2枚(だったと思う)しか残っておらず、いろいろなところに贈られてしまっている・・・まさにカタログあるいはチラシ的な使い方をされた絵があることかもしれない。

それだけいい絵がたくさん集められていたということになる。

今回はいい絵がたくさんあったけれど、ジョルジョーネ「矢を持った少年」
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のこの不思議な表情が気になって仕方なかった。
どこか少女漫画的な・・・不思議な表情。

そして同じように不思議な表情のルーカス・クラナッハ(父) 洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ
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ほかに切られた首を持つ女性の姿を描いたものはあったけれど、なんといってもこのサロメのどこか得意げな不思議な表情からははやり目が離せない。

普段は人物画にはあまり興味のないCosだけれど、この二人の表情はとても気になる。

それぞれの目に引かれてついふらふらと・・・
矢で射られてしまおうが、首を切られようがかまわないような気持ちになってくる・・・

もう一度見に行こうかな。

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2009.10.02

暗闇は真っ暗でなく・・・長澤英俊展展

2009年9月23日の最終日に川越市立美術館で
「長澤英俊展―オーロラの向かう所」
を見てきた。

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この長澤英俊展は川越市立美術館だけでなく、北浦和にある埼玉近代美術館でも同時開催されているので当初はそっちにも行くつもりだった。

川越のほうには作品が5点しか展示してない。
入り口の料金を払う前にひとつ展示してあって・・・・「ふ~ん」という感じ。
悪くはないけれど・・・・という記憶しか残っていないのだが、この時点ではさっさと見て次へ行こうと思っていたのだ。

最初の部屋に展示してあったのは「蜻蛉」というかなり大きな作品で重心の位置を考えることで見事にバランスしている作品。
ちょっと見るとひっくり返ってしまいそうなのだが、実際には重心の位置をきちんと考えてある。

カーテンの向こうにある次の部屋に入るには係員の人から注意を受ける。
「壁を触ってゆっくり部屋を一周してください」

何がなんだかさっぱりわからないままに真っ暗な部屋に入って壁を伝ってゆっくりと進む。
何も見えない真っ暗な中を進むのは不思議な体験。

ちょうど部屋の反対側のドアところに一本のごくごく細い光の線が見える。
そこまで進むとちょっとほっとしたけれど、それだけの光で何かが見えるわけでもなく、そのままゆっくりと部屋の中を進む。

部屋は真っ暗なままなんだけど次第に目が慣れてきてうすぼんやりとしたものが見え始める・・・・

これが「オーロラの向かう所」。
たくさんの柱のようなものが立っていることがわかるまでにもずいぶん時間がかかったし、形がぼんやりとわかってもそっちに歩いていく怖い。

光の入ってくる方向を見ると柱が立っているのがかろうじて見えるので恐る恐る部屋の中央へ。

次第に目が慣れてくると柱がたくさん立っていて、その間を何人かの人が歩いているのがわかる。
が、さっきまで真っ暗にしか感じなかった部屋だから、柱も人もモノトーンでぼんやりと見えるだけ。

光の入ってきている方向を見ると暗い柱が立ってる。光を背にしてみると白い柱が立っている。
わずかな光の中で見る柱の森。

それは宗教の色を持たない聖なる場所とでもいう感じ。
祈りをささげるわけではないけれど、暗さと平和を味わうところ・・・・

ここにはずいぶんと長い間いたのだと思う。
部屋の柱の森の中をあっちに行ったりこっちに行ったり。

これだけですっかり満足してしまった。
これ以上はもう何も見たくない感じ。

時間的には埼玉近代美術館に回ることは十分可能だったけれど、満足しきってそのまま静かに帰ってしまった。

最終日だったのに・・・・


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2009.09.26

引込線---所沢ビエンナーレ---

西武鉄道旧所沢車両工場で2009年9月23日まで開催された
「引込線--所沢ビエンナーレ美術展--」
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これはもともと「行きたいな」とは思っていたのだけれど、なんといっても場所が所沢。
今の生活圏からはかなり遠いイメージがあって今ひとつ行く元気がなかったのだが、あちらこちらで
「面白かった」
というのを聞いてむらむらと・・・最終日・・・衝動的に行ってきてしまった∥^O^∥

何しろ

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この木なのである(戸谷成雄)。
車両工場の高い天井までそびえたつ一本の木。
工場の床にどっしりと根を下ろし(おいてあるだけだけど・・・∥^O^∥ )下から見上げるとその生命力がこちらにも伝わってきそうなのだ。
自然からはかけ離れた工場の中だからこそ感じるのかもしれないけれど・・・

多分何よりもCosはこの木を見に行ったのだ。

といってもこれだけがよかったわけではなかったし、いかがなものかと思わずにいられないようなものも中にはいくつかあった。

この所沢ビエンナーレはテーマを決めずそれぞれが自分の思うような作品を作ったというのだが、ビデオ作品やCGを利用したものはあまりなく、そのせいか、ありきたりのどこにでもありそうないわゆる現代美術っぽいもの藻少なくてとても楽しかった。

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(最近はかなり少なくなっているけれど)本を読むのが好きなCosとしてはドキッとしたのがこれ。
たぶん全部読んじゃったのである。
そこに書かれている活字をいつくしんで・・・・
って後から考えてみたら本を単に切り抜いただけなら反対側のページの活字が残っていてもいいはずなのだが・・・・見ているときには気がつかなかった∥^O^∥・・・

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空を見て歩く鏡。
これを顔につけると足元に空が広がる。
つけさせてもらって歩いている人もいたけれど、ちょっと待たなければならなかったので後ろ髪を惹かれたけれどCosは我慢。

ただし、どう見ても足元が危なくて足が物にぶつかっていたりしたから、補助の人なしでは歩けないなぁ∥^O^∥

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長い布が引込線のレールと平行して天井から下がっている。
もはや使われることのないレールと糸の両端が垂れ下がっている刺繍をした長い長い布。
その向こうには天井から下がったビニールが見えている。
同じビニールで作られた人形が一緒に下がっていて風に揺れているさまは工場の中なのにどこか古い洋館を思い起こさせる。
工場の中のビニールと聞いたときにあるイメージと現実のイメージとの落差がなんとも不思議かもしれない。

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ほかにもいいものはいくつもあったのだが・・・・

所沢でこんなにいい物をやっているなんて・・・もう少しで見逃すところだったことを思うと教えてくださった皆さんに感謝m∥_ _∥m

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2009.09.22

ゴーギャン展

「我々はどこへ行くのか」ヨーロッパに背を向けてタヒチに向かったゴーギャンの言葉。
これはまた、彼の言葉ではなく絵画で表したメッセージのタイトルの一部でもある。

その中で主催者側がいいたいことも見えてくるような気がするけれど・・・

2009年9月23日まで東京国立近代美術館

実のところCosはゴーギャンが好きではない。
Cosの性格からして西欧文明に背を向けてタヒチへ行ったところなぞはすごくすきなのだが、どうにも絵が好きにならないのだ。

だから「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という「名作」といわれる絵に対しても書かれている内容には関心があるし面白いとは思うけれど、絵としては決して好きではない。

私は、死を前にしての全精力を傾け、ひどい悪条件に苦しみながら、情熱をしぼってこれを描いた。 そのうえ訂正の必要がないくらいヴィジョンがはっきりしていたので、早描きのあとは消え、絵に生命が漲ったのだ。

         「タヒチからの手紙」(岡谷公二 訳)からの抜粋

なんとはなく、人の一生とその出会いという印象があるけれど、解説を読んでみるとあながち間違いではあるまい。

そんなことを考えながら見ているとなかなか面白い。
まるで絵巻物のように一枚の絵の中にいろんな人生がみえている。

というわけでなかなか楽しかったし、何枚もの彼の絵を見ているとそのバランスのよさと配色の巧みさが見えてきた。こんなところも彼のにんきのひとつなんだろうな。

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2009.09.20

シカン展・・・考古学者の夢

今は考古学とは無縁の世界で生きてはいても、かつて子供だったころ考古学者の世界にあこがれた人は多いだろう。
もちろんCosもその一人∥^O^∥


その夢を実現させてひとつの文化をよみがえらせたのが島田 泉博士。
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この写真はシカン黄金製トゥミの向こう側ではそうしたビデオを見る人たち。
トゥミはこうやって写真で見ると怖い感じがするけれど、実物はそれ以上にユーモラスな感じがしてあんまり怖くない。どうしてだろう?

今回は「一日ブログ記者」として2009年10月12日まで国立科学博物館で開催中の「黄金の都 シカン展」の取材、首からIDカードをさげ、腕章を巻いて・・・(当然といえば当然の)条件付ではあるけれど写真撮影までさせていただいてきた。

シカン文化はナスカ文化よりは新しく、インカ文明よりもちょっとだけ古い、日本で言えば鎌倉や平安といった時代。
もう文字を持っていた日本とは違って文字を持たず、いろいろな建造物も残っている日本と違って、日干し煉瓦の建造物はもはや形あるものは写真を見る限りでは土の山としか見えない。

その土の山であるロロ神殿のふもとに埋葬された人々を通じてシカンをよみがえらせたのだ。

大量の黄金製品が出土したことに目は向かいがちだけど、その社会構造、文化までもが浮かび上がってくるということは、子供のころにあこがれた「いいものが出てこないかなぁ」という宝探しにも似た関心からは離れて、人類の遺産の検証といった幅の広い収穫だなぁ。

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この「黄金の仮面」も黄金の仮面の豪華さだけではなく、


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こんな風にどう埋葬されていたのかを検証することで、そこに隠れている文化や社会構造が見えてくる。
一番下に埋葬された女性たち・・・
その上に首を切られ、埋葬された支配者と思われる男性の首につけられていた仮面、彼の体は首を切られ、上下を逆に埋葬されている。
地位の象徴である仮面をつけて埋葬したけれど、彼が生き返るときに体がどこにあるのかわからなくて生き返ることができないようにしたのだろうか・・・礼は尽くすけれど、もう生き返ってくるなよとでも言いたいのだろうか・・・なんて思ってみたりもする。


豪華な黄金文化というだけでなくそこで生きていた人々の社会や暮らしにまで思いをはせることができる。

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ろくろをつかわずに作られた土器、特に黒色土器の黒い輝きは見事なものがある。
当時も多彩土器よりもこっちのほうが人気があったと推測できるらしい。
帰りにミュージアムショップでよみがえった黒色土器を売っていた(写真撮ればよかったなぁ)けれどちょっと茶色がかった黒の光沢は土で作られているとは思えないほど。
同じようにしてシカン風でないものを作ったらそれはそれで面白そう。

どんなものが展示してあるのか、「きれいだなぁ」「おもしろいなぁ」だけではなく、そこからもう一歩踏み込んだ展示になっていた。

ほかにもいろんなものを見て、いろんなことを考えて・・・シカンの女性とか、他の国の人々との交流とか・・・違った視点から楽しい時間をすごさせてもらった。

かいてある知識、見ている画像だけからは浮かび上がってこない背景が見えてくるのがなんといっても現場で見る醍醐味かな。


【追記】
タイムリーにモチェ文化の仮面が見つかった。写真はこちら。(ここのが元記事。これはたぶん削除しないと思うのでこっちをリンク)

プレ・インカ文化:金箔の仮面

 ペルーのサン・ホセ・デ・モロで発見された金箔(きんぱく)の施された仮面。この地は「モチェ文化」と呼ばれるプレ・インカ文化の時代に共同墓地としての役割を担っていたとされており、近年数々の発掘品が見つかっている。この仮面は棺(ひつぎ)の正面に添えられていた。

モチェ文化はシカンと同じような地域の一つ前の文化に相当する。
会場にあった年表を見る限りペルー北海岸ではA.D.元年ぐらいからA.D.700年ぐらいまでのモチェ文化の後にA.D.800年ごろからA.D.1400年ごろまでシカン文化があったことになる。

実際の場所はモチェがシカンよりもちょっと南にあるけれど、文化としては同じ流れになりそうだ。

より大きな地図で 青がシカン赤がモチェ? を表示

この地図はシカンの地名であるランバイエケとモチェから検索したものなのでかなりいい加減。単にどの程度は慣れているのかを見るだけと思ってください。
(正確な位置はわからなかった)

ただ、会場で見た地図からはこんな感じにはなっていた。

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2009.09.14

パリのアールヌーボー・・・オルセー美術館展

「パリのアールヌーボー」と聞いてもなんとなくぴんとこなかったのは以前見に行ったオルセー美術館展の時には絵画が印象に残っていたからかもしれない。

今回は世田谷美術館(今日から2009年11月29日まで)のオルセー美術館展。

「オルセー美術館のアール・ヌーヴォー・コレクション、その成立の起源」の講演を聴きに行ってきた。
本来は先に美術展を見てからの講演のほうがずっと面白いのだが、いかんせん、土曜日はしごと。講演が終わってから見ることになったけれど、まぁしかたがないだろう。

0001

セーヌ沿いのもともとは駅だったオルセー美術館は19世紀の美術品を収集することになったという。それより古いものはルーブル美術館の担当・・・とはいえ実際には両方に重なっている人もいるから線引きはなかなか難しかったらしい。

その中で、今回はアールヌーボーの家具や工芸を中心とした作品を持ってきている。

こうした工芸品などは以前は収集の対象とさえも見られずにほかの人たちの手に渡ってしまったものも少なくない。その結果美術館は先見の明があれば安くあげることができたのにいまや高いお金を出して購入しなければならなかったりするのが痛い。
なんていう話を聞いてきた。

実際の展示は、つい先日までやっていた国立新美術館でのラリック展のような華やかさはないけれど、サロン、ダイニングルームや書斎といった部屋の調度まで含めた展示をしてあったりするのがなかなか面白かった。

美術館の一室なのだけれど、そこにある家具たちがまるでどこかの邸宅の一室、静かに時間が流れる同じアールヌーボーの庭園美術館の一室であるかのような雰囲気になっている。

そこで見る工芸品は単に「展示」してあるのではなく、どこか使われるのを待っているかのような雰囲気も感じられた。01gomi01こんな睡蓮の花のテーブルランプ・・・こんな風に完全な形で残っているのは珍しいのだそうだが・・・のある優雅な部屋でのひと時(実際にはガラスケースに入っているからいかにも使うためという雰囲気にはならないのが残念だけど)はなかなか味わえない。

このほかにもガラスのボールや七宝焼きの花瓶・・・きらびやかな豪華さはないけれど、しっとりとした上品さがあってちょっとうれしかった。


この優雅さを現実に・・・と銀座のマキシムなどともタイアップをしているらしい。
もちろんCosなんかマキシムで食事なんてしたことはないけれど、赤と金のアールヌーボーのメインダイニングでの食事・・・・優雅さを通り越して緊張しか感じられないかもしれないけれど・・・一度ぐらいは体験してみたいなぁ・・・

そういえば、講演をしてくださったオルセー美術館学芸員のイヴ・バデッツさん、東京のメトロのロゴは「絶対にアールヌーボーの影響がある」といっていらした。
今度見かけたらそういう目でもう一度見てみよう。


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2009.09.08

空気の港・・・羽田空港で

東京大学「デジタルパブリックアートを創出する」プロジェクトによるアートプロジェクト「空気の港」が2009年10月9日から2009年11月3日まで羽田空港で行われる。

01gomi01
この人たちの作品である「まばたきの葉」に出会ったときには怖いようなそれでいて不思議な感動を覚えた。
彼らが羽田空港で展示する作品についてはここにあるけれど、これがどんな風に見えるのか・・・楽しみ・・・・

でも羽田空港って遠いんだよなぁ・・・うちからは・・・

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2009.09.07

ギリシャの見た日本美術

「写楽 幻の肉筆画」 ギリシャに眠る日本美術~マノスコレクションより
2009年9月6日まで江戸東京博物館

写楽の肉筆画が一般に公開されるのはこれがはじめだという。写楽のいわゆる肉筆画はもう一点知られているのみらしい。

01gomi01

まあ、Cosには日本美術はよくわからないから当然といえば当然だろうけれど、どうも今ひとつだった。
写楽が実際に書いたという点では計り知れないほどの価値があるんだろうけれど・・・・

絵としてはCosはこっちのほうがよかった。
菊川英山「風流夕涼三美人」

01gomi02
人物画があまり好きではないCosにしては珍しく、馬の絵よりもこっちのほうがよかったのだ。
浮世絵の夜は暗く描かないからこれも夜なのかもしれない。
奥の座敷では楽しく騒いでいる。
そこから出てきて月をあるいは夜空を眺めて・・・・
奥のにぎやかさがこっちにまで伝わってきそう。

ジャポニズムがはやっているパリでマノスが買い込んできた日本美術。
そう思ってみると「陰」を描いた絵が少ないような気がする。

ヨーロッパでの傾向なのかマノスの好みなのかはわからないけれど、どことなく陽の絵が多いような・・・・

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2009.09.01

伊勢神宮と神々の美術

東京国立博物館で2009年9月6日までの
「伊勢神宮と神々の美術」
Cosが伊勢神宮について知っているのは江戸時代に伊勢参りがはやったことや20年に一度遷宮が行われるという程度の知識しかない。
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ただ以前にはまったく興味のなかった日本美術にも関心がでてきているので、もしかしたら面白いかもしれない・・程度の関心で見に行ってきた。

関心ないCosだからこそ今まで知らなかったこと・・・・20年に一度の遷宮というのはすべての品を作り直すこと・・・元の時代がいつだったかは覚えていないけれど、鎌倉時代に作られたのと同じ太刀が今も作られていること、微妙なデザインは変わって入るらしいけれど、当時(いつだったんだろう?)のままの生地で当時のままに縫い上げられた夜着・・・

こうしたものを作る技術は20年ごとに作り直すからこそ(ほぼ)当時のままに残っているんだろうと思う。おそらく伊勢神宮がなければとっくに失われている技術なんていうのもあるんだろうな。

かつては新しく作られたものは20年たつと返却されていたのだという。
そうなるとかつて作られたものはおそらく残っていないのだろう・・・
最近(昭和4年?)になって保存するようになったので昭和4年以降に作られたものが展示されていた。

古いものが新しい形になって展示されている不思議。
それもこの展示のために作ったのではなく何百年も作り続けられていることの不思議・・・

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こんな風に旅行が自由でなかった時代にたくさんの人が全国から集まってきた・・・一番行きやすかったということもあるんだろうけれど・・・不思議なところ伊勢神宮・・・

どこがそんなに良かったんだろう・・・


江戸時代の人たちがあれだけ熱狂して御伊勢参りに行った魅力はやっぱりCosにはよくわからなかったけれど、守り続ける伝統の重みがずっしりと伝わってきた。


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2009.08.30

利根川光人とマヤ・アステカの拓本

世田谷美術館の収蔵品展「人々物語」のPartIIは
利根川光人とマヤ・アステカの拓本 2009.9.11まで
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最初のうちは利根川氏の描いた絵が並んでいて、「結構いいなぁ」なんて思っていたのだが、途中から拓本になったとたん目が釘付け。

マヤ・アステカの会場の天井から床までありそうな大きな拓本が何枚もあるのである。
「マヤ展」渡渉するものは結構好きだから見に行ったりしているのだけれど、そうしたところで見るのとは違っているような絵柄も少なくない。

顔をゆがめてあたかも「あんたなによ」とでも言いたげな神官、
奴隷の人間椅子に腰掛ける神官
自分の舌をやりでついている司祭 足元でも舌を出しているがまるで「なんかくれ」といわんばかり。
乾杯する人・・・このころから乾杯していたんだなぁ・・・
沈み世行く太陽 でも舌をだしている。

なんといってもかっこよかったのは心臓を食うワシ。
このほかにジャガーも心臓を食べているものがあった。
人間の心臓を食べるという行為の意味の大きさも感じさせられた。

そして、Cosを熱中させたのが・・・「拓本を作ってみよう」のコーナー
0010
これはケツァルコアトルという神様。
柱を模した台の上や側面にプラスチックでレリーフしてあるシートが貼ってあり、その上から紙を置いてクーピーでこすっていくのだ。

本来子どものためのコーナーなのだが、Cosのみならず何人ものおとなが子どもそっちのけでせっせとクーピーでこすっている。
子どもと一緒にCosも順番待ちをしながら・・・・

10種類ほどの神様があって、それを次から次へと採拓していってしまった∥^O^∥

いやぁ・・楽しかった∥xx;∥☆\(--メ)

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2009.08.29

メキシコ20世紀絵画展

「メキシコ」・・・もともと地理は苦手だけれど、それを差し引いてもメキシコついては何も知らない気がする。
テキーラ
サボテン
革命
ぐらい?

そのメキシコの革命前後ぐらいの絵画展

「メキシコ20世紀絵画展」
世田谷美術館 2009年8月30日まで

01gomi01

最初にこのチラシをチラッと見たときにここに描かれているのは男性だとすっかり思い込んでいた。
だから「メキシコの民族衣装かなぁ?見たことがないなぁ」なんて思っていたのだが・・・

実物を見てみると同じ絵なのだけれど、ずいぶんと雰囲気が違う。
緻密に書き込まれた絵はどこか立体感さえ感じさせるほどだし、
この衣装はメキシコの花嫁衣裳なのだという。
涙をこぼしているフリーダの自画像・・・豪華な衣装とは対照的な表情・・・

きっとこれがこの当時のメキシコなんだろうなぁ・・・

1955年に日本で紹介されたときにはディエゴ・リベラの妻としてだったのだが、
1975年から中南米を代表するフェミニストのイコンとして活躍したのだという。
メキシコ的なものの象徴としての彼女が有名らしい。

そうした歴史的なこと、地理的なことの分からない(ちゃんと予習しろ>自分)Cosはこの美術展の中にメキシコをさがしに行ったのかもしれない。

だからだろうか、あらあらしい「革命」などではなくて、静かな景色に魅かれた。

ラウル・アンギアーノの「棘を抜く人」がとてもよかった。
ゆったりとした長衣の青年の向こうにはメキシコらしい雰囲気でデフォルメされた砂漠の山(というのかな?)
リトグラフのかもし出す静けさが抑えた強さを感じさせた。

そして、ディエゴ・リベラの「夜の風景」
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どこかいかにもメキシコ的な・・・と思って説明を読んでみると
「木の上に容姿も不明瞭で記号化されたメキシコの農民がいるが、この種の絵を『メキシコ的である』と認識して買い求める美術愛好家を見下しているようでかなり皮肉っぽい。」
とあったけれど、そうなのかもしれないし、逆にメキシコ的なものを求めて見に来たCosには皮肉さを感じることもなくとてもよかった。

どうも「革命」の絵の中にはCosがいいと思うものはなかった。
このころのメキシコでは壁画が盛んで中には80mにも及ぶ壁画が作られたりしていたらしいけれど、たぶん、壁画としてはいいのかもしれないけれど・・・・・う~ん・・・

最後の名古屋市美術館が所蔵するホセ・グァダルーペ・ポサダの作品はしばらく前に写真美術館でみた「ジョルジュ・ビゴー展」と同じように新聞や一枚モノの印刷物などに絵を描いていたもので、なかなか面白かった。
中でも登場人物が全部骸骨のシリーズは当時かなり人気があったらしい。
Cosなんかがみるとどこかグロテスクでいいとおもわないけれど・・・
でもビゴーと比較するとなかなか楽しかった。

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2009.08.27

百鬼夜行の世界

昨日は時間が遅かったので見損ねた国文学研究資料館の「百鬼夜行の世界」、今日はがんばって(といっても結果としては昨日より30分ほど早いだけだったのだが・・・)見に行ってきた。

この国文学研究資料館の入っているビルは極地研、数理解析研究所も入っているビル自体の名前のわからない不思議な同居ビル。

携帯でビル中の様子をとったのだが・・・新しい携帯で慣れていないために写真がうまく保存できてなかった・・・くやしい・・・_| ̄|●

「百鬼夜行の世界」・・・すごく良かったです。
先日の歴博で見たものは「展示しました」というだけの感じだったけれど、今日はさすがに展示室全体が「百鬼夜行の世界」。

暗めの落ち着いた感じの室内に、天井からは百鬼の描かれた布が何枚も下がっていて、さながら百鬼が行進しているかのよう。

作品としては歴博の方がいいものがあったのかもしれないけれど、展示としてはこっちのほうがずっといい。
これで300円(しかも駐車場無料)はどう見ても安い。
しかも、歴博では売り切れていた図録もここではまだ残っていて\∥^O^∥/

展示してあるものも、いろいろな百鬼夜行絵巻だけでなく、そこから影響を受けたと思われるほかの作品なども展示してあって、面白かった。

こうした絵を見ていると「妖怪」はおどろおどろしたものじゃなくて、どこか親しみのある楽しい生き物達という気がしてくる。
昔の人も楽しみながら描き、楽しみながら見たんだろうなぁ・・・
妖怪の体の線の面白さ、影からこわごわと覗いているはずの人間の足が良く見ると獣の足だったり・・・古くなったものがなった妖怪にCosもあって見たい。

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2009.08.11

フランス絵画の19世紀・・・とに~さんたちと・・・

フランス絵画の19世紀と聞いても実のところあまり魅力は感じなかったけれど、とに~さんのオフとなると話は別。
まじめに学芸員がする解説とはまるっきり違ってほとんどお笑いのノリの解説をしてくれたりするから、チャンスがあれば参加したいといつも思っているのだ。

というわけで横浜美術館の「フランス絵画の19世紀」展(2009年8月31日まで)へ。

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今回の企画はちょっと変わっていて、
まず一人一人が勝手に見学。
その後でみんなで集まって話をしてからもう一度会場に行ってみてこようというもの。

というわけでまず最初は三々五々会場へ。
ただし・・・・自分の一番気に入ったあるいは気に入らない絵を選んでおくこと。
後でみんなが集まったときに紹介するのだ。

というわけで絵を見ながらも「どれがいいかなぁ」

まず気になったのはアントワーヌ=ジャン・グロの「レフカス島のサッフォー」
わずかばかりの月の光だけがあるくらい海でサッフォーが今にも身を投げようとしているところ。
他の絵の明るい感じとは打って変わって暗いのが印象的だった。
「ギリシャの壺絵のかき方」をしているというのだが、どこがそうなのか、何を持ってそういうのかはまるっきり分からなかったのが残念。

落ち着いた静かな感じのコローの絵もいかにもコローらしくて少しだけ見えている森の向こうの湖(たぶん)の広がりを感じさせるのがいい。

01gomi01

Cosが選んだ一枚はこれ。
「施し」というミレーの絵。

家の中にいる母子が戸口の外にいる人に施し物であるパンを渡そうとしているのだが、見ているうちに外にいる浮浪者のほうが家の中に閉じ込められている母子よりもずっと自由で(少なくとも精神的には)豊かに見えてきた。

もともとの絵はもっと家の中が暗く、画面の左側にわずかに書かれている外がまばゆいばかりの明るさなのと対照的なのだ。
決して豊かそうには見えない台所にいるものも人もどこかぼんやりしていてよくは見えない。
どことなく外の自由への憧れを感じた。

なんていう話を、みんなが集まったところでCosはしたんだけど、もっぱらの話題は裸婦画と男性の筋肉についての話題で盛り上がった。

当然Cosも・・・
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クールベのごくありきたりの女性の裸婦画が一番エロティックでないといったら・・・
周囲の人たちからは大反発。
この時代、ごく普通の女性のヌードというのが一番男性を興奮させるテーマだったとか・・・

そういう時代だったんだなぁ・・・

17世紀には特別な神話の中の女性でなければヌードを描けなかったのに比べると(その前はマリア様でさえ乳房を出してはいたのだが・・・)ずっと自由に描けるようになってはいてもまだまだだったんだなぁと・・・

男性の筋肉も・・・・裸を見ているわけじゃないけれど、普段筋肉質の体は見慣れているから何も感じなかったしなぁ・・・∥^O^∥

というわけで誰しもがもう一度会場に戻った後はそういう違いをしっかりと見てくるはずだったのだ。
ただ、残念なことにCosは他に用事があったのでそこで失礼してしまったから、見直した後の感想は皆さんからは聞き損ねてしまった∥>_<∥

それにしても実はこれだけの絵をこれだけいろいろな美術館から集めたこと自体もすごいのだそうだ。
そういうところももう一度じっくり確認しておきたかったし・・・


とに~さん、2009年8月16日にもトークイベントをやるみたいで・・・楽しみなのだが・・・
いけるかどうかはかなり微妙だなぁ


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2009.08.07

橋本関雪展・・・島根県立美術館

もともとこの美術館には行くつもりだったのだが、このチラシを見たとたん、「行く!!」
0001
このボルゾイを見た瞬間に会わずにはいられなくなったのが2009年8月4日。
つまり
橋本関雪展
---中国への憧れ、動物に向けるまなざし---
島根県立美術館2009年8月5日~9月14日

初日の前日。
条件反射のように前売りを買って、翌日に備えた(爆)

といっても初日の美術館に行ったのはもう夕方になってから。
ここの閉館時間、夏は遅いのだ。

会場に入ってまず釘付けになったのが「鉄拐先生(てっかいせんせい)」。
ぼろをまとい、杖をついたおじさん・・・何もかもを捨ててしまったかのような表情がいい。
彼の作品にしては珍しくあっさりと墨で描かれているのだが、Cosをとらえてはなさなかった。
「まとまりすぎるよりは破綻があろうとも生命が率直に流露したものを求める」という彼の志向を表しているのかもしれない。

「中国への憧れ」には人物の絵が多くて、基本的に人間の絵はあまり好きじゃないCosには今ひとつだったけれど、中国の風景を描いたものにはいいものがいくつもあった。
なかでも「凍雲危棧図(とううんきさんず)」などはぱっと見たときに岩山の大きさがまず目に付く。
その大きさになじんだころに画面の下のほうを見ると歩いている人たちに気がつき、岩山の壮大さが改めて見えてくる。
その壮大な山に降る雪・・・その下を進む人・・・自然の前での人間の大きさを象徴しているかのよう。

そして何より、彼の描く動物達。
自宅でも数多くの動物を飼いながら描いたという動物の絵。
いいものがたくさんあって、目移りしてしまう。

意馬心猿
Photo


辞書を引くと
Yahoo!辞書 - いば‐しんえん【意馬心猿】.

仏語。馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。

とあるけれど、この絵は馬が心を騒がせている。 馬がどこか人間の意志とは違う意志によって心を乱しているのを木の上の猿が見ている という感じもしてくる。 実際の馬の表情はこれとはまったく違う感じがしている。

あるいは動物である鹿よりもその左側に描かれている松ノ木のほうが生き生きとした動きを持っている「双鹿図」もおもしろいし、

最初のボルゾイを描いた「唐犬図」の犬も大きな犬の持つやさしさがあふれていて暖かい。

でも、一番良かったのは「霜猿(そうえん)」

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はの落ちた木の上に座る一匹の老猿。
意馬心猿がまだ心が騒いでいるのだとしたら、この霜猿はすっかりと悟ってしまっていてどこかシニカルな表情で下界を見ている。
意地悪そうでもあり、一歩はなれたところから現世を見ているようでもあり・・・諦めと悲しみもどこかに見えるような気がしてくる。

しばらくの間この猿とにらめっこをしてきた。
Cosのことを哀れんでいるようでもあり、戒めているようでもあり、励ましているようでもあり・・・・

とあっという間に時間が過ぎてしまった。もう閉館1時間前。
これが東京であれば、時間を見つけてもう一度みたいところだが、ここは島根。

しかもこの美術館のこの日の閉館時間は
19:38なのである。
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天気がよければここから見る夕日はすばらしいのだという。
その夕日を楽しむために、閉館時間が(夏場は)日没後30分なのである。
残念なからCosが来た日は曇っていてその夕日を楽しむことは出来なかったけれど、
雲の向こうに日の落ちていく宍道湖をじっくりと楽しんでくることが出来た。

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帰るころにはもう薄暗くなっていて、夜の早い松江の街ではもうたくさんの店が閉まっていた。
(昼も夜も閉まっている店が結構あったのが気がかりだけど・・)


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2009.07.28

シカン展

日食の当日、雨が降って日食が見られないとわかってあっさりとCosは国立科学博物館のシカン展(2009年7月14日~10月12日)へ。

インカ帝国のルーツというのだが、確かにそのとおりなんだけど・・・・・

TBS「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」では

これまでの30年間の発掘史を大画面のハイビジョン映像で紹介します

発掘されたものの展示はもちろんあるけれど、どうもメインはこのハイビジョン映像だったのかもしれない。
話としてはなかなか面白いし、つなげてみるといいTV番組になりそうな感じ。

ロロ神殿という今は崩れた土の山にしか見えないかつての神殿の周りに眠る人たちのお墓を調べて分かったことを展示している。

振り返って考えてみると、シカン文化とはどんな文化なのかではなく、お墓から何が出てきたのかという話に終始しているような気がする。

考古学ってすごいなぁ
いろいろなことが分かるのはすごい!
と思うけれど、シカン文化というものについての理解はあまり深まってないかも。
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面白かったのはシカン神。この顔を見ているとどこかで見たロボットの顔にそっくり。
きっとロボットのアニメをかいた人はこういったインカのほうの像を見て作ったんだろうなぁ・・
初期のシカン土器はもう少し人間らしい顔をしていたのに次第にデフォルメされていくのが面白い。

そしてシカン土器自体も黒い鉄で作ったかのような鈍い光を放っているような気もするほどの色。
家畜の糞で蒸し焼きにすることでこの色が出たらしい。
1000年前のこの土器の作り方を復元して当時のものと見分けがつかないほどのものが出来ている。
失われた技術が甦ったのだ。
この色、もっと他のいろいろなことで使えると面白いなぁ・・・

インカの前のシカン文化・・・・文字を持たない人たちの失われた歴史・・・それが一つ一つ明らかになっていくのはわくわくする。

もう一度、映像にとらわれるのではなく、一つ一つをじっくりと見るとそこにはまた違った世界が見えてくるのかも・・・

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2009.07.27

行きたいなぁ

一度行ってみたいと思い続けているのだけれど・・・

現代芸術370点、世界最大級の野外芸術祭 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

 新潟県の十日町市と津南町の760平方キロ・メートルの里山や田園地帯などを舞台にした現代アートの祭典「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」が26日、開幕する。

 芸術家と住民らが協力して作り上げる世界最大級の野外芸術祭は2000年から3年に1度開催され、今年で4回目。9月13日までの期間中、40の国・地域の作家による約370点が展示・公開される。

全部見るのに1日じゃきつそうだからいくとすれば一泊・・・・
う~ん・・・この夏はその余裕がないような気がする・・・_| ̄|●

秋か冬には金沢も行きたいし・・・
そんなに遠くないのになぁ

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2009.07.26

だまし絵展(その2)

なぜだまし絵なのか・・・
Bunkamuraの会場に入って最初に目に付くのが人の形の板にキャンバスを張ってそこにグリザイユで描かれた人物の像が「慈悲の擬人像」
遠目には大理石で出来た像のように見える。
なぜこんな板人形がはやったのか、どういう方法で描かれているのか・・・
この人形は何のためにどこに置かれたのか・・・

そんなところから話の始まった恵泉女子大学の池上先生のお話を伺いながらだまし絵展を鑑賞するツアーに参加させていただいてきた。

1回目に見たときには「ふーん、大理石みたいに良く出来ているなぁ」と思ったに過ぎなかったけれど、大理石の像の代わりにこういう板人形を置いた人たちの生活、そして何度も塗り重ねることで立体の陰影をも表現するグラデーションの技術を作り上げた人たちがいた。

伺ったことをメモに取りきれていないのだけど、この時代の人たちはローマに対するあこがれがあったのかなぁ?

そして、実物があるかのように錯覚させる「トロンプルイユ」
絵の大きさも含めて実物と同じ大きさに、あるべき位置に置くことで見る人の目を欺くのだ。
ご丁寧なことに絵の前にかかっているカーテンまで描かれた絵とか、
絵の入っている額縁のガラスが割れてしまったという絵だったり・・・

今の写真のある世界に慣れきったCosたちにとってはどうということもないように感じられる絵でも、当時の人たちにとっては驚くべきことだったんだろうなぁ・・

そして今回Cosが一番関心を持ったのがアナモルフォーズ。
ごくななめから見ることによって正面から見たのとは違ったものが浮き上がってくる。
方法を知らない人にとっては単なる景色のように見えていても、知っている人にとっては強烈な風刺だったりする。

どうやって描くのか、その方法を先生に教えていただいたので時間のあるときに作ってみようと一緒に行った人たちと話が盛り上がった。

1回目が数学的な関心が中心だったけれど、今回はその社会的背景、絵の中に描かれたものの意味、といった観点から見ることが出来た。

たとえば砂時計は近づきつつある死を意味し、本は教養を意味し・・絵を見ることはそういう絵の中の寓意を読みとこることでもあった時代・・・
だまし絵という絵のかき方も対抗宗教改革の時代の終わりとともにいつの間にか消えてしまって知られることなく20世紀まできてしまった・・・
なぜ関心がなくなってしまったのだろう??

終わったあとの学生さんたちと一緒の飲み。
大人のメンバーの一人が「だまし絵のかき方」みたいな本を持ってきていて、大騒ぎをして作り方を調べてきた。

このところ意欲的に物事に取り組めない状態が続いているので手が出せずにいるけれど、もうちょっと元気になったらやってみたいなぁ・・・

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2009.07.15

純粋なる形象・・・生活の中に

このところ忙しくてなかなかでかけることが出来ずにいていらいらしている(笑)
そろそろ時間的に余裕が出てもいいはずなのになぜかいろいろとやらなきゃならないことがあったり、家でダウンしていたり・・・_| ̄|●

そんな中行ってきたのがお気に入りの府中市美術館。

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「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代 ―機能主義デザイン再考」
ディター・ラムスが作ってきたブラウン社のいろいろな製品。
それは決してこうやって美術館の中に飾られるものではなく、生活の中で使われていくもの。

何しろここに展示されているもののうちいくつかは自分のうちにあったり、人のうちにあったりして
「あっ、これいいな」と思ってたものだったりする∥^O^∥

今はタバコを吸う人もいなくなったから使わなくなっているライターや灰皿、
調理器具・・・誰も使わなくなったテープレコーダー(これは記憶がはっきりしないけどこんなようなのを見た覚えがある)
どれもがデザイン的には決して古めかしい感じがしない。
もちろん展示してあるラジオなんかは今ではもう使われるわけもないほど機能的には劣っているのだけれど、そのデザインは今でも通用する。

良いデザインの十か条のなかにあった
・よいデザインは実用をもたらす
・良いデザインは美的である
・・・
・良いデザインは長命である
・良いデザインは可能な限りデザインを単純化する

ここにあるのは奇をてらった面白いけれど使いにくそうなものではなく、いかにも機能美に満ちた使いやすそうなものばかり。
どこかでそういう使うものの中の美を今は忘れている部分があるように見えてきた。

まあ、さすがに会期末が近いだけあって府中にしては人も多く、じっくり見る雰囲気ではなかったことと、やはり展示品だから仕方がないとは言え、手にとって見ることが出来なかったのが残念かな。

見終わった後常設展に回ったら、あの人ごみはどこに消えたのかと思うほど人の姿は少なくて、いつものゆったりとした府中美術館を堪能できて\∥^O^∥/

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2009.06.28

パトリック・ヒューズ

Bunkamuraの「だまし絵展」で一番衝撃的だったのがこの人の作品。

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絵(?)なのに、移動していくと実物がそこにあるかのように変化していくのである。
実際に見ないとその衝撃は伝わらないかもしれないけれど、彼のwebページでもその感じが少しはつかめるかも。

どう見えるかはthree minute film のページが分かりやすい動画になっている。

本当に項見えるから不思議だ・・・

錯視の一種ではあるけれど、どこか数学的なにおいがする。

遠近法の逆とでも言いたくなるような彼の作品は自分でも作れそうな気がしてくるが・・・

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鴻池朋子アーティスト・トーク

上野の森美術館で2009年7月15日までの「ネオテニー・ジャパン」に出品している鴻池朋子のアーチストトーク。

このネオテニーの会場に入った途端に待っている鏡の狼「惑星はしばらく雪に覆われる」の作者が鴻池朋子。
渦を巻き、少女を取り囲んでしまうナイフの「Knifer Life」なんていう絵を描く人だからもっと鋭い雰囲気のある人かと思ったら、やわらかいとまでは行かないけれど、思っていたのとは鋭さの方向も違うし、「この人がこういうものを作るのか・・・」とちょっと不思議な気分。
(写真に展示してある六本足の狼のぬいぐるみ・・・かわいいのだがおそらく価格は5桁の後半だろうからとても買えそうもないのが残念∥>_<∥
何しろ真っ白な顔のない「みみた」でさえ、10000円するのだから・・・)

Img_2566

会場に作品を設置すればそれで世界が変わる。
場所によって光も変わり、設置の仕方も変わってくる。
国内の場合にはその場に行ってそれぞれの場所に応じた空気にあわせて、作品にあわせてというよりも人に合わせての会場のありかたを考えているのだという。
霧島アートの森での展示は彫刻の作品が充実している美術館なので、外光が入ってきたりして暗くするのが難しかったり、アニメーションの作品を床に投影することが出来なかったりといった制約も多かったとか
札幌や東京では絵画の展示に合わせた空間で・・・
それでも東京は縦長のまるで廊下のようなスペースで、全体像を見ることが難しい。
「洞窟のように展示してはどうか」という提案をされて、落ち着いたサロンで展示を見るような雰囲気になった。
のだという。

それぞれの空間でしか出来ない展示を模索するのだとか・・・・

面白いと思ったのは彼女が霧島でやったワークショップ。
会場の中にある作品をひとつ選んで作者になったつもりでインタビューを受けてみるとか、
石にかかれた上の句と下の句をあわせてみるとか・・・
言葉をとても大切にしていることが伝わってくる。
それは出来上がった作品のタイトルが展示された姿を見てはじめてすっきりと決まるといったような鴻池の言葉に対するこだわり。

アートとしてどう受け取られるか、言葉としてどう受け取られるのかはきっと同じスタンスで見ているんだろうなぁ・・

鴻池朋子展がこの後もある。
オペラシティーアートギャラリー
2009年7月18日から9月27日まで
インタートラベラー
地中の重力0の地点まで行って戻ってくるというストーリーの元で構築されるらしい。
どんなものになるか楽しみ。

それにしても、このアーチストトークは戸外で行われたんだけど・・・暑かった_| ̄|●
仕事から大急ぎで駆けつけたCosにはちょっと厳しい環境だったなぁ・・・

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2009.06.24

だまし絵(1回目)

少なくとももう1回は行く予定なのであえて「1回目」の「奇想の王国 だまし絵展」
Bunkamuraで2009年8月16日まで
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実のところ野菜と果物で出来たアルチンボルドのルドルフII世にはあまり惹かれるところはないけれど、数学がらみとしてはエッシャーがあるし、人の目を錯覚させるだまし絵には錯視と共通したものがあってぜひ見たかった展示。

数学的な見方をすると一番面白かったのはアナモルフォーズかな?
円柱に移してみるのはある意味で図を射影しているという意味では射影幾何学に通じるものも有りそうだし、

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ななめから見ると違う絵が見えてくるこの絵などは一次変換になるんじゃないかと思うし・・・
(実際に描いてみてはいないので、きちんとした一次変換になるかどうかはよくわからないけど・・・)
同じ絵に対する見方を変えるというのは数学ではよくある考えかただし、うまくするとどこかで使えるかもしれない。


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エッシャーの絵はもちろんのこととしてこのマグリットの白紙委任状も位相幾何の世界を髣髴とさせる。
位相幾何的に同相かどうかとなると疑問だけど、どう見えるかではなく、どうつながっているのかに注目することが出来るのが楽しい。

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今回衝撃的だったのが、パトリック・ヒューズの水の都。

こうやって見るとどこが衝撃だか分からないけれど、実際に見てみると不思議な立体感のある作品。
これはぜひその場に行って実際に見てみないとそのすごさは分からない。
こんな芸術作品でなくていいから同じようなものが作れないだろうか・・・・
ミュージアムショップでは小さい作品も売っていたのだが24万円・・・なんていわれるとどうやっても手が出ない・・・
欲しいなぁ・・・

逆にまるっきり感銘を受けなかったのが三方向から見ると違うものに見えるという作品。
これはCosが子どものころ実際に
前から見るとC、横から見るとO、上から見るとSになるような立体を厚紙を重ね合わせて作ったことがあるので、
「Cosと同じことしているなぁ・・・もう1回作ってみようかなぁ・・・」

これ以外にも錯視を利用した作品やカープアの虚空など、人間の思い込みを利用した作品なども数学的な意味がありそうな気もするが・・・どうかな?

これ以外にもいろいろな種類の作品があってとても面白かったけれど、次に行くときには違った視点から見ることが出来そうで楽しみ。


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2009.06.20

ムットーニワールド

コンピュータを使わずに制御しているムットーニのからくりシアター

2009年7月5日まで八王子の夢美術館で。

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カチカチとリレーの音がしながらからくりの人形達が織り成す音と光の自動機械。
一つ一つのからくり箱にはそれぞれのストーリーがしまいこまれていて時が満ちると自動的に動き始める。
箱の中の人形達が姿を現すときは、それぞれの世界が広がるとき。
そして、それぞれのからくり箱に語られるムットーニ氏の口上。

ムットーニ氏の口上なしに見るときにはそれぞれのストーリを考えながら、時には心をあらぬほうに走らせている。
それはそれで子どものころから見続けてきたとても幸せな白昼夢。

ムットーニ氏の口上がついているならば、それは人形達が命を得て語りだすムットーニワールドの始まり。

口上は毎日ではなく金、土、日に14:00と16:00にあるだけだからそれに時間をあわせて美術館に行かなければならないし、集まる人の数も多くてなかなか大変。

何しろ一番前の人は床に座り込んでみるし、真ん中の人は椅子に座って、後ろの人は人と人の頭の間から見える場所を探してたっているし・・・
しかも箱や中の人形の配置によってはごく狭い範囲の人しか見られなかったりするのだ。
Cosも床に座り込んだり(これが結構疲れる・・・)後ろでたってみていたり・・・

場所が八王子ということで今日の上演会に来ている人たちは始めての人が多かったからだろうか子どもが何人もいたからだろうか、ムットーニ氏もいつもよりくだけたしゃべり方をしているような気がした。

上演会のあるときは人でいっぱいになるのでじっくりと見るのは難しかったし、時間も結構遅くなったので早々に引き上げてしまったけれど、また時間を見つけて(上演会のないときに)もう一度行ってこようと思う。

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いくついけるかな?

美術を見るのに熱中していて、つい忘れがちになっている宇宙・・・・コスモス・・・・
今年は皆既日食もあるし、国際天文年だし・・・・
いろいろなものが見られて楽しみ\∥^O^∥/

時事ドットコム:七夕の夜、星空の話を=80カ所以上で講演会-最新成果から漫画まで・世界天文年.

 イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)が天体望遠鏡による初の観測をしてから400年目に当たる2009年は世界天文年。日本天文学会は七夕の7月7日の夕方を中心に、星や宇宙に関する講演会を全国80カ所以上で開く。テーマは天文ファン向けの高度なものから、漫画や歴史に関するものなど多岐にわたり、対象も一般から幼児までとさまざまだ。

全国同時七夕講演会
こうなってくるともう、「どれに以降かな状態なのだが、ちょうど期末試験の真っ最中・・・・う~ん・・・

でも・・・星に思いを馳せる夜・・・いいなぁ・・・

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2009.06.16

パウル・クレー 東洋への夢

基本的にCosはクレーガ好き。
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パウル・クレー東洋への夢
千葉市美術館で1009年6月21日まで

このチラシの「蛾の踊り」を見た瞬間に「千葉」という地名にもめげずに「行くぞ」と決めたのだ。

だがやっぱり千葉は遠くてなかなか時間を作っていくことが出来なかったため、例によって例のごとく会期末間近になってしまったのが残念。

この展示は「東洋への夢」・・・クレーと日本・中国文化との接点に焦点をあてている。
門外漢のCosなどから見るとちょっとこじつけなんじゃないかと思う部分もないわけじゃないけれど、一つ一つの絵に日本の北斎漫画などの影響を見つけ出しているのはなかなか面白かった。

この蛾の踊りの中のどこが日本との関連なのかはよくわからなかったけれど、なんとなく切ないこの絵にはやっぱり日本の影響があるのだろうか?

が、途中から
「線を省略して描く」忘れっぽい天使のようなシンプルな線画はやっぱり日本と共通しているものがあるのかもしれないと思い始めた。

最後に飾られた
「別れを告げて」
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を見た瞬間にCosが連想したのは仙崖・・・・
とわの別れではなくて、ちょっとでも別れているのはさびしいな・・・という感じだろうか?
クレーらしい甘い雰囲気が漂っている。
「またね」と声をかけられたような・・・

金にあかせた展示ではなく、予算も限られ苦しい中で精一杯のことをやったという内容だったかもしれない。
絵としていいのはそんなになかったけれど、一つ一つを大切にちょっと違った切り口を見せてくれた。

という感じかな。


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2009.06.12

細見美術館開館10周年記念展

先日、ネオテニー・ジャパンを進めてくれた知人が、そのときに一緒に勧めてくれたのがこれ。
日本橋高島屋のホールで2009年6月15日までやっている
細見美術館開館10周年記念展
日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-

「千葉市美術館で浮世絵をいっぱい見てきたよ」と話したら次の瞬間に勧められたのだ∥^O^∥

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しかも期間が短い・・・
今週のうちに行かないと終わってしまうとなると、ちょっと無理をしてでも行ってみないことには悔いが残るに違いない(別に残ったっていいんだけど・・・)

というわけでこの土日には他のところへ行くので間に合わなくなってしまうので、今回じっくりと見る時間は取れなかったけれど、ともかく見てきた∥^O^∥

結果から言えば行ってよかった。
日本画はよくわからないCosから見てもいいものがいくつもあって、もっとじっくりと見たかった。

弐代目・青い日記帳のTakさんが作られたリストから、

4尾形光琳「柳図香包」 

この紙に香を包んで開いていくと柳が見えてくるというさわやかな緑。


22酒井抱一「白蓮図」 

あっさりと描かれた蓮。決して派手ではないけれど、じっと見ていると静かな蓮池が見えてきそうな気がする落ち着きのある静かな絵。
整いすぎていない蓮の葉がまたいい。

38伊藤若冲「糸瓜群虫図」

さすが若冲。カタツムリにトンボにウマオイ(?)にトノサマバッタにモンシロチョウ。
糸瓜の姿はもちろんいいけれど、虫達の姿が写実的でとてもいい。
虫愛でるCosとしてはうれしい限り。

41伊藤若冲「鼠婚礼図」

画面の左上ではネズミ達が宴会をしていて、左下では一匹のネズミの尻尾をもう一匹のネズミが持って引きずっている。
画面の右上と左下に平行線を引いてその上下に描かれている感じで、中央は何もない空白。
なんとも楽しくて愉快。
これももっと見ていたかったけれど・・・それでなくても遅かったのだ・・・

そして、

59葛飾北斎「夜鷹図」

この夜鷹の後姿が毅然としていて、柳の木下で凛として立っているその姿からは気迫さえ感じられる。
夜鷹という職業がその当時どの程度認められていたのかCosには良く分からないけれど、決して大手を振って歩ける職業ではなかったはず。
それにもかかわらず彼女の毅然とした姿は好きだなぁ


他にもたくさんいいものがあったけれど、悲しいことにCosは駆け足。
(それでも帰るのが遅くなってにらまれたんだけど・・・∥>_<∥ )
せめて後一週間やってくれれば何とかもっと時間が取れたのにと残念でならない。


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2009.06.10

ネオテニー・ジャパン──高橋コレクション

ほとんど、なんでも会期末になってあわてて見に行くのが習慣のようになっているCosがさっさと見に行ってきたのは、
「Cos向きだから混まないうちに見てきたほうがいいよ」という知人の言葉を信じてのもの・・・
そうでなければとっくに他のところに行っていたはずなのだが・・・・∥^O^∥

会場入り口のカーテンを開けて入った瞬間に、彼の言葉が正しいことが分かった(なんか悔しい)。

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会場に入った瞬間にその光の反射に衝撃を受けたのはこの狼。
前身に鏡を貼り付けられていて光を反射している。
そしてその向こうには数限りないナイフの絵。
鴻池朋子の研ぎ澄まされた世界がそこに待っていた。
まるでナイフの中心にいるのがCos自身であるかのような感じすらしてくる・・・
正面の床では池の変わりにビデオが投影されている。
そこにもまたナイフ・・・

これ一つ見ただけでもその場を離れがたいのだが、更に次から次へと目が離せないものが並ぶ。

Cosの好きな会田誠、山口晃はもちろん、できやよい、束芋・・・どれをとっても見ごたえがある。

今回Cosが一番気に入ったのが池田学の「領域

領域は境界線によって分けられていて、地上の世界の上側の領域と水中の下側の領域、境界線上には沈もうか浮こうかと逡巡している一艘の船。
境界線上の点はどっちに含まれるのだろう・・・
数学の概念が絵になっている・・・\∥^O^∥/

残念だったのは束芋の「にっぽんの台所」が「ちっちゃいにっぽんの台所」になっていてとても醜かったことぐらいかな。

う~ん・・なかなか消化しきれない。
もう一度は行かないとだめだろうなぁ

何とかもう一度は時間を見つけていって来たいものだ。


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2009.06.07

ルーブル美術館展--17世紀ヨーロッパ絵画

金曜日の夜間開館だと言うのに人の波が続く。
夕方6時だというのに「60分待ち」・・・・
(実際には40分ほどでは入れたけれど・・・う~ん)
しかもこの日は閉館時間を30分延長して8時30分までとなったのだが、最後まで人は減らなかった・・・∥^O^∥

普通だったらこんなに混んでいればパスしてしまうのだが、この日は池上先生のお話付きのツアーなので何が何でもはずせない。

全員が合流できるのかどうか危ぶまれるほどの混雑だったけれど、7時には全員が中に入ることが出来て\∥^O^∥/

17世紀のヨーロッパ芸術のパトロネージにかかわる話題とともにいろいろな絵の解説をしてくださる。
今回来日した71点中少なくとも23点(これ以上あったかもしれないけれど、Cosのメモには残ってない)の解説・・・
いやぁ面白かった。

通り一遍の解説ではなく、歴史的なあるいは絵の裏側にあるもろもろのことを解説してくださるからお話を伺っただけでCosですら絵の見方が変わってしまうのだ。

17世紀という時代はカトリックとプロテスタントが対立する時代であり、
この時代に描かれた絵は教会の対抗宗教改革のプロパガンダだったり、
王や貴族の描かせる大きな肖像画などであったり、
後には商人たちが自分達のうちに飾る絵だったりした。
そうした歴史的な背景を見ながら絵の意味を読み解いていただきながら見ると本当に面白い。

まず、「川から救われるモーセ」からこの展覧会はスタートする。
プッサンはこの絵を何枚か描いていてその中の2枚目がタペストリーの原画になっていたりするのだけど、なぜこの絵がそんなに描かれたのか・・・
王の迫害を逃れるために川に流されたモーセが救われるという題材だけど、実際にはその裏にはイエスの予見があり、ナイル川の豊饒を意味する擬人(この字でいいのかな?)が後ろを向いていたり・・・


アンリ4世の妻「マリー・ド・メディシスの肖像」
22歳という当時では晩婚だった彼女
1年分の国家予算にも匹敵する持参金を持ってイタリアからフランスに嫁いだ彼女
宮廷のフランス人とうまくいかず息子に政権の座を追われた彼女
この絵は彼女が画家に依頼して描かせたもの・・・となると・・・
政略結婚じゃなかったといいたかった彼女?
・・・・そんなバックグラウンドを知ってみるとこの絵の見え方も変わってくる。

花束を描くときひとつとっても当時の絵の中にはしおれた花と生き生きとした花が同時に描かれていて、それはまた宗教的意味合いを持っている。

ちょっとだまし絵風の「風景の見える医師のアーチの課かに置かれた花束」では一緒に行った人たちと
「虫はどこだ?」
「あの虫はハエじゃないか?」
「白いバラの赤い虫は虫か?」
(えっと・・・だまし絵風の窓枠の表現とか花の表現とか見るはずなのに・・・)

「クリュセイスを父親の元に返すオデュッセウス」では
「どこで父親に返しているんだ?」
「あの白い服か?」
「えっ、どこどこ?」・・・・・

「アンドロメダを救うペルセウス」では
こういった絵が描かれたのはその当時他国の支配下にあったためにどこかから救いが現れないかという願望を表現しているとか、
ペルセウスは小さく描くことになっているとか
足元の貝の表現と意味とか
じゃなくて「竜はなんかかっこ悪いなぁ」(これはσ∥^O^∥ )とか・・・

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「大工ヨセフ」に代表される画期的な光源の取り方・・・
見せたいところに光を当てながら、光源自体は隠す点光源の効果とか・・・

あと東京での会期は一週間しかないけれど、もしまた行くことがあったらその背景を考えながら見るとよりいっそう面白い。
2009年6月30日(火)~9月27日(日)京都市美術館と、京都で見るのも空いていていいかもしれない
∥>_<∥

出来たら、フェルメールのレースを編む女の光の反射がどうなっているのか、ピントがどうぼけているのかを見てみるとそれはそれでまた面白いし・・・
(あまりに混んでいて、今回はチェックできなかったのが残念)

東京では2009年2月28日(土)~6月14日(日)国立西洋美術館
会期末までは連日7時(金曜日は8時)まで

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2009.06.04

マーク・ロスコ再び 雨がおすすめ

期間延長になって、2009年6月11日(木)までの川村記念美術館の「マーク・ロスコ展」
おそらくこの木曜日までというのはぎりぎりの日程なんだろうなぁ・・・

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シーグラム壁画が展示されている空間に入ると前回とまるっきり雰囲気が違う。
前回は明るい光の中でみたシーグラム壁画なのに、今回は証明が落とされて部屋の中はしっとりとした薄暗さ。
ロスコ・ルームに展示されていたときほどじゃないけれど、この暗さがシーグラム壁画には良く似合う。

居心地のよさに時間の許す限り見てきたんだけど、帰り際に
照明を落としているのかどうか聞いたら、照明を落としているのではなく自然光を取り入れていて、外が暗いからこの部屋の中も暗くなっているとのこと。

「ぜんぜん違って見えますよね。日によって変わるんですよ」とのこと。
そういわれてみれば確かに天井からは自然の光も曇りガラス越しに入ってきているけれど、それだけの違いでこんなに絵が変わって見えるとは思わなかった。

あと一週間、天気の悪いときにもう一度行ってみては?

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2009.05.31

水墨画の輝き

始まったときから見たかった出光美術館の「水墨画の輝き」(2009年5月31日まで)
およそ1ヵ月しかやらないこともあるし、5月はなんだかんだと忙しくて見に行く余裕がなかったこともあるけれど、あっという間に会期末になってしまった。

人物よりも自然・・・風景や動物や(戸外の)植物のほうが好きなので、これはどうしても見逃せなかったのだ。

時間に余裕がなかったのでまっすぐ行ってまっすぐ帰ってきたのだが、予想以上に時間がかかって帰ってきてからも大忙し∥^O^∥

でも幸いなことに混雑もそれほどひどくなく、見たいものを落ち着いてじっくり見ることが出来たのはとてもうれしかった。

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色を拒否して白と黒と灰色だけで色彩豊かな世界を表現する水墨画、色がないのに色を感じさせる不思議さが好きなのだ。

会場に入って最初にあったのが雪舟の破墨山水図
輪郭を無理に際立たせることなく墨でさっさと書いてしまったかのような絵。
深い緑と水の青さが見えてくる。
人がいるのかも知れずいないのかも知れず・・・いてもいなくてもかかわりなく静かに山はある。
こういう景色が好き。

「元信」の印のある花鳥図屏風 時に写実的に描き、時に抽象的に描かれている植物。
写実的に描かれたタンポポが古さをまったく感じさせない。
どこかのカットに使われても不思議のないくらい・・・
(でもあれは西洋タンポポじゃないことだけはまちがいない・・・と思う)
そうかと思うと一面に生えている草の葉はあっさりと抽象化してあったりもする。
タンポポが好きだったのかなぁ・・・

そして上の絵にもなっている長谷川等伯の竹虎図屏風
凛々しく勇ましく描かれる虎の求愛の図なのだという。
(上には描かれていないけれど)雄の虎は毛並みもなんだか乱れていて、雌の前で下手に出て求愛している。そして雌の虎は見てのとおりなのである。
そこにはあれだけ強い虎にして求愛の時にはどこか気弱になるのかとちょっと面白い。
そしてこの雌の表情・・・・いいなぁ・・・

が、同じ虎でも俵屋宗達の龍虎図の虎はまるでドラえもん∥^O^∥
下から虎を見上げている龍をどこかきょとんとした表情で見ている。
見上げている龍の表情は虎の単純化された表現に比べると細かく、憂いを秘めた表情が見えている。

他にも尾形光琳の蹴鞠布袋図も面白かったし、
長谷川等伯の竹鶴図屏風に描かれた竹が面白かったし、
雪舟の赤衣達磨図の達磨の表情の面白さと眼光の鋭さ、
鈴木基一の雑画に描かれた植物のきれいさ、
仙厓の狗子画賛の犬のかわいさと尻尾までの線の面白さ、
それ以外のも面白いものがたくさんあって、なかなか見飽きなかったのだが
「閉館時間」と追い出されてしまった∥^O^∥

時間的にちょっと無理があったので「堪能する」ところまでは行かなかったけれど、
その前日に見た山、メゾチントなどを思い出しながらの楽しいひと時を過ごしてきた\∥^O^∥/

でももっと早く行けばよかったなぁ・・・

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2009.05.30

ザポハウス展

5月の末は見たいもの、見たかったもの、見ないと終わっちゃうものが目白押しなのに、このところしばらく忙しくて出かけられなかった・・・_| ̄|●

やっと少し時間が取れたので昨日も仕事が終わってから大急ぎで写真展を見てから大急ぎで神保町へ。

子どものころから慣れ親しんだ文房堂のギャラリーでのザボハウスのグループ展を見に行ったのだ。
(もし、今日2009年5月30日に時間があればぜひおすすめ!)
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第17回 ザボハウス展
日時 2009年5月25日(月)~30日(土)
am 11:00~pm 6:30
最終日 pm 5;00まで

Cosが聞いていたのは「版画教室のグループ展」ということでなんとなくカルチャーセンターのようなところで習っている人たちの作品が展示してあるのだろうと思い込んで30分もかからずに見終わるだろうと・・・・

これが甘かった・・・・

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第一に一言で「版画」と言われればなんとなく黒一色と思い込んでいたのだが、会場は色であふれていた。
(床が斜めなのはCosが傾いていたからなのだが・・・まっすぐに撮った写真がなかったのだ∥>_<∥ )

しかも、確かに版画教室なのだが、版画というのは技法であって教室に通ってくるのは他の方法で絵を描き続けてきている人だったり、プロのイラストレーターだったりするわけで、通い始めて1年にもならない人でも他の方法では作品を作り続けて何度となく個展をやっていたりするのだ。

Cosなんかは版画の技術なんかさっぱり分からないから技術的なことではなく、描かれたものしか理解できないのでますますそのすごさにびっくり。

版画の方法としては銅版画とリトグラフがメインらしいけれど、木口木版もあったし油絵などもあって展示作品の種類も豊富。

銅版画はどこまで腐食させるかで版画の表現がまるっきり変わってしまったり、一枚の版木にどう色を乗せるのかでも雰囲気がまるっきり変わったりしている。

中にはCosの好きなメゾチントで作った豆本(豆本もCosが好きなのだが)・・・23000円が高いか安いかは人によって違うだろうけれど、Cosが買っても飾るでもなく箱に入れてしまったままだろうし、しまっておくためのものにそれだけの余裕はない貧しいCosにとっては買えない金額なのだが・・・はすばらしかった。
あるいは単純化したものの上に版画の複雑さを重ね合わせた作品もお金が自由に使えるのならぜひ欲しかったし・・・
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会場では日本画をやっていらした方とお話をして意気投合したりして・・・あっという間に閉館時間∥^O^∥
楽しい時間はあっという間に過ぎるのだ。

あわてて夜間開館の出光美術館に行こうと思ったのだが・・・・


大急ぎで御茶ノ水へ出て有楽町から出光美術館に着いたのは7時5分。

「夜間開館」というから8時までかと思ったらここは7時で終了_| ̄|●
そうと知っていたら上野に行くなりなんなりしたのに、この時間からでは今から行っても入場できない可能性もある。
う~ん、ちゃんと調べておけばよかったと反省。

今日の移動はいつも「大急ぎ」だったけれど、見ている時間は絶対に急がないから・・・・まっいいか。

が、出光・・・行きたいなぁ
行くなら今日の午後・・・雨だけど混んでるだろうなぁ∥>_<∥


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2009.05.29

メイド・イン・カッシーナ展・・・技術と芸術と

技術を意味するギリシャ語の「テクネー」はまた、芸術をも意味していたとも言われる。
かつて、技術は芸術と不可分の存在だったけれど、ある時期から分離して肥大化して自然に対立して言ったのだという。

その中で芸術と技術が密接な関係を保ちつつ成長してきたカッシーナの家具。

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家具をデザインすることが家具職人の仕事ではなく、人間工学を考えたたとえば建築家によるデザインによって、力学的な構造を最大限に生かしたものを作ることが出来る。
家具の分野(他の分野でもそうだろうけれど)芸術的な表現は技術的な裏づけがあってこそ表現が可能になるのだ。


上の写真の椅子はSUPERLEGGERA

ちょっと見ただけでは何の変哲もないごく普通のシンプルな椅子。
その椅子の中にはたくさんの技術が隠されている。この椅子の足はルーローの三角形をちょっと細長くしたような感じの断面を持っている。
断面が円である足から、強度を奪うことなく削っていった結果なのだという。
そして横木は深くまで入っているほぞで組んであり、ほとんど先端は反対側に出そうなほどなのだそうだ。
座面は当を編んで作ってあり、こうした軽量化の努力でごく軽い椅子が出来たのだという。

曲げ木を使った円形の椅子BARREL
見たところは面白いデザインというだけだけど、その裏には強度を出すため、きれいな円弧を描かせるための技術が隠されている。
他の工場で作られたとき、この曲げ木はもっと太い。少しずつ1ステップごとに本来の形に仕上げて行く途中でもステップごとにしっかりとまげて形を整えていくのだという。


一枚のフエルトでベースを作り、足元の部分は樹脂でしっかりと固めて強度を出し、上のほうの部分は柔らかく変形が可能で座る人に合わせて変形する。


楽しかったのはタングラムのテーブル。普通のタングラムと同じように組み替えていろいろな形のテーブルとして使うことが出来る。

こうした技術によって裏付けられた芸術は他の分野でも再び技術と芸術の融合が進んできている。
新しい形の芸術派コンピュータなしには形作ることが出来ないものも少なくない。
昔とは違った新しい形での芸術と技術の融合はまた、家具の分野でも新しいものを可能にするのだろうな。

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2009.05.28

ルオーの祈り 絵画と版画

学生のころ「ルオー」という喫茶店があった。
今はもうないのかもしれないけれど、店の真ん中には大きなテーブルがあって、勉強をしたりあれこれ話し合ったりするのにとてもいい店だった。

店の中にはルオーの絵が飾ってあって、学生だったCosはそれがあんまり好きじゃなかった。

大人になってからもルオーの作品のあの色使いやタッチがどうしても好きになれなかった。

が、今回町田の国際版画美術館の「ルオーの祈り 絵画と版画」で見た版画は今までの印象をまったく変えてしまった。
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版画だけでなく絵も見ているうちに今までの印象とはずいぶんと違って見えてきた。

敬虔なカトリック教徒だというルオーの作品はその派手さの裏側に暖かさが流れているのが見て取れるし、彼の版画は色のない分純粋に色に惑わされることなく楽しむことが出来た。

おそらくルオーの色使いというのも好きな人にはたまらないのだろうけれど、Cosにはこの色のないルオーがとても新鮮だった。

あまり他では意識してルオーの版画を見たことがなかったから、もう一度見ておきたい気もする・・・


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2009.05.24

白の空間 金氏徹平

「おもちゃ箱がアートに変わるとき」というサブタイトルも付いた金氏徹平の「溶け出す都市、空白の森
横浜美術館で2009年5月27日まで

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これは始まったときから気にはなっていたのだが、なかなか行くチャンスがなくて「もういけないんじゃないか」とも思っていたけれど、何とか会期末に滑り込んでくることが出来た。

Cosはおもちゃ箱をひっくり返したようなガチャガチャしたものは基本的に好きじゃないんだけど、彼の作品は敬遠したくなるようなガチャガチャさの中にどうしてもひきつけられていく何かがある。

最初の部屋ではおもちゃ箱から出てきたようなガチャガチャしたものに真っ白な樹脂がかけられて流れ落ちそうになっている。
それはまるで冬の雪の中のガチャガチャさのようにも見える。
ガチャガチャとした乱雑さが真っ白な雪がかかることによって静かな景色に一変しているような・・・
雪は・・・真っ白な樹脂は・・・今にも滴り落ちそうな流れをそのままに固めている。


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そしてこれは「TOWER」という(巨大なスクリーンに投影されている)アニメーション。
TOWERのなかから出たものはそれぞれにそれぞれのリズムで逆転して戻っていく。
そこには何かストーリーがあるのかも知れずないのかも知れず・・・
ただぼうぜんと眺め続けていたような気がする。

一つ一つのパーツに分けて動画を作成して重ね合わせているのかな。
前の部屋では白によって何もかもがすっかり変わって見えていたけれど、ここでは万物流転・・・

その入り口においてあったコーヒーのしみから出来たさまざまなもの。
面白いし、考え付きもしないんだけど、なんとなく白の空間からはちょっと外れているかも。

そして最後の部屋では
子どものおもちゃのバケツから普通のバケツから、風呂オケのような大きな入れ物、果てはタイムカプセルまでありとあらゆる「ものをためるため」のプラスチック製品の中にやはりここでも真っ白な石膏を流し込んである。
部屋が大きいから部屋いっぱいにはなってないけれど、ものすごい量のバケツたち。
そこにためられた白い液体は最初の部屋でかけられていた白を全部集めてきたようなかんじだろうか?

一つ一つの部品は決してCosが好きなものではない。
でもそれが集まって白にまとめられた瞬間に、白い空間になったとたんにCosにとっては居心地のいい場所になっているのかも。


横浜美術館は常設もとてもすき。
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Cosの好きな一枚。
(好きな絵は他にもあるんだけどガラスに反射していまいちだったので省略)
置いてある椅子に座ってみるとこんな風に斜めになっちゃうんだけど、絵を眺めながら
いろんなことを思いながらのんびりと時を過ごす・・・・

人の少ない常設でこその至福の時間・・・

ふと気がついて時計を見ると・・・
あわてて帰るCosだった・・・_| ̄|●


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2009.05.17

美の宮殿の子供達

国立新美術館で2009年6月1日までの
「ルーブル美術館展 --美の宮殿の子供達--」を見るのは2回目。

1回目はあまりに混んでいたこともあってざっとしか見なかったし、あまり感銘を受けなかったのだが、今回は池上先生のアートツアーということで、いろいろなお話を伺いながらの鑑賞。

やっぱり、話を聞いてから見るのと何も聞かずに見るのとでは受け取り方がまったく違う。

「子ども」にテーマを絞っての展示は絵画だけでなく彫刻なども多いし、ミイラなどの考古学的なモノまで展示してある幅の広さは「ルーブル美術館」というよりは「ルーブル博物館」としての価値の大きさを示している。

たぶんCosは一度目に見たとき、博物館は博物館で好きなのに自分が期待していた美術館のイメージと違っていたことに戸惑いを感じていたのかもしれない。

ただ単にその場にあるものを見るだけでなく、その裏側にあるものを見ていくと一つ一つの作品がまったく違った顔を見せてくる。
せっかくいろいろと教えていただいても基本的に勉強不足のCosにとっては豚に真珠なのかもしれないけど、豚にだって真珠のきれいさが分かる程度にはいろいろなことを理解して楽しむことが出来た。

子どもの図像としてよく見られるのはまず墓碑彫刻。
かつて女性が出産のときに死んでしまうのは男性が戦争で死ぬのと同じように英雄的な行為だったのだそうだ。だからこそ、墓碑にはそれをたたえる絵が描かれていたのだろう。
墓碑彫刻に女性が乳を与えているものがあればそれはなくなった母親であり、母乳を大地に含ませるのは豊饒を意味する行為なのだという。
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そして、こうした作品が後の授乳の聖母の姿にとつながっていく。
さらに、この授乳の姿はカトリックの改革によって禁止されていくことになるのがそれまでは聖母マリアの姿として描かれていた。
そのころまでは胸を出すこと、授乳することがタブーではなかったのだし、それが時代とともにタブーになっていく。

今と違って子どもの死が当たり前のように多かった時代にあってもルーブル唯一の子どものミイラや、書記になれるほど頭がよかったとでもいいたげなパピルスを持たせた墓碑彫刻、いろいろなおもちゃ・・・

ただ単に「きれいなものを見る」というのではなく、時代とともにその社会が子どもをどうとらえてみてきたのかに注目すると「きれいだなぁ」という表面的な鑑賞ではなく、子どもに対するあるいは子どもを通じてのものの見方を踏まえた上で見ていくと一つ一つの作品が
「あっ、いいかも」ではなく
その構図、動作、意味が見えてきてとても面白い
(のでちゃんと見ようとするといくら時間があっても足りないかも)

それにしてもあれだけ面白い話をたくさん伺ってきたのに、分からない単語がたくさんあるのが悔しい。
調べればいいのだが・・・う~む・・・∥>_<∥

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2009.05.14

だって数学だもん

大体タイトルがいけないのだ
「+/-」・・・・「近くと身体感覚の限界領域を探求する」・・・だと。

東京都現代美術館で2009年6月21日まで
作曲家でアーチストである池田亮司
う~ん電子音楽分野の第一人者とも書いてあるのだが、Cosは彼を知らないのだ。

大きく分けて今回の展示は二つ。
数字やデータを暗い部屋で作品にした「光=視覚」に関する映像作品と
「音=聴覚」に関する音響作品と・・・

何かのデータをいろいろな方法で分析して何種類もの映像にして見せている作品。
空間的だったりプログラムみたいだったり・・・
何をしているのかは分からないけれど、どこか引き込まれていく。

細かな細かなたくさんの数字が意味するものが何かはわからないけれど、昔ながらのカメラのフィルムに隙間なく埋め尽くされた数字。
フィルムの長さだけの一本の線の中に目で見ただけでは何が書かれているのか分からないような数字が並ぶ。
まるで、数字に埋め尽くされた人間の生活を象徴しているかのように。

そして音のインスタレーションは真っ白な部屋。
靴を脱いで入った真っ白な部屋の中には音が聞こえている。決して心地よい音ではなくちょっといらいらしそうな音。
が、場所によって聞こえ方がまるっきり違う。
あちこちさ迷い歩きながら音を探す。
他のところでは聞こえないような音が聞こえてみたり・・・場所によって音が大きくなったり小さくなったり・・・
それはちょっと不思議な感覚。

音を楽しむんじゃなくて音の聞こえ方を楽しむのだ。
これはなかなか面白い体験だった。
出来ればどこかにまるっきり飲むオンのポイントを見つけたかったのだが・・・うまくいかなかった。
きっとあるに違いない。

普段はこういうものはほとんど買わないんだけど、今回だけは特別
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だって数学なんだもん

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2009.05.11

魔女になりたいおんな達

50年後の自分の姿を想像してもらってその写真を集めた、やなぎみわの「マイ・グランドマザーズ
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50年後の自分がどうなっていたいのか、インタビューを通じて写真の形で実現していく。
そこには体の自由が聞かなくなるとか病気を持つようになるとかといった負の部分はほとんどなくて、形はさまざまだけど、みんながそれなりに充実した元気な生活(眠ったままというのもあったけど)を送っている。

そこにいるのはグランマではなく、各種多様な魔女達。
大きなパネルに引き伸ばされた魔女達が集まって不思議な世界を作り上げている。

「写真」としての良し悪しは分からないけれど、テーマはとても面白かった。

おんな達(実際には女たちに限らないんだろうけど)は魔女にあこがれる・・

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2009.04.28

チェ・スーメイ

うちからだとかなり遠い水戸芸術館に行こうと思ったのはこの一枚の写真を見たとき。

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この写真が特に優れているというわけでもないのだと思うけれど、谷に向けて赤い服を着た人がチェロを弾いている。
それだけを見てチェ・スーメイに惹かれたのだ
しかも彼女は音楽家の家に生まれてチェロを弾くという。

そこには音楽と美術の接点が何かあるのではないかと思わせるような作品・・・
この時点ではこの作品がどんなものなのかはまったくわかっていなかったけれど、谷に向かってチェロを弾くという行為そのものがCosの心をとらえて離さなかった。

ただ、どんな人だかほとんどわからない状態だったので、行ってみてつまらなかったらどうしようという不安もあったのだが、結局のところ好奇心が勝って水戸へ。

水戸芸術館に入った途端、ロビーのパイプオルガンが見えて圧倒された。
ここにパイプオルガンがあるということはロビーでの演奏会があるということ。
それはここに来る人にとって音楽が身近なものであることなのだろうと見えた。
「いい場所だな」というのが最初の感想。

その感じたとおりにチェ・スーメイもとても楽しかった。

会場に入って最初に目にするのが「東・西・南・北」の天井から下がった文字のネオンサイン・
ある意味であっけに取られてしばらく見入ってしまった。

再びぎょっとして驚いたのがビデオ作品の「平均律クラヴィーア曲集 Das wohltemperierte Klavier 」
指が曲がらないようにアイスクリームの棒のようなもので指を固定して弾かれる曲。
なぜこんな姿勢で弾かなくちゃならないのか分からないけれど、自由を奪われた形で弾くピアノはどこか痛々しい緊張がある。

そしてピアノの音とともに聞こえる噴水の音はビデオからではなく、隣の部屋にあるものから聞こえてきて、それがちょっとほっとさせる。

が・・・・

その噴水は「多くの言葉 Many Spoken Words 」で噴水の水はインク。
書かれた言葉を元に戻すという意味が込められている。
一旦元に戻されてしまったらそこにかかれていたものは帰ってこない。
噴水の出ている真っ白なはずの天使の像もインクに染まって紫色。
言葉の消えていくさまを見ているよう。

一つ一つの作品がそれぞれに面白い。

扉の閉じているときだけ中が照明される「冷蔵庫 Le frigo 」
ネコののどの音が次々に聞こえる「不眠症の治療 Son pour insomniaques (Sound for insomniacs) 」
ほとんどの針の切り取られてしまった「ウエイティング・ラヴァーズ Waiting Lovers 」
・・・・
そしてやはり秀逸だったのは上の写真のビデオ「エコー L'écho 」
エコーというよりは日本語の木霊のほうがずっとふさわしい作品で、彼女が弾くチェロの音が谷に反射して木霊になって少し遅れて帰ってくる。
深い自然の中で奏でられるチェロ、返ってくる音。
それは人間が作り出した音を自然が返してくれるような感じさえしてくる。

点数自体はたいしたことがないのだけれど、一つ一つが面白い。

すっかり満足して外に出てきたら水戸芸術館のシンボルでもある四面体の塔に登ってきた。
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なぜ四面体なのか、その理由は時間がなくてよくわからなかったけれど、この数学的な構造がとても楽しかった。
中のエレベーターの回数表示も△の角度を変えて表示している。

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そして中庭には水に打たれる岩。
あたかも岩に感情があるかのように見えてくるのが不思議。

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ちょっと(かなり)遠かったけれど、とても充実した一日になった。

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2009.04.23

舟越桂 新作版画・・・・絶望?・・・

渋谷Bunkamuraギャラリーで2009年4月26日までの
舟越桂 新作版画展」を見に行ってきた。
同時にトレチャコフ展も見たのだけれど、舟越桂のほうがずっと強烈に残ってしまった。

新作のテーマは「絶望」なのだろうか・・・
最初の一枚「砂の街のスフィンクス」を見た瞬間に伝わってきた感情は強烈だった。
「絶望」といっても「戦争を見るスフィンクス」のような怒り狂ったり慟哭したりするような絶望ではなく、たとえて言うなら

この前、とても幸せで楽しい時間を過ごしたけれど、一夜明けてみたらそれはそれでひとつの現実ではあるけれど単なる白日夢に過ぎず、目の前に残されたのは夢の楽しかった分だけより深く沈みこんでいくような道を進むことしかないと気がついた時に感じるような絶望だろうか。

それはもしかしたら人類の将来の道なのかもしれないし、舟越桂の絶望なのかもしれない。

案内状のはがきにもなっている「スフィンクス 問う」では過去のスフィンクスと同じように「それでお前は何をしたのだ」と彼の前を通る人に質問をしているようでもあり、

「冬の鏡」では少女が静かに「あきらめなさい」とさとしているようでもあり・・・

西村画廊で見た狂気に満ちた「バッタを喰らうスフィンクス」の先にあるものが絶望なのかもしれない。

彼の過去の作品も悲しみには満ちていたけれど、もうここから先はないのかもしれない・・・
そんな思いを抱えてトレチャコフ展を見に行ったのだった。

ちょうど同時にギャラリー白川でも同じ展示をしていました。


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2009.04.20

ルーブル美術館展 美の宮殿の子供達

つい先日、国立西洋美術館で「ルーブル美術館展」を見たせいだろうか、すっかり勘違いをしていくまで絵画だけの展示だと思っていた国立新美術館の「ルーブル美術館展 美の宮殿の子供達」(2009年6月1日まで)

 古代エジプト美術、古代オリエント美術、古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術、彫刻、美術工芸品、絵画、素描・版画。7つの部門から選りすぐられた約200点

なのだそうだが、この中で古代の子どもの表現が面白かった。子どもは指をくわえているとか古代オリエントのおもちゃとか人形とか・・・昔の子供達の生活がどんなだったのかちょっとだけ見せてもらったような気がする。

そして今回気になったのが子どもの手の行方∥^O^∥

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特に聖母子のキリストが聖母の胸に手を伸ばしているところ。
かつてはごく当たり前のように聖母の胸に手を当てているけれど、時代とともに胸に触るのをやめてしまっている。
貴族が自分の子どもを時分で育てないようになったころ子どもといえど胸にさわるのはけしからんとでも言わんばかり。

日本もそうだけど、ヨーロッパでも性に対してはずっとおおらかだった時代のほうが長かったんだろうなぁ・・・
なんて事を考えていたらあっという間に時間がたってしまってじっくりと見る余裕がなくなってしまった・・・
残念。

どうしても見たいというほどのものはなかったので、何が何でもみたいとは思わないけれど、時間があったらもう一度見てもいいような気もするなぁ・・・
もっとずっとすいたときにのんびりと。

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2009.04.19

印象派の送別会

印象派の鑑賞会をやっている方達のオフに入って一緒に騒いできてしまった・・・∥>_<∥
もちろんCosは日本人らしくモネが好きだったりするけれど、特に印象派がいいと言うことではないのでそのグループには入ってないのである。

が、グループを主宰している方には何度か会ってお話をしたことがあるし、彼の美術に対する造詣の深さはすばらしいものがあってまた話を聞きたいと思い続けてきたのだ。

その彼が地方へ行くというので急遽開催されたオフ、今までと違って他のところでお目にかかるということもなくなるだろうし、鑑賞会を東京でしたとしてもCosの都合とうまく合う可能性はかなり低い。
となると今一度彼にあって話をしたい・・・・

それならばと参加することにしたのだ。

最初は知らない人ばかりでCosはきっと寡黙になるに違いないと思っていた。

最初のうちこそ一応おとなしくしていたものの、やってきたメンバーのうちかなりの人と直接話したことがあったり、顔を見たことがあったり・・・・
となるとCosがおとなしかったかどうかは・・・・あぁ、場合によってはうるさくはなかったと思ってくださる方もいるかもしれない・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

もう少し美術に対する造詣を深めたほうがいいなぁσ∥>_<∥
たぶん、頓珍漢なことばかり言っていたに違いない。
そんなCosを暖かく迎え入れてくださった方たちに感謝m∥_ _∥

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2009.04.12

少女漫画でルーブルを!

アートテラーとに~さんのアートエンターテインメントイベントに行ってきた。
今、上野と六本木でやっている二つのルーブル展を少女漫画から解き明かそうというもの。
バロックとロココ二つの流派をそれぞれ70年代と80年代の少女漫画になぞらえて解説。

なんとなく敷居の高いように感じられる美術を日常の高さまで引き摺り下ろして解説をするのでその切り口がとても面白いのだ。

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ホワイトボードに次から次に絵を張りながら解説していくとに~さん

またきっとどこかでやるのかもしれないので、内容についてはここに書かないけれど、先日見てきた西洋美術館の17世紀のルーブル展の中なら何枚かを取り出して少女漫画との共通点を解説。

教科書っぽいまじめな解説はなかなか好きにはなれないCosだけど、こういう解説なら何度聞いても楽しいかも。

こうした普通と違う切り口で美術を解説していくのは1から作らなくてはならないから大変だろうと思う。
また、まだまだ荒削りのところもあったりして何度か繰り返すうちにより洗練されたものになっていくんだろうと思うけれど、その分親しみやすいイベントになっていた。

もっと派手にアピールしていればもっと人もたくさん集まっていいんじゃないかと思うのだけど、ちょっと人数が少なかったなぁ・・・

こうした新しい試みが軌道に乗るまでは大変なんだろうけれど、とに~さんにはがんばって欲しいなぁ・・・・

欲を言えば有名な美術展だけでなく、マイナーでいいからもっと身近な・・・同じ西洋美術館でも常設展などなら、アートテラーの後実際に見ながら少し話をするなんていうこともあってもいいんじゃないかなぁ
なんて思ってみたり。


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見詰め合うとき

目をあわせて見詰め合うとき、そこには言葉にならない想いを通わせる。
恋人と見詰め合うときには思いのたけをのせて、
わが子と見詰め合うときにはいとおしさをこめて、
仏像と見詰め合うときには・・・・自分との対話。

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相変わらずの人気で40分待ち50分待ちもざらな東博の「国宝 阿修羅展」。
じっくりと見るにはどうするか・・・・友達とあれやこれやと相談して夜間開館日の最後の30分が勝負だろうということになった。

というわけで金曜日の18:00
さすがに行列のなくなった東博ではあったけれど、人々が次から次へと建物の中に吸い込まれていく。
「う~ん、まだ早かったかなぁ」とは思ったけれど、一通り見るのに1時間では厳しいからせめて1時間半は必要だし、
「なかなかよかったよ」というVRシアター「再建中金堂と阿修羅像」もみたいし・・・
となるとこの時間が限度
(どっちにしても仕事があるからこれより早くは来れないんだけど・・・)

まあ、仕方がないと会場に入ってみるとやっぱり人がたくさんいる。
最初の第1章興福寺創建と中金堂鎮壇具は細かいものが多いので、人がたくさんいるとよく見えない。
ところどころちらっちらっと3列目ぐらいからみた。
ここは後で時間があったら来ることにしてさっさと
第2章国宝 阿修羅とその世界へ。
ここでCosは子どものころに出会った仏像たちに再会。
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八部衆像のうちの迦楼羅立像(かるら)は子どものころのお気に入り。おなじような仏像の中でカラスになっているこれが異彩を放っているようで好きだったのだ。
同じものを見ても受け取り方はずいぶん違っているはずなのに感じ方は今も昔も代わりがないところを見ると成長がないんだなぁ・・・

この八部衆像(阿修羅もこの中に入る)はいろいろなものになっているようで見ていると楽しい。
表情も平和なものがあって見ていると安心する。
(阿修羅は平和とはちょっと違うかな?)

が、十大弟子像はそんな平和な気分ではいられない。
歳をとった仏像の表情は悟りとは程遠い嘆き、苦しみ、憤りを表しているかのようにも見える。
一度目は人もすごく多かったのでざっと見てドンドン先に進んだけれど、2度目に回ったときには閉館30分前だったこともあってここまではかなり空いていた。
(ほとんど人のいない状態)
自分の見たい位置からじっくりと目を合わせて対話することが出来る。

単眼鏡を使ってその表情をじっくりと見る。
仏像と目を合わせると何も考えていないようなじっくりと考え込んでいるかのような気になってくる。
なぜ年老いた人を悟りの表情にしなかったんだろう?

逆に少年の像はすべてに満足した若さが感じられるのがなんだか不思議。
満足しきっている少年と飢えている老年・・・

そして阿修羅ルーム。
部屋に入るとまずろうかがなだらかなのぼりになっていてそれをのぼりきるとちょっと下のほうに阿修羅像が見える。
1回目は中央の台の上に乗っている阿修羅を取り囲むように人々が部屋いっぱいに広がっていてとてもそばに寄ろうという気がしなかったけれど、2度目になると阿修羅の周りは二重になっている程度の人ごみ。
ちょっとがんばって一番前から人ごみと一緒に阿修羅像の周りを一周。

更に閉館5分前にもう一度行ってみるとさすがに空いていて、これもまた自分の見たい位置から字栗と阿修羅と目をかわすことが出来た。

ぱっとみると満足しきっているようにも見える阿修羅。
が目を見つめているとそこの中にはどうにもならないやるせなさが見え隠れしているように見える。
いや、そう見えたのはCosの心のうちだろうか・・・


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2009.04.09

平泉・・・平安時代を垣間見る

1000年以上昔の平安時代が、どんな時代だったのか・・・
子どものころに習った歴史とはちょっと違う平安時代の姿が甦ってきているような気がした
世田谷美術館の「平泉~みちのくの浄土~」展(2009年4月19日まで)

 

平泉は、平安時代後期に奥州藤原氏によって独特の景観と高い文化を築き上げた都市です。


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そこにあるのは京都の仏像とちょっと違っている仏像たち。
どちらかというと中国から来た仏像というよりもアンコールワットのあたりから来た仏像のイメージらしい。

取り澄ましたのではなく暖かい感じの仏像が並ぶ。
それはCosのほとんど知らない世界。

平安時代という時代もよく知らないし、
こういう顔をした仏像も知らないし、
奥州藤原氏もしらないし・・・

でもこの表情は好き。

平泉の中尊寺には一度行ったことがあるけれど、もう一度、どんなところなのか調べてからいろいろと見に行ってみたい。

いわゆる「京の都」からみればずっと田舎のほうにあった独特の文化を持った都市。
もっと勉強してから見るともっとずっといろんなことが分かるんだろうなぁ

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2009.04.01

ユニマット美術館閉館

平成18年にオープンした青山のユニマット美術館が昨日閉館した。

前々からいろいろな人に「なかなかいいよ」といわれていたにもかかわらずなんとなくいき損ねて言ったのは閉館するちょっと前。

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実際に行ってみてそれまでに聞いていたとおりよかったのでこんなことならもっと早く来ればよかったと後悔。
なんといっても全部の絵を見たわけではなくこれ以外に展示換えの作品を見ることが出来なくなってしまったのはどうにも悔しいのだ。

シャガールとエコールド・パリを売り物にしているだけあって、Cosとしてはすごく好きというわけではないシャガールも甘ったるいばかりではない作品もあったりしてなかなかよかったし、エコールド・パリのコーナーでも「ユトリロ専門」と称している美術館よりもずっといいユトリロ(バニュウの教会)があったり、府中美術館でおめにかかった不思議な魅力のあるキスリング(長椅子の裸婦)の絵(同じではないと思うけど)に再開したり、クールベ(シヨン城)ってこんなに平和な絵も描くのかと驚いたりもした。
藤田嗣治の猫の絵もデュフィのオーケストラもとても楽しかったし・・・

今回の特集展示である「ミレーとバルビゾン派の画家達」(クールベの絵はここにあった)でもミレーの犬を抱いた少女もよかったけれど、コローがいたりドービニーがいたり・・・

決して大きくはないし、Cosには分からないけれど、有名な作品というのもあまりなかったのかもしれない。
でも絵の趣味はとてもいいし、また来たいと思った・・・・

館長さんが亡くなって、ユニマットグループにはこの美術館を維持していく力も意欲もなくなったのかもしれない。
なくなってから閉館までの速さはあるいは生前から閉鎖を求められていたなんていうこともあったのかもしれない。

企業あるいは個人の力でこうした文化を守っていくのは傍で見るよりもずっと大変なんだろう。

今日になって、ユニマット美術館のwebページはあっさりと「閉館のお知らせ」だけで後は何もなくなってしまった。

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2009.03.29

VOCA展

この前佐藤美術館で見た三瀬夏之介が気になっていて、他のところでも彼の作品を見たいと思っていた。
幸いなことに上野の森美術館のVOCA展(2009年3月30日まで)に出品されるというので見に行ってきた。

このVOCA展は選考委員に推薦された40歳以下の人たちが描いた新作の中から大賞などを選ぶというものなのだが、その大賞に三瀬夏之介が選ばれたのだ。


受賞の言葉.

そのようなダイナミックな直感に苛まれながらも、ぼくにはどうすることもできないほど世界はでかい。ぼくは政治力も資本力ももたない、ただの世界の田舎の絵描きにすぎない。

ただそれでもぼくはもがきあらがう。絵の中に登場してくる巨人は破壊の限りを尽くす悪の権化かもしれないし、新しい未来を描く救世主かもしれない。あなたにはどう見える?

「今」という時代をこの絵の不穏さが象徴していることなのかもしれない。表面的には何とか平穏を装っているけれど、その裏側ではもしかしたら・・・・
と思わせる。

そしてそれは今回賞をとった作品のかなりの部分に共通していたりするのがなんだか怖い。

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2009.03.28

ロスコルーム

一週間もたってしまったのが不思議な気がするけれど、先週の土曜日に佐倉の川村記念美術館に行ってきた。

もちろんお目当ては「マーク・ロスコ」(2009年6月7日まで)
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もともと川村美術館のロスコルームはCosのお気に入りで、暗い部屋の中に7枚のロスコの赤い絵がかけられているだけなのに川村に行くと必ずそこでしばらくたたずんでしまう。

人が誰もいなければずいぶんと長い時間座り込んでいたりもする。

このロスコルームの絵はマークロスコがレストランのために描いたシーグラム壁画と呼ばれる何枚もの大きな絵のうちの一部だったのだが、今回イギリスのテート美術館とアメリカのナショナルミュージアムをまとめて展示しているのだ。

そのために前回川村記念美術館に来たときにはイギリスのテート美術館にロスコの絵が貸し出されていてロスコルームは閉鎖されていたのだ。
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この写真はそのときのもの。イギリスでのテート美術館のポスターが張り出してある。

要するに世界的規模の巡回展ということになる。

今回はただ単に絵を展示しているだけではなく、レストランシーグラムのために描いた絵だったにもかかわらず直前になって現地を訪れたロスコが「ここではだめだ」と契約をキャンセルして自分で持っていた絵
ロスコはこの絵を一箇所にまとめて、自分の絵だけの部屋が作れるところを望んでた。

それに対してテートが部屋を作ることを申し出たけれど、そこからもまた紆余曲折があってそのうちの何枚かをテートで飾ることになった。

そんな敬意のやり取りが書簡になっていたり、部屋の模型があったりしてロスコの絵に描ける想いが伝わってくるような気がした。

絵自体も普段の川村のロスコルームはグレーが基調になっていて、暗い重厚でずっしりと包まれるような安心感のある雰囲気があるのに、今回は大きな真っ白な展示室をいっぱいに使って絵がかけてあるから同じ絵なのに重厚さはあるものの明るい安心感に変わっていた。

それでも静かに静かに絵とともに過ごす時間の心地よさは変わらない。

ロスコはどっちを望んだんだろう?

今回はみんなで来たのでその後はしっかりピクニック。

菜の花の咲き乱れるアート広場で焼きたてのピザランチ。
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2009.03.24

錦絵はいかに作られたか

「錦絵はいかに作られたか」と聞いて真っ先に浮かぶ疑問は
「錦絵って何?」
以前、江戸博物館で見た「ボストン美術館展」の中で
浮世絵は最初黒一色の墨摺絵(すみずりえ)から始まり、色の付いた紅摺絵(べにずりえ)になり、多色刷りの錦絵になったとあったのだが、逆に「錦絵」といわれたときにそれは浮世絵だけに使うのだろうか?
という疑問がわいてくる。

そんな疑問を持って国立歴史博物館の「錦絵はいかに作られたか」展(2009年5月6日まで)に行ってきた。
なんてえらそうなことを書いているけれど、実際に歴博で真っ先に行ったのは「錦絵の重ね摺り体験」!

Nisikie_002_0001展示はそっちのけで2種類の多色刷りを体験。

「体験」好きなCosとその友達たちが見逃すはずもなく、時間が足りなくなるといやだから先にやることに(と提案したのはCosだが・・・)。

いやぁ難しかったです。
やることはやさしいんだけど・・・・_| ̄|●

写真のものは
「濃い青」→「薄い青」→「赤」→「黒」の順にするのだけれど、気をつけてやったつもりでもずれていたり、思うように色が出なかったり・・・

一緒に行った友達(この写真は友達がやったときのもの)とああでもない、こうでもないと大騒ぎしながら楽しい時間を過ごしてしまった∥^O^∥

2枚とも出来て多色刷りの大変さを身をもって体験したCosたちは16色も使っていたりする浮世絵が江戸時代に完成されていたことに改めて驚きをもって展示を見ることになる。

しかもこの浮世絵というのは特権階級が楽しむというものではなく、江戸の庶民(買うだけの余裕のある庶民)が絵双紙屋で買うことが出来たのだ。
そのお店の様子も錦絵として残っているのだ。

中には相撲の番付を模して「これが江戸 錦絵合わせ」なんていう番付表があったりして昔の人も楽しんでいたんだろうと思われる。

歌舞伎の役者絵、死絵(有名人が死んだときに出す。まるで今の週刊誌みたいに人気役者が死ぬと何種類もの死絵が印刷されて売りに出されるけれど、必ずしも出せば売れるとは限らなかったらしい)、見世物、開帳のお知らせ、風刺絵としての土蜘蛛、妖怪といった錦絵の種類も面白いけれど、なんといっても今回のこの展示のきっかけとなった版木が面白かった。

もともと浮世絵の版木は印刷が終わると削り取ってそこにまた新しい物を彫るからドンドン処分されて今に伝わっているものはほとんどない。

そんな版木がたくさん見つかったことが今回の展示につながったのだけど、この色ごとに彫られた版木が面白かった。

なんとなく版木は一枚で一色という気がするけれど、実際には裏表の両面に彫ってあったり、ひとつの面で2色色の指定がしてあったり、インクをつけない空刷り用の版木があったりする。

「紙に湿り気を与えておいてばれんでこすることで紙に凹凸を出す」のだそうだけど、凹凸が出ているかどうかはまるっきり分からなかった。
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この版木で行灯などの枠の部分と下帯の空摺りをしているのだという。間違えてインクが付いちゃうと変な色が入ってしまうことになる。

版木は刷り上ったものとは左右対称だから、左のほうにあるのが行灯の部分。

血の部分を印刷する版木には「ちのいろよろしく」なんて書いてあったりして、庶民のものである錦絵にもかかわらずいろいろな工夫がされているのが分かる。

この版木と出来上がった浮世絵と一つ一つ見比べてどうなっているのか考えるのはそれだけでもとても楽しい。

更にはこういった研究を応用してだろうか、版木に残された色や形から出版されなかった錦絵を再現したりしている。
Img_1754上が再現された絵で下がその版木。
実際に版木で印刷したのではないというのが面白い。

いずれは研究が進めば過去に印刷された浮世絵が刷られた当時の色で再現することも可能になるのだろうな。
江戸博物館で見たボストン美術館浮世絵名品展にあったような鮮やかな浮世絵が甦る日も近いのかもしれない。

 
 
 
 
 
 


 
 
 
 

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春を呼ぶギターとチェロ

と題したコンサートを国立科学博物館の講堂で聞いてきた。

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「東京・春・音楽祭」という上野のホールや美術館、博物館で行われる音楽祭の一環として、科学博物館でもコンサートが行われたのだ。

普段はなんとも思わないんだけど、美術館などと違って科学博物館はかさの持込が認められている(というよりは常設展にはかさたてがない)からコンサートの会場にもかさを持ち込むことになる∥^O^∥
更に(当然)演奏中の写真撮影などは禁止されるけれど、始まる前は写真がOK
(正しくは取っていても注意はされなかった)

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しかも、この写真を見ると分かるように講堂の両側は窓になっていて、(天気も悪かったけれど)カーテンが開けられて外が見えている。
つまり、演奏中にもかなりの明るさがあって、「演奏会」というよりは「サロンコンサート」の雰囲気。

別にギターが嫌いというわけじゃないけれど、クラシックのコンサートでギターというのは聞いたことがなかったので興味津々\∥^O^∥/

第一部の最初のうちこそチェロが勝っていてギターが弱い感じがしたものの時間とともにギターとチェロが一体になっていった。
ギターだけを聴いていると音が小さいとは思わないんだけど、チェロに比べるともともとの音が小さいのだ。
音の大きさから言うと
(オーケストラの伴奏すらしちゃうほどの)ピアノ>オケ>ギター
ということらしい。

合間合間におしゃべりをはさみながらのコンサートは時間とともに楽しくなっていく。

ギターというのは一人で演奏する楽器としては音の豊かさにかけるような気がいていたけれど、思っていた以上に音が豊富で面白い。
ギターの鈴木大介さんはこともなげに弾いているけれど、実際にはすごく大変なんだろうなぁ・・・

アンコールの3曲のうちの「この季節でないと演奏できない」という武満徹編曲の早春賦はいかにも日本の春という感じがした。

コンサートの休憩時間には科学博物館らしく
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にご挨拶。
休憩時間も無駄にせずに見学に走るのだ∥xx;∥☆\(--メ)

コンサートの後で時間はあまりなかったけれど、シアター360を見学して音楽と科学の一日。


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2009.03.22

絵物語・・・表れて、そして消えた

「少年ケニヤ」という本の存在は知っているけれど、おそらくCosはちゃんと読んだことがないだろうと思う。
動物は好きだけど、冒険物は好きじゃないし、単純な勧善懲悪はかなり小さいころから嫌いだったから手に取ったことはあってもほとんど読んだことがないような気がする。

(気がするだけで実際には読んでいる可能性もあるけれど・・・今回見た限りではその可能性はかなり低い)

この「少年ケニヤ」の作者の「山川惣治展」が千葉の佐倉市立美術館で2009年3月22日まで

元の市役所が美術館の入り口になっているのだが、その中に入ってみるとそこには昭和30年代の街が甦っている。
少年ケニヤの時代は日本が高度経済成長といわれるようになる豊かな時代に入る前の戦後の「これから」という感じのする時代。

まだ、少年漫画は子供達のものではなく、テレビもまだあまりないような戦前からこの時代までの少年達をとりこにした絵物語で一世を風靡した山川惣冶はその晩年を佐倉市で過ごしたそうだ。

変にひねったところのない素直な物語、幼い子どもの絵本の延長線上にある絵のある本。
子供達の中では自分で読む紙芝居だったのかもしれない。

戦後、高度経済成長が始まったころになるのだろうか、漫画に押されて
「子どもに良質な絵を」といい続けていた絵物語は次第に販路が狭まって、最後に残ったのは学年誌だったという。

その漫画は・・・・山川の描く美少年美少女の表情や目をそのまま取り入れながらどんどん発展を続けてきた。
そして今、印刷物はwebや動画に取って代わられようとしている。

紙芝居が絵物語になり漫画になり動画になっていく・・・・次はどこに進むんだろう?

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2009.03.18

薩摩焼

最初に「薩摩焼」という文字を見てもそれが何を意味するのかがしばらく理解できなかった。
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どうもこの「薩摩」という言葉はCosの中では食べ物に結びついているようで、「さつまいも」「さつまあげ」「さつましょうちゅう」・・・

こういう知らないもの、わからないものについてはとりあえずどんなものだか見てみようというのがCosの方針。
というわけで江戸東京博物館の
薩摩焼~パリと篤姫を魅了した伝統の美~展(2009.03.22まで)へ。

Cosの周囲には陶芸をやっている人もいるけれど、Cosにはその良し悪しはまるっきり分からない。
「いい」とされているものを見ても「こんなもののどこがいいんだ?」となることのほうが多いくらいなのだ。

1867年(慶応3)の第2回パリ万国博覧会に出展された作品を中心に集めた展示ということでヨーロッパ向きの作品が多く、Cosにも見やすかったのかもしれない。

たくさんの・・・100点ぐらいあったんじゃないかと思う日本の薩摩焼全体につけられた930円ぐらいの値段と逆にフランスから送られた一点で同じような値段のつけられた壺(だったと思う)は当時の日本の立場がどんなだったのか考えさせられる。

きれいに描かれた花などの絵の上を貫入とよばれる細かなひびが入っているのがいいらしいのだけれど、Cosにはそれがどこか痛々しいようにも見えた。

この細かなひびをヨーロッパの人たちはどう見たんだろう。
だからその値段だったとかということはないんだろうか?

今回の展示で面白かったのはこのきれいな絵を描いた薩摩焼・・・白薩摩という・・ではなく,地味な色の黒薩摩のほう。

黒薩摩では釉薬に工夫をしたり、整形してから掘り込んだりして焼くことによって出来る偶然性を楽しんでいるかのようにも見える。

黒い水滴が一面についているかのような鮫肌釉瓢形徳利(さめはだゆうひょうけいとくり)とか
蛇のうろこのように網目が入っている蛇蝎釉(だかつゆう)とか
焼く前に釉薬の玉を乗せておいてそれが解けて流れるさまを楽しむ玉流しとか・・・

いかにも「つくってみました」「やってみました」という感じ・・・今に伝わっているのはきっとその中でもうまく出来たものだろうから、余計に面白いのかもしれない。

美しく美しく描いた白薩摩は殿様の焼き物。
黒く無骨な黒薩摩は庶民の焼き物とも言われているらしいけれど、どちらをとるのかといわれればやっぱり黒薩摩だろうなぁ・・・
その点では確かにCosは殿様の器じゃない∥^O^∥

展示の最後に現代の薩摩焼もあったけれど、これはこれですごくアブストラクトなものも多くて面白かった。
そのうちに現代の陶芸に焦点を当ててみてみると面白いかも。

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2009.03.11

まばゆさの在処  伊庭靖子展

Cosの周囲には「写真は絵画に取って代わる」という人もいるけれど、この伊庭靖子の作品は
「絵画が写真に取って代わった」もの。

写真に撮ったものを忠実に絵画に写しているかのように見えて実際にはどこかまるっきり違うものに変化している。
01gomi01_2

チラッと見ると写真の持つ透明感がそのまま伝わってくるのにそばによって見ると絵の具の持つ不透明感に変わる不思議。

写真に撮った陶器の反射する光はそのまま残っているのに、それはよく見ると透明な光ではなく絵の具の白だったりするのがとても不思議。

以前に見た上田薫のスーパーリアリズム絵画
とも共通したリアリズムがありながら伊庭靖子の作品はその題材も関係しているのだろうけれど、どこか光に満ちた柔らかさがある。

ありふれた日常の中の一こまを切り取った写真のような絵という点では同じだが、その受け止め方が写真の研ぎ澄まされた光を更に研ぎ澄ませたかのような上田薫の作品とは似て非なるものに仕上がっている。

上田薫の絵が写真以上に距離を置いて見せているのに対して伊庭靖子は同化して見せているから、プリンの絵はちょっと見ただけではなんら異質なものを感じさせないプリンそのものだし、オレンジの絵(伊予柑系のオレンジだなぁ)はごく自然なみずみずしさを保っている。

写真を撮ったときの切り口も面白いけれど、写真から絵にするときに彼女の欲しいエッセンスだけが強調されているのだろう。

写真とは何か、絵画とは何かを考えさせてくれる美術展。

2009年3月22日まで
神奈川県立近代美術館鎌倉

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2009.03.08

チャロー! インディア

「期待したほどよくなかった」という話を聞いていたので最初から期待せずに行った美術展。

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チャロー! インディア --インド美術の新時代--
2009年3月15日まで
森美術館

Cosが聞いたのは「どこがインドなのかよくわからなかった」といったものだったので、最初から「インド」を期待せずに行ったのがよかったのかもしれない。
確かにインドらしさを求めようとすればインパクトが小さいかもしれないけれど、「インド」を期待せずに見るとそれなりになかなか面白かった。

会場に入って最初に見るのが体一面に精子のビンディを描かれた象。
ヒンズー教の既婚の女性が額につける印であるビンディに精子を模したものなどあるとはとても思えないが・・・・
夫のある女性がおでこに精子を貼り付ける・・・実のところビンディの意味するところとは共通しているのかもしれない。

一番面白かったのはシルパ・グプタのごみに関する映像作品。
白いスクリーンに向かってたつとそのスクリーンには自分の影が映る。
映った影に一本のケーブルが延びてきてそのケーブルを伝って影のごみが落ちてきた、と思うと体にくっついてしまうのだ。

もちろん、くっついているのは影のほうだけで実際の人間についてるわけではない。
作り方としてはこの前に見てきたメディア芸術祭のOups!と同じようなテクニックを使っているわけなのだが、その表現がごみ問題あるいはインドの中のごみを扱っている人たちの問題・・・たぶんカースト制にかかわっている問題・・・に関連しているところが違っている。
たぶんこれもインド特有の視点を含んでいるんだろうな。

「インド」ということにこだわらずに見たときに一番面白かったのがN・S・ハルシャの椅子の作品。
この椅子は展示作品でもあり、監視員が座るための椅子でもあり、この椅子に座ることで観客を見る立場にある監視員達が逆に見られる対象になってしまう。

椅子の上には天上に近いところにかごがあってその下に座れば頭の上に落ちてきそうだったり、地球儀のような地球のボールがあったり、椅子の横に口のひらいたお米(インディカ米ではなかった)の入った麻袋にナイフが刺さっていたり、なにやらネットのようなものが壁にかかっていたりしてなかなか面白い。

ただ、じっと見ると必然的に監視員の人と目が合うわけで、それはそれでこっちもちょっと居心地が悪かったりもする∥^O^∥

人の座っていない監視員の椅子には自分が座ってみたくなってくる。
座ったらおこられるのかなぁ?

この展覧会で一番ショックを受けたのは最後のインタビューの映像。
内容はそんなにたいしたことがなくてどんなものを作っているかとか「あなたにとってインドとは?」といったインタビューをしているだけなのだが、なんと全員が英語で受け答えをしているのである。
芸術家ということと語学に堪能ということとの関連はそんなにあると思えない。

インドという国には26の言語があって同じインドであっても場所が違えば言葉が通じないのだとも言う。
公用語はヒンズー語だけれど英語しか離せない人もいるのだという。
インド - Wikipedia.

1991年の国勢調査によると、178,598人(調査対象者の0.021%)が英語を母語にしており、9000万人以上(同11%)が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。

英語でインタビューを受けそれに答えている彼らには英語圏の世界はひらかれているけれど、もしかするとインドのほかの地方の人たちの社会は彼らにとって閉ざされているところもあるのだろう。

実はこれこそがいまのインドの姿なのかもしれないと思ってみたりした。

それにしても英語を自由に使いこなすのはかなりうらやましい・・・∥^O^∥

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2009.03.07

芥川沙織展

芥川沙織・・・芥川也寸志の妻。
その妻がろうけつ染めを使って描いた絵。
なんて聞くととても見てみようとは思わない。

暇をもてあました有閑マダムがろうけつ染めを使ってかわいい花かなんかの絵を上手に描いている・・・きれいでかわいいものを描いている・・・のならわざわざ見に行きたいとは思わない。

01gomi01

もし、この絵を見なかったら、しかも行く場所がCosの好きな横須賀美術館でなかったら決して行こうとは思わなかっただろう。

展覧会の案内にあったこの絵、絵というものは印刷してしまうとその途端に魅力や迫力のかなりの部分を失ってしまうのにここに書かれた黄色い人の怒り、あるいは憤りが伝わってくrかのように見えた。
それはきれいでかわいいものを描くという「奥様」からはかけ離れた存在だった。

しかも、場所は観音崎公園のはずれにある横須賀美術館。
ここは美術館の存在自体がひとつのアートだし、海と山と美術館と観音崎公園とを楽しむだけでも行くだけの価値がある。
(唯一の難点はうちから遠いこと、つまりお金と時間がかかることかな)

山田-芥川-間所 沙織・・・42年という短い一生の間に3つの姓を使った沙織。
声楽の勉強をしていた芸大の在学中に芥川也寸志と結婚し、
「一軒のうちに二人の音楽家は困難」と、音楽の道を捨てて美術の世界に入っていた沙織。
子供に手がかからなくなって絵の世界で賞をとっても「也寸志の妻」としてしかみられない沙織。
この時代の彼女の「女」シリーズの絵は憤りと怒り、そして笑いの影の悲しみに満ちているような気がする。
上の絵はこの時代のもの。

そしてそれはCosたちを取り巻く環境の中でも、薄れたかのようには見えても深いところで続いているもの。

古事記をテーマにした一連のシリーズでは怒りと憤りではなく激しさが前面に出ているような気もする。
ダブル幅の長い布に染色したモノなどは知っているストーリーのようでもあり、知らないストーリーの様でもあり、そこから新しい一場面が生まれてきそうな気さえする。

やがて彼女は芥川也寸志と離婚してアメリカに単身わたる。

この時期の彼女は間所と出会ったからだろうか、作品の切られるような激しさは姿を消している。
相変わらずの激しさはあるけれど、ずいぶんと平和な感じがする。

山田沙織として生まれ、芥川沙織として有名になり、間所沙織として死んで行った
芥川沙織展
2009年3月22日まで
神奈川県横須賀美術館


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2009.02.25

冬の夏・・・三瀬夏之介

現代の日本画ってなんだろう?

いや、日本画自体いったい何なんだろう?

つい2年ほど前までは日本画にはまったく関心がなかったCosだから、「現代美術」としてなら楽しんだだろうけれど、「日本画」と聞けば見に行くことはなかっただろう
三瀬夏之介の「冬の夏
2009年2月22日まで東京佐藤美術館

Img_1509
今までここに来たことはなかったけれど、どちらかといえば小さいビル。
このビルの3階と4階が展示会場になっている。

天井が高くないのが残念といえば残念だし、手の届くところにある作品が身近に感じられていいといえばいいし・・・

会場に入ってまず目に付いたのが入って左手の壁のそこここにつけられた針金(?)の小さなはしごたち。
このはしごのモチーフは彼の作品の中にも壁にもあちこちで目に付いて後になってみると「のぼる」あるいは「天を目指す」人(あるいは作品)という印象が残った。

部屋いっぱいにおかれたどこまでも続くんじゃないかと思えるほど長くつなげられた三十四曲一隻の屏風「奇景」。
端から彼の連想と時間の経過が目に見えるよう。最初の方には絵の中にもはしごがかけられてあったりしてこの(広くない、天井の低い)展示室から空に向けて脱出できるかのよう。
絵の中には仏像があったり飛行機があったり・・・空に向かって伸びていく感じはやっぱり変わらない。

部屋の中にはこの馬鹿でかい屏風以外にも小さな作品がこっそり展示してあったり・・・なんとなく雑然としたものを感じたのだが、これが4階に上ったとたんにまだまだ甘かったことに気がつく。

とっ散らかった大部屋とでもいうイメージ?
この会の作品には余り空に向かって開いているというイメージはなくて、所狭しと彼の世界が展開されている感じ。

印象に残ったのはやはり大きな作品かもしれない。
これは日本画なんだろうか・・・と思いながら見た日本画滅亡論。
Cosの目からはとても消化できなくて完全に不完全燃焼。
が、すごく気になることは確かでまた4月には練馬美術館でやるのを見に行こうと思っている。

更に気になるのが彼の
三瀬夏之介展 「冬の夏」  佐藤美術館 ::: アートインデックス art-index.

フィレンツェではイタリア人の詩人と出会った。彼とは英語、そしてお互いのつたないイタリア語と日本語で意志の疎通をはかった。

(中略)

彼はわたしの作品に感じ入るところがあったらしく、何度か絵について話したが、「日本画」というものについては最後まで解ってもらえることはなかった。
「バカらしい価値観だ、この世界には人間しかいない」

どんな価値観なのか・・・日本画ってなんだろう・・・

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2009.02.22

さすが諭吉さん・・・

「行きたかったんだけどなぁ・・」と生徒の云う慶応義塾を作ったのが福沢諭吉。
その慶応義塾創立150年を記念しての展覧会。

未来をひらく福澤諭吉展
2009年1月10日(土)~3月8日(日)

Img_1428

教えている生徒だけじゃなく、Cosが生徒だったときも慶応義塾には何人もの友達が挑戦していた。
そうした友達達は偏差値だけじゃなく慶応という学校に対して・・・というよりも福沢諭吉にあこがれて進学を決めていたような気もする。

たかが学校の創立者というだけで東京国立博物館で展覧会を行えるのは彼ぐらいかもしれない。

会場には現役の学生のような人もいたけれど、多くはかつての学生だったのかもしれない方達。
普段から東京国立博物館はお年を召した方が多いのだが、更にもう1世代上じゃないかと思えるような方までもがちらほら・・・

会場は設備の悪い表慶館。
エレベータはもちろんないし、トイレすらないという・・・
しかも、今回は会場が1階だけじゃなく2階にまで続いているからようやっと階段を登られる方、階段の手前で見上げている方がいたりする。
トイレがないこともやはり・・・

こういう方たちまでをも集めてしまうのはさすが福沢諭吉。

内容はといえば、もちろん悪いわけではない。
見ていて面白かったけれど、こんな風に展示された実物をわざわざ見に来る価値があったのかな?という気がした。

たとえば、工芸品があるなどといえばどれほど言葉を尽くしてみても、写真を撮ってみても実物とは比較にならない。
「これを見にわざわざきてよかった」と思えるような展示物が残念ながらなかった。
おそらく福沢諭吉の伝記などを診ると書いてあるようなものがあれこれ展示してあったのではないかな。

それが面白くなかったのかと聞かれればそれなりに面白かったのだが、歩くこともおぼつかない高齢者の方を見ていると・・・・

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2009.02.15

ムットーニワールドプレビュー

今日は朝から頭がガンガン痛くてとても外出する気分じゃなかったのだが・・・
2009年2月11日から25日までしかやらない
「ムットーニワールドプレビュー」八王子夢美術館(たぶんリンク先は2月25日までで中身が変わると思います)
でどうしてもムットーニさんの口上を聞きたくてお昼ご飯の後八王子まで・・・・

てきぱきと仕事を片付けることも出来ないし、無理してあわてることも出来ない感じだったので残念ながら1日に2回ある口上には遅刻。
まだ来週の土日と最終日があるから運がよければもう一度行けるかも知れないと期待しておこう。

Img_1514
一階の電力会社(かな?)は日曜日だからお休みだし閑散としたくらい感じの入り口は何回行っても入るのに躊躇する。

自動人形からくり箱の動きにあわせて、ムットーニさんが述べる口上はムットーニワールドへの入り口。
口上にあわせて人形達の感情が見えてくる。

口上なしに見える人形の感情と口上つきで見える感情とは口上を聞いた後でもちょっと違って見えるのが面白い。

今回の展示は動くものとしては
「ギフト フロム ダディ」
「クリスタル キャバレー」
「摩天楼」
「カンターテ ドミノ」
「ドリームオブアンドロイド」
の5点。

「プレビュー」ということで小さな会場において動かすだけという感じの展示になっている。
いつものように暗いけれど、仰々しさがなくてそれはそれでいい感じ。

今回はもちろんどれも見たことがあるものばかりだけれど、映像になってしまってはムットーニのよさが半減してしまうから、何度でも見に来たいのだ。

大人が見る少年の夢を体現した人形という感じもするムットーニたち(ムットーニさんが作った人形もムットーニなのだ)

人形を制御することだけじゃなくて光と影の制御をしているとムットーニさんのいう「カンターテ ドミノ」はご多分に漏れずCosのお気に入り。

パイプオルガンを奏でるオルガン奏者の前に天使が現れて点に登っていくというストーリーなんだけど、最後の天使が羽を広げて天に向かっていくところはいつも明るく地平が開けるような印象を受ける。
実際には一番上まで上がった人形が羽を広げ、手を天に向かって伸ばすだけなんだけどね。

人がたくさんいるとそばで細かいところまでじっくり見ることが出来ないのが残念。

Img_1517

送られてきた今回の案内のはがきにあったのがこの「カンターテ ドミノ」。
彼の代表作でもあるんだろうな。

後はどれもいいけれど、ロケット好き、宇宙好きのCosとしては「ギフト フロム ダディ」
父親からもらった一台のロケットのおもちゃ。
一緒に見ているとロケットは天に上がり始め、親子のいる部屋は宇宙になる。
父と子の宇宙への夢が広がる。

そしてたそがれているCosには「SKYSCRAPER」(摩天楼)
時の移ろいそのものが思い出なのか未来なのか・・・
たそがれの中に見つけるものは記憶なのか夢なのか・・・

ムットーニさんの口上は絶対に聞き逃せないけれど、それと同時に一つ一つをもっとじっくり見たい。
口上のない平日の仕事帰りに少なくとももう一回は行きたいなぁ・・・
幸いなことに開館時間は7時までだから時間的には何とかなる。

更にもう一回口上を聞きに行くとなると・・・・難しいかな∥>_<∥


【素朴な疑問】
普通はこんな風にプレビューなんてやらないと思うのだけど、どうして今回はプレビューをやるんだろう?
それも展覧会と展覧会の狭間の2週間だけ・・・
どこを見てもプレビューをやる理由は書いてないう~~ん???

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2009.02.14

メディア芸術祭

メディアを用いた芸術の受賞作を集めた展覧会ということなんだろうと思う
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メディア芸術祭
国立新美術館で2009年2月15日まで

ほとんどが映像を用いた展示なので一つ一つの時間がかかるけれど、とても面白かった。
こんなに面白いものが無料でいいのかというのが最大の感想かもしれない∥^O^∥

コンピュータを使ったものや漫画、エンターテイメントはある程度予想がついたし、
漫画は「かって読もう」と思ったり
Wiiはやっぱり欲しいと思ったりした程度で「ここまで来てよかった」というほどのことはなかった。


最近漫画は読まなくなってきているけれど、槇村さとるの「Real Clothes」が優秀賞にあがっていてとても懐かしかった。
大賞の「ピアノの森」も読んでみたい・・・

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前評判で面白そうだった「つみきのいえ」
評判どおりとてもよかった。
水上の家に住むおじいさん。
魚を釣っては毎日の食事にしている。
ある朝起きると水が部屋の中まであがってきていた。
船でやってくる商人からレンガを買うと今までの部屋の上にもうひとつの部屋の壁を作り始める。
水はだんだん上がってきてそれまでの部屋は次第に水没していく
水の入った部屋から新しく作った部屋へ家具を上げているときにパイプを落としてしまう。

パイプを拾うためにもぐったおじいさんは部屋の真ん中にある上げ蓋をあけて下の部屋へもぐっていく。
そこはかつて病気のおばあさんの面倒を見ていた場所。
きっと以前はここまで水がきていなかったのだろう。

1階ずつもぐっていくと過去が甦ってくる。
かつてはここは緑に満ちた村の中の家だったのだ
幼い子どもが積み木を積み上げて家を作るようにおじいさんは部屋を積み上げて生きてきたのだ・・・

・・・・・
都合3回見ただろうか・・・いろいろと思うところはあるけれど、印象深い作品。
リンク先に以前は映像が少しあったのだが今はなくなっているのが残念。

pieces of love Vol.1 つみきのいえ [DVD]pieces of love Vol.1 つみきのいえ [DVD]
ナレーション/長澤まさみ, 加藤久仁生

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まあ、こういう商品になっているのだから仕方がないといえば仕方がないかも・・・

同じアニメーションで印象に残っているのがSFチックなKUDAN
これは今のところリンク先に映像があるから、どんなものだったか分かると思う。

CGに感動したのがCarbon Footprint
これもリンク先に映像があるので見ることが出来る。

Img_1486Oups! さすが大賞をとっただけのことはあって、中に入ると誰もが楽しめる。

単に画像を人を中心になるように動かしているだけなんだけど、実際にやってみると面白い。
犬におしっこをかけられたり周りで人が体操していたり∥^O^∥

こういう体験は実際にやってみないとわからない。

コンピュータと芸術の融合は数学とアートの融合でもある。

コンピュータを使うのではなく古典的なアニメーションの手法を使ったMoment – performatives spazierenも面白かった。
床板が自由な意志を持って楽しそうに街に出て行く。
ベンチになったり遊歩道になったりしながらベルリンの町を行く床板たち。
日本ではこういうものは作れないかもしれない。

このほかにも映像でない体験型として
touched echoSTEREO SHADOWなどもあったしこれ以外にも面白いものがたくさんあった。

Img_1506
同時開催されていた学生CGコンテスト受賞作品の中で風の音楽 ephemeral melodyも実際にやってみないとその感動が伝わってこないかもしれないな。

こうやって見るとかなりいろいろなところで数学的な思考をhituyouとするものがますます増えてきたようにも思える。
いずれ近いうちに「アートは数学」という分野が出てくるのだろう。楽しみだ。


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妙心寺展・・・禅の心

本当はトラ(龍虎図屏風[りゅうこずびょうぶ])が見たかったのだが、見に行こうと思っていた日にはいつも他の予定が入ってしまって、結局見にいけたのは後期の展示になってからなのがちょっと残念。

妙心寺展
2009年3月1日まで東京国立博物館で
Img_1426


会期末になると間違いなく非常識なほど混むので時間がちょっと遅かったけれど、前期に見損ねたことだし、「何が何でも決めた日に行こう!」ということに。

しかもこの日は「禅トーク」があるというのでそれも聞いてみたかったのだ。

若手の僧侶が妙心派と展覧会の案内をするという禅トークは円光寺の副住職による「松樹千年の翠」と題した話。
妙心寺の境内にある松は1年中緑であり寺のあり方を象徴するいつも代わらない不変の存在
が、その松も変わらないように見えて実はその葉は毎年入れ替わりをしている、変わりつつ変わらない存在。
変わっていくこと新しいものを今の世の中は求めているが実際に人の心が求めているものは変わらないものの存在ではないか
この変わりつつ変わらないのが禅の本質。
展覧会のどの宝物も何百年も前の姿のまま今に伝わっている。
変わらないものがこの世にはあり、それを心に持ち続けたい

といったような話を聞いてから展覧会へ。

時間が遅かったせいか、出て行く人は多いけれど入っていく人は少ない\∥^O^∥/

しかも展示は書がかなりあるから、文字の読めないCosとしては見ずにに先へ進むことが出来る
∥xx;∥☆\(--メ)

しかもしかもCosはあまり人物画は好きじゃないので、それもざっと見ただけで通り過ぎることが出来る
(これはもったいない気もするけれど・・・)

真っ先に目を引いたのは「瑠璃天蓋」15~16世紀に中国で作られたものだという。
(当時のものとしては)華やかなガラスのビーズで作られている。
お寺の本堂に天井から下がっているきらびやかな天蓋(こんなもの)の元になっているものだろうか。
妙心寺が出来た650年前にはこれが下がっていたのだろうか。
今はやりのビーズ細工となんらかわることなく一つ一つのビーズに糸を通して編み上げてあるのがなんだか不思議。
編み上げた模様の中には漢字もあるのだが、たぶん中国の漢字だろう、Cosにはよくわからないけれど「智圣」とか「伝篆」とか書いてあるような気がする・・・・(気がするだけでこんな単語は知らないから本当は違うんだろうな)

思わずニヤニヤ笑ってしまう瓢鮎図[ひょうねんず]つるつるしたひょうたんでなまずを捕まえることが出来るかという足利義持の問いを描いたもの。
31人の僧の答えも書いてあるらしいけれど、文字の読めないCosには何が書いてあるのか分からない。
リンク先ではよくわからないけれど、ひょうたんを持っているのではなく、これから沈めようとするかのように上から押さえている手、よくは見えないけれど、どこか困ったように見える人(?)、ひょうたんとなまずと川と同じような曲線を描いていて、その脇の竹も「え~と・・・」といわんばかりにたわんでいるのが面白い。

そして、アメリカのメトロポリタン美術館から里帰りしている老梅図、
すごい迫力で襖からはみ出す枝、狭い襖を上に、横に、伸びていこうとしている。
「老」という文字はあるけれど、この梅には真正面から向き合うことが要求されているような感じ。

白隠の特大達磨像も迫力があった。
「おっさんやるなぁ」という感じかな∥xx;∥☆\(--メ)

そして後期の呼び物である花卉図屏風[かきずびょうぶ]
植物の持つ伸びやかさと(老梅とは違った意味の)おとなしい勢いが大きな画面から伝わってくる。
華やかですがすがしい感じ。

いつの間にか閉館時間も近づいていた。
見るものはそんなに多くなかったはずなのに・・・・

人があまり多くなく、ちょっと待てばどれもこれもじっくり見ることが出来たのがとてもうれしかった。

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2009.02.12

20世紀モダンアート展の中止

どこにも遊びにいけない忙しさが一段落。
ここから2週間ぐらいは定期試験もないし・・・・どこに遊びに行こうかな

と思っていたらBunkamuraから郵便。

Bunkamuraは結構いいものをやるけれど、なかなか招待券が当たらないので
「ミュージアム・フレンズになると安いよ」という友達の言葉でフレンズになった(チケットを買っただけ)。
3000円で
「ピカソとクレーの生きた時代」
「国立トレチャコフ美術館展」
「奇想の王国 だまし絵展」
「20世紀モダン・アート展」の4つが見られるのだ。

この中でCosの見たかったのはもちろん「ピカソとクレーの生きた時代」
(だからここから買ったわけだけど)、でも残りの3つのどれをとってもCosには面白そうだったし、「モダン・アート」をはずすわけには行かない∥^O^∥

ところが、
Bunkamuraから来た手紙はこの「20世紀モダン・アート展」が中止になって代わりにロートレック展が開催されることになったので、モダンアート展のチケットを他のものに振り返ることが出来るというのだ。

ロートレックは見たいと思ったらそこからまたフレンズを買えばいいから好みからいうとピカソとクレーをもう一回となるのだが・・・・

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2009.01.27

9歳のファンタジー しんくやくしょモノレール

しんくやくしょモノレールが本になった。
01gomi04
去年の夏、千代田区役所で個展をやったTALKENの絵が本になったのだ。

その時にはこのしんくやくしょモノレールの絵がパネルになって展示されていただけではなく、幼稚園時代からの絵日記も展示されていた。

ひとりひとり(一台一台?)がそれぞれに個性を持って、TALKENに与えられた不思議な個性を発揮していてとても面白かった。

それは9歳の少年のファンタジー・・・
絵の世界の鉄ちゃんの夢が本になったのだ。
しゃこめてぃ出版から「しんくやくしょモノレール」が発売される。

この絵はMACを使ってマウスで描いた絵。
絵日記の絵のほうがずっといい絵も描いているので、絵日記に比べると子供用のソフトだからいろんな意味で制限があるのかもしれない。
色使いのよさはこっちのほうがいいかな?

ただ、この本のよさは絵だけではなくそこに書かれた文章のよさもある。
これもやっぱり彼が毎日書き続けている絵日記の効果もあるのかもしれない。
「あと5メートルぐらいで人食い八角形くんがみえてくる。・・」
どうして人食いなのかよくわからないけれど・・・でも踏み切り異常という言葉と一緒になるとその言葉がしっくり来てごく自然に思えてしまったりする。

感覚的に選ばれた言葉達、もしかしたら彼は大きくなったら絵と言葉で芸術の中に入っていくのかもしれない。

TALKENは高機能自閉症児なのだという。
知的な部分での遅れはないけれど、人とかかわることが難しいらしい。
しょうがいを持っているからといって作品を評価するつもりはないけれど、他の人との間での自己表現が苦手だからこそ、絵の中に文章の中に自分を表現できるということはあるのかもしれない。

去年世田谷美術館でしょうがいを持った人たちの描くアウトサイダーアートを見てきたときもしょうがいを持っているからいい物を描くということではなくて、表現しきれないものがここに凝縮されているのかもしれないと感じたのを思い出す。

「のりものも、たてものも、ツアーラインも
み~んな 都市人なんだ」
というしんくやくしょのまち。
電車も人も同じ価値を持つほのぼのとした街。


また訪れてみたい。
千葉市中央区のきぼーるで4月4日から一週間出版記念の個展をやるそうだ。
ちょっと遠いけれど、春休みだしうまくすればいけるかもしれないな。

しんくやくしょモノレールしんくやくしょモノレール
長嶋 柊

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発売は1月30日だから、それが過ぎないとamazonでは買えないのかもしれないが・・・


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妖しい世界

Cosが彼に魅かれたのは目が合った瞬間だった。
それからずっと時としては「なんで?」と思わないこともなかったけれど、どこかで彼に会えるチャンスがあれば行くようにしていたのだがやっと個展を見に行くことが出来た。

10年前には彼の存在を知らなかったし、10年ぶりの回顧展だというからCosが個展を見るのは初めて。

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加山又造展
国立新美術館で2009年3月2日まで。

Cosがとりこになったのは国立近代美術館で見た正にこの絵。
そのころはまだ日本画に対してはあまり関心がなかったしいいとも思っていなかったのだがこの絵とであった瞬間に日本画というのは思っていたようなものとは違っていることにはじめて気がついたのかも。

会場に入って最初に出迎えるのが近代美術館の「雪」「月」「花」(ちょっとしたの方).
この月の絵を見たときもショックを受けた。
確かに日本画の世界だけれど、この空の線はいったい何なんだろう・・・と。

いったい何本の足があるのか分からない月と縞馬この縞馬はどこにある水を飲んでいるんだろう?
月がらくだになった絵もシュール・・・・

日本画のもつ静かな静かな世界がシュールに展開している。

さらに、日本画の持つ(実際には日本画に限らないと思いはするけれど)一つの画面に描かれたいくつ物時間の流れがごく自然に感じられる「春秋波濤」や雪月花
ここがCosは一番好きかも知れない。見ているだけで現実からはなれて他の世界に入っていくことが出来る。


倣北宋水墨山水雪景この絵を見たのは多摩美術大学美術館の「加山又造研究」でだった。
多摩美術大学では彼の研究をやっている人がいるのだ。
たくさんの作品を見ることは出来ないし、どんな研究をしているのか内容が分かるほどは文章が書かれているわけではないけれど、加山又造のスモールワールドに入り込むことが出来る。

が、残念なことに休憩所にあるというCGには気がつかなかった。
休憩する時間も惜しかったのだ・・・_| ̄|●

まだ日はあるからもう一度見に行けたら見に行きたいなぁ・・・


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2009.01.26

DOMANI

なによりも舟越桂を見たくて行ったDOMANI展。
文化庁芸術家在外研修の成果ということで、あちらこちらの国で研修をしてきた人たちの作品が展示されている。

もう会期も終わりだというのに人もそんなに多くなくじっくりと見ることが出来た。
0047
会場にはこの見晴台のスフィンクスや森のスフィンクスなどが展示されていた。

以前庭園美術館で見たときには館の一室でであったスフィンクスたちが美術館という明るい場に出てくるとその雰囲気がずいぶんと違う。

前回は憂いをこめて出迎えてくれた森のスフィンクスは距離の遠い交わることのないところにいるようにも見えたし、どれもがこちらと意思を通わせようとしない。

それはそれで別な世界を想わせてくれていいのだけれど、ちょっとさびしかったかな。

ホログラフィーの石井勢津子、
新しい表現を模索して東工大の研究生になったりMITで学んだり・・・
どう見てもここだけ見ると理系にしか見えない。
ギリシャ時代には一体だった芸術も再び理学の世界に入り込んできつつあるのがなんだかうれしい。

ホログラフィーという道具を使っての表現は位置の変化と画像の変化・・・時間と描かれたものとの関連・・・見るものに何らかの行為や時間を要求する新しいタイプのアートだろうなぁ・・・

日本画の伴戸玲伊子、
斬新な水の表現、朱で描かれた水の動きがこちらをドキッとさせる。

切り絵の駒形克也、
カーテンで仕切られた一室の小さなドーナッツの光の出るミラーボールが回転している中で切り絵を見る。
ミラーボールの光が金と黒との切り絵に映って面白い世界を作っている。

花の絵の小山利枝子
といってもこの絵を見てもそれが花だと見抜くことが出来る人は少ないだろう。0052
以前多摩美術大学美術館で見た「絵画のコスモロジー」でたくさんの花のスケッチやいろいろな試行錯誤を見て知っていたから花という理解が出来る・・・
でもこの絵は「花」という思い込みを離れて見たほうがいいかな。

この絵もこの大きな会場で見ることでまったく違って見える。
花の中心から湧き出してくるエネルギーが感じられる気がする。

花のミクロの部分を取り出して抽象化、絵画化していく
この小山利枝子についてはこれからも注意していきたいな。

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こんなふうな沸き立つ感じを描いたのかなぁ・・・
なんて思ってみたりして。


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2009.01.25

蒔絵

「Japan 蒔絵」

金や銀の粉を「蒔く」から蒔絵なんだと知ったのはいったいいつだっただろう?
日本でというよりも海外に輸出された漆器の蒔絵はどこかエキゾチック
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サントリー美術館で2009年1月26日まで

作られたときには黒地に金で輝きさぞきれいだっただろうと思う。
ヨーロッパの人たちはこれを見て東の果ての国に思いをはせていたんだろうか?


宣教師達により注文で作られた南蛮漆器とよばれるキリストの磔刑図や聖母子像などを納める「聖龕(せいがん)」、ミサで用いる「聖餅箱(せいへいばこ)」、聖書をのせる「書見台」、引き出し箪笥の扉を前に倒して机として用いる「書箪笥(しょだんす)」や、蒲鉾(かまぼこ)形の蓋がついた「洋櫃(ようびつ)」・・・・

どれもが日本で作られているけれど、日本じゃない、
西洋で使われたけれど、西洋じゃないとても不思議な雰囲気。
おそらくこれが日本に逆輸入されていればそれはそれで「異国」のもので人気を博したんじゃないだろうかとも思える。

Cosにはこの時代のものが一番面白かったかもしれない。

ただ、会期末ということもあって人が多くてじっくり見ようという気に慣れなかったのが残念。


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2009.01.19

ステイン/ナイン

オペラシティーの近くのケンジタキギャラリームットーニの新作が展示されていると聞いていってきた。

ムットーニの個展ではなく「NINE」というグループ展。
ギャラリーの壁には何点かの絵がかかっているけれど、どこにもムットーニの人形は見えない。
ギャラリーにかかっている絵はなかなかいいものがあってそれはそれで面白かったのだが、せっかく来たのにムットーニの人形がみられないのはなんだか悔しい。

場内にはちょっと古いタイプの映写機のようなものがおいてあった。
細菌流行の映像作品を部屋の反対側の白い壁に写すのだろうと思ったけれど、Cosがいったときにはスイッチが入っていなかった。

せっかく来たんだから見たかったのにな
とちょっと残念に思ったのだが・・・・・・・

ふと・・・

レンズの側から覗いてみた。
「カチッ」と聞きなれた音がして箱の仲で人魚が動き出す。
鏡に映っているのか、2体あるのかは分からないけれど、2体の人形が動き出す。
どちらの人形が真実なのか・・・・

ムットーニらしい幻想の世界がその箱の中に広がっていた。

箱の中に閉じ込められた幻想・・・・
箱の中はどこかぼんやりとしていてよくは見えない。

今まで見てきたムットーニの世界が同時に何人かで・・・・数人から数十人の単位で・・・楽しむからくり箱だったけれど、これは一人で楽しむからくり箱でタイトルは「STAIN」。
しみ、汚点・・・どんな意味を込めてあるんだろう?
そんなことを考えながら何度も繰り返し見てきた。

久しぶりに彼の世界を楽しんできた。

そういえば、先日見てきた「ピカソとクレーの生きた時代」のなかのマックス・エルンストの一枚の絵・・・「揺らぐ女」・・・・は正にムットーニの世界だった。
エルンストの絵を具体化したのがムットーニなのかもしれない。

そんなことも思いながらの充実した時間が楽しかった。

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2009.01.18

アートテラー・・・クレーとお菓子

「アートテラー とに~ お笑い会」 第2回
一回目は母とコンサートに行っていたので行くことが出来なかったけれど、同じ場所での2回目。

楽しく笑いながら美術に対する造形を深めようという企画の第2弾。
今回はお菓子と絡めてクレーについて語るというので、クレーの好きなCosは楽しみにしていた。


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会場はこんな明治時代に建てられたという高輪の洋館。
小説にでも出てきそうな建物で、ちょうどクレーが生きていた時代のころにもあった建物。
ここではどんな人たちがどんな風に暮らしていたんだろう・・・

今回のテーマは「クレーと【パティシエ】」という切り口でのアート・トークだけあって、しっかりととに~さんの作ったお菓子も付いてくる。

今回のお菓子はクレーの「畑の中の黄色い家」からヒントを得て作ったという4層になった楽しいお菓子。

紆余曲折を経て出来たお菓子の話を聞いてから
「お菓子をおいしく撮るのには」という写真の話を聞いて、みんなそれぞれに練習∥^O^∥

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今回トニーさん達が作ったのはこんなお菓子。
上から
白は蜂蜜と生姜のパンナコッタ。
生姜の味が利いていておいしかった。
赤はイチゴとトマトのムース
イチゴとトマトというのは思った以上に味がしっくりなじんでいたのは驚き。
緑は小松菜のムース。
そして一番下に入っている黄色がビスキュイ
クレーの絵にあわせて斜めの線を入れる・・・のが大変だったそうだ。

これ以外にもいろいろなお菓子やパンが持ち込まれて会場は写真大会。∥^_^∥
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上から見るとこんな感じ。
「畑」あるいは「Field」という感じ見えるだろうか・・・
金色の三角はクレーの
「直角になりたかった茶色の三角」
(ここだけ聞くとなんとなく生徒の答案にもありそうな感じだが・・・)
なのだそうだ。

Cosとしてはここは茶色の薄い直レートで作って欲しかったなぁ・・・
と、とに~さんにいったら「材料費がまた高くなっちゃいますよ~」と。

写真撮影が終わった後は今度はクレーの話。
クレーが好きだった音楽や詩の中にはあって絵の中にはない「時間」というファクターを絵の中にも表現したのだという。

そういわれてみると時間の流れだけじゃなく、
繰り返しや変奏といった要素も見えるような気がする。

そして、50年後に発見されるようにキャンバスの裏に天使の絵を描いてその上から石膏を塗り何年もしてから発見されるようにしておいた「グラス・ファサード」

自分が死んだ後のために作っておいた作品。
タイムカプセルを絵の中に仕込んだわけだ。

なかなか味なことをやる。

今回とに~さんの話の中で「クレーの絵はかわいい」という表現が何度も出てきたのがCosには新鮮だった。
いままで「かわいい」とはクレーの絵を見てこなかったことに気がついたのだ。
かわいくないのかとたずねられればかわいいと答えるしかないんだけど、
なんとなくそういう範疇でくくってしまうのが似つかわしくないような気がするけれど、どうなんだろう??
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2009.01.16

ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館

本当は「ピカソとクレーの生きた時代--ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵--」展という長い名前だし、「ピカソとクレー」展としてのほうが通りやすいだろうと思う。
Cosも実際に行ってみるまではそう思い込んでいたのだけれど・・・

なんといってもこれを見たらピカソとクレーの展覧会だと思うよなぁ・・・

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渋谷のbunkamuraで2009年3月22日まで

実際にはピカソは4枚ぐらい、クレーはひとつのコーナーのほとんどがクレーだったりするけれど、それでも全体の1/4以下。
しかも、残りの作品はピカソのクレーのおまけという感じなどではなく、いい作品がたくさん来ているのだ。

何しろ、会場に入っての最初の作品がマチスの「午後の休息」

Cosが知っているマチスの絵とはずいぶん違っている。
(マチスが好きというわけではないので、あまり見ていないということもあるけれど)

点描で描かれているのだが、その一つ一つの点が大きくてしっかりと自己主張しながら明るい絵を作り出している。
この一つ一つの大きめの点がすごくダイナミックで、かつ点描の持つ繊細さとあいまってリズム感のあるいい絵。
マチスはこんな絵も描くんだとしばらく見入ってしまった。

そして、
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真ん中のネコの伸びやかさが自慢げな様子が伝わってくる。
見ているだけで楽しくなってくる。

ノルトライン=ヴェスタファーレン美術館は常設でこんな絵をいっぱい持っているのだ。
うらやましい限り。

マグリットの「とてつもない日々」の緊迫感と不思議さ、
「出会い」の異世界の不思議さ
ピカソの「二人の座る裸婦」の写実的でありながら不思議なバランス
エルンストの「揺らぐ女」がムットーニみたいな雰囲気だし、
タンギーの「不在の淑女」の空気の曖昧さと影の鮮明さ
・・・
あげていけばキリがない。
どのひとつをとってもその一点を見るためだけに美術館に足を運ぶのに十分な作品。

クレーももちろんいい作品がたくさん来ていた。
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たぶん、「黒い領主」は本では見ているけれど実際に見るのは初めて。
クレーの作品のうちのいくつかは川村記念美術館で見てきている。
(川村記念美術館Klee展

その点では「こんないいものを描いているんだ~」という感動は少なかったかな。
まあ、クレーは好きだから「クレーが出る」と聞くといけるところであればほとんどいっているから、本などでも見たことがない作品も少ないのかもしれない。

がこの世のすべてを忘れて、絵の世界に入り込むことが出来た至福の3時間だった。
(時計を見たときにはちょっとショックだったけど∥^O^∥ )

基本的に図録は買わないCosだけど今回ばかりは無条件で購入。
クレーはもちろんだけど、他の人の作品があまりによかったので・・・。

時間とお金があればもう一度見に行きたい。
期間は3月までやっているから不可能ではないと思うが・・・

それにしてもこんなにいい絵をたくさん持っているこの美術館にいってきたい。
いつか、自由になってお金と時間があったらいいもの、きれいなものをたくさん見に世界中を放浪したいなぁ・・・

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2009.01.13

西山美術館

東京都町田市にあるロダンとユトリロの美術館。
ロダンもユトリロもぜひ見たいというほどには好きじゃないし、気にはなっていたんだけど、結構料金が高いので二の足を踏んでいたのだが、先日割引券を見つけたので行ってみることにした。

割引券といっても1200円が1000円になるだけだし、個人の美術館とはいえあちこちに企業の美術館・・・たとえば松岡美術館やブリジストン美術館ががあれだけの豊富な内容と企画にもかかわらず800円であることを思うとどう考えても高すぎる。
まあ、個人の美術館だから財源が乏しいということもあるんだろうから仕方ないのかもしれないが・・・

しかも人件費だけを考えてもおそらく1200円でも元は取れないだろうし・・・と思うと1000円ならまあいいか。

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ここは鶴川の駅からバスに乗ってくることも出来るけれど、ちょっと不便なところにあるので行くとしたらやっぱり車がいい。

Cosが行ったときには他の車は一台しかなかったけれど、館内には他の人もいたからあの人たちは歩いてきたのだろうか。冬場はきつそうだ。

ロダンは、同じバルザックの像が二つあったりして比較するのも面白そうだったけれど、光がうまく当たってなくて表情がよくわからなかったものがあったのが残念だった。

当時、生きている人間から型を取って作ったに違いないという疑惑が生まれたほどのロダンの作る肉体はやっぱりきれいだったし、普段じっくりと見ることがないからそれはそれで面白かった。

さらに西洋美術館にある地獄の門との関連が解説してあったりしたので、次に西洋美術館に行ったときにはもう一度じっくり見てこようとおもった。

ユトリロはもう一度見たいと思うほどのものはなかったものの、やはり建物の絵はなかなかいい。
ユトリロの絵はもっと道が狭くて建物がのしかかるような感じがしていたと思ったのだが、ここで見た絵は空が広いものが多く今まで思っていたよりも伸びやかな印象を受けた。

モンマルトル
などはCosは好きだなぁ・・・

そして何よりもほとんど人がいないからじっくりと一人で絵を楽しむことが出来る。こういう贅沢はなかなか出来ることではない。

これでCosの好きな絵だったりしたら足繁く通っちゃうかもしれない。

Img_1264
これは美術館の入り口から鶴川の駅のほうを見たところ。丘の上に立っているから見晴らしもいい。
「4000坪の敷地」ということで裏に回ってみるとそこには畑と鶏舎があって、おそらく自家消費程度の野菜を作っているように見えた。

食べる分だけの野菜を作って鳥を飼って・・・美術館を作ったことや贅を凝らした家に住んでいる(ように見える)のはあんまりうらやましくないけれど、こういう生活をしているのはちょっとうらやましかった。
(といっても本人が作っているとは限らないけれど・・・)

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2009.01.12

共鳴する静かな眼差し

このところ写真ばっかり見ているというのに、また写真・・・
「森山大道 ミゲル・リオ=ブランコ 写真展--共鳴する静かな眼差し--」
東京都現代美術館で2009年1月12日まで。

日本人である森山大道とブラジル人であるミゲル・リオ=ブランコがそれぞれ互いの国に行って撮ってきた写真。

森山の写真は町にいる人々を撮ったモノクロなのに対して、リオ=ブランコは点数は少ないけれど、カラーでいろいろなものを撮っている。

リオ=ブランコの見方はなかなか面白いと思った。
森山の写真は日本であれブラジルであれハワイであれ、彼の写真の切り口はいつも一緒なんだなぁと感じたのは体の調子がちょっとおかしかったからかもしれない。

森山の写真に写された人々の一つ一つの人生。
それはもしかしたら日本にいてもブラジルにいても根っこのところは同じなのかもしれない。
だから形や街は違っていても同じように見えるのかもしれないのだが・・・・

写真はまだまだよくわからない・・・

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ブラジルの創造力

ブラジルという国、Cosとしては好きな国と言うわけではない。
なんといっても暑そうだし、湿度は高そうだし、Cosの苦手とする環境を兼ね備えているのだ。

でも、あのサンバのリズム、そして今回の「ネオ・トロピカリア --ブラジルの創造力--」は好きだ。
(東京都現代美術館で2009年1月12日まで)

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このチラシの頭にかぶっているラッパみたいなものが会場においてあったけれど、中をのぞくと向こう側が見える。
もしかしたらこの中で声を出すと向こう側のラッパになっているところから聞こえてくるのかもしれない。
もちろん、「お手を触れないでください」だったから試してみるわけにはいかなかったけれど・・・

これを作ったまれっぺの作品のひとつに真っ白な小部屋に置かれた「くらげ」と名づけられた10個ほどの青みが買った透明なガラスの物体。不定形の花瓶の底と底を貼り合わせてひとつにしてある。
空間の白さとガラスの透明感がとてもよかった。

エリオ・オイチシカの迷路はのれんの様なカーテンによって仕切られたそれぞれに色分けされた小部屋ではいろいろな言葉でのラジオ放送が流れている。
色の違い、言葉の違い・・・実はどっちも同じようなものなのかもしれない。
この迷路の最後にマンゴージュースが振舞われる。
ちょっとねっとりしていてブラジル・・・なんだなぁ・・・


無限を感じさせたのはアナ・マリア・タヴァレスの「通風孔(ピラネージに)」スチールで出来た板や階段が無限に続いている映像が広い部屋の両側の壁に流れる。
ストーリーは何もないのにいくら見ていても飽きないし、ちょうどエッシャー展でみたDEPTHの3D映像と同じような奥行きと広がりを感じた。

ジュン・ナナオのファッションショー・・・紙で出来たドレスを着て歩くモデル達、緻密に切り抜かれてレースで出来ている。ショーの最後でモデル達はそのドレスを破り捨てる・・・

そしてなんといっても圧巻は現代美術館の地下2階から3階までの吹き抜けになっている空間に作られたネト。
今回は彼の作品を見るだけ(体感するだけ)でも十分満足できるほど。


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今回の展示はこれを小型にしたもの。
床にはそば殻のおおきなクッションがいくつも置いてあって、そこに座って・・・寝転んで見られるようになっている。
「そば殻を使っていますのでご注意ください」とあったけれど、今まではそば殻では大丈夫だったCos。
当然のようにねっころがって天井を見上げていた。

あっちで座り、こっちでねっころがって・・・
訳もなく「このままあっちへ行ってしまってもいいなぁ」なんて思えるほど幸せなひと時だった。

何も考えず、この空間だけを楽しんでいたひととき。
このひとときのためなら少々のことは平気・・・・なのだ。

が・・・・しばらくしてからだの異変に気がついた。
異変といっても気のせい程度でたいしたことはなかったのだが・・・訳もなく「あっち」と感じたのは実はこのせいだったのかもしれない。

それにしても・・・一回ごとにひどくなってきているけれど、いつかそのうちそばがらの枕で寝たらあっちへ行ってしまうなんていうことにもなるんだろうか?


東京都現代美術館はこれから2009年3月20日まで改修工事のために全館休館なのだという。中を変えるだけなので外側は変わらないと思うけれど・・・

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しばらくここともお別れ。
見えている絵はネオ・トロピカリアの作品のひとつベアトリス・ミャーゼスの作品。

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2009.01.07

ダム 柴田敏雄

芸大の(たぶん)アートギャラリーであまりによかったので、彼の展示があるときにはぜひ見ようと思っていた柴田敏雄の

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「ランドスケープ 柴田敏雄展」
東京都写真美術館で2008年2月8日まで

このチラシの写真は名前を入れるために右のほうがきれいているけれど実際にはかなり違った感じがする。
背景の霧のかかったみどりと橋の赤と白がもっと生き生きとしているのだ。

前回の中山岩太が写真を重ねたりして新しいものを作っていたのに対して、柴田敏雄はそれこそあるがままに撮った写真。

「あるがままに」とはいってもどうやったらこう見えるのかはやっぱり不思議だけど・・・

東京都写真美術館 > ランドスケープ 柴田敏雄展.

柴田敏雄は東京芸術大学・同大学院修士課程終了後、ベルギーの王立アカデミー写真学科入学。留学を機に写真を撮り始め、帰国後の1980年代後半に、ダムやコンクリートに覆われた造成地など人工的に変容された風景を独特の視点で捉えた写真で注目されました。

今回は彼のギャラリートークを聞くことが出来た(すごい人で参ったけど)。
何よりも面白いと思ったのは同じときに見た中山岩太は写真から初めて絵画化と思うような写真を撮っていたけれど、柴田敏雄はもともとは絵をかく人で、ベルギーに留学した時に写真学科に入ったのが写真に写るきっかけだったと言うこと。

そして写真が2点を除いては昔ながらの銀塩プリントだということ、そのためのおおきなロール紙がもう日本では作られていないこと・・・・

写真を撮るときには大きなカメラ・・・フィルムが大きなカメラエボニーSV810を使っているからあんなふうに取れるのらしい。

なんていうことを聞いてきたんだけど、Cosにはあまりに基礎知識がなさ過ぎて・・・_| ̄|●


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2009.01.06

戦前なのに斬新な・・・

お正月に見てきた写真美術館の「甦る中山岩太 モダニズムの光と影」

すごい人です。

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これが戦前?
これが写真?

写真に間違いないんだけど、その表現は写真を超えて絵画的。

1926年のスペインの町の写真なんか、どう見ても風景画。
写真であることと絵であることの違いが分からなくなってくる。


今どういう写真がはやっているのかも分からないけれど、彼の写真を最近の写真として持ってこられても古さは感じられなかったりもする。
もちろん使っている道具が違うからその結果としての写真の違いはあるけれど・・・

このチラシの写真、最初に見たときにはいいと思わなかったんだけど、会場で見たらもう忘れられないほど強烈な存在。

プリントする紙をいろいろに変えて、濃さをいろいろに変えたものが展示されていたけれど、紙の違い、濃さの違いで見え方が変わってくる。

新しくプリントされた写真は時代を超えて「今」の写真になっているのがすごい。

東京都写真美術館 > 甦る中山岩太:モダニズムの光と影.

本展では、作家の手によるオリジナル・プリントに加え「残されたガラス乾板」をもとに、銀塩印画紙によるプリントを展示。ニューヨーク時代から晩年に至るまでの主要な作品を中心に、全紙大のプリント約40点の公開や中山の制作過程を明らかにするガラス乾板、また、『光画』をはじめ、当時の写真雑誌、関係資料をあわせて約120点の作品と資料をご紹介いたします。 銀塩写真の危機が叫ばれている今日、歴史的遺産ともいうべき写真原板をいかに後世に伝えていくかという問いかけに対する一つの答えを示す場となるのではないでしょうか。

1930年第1回国際広告社進展で一等を取った「福助足袋」の広告の写真は足袋を足の裏側からとったたびのそこの部分と福助のマークをアレンジしたシンプルなものだけど、どこかくすんだ(よごれた?)足の裏の白、縁取りの黒(たぶん黒い足袋なんだろうな)の配置、
道具として写真を使ったアート・・写真であることに対するウエイトは重くはない。

さらに、モンタージュを駆使した幻想的な作品は何枚ものガラス乾板を重ねてプリントすることで写真であることを忘れさせる。

今はこういう作品は見ないような気がする。
あるいは実際には見ていても意識していないだけなのかもしれないけれど、あくまで絵画的な写真を使っての表現がされていた時代が戦前だったことを思うと不思議な気がしてくる。


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2009.01.03

年の初めは写美

「オープンは10時半だから10時半集合ね」といわれて、1台後の電車だと20分遅くなるので写真美術館の開館前に着いたCos。
おとなしく開館を待つ人たちの列に並ぶ。

10時半になると並んでいた人たちがまっすぐ向かったのは売店。
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お目当ては「ミュージアムショップの福袋」
他のところでは福袋を買ったことがあるけれど、美術館では買ったことがなかったのでせっかく並んだんだしと衝動買い。

とりあえず買ったものとコートをロッカーに入れてまずは地下の「映像をめぐる冒険vol.1---イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」へ。

ここは体験型の展示がいくつかあるので、人の少ない時間帯に見ることにしたのだ。
人があまりに多ければさわることも出来ないし、それほどでなくとも自分の触りたいようにさわることが出来ない。
こういう体験型の展示はやはりじっくりと触ってみないと・・・∥^O^∥

ここでは昔の「変化の表現」といまの「変化の表現」についてみてきたような気がする。

その後は順当に3Fの「甦る中山岩太:モダニズムの光と影」。
さすがとしか言いようがない。
彼の作品の多くが戦前のものであることを考えると驚くばかりだ。

さらに2Fの「ランドスケープ 柴田敏雄展」。
彼の作品が以前芸大で展示されていた(美術館ではなくアートギャラリーのほうかもしれない)。そのときに、彼の作品がもしどこかで展示されるなら絶対に見に行こうと思ったのを覚えている。

(この二人の作品についてはずいぶんといろいろなことを思ったけれど、それはまた別の記事で・・・)

2階エントランス前のロビーで1時から雅楽をやるのにあわせてそれに隣り合ったティールームでお昼。
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せっかくのお正月なので、みんなでベルギービール。
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そのころには椅子が並べてあるだけで準備はまだまだだったのだが、食べ終わるころから準備がどんどん進み、
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あっという間に始まってしまった。

最初は調子を整えるための平調音取(へいじょうのねとり)と平調越天楽(へいじょうのえてんらく)
そして平安時代の歌謡曲である嘉辰(これは「かしん」で変換できた)
最後に雅楽としてはやたら早い夜多羅拍子(「やたら」の語源)で演奏される舞曲である倍臚(ばいろ)。これはベトナムから来たという林邑八楽のひとつ
と言うことなのだが、さすがに歌と他の曲の違いは分かったけれど、それ以外は・・・夜多羅拍子といわれても早く感じられないのは現代人のサガかもしれない・・・

あっという間に30分が過ぎ、終わったあともそのままもうちょっとのんびりしてから柴田敏夫さんのフロアーレクチャー
ここには、フロアレクチャーにしてはすごい人・・・どうなることかと思ったけれど、前に座ると後ろの人たちにも写真が見えるようにしゃがんだり座り込んだり(だって足が痛いんだモノ)してしのいだ。
時間に余裕さえあればこういう話を聞くのはとても面白い。

あっという間の写美の一日。
写真とは何かについてずいぶんと考えさせられたけれど、それはそれでまた記事にすることにして、行動報告まで。


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