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2009.07.26

だまし絵展(その2)

なぜだまし絵なのか・・・
Bunkamuraの会場に入って最初に目に付くのが人の形の板にキャンバスを張ってそこにグリザイユで描かれた人物の像が「慈悲の擬人像」
遠目には大理石で出来た像のように見える。
なぜこんな板人形がはやったのか、どういう方法で描かれているのか・・・
この人形は何のためにどこに置かれたのか・・・

そんなところから話の始まった恵泉女子大学の池上先生のお話を伺いながらだまし絵展を鑑賞するツアーに参加させていただいてきた。

1回目に見たときには「ふーん、大理石みたいに良く出来ているなぁ」と思ったに過ぎなかったけれど、大理石の像の代わりにこういう板人形を置いた人たちの生活、そして何度も塗り重ねることで立体の陰影をも表現するグラデーションの技術を作り上げた人たちがいた。

伺ったことをメモに取りきれていないのだけど、この時代の人たちはローマに対するあこがれがあったのかなぁ?

そして、実物があるかのように錯覚させる「トロンプルイユ」
絵の大きさも含めて実物と同じ大きさに、あるべき位置に置くことで見る人の目を欺くのだ。
ご丁寧なことに絵の前にかかっているカーテンまで描かれた絵とか、
絵の入っている額縁のガラスが割れてしまったという絵だったり・・・

今の写真のある世界に慣れきったCosたちにとってはどうということもないように感じられる絵でも、当時の人たちにとっては驚くべきことだったんだろうなぁ・・

そして今回Cosが一番関心を持ったのがアナモルフォーズ。
ごくななめから見ることによって正面から見たのとは違ったものが浮き上がってくる。
方法を知らない人にとっては単なる景色のように見えていても、知っている人にとっては強烈な風刺だったりする。

どうやって描くのか、その方法を先生に教えていただいたので時間のあるときに作ってみようと一緒に行った人たちと話が盛り上がった。

1回目が数学的な関心が中心だったけれど、今回はその社会的背景、絵の中に描かれたものの意味、といった観点から見ることが出来た。

たとえば砂時計は近づきつつある死を意味し、本は教養を意味し・・絵を見ることはそういう絵の中の寓意を読みとこることでもあった時代・・・
だまし絵という絵のかき方も対抗宗教改革の時代の終わりとともにいつの間にか消えてしまって知られることなく20世紀まできてしまった・・・
なぜ関心がなくなってしまったのだろう??

終わったあとの学生さんたちと一緒の飲み。
大人のメンバーの一人が「だまし絵のかき方」みたいな本を持ってきていて、大騒ぎをして作り方を調べてきた。

このところ意欲的に物事に取り組めない状態が続いているので手が出せずにいるけれど、もうちょっと元気になったらやってみたいなぁ・・・

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