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2009.03.11

まばゆさの在処  伊庭靖子展

Cosの周囲には「写真は絵画に取って代わる」という人もいるけれど、この伊庭靖子の作品は
「絵画が写真に取って代わった」もの。

写真に撮ったものを忠実に絵画に写しているかのように見えて実際にはどこかまるっきり違うものに変化している。
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チラッと見ると写真の持つ透明感がそのまま伝わってくるのにそばによって見ると絵の具の持つ不透明感に変わる不思議。

写真に撮った陶器の反射する光はそのまま残っているのに、それはよく見ると透明な光ではなく絵の具の白だったりするのがとても不思議。

以前に見た上田薫のスーパーリアリズム絵画
とも共通したリアリズムがありながら伊庭靖子の作品はその題材も関係しているのだろうけれど、どこか光に満ちた柔らかさがある。

ありふれた日常の中の一こまを切り取った写真のような絵という点では同じだが、その受け止め方が写真の研ぎ澄まされた光を更に研ぎ澄ませたかのような上田薫の作品とは似て非なるものに仕上がっている。

上田薫の絵が写真以上に距離を置いて見せているのに対して伊庭靖子は同化して見せているから、プリンの絵はちょっと見ただけではなんら異質なものを感じさせないプリンそのものだし、オレンジの絵(伊予柑系のオレンジだなぁ)はごく自然なみずみずしさを保っている。

写真を撮ったときの切り口も面白いけれど、写真から絵にするときに彼女の欲しいエッセンスだけが強調されているのだろう。

写真とは何か、絵画とは何かを考えさせてくれる美術展。

2009年3月22日まで
神奈川県立近代美術館鎌倉

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