2008.12.31

地上の花

これも会期末ぎりぎりでみてきた写真展。
このところ写真ばかりになっているし年初めにはまた写真の予定なので、どうしようかとも思ったのだが、ポートレートが面白いと聞いたのでちょっといってみることにしたのだ。

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「蜷川美香展---地上の花、天上の色---」
オペラシティアートギャラリーで2008年12月28日まで。

最初に入る部屋は「花」大き目のパネルの写真がいっぱい並んでいるのだが、今ひとつぴんとこない。
見ているときにはどこがぴんと来ないのか分からなかったけれど後になってみるとCosが花に求めているものと彼女が花に求めているものがずれていると言うことなんだろうなと思った。

この展覧会は部屋から部屋へ移動するときにはカーテンを開けて進むようになっている。
カーテンを開けるとこそには前の部屋とまったく違った世界が広がっている。

最初のうちは「う~ん」状態だったけれど、カーテンをくぐった向こうが暗い部屋で正面の巨大なスクリーンを泳ぐ赤と白が目に入った瞬間に見方が変わってしまった。
「金魚」としてではなく赤と白(と黒)の世界としてみるとすごくいいのである。


そして彼女のポートレート・・・
とられることになれている人たちの写真を撮ったとき、その写真が個性を語り始める・・・と言う感じだろうか。
Cosは芸能人の名前なんかは知らないから、見たことがあってもそれが誰だかさっぱり分からない。
それでも一人一人が生き生きとしているのだ。

そしてきわめつけが「造花」
ちょっと見ると普通の花となんら変わらないように見えているのにじっくり見ると一つ一つの花が造花であることを主張してくる。
自然の花であっても不思議はないような場所で決して枯れることなく、でもおそらくこのままでいるわけではなく、飾られて理寿命は結構短いのかもしれないと思わせる。

そして最後の壁面にびっしりと貼り付けられたポートレートたち。
そんなに混んでいたわけではないけれど、誰しもがじっくり見たいと思うポートレートだからか、ここだけは列が出来ていて、しかもその列がゆっくりゆっくりとしか動かないのだ。

さすがにここは時間切れで途中でギブアップしてしまったけれど、もっとすいていてじっくり見ることが出来たら面白かったかもしれない。

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2008.12.30

丸紅コレクション

損保ジャパン東郷青児美術館で2008年12月28日までの丸紅コレクションに会期末ぎりぎりに行ってきた。

さすがに年末になるとごみつくり(大掃除と言うほどじゃなくてひたすらごみをまとめてるだけ・・・)が忙しくてなかなかのんびりパソコンに向かう余裕がない・・・今日もないのだがこっそりと座って・・・∥^O^∥

会場に入ると最初に展示してあるのは江戸時代の着物。先日佐倉の歴博でみた打敷となって現在まで伝わっているものと違って(当然時代も違うし)きれいな着物のままの形で保存されているから、すごくきれいな感じがする。

江戸時代、身分によって着ることの出来る着物が違っていて
武家の打ちかけには教養の高さを表す源氏物語や脳のモチーフがあったり(御所解)
町人の葉地味な地色にすそだけに模様を入れる褄(つま)(江戸褄)
が展示してあった。
思わずどういう風に作ってあるのかじっくりと眺めてしまったのは歴博の影響だろう∥^O^∥

能装束には金糸の刺繍と金が塗ったものの両方が一枚の着物に入っていたりしてそれはそれで面白かった。

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このちらしにあるサンドロ・ボッティチェリの「美しきシモネッタ」 1480-85年頃
を見るのがひとつの目的だったけれど、実はあんまりいいとは思わなかった。
なんとなくもっと深みのある絵を期待していたのだが・・・う~ん残念。

逆にまるっきり期待していなかったのにとてもよかったのがブラマンクの冬景色と言う一枚。
ブラマンクの作品は3点出ているのだけれど、他の二つはCosの趣味からはかなりかけ離れていたけれど、この冬景色はとてもよかった。

季節柄なのか、Cosがこういう寒々とした風景がすきなのか・・・・
ブラマンクは好きじゃないけれど、こういう絵をかいているのならもっと見たいかも。

そういえば、いいなと思った加山又造の絵も冬山だった∥^O^∥
ちょっと見ただけでは気がつかないけど、手前の雪は白で山の雪は銀と金でかいているから山がぐっと存在を主張しているようにも見えた。

来年は六本木で加山又造展があるからちょっと楽しみ。

・・・さてと、もうちょっとごみを作っておこうかな・・・_| ̄|●

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2008.12.27

4件はしご

はしごとってもアルコールじゃなくて美術展。

2008年12月28日までの
練馬区立美術館
損保ジャパン東郷青児美術館
オペラシティーアートギャラリー

おまけでまだ当分やってるんだけど
ICC

の4件を回ってきたのだ。
全部種類が違うからどれも重なることなくしっかりと見ることが出来た(除くICC)

実のところ練馬区立美術館の石田徹也展はやりきれない気持ちになるんじゃないかと心配していたのだが、同じ閉塞感と言っても種類が違ったので見終わったときには展示の重さにもかかわらずちょっとほっとしたし、

丸紅コレクションは予想外のものがよかったのがうれしかった。

このところ写真が続いていたし、来年の年初めにも友達と写真を見る予定(別に一緒に見るわけじゃなくて同じ日に同じところに行くだけだが・・・)もあるからちょっと食傷気味だったのだが、自然の花よりも造花、一井の人たちよりもタレントの写真がよかったのが面白かった。

ICCは体験型でそれなりに面白かったけれど、まだ見方が不十分だな。
もう一度は行かないと・・・

疲れた・・・

(一つ一つの感想はもうちょっとちゃんと書く予定・・・・予定だけだったりして・・・)

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2008.12.23

創造への道程

どちらかと言うと「どうしても見たい」というタイプの絵ではなかったのに、会期末になってどうしても見に行かずにいられなかった
「アンドリュー・ワイエス --創造への道程--」
Bunkamuraで2008年12月23日まで

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この「火打石」、たった一つの岩を描いただけなのにその歴史の重み、自然の孤独が見えてくるような気がするし、岩が向き合っている静けさ、厳しさが伝わってくる気がする。

「火打石」と言うタイトルがついているけれど、実際にはワイエスが岩の黒い色が火打石のようだと思ったことからそう呼んでいたということらしい。
岩の手前にはムール貝やかにやうにのからなどが転がっている。

人間からは孤高を保っているように見えても完全に離れることができないと言わんばかりだ。

具体的な何かを連想すると言うことはないけれど、これからいろいろなものに立ち向かっていかなければならない決意のようなものが感じられはしないだろうか。

そして、カニング・ロックスの厳しい表情・・・・
見ているだけでつらくなってくる・・・・
こちらを向いてないがゆえに厳しさが増しているような・・・

今回はどの絵を見ても喜びではなくて、さびしさと厳しさに満ちていたような気がする。

ワイエスの絵は必ずしもそうではなかったような気もするのだが・・・・どうなんだろう?

見終わった後、何よりも自然の中に入っていきたくなった。
人ごみの渋谷ではなく、木のたくさんある森の中で静かな時間を過ごしたくなった。

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2008.12.20

さすが若冲

陸の王者象と海の王者鯨の対決?
さすが若冲という絵が見つかった。

中日新聞:若冲の大作 北陸で発見 最晩年の『象鯨図屏風』:北陸発:北陸中日新聞から(CHUNICHI Web).

 江戸時代半ばに活躍した日本画家伊藤若冲(じゃくちゅう)の「象鯨図屏風(ぞうくじらずびょうぶ)」が、北陸地方の旧家から見つかった。若冲を代表する最晩年の大作とみられるが、これまで存在は研究者にも知られておらず、貴重な新発見となりそうだ。 

リンク先のページの写真が一番いいのでここにリンク。
こういうやんちゃな絵がCosは好きだったりする∥^O^∥

来年はMIHO MUSEUMかなぁ・・・

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山口薫展

どこで見たのかはもう覚えていないけれど、一枚の絵が印象に残っていた山口薫

独りの時間―山口薫詩画集 (求龍堂・画文集シリーズ)
(これは画集の表紙。amazonにリンクしています)
この絵の女性と椿を口にくわえた追い詰められた狂気と・・・・
彼女にはこうせざるを得ない必然があったのだ。

この必然を見たいがために行ったのかも知れない・・・
(人物画はあまり好きじゃないんだけど・・・)

山口薫展 -都市と田園のはざまで-
世田谷美術館 2008年12月23日まで

これは戦争中の作品だったから緊迫感があるのかもしれない。
その緊張感に共感を覚えるから好きなのかな。

彼の作品で好きなのはこの時代の具象から抽象へと移っていくあたりと
なくなる直前の死を意識した平和に満ちたファンタジーのような世界かな。
向こうで待っているのはこんな世界かもしれない・・
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おぼろ月に輪舞する子供達


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2008.12.18

玉虫厨子

国立科学博物館で「平成玉虫厨子」とその映画を見てきた。

asahi.com(朝日新聞社):「平成の玉虫厨子」国立科学博物館で公開 - 社会.

 東京・上野の国立科学博物館で13日朝、飛鳥時代の玉虫厨子(たまむしのずし)を現代の職人たちが再現した「平成の玉虫厨子」の組み立て作業が行われた。日本のモノづくりの原点を感じてもらおうと開かれる企画展示「蘇(よみがえ)る技と美 玉虫厨子」(13~21日)で公開される。制作を追ったドキュメンタリー映画の上映に合わせた展示。東日本での一般公開は初めて。

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虫好きのCosであるからかつて「法隆寺展」でみた玉虫厨子に玉虫の羽なんてほとんどなくて、がっかりした記憶があるのは当然と言えば当然だろう。(たぶんそのときに残っていた一枚を見た記憶も残っている気がする)

玉虫の羽を一面に貼り付けたらどんなになるだろう・・・

その夢をかなえたのが飛騨高山の中田金太。
高山の資産家が資材をなげうって、飛鳥時代に作られた玉虫厨子を復元したものを法隆寺に奉納し、同時に新たに平成の玉虫厨子を作らせたのだ。

その「平成の玉虫厨子」が国立科学博物館に来ているのだ(2008年12月21日まで)
そしてその制作のドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子」を日本館の講堂で見てきたのだ。

(この日本館の講堂も「昔の博物館建築」と言う感じのつくりでとても面白かったのだが・・・)

なぜ東博ではなくて科博なのか、
作られたものを鑑賞するだけではなく、それにこめられた職人達の技の展示でもあるのだ。

今日見た映画はこの玉虫厨子を復元するに当たって、宮大工、蒔絵師、彫師、塗師と言った職人がそれぞれに工夫し、かつての技術者とこの厨子を通じて心を通わせながら制作したドキュメンタリー。

宮大工は屋根のカーブに苦労し、
蒔絵師は今は消えてしまっている絵の復元に苦労し、
彫師は屋根のかわらの表現に苦労し、
塗師は玉虫をどうやってつけるのかに苦労し・・・
そんな職人達の物語。

劣化してしまっていてもう見えなくなってしまった絵をじっと見つめることで見えてくる線を丹念にたどり、
どうしても分からないところは他の部分との調和を考えながら描いていたり
屋根の瓦を彫った上から漆を塗るときには線の細さ深さが塗り師にとって不可能にしか見えなかったり、
飛鳥時代と違って、思うようにつけられない玉虫の羽は2mmの短冊状にして貼り付けていくことになったり。

さらに平成の玉虫厨子では絵柄の中にも使われているのだが、そこでは2mm角に切ったものが使われている。
実物を見てもきったものを集めてあるとはとても見えないほどの細工の細かさ。
飾り金具の下にある羽はよく見えなかったりもするけれど、拡大してみてみると金具の中で羽が光っている。
よく見えない部分、人々が見ない部分までも丁寧に作られている。

現在の職人の持つ技術を集めた美術作品が出来上がったのだ。

映画を見なければきっと「きれいだなぁ」で終わってしまったのだろうけれど、映画の後で見た厨子からは職人達の心意気が伝わってきた。

そして宮大工の言った「飛鳥時代の玉虫厨子には遊びがあるけれど、これはあまりにきっちり出来てしまっている」という言葉が耳に残って離れない。

それにしても・・・今回、この厨子に使った残りの玉虫の羽で携帯ストラップとペンダントを作ったと言うのだが、携帯ストラップが3300円、ペンダントが5500円・・・・欲しかったなぁ
ちょっと手が出なかったのが残念・・・_| ̄|●


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2008.12.17

からすうりの明かり

暗い林にからすうりが下がっているとそこだからほのかな赤い光が出ているようにも見える。
そんなからすうりの明かりを買ってきた。
Img_0849
植物の実などをランプにした金井一郎の「植物ランプ」
2008年12月21日までアスクエア神田ギャラリー

LEDのライトを使うことで温度が上がらないランプ。
からすうりだけじゃなく、ほおずきやハスの実や、いろいろな植物で作られたランプたちが暖かく光っている。

からすうりの明かりは宮沢賢治に出てきたのだろうか。
それともCosが勝手に描いているイメージなんだろうか。

夜、暗い森の中でからすうりの明かりがいつくしむように照らしている。
その明かりに惹かれて森の中へ入っていく・・・
そんな情景が思い浮かんで、

真っ暗な中でこのランプの光の中で音楽を聴きながら過ごす時間を夢見て買ってきてしまった。
少し飲みながら大切な人のことを考えながら・・・・

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今年はあまり時間が取れなかったので、これは以前撮った写真。
こんな風に暖かくやわらかく・・・
Img_2537

せつない夜向けの植物ランプ


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沖縄・プリズム・・・・写真だ・・・

このところどうも写真づいている・・・・
写真はCosには難しくてよくわからない部分が多い。
素材のよさと技術のよさ、両方があいまってひとつの作品を作るのだろうけれど、その辺がよくわからない。
(まあ、自分の撮った写真の下手さ加減ぐらいは分かっているけれど・・・それだって実は分かってないのかも)
それにもかかわらずまた写真を見てきてしまった・・・ような気がする

沖縄・プリズム 1872-2008
国立近代美術館で2008年12月21日まで

かつては琉球国であり、戦後は長い間アメリカ軍の占領下にあった沖縄・・・・

これまでの「沖縄」展の多くが琉球王朝期の工芸を回顧するものであったのとは異なり、近代という時代のうねりの中で、この地から誕生した、そして現在生成しつつある造形芸術を検証する初めての試みです。表現する主体として、沖縄出身の作家と本土から沖縄に向かった作家を織り交ぜながら、「外からの視点」と「内側の視点」の違いを意識しつつ、個々の作家の想像力の軌跡を辿ります。

この外側からの視点と内側からの視点の違いを見たいと思っていってきたのだが、果たしてCosにその視点の違いが分かったんだろうか・・・

確かに写真にはその違いがはっきり表れているものもある。

頭にかごを載せたおばあさんが颯爽と石垣のある道を歩いていく岡本太郎の写真は外から「沖縄」という目で物事を見て取った写真(岡本太郎 《竹富島》 1959年)。
(もちろんタイトルがなければCosにはそれが分からないだろうけれど、「どこだろう?」と言う疑問が生まれる)

それに対して平良孝七のパイヌカジはどう見ても身内の人が撮った写真。
同じように沖縄の文化にかかわる写真を撮っていてもその写真の視点が対象となっている人やものに同化している。 
リンク先にある少女の写真はあまり「沖縄」を意識させないけれど、他の写真の中には中からでなければ取れないと思えるようなものもあった。

こうやって見ると写真と言うのはとった人の視点が分かりやすいのかもしれない。

もちろん、絵も異文化としての沖縄を描いたものはそれなりに分かる。
そうでないものは・・・・う~ん、どれがそうなのか?・・・わかるよう縄からないような・・・

が、問題は陶芸。
國吉清尚の作品がたくさん展示されていたけれど作品だけを見て外なのか内なのか・・・・
おそらく解説を聞かないとCosには判断がつかない。

沖縄と言う地は同じ日本の中でもちょっと違った場所という感じがしていたのだけれど、実はそんなに違わないのかもしれない。

沖縄と言うことを離れて面白かったのは山城知佳子や照屋勇賢かな。
オフィーリアのように水に没する写真を撮った山城千賀子、
不思議な作家としか言いようのない照屋勇賢・・・彼の作品はもっと見てみたい気がしたけれど、そのうち出会えるかなぁ・・・

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2008.12.15

大多喜城分館

千葉県立中央博物館大多喜分館と言うのが本来の名前の大多喜城。
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お城の天守閣を再建して博物館にしてある。

 本館は、城郭様式の建物で、「房総の城と城下町」をテーマに房総を中心とした中世から近世にかけての城郭やこれに関する武器・武具・調度・文書及びこれらを取り巻く人々の生活資料等を展示しています。
と言うことで中は一応こうした資料が展示してある。

「こんなものがありました」
「あんなものを使っていました」
とならべてある。

さすがにお城だけあって農業に関しての展示はなかったように思うけれど・・・

「どこそこになになにがありました」と言われるとどうも「ああそうですか」で終わりになってしまう気がする。
「へえ~、」と言う驚きや面白さがなかったのが残念。

今回は「武の美」と言うことでかぶとや鎧、馬に使う馬具や刀などの企画展が12月7日まで行われていたのを見に行ったのだが、これはそれなりに面白かった。

かぶとにつけた飾りは目立つためのものだったとかどんな飾りがあったとか・・・そういうところに視点を置いての展示はなかなかよかった。

今のイメージではちっとも強そうに見えないけれど「うさぎ」なんていうのもあって昔の人のものの見方が新鮮に見えたりもした。

常設展でもそういう視点があると面白いのになぁ・・・・


が、4階は一種の展望台になっていて山の上の一番高いところに立っている天守閣から四方八方を見ることが出来て面白かった。

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続きを読む "大多喜城分館"

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2008.12.13

会えた!!

まさか今日会えるなんて思っても見なかった。
もしそうだと知っていたらもう少し考えたのに・・・・

会えたと言っても面と向かって話をしたり、何か特別なことがあったわけじゃなくただ単に顔を見て、仕事をしているのを見て、他の人と話をしているのを聞いただけ。

それでも会えただけでうれしい・・・・


今日は採点日だったので職場でちょっとだけ仕事をしてさっさと引き上げて他のところに行くつもりだったのだけど、他の人の分を手伝っていたら予定より遅くなってしまった。

結果的にはそれがよかったことになる。

そのおかげで会うことが出来たのだから・・・

職場を出てからも時間は十分あったので、世田谷美術館へ。

山口薫(誠ではないのだ)展をちょうどやっているのだが、(たぶん)彼の作品で印象に残っていたものがあったので、それ(あるいはそんな感じの絵)を見たかったのだ。

で、世田谷美術館の中に入ってみると
「PCPPPはこちら⇒」と書いた張り紙が地下の制作室のほうをさして貼ってある。

よく見ると
「フライデー・ヨコオ 横尾忠則~週末の労働的公開制作」・・・
12月5日、12日、19日、26日
10:30~16:30

と言うわけでほんのちょっとだけだけど横尾忠則があれやこれややっているのを見て、質疑応答を聞いて・・・

本人を直接見たのは初めてだったし、あの多才さとは裏腹に直接会っても近寄りがたい気難しい人物というイメージはなかったのが逆に不思議な気がした。

また時間が取れたらもうちょっと早い時間にどんな風に描くのか見てみたい。

今日はほんのちょっとの時間のずれで思ってもいなかった幸運に出会えた感じでとてもうれしかった。


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2008.12.09

おん ゆあ ぼでぃ

私の体、そしてあなたの体、同じようでもあり、異なっているようでもあり・・・

東京都写真美術館 > 日本の新進作家展vol.7「オン・ユア・ボディ」.東京都写真美術館で2008年12月7日まで(終了間際に行ってきました)

〈身体〉にまつわる問題は、仮想的空間が強まる現代にあって、逆にますます現代人を捉えて放さないテーマです。

言われなければ気がつかずに通り過ぎてしまいそうな澤田知子のセルフポートレート。
ミスコンテストに出場している大勢の女性はすべて澤田知子自身なのだけど、下手をするとそのことに気づかずに済ませてしまいそう。

自己と他者の区別がつきにくくなっている時代なのかもしれない。
(今に限ったことではないかもしれないけれど・・・)

志賀理江子は写真を加工しておどろおどろ下雰囲気を出しているのだし、そのシュールさの趣味は悪くないと思うのだけれど、Cosが期待するものとはちょっと違っているようにも感じるけれどなかなか面白かった。

いいなぁと思ったのは横溝 静のビデオ作品。
部屋の隣り合った2面の壁に一方ではピアノを弾く年老いた女性。その隣の壁では彼女から見えている、あるいは普段見ている景色。

特に窓の外の景色は動いていないようでいて、風が吹くと木の葉がゆれて自然な感じ。

次から次へとピアノを弾く人や場所が変わる。

ピアノを聴きながら外の景色を眺めている雰囲気?

その引き方を見ていると、「この人はどんな風にピアノとかかわって人生を送ってきたのだろう」と知りたくもなる。
美術館の中でここだけは静かな時間が流れる感じでよかった。

高橋ジュンコはひとり都市のなかに超然として立つ女性、そしてその周りの光景だけがどんどん動いていくという映像。
前に見た部屋の3つか4つの壁に世界の各地へ行ってただひたすらたっているのを映し出しているビデオ作品と共通のものを感じるけれど、どこか違う感じ・・・

以前見た作品には迫力があったけれど、これはずっとおとなしい感じ。

「オン ユア ボディ」・・・からだにまつわる問題
体というよりは自己と他者や時間とのかかわりが映し出されていたような感じかな。


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2008.12.07

明日の神話

東京都現代美術館に展示されていたときにも何回か見たけれど、やっぱり壁画と言うのはこうやって人が行き交うような場所にあるほうがふさわしいような気がする。

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さすがに無粋なガードマンがちゃんと張り付いているけど・・・

写真を撮っている人はCosを含めて何人もいたので中には
「何でみんな写真を撮ってるの?なにかあるの?」とおっしゃる人もいて、そういう人も、まったく気がつかない人も、当たり前の光景になっているのがいいな。

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VERNACULAR(石川直樹2)

石川直樹のMt.Fujiの翌日、新宿御苑のPLACE MでやっているVERNACULARへ。

会期が2008年12月7日までなのにじっくり見る時間がなくてそそくさと見てきてしまったのがちょっと悔しいけれど、たとえオフに遅れようとも見ることが出来ただけで満足。

昨日見たMt.Fujiが自然を映し出しているのに比べると、このVERNACULARは人の暮らしの厳しさを映し出している。

ニュージーランドの原住民の住まい、フランスの張り出した岸壁の下に作られた家、北極圏で暮らす人達の住まい、そして日本の(たぶん)雪の白川郷。

そのどれもが自然の厳しさを感じさせる。
Mt.FujiやPOLARに比べると迫力がないかもしれないけれど、より身近な厳しさがそこにはあって、暮らしている人々のことをいろいろと考えてしまう。

もっと時間をとってじっくり見たかったことが心残り。

4898152252POLAR ポーラー
石川 直樹
リトル・モア 2007-11-16

by G-Tools
4903545180NEW DIMENSION
石川 直樹
赤々舎 2007-10-01

by G-Tools
4931407609THE VOID
石川 直樹
ニーハイメディア・ジャパン 2005-09

by G-Tools

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2008.12.06

冒険者の富士山(石川直樹1)

富士山の絵や写真は北斎をはじめとしてたくさん見てきた。
人様に見せるような代物ではないけれど、Cosですら写真を撮っている。

だがそれらはみな「富士を見る」と言う視点から描かれたもの。

本人いわく

作者自身の登山の出発点である“登る山”としての富士山をとらえてみたい、それが撮影をはじめた理由だった。

銀座ニコンサロンの案内より

という言葉の通り、それがたとえ空から取った写真であっても、見る富士の美しさではなく、あたかも挑戦すべきものとして立ちはだかる山というイメージが浮かび上がってくる。

それも大勢の人がご来光を見ようと登る富士山が時として人を寄せ付けない山であることを思い知らせるような写真。
もちろん、大勢の人が行き来する富士山であることを映し出しているものもあるけれど、登っている人たちのところからは見えない裏の顔も見え隠れしているのだ。

石川直樹の写真は見る人の背筋をピンと伸ばさせるような自然と対峙することを要求している。それがたぶん、冒険者の視点であり、Cosをとらえて離さないのだろう。

石川 直樹展
[Mt. Fuji]
銀座ニコンサロン
2008.11/26 (水)~12/9 (火)


4898152562石川直樹 写真集 Mt.Fuji
石川 直樹
リトル・モア 2008-12-22

by G-Tools

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2008.11.27

新鮮な浮世絵

膨大な量の浮世絵、それもずっと公開されることがなく保存されていたボストン美術館の浮世絵が来ている。日本美術のよさはよく分からない(いわゆる美術のよさもよくわかっていないと思うのだが・・・)Cosもずっと見たいと思っていた江戸東京博物館のボストン美術館浮世絵名品展(2008年11月30日まで)にようやく行って来た。
01gomi01
たくさんの浮世絵が年代順に並べられていて、それを見ているだけでも浮世絵の歴史が分かるようになっている。

Cosはどちらかと言うと人物画はあまり好きではなく風景画や静物画のほうがすきなのだが初期の作品はほとんどが人物画。それも美人画とか役者絵という絵を楽しむのではなく、かかれた人を見て楽しむためのものがほとんど。

とはいえ、「絵を鑑賞する」のではなく、「見て楽しむもの」だったし、外国に輸出する陶器などを包む包み紙としても使っていたくらいだから、見やすくて、見ていて楽しいものが描かれている。

初期の黒一色や黒と赤だけの絵から「錦絵」と言われるカラーのものに変わって行くのが版画の歴史を見ているようで面白かった。

デザイン的に優れた浮世絵というと葛飾北斎と言うことになるんだろうけれど、上のパンフレットにもなっている今回の歌川国政の迫力はすごかった。

しかもこのボストン美術館の浮世絵はとても保存状態がよく、印刷したインクの色も鮮やか。
北斎などはあちらこちらで同じものを何度も見ているのだけど、鮮やかに描かれた「冨嶽三十六景」
「こんなにいい絵だっけ?」と思わず見直してしまったほど。

明治時代にこんな生き生きとした浮世絵を見た外国の人たちの評価があんなに高かったのもうなずける。

ちょっと混んでいたけれど、それを見るためだけでもいった甲斐があった。

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江戸東京博物館から大江戸線の両国へ。
なんとなく和ろうそくをイメージさせていい感じだった。

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2008.11.24

モーリス・ルイス展

佐倉行きのひとつの目的はこの川村記念美術館のモーリス・ルイス 秘密の色層(12月になるとリンク先が変わるので気をつけてください)
2008年11月30日まで。
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ただ、残念ながらロスコルームはイギリスのテート美術館に貸し出し中のために閉鎖。
来年にはマーク・ロスコ展があるのでまた行かないと・・・\∥^O^∥/

モーリス・ルイスの絵は一つ一つが巨大で新しく増設された広々とした新展示室に「ドカン、ドカン」と展示してある。
彼の絵を見るためにはこれぐらいの広い空間がないと生きてこないような感じがする。

その巨大な絵をモーリス・ルイスな小さな部屋の中で大きな画面にアクリル絵の具を流してかかれたといわれているのだ。
しかも描いているところを見た人はいないし妻が帰ってくるころにはきちんと片付けられてしまっていて、どうやってかいていたのか妻にさえ分からなかったと言うのだ。

「ヴェール」のシリーズ。
一番初期の作品群。
口の悪い人に言わせれば絵の具を流しただけじゃないかと言われそうだけど、その色と色の重なりがすばらしいのだ。

Cosが一番気に入ったのは《アンビⅡ》 1959年(リンク先のヴェールにあります)かな。
明確に区分された色が流れるままに重なり合って・・・反対側からは黒が流れ出ている。
そこに人それぞれに必要ならば自分の想いを重ね合わせてみることが出来る。


「アンファールド」のシリーズは
カンヴァスの両端から中央にむけて、鮮やかな色彩の絵具が流れ、中央に白い余白を残した作品群。
中央の余白が何を語っているのかは分からないけれど、とても雄弁。

もしかしたら何もないところが本来は中心にあるのかもしれないなぁ・・・
なんて思ってみたり・・・

そして「ストライプ」
この作品群は上の二つと違って縦長(あるいは横長)の細長いキャンバス。アンファールドのなにもない空間が裏に隠れてしまったような印象を受けた。

点数は少ないもののこのためだけに佐倉に行ってもいいほどの内容でとてもうれしかった。

美術館を出たころにはすこし雨が降り出し始め、時間よりも早く夕暮れが迫ってきていた。
美術館への小道ではクリスマスに向けて幻想的な森が姿を現し始めていた。
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[染]と[織]の肖像

佐倉での楽しみの一つに歴博がある。
派手な展示はないし、企画展にしてもお金のかかっているように見える展示はまずないのだが、じっくりと研究された成果が展示されていて歴史の苦手なCosにとってもおもしろい。

今回は「[染]と[織]の肖像
今のようにどこも痛んでいないけれど、着なくなったからといって衣服を処分できるようになったのは歴史を振り返ってみるとごく最近のこと。

衣服に仕立てられた布は穴が開けば継ぎ、刺し子をし、ぼろぼろになればオムツになったり(たぶん)雑巾になったりして使いつぶされたから、かつて人々がどんなものを着ていたのか分かるような形のものはほとんどない。

そこで、寺に奉納された打敷によって研究すると言うことになるのだが・・・

この奉納される打敷ってなんだろう?
と言う話題になった。
裏に戒名が書いてあったりして、お寺に奉納するもの・・・
普通はどんなイメージを持つんだろうか?

Cosたちの場合には「もしかしたら死んだ人の下に引いた布かもしれない」という話になってきた。
あわてて、たずねてみるとお供物などを乗せる台に引くテーブルクロスのようなものだそうだ。
そう聞いてちょっとほっとしてみて回る。

着物の柄もおそらく流行があったのだろう。
かつては「織」-「刺繍」-「染」の順で高級とされていた時代があったり、赤いリボンで縁取った 幢幡裳(どうばんも)に作り変えられてみたり・・・

この幢幡裳(コピペでないと絶対にかけない・・・)・・・いかにも布が貴重だった時代に手をかけて作り変えているのがよくわかる。

元の布よりいっそう華やかに飾られている。

元になる知識があまりになかったからなのか、時代に寄っての違い、どんな風に変化していったのかはよくわからなかったけれど、今ともずいぶんと違うような気もする。

これを着ていた人たち、作り変えて奉納した人たち・・・布が貴重だった時代の着物の価値は今とは大きく違っていたに違いない。

そんなことを思いながら結局のところいろいろな柄を楽しんできただけかもしれない・・・Cosの場合_| ̄|●

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2008.11.19

風神雷神

忙しかった時期を通り過ぎて忙しさが終わったのに、ちっともかけずにいるうちに会期が終わってしまった「大琳派展-継承と変奏-」。

忙しい時期だというのは分かっていたのに、「四つの風神雷神」を見たくて一番忙しい10月の末まで待って見てきた∥^O^∥

今までに見たことがあるものもあるけれど、Cosなどは日本美術のよさはほとんど分かってないし知識もないから別々に見たのではその違いはほとんど分からない。

と言っても「東博」・・・・さすがに混んでいてのんびりじっくり見てくると言う状態からは程遠かったのが残念。

01gomi01俵屋宗達の「風神雷神」
これが今回展示された中では一番古いものなのだろうけれど、一番おおらかで見ていて楽しい。「神」と言う存在が恐れ敬うだけではなく、親しみある存在と言う感じがしてこちらも楽しい気分になってくる。

この宗達の風神雷神が琳派の人々によって描き続けられたのだという。
見た人たちが描き続けたいと思うような題材と構図になっているということだろうな。

01gomi02細かいところではたくさん違いがあるけれど、別々にぱっと見ただけではCosには区別がつかないんじゃないかと思った尾形光琳の「風神雷神」。

が、実際に見てみると確かに同じ構図だし、ちょっと見るとほとんど同じに見えるのに受け取る印象がまるっきり違う。

この尾形光琳の作品は見たとたんに脳裏に浮かんできたのは「江戸時代の○○レンジャー」・・・
小さい男の子達が好きな変身モノ・・・∥^O^∥

テレビの画面から抜け出して屏風に収まったというのか、江戸時代の人たちがこれを見て「ヒーローもの」をイメージしていたんじゃないかと言うのか・・・
いずれにしてもどっちにしても江戸時代という時間をかけ離れた存在に見えて一番面白かった。

この二つに比べると酒井抱一のものはいかにも光琳の風神雷神を模写した感じでよりコミカルな印象はあるけれど、そうした迫力があまりないようなようなきがした。

最後の鈴木其一のものは他の三つとは違って8面の襖絵のうち6面を使って天空を駆ける風神雷神で、さすがに「同じ」と言う印象はあまりなかった。

この4つの作品に今回のテーマである「継承と変奏」がしっかりと見えていた。

この「継承と変奏」が光琳と抱一が同じテーマで描いた(要するに抱一が光琳を模写したのだが・・・)絵にしっかりと表れていた。

抱一は光琳の同じ絵を同じようにまねて描いてはいるけれど細かな部分ではその表現が抱一のものになっている。

風神雷神では光琳のほうが迫力があっていいような気がしたけれど、他の作品では必ずしも光琳のほうがいいとは限らなかった。

「さすが光琳」と思ってみたり、「師匠を超えているなぁ」と思ってみたり・・・

美術印刷や写真のない時代・・・明治時代ぐらいまでは現物を見るのでない限り作品を見るには模写を見るしかなかった時代・・・

絵は必ずしも個人単位で描くものではなく工房単位で描かれていたりした時代・・・

写真のようにあるがまま、そのとおりに表すことが不可能だった時代・・・

そういう時代だったからこそ受け継がれてきた作品たち。

そんな時代に生きた画家たち。

彼らが受け継いできたものは今もきっと形を変えて受け継がれているんだろうな。

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2008.11.05

拡張された感覚--韓国メディアアートの現在--

ICCで2008年11月3日まで。

日本人が2人参加しているし、内容も国にこだわったものがあまり感じられないので、「韓国」とつけているのがどうしてなのかよくわからないけれど、面白かった。

韓国や日本、ひいてはアジアのメディア・アートにおける独自の表現語法とは何か、日刊のテクノロジーを介したアプローチの差異とは何かと言ったことが中心的なテーマとなっています

なのだそうだけれど、Cosなどにはとても「差」は分からなかった。

面白かったのはMOON(これってひとりなのか?)の「ツーリスト・プロジェクト」.
ネットにつけられた数多くの白い羽からなる大きなスクリーンに世界各地の遺跡が映し出される。
その遺跡にふって沸いたように積み重なる人々の映像。
人が歩いて集まってくるのではなく、まるでモノのように人の集団の映像が集まってくる。
テトリスのように上からブロックになってふってきて積み重なったり、
ありの行列のようになって一列にやってきて遺跡を埋め尽くしたり・・・
遺跡が人でいっぱいになると風が吹いて白い羽が持ち上がり人々の映像を吹き飛ばしてスクリーンが元の真っ白にもどる。

そしてまた、人のいない遺跡の映像・・・・

ピラミッドだったり、ローマだったり・・・

でもそこにはわさわさと人が集まってきてしまうのだ。

このほかに巨大なルーペを通して映し出したところだけがピントが合うという渡辺水季の「視線のあいだ」。
よくよく映像を見ると、このルーペを通したところだけは、たとえばそのルーペを持っている人の姿も角度によっては映し出されて現在も映し出していることが分かる。

展示としてはつまらないのだけれど、やっている内容が面白かったのが毛利惣子の「対話変換機」。
2台のコンピュータのあいだで決まった音を解析しているうちに解析された文章が変わっていくと言うもの。
伝言ゲームのコンピュータ版かな?

このICCには今回のように有料の企画と無料のオープンスペースとがあるけれど、オープンスペースも企画に負けない・・・あるいはそれ以上に面白い。

常設となっているジャグラーや無響室はいつ行っても面白いし、多くは前回のときとは違った展示になっていてそれなりに楽しかった。
ここに行くとコンピュータで遊びたいと言う刺激を受けて帰ってくる。
Cosも何か作りたいな。

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2008.11.03

聖と俗の狭間アネット・メサジェ

女性らしいかわいいぬいぐるみを使った展示・・・
と言うとまるっきり違う雰囲気を想像しがちだけれど、アネット・メサジェのぬいぐるみは切断された体だったり、機械仕掛けで床を引きずられる牛の死体だったり・・・

かわいいぬいぐるみも中の綿を抜かれ、その皮だけが、目の部分だけが壁にかけられていたりする・・・

ぱっと見るとおもちゃ箱をひっくり返したような陽気さに満ちているのに、じっくりと一つ一つのぬいぐるみを見ると不気味なのが怖い。

こわいけれど、目をそらしてはいけない怖さがそこにはある。

牛の死体のぬいぐるみをたくさん見たせいかもしれないけれど、肉を食べるのなら、動物の死体から目をそらしてはいけないように、
動物の死が肉となり人間達の生につながっていくのだから殺された牛に、豚に、鳥に感謝をもってその死を受け入れなければならないのと同じように・・・

会場の森美術館は54階にあってその中には一面が窓になっている展示室もある。
そこに展示されていたのは肉の冷蔵(あるいは冷凍)倉庫などにある天井からぶら下がっている肉が部屋の中をぐるぐる回転しているかのように、動物の死体(たぶん)、体の一部、内臓、手などのぬいぐるみが天井にめぐらせたレールの下をぶらさがって「ギーギー」いいながら部屋の中を回っている(上のYoutubeの最初の画像がそれ)。

その向こうには六本木からの平和な景色。

まるでその景色こそが幻想であるかのような錯覚さえ覚える。
その落差が今回一番印象に残ったのかもしれないし、風に揺れる真っ赤な布を使った「カジノ」(の一部)が一番印象に残ったのかは分からないけれど、好きとか嫌いと言った範疇を超えていたような気がする。

「カジノ」と言うのはピノキオのストーリーにインスパイアされた3部作。
今回の展示はその中のひとつ鯨のおなかの中のシーンらしいが、血にまみれた出産をも暗示しているのだったかもしれない。
大きな真っ赤な部屋いっぱいの巨大な布が風によって脈動し、布の下にあるもの形を浮き上がらせる。
下には海の中にあるもの・・・多分貝・・・の姿が見える。
13分間の作品なのだが、正面から一回、上から一回・・・見てしまった。
これは怖くなかったしとても面白かった。

好きなのか、嫌いなのかよくわからないけれど、
きっとまた見るチャンスがあったら見に行くんだろうなぁ・・・


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2008.10.12

ジョットによって生み出れたもの・・・

池上英洋先生に解説をしていただきながらもう一度「ジョットとその遺産展」を見てきた。

どう考えたって美術なんてろくすっぽわかってない門外漢のCosが西洋美術史の先生の話を(見た後ではみんなで飲みながら)聞くというのはとんでもない話だが、あまりの面白さに出来る限りずうずうしく参加させてもらっている(爆)

前回一人で見たときには混んでいたこともあって、表面的にざっと見てきただけだったけれど、池上先生のおかげでじっくりと深い部分まで見てくることが出来た。

ジョット・・・Giotto di Bondone・・・
日本ではあまりなじみのない彼の作品が日本に来た。

なにしろ彼の作品のほとんどは漆喰の上にかかれたフレスコ画・・・壁にかかれたものを日本に持ってくることはほとんど不可能なのだ。

そんな中で板絵の聖母子

01gomi01
これをもってきているのは実はすごいことなのだそうだ。ぎりぎりまでこの絵が日本に来ることは発表されていなかったとか値段の話とかも伺ったのだけれどその辺のところはよくわからなかった・・・

下はもっと大きな絵の一部だったのが切り取られてこの大きさになった。この柄の切り取られた部分にはもっといろいろなものが描かれていたはずで・・・・
この絵が切りとられていることは画面の構成を見ても分かるし、板を真横から見ると普通に描いたのならどうしてもついてしまうはずの絵の具がどこにもない。
(そう聞いて、実物の切り口を確認してみると面白いです)

一人で見ていたのでは気がつかない些細なことから、謎が浮かび上がってくる面白さ。

絵の中に現れているジョットの特徴。
微妙に傾けたマリアの表情と陰影、服の下にある足の質感、後ろと前の遠近感、それでも必ずしも解剖学的に正しく描かれているわけではなくて、マリアの手とイエスの足の大きさの整合性のなさはあったりもする・・・

絵の細部が一つ一つの歴史的な意味を持って輝いてくる。

「いい絵だな、おもしろいな」ぐらいしか感想がなかったのに・・・おそらくこの会がなければ「面白かった」ぐらいの感想(前に書いたようなやつ)しかなくて終わってしまっただろうな。

ジョットは13世紀末にイタリアの各地をよばれて旅をしながらあちこちで作品を残している。彼の残している絵はフレスコ画だから、一人で描くわけではなく連れて行った弟子やその土地の画家達の力も借りている。

その場にいた画家達がジョットの空間表現などの影響を受けて、そうした絵を自分達を描くようになり、それがルネッサンスへとつながっていく。

そういう人たちのことをジョッテスキと呼ぶ。

大勢のジョッテスキがルネッサンスへの道を開いた。
その足跡を見ることが出来るのがこの「ジョットとその遺産展」なのだ。
(こうやって描いてみると当たり前なのだが・・・∥^O^∥ )

そして、シノピアで描かれた下絵である「嘆きの聖母」にまつわるお話が面白かった。
一度目に見に来たときには表面の絵の具が洪水で流れ落ちて下絵だけが残ったとだけ思っていたのだが・・・

フレスコ画を描くときには漆喰が乾く前に絵の具を乗せていくのだが漆喰がすぐ乾いていしまうので、急いで書き上げなければならない。

そこでまず最初にシノピアでじっくりと下絵を書いてその上にもう一度薄く漆喰を塗りそこに絵の具を載せていくという手法がとられる。
この下絵の段階では時間をかけることが可能なので場合によっては上に描かれた絵よりもずっといいものがあったりする。

その資料としてJacopo TorritiのDio Creatoreを見せていただいた。
どう見ても下絵のほうが生き生きとして存在感があるのが面白い。


また、このシノピアの部分と表面の絵の具の部分を分離して、壁画は表面のフレスコ画を、別の展示室にシノピアの部分を展示することでじっくりと近い距離で観察できたりするのだそうだ。

下絵の表面はこの後また漆喰を乗せるので表面が滑らかではない。でこぼこしていたり、さらに布目がついていたりして上から塗る薄い漆喰がしっかり定着するようになっている。

漆喰の上に絵の具を載せていくのは漆喰が乾く前にやらなければならないので一日に出来る量が限られている。
そこで、毎日その日の分の漆喰を作ってその分だけ絵を描くという方法で少しずつあの大きな壁画を作るのだ。
・・・
となると人間の関心は「どんな順序で塗ったんだろう?」
幸いなことに漆喰と漆喰の境目が重なっているのでどっちの部分が上になっているかを調べてどんな順序でどれほどの範囲を一日に塗ったのかを調べた研究も資料として見せていただいた。
(出来れば「ここでは3日あいている・・何をしていたんだろう?」なんていうことも分かると面白いな)

そんなこんなでこれ以外にもたくさんの話を伺ってきてとても楽しい時間を過ごさせていただいた。

その内容をMindMapの類似品であるFreeMindにまとめてみた。実際にはまだまだ付け足すことがあるけれど、それをやっているといつになっても終わらないので、とりあえず大急ぎで・・・∥^O^∥

いい加減な聞き方をしているから、間違っているところもあるだろうし・・・ごめんなさいm∥_ _∥m

「Giotti.swf」(リンクの部分は有効ではありません)

FreeMindでつくったMapをFlashpaperにしました。(PDFでもよかったのですがPDFは立ち上がりに時間がかかるので好きじゃないので・・・)

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2008.10.11

環境芸術 Dani KARAVAN

環境芸術という言葉が出てきたのは最近のことらしい。人間の手で作られたものだけではなく、光が、風が、大気がその芸術の一部になっているものをいうらしい。

「ダニ・カラヴァン展」世田谷美術館
2008年9月2日 -10月21日

「絵画から空間へ」

作品そのものではなく、その周囲に視線を向けさせ、環境からのあらゆる感覚劇刺激を伝える存在となるように自らの作品を形作った。

と彼の作品の解説にあったように・・・


Img_0356

世田谷美術館の展示室の中には円形のものがある。普段はカーテン(?)が占められていて外を見ることができないけれど、このうちの一室が外の緑を作品の一部に取り入れられた展示になっていた。

「水滴」は円形の窓に沿って円形(の一部)に砂が敷き詰められ、その内側から砂の中に作られた4つの黒い小石の円錐とその向こうに見える緑の砧公園を見るようになっている。4つの円錐の小山のうちのひとつには細い竹を割ったといがその頂上にゆっくりゆっくりと水滴を落とす。

そのの手前にはじゅうたんが引いてあって、来た人は靴を脱いで入るようになっている。人はほとんどいないので新と静まり返った部屋にゆっくりと落ちてきた水滴の音だけが拡大されて聞こえる。
窓の外では楽しそうにしゃべりながら散歩をする人たち、笑いさざめきながら走っている子供たち、ストレッチを終わって走り出す人たちが太陽の光に輝いている.

室内から水滴の音を聞きながら見ていると、それはまるで映画の1シーンのよう・・・あなたは窓の向こう側で楽しそうにみんなといるのに、こっちからそれを羨望のまなざしで見ている自分・・・みたいな感じ?

Img_0370
 実際に作られた作品はもうひとつあってあまり目立たない「光と砂」.

外から見た写真。このブラインドの向こう側に作品がある。

円形ではなくその隣の四角い部分の窓際に細く展示されているのだが、壁で仕切られた1mちょっとの狭いところから奥を見る感じなので、のぞいてみない限りはそのまま通り過ぎていってしまいそう。

タイトルは「光と砂」。
細長く砂が敷き詰められた一番奥には円錐の砂の山、そしてその手前には一本の枯れ枝が立てられている。
枯れ枝から砂の山までは足跡が残っていて・・・そこに横一面のブラインドから、スリットになって差し込む光が当たっている。


「光、砂、カッティングシート」
光がこの作品の重要な部分なのだ。

作られたものだけではなく、周囲の自然、空気、太陽までもが作品の一部・・・

おそらくどこかで彼の作品は見たことがあるに違いない、そんな気がしてくるけれど、きっとそれには彼の名前は冠されておらず、単に「おもしろいな」で終わってしまっているのだろう。

そう思うと今まで見てきたいろいろなものが怪しく感じられる∥^O^∥

自然の中で、あるいは自然を取り入れてそこに新しい美を作り出す・・・
これからはそういう作品も増えてくるんだろうな。

Img_0359
世田谷美術館の地下の休憩室の横の噴水と階段。

ちょうどこんな風にゆったりとした空気が展示室の中にも漂っていた。

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2008.10.04

ピラネージ版画展

写真がなかった時代に画像を人に伝えようとすると絵に描くしか方法がなかった。一度にたくさんの人に伝えようとするならば版画しかなかった。

18世紀のイタリアの版画家ピラネージ(Piranesi)の版画展を見てきた。
(町田市立国際版画美術館 2008年11月24日まで)

ピラネージは画家兼建築家兼考古学者だったらしい。
ローマの遺跡を研究して膨大な量の版画を残した。

ところどころに現在の写真と一緒に展示してあったりするのだが、写真よりも彼の版画のほうが迫力があったり、みているだけで「どんな時代だったんだろう?」と想像したくなるようなものが多かった。

建物の版画などはあるがままにとらえているようにも見えるけれど、対象となる建物だけを取り出してみたり、人物を小さく書いて見せることによって、古代ローマの偉大さが見えてくるような気さえしてくる。

が、よく見るとたまに「?」と思うものもあったりする。
どう見てもローマじゃないと思えるような人の顔があったりしぐさがあったりもする。
もしかしたらもともとそうだったのかもしれないけれど、ピラネージが欠けている部分を想像で補った部分なのかもしれない。
実際に補ったりしたとは解説にあったけれど、どの部分というのは書いてなかったので、「ん?ここかな?」と楽しんできたのだ。

そしてなんといっても建物の迫力が伝わってきたのが「牢獄」シリーズ
いわゆるCosたちが知っている刑務所という雰囲気ではなく、罪人達が処罰されるところという感じかな。
建物は大きくいかめしく、看守達は大きく、罪人達はちっぽけな存在に描かれている。
(この建物が大きく人が小さいのはローマの遺跡などの版画でも同じ。重要なものを大きく書いているんだろうな)

古代ローマに、18世紀に思いをはせたひと時。

ピラネージの版画は東京大学のデータベースで公開されている。

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2008.10.02

岩崎邸庭園

10月1日は都民の日で東京都の施設がいろいろと無料になる。

普段からよく行っている東博や科博も無料だけど、わざわざ無料で混んでいる日に行かなくてもいいかな。
せっかくのチャンスなので、普段だったら絶対に行かないようなところと思って候補に上げたのが東京都のいろいろな庭園。


植物が好きなんだからもっと行っておけばいいと思うのだが、実際にはなかなか行くチャンスがない。大学のころは行き詰ったりすると小石川後楽園や六義園などを散歩していたけれど、いつの間にかそんな風に時間を使う余裕がなくなってしまっている。

最初にいきたいと思ったのは神代植物園なのだが、ここは駅から遠い上に天候が今ひとつ(思っていた以上によかったけど)だし、バラには少し早い季節なので断念してもう少し行きやすいところを・・・

ということで選んだのが岩崎邸庭園。
1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられたという旧岩崎邸、少しずつ修復して一般公開していて一度は行ってみたいと思っていたのだが「上野」という土地柄、その辺まで行くことは少なくないけれど、あちこちの美術館を回っていると疲れてしまって、「この上さらに庭園」という元気はなかなかでないのだ。

が、最寄の駅である湯島からではなく、上野駅からスタート。

Img_0243

せっかくだからここを通り抜けて行こうというのだ∥^O^∥

さすがに日曜日並みに人が多くて、動物を見て楽しむという気分にはあまりなれない。それでも、マイナーな鳥類を見ながらのんびり散歩。

以前見たときにはまだ薄茶色だったタンチョウの子どもの羽がすっかり大人と同じ色になっているのを見てちょっとうれしかったり、五重塔の周りをぐるっとまわってみたり・・・

東園と西園をつなぐイソップ橋の混雑にはちょっと参ったけれど、ヤマアラシを見ながら池之端門から出る。
なんと贅沢な・・・

 
 
 


というわけで、岩崎邸庭園へ。
Img_0325

明治時代に贅を凝らした西洋建築。見学できるのは1階と2階のごく一部だが、その上にも下にも階段があって実際にはもっとずっと広かったことが分かる。

西洋建築の屋敷というと東京都庭園美術館を思い出すけれど、ここは地下室も(見える範囲には)なかったし、3階は小さな部屋があるだけで他にはない(ように見える)

修復がされていない廊下も入ることは出来ないが、所々見えるようになっていて、修復がされていないから余計に当時の生活を想像したり出来る。

建物としてはこっちのほうが面白いかもしれない。

保存のために靴を脱いで袋に入れて持っていく。
靴を脱いで歩く屋内というのはそれだけで他のお宅を訪問している気になるから不思議だ。

Img_0270
部屋の壁紙には「金唐革紙」が使われている。ヨーロッパで使われていた皮製の壁紙を日本独自に和紙を使って作ったもの。

継ぎ目のところを見てもとてもこれは和紙には見えないが

コウゾとミツマタ(どっちかが繊維が長くてしっかりしているけれど滑らかさがなく、もう一方は繊維が短いけれど滑らかになるといっていたのだがどっちがどっちだったか・・・)を混ぜて作った和紙を何枚も重ねてローラー式の版木に乗せて(?)とことんたたいて凹凸を出し色をつけてからワニスを塗ると化学変化で金色になる。
地の部分の金を削って出来上がりなのだそうだが、作るのにとても長い時間がかかる。

何年もの時間をかけて、当時の壁紙を再現したのが今の壁紙だそうだ。

他の部屋では天井に日本刺繍が施されていた(写真がうまく取れていなかった)。
室内装飾用の刺繍というのは珍しくないものなのだろうか?
他にもあるのかどうかは分からないけれど、明治20年から30年のこの時期にはこうしたことがあちこち(の金持ちのうち)でやっていたのかもしれない。

なんとなく帯や能装束などの刺繍とイメージとして似ている気がする。

「西洋」をそのまま取り入れたのではなく、「西洋」を消化して作られたという感じのする旧岩崎邸はなかなか面白かった。

普段に比べると混んでいるけれど、見るのに大変というほどではなく、そこここでいろいろなものを楽しむことが出来た。

ただ、「庭園」は芝生の広場があるだけでちょっとさびしかったのが玉に瑕かな。


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お客様感謝デー

今日は都民の日。
あちこちの東京都の施設が無料になる日なのだが、東京都の施設以外にも無料になるところがある。
Img_0241

この損保ジャパン美術館は今日が「お客様感謝デー」で無料。

今日をねらって、Cosもジョット展を見てきた。さすがに混んでいて、一枚一枚の絵をじっくり見ることは出来なかったのが残念だけど、実はまた近いうちに行くのでまぁいいか・・・

西洋絵画の父とも称されるジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)はそれまでの平面的なビザンティン絵画から脱却してルネッサン絵画の立体感や感情を表現するような描き方をした。

今回はテンペラ画が多いのだが、フレスコ画も着ている。壁に書き込んだフレスコ画を日本に持ってくることが出来るというのも考えようによってはすごいこと。

が、フレスコ画を見ていると実際に現場へ行ってみてみたくなる。天井の高い教会でどんな風に見えているのか、教会の雰囲気の中でじっくりと楽しみたいと思わずにいられないのだが、このフレスコ画は保存が難しく2002年に修復がおわテ一般公開されているスクロヴェーニ礼拝堂などは職員と一緒に15分間だけ中に入ってみることが出来るのだという。

つまり現地へ行ってもじっくりと見ることが出来ないのだ。
ほおっておけばどんどん消えていってしまうひとつの文化なんだなぁ・・・

このスクロヴェーニ礼拝堂はパネルで説明してあった。

こうしたパネルを見ていつも思うことは芸術としてみるなら現物が最上だけど、文化の表現としてみるときにはパネルのような複製のほうがじっくりと細部まで見られていいのかもしれないなということだ。
教会の内部一面にこれだけのものが飾られていても、(たとえ時間制限がなかったとしても)じっくりと一つ一つの絵について見ていくことはかなり難しい気がする。

それがパネルになっていれば、一枚一枚を切り取ってじっくり見ることが出来るし、必要があれば細部を取り上げてみることも可能になる。

そういう見方もまた大切なんっじゃないかと思う。

今回、ジョット本人の絵は多くない(4枚)がその後継者達の作品がたくさんきていて歴史的にルネッサンスへと向かう様子も見て取ることも出来る。

面白かったのは、ヴェルナルド・ダッテイの「携帯用三連祭壇画」。
携帯用というのにはあまりに大きい気がするのだが、もって歩いたのだろうか?
こんな大きなものを持って旅行することを考えたら・・・・
そしてその中に描かれている絵。
キリスト教のフォーマットにしたがって聖人が描かれているんだろうなぁ・・
「旅人用祭壇画にはこれとこれを書く」というのがあるんだなぁ・・・
こういう聖人を連れて旅をすることで守ってもらおうというのだろうか・・・

などと考えながらぐるっとひと回り見てきた。

損保ジャパン美術館で2008年11月9日まで

01gomi01

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2008.09.30

村内美術館

「ムラウチ」と聞いてまず思い浮かべるのは家具だろう。
その家具屋さんの「ムラウチ」が作った美術館が八王子市にあるムラウチの本店に併設された「村内美術館」だ。

何よりも残念なのは駅から遠いことかもしれない。八王子の駅から1時間に1,2本(正しくは2時間に3本というところか)の無料送迎バスはあるけれど、バスに乗ってまで行くのはなかなか大変かもしれない。

「ムラウチ ファニチャーセンター」の3Fにあるので、家具売り場の中を通って美術館へ。
美術館へと登る階段から「家具屋」から「美術館」の階段へと変身する。
階段を登るとそこはゆったりとした空間で美術館の入り口の横には「休憩室」がある。


Img_0227

これが休憩室。窓からは向こうの森と遠くの山が見えていて景色自体もひとつのアートになっている。

もう少し近かったら本を持っていって本を読むのによさそうなのだが・・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

 
 
 


バルビゾン派を中心とする19世紀自然派の画家たちの作品を中心に、印象派、エコール・ド・パリから現代までのフランス絵画、彫刻で成り立っています。

ということで展示されている絵もゆったりとした雰囲気をかもし出している。

美術館に入って最初に見たのがドービニー。
つい先日町田の国際版画美術館で川で、船をアトリエに仕立てて版画による旅行記を見たのだが、ちょうどその船で描かれたのではないかと思える絵があった。

版画には愉快な表現もあったりしたのがさすがにこちらは川からののどかな景色を平和に描いている。
旅行記を描くときと絵を描くときと・・・見比べることが出来て面白かった。

コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー、そしてクールベ・・・
バルビゾン派の人たち(クールベは違うらしいけれど)の絵が充実している。

美術館の中は8室(だと思う)に分かれていてどの部屋にもソファがおいてあってゆっくりと鑑賞することが出来る・・・・さすが家具屋さん・・・・どのソファもとてもすわり心地がいい。

時間に余裕があれば、室内に静かに静かに流れる音楽を聴きながらぼぉ~と絵を楽しむ、豊かな時間を堪能することが出来るのだ。

まあ、さすがに部屋は暗いから本を読むのにはむかない・・・
仕方がないので・・・・


Img_0228

というわけで景色を眺めながらちょっと一息。

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2008.09.28

光と斜線・・・ライオネル・ファイニンガー

どこで見たチラシだったかもう覚えてないけれど、見た瞬間に「行こう」と思ったのが横須賀美術館のライオネル・ファイニンガー展

横須賀美術館は観音崎公園に隣接して建てられているので夏の間は行くのを我慢していたのだが、9月には行ったらやっぱり忙しくてなかなかいけずにいた。

横須賀美術館 「ライオネル・ファイニンガー」展より

「ライオネル・ファイニンガー」展 ―光の結晶

ドイツ系移民の子としてニューヨークに生まれたライオネル・ファイニンガー(1871-1956)は、音楽を学ぶためドイツに渡りますが、すぐに画家を志し美術を学び始めます。雑誌の挿絵や風刺画を描いた後、油彩を描き正統派画家として評価を得ると、1919年に造形学校「バウハウス」の設立に参加し1932年まで教授をつとめました。しかし、ナチスが政権を取ると「退廃芸術家」と見なされ、1937年ドイツを離れニューヨークに戻りました。
1910年頃のファイニンガーは、鮮やかな色彩を用い表現主義を思わせる作品を描いていましたが、キュビスムの影響を受けた後1920年代には幾何学的に分割した面に色を段階的に重ねることで光を透過するガラスのような硬質さと透明性をもつ作風へと移行しました。教会の塔や海辺に停泊する船、海浜の廃墟などドイツ・ロマン主義の画家達が好んだモティーフを近代的な造形理論に基づき描いた作品は、伝統的な絵画と前衛美術をつなぐものとして独自の位置を占めています。


彼の描いた斜線を中心に描かれた建物が圧倒的な存在感と意思を持っているかのように見える。

縦横にではなく、作品によってはすべての線が画面に対して斜線になっていたりする。
その斜線が絵の方向を決めているのだ。

見ているうちに、人間の存在など小さなもので、建築物が、海が、霧がそれぞれの意思を持っている世界にいるような気がしてくる。

さらに不思議なのは絵自体はそんなに大きくないのに、すぐそばで見るのではなく、2,3m離れてみたほうがずっといいのだ。


特にそういう感じが強かったのが横浜美術館のページにある「海辺の廃墟」。

距離を置いてみることで建物の光が命をもっているかのようにも見えてくる。
光が当たって入射角と反射角を守りながら跳ね返ってきている感じ・・・とでもいうのだろうか。

美術展に出品された絵のポスターではないけれど、PosterShopでも絵の感じは見ることが出来る。
ただし、印刷されたものにはこの不思議さがあまり感じられない。
やっぱり直接見ないとだめなんだろうなぁ・・・


Image026

横須賀美術館の入り口。
今までは館内の写真撮影は一切禁止だったけれど、ここからの写真は取ることが出来るようになった。
カメラを持っていかなかったので、携帯から取った写真だから今ひとつなのが残念。
まさか写真がOKになっているとは思っていなかったもので・・・

真っ白な壁と丸く開いた窓。この向こう側の芝生の先は海。
正面の渡り廊下の下は地下の常設展示室になっている。
建物自体が本当に美しい。

Cos一人じゃ絵にならないのが残念だが・・・
∥xx;∥☆\(--メ)

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2008.09.23

切り取った光と影

塩保朋子の作品にはじめてであったのはINAXギャラリー。
このときにはたしか「小さな骨の博物館」を見に行ったときではないかと思うけれど、同じときだったかどうかの記憶は定かではない。

入り口から入ってみると薄暗い室内に斜めに天井から下げられた布のようにも見える大きな大きな紙。
そこにはきりえのように無数にも思えるほど小さな切抜きがあって、残された部分は場所によってはレースのようにすら見える。

きれいに切られた紙は確かにそれはそれできれいだけれど、それだけ。
ちょっと拍子抜けをして紙の裏側に回ってみるとそこにはまったく違う世界が広がっていた。
部屋の床から天井まで一面に切り抜かれた紙の影が部屋いっぱいに広がっている。

表から見たときには白かった部分が、ここではグレーに映り、表からは切り抜かれて黒っぽく見えていたところが裏側では光が輝いて白く見えている。

ちょうど白と黒とが逆転した影の世界がそこには広がっていた。
ほんのわずかな、人には感じないほどのかすかな風が紙をほんの少し動かし、影が木漏れ日のようにゆっくりと動く。

中に入った人の影が切り抜かれて出来た影の中に溶け込んで、また違う作品に見えてくる。
自分自身の影が作品の中に入り込んでいる感じ。

森の中にいるような静かな落ち着きに満ちた不思議な空間・・・

東京谷中のSCAI THE BATH HOUSE塩保朋子の個展があると聞いてCosが飛んでいったのは当然かもしれない。

この不思議な空間にもう一度入り込むことが出来るのだから。

というわけでいってきたBATH HOUSE。
思っていたとおり切り抜かれた大きな紙がお風呂屋さんの高い天井いっぱいまでの高さで下げられている。
数え切れないほどの切り込み・・・形も一様ではないけれど、どれもごく小さな切抜きでそばによって見ないと切り抜かれていることも分からない。
膨大な時間と労力の産物なのだが、生まれ出てきたものは不思議で優雅な異空間・・・・

今回は切り抜いた紙だけではなく、無数の穴を空けた(貫通しているとは限らないのだけど)作品などもあってそれはそれでまた違った世界のオブジェに見える。

塩保朋子展は
東京谷中のSCAI THE BATH HOUSEで2008年9月27日まで。


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THE BATH HOUSEの入り口は確かに風呂屋の入り口・・・・中の写真は取ってくることが出来ないのが残念だけど、雰囲気は伝わるかな。

Img_0084

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2008.09.20

Still/Motion・・・変化の芸術

美術館の映像展示は難しい。
それぞれの展示室でいろいろな作品を同時にやっているから、同じ作品をゆっくりと座って最初から最後まで見ることは少なくて、ほとんどの場合途中からちょっと見てよければそのままじっくりと、たいしたことがないと思えばそのまま次の展示室へ。

時間的に短い作品ならちょっと待って最初から見てみようと思うけれど、長い作品だと今どこをやっているかわからないし、待ってみようとか、終わる時間にあわせてもう一度来ようという気にはなかなかなれなくなる。

どれほどよい作品なのか見てみないと分からないけれど、30分、40分とは待てないのが今のCos。
こういう数多くの作品を一挙に展示するときには3分から5分ぐらいが手ごろなのかもしれない。

それでも動きのある映像を見るのには結構時間がかかった
STILL/MOTION 液晶絵画」展
2008年08月23日 ~ 2008年10月13日
東京都写真美術館

こうした動きのある作品はじっくり見るもの、なんとなく見続ければいいもの、そこにあることが楽しめればいいものに分かれるのかもしれない。


01gomi01森村泰昌「フェルメール研究」はじっくりと見る、(映像以外の展示物もあって)細部まで見るものの典型かな。

ビデオ自体はそんなに長い時間ではないけれど、一枚の絵から生まれ出てくる森村泰昌のストーリーがいい。
フェルメールらしい光はどうやって生まれてきたのか、その光の当て方、女性の動き、どれをとっても説得力がある。
ぜひ一度オリジナルを見てみたいものだ。

彼が作ったセットの中にはさりげなくカメラがおいてあったりして森村らしい楽しさがある。
フェルメールは未来から来たタイムトラベラーだ、彼の絵画の描き方は写真のようだという話があるのを思い出す。


一枚の絵画から広がる夢・・・・彼の夢を共有する時間がそこには生まれている。


なんとなく見続ければいいもの・・・実際にはこれがほとんどのような気がする。
サム・テイラーの時間軸に沿って腐りつつある果物、「スティルライフ」(迫力は「リトルデス」のほうがあったけれど・・・)
時間はかかる(時間がかかるから、ソファかなんかに座ってのんびりしているといいはずなんだけどなぁ)けれど、
イヴ・サスマン 「浮上するフェルガス」
チウ・アンション 「新山海経・二」
なんかはワイン片手に見たいなぁ・・・

そして、おしゃべりをしながら、本を読みながら、食事をしながら見たいのが

ジュリアン・オピー イヴニング・ドレスの女
千住博 水の森 
ミロスワフ・バウカ BlueGasEyes
(主張の強い順・・・)

ジュリアン・オビーは近代美術館で日本八景が展示されているし、「ジュリアン・オビー展」が水戸芸術館で2008年10月5日までやっている。見に行きたいけれど遠いからなぁ・・・

千住博は絵自体の感じがとてもよくて、正に液晶に描かれた絵画という感じ。調べてみると日本画家らしい。彼の作品も見てみたい。

ミロスワフ・バウカは発想の面白さ。ありふれたものにもう一度目を向けている感じ。そこには主張はあまり感じられないけれど楽しい。

彼を見ているうちに何かフラッシュで作ってみたくなったことは否定できないが、作る元気がないなぁ・・・・

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2008.09.11

けとばし山のおてんば

「けとばし山のおてんば」とその名前を聞いただけで「行くしかない」

というわけでいってきた松涛美術館。

Img_9809
松涛美術館の入り口は入るのにちょっと躊躇したくなる感じで好きなのだが、渋谷の駅からちょっと距離があることと、Cosが見たいような展示が少ないのであまり行ったことはないのが残念。

今回のこの大道あやは埼玉近代美術館で先日見てきた丸木スマの娘さん。
(美術館の入り口にも「丸木スマの作品はありません」とわざわざ断ってあった。
親子だけあってというべきなのか、感性が似通っているということなのか、作風がとても似ている。

展示を見てみると、本人もかなり意識していたようで、絵としては母親よりもうまいのだが、母親の自由奔放さは感じられなくて、どこか萎縮した部分があるような木もしてくる。

おそらく大道あやの絵だけ見たらそうは感じなかったんだろうけれど、つい先月見た丸木スマとどうしても比較してしまう。

母親の影響を脱して、美術展に応募するような絵を描くのをやめてから書いた絵本の絵はそうした萎縮した感じがなくてとてもいい感じだった。

この絵本・・・「こどものとも」で見慣れた絵だったからだろうか。どこと泣く懐かしい感じさえした。

01gomi01

「しかけ花火」。
画面いっぱいに描かれた花火なのだが、どことなく・・・・

花火のわくわく感があまり感じられないような気がするのはCosだけかな。

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2008.08.25

身近な自然

(書いたつもりだったのにちゃんとアップしなかったらしくて消えてしまった_| ̄|● )

今森光彦の2つ目は東京駅大丸の
里山
2008年8月14日(木)→9月1日(月)

棚田にしても、滋賀でなければ存在しないということはないし、琵琶湖の景色を除けばどの写真もどこででも見られそうな感じがする。

どこにでもある身近な自然が生き生きときれいに描かれている。
きれいというだけじゃなくて、撮った人の愛着も映し出されている。

ここにも昆虫はいるけれど、あくまで主役は里山。
ひたすらきれいに美を追い求めたというかんじかもしれない。

どこにでもありそうな身近な里山だからこそ、守っていく・・・あるいは将来を託していく場所なんだと感じさせるような写真。

ここでも小さなものが大切にされている。
リンク先のページにあるツユクサの上のてんとう虫、林の中の木の根元の山おやじ、
いいなぁ・・・

Cosもうちの近所で探してみたくなる。

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深い自然

そして最後は新宿のエプサイト、「神様の森 伊勢」へ。
2008年9月7日まで

おそらく内容もここが一番地味だろうと思うけれど、一番自然が近かったような感じ。

人の手が入らない(入れない)森の倒木の上の実生のヒノキ。
ひとつ間違えばごちゃごちゃするだけど垂れ下がったつる(?)
土が少なくてむき出しになった根。

そんな中で湿気に満ちた森を謳歌するカタツムリ・・・

ひとつ間違うとただごちゃごちゃしただけの写真になりそうなのに、神秘さを漂わせた森・・・人の立ち入りを拒絶しているかのような自然のままの森がそこにはあった。


写真の良さというものについては今でもCosには分からないけれど、森の神秘さ、森に対する畏敬の念が伝わってくるような気がしてきた。


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今回、この3つの会場を回ってスタンプならぬプリントを集めると抽選で写真集が当たるというので、Cosもしっかりプリントを集めてきた。∥^O^∥
ついでに今回のパンフレットが欲しかったのでエプサイトの会員にもなったし(無料だから)・・・・

ただし、Cosの取る写真はプリントアウトしないんだけどなぁ・・・


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2008.08.24

小さな自然

2008年8月17日に終わってしまった「昆虫4億年の旅」を皮切りに3つの今森光彦の写真展を見てきた。

子どものころ、「シートン動物記」と「ファーブル昆虫記」を何度となく読んだCosとしては「昆虫」と聞いただけではずすわけには行かなくなる∥^O^∥

もちろん、子供向けの昆虫展はよほどのことがないと行かないけれど、「昆虫4億年」はそういう子供向けのものとはまったく違うし、このチラシを見たとたんに「これは絶対に行く、この人の写真は知っている」と思ったのだ。

もちろん、夏休みだから子どもに受けるような内容になっていて、世界の昆虫の擬態の写真もあって、それはそれで楽しかったし、自然の不思議、進化の巧みさが感じられた。

ただ、それは写真としてのよさというよりも「昆虫のもつよさ」という感じ・・・今森光彦かどうかはあんまり意識することもなかった。

「誰が取った写真?」と最初に感じたのは「オオフンコロガシ」の西洋梨型の糞玉!!
しかもファーブル昆虫記にあった挿絵と同じ卵の入った糞玉を二つに切って中の卵を写真にとっているではないか・・・
ファーブルがイラストにしたのと同じ写真を撮る・・・・
間違いなくこの写真を撮った人はファーブル昆虫記に熱中した一人に違いない。

たくさんの擬態の「すごい!」写真の中に並んだ派手なところの何もないフンコロガシの写真。
Art innのこのページにあります)
派手なところは何もないけれど、そこには子どものころからのあこがれが現実になった瞬間の写真なのだ。

きっとこの人は昆虫が好きというよりも昆虫がいとおしいのだろうなぁ・・・

そして身近な昆虫の写真のコーナーに移動したときには、どうしてこんな風に撮れるんだろうと思うほどに情感のこもった写真。

大事な大事な昆虫達、はっぱたち・・・そして自然。
小さな虫の世界が等身大の世界に見えてきて、彼らもまたCosたちと同じ生きとし生けるものの一員だというメッセージが伝わってきた。

鮮明に映し出されたありのおしりのとげ、耕運機のほんの一滴の油ののなかで死んでしまったトンボ。画面いっぱいのかまきりの三角形の顔・・・

どこにでもいる昆虫達のいる小さな自然が等身大の世界になって見る人の前に広がっている。

草むらはジャングルだし、昆虫達はその中では大切な主役の一人。
Cosはそんな会場の最後にあったくずの森の中のトンボとオンブバッタの写真が好きだ。

・・・それにしても、彼は昆虫のスケッチもうまいのだ・・・写真だけでもすごいと思うのにスケッチまでも・・・


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2008.08.21

なんて顔してるの?

「始まったばかりだからまだそんな煮込んでいないだろう」という甘い予測を持って、友達から分けてもらった前売り券を握り締め(7枚セットの前売りの一枚で、本当に握り締めてくしゃくしゃにしたら友達に殺されかねないが・・・)上野の都美術館「フェルメール展」へ。

甘かった。

しっかり混んでいて入場に10分まち_| ̄|●
中も結構な人で最初のほうは4列目ぐらいから鑑賞・・・∥>_<∥

ただ、フェルメールのところは一枚ずつ離して展示してあるからか、それなりにしっかり見ることが出来た。

以前、「牛乳を注ぐ女」を見たときにはそんなに感じなかったんだけど、今回何枚もじっくり鑑賞してみて、光の不思議さきれいさには確かにその通りだけど、一人一人の表情をじっくり見てみんな一体全体なんていう顔をしているんだろうとびっくりしてしまった。

チラッとみるとそんなにびっくりするような表情をしているわけではないのに、細かいところまで見ているとその感情の動きが手に取るように・・・表面的にはどうという顔をしているわけではないのに・・・伝わってくる。

写真では決して伝わってこないその表情・・・・どうして伝わってくるんだろう?

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2008.08.20

旅の楽しみ

といってもCosが旅をしてきたという話ではない。
(もちろん、旅はしたい!! 一人かあるいは・・・でも基本的に人に合わせるのが嫌いだから誰でもいいわけじゃない・・・)

2008年8月31日まで国立歴史博物館で「旅-江戸の旅から鉄道旅行へ-」を見てきたのだ。
徒歩旅行である江戸の旅も公務である参勤交代はせっせと歩いたけれど、追い狭い理に代表される物見遊山のたびは道中も(たいへんなんだろうけれど)あっちへ行ったりこっちへ行ったり、その土地土地のおいしいものを食べたり・・・

なんというタイトルの本多か忘れてしまったのが悔しいけれど、江戸時代の旅行案内の中には各地の名産品・・・もちろん食べ物・・・が次から次へと紹介されている本があった。

旅行へいってその土地のおいしいものを食べようとするのは今も昔も代わりがないのかもしれない。
旅のガイドブックに食べ物やさんが満載されているのは日本のひとつの文化なのかもしれない・・・

当時の旅行者の小遣い帳も展示されていて、一泊がおよそ48文、お昼ごはんが一人12文ぐらい、難所の川の渡し賃が40文・・・なんて書いてあって、この金額でいったい何をどう食べたんだろうかとか、どんなところに泊まったんだろうかとか金額と品目を見ているだけでも楽しくなってくる。

雨が降ったから同じところに泊まっていたり・・・
(実際にはのんきではなかったんだろうけど)のんびりと旅行を楽しんでいるように思えてきてとてもうらやましかった。

「東海道・中山道・甲州街道図屏風」には3本の道が同時に描かれていて、今の地名と見比べると面白かった。
中には「やぶ」なんていう記載もあって、旅行をした人が難儀したんだろうなぁ
なんて思わされるものもあった。

明治時代になって全国に鉄道が走るようになると、今と余り変わらないような時刻表があったり、名所案内、温泉案内のガイドブックを田山花袋が書いていたりして、当時と今とでは実はそんなに変わっていないのかもしれないと思ってみたりもした。

旅行・・・移動のための旅行ではなく、旅行を楽しむための旅行もいいなぁ・・
ざんねんながらCosには各地の名産品を食べるのは怖いものがあるけれど・・・

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2008.08.18

エッシャーを見ると・・・

佐倉市立美術館で「エッシャー展 永遠なる迷宮」
平成20年(2008年)8月1日(金)~9月23日(火・祝)
を見てきた。
エッシャーは東京に来るたびに見ているし、以前ハウステンボスに行ったときにも見たからどうでもいいような気がしていたのだが、やはり見に行くと刺激されて・・・・

20080818_2

こんなものを作ってしまった∥^O^∥
といっても今日やったのは二つの正四面体を重ね合わせて回転させることだけ。
真ん中に球をくりぬいて・・・なんて思っているけれど、いつになることやら・・・

二つの正四面体

横に回転するときのコマ数はもっと増やしたほうがいいし、出っ張ったところを切りとった立体も回転させているのだが、見ているだけでは何をしているのか分からない。
少しずつ切り取るのはどうすればいいのか・・・

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2008.08.10

のうがく鑑賞会

アート系の友達が、金沢へ行ったときから熱中し始めて、怠け者のCosと違って本を買い込んでしっかり事前学習までして今日という日になったのだが・・・

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「のうがく」といっても「農学」ではなく「能楽」なのだ・・・
どう考えてもCosにはハイレベルすぎるのだが、「夏休み親子のための」というサブタイトルも着いていることだし、子供向けのやさしい演目だから何とかなるかと一緒に千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。

最初にお話があって、能楽の舞台のかたちについてのはなしなどがあって面白かった。
舞台の前のほうが下がっているとか、
下の写真にある橋掛かりの3本の松は舞台に近いほうから高い順に並んでいるとか・・・

しかも椅子の前の席の背には「字幕」用のディスプレイがあって舞台で何をしゃべっているのか(うたっているのか)が一目瞭然だったりする。
Img_8951

この写真の四角いところにその字幕が出てくるのだ。
「英語」「日本語」「子ども」向けのものがあって、省略は多いけれど、子供用のものは内容が一番分かりやすかった(爆)

狂言は
今日の町ではうだつが上がらないので東に下ろうとしているやぶ医者のところに、間違えて空から落ちて腰を痛めたかみなりが藪医者に治療をしてもらうという「神鳴」
「ぴっかりぴっかり」とか「ぐわらり、ぐわらり」といった擬音がとても面白かった。
擬音を楽しむというのがずいぶんと昔からあるんだと感心してみたり、
普通は敬語でよぶときには「雷様」となるのに狂言の中では「お神鳴」とは言うのに「さま」をつけないのがとても不思議だったりした。

能は
「小鍛冶」
稲荷明神の助けを借りて刀を打つという刀鍛冶の話。
一つ一つの動きがすべて様式化されているかのようにも見える舞台。
今回は男性役ばかりだから華やかな衣装はなかったけれど、稲荷明神の衣装の見事さ
謡の人たちだけではなくて、太鼓や鼓の人たちの掛け声もまた音楽の一部になっている面白さを堪能してきた・・・
といえるといいのだが、実際には動きがなくなると・・・・まぶたが重くなってくる。
後ろの席からはいびきが聞こえてくるし・・・

というものの、やはり実物は面白いので、次は大人向けのを見ようということになった(Cosも反対はしなかったのだ・・・)

ちょっと眠くなって落ちちゃった面々は次回はどこまで起きていられるかが勝負どころになりそうだ
∥xx;∥☆\(--メ)
Img_8966

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2008.08.02

青春のロシア・アヴァンギャルド

描かれている絵を見ているだけで、新しい未来に向かっての希望を描いている時代、圧制の中で許された表現形式を守りながらの時代、
どちらも平和で安穏とした生活からは無縁の時代。

「青春のロシア・アヴァンギャルド」
渋谷でbunkamura2008.08.17まで

01gomi01
力強く引かれた線や色、激しい想いが伝わってくるような気がする。

歴史的な流れと対応させながら見ていると面白い。

が、共産主義の時代になって抽象的な表現が禁止されたり、(他のところで見た時に知ったことだけど)笑顔さえもが弱さの現われとみなされたり・・・・
たとえどれほど立派な時代であっても、政治が心の中まで入り込もうとする社会であって欲しくはないな。

今、虫歯の治療中で歯の調子が今ひとつよくない(治療を始めるまでは痛くもなんともなかったのに・・・)こともあって元気がないからかもしれないけれど、なんだかとても疲れる作品が多かったような気がする。
戦う元気を出せといわれているようで・・・

きっと元気なときだったらそれはそれでいいんだろうけれど・・・

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2008.07.21

実線主義

ある程度の出来は期待していたけれど、どうしても見たいというほどではなかったのだが、この一言で「見たい」と思った。

asahi.com(朝日新聞社):「ポニョとの約束守り、子どもを祝福」宮崎駿監督が語る - 文化.

「ほら、この水平線なんて、いびつな鉛筆書きの線をそのまま残してある。今回、スタッフの間で、我々は“実線主義”を貫く、なんて言い合いました。従来の日本アニメなら髪だけ動かしていたものを、顔全体を一コマ一コマ手で書いていった。すると、今まで感じられなかった息づかいのようなものが生まれたんです」

この「一つ一つを人の手で描いた」という柔らかさは今のところどうやってもCGでは表現できない(だろうと思う)。
前の記事のムットーニの人形も、一つ一つムットーニさんの手作りだから彼の人間性がそこには出ているからこそ人形が生きている。

大量生産のリカちゃんなどには決して表れない表情がそこにはある。

この映画にももしかしたらそれがあるのかもしれない。

CGは否定しないし、Cos自身だってコンピュータを使って作ったものを使って授業をしていたりする。
そこには手で描き得ない正確さと細かさが存在する。
それはそれですばらしいことだし、Cosが子どものころにはありえなかったことだ。
コンピュータを使うことで数学のあり方も変わりつつある。

が、今のところそこにあるのは「厳密さ」であっていろいろな思いのこもった感情ではない。
絵や写真にはその人の人となりが写し出されるけれど、今のところグラフにはそういうものは感じられない。
(グラフをどう組み合わせて何を表現するかで想いのこもったグラフなんていうのもありそうだけど・・・)

そうした「想い」が表現されているアニメであるのなら、どうしても見てみたい。

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2008.07.20

ムットーニTHE DIARY OF WINGS

手で作られた人形はほんのちょっとしたことでその表情を、その感情を豊かに変えるのはCGでは表現できないことのひとつだろう。

一つ一つ作られた人形を自動機械というよりは現代のからくりとでも言うべき電子制御によtって、その人形の世界を見せてくれるのがムットーニ。

今の時代からはちょっと古びた感じのする人形たちが演じるひとつのストーリーの世界はどこか遠い、それでいてごく身近なものにも思える。

ムットーニ オフィシャルウェブサイト / 自動カラクリお話し玉手箱のムットーニ.

展覧会タイトル THE DIARY OF WINGS 場所: ケンジ タキ ギャラリー 東京都新宿区西新宿3-18-2-102  tel 03-3378-6051

会期 2008年7月10日(木)ー 8月8日(金)
12:00 ー 19:00
日・月・祝 休

5人の人形と一冊の手帳の織り成すかたまってしまった孤独の瞬間と希望。
同じ人形の孤独と悲しみの表情が希望へと変わる不思議さ。

そう広くはない部屋の6つの台の上に置かれた人形たち、音楽とともに順にスポットライトを浴びて主役になる。
音楽にはどこの言葉とも分からないようなせりふがついていて、それがまた遠いような近いような世界を感じさせる。


ラッキーなことにムットーニさんがいらしていて、口上つきで2回も見ることが出来てしまった。
ムットーニさんの口上がないときに見るのと彼の口上を聴きながら診るのとでは作品の雰囲気がまるっきり変わってしまうことも多いので、口上なしのものをぜひ見たいな。

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会場のケンジ タキ ギャラリーは入り口がちょっと分かりにくい。
Cosもこの入り口のところに立ってしばらく「場所はここでいいはずだが・・住所はあっているし・・」・・・
(展示してあるものを考えれば当たり前だけど)ガラス越しにカーテンが引かれていてちょっと見ただけでは入ってはいけないような感じすらする。
「ご自由にお入りください」と確かに書いてあるけれど、ドアを開けてはいるのはとても不安。
「いいのかなぁ」と思いながら会場に入った。
入るとそこはムットーニの世界になっていてその世界に再開できたことがとてもうれしかった。

会場の外から撮った写真を見てみるとやはり同じような感じがする。
写し出された外の景色、ガラス、カーテンが孤独を感じさせるように見えるのは「DIARY OF WINGS」を見たからなのかな。

ガラス越しに入っていく空間が希望だとすればガラス越しに閉ざされている空間が孤独なんだなぁ・・

You Tobeにあるムットーニさんの作品の出てくるコマーシャルを「続きを読む」におきました。

続きを読む "ムットーニTHE DIARY OF WINGS"

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2008.07.17

虹は水のないところには出来ない

考えてみれば当たり前だけど、

水の星地球だからこそ虹が生まれるのだ。
そしてその虹は同じように見えてはいるけれど一人一人違う虹で常に自分がその中心にいる。
地面さえなければ自分が中心の円になっている虹・・・

今まで気づかなかった当たり前のことに感動した『
高砂淳二 「虹の星」
会場: コニカミノルタプラザ
スケジュール: 2008年07月02日 ~ 2008年07月22日 15:00
住所: 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
電話: 03-3225-5001 ファックス: 03-3225-0800

滝に現れた円形の大きな虹の写真、
虹は確かに円の一部だと感じさせてくれた写真。

地平線近くに沈もうとする太陽によって出来る赤い虹。

「虹」は何度となく見たことがあるけれど、一つ一つの写真がとても新鮮だった。

虹の根元に埋まっているという宝を見つけに虹を追いかけたくなるような写真・・・でも羊は何も感じずにのどかに草を食べている・・・

小さな虹のブロッケン現象・・・

何よりも感動的だったのが夜の虹。
星の輝く夜空にかかった虹は想像したことのない世界。
写真だから、地面が明るく写し出され、虹の上の夜空は夜の空として映し出されいて、まるで浮世絵の夜の景色のようだ。
実際にはどんな風に見えるんだろう・・・

ハワイでは祝福だといわれる夜の虹・・・Cosはまだ見たことがない。
満月の夜、大きな滝に行けば見られるのだろうか・・・
月の光で出来た虹・・・考えただけでも幻想的な世界・・・
いつの日にか見ることが出来るといいなぁ・・・


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2008.07.15

ザウリの白を見つめる

国立近代美術館で2008年8月3日までの「カルロ・ザウリ展

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陶芸には詳しくないので、「カルロ・ザウリ」の名前には惹かれていった美術展。「白」という言葉からは純白をイメージしていたのだが、ザウリの白は純白という意味の白ではなく、1200度という高温で焼くときに使う釉薬がザウリの白らしい。

作られた作品は真っ白なのではなく、白の中に色のある不思議な感覚。

初期の作品には「壺」とか「皿」とかといった名前がついているのだが、
「壺といえば壺だけどつぼとして使うわけじゃないよなぁ・・・」という感じの作品。
このころの作品はストーンウエアといわれるものらしい。これも高温で焼いている作品。
まだまだ具象の世界という感じかな。

そして「ザウリの白」


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写真を見ただけでは陰影があることぐらいしかわからないけれど、実際にじっくりと見るとその表面のかたちにあわせて白い釉薬が白い色を放っている部分、ほとんど白が乗っていない部分があって深みのある白の世界になっている。

こればかりは写真で見てもその面白さは伝わってこない。

東山魁夷のときにも感じたことだけど、今回も会場の使い方のうまさが光っていた。

最初はごく普通の展示なのだけれど、大きな部屋に入ったとたんにまるで無造作に置かれたかのような作品がいくつか台の上に飾られている。

ほとんど床と同じ高さに置かれたもの、テーブルの高さに置かれたもの・・・
広い(すごく広いわけじゃないけれど)部屋にゆったりと飾られた作品はちょっと見たところきちんと飾ったというよりはどことなく雑然とした感じもしていたりするのだが、実は一つ一つの作品にあわせて高さを調節してある。

床に置かれた球体はどの角度からも見ることが出来るし・・・・

テーブルぐらいの高さの台の上におかれた白の中に赤が隠れている「形態のうねり」はCosのお気に入りの一品になった。

こうした作品を炉の中で焼いてそれを取り出すときがザウリにとっての最高の瞬間なんだろうな。
炉の中から出てきた作品と見つめあう・・・まるで恋人とのまなざしを交わすかのように・・・

絵や彫刻と違って焼いてみるまではどんな仕上がりになるのか、思い通りになっているのかどうかは分からないわけだし、出来上がった作品をはじめて見つめるときの一瞬・・・

それがどんなものであれ、その何物にも変えがたい瞬間・・・・
幸せな一瞬・・・・

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2008.07.12

しんくやくしょ モノレール

しんくやくしょ都市のモノレールやいろいろな乗り物たち。

擬人化された乗り物たちがいる新しい都市を想像して当時小学生3年生だったの柊君が描いている。(今は4年生なんだろうな)

確かに子どもの絵だけれど、この前見てきたエミリー・ウングワレーの絵がアボリジニの描いた絵というのと同じような意味での子どもの絵。

アボリジニの誰もがウングワレーでないのと同じように彼の絵は彼でなければ描けない。

パネルになっているのはキッドピックスというコンピュータソフトを使って描かれた絵だから、解像度が低くてぎざぎざが出てしまったりしているけれど、そのデザインと色使いが面白い。

いや、パネルになっているモノレールたちよりもガラスケースに入れて展示してある彼の絵日記の絵のほうが何倍もいい。

一番最初は筆圧も弱く丸もかけなかったのからスタートしてきっちりと彼なりの見方をして描かれた毎日の絵日記の絵は確かに子どもの絵なんだろうけれど、そのセンス、色使いがとても優れている。

彼がこの独自の世界をそのまま育てて大人になったら、どんなものを描くんだろう・・・
(今のままでももちろんいいんだけど・・・こどもは成長するからなぁ)

これだけのものが描けるようになったのはもちろん彼の才能があってこそだけど、それを育てたのはお母さん(お父さんは?)。

とてもCosにはまねが出来そうもない。

TALKEN(とーくん)日記~高機能自閉症の絵日記による療育記録~ : 千代田区役所で3回目の個展、「しんくやくしょモノレール」展を開催します! - livedoor Blog(ブログ).

開催日:7/8(火)~21(月)(7/10休)

開催場所:千代田区役所 一階区民ホール 

千代田区九段南1-2-1電話03-3264-2111代表

もう一度書いておこう。

エミリー・ウングワレーはアボリジニがこういう絵を書くからすごいのではない。
エミリーの描く絵がすばらしいのだ。
彼女がアボリジニであるのは彼女の絵の背景にはなるけれど、アボリジニだからすばらしいということではないのだ。

柊君がどういう少年であれ、彼の描く絵が面白いのだ。

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2008.06.22

美術館で数学談義!

今日から多摩美術大学美術館で新しい展示が始まるのでついふらふらと美術館に吸い寄せられたCos。
絵画のコスモロジー」2008年7月20日まで

さすがに雨の日だけあって美術館の中にはほとんど人もいない。

橋本倫・黒須信雄・小山利枝子の三人の絵。
あいまいさを許さずに
かっちりと書き込まれた鮮やかな色彩の橋本倫、
雲のような波間のような羊の原毛のようなでも立体感にあふれる黒須信雄、
4m×3mぐらいはありそうな大きなキャンバスいっぱいの「光--誕生」はその大きさと迫力に圧倒された。

会場の奥へ行くと、小山利枝子の描いたたくさんの花のスケッチ、この花のエッセンスを取り出してそのイメージを画面に描き出したのだということがよくわかるような作品も何点かかけられていた。

さらに奥には橋本倫の展示資料がガラスケースの中にあったのだが・・・・そこで見たものは・・・若き日の橋本の数学のノート。
微分して曲線の性質を調べてグラフを描いている。
今だったら、このレベルのグラフはMathematicaを使わなくてもGRAPESを使えばあっさり描けてしまう・・・
かつてはCosもこうやって悪戦苦闘してグラフを描いたりしていたのだ∥^O^∥
そんなことを思ったり、式を確認したりしていたら・・・
「関心がおありですか?」
と声をかけられた。

いろいろとはなしをしてみると数学に対する造詣がとても深い方・・・
代数幾何学(おそらく楕円関数論的なほうじゃないかな?)に詳しい方らしい。
数学の話、絵を描く人と数学の話、アーベルの書いた論文の話、ポアンカレ予想を解決した論文の話・・・Cosには太刀打ちできない・・・∥>_<∥

写真やCGでは決して描き得ない「絵」の感性の話・・・・

数学をやっていた人たちが美術の世界に入っていく話(逆は余りなさそうだけど)や関数模型を撮った杉本博司・・・

多摩美術大学では数学の授業もあるのだとか・・・曲線や曲面の持つ、数学の持つ美しさを考える可能性を秘めているんだろうなぁ・・・どんな勉強をしているのだろう?


よもや美術館で数学の話をすることがあるなんて思いもしなかっただけにとても新鮮で楽しいひと時だった。

またどこかでお目にかかれると面白いけれど、どうかな?

ただ・・・時間がなくなってしまって十分に絵を見てこれなかったのが心残りかな。
ま、近いうちにもう一度行って来よう。


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2008.06.06

数学は美術だ?

友達が出品するというので「現展」を国立新美術館に見に行ってきた。

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公募展ということで普段見に行く美術展とは違っていろんな人が描いているのがそれなりに面白い。
素人のCosが見ても「これはいいなぁ」というのは数点あったけれど、「絵が上手」というだけの範疇の人も少なくない。(さすがにCosが見ても下手だと思うようなのはほとんどないが・・・)

展示されている作品の数も半端じゃないから、会場をぐるっと回るだけで見飽きるほどなのだが、今回はこんなのも・・・

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しかもこれは絵じゃなくてポスターなのだ。

確かに数学とアートは近い・・・何よりもCosが両方好きなんだからそれは間違いないけれど、美術展を見に行って数学教室と出会うとは夢にも思わなかった\∥^O^∥/

で、筑波大学数学系のwebページを見に行ったら、この雰囲気そのままのトップページでとてもうれしくなってしまった。

「You are always welcome !」こういうところでCosもまた勉強したいなぁ・・・
(もう頭が付いていかないだろうけど・・・_| ̄|●)

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2008.06.05

岡崎紀展

この人が有名なのかどうか、今までにこの人の絵を見たことがあるのかどうか・・・・なんとなく見たことがあるような気はするけれど、名前までは覚えていないことは確か。

Cosの家からは比較的行きやすいところにある多摩美術大学美術館は美大の付属だけあって面白いものをやっていることが多い。

なぜだか分からないけれど、なんとなくちょっと入りづらい雰囲気はあるものの中に入ると静かでゆっくりと美術を楽しむことが出来る空間になっているのがうれしい。

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今回の岡崎紀展もそんな美術展のひとつ。
しかも、今回は無料・・・\∥^O^∥/
見たければ何度でも気楽にいけるというありがたさ。

最初は日曜日に買い物のついで(!)にふらっと寄ったのだが、さすがにオープニングだけあって、この美術館にしては人が多くのんびりと見ることが出来なかったので、日を改めてもう一度。

下の階には若いころの作品、上の階には最近の作品が展示されている。
さすがに若いころの作品は鋭い感じがする。
「浮いた風景」というタイトルでいくつかの絵を組み合わせているかのような作品をいくつも出しているのだが、この中で赤を背景に海の波の上に浮いている風景(2枚組み?)がとてもよかった。

ここにあるチラシの左上の絵だけれど、期間が終わると見られなくなってしまうのだろうなぁ・・・残念・・・

でも、一番気に入ったのは上の階にあった最新の作品。

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実際の絵はずっと大きくて伸びやかな広がりと奥行きを感じさせる。
画面の中を吹き渡る風が木々を揺らしている。

下の階の絵の持つ緊張感に比べて、落ち着きと平和が感じられて音楽を聴きながらワインを傾けながらのんびりと見ていたいような絵。

どこかの収蔵品か何かになればまた見るチャンスもあるのだろうけれど、そうでなければCosなどにはもうお目にかかれないのだろうなぁ・・・
(カタログが販売されているんだから、カタログを買えばいいんだけど・・・・はがきなら間違いなく買うんだけど・・・)

そう思うと会期中にもう一度ぐらい行って置きたい気もする。
18時までやっているから仕事の帰りにいけるといいなぁ・・・・

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2008.06.03

人生は冒険だ

いくつになっても遊び心を忘れない・・・大人として威厳よりも自由な発想を大切に・・・
そんな想いが伝わってくるような横尾忠則展
世田谷美術館で2008年6月15日まで

見に行く前には「横尾忠則」というとやることが派手でどことなくいいとは思えなかったのだが、実際に見てみると(もともと自由な発想をする人だとは思っていたけど)思っていた以上に遊び心があって自由な人だった。

その自由さが・・・性に対する自由さが「子どもにはふさわしくない」とされたのだろう。

東京新聞:『児童に不向き、過激』 横尾展の鑑賞教室中止 世田谷区教委 :社会(TOKYO Web).

 東京都世田谷区の世田谷美術館で開催中の画家横尾忠則さん(71)の企画展をめぐり、教員から「教育上、子どもに好ましくない」との声が上がり、区教育委員会が地元小学生向けの美術鑑賞教室を急きょ中止したことが分かった。横尾さん側には事前に知らされておらず、区教委へ抗議する事態になっている。

 この企画展は「冒険王・横尾忠則」と題し、四月十九日から六月十五日まで開催。「平凡パンチ」の挿絵をはじめポスターや絵画など約七百点が展示されている。

 鑑賞教室は一九八六年の開館と同時に区教委が始めた。今回予定されていた鑑賞教室は、同館が一月に区内の小学校に対して説明会を開き、二月に二十二校の小学四年生の受け入れを決定。今月十四日からの実施に向けて準備を整えていた。

 企画展には血の付いたナイフを持つ少年や半裸の女性など性を描いた作品も含まれ、区教委によると、下見をした教員から「小学生にふさわしくない」「過激すぎる」といった意見が出た。このため、校長会の意向を受けて四月末、鑑賞教室の中止を決めた。だが、横尾さんや同館には事前に相談しなかったという。

実際に見てみると過激かどうかは別として、絵の一部分だけを切り取って眺めると「小学生にはふさわしくない」とある意味で頭の固い人たちにとってはかんじられるのだろうと思う。

特に今のような職場はと昔ながらの道徳観、性に対する意識がそのまま通用している世界だから、こういう意見が出てくるのも分からないでもない。

それを何よりも象徴しているのが看板の前で(自分も裸の癖に)そっぽを向いているこの女性。

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うがった見方をすると横尾忠則の自由さ自体が受け入れがたいのかもしれない。

(全部とはいわないけれど)まじめそうな絵の中にも、そのシリアスさを突き崩すようなものがさりげなく書かれていて、どの絵もどこか斜に構えた感じがする。
その部分がCosなどから見ると「いいなぁ」と思えるのだが、そう思えない人もいるんだろうなぁ・・・

何よりもこれを見ているうちにCosも「もっと自由に羽ばたきたい」と思い始めたことだし。

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2008.05.29

ガラパゴスだ、ビーグル号だ、ダーウィンだ

動物に関心があればそのなを知らない人はいないだろうと思うダーウィン
国立科学博物館のダーウィン展(2008年6月22日まで)を楽しんできた。

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子どものころから知っているダーウィンともなるとさすがにその業績で知らないことはほとんどなく、純粋に展示を楽しんでくることが出来て\∥^O^∥/

なんといっても会場に入った途端に目に入った、「進化論以前の動物の分類」はほほえましくて見ているだけでうれしくなる。
「ノアの箱舟」に乗れなかった動物たちの化石・・・も楽しい。
進化論が生まれるのは時間の問題だった時代、必ずしもダーウィンでなくてもよかったのだけど、「ビーグル号航海記」の存在が「種の起源」をダーウィンのものにしたのだ。

ビーグル号のコーナーでは船の中を模した通路につけられた丸窓からは海面が上下する様子が映っていて、ちょっと船の中にいるような感じ。
(結果としては)無給で5年間ビーグル号に乗り込むというのは考えてみるとすごいことだし、収集した品々はすごい荷物だっただろうに、船に積んで帰ってきたのだろうなぁ。

子どものころ、ビーグル号航海記を読んだか読もうとしたかの記憶が少し残っている。
ちょっと読んでみて面白くなかったという記憶なのだ∥^O^∥

大人になった今もう一度読んでみるとまた違うのかな?

ガラパゴス島のコーナーではゾウガメとイグアナが動物園から出張してきていた。
こういうのがあるとその場から動けなくなるσ∥>_<∥
ちょうどゾウガメの給餌の時間と重なったので、元気よく食べるさまをじっくりと見てきてしまった∥^O^∥

結局種の起源でもなければビーグル号航海記でもなく見終わったその足で動物園に行ってしまったのは自然な行動?

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2008.05.25

要求する写真

Cosには写真のよしあしはよくわからないのだけれど、ちょっと面白そうだと思っていたら「アレ、ブレ、ボケの世界を味わってきてください」と友達に言われ、行けば「写真のよさとは何か」を見ることが出来るような気がした森山大道
東京都写真美術館で2008年6月29日まで

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展示は3Fと2Fに分かれていて別々に見るようになっている。
最初に見たのが3Fの「Ⅰ.レトロスペクティヴ1965-2005」

ここに「アレ、ブレ、ボケ」の世界があるはずなのだが・・・・いや、確かにそういう写真がたくさんあったのだが・・・・
それはあくまで写真知る人たちにとっての話。

写真を知らないCosにとってはそれ以上に、写真から伝わってくるもののインパクトの強さに驚いてしまった。

Cosにとって写真というのはそこにあるものをあるがままに写し出すものというイメージが強いのだが、「あるがまま」からかけ離れた写真・・そこにあるものが何であるにせよ、そこからは明確な意思を持ってこちらに何かを要求していたりする。

おそらく被写体がそういう要求を持っていたはずもなく、森山大道の要求なんだろう。
でも何を要求されているのか、こちらをどこに追い詰めようとしているのか見定めることが出来ないジレンマで写真にしばし向かい合ってしまう。

見ているうちにふとムンクの絵を思い出した(リンク先は美術館ではありません。西洋美術館や東京新聞のサイトからは内容が伝わってこないので)。

ムンクは愛と死の世界に人をいざなったけれど、この森山大道は絶望への決意に対する判断を要求しているような気がした。
「受け入れるもよし、逃げ出すのもよし・・・決めるのはお前だ」という感じかな。

そうやって最も人を追い詰めるのが犬の町の
(リンク先のアートスケープの記事も面白いです)

この写真は多分どこかの本か雑誌で見たことがあるのだが、その印象はあまりに違う。
絵ならば実物と印刷との違いが理解できるけれど、写真でもその差が大きいことを展覧会を見に行くたびに痛感させられる。

重く苦しい気分になって考え込みながら2Fの「Ⅱ.ハワイ」へ行くとそこはまるっきり別世界。
入り口を入ってすぐの天井まである大きなプリントは写真の向こう側まで続く一本の道。
天井から空へと続いて行きそうな雄大さは、こちらの気分も大きくゆったりとさせてくれる。

3Fと違って新しく撮った写真だからか一枚一枚の写真が大きく伸びやかな感じがする。
どの写真もこちらに何かを要求するのではなく、「こうなんだよ、こうだったんだよ」と語りかけてくる感じ。

3Fから2Fで苦悩するストリートカメラマンから苦悩がふっきれたカメラマンへ。
「解脱」という言葉がふさわしいような気がする。
あっ、もちろんCosが解脱できたわけではなく、そんな雰囲気というだけ。
Cosはといえば相変わらずあっちへこっちへとじたばたしてどっちへ進んでも誤った道しかないという八方塞(笑)

のびやかな「ハワイ」という土地のなせる業もあるのかもしれない。

会場の中にたった3枚あるカラー写真。
何を撮ったのかその色彩だけしか分からないけれど、新しい世界がそこにはあるんだなという感じかな。

Cosには難しくてよくわからない部分も多かったし、かなり要求されたものも多いので その要求を改めてみてみたい気がする・・・・
それにしてもCosに要求されているのはいったい何なんだろう?

会期を考えると時間的には厳しいけれど、もう一度見てみるとまた違った見方が出来そうな気がしてならない。


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2008.05.23

夏空に誘われて

あまりに気持ちのいい気候だったので、バラの花を見に庭園美術館へ・・・・

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といっても実際には「オールドノリタケと懐かしの洋食器」を見てきたのだが、こういう瀟洒な食器はCosには似合わない。
Cosが自分で欲しいとしたらシンプルであっさりとした物がいいなぁ・・・
なんて思いながらぐるっと見てきた。
さすがに「優雅な食器」ということでたくさんの女性が連れ立ってやってきていて、皆さん声高におしゃべりしながら見ている。
おしゃべりでうるさいのは職場だけで十分なので、そういう環境からはどうも逃げ出したいという気持ちも働いて、そそくさと見終わってしまったのかもしれない。
もったいなかったかも。

で、今日のお目当てはバラ。
庭園美術館の庭のバラはちょっと面白いつくりになっている。
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残念ながら花は少なかった(秋のバラだったような気もしてきた・・・)けれど、このかたち、子どものころ読んだ「不思議の国のアリス」の中でトランプの兵隊たちがペンキを塗っている木の挿絵によく似ている。
(今ではほとんどみられないけれど、こういう仕立て方が昔ははやっていたそうだときいた。)
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ちょっと雑然とした東京の街から離れてゆったりとした庭園に咲いたバラ。トランプの兵隊がやってきても不思議はないような環境・・・\∥^O^∥/

残念ながら今回は期待したほど花はなかったけれど、トランプの兵隊たちが色を塗ったような真っ赤な大輪のバラ・・・

ルネッサンスの時代にはこの赤いバラが性的な象徴でもあったのだと聞いたけれど、バラの赤はやっぱりいいなぁ・・・黒いほどに赤いバラがいいなぁ

小さな子どもを連れた人が何組かいたけれど、それがまた、いかにも庭園らしい感じがしてよかった。

庭園を楽しんだ後は初夏を楽しむために隣の自然教育園へ。

木々の間からこぼれる初夏の日差しがとてもいい。
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木の葉越しの光が輝いている道を
ああやって手を取り合って歩いている二人を見ると年齢を問わずにうらやましい。

さすがに初夏の日差しが暑くてまるで夏のような気がしたからか、なんとなく「ナンバンギセル」の花が最低そうな気がして水生植物園に行ってみたけれど、さすがにあれは夏の花、まだまだ陰も形もなかった∥^O^∥

この後、東京都写真美術館へ歩いていくつもりだったので、あまりあちこちを回らずにぐるっと一周。
何しろ自然教育園を心まで歩くと結構疲れるのだ∥^O^∥

出口(あるいは入り口)のところにある教育管理棟ではかわせみの巣の中にカメラを置いてライブ中継をしていた。
親ガスの中の雛たちにやるえさの量が突然減って3日ぐらいすると巣立ちの季節なのだという。もうそろそろ巣立ちらしい。

思わずしばし見とれてしまった。
巣の中の雛なんて、早々見られるものじゃないし・・・

が、この後もう一軒回るので、早々長い時間見ているわけにも行かず、適当なところで切り上げたけど、もっと見て痛かったなぁ・・・


自然教育園の中のさわやかな散歩と違って、目黒の町は日差しが強くてさわやかというよりも暑かったのが残念。
それでも電車に乗るよりはさわやかだったかも・・・

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2008.05.19

ビオソフィア イカロスを夢見て

鳥類学者がイカロスを夢見ていたのかどうかはらないけれど、その鳥への思い入れはイカロスの名前を思い起こさせる。

昨日で終わってしまった
東京大学創立130周年記念特別展示
鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展
会期末のぎりぎりになって行ってきた。

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タイで作られた信仰の対象にもなっている鶏なのだそうだ。プラスチック製などの張りぼてではなく、コンクリート製だという。

会場に入ると真っ先に目に付くのが現代美術・・・プランクーシの「空間の鳥」・・・その姿はとりでもなければ羽でもないけれど、自由に空を飛び回る姿を感じさせる。
その瞬間に「博物館」から「鳥へのあこがれ」へ

最初の部屋には絶滅した鳥たちの遺物などが並び、ハンス・アルプの版画の詩集「われらの鳥たちについて」、レオナルド・ダビンチの「鳥の飛翔について」が飾ってある。

この部屋はまさに博物学とアートの出会い。

進んでいくと鳥たちの剥製がガラスケースに入って飾られている。
が、自由に飛ぶ鳥たちを箱の中にしまっているとはいえ、あたかも自由を思い出すかのように、高さを変え、間隔を変え・・・・彼らは本来自由であったのだ・・・・

なんといっても感動的だったのは赤で統一された「鳥類学者の部屋」床も壁も柔らかな感じのする布の赤。ちょっと暗い部屋の中にはたくさんの引き出しの着いたたんすがあり、本棚があり天井近くまで鳥の絵が飾られている。
ここは19世紀の鳥類学者の部屋、という想定なのかもしれない。
引き出しの中には仮剥製と呼ばれる体をまっすぐ細く伸ばしたかたちで剥製にされた鳥たちがぎっしりと並んでいる。この剥製たちはその美しさをめでられるためでなく、研究されるために並べられているのだ。

この部屋で過去の研究者に想いをはせるのはとても楽しかった。
何しろ、「鳥」の展示のはずなのにウエブスターの辞書までが展示してあるのである。
床からの高さのある書見台の上におかれた辞書・・・この重い辞書はこうやって使ったのかな。

そこから出ると真っ白な部屋。
そのコントラストも印象的だった。
しかも真っ白な部屋には家禽である鶏の展示。
これはガラスケースではなく、真っ白な棚に置かれている。
一番上では床までの高さでも足りない尾が真っ白な棚の最下団にまで流れている尾長鳥。
こうした家禽も保存が難しくなってきているのだという。

そして最後が博物学陳列場。
ここは今までの斬新な展示と違ってスタイルは昔ながらの科学博物館のような感じの展示。

Cosなどには馴染み深い展示でどこか心休まる。

今回の展示は博物学とアートの融合というだけではなく、

「鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展 東京大学総合研究博物館.

展示デザインに関するミュージアム・テクノロジー(博物館工学)の研究成果も併せて公開します。自然誌と文化誌、学術標本とアートワークの新しい融合展示、モバイル・ミュージアムとしての展開が可能な実験的展示モジュール、レプリカの活用法、さらには空間構成、ライティング、グラフィックなど、ミュージアム展示における各種の先端的な試みを集大成します。

というだけあって展示がとても面白かった。
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帰ろうとするとさっきの鳥たちが帰る人を名残惜しげ(?)に見ていた。

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2008.05.10

西洋版画の世界

考えてみるとすごく当たり前なんだけど、写真が生まれる前は画像データを大量に扱うために版画があったということが版画に対する見方をちょっとかえたような気がする。

埼玉県立近代美術館の

「いとも美しき西洋版画の世界-紙片の小宇宙を彷徨(さまよ)う」
2008年4月5日(土)~5月18日(日)
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名前は明かされていないけれど、一人のコレクターが50年間に集めた版画たち。絵画に比べて手を出しやすい版画だけれど、やっぱりよほどの財力なんだろうなぁ・・

とりあえず、(Cosの中では)多面体で有名なデューラーの作品から・・・・
幾何学的な構図があるのかなぁとおもったけれど、今回出品されているものの中にはそういうものがなかった気がするのがちょっと残念だったけれど、それ以外は予想すらしなかったほど面白かった。

ちょうどちょっと前にウルビーノのヴィーナスを見たときに解説していただいた官能に対する表現が、ここにも表れていることに気がついた。
絵画の場合と違って、(今から考えると慎ましやかだが)露骨な表現も使っていたりして、分かりやすかったかもしれない。

今の版画ではなくて、古い形の西洋版画に対する関心は阿部謹也の本の挿絵から始まったような気がする。緻密に線で表現された世界がそこにはあって、中世の人たちの想いが見えているようにも思われた。

それと同じような世界がここには開かれている。
ブリューゲルの「7つの大罪」の中に現れるいろいろな生き物たち・・・「罪」といいながらもそれがまた楽しそうなのだ。

そして、カロの緻密さ。
写真のない時代の写真の代わりともいえるのがこの人の版画かな。

彼の聖アントニウスの誘惑の中に出てくる鳥のような生き物が展示のマスコットにも使われていた。
(この鳥のくちばしがどこに突っ込まれているのかを思うとこの企画を立てた人はユーモアがあるんだなぁと思わずにはいられない。

比較的近い時代のものになるとCosの好きな作家たちのものも多くなってきて、それはそれで面白かった。

おそらくは絵画よりも密接に人々の暮らしに結びついていた版画だからこそ、不思議な生き物が出てきたり、風刺に使われたりというより身近な表現になるんだろうなぁ・・・・

わざわざ埼玉まで出かけていくだけの価値のある展示だった。
(夏には八王子夢美術館にも来るらしいが・・・きっといくだろうなぁ・・・)

デューラーの幾何学は見ることが出来なかったけれど、帰りに
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「放物線は相似である」の手ごろな教材を見つけてきた∥^O^∥

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2008.05.09

海へのあこがれ

日本橋の三越で2008年5月11日までやっている
中村征夫写真展
「命めぐる海」-都会の海から聖地の海へ-
を見てきた。

さすがにデパートだけあってかなり混んでいる。
混んでいるところの苦手なCosとしてはそれだけでもあまりいい印象がなかったりするのだが、まあ、仕方がないだろう。

さんご礁に囲まれたジープ島の美しさは何もかも捨てていってしまいたくなるほどだったし、そこにいる魚をはじめとする海中の生き物たちと会うことが出来るなら、ダイビングをやろうかとも思い始めてくる。

子どものころ通っていたスイミングには2mの深さのあるところがあった。
一番そこに潜って上を見上げると何の音も聞こえないし、水面がずっと遠くのほうに見えて普段と違った世界にいるような気がしてくるのがとても好きだった。

プールの中には人間以外の生き物はいないけれど、海の中にはさまざまな生き物がいる。
中村征夫の写真を見ているとそういう生き物に会いたくなってくる。

が、Cosがいいなぁと思ったのは水のにごった東京湾の、そこで一生懸命生きているノリを下側から撮った写真。

それまできれいなさんご礁の海の写真をみてきた目からはにごった水の中で精一杯お日様の光をあびようとしている海苔の姿がとてもけなげに見えた。

こんなにごった水のところにCosたちも生きている・・・・

そんな感じのする写真で、すごくきれいというわけではなかったけれどとてもよかった。

ただ、おそらく今回の写真展はキャプションがテーマでもあるんだろうけれど、写真は写真だけで楽しみたかったかもしれない。
感情を込めずに淡々と解説があれば、そこでまたいろいろと考えたかもしれないのに・・・

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2008.05.05

ティツィアーノのヴィーナス

ルネッサンスの時代のヴィーナスの意味・・・
そんなことを考えながら見ることになった
ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜
2008年5月18日まで

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ヴィーナス自体は神話からとられた題材だけれど、その背景は当時の室内の様子そのものであって、決して神話の世界から持ってきたものではない。

このヴィーナスの表情や体からはいわゆるアガペーではなくエロスを感じさせるものだし、ヴィーナス自体は結婚に際して贈られることがおおかったのだそうだから、こうした絵がどういう目的だったのかは分かるような気がする。

時代とともにヴィーナスが官能的になっていって、このヴィーナスではこの絵を見ている人と視線を合わせている。
実はルネサンスとはそういう時代だったのかもしれない。

なんていうことを思いながら解説を聞いていたらなんとなく当時の人たちの生活の様子が垣間見えるような気がしてきて、面白かった。

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2008.05.01

ジェラルド・ダレルにささげる本

普段、美術展に行っても図録を買うことはまずない。
買った後何回図録を開くのかを考えるとよほどのことがない限り買う価値がCosにとってはないのだ。

が、「本書をジェラルド・ダレルにささげる」という一文を見たとたんに買ってしまったのがこれ。
地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)
地球の宝石PRICELESS (ブルーデイブック・シリーズ)

調布市文化会館たづくりで2008年5月18日までやっている「岩合光昭写真展」の写真たち。
彼の撮る野生生物たちはあまりに人間くさくて写真を見ていると「直接あったことはない隣人」という気がしてくる。
一歩間違えば「かわいい動物」でしかないような写真になりかねないのに、どこか動物の持つ厳しさを残して見る人に伝えている。
あくまで「隣人」でありペットではない動物たちの姿は確かにジェラルド・ダレルの動物観とつながるところがある。

本に出ていたり、web状にあったりする小さな写真ではなく、パネルに伸ばされた写真はやはりいい。
彼のサイトに行けばほとんどの写真は見られるような気がするけれど、やはり写真はその大きさも大切。

彼の写真ももっと大きなパネルに伸ばすとかわいらしさが減って彼らの環境の厳しさが伝わってくるんじゃないか
という気もしてくる。


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まなざしの呪縛

そのまなざしが自分の内側のすべてを見透かして、その呪縛のとりこになってしまうとそこから逃れられない。

日本画だというのに、友達が持っているチケットに書かれた女性のまなざしを見たとたんにそんな感じすらした中村岳陵・・・

しかもやっている場所が横須賀・・・

Cosのうちからは決して近くはない場所だ。この前電車で行ったら3時間近くかかってしまったくらいだからそうそう簡単にはいけない。

それでもどうしてもこの目に出遭いたくて・・・その目に見つめられたくて行ってきてしまった。

中村岳陵展
横須賀美術館
2008年4月1日(火)~5月11日(日)

本当にどの絵もとてもいい目をしていた。人間のみならず動物の目までもが、Cosをとりこにして離さない。
チケットにあった貴妃賜浴も白狗も人の心の内側までも見通すかのような、小さな少女までもが同じ目をしている。

この目の鋭さは風景や静物を描いているときにも表れている。
赤く染まる空に黒く映る冬の木を描いた残照・・・先日見た東山魁夷の残照も雄大さがあっていいけれど、絵としてはこっちのほうがCosの好みかも。

爽秋、砂浜・・・たくさんの絵がCosの琴線に触れる。
そこにこちらを見通すような目は描かれていないけれど、凛とした空気が伝わってくる。
(が、こうやって考えてみると人の絵よりもやはり風景画などのほうがすきなんだなぁCos)


Cosを呪縛する目を思いながら・・・
一幅の絵のような横須賀美術館で心を奪われたひと時。


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2008.04.20

これが写真?!

展示室に入って最初の一枚を見たとたんにあまりにも自分の思っていたものと違っていたので自分の頭の中をどう処理していいのか一瞬分からなくなったほどの衝撃。

どうしていいか分からなくなって、ぜんぜん違う次のシリーズの写真から見はじめたり・・・∥^O^∥

「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展
東京都現代美術館で2008年5月6日まで

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東京都写真美術館で写真を見る」という先入観がなければ「これはいい!」の一言ですんでしまったのだろうけれど・・・・

しかも展示の順序が新しいほうから順に・・・つまり、彼が死の直前に死を意識しながら取った写真たちからのスタート。

おそらく写真そのものではなくて加工してあるんだろうし、どうやらジャコメッリはそうした技術に長けていたらしい。

「この憶い出を君たちへ」のシリーズには無表情な彼自身が登場する。鳥のオブジェがあったり不思議な感じの犬がいたりする現実にあってある意味では現実の中にはない夢の中のような世界が写し出されている。

この世を取り巻く「生と死」を撮りつづけたという解説があったけれど、彼がここで描いているのは生でもなければ死でもない、心の内側の世界を現実化して描いたと言う感じがしてならない。


写真と言うものが「真(まこと)を写し出す」ものだとすれば、確かにそのとおりだけど、そこに写し出されているものは彼が作り上げた世界・・・・その意味では写真は彼の芸術を表現する手段でしかないのかもしれない。
写真で何かを表現するのではなく、表現する手段としての写真かもしれない。

写真が少しずつ過去に戻るにつれてその表現はおとなしくなっていくけれど、たとえば人物以外は真っ白にしてしまっていたり(ポスターになっている神学生のシリーズ)、空中から撮った写真に畝を作ってみたりといった加工が随所に施されている。

中には写真のドット(と言う表現があるのかなぁ?)を変えることで写真の雰囲気が一変していたりもする。

このポスターになっている神学生のシリーズでは踊っている神学生たちもいいけれど、生真面目な顔をしている神学生たちからは見えないところで木の幹にへばりついている子猫の写真がCosは好きだ。
この子猫と戯れる神学生の写真もあったけれど・・・・この写真が彼らの将来と若さを象徴しているみたいだった。

黒のカラフルさが彼の写真からは伝わってくる。
その場においてあった印刷した写真集を見たけれど、そこで見る写真と会場で見る写真とでは黒の鮮やかさがまるっきり違うのだ。
生き生きとした黒の中に写真の技術が生きていると言うところなんだろうか。

ピントをずらすことによって夢の世界のような雰囲気を作ったり・・・・

久しぶりに堪能した美術展だった・・・・・

続きを読む "これが写真?!"

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2008.04.17

異国へのあこがれ:ジャポニズム

ぽっかりとあいた時間を埋めるべく、六本木ミッドタウンへ。

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こういう生け花だとCosも好きなんだけどなぁ・・・
ダイナミックに鮮やかに・・・

と言うわけで行ってきました、サントリー美術館ガレとジャポニズム

実を言うとCosはガレのあの派手派手しさはどうにも好きになれない。今回も「ジャポニズム」の一言がなかったら行かなかったんじゃないかと思う。

ジャポニズム・・・つい先だって見てきた歴博の江戸の展示や府中美術館で見てきた「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」をちょうど反対側から見た感じになっているはず。
日本の人たちがどう見たのか、ヨーロッパの人たちがどう見たのか・・・どちらも異国趣味であり、自分たちにはないものを求めていたと言うことになるんだろうと。

どちらももちろん「日本」があったけれど、その日本のとらえ方がちょっと違うという感じだろうか?
う~む、よくはわからない。

日本にあこがれて、日本人のように美を求めようとしたのがガレなんだろうな。

日本と違ってヨーロッパでは小さな昆虫や爬虫類をめでることはしなかったのだそうだ。
ガレの作品の昆虫やかえるたちはあるときには忌み嫌うべき存在のように、あるときには親しみを込めて描かれている。
なんとなくそれが象徴的かも。
(でもやっぱり好きにはならなかったなぁ・・・)

ついでに帰りには富士フィルムのFUJIFILM SQUAREで「時代を彩る女優展」を見てきたが・・・
こっちも今ひとつだった。
基本的に写真じゃなくて絵でも肖像画などの人を描いたのが好きでないこともあるし・・・
美女が好きでないわけじゃないけれど、「これだ」と言う感じの写真がなかったのは残念。


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2008.04.16

見に行くんだろうなぁ・・・

人寄せパンダ、二匹めか三匹目のどじょうとわかっていても見に行くんだろうなぁ・・・σ∥>_<∥

奈良・興福寺の阿修羅像 来年、東京・福岡で公開.

 奈良・興福寺が所蔵する国宝の阿修羅像が、来年3月から東京・上野の東京国立博物館で、同7月から福岡県太宰府市の九州国立博物館で、朝日新聞社などが主催する展覧会に出展されることが決まった。興福寺の創建1300年を記念し、奈良時代の天平文化の仏教美術を中心に紹介する特別展。阿修羅像が東京で公開されるのは約半世紀ぶり、九州では初めてとなる。

奈良からこういう仏像を持ってくればそれだけで人が集まるからいいんだろうけれど・・・・なんかなぁ・・・・
薬師寺展も、確かにいい物を持ってきているのかもしれないけれど・・・

なんとなく、安易に仏像を持ってくればそれで人が集まるから・・・なんていう気もしてこないではない。
う~む・・・

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2008.04.13

コレクションの新地平

4月のこの時期は忙しくて都心まで出かけるなんてとんでもないのだが、友達の
「でもザオ・ウォーキーだよ」の一言で、ブリジストン美術館へ。

「コレクションの新地平--20世紀美術の息吹--
2008年4月13日までブリジストン美術館

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会場内はこんな感じ

もう少し早く気がついていればもっとのんびりと見ることが出来たのに、時間の余裕がなくてざっと見ることしか出来なかったのが残念。

それでも、クレーをはじめとする好きな作家の作品をいくつも見ることが出来て\∥^O^∥/

ブリジストン美術館に来るといつもたちどまって見る絵の一つにザオ・ウォーキーがいる。


個人的には青はどうも苦手な色なんだけど、彼の青はいい。
(もっと厳しい表情をした人かと思っていたけれど、リンク先を見るとそんなでもない感じだな)

彼の「07.06.85」を見ていると違った世界に入り込んでいくような、自分の存在が無になってしまえるような感じすらした。
(ちょうどそのときに聴いていた曲がケルンコンサートだったのも影響しているだろうけど・・・)

この世のいろいろな想いからはなれて違う世界に入り込んだような・・
そのままそっちの世界に行ってしまいたくなるような・・

まあ、この絵自体は普段からブリジストン美術館の常設展に出ていることが多いので、今回無理に見に来なくてもよかったんだけど、普段まとめてみることがないだけに、やはりZaoの作品がいくつも並んでいるのを見るのはいい。

堂本 尚郎、白髪 一雄、ジャン・デュビュッフェ、カンディンスキー・・・・いいなぁ・・・


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2008.04.10

紅毛のまぼろし

つい先日、歴博で見てきた近世の展示に鎖国の中での長崎の貿易・・・中国、琉球、そしてオランダ。

その同じ時代、オランダと言う国を夢見てあこがれていた人たちがいる。
そしてその「あこがれていた人たち」にまたあこがれているひとたちも・・・

そういうオランダ人(紅毛人?)にあこがれていた江戸の人たち、
明治、大正、昭和になってからそういう時代を夢見た人たちの展示・・・

南蛮の夢、紅毛のまぼろし
府中市美術館で2008年5月11日まで

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一番最初の展示が先代藩主伊達政宗によりメキシコとの公益や宣教師の派遣の依頼などのために派遣された支倉常長。
彼は任務を全うせずに失意のうちに帰国するとそこでは江戸幕府による禁教体制。
持ち帰った数々のものはすべて藩によって厳重に保管されて明治39年の「嘉永以前の西洋輸入品参考品展」間で日の目を見ることがなかったという。

長い間封印されてきた南蛮の記憶は明治末期、大正時代の人にとってはロマンに満ちたものだったのかもしれない。

支倉の絵、彼がわたった西欧の様子などの絵がそのころにいろいろと描かれたらしい。

仙台で長い間封印され続けた文化との接点が長崎にあった。

長崎では蘭学とともに絵だけではなく、版画の技法も日本の中に入ってきていた。

ちょうど今歴博のミニ企画でやっている「海を渡った漆器」と同じような螺鈿蒔絵花樹鳥文聖龕があったり、
阿蘭陀婦人や蘭人食事之図を描いたりしてる。歴史的な背景は歴博が面白いかも。

内容も重なる部分が多く、当時の日本の人たちからは隔絶された長崎出島の人たち・・・
彼らの世界にあこがれた江戸時代のごく一部の人たち
その人たちにあこがれたその後の人たち・・・

歴史と文化と芸術が密接に関連してくる・・・・

そして松本華羊の「伴天連お春」 大正5年頃。
実際には吉原の遊女朝妻であったと言われる。
キリシタンであったために処刑されることになったが、せめて桜を見てから刑に処されることを願った最後の姿なのだそうだが、なんとも切ないいい絵になっている。

長崎だけでオランダと交流のあった時代だからこそ伴天連として殉教・・・そうした時代に想いをはせるひと時だった。


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2008.04.09

瞬写---水に挑むバシリスク

子どものころから、「水の上を走る方法」として、「右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出せばいい」と散々聞いてきたけれど、それを実践するバシリスク。

以前、映像で診た記憶はあるけれど、どんな表情をしていたのか、どんなトカゲだったのかの記憶はあまりなかった。ただ、「水の上を走るとかげ」としてだけしか。

友達が教えてくれた今回の写真展。

嶋田忠写真展 「瞬写-野生の瞬間を捉える-」 キヤノンサロンS 東京都港区港南2-16-6 キヤノンSタワー 3月28日(金)~5月7日(水) 10:00~17:30 休館日:日曜祝日

ここではバシリスクがその表情もしっかりと見せてくれている。

大きなパネルに伸ばされたふくろうにせよ、かわせみにせよ、そしてバシリスクにせよ、その一瞬をとらえている。

バシリスク 水上を走る忍者トカゲ
バシリスク 水上を走る忍者トカゲ

この本のバシリスクがたたみ一枚分ぐらいの大きさになっているのだ。
彼のこの表情は、これから水にいどもうとするトカゲの決意を見せているかのようにすら見える(実際にはバシリスクにとってはそんなすごいことじゃないのかもしれないけど)

時間に余裕があればもう一度のんびりと見たい。

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2008.04.08

歴博 リニューアルした近世

今回の歴博の目玉はリニューアルした第3展示室「近世」

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ただ、他の展示室では多くが写真撮影が可能なのに、ここはまだリニューアルしたばかりだからか写真撮影は不可。

残念!

Cosのつたない言語表現能力ではその面白さはほとんど伝わらないのではないかと言う気もするし、最初のほうをじっくり見ていたらあっという間に時間はたってしまうし・・・・う~ん・・・

江戸という時代は実は思いのほかに身近な時代。
この時代の影響をいろいろなところで色濃く残している。

何よりも最初に見た江戸の屏風絵は面白かった。
江戸の人たちは地図(あるいいはそれに類したもの)を描いているのに、距離は問題とせずに描いているから、すぐそこに川越があったり、日本橋界隈がとんでもなく広かったりしている。

言い換えるとその時代の人たちの心理的な重みがそこにはしっかり出ている。

その地図(?)の中に鬼子母神や(本郷の)吉祥寺、伝通院を見つけて、うれしくなったり・・・・
一緒に行った友達から、
当時は川越→東京を船で旅行したりもしていたなんていう話を聞いたりしてきた。

長崎のところでは出島の話。
最初のうちは出島の外でも貿易をやっていたけれど次第に出島に限定するようになったとか、
子どものころに習った出島のイメージがどんどん広がる。

そして北海道から琉球を経て輸出された昆布。
(正しくは琉球に輸出かな?)
海を通じてきたから南からつながっていた日本・・・・男鹿に住む友達が京都とロシアを結ぶ航路が男鹿を通っているなんていう話をしていたけれど、それと同じものがこうやって出てきている。

ただ、なんとなく残念だったのはこの辺のところの解説。
何枚ものラミネートシートに解説文があって本のように順に読むようになっているんだけど、一番下の一行の印刷が半分しか出ていない。

気がついてプリントアウトをやり直せばほとんどお金もかからないのに、時間がなかったのかもしれないが、たったそれだけのことで未完成のイメージがあったりする。

未完成と言えば、Cosの見学も未完成。

寺子屋「れきはく」もすごろくと習字をやっているのをチラッと見ただけだし、
自然科学とのかかわりでは算額がちょっと出ているとか、変化朝顔のレプリカが置いてあるとかを確認したにとどまるし、
もっとじっくり見たかった 「『もの』からみる近世」の普段目にすることがないようなヨーロッパ向けの漆器、
細かいところまでもっとよく見たかった日本橋あたりのジオラマ・・・今までの歴博のジオラマに比べて一つ一つが小さく出来ている。見るための望遠鏡(といっていいのか?)はおいてあるけれど、暗いしちょっと見えづらいのが残念。
決まったスペースに出来る限り詰め込んだのかもしれない。

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歴博のミュージアムショップの上の窓からの桜。
ここから見ると一幅の絵になっている。

桜の季節が終わって人が少なくなったらもう一回行って来たいな。

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2008.04.06

リニューアルした川村記念美術館

2008年3月15日リニューアルした川村記念美術館にやっと行ってきた。

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ちょうど桜の季節で桜や菜の花、かたくりがそこここに咲き誇っている自然探索路も魅力だけれど、ここにはCosの好きな絵がいくつもあって、それに再開できるのが一番の楽しみ。

とりあえず中に入ってみると最初の部屋は前と一緒。
ピカソのシルヴェットや藤田嗣治のアンナ・ド・ノアイユの肖像が前と変わらぬ顔をして待っていた。

日本画の部屋も茶室も中庭も前とまったく変わらない。

増設された部分で一番変わったのはロスコルーム。
なんと絵に合わせて部屋を作ってあるのだ。暗い部屋の中は床も真っ黒になっていて赤の暗さが引き立つようになっている。
もともとインパクトの強い部屋だったけれど、今度は(絵に合わせた)変形の7角形の部屋。
包み込まれるような感じすらしてくる。

前もよかったけれど、包み込まれるような・・・たぶん子宮回帰というのだろう・・・暗い赤に包まれて違う世界に入り込んでしまったような・・・・もっとじっくり見たかった。

そこから左右に分かれた階段を登るのだが、この階段が半周した真ん中でひとつになっている。
ひとつになった階段を登りきったところがニューマン・ルーム

ニューマンの鮮やかな赤が真っ白な部屋に輝いている。
絵の両側は天井までの大きな大きなガラス窓になっていてそこから森が見えているが、今日は薄いカーテン越しの森。

白と赤と緑と・・・
こちらは下から上がってくるとものすごい開放感。
「解き放たれた」と言う言葉がふさわしい感じ。

この二つの部屋を見るだけでもここまで来る価値がある。

ニューマンルームから二階の展示に進むとフランク・ステラの大型の作品が「ボン、ボン、ボン」と言う感じで並べてあって、ここもまたゆったりとした感じ。


この常設展を見た後で企画展、「マティスとボナール ―地中海の光の中へ―」
ちょっと見たところ展示室はあまり広くないような感じで「これしかないの?」と思ったりしたのだが・・・
いやいやどうしてどうして・・・

いくつモノテーマに分けてマティスとボナールが交互に並べてある。
二人の作品を見比べながら、あるいは関連を考えながら見ることになるわけだけれど、
「来てよかった」と思うほどの作品はなかったような気がする。

4月5日は講演会があってブリジストン美術館長の島田紀夫氏の「ボナールのパリと地中海」
どうしてこういう絵になったのか、何を目指していたのかといった話を聞くことが出来た。

話を聞いた後で見るとまた違った見方が出来るのだが、ちょっと今日は時間がなくてじっくりともう一回見ることが出来なかったのが残念。

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2008.04.05

ソビエトと言う時代

イリヤ・カバコフ『世界図鑑』-絵本と原画-
2008年2月9日(土)-4月6日(日)
世田谷美術館

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子どものころに見た懐かしい挿絵・・・なのかもしれない。
絵のイメージはとても懐かしいけれど、一つ一つの絵を覚えているわけではないので、カバコフの作品を見ていたのかどうかはわからない。

今のロシアがソビエトだったころ、芸術家に限らず多くの人たちが自分のやりたいことが出来なかった時代だった。
共産主義国家において自分の好きな絵を描くことも出来ず生活のために描いた子どもの絵本の挿絵。

「本の挿絵を描いたのは「私」ではなく「彼」だったのである。たとえ、「彼」が「私」の手で書いたとしても」と言う彼の言葉、「彼」とは編集者であり言い換えると国家権力であり、「挿絵画家の社会的役割」・・・自らの意思で自分の描きたいものを描くのではなく、編集者にいわれたとおりの挿絵を描いていく・・・生活の糧としての挿絵画家・・・

ここでは「非公式芸術家」と言う言葉があるくらいの国・・・

描かれた挿絵はいかにも共産主義の挿絵なのだがじっくり見ると結構シュールだったりする。
そこに彼の思想は生きてはこないのかもしれないけれど、「頑固な地平線」などはなかなか面白かった。
それぞれの本にはそれぞれのエピソードがつけられていて、どんなことを考えながらどんなことをしていたのかといったこともわかって面白い。

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2008.04.04

通路と解きほぐすとき

東京都現代美術館で2008年4月13日まで

先にいった人に聞くと必ずしも評価が高くない「川俣正 通路」

いわゆる美術展ではなく、大勢の人たちによって作られた紅あで仕切られた通路のあちこちに「ラボ」があって、そこでは場合によると今でも進行型のイベントが進められている。
と言う感じの展示だろうか。

おそらくざっと通ってみているだけではそんなに面白くないものなのだろうと思う。

展示の内容も含めて大掛かりな文化祭風という印象を受けた。
内容もどんどん進化しているから、最初のうちに見た人と今見ている人とでは見ているものが違っていることにもなる。

Cosはこのベニヤで仕切った通路がまるで現代の路地のモデルになっているような印象を受けた。

かつてCosが住んでいた四谷には細い路地があちこちにあり、行き止まりのように見えているところの人の家の軒先からまるで、そこのうちの庭にしかつながってないように見える横の通路に入るとそれは実は向こう側の道に抜ける路地だったり、よそのうちの玄関先をひょいと曲がると庭先をかすめて階段の上に出るとか、一見と俺なさそうに見える路地があちこちにあった。

この通路もベニヤで作ってあるけれど、ちょっと似た感じ。
通路を抜けるとそこにはラボがあって人が何かをしていたり展示してあったり、写真があったり。

中庭にはテーブルとベンチがあって、そのベンチではスタッフが寝ていたり・・・

ラボでの展示はアートと言うよりも社会科見学みたいな感じがしてそれなりに面白かった。

それと対照的な『アート』が「解きほぐすとき」
会場である3Fまで登って真っ先に目に飛び込んでくるのが彦坂敏昭
東京都現代美術館:MOT [MOTアニュアル2008 解きほぐすとき].

写真を凹版によって独自の技法で紙に定着させ、そこにあらわれた線をなぞっていく。一度解体された輪郭の一つひとつと対話を繰り返し、選び取っていくことで、独自の世界を生む。

これを赤インクでやったのが燃える家。 ある意味自然に出てくる線が面白い。

そして巨大化してプリントアウトしている高橋万里子の写真。
圧倒的な存在感と違和感が面白かった。

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2008.03.31

建築の記憶

建てられたものはそのままの姿で長い間存在しているはずだから、いつ見ても同じように見えるはず。

建築物に対してはそんな風に感じることが多いのだけど、実際には

東京都庭園美術館「建築の記憶」では

 建てられた地から動かすことのできない建築は、実際にそこを訪れない限り見ることはできません。また様々な理由により形を変えられてしまったり、時代の変化とともに失われてしまうこともあります。したがってわたしたちの建築体験の多くは写真によるものなのです。建築家の意図を的確に反映し、表現してくれる写真により、建築は多くの人々に共有され、歴史の中で普遍化されていきます。そして写真は、時として建築家自身も気づかなかった建築の新たな魅力を引き出してくれることもあります。

なのだそうだ。

建築物を見る、写真を見る、どっちかが主体ではなくその時代その時代に合わせた人の目をとらえていると言うことになるのかな。

どちらもCosにはよくわかっていない分野かもしれない。

「面白いのだろうか?」と疑問に思いながら会場に入ってショックを受けたのは明治初期に撮影された熊本城の写真。

お城の写真と言うと時代の違いはあっても立派な存在感のあるしっかりと立てられている感じのする写真しか見たことがなかったのだが、この熊本城は(記憶違いでなければ最初に撮られたお城の写真だと思うけれど)よく見ると荒れている。

かわらが外れていたり、窓がちゃんとなってなかったり・・・

きれいなもの、立派なもの(人)を撮っておこうというのがほとんどの中で、こんなお城の写真をとっていることがびっくりした。

これをとった人は何を考えてとったのだろう。
「立派なお城をとった」のだろうか。
それとも熊本城に思い入れがあったのだろうか。

たぶん、展示されていたのは最古の写真スタジオ冨重写真所ここに小さく出ている写真が展示されていたのではないかと思うけれど・・・

確かに立派に整備されたお城ではないけれど、その写真を見ているだけで逆にいろいろなことを考えさせられる。

そう思いながら他の写真を見ていると、今はきれいに整備されているところがかつてはどんな風に見えていたのかということも気になってくる。
知らない建築物はもちろんだけれど、知っている建築物を見るときにも自分の見たものとの違いを考えたり、親近感を覚えたり。

最後に見た鈴木理策の撮った「青森県立美術館」の写真。
厚く積もった雪の中の真っ白な建物の印象は強烈。
建築について | 青森県立美術館.

青森県立美術館は、隣の「三内丸山縄文遺跡」の発掘現場から着想を得て、設計されました。

なのだそうだ。

いつか必ず行きたいと思い続けている「三内丸山遺跡」、そのときには合わせてここも行ってみよう。

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2008.03.30

色の深さと多彩さと・・・東山魁夷

ちょっと間隔があいてしまったけれど、東山魁夷展の続き

小学生だったころの写生の時間に図工の先生が「緑といってもいろいろな緑がある」と言う話をしたのに感銘を受けて、絵の具をいろいろと混ぜ合わせて画用紙一面にいろんな緑を載せていったことがある。

先生は「なんだ?これは!」と怒ったのだが、Cosは写生そっちのけで緑にはどんな緑があるんだろうと実験してみたのだった・・・∥^O^∥

そんなCosにとっては東山魁夷の色は色の競演と言う感じがしてとても楽しい。

Ph_11

ここに見えている緑は見えているだけの色ではなく、実際にはあまりに微妙で写真にはでてこない色がたくさん隠れている。

そのいろいろな緑が幻想的な絵の深みを出しているのかもしれない。

が、それよりも感動したのはこれ。
Img_7747

こうやって見るとまるで黒で塗りつぶされたように見える背景、実際に見るとそこには黒で木々が描かれているのだ。
その微妙な黒はチラッと見ただけでは気がつかない。
気がつかないのだけれど、その見えない部分が写真とは違う絵のよさを作り出しているのかもしれない。

真っ暗な中に木々がある。
その木々は暗闇でしかないように思えるけれど、実際には暗闇ではなく、木々の作り出す闇・・・と言う感じだろうか。

繊細な色使い・・・「詩と旋律」・・・確かに。

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2008.03.29

本来あるべきところで・・・東山魁夷

2008年3月29日から5月18日まで東京の国立近代美術館で行われている東山魁夷展。
この中で近代美術館がすごいと思ったのが、唐招提寺障壁画。
もともとふすまに書かれた絵だから展示するときにはそのふすまの部分を持ってきて展示する。

しかし、この絵は唐招提寺の置かれた部屋にあわせて描かれた絵なので本来持っている雰囲気とはかなり違ったのっぺりとしたもになりかねない。
Ph_09

以前、東京藝術大学で見た「金毘羅宮書院の美」もそのための工夫が随所になされていたけれど、その後四国の金刀比羅宮の本来の場所で見たものとはまるっきり違っていた。

そのときの印象は もういちど 書院の美.

応挙のトラのえも芸大で見たときと違ってホームグラウンドに帰ってきたかのような落ち着きとやさしさがって 「これが同じ絵なのか」と思うほど。

ちょうど芸大で展示にかかわった方がいらしていて、
「アクリルガラスで息が詰まっているかのように見えて、ガラスをはずしたとたんにトラがほっとしたように思えた」とのこと。

場所にあわせて作られたものはその場所においてみるのが一番だと言う言葉の通り、一つ一つの襖絵が本来の場所では描いた人の思い通りの効果を生み出している。

どうしてもどこかから持ってきて展示をするとなるとその雰囲気はすっかり変わってしまう。

襖絵は本来どっしりと落ち着いた広い畳の部屋に置かれて座った位置から見るものと思うのだが、なかなか美術館でその雰囲気を出すのは難しい。

Img_7797_3

今回の「東山魁夷展」ではその雰囲気を作り出すのに成功していたように思う。
といっても唐招提寺へ行ってみてきたわけではないから、本当に成功しているのかどうかはわからないけれど、帰りがけにスタッフの方に伺ったら「唐招提寺でよりずっといい展示になっていると思っています」おっしゃっていたほどだからスタッフの方たちも満足できるような展示だったのだろう。

この襖絵は2回に展示してあるのだが、階段を登って展示室に入るとまず気がつくのはそこの新しい畳のにおい。
このにおいであっという間に気持ちが「和室」になってしまう。

ひざぐらいの高さに畳があってその向こう側に絵があるのだが、さすがにたたみに座って鑑賞することは出来ないけれど、まるでお寺で絵を拝見しているような雰囲気がある。
ガラスもないから絵が生き生きとしている。

ひざぐらいの高さのところに台があってその上に畳がひかれその向こう側に「濤声」の一部が展示されている。
圧倒的な畳のにおいと絵に合わせて古びたイメージをかもし出している柱、
これはどれも近代美術館側で作ったのだという。

静かに、襖絵と対峙していろいろな思いをめぐらせることの出来た至福の時間。

写真を見てもわかるとおり、ここで静かに座って待っていれば、向こうから誰かがすっとふすまを開けてどなたかが出てきそうな雰囲気さえある。

その瞬間、それまで調和していた絵が二つに分かれて、そこから新しい時間が始まる・・・

そうした時間を想像することが不可能ではない展示になっていた。

Img_7792
これはその裏側に展示されていた「揚州薫風」

こっちでは全部に畳がひかれているのではなく一部が板の間になっていた。
本来そうなのか、それとも全部にはひかなかっただけなのかはわからないけれど、(ちょっとピンボケではあるけれど)会場の雰囲気は伝わるのではないだろうか。

手前の柵のところに立つと見えるのは畳と壁と柱と襖絵。
普通に見ているだけなら、柱ごと持ってきたのかと思えるほど。
おそらく寺にいてみるのと遜色ないものが見えているのではないだろうか。

今回、プレビューに参加させてもらって一番ありがたかったのはこうした写真・・・美術展の雰囲気を直接伝えることの出来る写真を取らせてもらえたことかもしれない。

Cosなどは文章が決してうまいわけではないからどれほど言葉を尽くしてもその場の雰囲気を伝えることは難しい。

でも、こうやってあれこれ書いて一番書きたいのは、写真では伝わってこない実際の雰囲気、場所の雰囲気のよさだったりする。

Cosは写真もへたくそだからこの写真で絵を見ないで欲しいけれど、その展示の雰囲気の一端が伝わればとてもうれしい。

そうしてこういう機会を作ってくださった方々に感謝m∥_ _∥m

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2008.03.28

あこがれとせつなさと・・・東山魁夷

今日という日だったから余計そう感じたのかもしれない・・・
抽選で当たったので夕方からのプレビューで見学してきた「東山魁夷展

彼の緑や青の色使いがちょっと不思議な奥行きのあるような色に見えたし、以前から好きだったので大喜びで行ってみたのだが、さすがに100名限定のプレビューだけあって人も少なく1時間半と言う制限はあったもののじっくりと見てくることが出来た。

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きっと明日のオープンからは混んでいるだろうなぁ・・・

以前はそんなに好きだと思わなかったのだけど、今回ぐっと来たのがこの白い馬のいる風景。
Ph_11

東山魁夷自身はこの馬を

東山にとって「心の願い、祈り」であるという白馬は、

と心の願い、祈りと表現しているけれど、確かに願いであり祈りであるけれど、Cosにとっては今にも手が届きそうなのに、決して手が届かないあこがれとせつなさ、かなわぬ望みを体現しているように、今日は見えた。

幻想的な風景の中に馬がいることによっていろいろな感情が呼び覚まされるような気さえした。

彼の描く色はこうやって写真にしてしまうとその深さ、奥行きが見えてこないけれど、実際の絵の中ではどの青も単純な青でなく、どの緑も単純な緑ではない。
それがまた、近くて遠い幻想的な世界を現してせつなさをいっそう深めているような気がする。

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2008.03.27

レアンドロのプール

金沢21世紀美術館のレアンドロのプール。

こんな風に水面を見ていると大洋のきらめきと人の影で本当に水中にいるような気がしてくる。


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2008.03.25

真夜中の太陽

横浜美術館に行ったら当然「イサム・ノグチ」・・・

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こんなにシンプルな形なのにCosをとらえて離さない「真夜中の太陽」
誰にでも作れそうな形なのにどうしてそんなにいいんだろう?

ここには何点かイサムの作品が展示されている。
真夜中の太陽ほどインパクトのある作品は他にないけれど、いかにも彼らしい作品が並ぶ。
他のところでも彼に会えるとうれしいけれど、横浜美術館に行く目的の一つがいつもこれ。

今回のコレクション展「見ることの楽しみ--見れば、見るほど--」にはエッシャーやエルンスト、好きな作家が何人も出ていて\∥^O^∥/
のんびりゆっくり見ていたら・・・あっという間に時間がすぎて他のところにはどこにもいけずに大急ぎで帰宅・・・
_| ̄|●

せっかく桜木町まで行ったのになぁ・・・

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ゴス展

「ゴス」といっても今流行のファッションとしてだけの「ゴス」ではなく、もともとはゴシック様式などのゴシックから生まれてきた言葉。
どちらかと言うとイメージとしてはいわゆるゴシック小説の持っているおどろおどろしたものを表現していると言う感じかな。
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2008年3月26日まで横浜美術館で。

日本で「ゴス展」と言うだけあってゴスロリのかかわる展示もあったし、それはそれで面白かったけれど、なんといってもCosの一番の目的は束芋

この人の作品は巨大なスクリーンに何台ものプロジェクタを使って大きなひとつの映像を投影すると言う形がおおい。
今回は直径5mぐらい(かな?)の円形のスクリーンを天井から下げてそのスクリーンの中に入って上を見上げるかたち。

手の指が、足の指になり、無限に変形し続ける「ギニョる」

現実を離れて自分自身がどこか別のところに行ってしまったかのように感じる、その感覚が好きだ。
本人はそう感じていないのかもしれないけれど、ちょっとカフカの世界を具象化したような気がする。
(これはゴシック小説よりもずっと後の時代の小説だけど)

後の展示についてはゴスロリに関心がないのでほとんど期待しなかったんだけど、Dr.ラクラも面白かった。
古い肖像写真に手を入れて骸骨を書き込んだり、浮世絵に書き込んだり、昆虫を使って人の顔を表現したりの不気味さはジョージマクドナルドのリリス(今流行のエヴァのリリスじゃなくて、幻想文学。
古い図書室で本と本の間に挟まっていた一冊の薄い羊皮紙の本から始まるアダムの最初の妻にかかわる話。

あるいはC.S.ルイスの「沈別世界物語」の3部作の不気味さとも共通するものがある。

イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッター」の映像。
立てられたスクリーンのほかに、床に敷き詰められた角砂糖に投影されている白い部屋の裸の赤ちゃん、ごくありふれたまだ動けない赤ちゃんが床の上にいるだけの映像なのだけれど、なんだかすごく不思議な印象があった。
立てられたスクリーンでは両側にそれぞれ異なった映像が投影されていて、それはそれで面白かったんだけど・・・

ゴスロリも(わざわざそのために横浜まで行こうとは思わないけれど)なかなか面白かった。
おそらくCosとは相容れない世界なんだろうけれど。

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2008.03.22

プールの底で

飛行機の中から見た雪山・・・

そこへ行きたいと思ったけれどそれはかなわぬ夢にしかならないのかも。
というわけで海の底に沈む代わりにプールの底から空を見てきた。

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プールの底からは何人もの人たちがこっちを見ているのがプールの水越しに見えた。
「一人でプールの底に沈む」・・・・それはそれでいいなぁ・・・・

金沢21世紀美術館・・・ずっと長い間来たかったところ。
ひょんなことから友達と一緒にくることになったのだ。


Img_7111

上から見るとこんな感じ。

このほかに「タレルの部屋」に、昼と夜の2回いってきたがとてもよかった。
写真は
「続きを読む」から。

続きを読む "プールの底で"

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2008.03.21

金沢21世紀美術館への旅(1)

いつかは行きたい美術館のひとつだった「金沢21世紀美術館」に行ってきた。

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この本を読んだときから、「必ずいつかはいこう」と思い続けてきたのだが、なかなかそのチャンスが訪れなかった。

何よりもお金がない。行くことがあるとしても、夜行のバスで行って夜行のバスで帰ってくるような行きかたでないとまず無理だと思い続けてきた。それでも交通費だけで2万円近くかかる。
なかなか実行するだけの余裕もチャンスもないままだったのだが、
「金沢21世紀美術館に行く」と言う美術の好みがとてもよく似ている友達と一緒に互いの懸案だった金沢21世紀美術館に行くことにした。
それも飛行機で一泊2日の旅・・・・費用はバスで行ってくるのとほとんど変わらないのだ。

美術館に人と行くのはなかなか難しい。
美術の分野では好みと言うよりも感性が違う人と一緒に行くと結果的に「一人で来ればよかった」と思うことになりかねない。
「どうしても見たい」と言う内容でなければ別にそれはそれでかまわないのだが、ずっとあこがれ続けてきたところではやはり満足できるような見方をしたい。
それが一緒に体験できる友達がいると言うのは本当にありがたいことだ。
特に、「旅行」となると一人で行くと割高だからありがたいと言う面もあるのかもしれないが・・・


と言うわけで「金沢へ行く」ではなく、「金沢21世紀美術館に行く」・・・・

が、そこは珍道中・・・しょっぱなから寝坊したCos_| ̄|●
目が覚めたのがリムジンバスの出発する時間・・・・
前の晩に余計な物思いにふけって寝られなくなったのが敗因・・・

リムジンバスは道路を走るので事故があったときのことを考えると早めに出ないとと考えていたのが幸いして、まだ電車に乗っていっても間に合う時間。
当然荷物の再チェックなどをせずに一目散に駅へ。

途中で「遅れます」とメールをしたら「一台飛行機を遅らせようか?」とみんなにすっかり心配させてしまった。
が間に合う時間に無事に羽田に着いて他の人たちと合流。
とりあえずおにぎりを買って朝ごはん。

飛行機の中からはCosの好きな雪をかぶった山々が見えて来た。
雪山の世界・・・これも行ってみたいところのひとつ。・・・雪山のふところに抱かれたくなって・・・金沢なんかやめて飛び降りたくなってしまった(爆)

小松空港に着くと早く行きたくてまっしぐらに「特急金沢行き」のバスに・・・・・

金沢駅で乗り換えたバスで「香林坊」まで行ってからちょっと歩くのだが、この途中で午後予約してある能楽美術館を発見して、気はせいていたけれどにちょっと寄り道。
3時半からの体験イベントの予約を確認。
そのときに「安宅コレクション」のチケットを持ってくれば入館料が無料になることも聞いてみんな大喜び・・・・
美術館で体験教室に参加すると言うのに無料で済ませようというのだ・・・う~む・・・

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が時計を見るとそろそろランチタイム・・・ロッカールームに荷物を置くと近くのレストランで昼食・・・・

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金沢21世紀美術館の旅(粟津潔)

最初は 「荒野のグラフィズム:粟津潔展」へ。多彩な粟津潔の作品は好きなものもあれば好きじゃないものもあるけれど、全体としてはシルクスクリーンになっていたりポスターだったりする作品が好きだ。

中でも線で描かれた作品群はシュタイナーのフォルメルンにも似た感じがしている。まるで絵のバウムクーヘンのように一枚一枚を剥ぎ取っていってつなげたかのような感じ。

先日のテレビにも出ていた「ピアノ炎上」
テレビで見ていたときにはそんなにいいとは思わなかったけれど実際に21世紀美術館で昭和48年のものが上映されているのを見るとまるでピアノに対するレクイエムのような感じすらした。
燃えていくピアノと音は必ずしも同期していない。
音が映像を追いかけているから崩れ落ちてしまった後も燃えるピアノのかすかな音、鍵盤をたたく音が響き渡っている。

この「ピアノ炎上」がもう一度海岸で公演された。


中日新聞:炎上ピアノ 志賀で弾く 山下洋輔さん、あす :石川(CHUNICHI Web).

 一九七三(昭和四十八)年、山下さんはグラフィックデザイナー粟津潔さんに頼まれ、粟津さん宅で消防士のヘルメットをかぶり燃えるピアノを演奏。その姿を粟津さんが16ミリカメラで収めた実験映像「ピアノ炎上」は、芸術作品として残された。

 三十五年後の今年二月十七日、山下さんは21世紀美術館の関連企画「ピアノ再炎上」で当時の映像と共演。「だれもやらなかったある芸術表現を獲得したのではないか。一体何であったのか。これはもうあらためて確かめるしかない」との思いを抱いたという。

このときの映像

何も知らずに話だけを聞いたときにはピアノがかわいそうにも思えたのだが・・・


そして、Cosがほれてしまったのは「花札想」シリーズ。
なんともいえずにセクシーでしばらくの間その前から動けなくなってしまった。
このはがきが欲しいと思ったのだが、結局売ってなかったのが残念。


やっぱりすごい人だ。

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金沢21世紀美術館の旅(安宅コレクション)

大阪から里帰りしてきていると言う安宅コレクション。
大阪へ行けばもっといい状態で見ることが出来るのがわかっていることもあって、あまり期待をしていなかったこともあるし、人があまりに多すぎたこともあるけれど、ざぁっと見ただけで終わってしまった。

せっかくやっているんだから見ていこうという気持ちと本拠地で見ればもっといいんだからという気持ちのせめぎあいだったのかも知れない。

でもやはり金沢21世紀美術館では現代美術がいいなぁ


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金沢21世紀美術館の旅(デザインギャラリー)

Cosたちが行ったときには金沢21世紀美術館のデザインギャラリーは「大巻伸嗣 Liminal Air-descend-2007」
だった

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たくさんの(数千本だそうだ)真っ白な紐の下がった空間の中で紐をかき分けて進んでいくと底ではもはや距離感も何もわからなくなってしまいそうな空間。
まっすぐ進めば、理屈ではその先に壁があるのだが、それさえ見えはしない。

距離感を失って、白い紐の世界をまるでさんご礁を泳ぐクマノミになったような気分で歩き回る。
さほど広くない空間だから、迷子になる心配はないのだが、自分の位置を見失ってしまってとても不安。

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金沢21世紀美術館の旅(タレルの部屋)

金沢21世紀美術館のスイミングプールは前にアップしているので、今回は「タレルの部屋」

このタレルの部屋と同じようなものは夏に行った香川の地中美術館にもあったけれど、こっちの方が部屋も広く天井も高くゆったりとした感じ。

Img_7185

四方の壁はベンチになっていてそこから空を見上げるようになっている。
ここは床暖房ならぬベンチ暖房になっていて、くりぬいてある天井から外気が入ってきて寒くても、おしりと背中は温かいように出来ているのだ。

ぼんやりと座って天井を眺めていると空では雲が同じように漂うように流れていく。
切り取られた空なんだけど、逆に切り取られることで、すぐそこにあるかのような気がしてくる。

何人かの人がいたけれど、声を出して話をするでもなく、みんなが空を見上げていた。
満ち足りた平和な空間。

金沢21世紀美術館は有料ゾーンは18:00までだけど無料ゾーンは22:00まで開いている。

「ナイト・ミュージアム」を楽しむことが出来るのだ。

無料ゾーンとはいえ、タレルの部屋が空いているかどうかは疑問だったし、そんなに星も出ていない夜だったので、空を見上げてもあまり面白くはなさそうに見えたけれど、どんな風に見えるのかちょっとのぞいてみることにした。

確かに星はほとんど見えなかったけれど、切り取られた夜空には明るく輝く月。

写真にしてしまうと小さな明かりにしか見えないけれど、実際にはもっと大きく感じたし、もっと身近に見えた。

Img_7240

真っ暗な空の中で輝く月。
いつもは手の届かない月がこのときばかりは手を伸ばせば届きそうなほどの近さだった。
本当に手が届いたらどんなにいいだろう・・・・

ここにいたのはCosたちだけ。
静かに歌っている友達の声だけが聞こえていた。

至福のひと時に感謝。


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金沢21世紀美術館の旅(隣の能楽美術館)

金沢21世紀美術館の隣にある小さな能楽美術館

ここに21世紀美術館を見ている途中で抜け出して見学し、その後また21世紀美術館に戻って18:00まで展示を楽しんだので、21世紀美術館の旅のひとつとして記事にしておこう。

なぜ中抜けで能楽美術館に行ったか・・・

第一、誰がどう考えたって「能楽」なんてCosとは無縁世界。
今までに一度しか見たことがなくて、当然のように面白いとは思わなかったんだから・・・・

が、金沢へ行ったらどこへ行こうなんていう話をしながらあっちこっち検索していたらこの能楽美術館を見つけた。


ここ数年、
「知らないもの、好きじゃないものであっても、ついでがあれば『よい』とされているものは積極的に見よう」
と思いながらあちこちを見ているので、もともと関心のない「能楽」も関心がないからこそ見ておきたいかもしれないと思ったのだ。

で、もう少し調べて見つけたのがこれ。

金沢能楽美術館「能楽体験」   3月のご案内

能装束や能面、能楽の楽器などの体験ができます。

3月は2回しかやらないのに、そのうちの一回がCosたちが金沢へ行くその日。
一緒に行く友達に「こんなのがあるけどどう?」
と聞いてみたらいつの間にか友達がしっかり予約しておいてくれたのだ。

予約の取れた時間が3時半。それから30分ぐらいの予定で能装束を着たり楽器に触ってみたりすることになった。

実際に行ってみると21世紀美術館と敷地を接しているところにあったので、中抜けをして能体験をしてきたのだ。

Img_7184

時間になってCosたちが行くと通されたのは3回の研修室(のようなところ)ここで能の練習をしたりもするそうなのだ。

着せてもらったのはここに映っている衣装ではないけれど、同じような唐織の衣装。
(この写真に写っている方がいろいろと教えてくださったし、本当に親切にしていただいた。感謝m∥_ _∥m )

能の着付けは一人では出来ず、二人がかり。
実際の能の場合にも二人がかりで着せるのだと言う。着せてもらう本人はじっとたって待っているだけ。

普段の服の上から、袖のない巨大な半襟のような形をした白い下に着る着物(の一部)をまず身につけてから唐織の着物を着る。

この唐織は文様が最初から織り込んであってちょっと帯のような感じのする生地で二人がかりで、でも一本の紐だけで着せ付ける。

服装によって役柄が決まってくるけれど、ここではこの若い女性の形のみ。

さらに着付けがすんだら、能面をつける。
この能面に対してはつける前に一礼をしてからつけるのだそうだ。
Img_7169

部屋の反対側には4つの柱のある舞台を模してあって、そこで歩いてみたりもした。
どんな風に歩くのか、
能面にあいた小さな穴からどんな風に見て、どうやって行動するのかなんていう話も楽しく聞かせていただいた。

能装束は重く、視界が狭いので舞台も広く見えるのだという。


そして最後に小鼓、大鼓、大太鼓を実際にたたいてみた。

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小鼓は締めてある紐を緩めたり引き絞ったりすることで音色が変わるし、
実際の大鼓は使う前に火であぶってから使い、一つの大鼓は2回ないし3回買い使うともはや使い物にならなくなるとか・・・だから小鼓よりもずっと甲高い音になる・・・不思議だ・・・

大太鼓は普通の打ち方のほかに返しを使って打つやり方(名前忘れた)があってなかなかたたくのは難しいとか・・・

いろいろな話をたくさん伺って「ありがとうございました」とお礼を言って時計を見たら・・・・・なんと1時間以上・・・
次の方がいらっしゃらなかったのでよかったけれど・・・・・本当にありがとうございました。

体験が終わったあとはゆっくりと館内を見学。

ちょうど「加賀宝生の名品選3」をやっていて、いろいろな能装束を見ることが出来た。
今、実際に見てきた唐織、刺繍・・・
いかに着たときにきれいに見せるのか・・・・いろいろな植物がすそに飾られているものもあったりしておもしろかった。
実際に着てみるとまた違った見方が出来て面白い。

さらに、一番大きな収穫は能の舞台のビデオを見ているとき・・・
どうやって歩いているのか、楽器はどうやって弾いているのか、
生の能舞台を見たくなってきてしまった。


この能体験は出来るスタッフが限られているので、なかなか回数を増やすことが出来ない上に、いつやるのかを決めることが出来るのも一ヶ月ぐらい前になるから、宣伝が行き届いていないのだそうだ。

金沢に行くことがあって、うまく時間が合えばお勧めの体験!

ゆっくりと能楽美術館を見た後でもう一度21世紀美術館に戻って見学!!

食事を済ませてさらに夜の21世紀美術館を見学!

この日は21世紀美術館とその周辺で一日を過ごしてとても楽しかった。

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金沢21世紀美術館の旅(夜の美術館)

東京でも金曜日の夜は8時までオープンしているところが多いので、夜の美術館を知らないわけではないのだが、ほとんどの美術館は中に入ってしまうと昼であろうと夜であろうと雰囲気は変わらない。

建物の中にいるのが夜と言うだけで人も結構いるし絵を見たりしているときには夜を意識したことはない。

金沢21世紀美術館の無料ゾーンは22:00、つまり夜の10時までオープンしている。Img_7225

9時過ぎのこの誰もいない美術館がまだ開いているのだ。中は明るいけれど、人もいないし夜の雰囲気が漂っている。

無料ゾーンだけと言うことで、実際には見るべきものはほとんどないのだが、一面の窓が全部夜だから、普段見ている美術館と違って静寂が支配しているかのよう。

特に何かが展示してあるわけではなかったので、ぐるっと一周散歩をして帰るつもりだったのに、「タレルの部屋」があいているのを見つけてすっかりとはまり込んでしまったことは前の記事に書いた。

ここはどこに行っても廊下にいる限りどこかしら外とつながっているからいやおうなしに外の暗さを意識する。

これで見学の人がたくさんいればまた違うイメージになるんだろうけれど、ほとんど人もいないし外の暗さと中の明るさが対照的で、どこかしら昼間よりも美術館と人との距離が遠いような、それでいて美術館が意思を持っているかのような不思議な感じがした。

Img_7252_2

昼間はこのゆり椅子もほとんど満席だったのにさすがにこの時間には誰もいない。
この椅子に座って、今の調和を乱すことが出来なかった。

夜の美術館・・・・それは不思議な時間の始まりのようにも見えてきた。


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2008.03.01

いまめまい

上から読んでも下から読んでも同じ文章になる回文がタイトルになっている国立近代美術館の「わたしいまめまいしたわ---現代美術における自己と他者

それぞれにそれぞれの表現で「私」との対話をしたかのような作品が並ぶ。

圧倒的な「私」は澤田知子の「ID400」証明写真のような4枚一組になった写真がずらっと並ぶ。その一組一組は澤田のそれぞれに異なった自分の写真。
「これでもか、これでもか」と言わんばかりにさまざまな澤田が4枚一組になって並べられている。

最初のうちこそ「いったいこれは何なんだ?」としか思わなかったのだが、見ているうちに「圧倒的な澤田」に飲み込まれていくような気さえしてくる。

そして無限にも思える草間彌生の「天上よりの啓示」。同じような模様の繰り返しのようにも見えるけれど、その無限さ(こんな表現はないだろうなぁ)が逆に安心感を与えるようにも思える。

さらには自己の存在を問いかけてくるような舟越桂の「森に浮くスフィンクス」。
先日西村画廊で見たものは口にばったをくわえていて、その狂気が畏怖の念さえ起こさせたのだが、ばったを加えていないこの作品からはこちらに問いかけている何かを見ることが出来る。

自分を見つめ問いかけた後は他者のまなざし。
牛腸茂雄の「SELF AND OTHERS」。このほとんどの写真がこちらを凝視している。
そこにはほのかな警戒も映し出されていて、写真を眺めている側にも微妙な動揺を与える。

たしかに、「いまめまい」だなぁ・・・

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2008.02.22

府中千年

武蔵国府が府中の地におかれたのが7世紀末。それから1000年・・・・
(ん?計算が合わないが・・・)
Img_6971

府中千年 こころのかたち
府中市美術館 2008年3月2日まで

全体を7つのセクション「月火水木金土日に分けてそれぞれのコーナーに府中にかかわる作品を集めて展示されている。

府中の歴史を何よりも感じさせるのが一番最初の「月」のコーナーにある大国魂神社の暗闇祭りに関連した作品だろうか。
一説によると111年に出来たという大国魂神社の歴史は国府として府中よりも古いことになる(実際のところはわからないが・・・)。

そして、「木」のコーナーでは会場にいくつもの背の低い柱を木立のように立ててその前面と背面に水木真一のケヤキのスケッチを展示したコーナーは府中のケヤキ並木をイメージしたものだろう。

コーナーの分け方は面白かったし、水のコーナーでは魚を捕まえるわなが天井から下がっていたり、釣竿作りの名人の釣竿が展示してあったり・・・(ここだけガードマンがいたのはどうしてだろう?)

それぞれのタイトルがイメージできて展示の仕方は面白かった。

ただ・・・逆にそれぞれのコーナーに古いものから新しいものまでもが一緒にあるので、そこから1000年という時間を感じるのは難しかった。

また、「府中」とのかかわりが今ひとつ見えてこなかったりしたのが残念。

が、大竹敦人の写真(?)には衝撃を受けた。

続きを読む "府中千年"

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2008.02.17

浮世絵の夜景

太田記念美術館で2008年2月26日まで。

浮世絵はよく知らなくて、今まで「昼」と「夜」を意識したことがなかったのだけれど、今回初めて建物の中の明かりで照らされて、背中がシルエットになっているような浮世絵を見て初めてふつうなら浮世絵は夜も明るく描くと言うことに気がついた。

きっと昔の人たちにとっては自然に夜か昼かわかったのだろうけれど、Cosには一つ一つ判断しないとよくわからない。

夜は今よりももっと暗かったはずなのに、今よりももっと夜が近かったのかなぁ・・・

太田記念美術館は大きな美術館ではないけれど、一枚一枚をじっくり楽しむことが出来る落ち着いた空間。
普段のばたばたした生活とは違ってどこか優雅な雰囲気も漂っている。
靴を脱ぎ荷物を預けて浮世絵を楽しむ時間。

浮世絵のよしあしはCosにはよくわからないけれど、この時間はとても貴重だ。

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2008.02.14

王朝の恋

王朝の恋といってもCosが高貴な人と恋に落ちたわけではなく、高貴な方との恋物語を描いた物語の絵を見てきたのだ。

(高貴な人であろうとなかろうとCosと恋に落ちてくれるような人はいないかも・・・_| ̄|● )

出光美術館で2008年2月17日まで
王朝の恋 描かれた伊勢物語

伊勢物語に書かれたいろいろな情景を絵にした色紙や襖絵・・・嵯峨本・・・

切ない想い、恋焦がれる想い、屈折した想いがそれぞれの絵の中に描き出されている。
即物的な今から見るとずいぶん奥ゆかしいように見える絵であっても、書かれている文章は激しい思いを静かな言葉に託しているかのようにも見える。

もう少し文章がしっかり理解できたらまた感じ方も違っただろうに。

残念だったのは会期末が近かったせいか出光美術館にしてはとても混んでいたことかもしれない。一つ一つの絵をじっくり見ることも文章を味わうことも出来ず、二列目からのぞき見るのが精一杯だった。
(まぁ、その後の予定もあったので時間をかけずに見ることが出来たのはよかったのかもしれないけど)

伊勢物語・・・学校で少しは習ったのかなぁ?

いずれにしても恋物語は今のCosにはちょっと苦手だが、いつかどこかでじっくり読んでみたい。

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2008.02.12

盗まれる絵画

有名な絵画を盗んでどうするのかと言えばどこかに売る・・・買った人間はそれを持っていることで満足するのだろうなぁ・・・

盗まれたものとあっては人に見せるわけにも行かないし、自分ひとりで楽しむのか、表には出てこない場所で売買されていくだけなのか・・・

175億円相当の絵画盗まれる=セザンヌ、ゴッホなど4点-スイス.

 盗まれたのはセザンヌの「赤いベストを着た少年」とゴッホ、モネ、ドガの計4作品。

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2008.02.09

工芸の力

人形ってどうしてこんなに怖いんだろう・・・
等身大の人形の真正面に立って目をあわそうとしても、どこかあっちのほうを見ている。
テラコッタで出来ているはずの人形なのに、まるで意思を持ってCosから目をそらそうとしている・・・
まるでつれない恋人のように。
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国立近代美術館工芸館「http://www.momat.go.jp/CG/30th_II/index.html」2008年2月17日まで。

北川宏人がテラコッタで作った人形は粘土の跡も生々しいのに、人間の存在を超越しようとしているかのようにも見える。
人形と意思を通じたくてずいぶんと長い間彼らの間に建っていた。

そしてこの看板にもある高見澤英子のFlower Shell。
会場ではこっちの写真にあるように花を下にしておいてあったのだけれど、そのバランスがなんともいえずとてもよかった。
ガラスでどうやって作るんだろうという不思議さもあったけれど、それ以上に不思議さが楽しかった。


Img_6944
この工芸館の建物もCosの好きな建物のひとつ。
どういう使われ方をしていたのかを考えるとあまり好きじゃないけど。

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2008.02.05

文化を守る

財力に物を言わせていろいろなものを集めた徳川家と(財力がまるでなかったとは思わないけれど徳川家とは比較にならないほど豊かではなかったけれど)歴史を守り続けてきた近衛家。

どちらがいいとか悪いとかではなくて、文化を守っていくためには目に見えない部分でお金を使い、それを維持していくのにはまたお金が必要だ。

国立○○美術館や博物館というところでは最近のミュージアムショップにタイアップ商品が並ぶことが多くなった。展示にかかわるものではなく、展示を記念しての商品が増えてきた印象がある。

レストランに入ればタイアップメニュー・・・

最後には「ここでなければ買えない」と会場内で宣伝があったりしてずいぶんと金儲けに熱心だなぁという印象がある。


「図書館以外は不要」橋下氏、大阪府施設の廃止・売却検討 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 行財政改革の一環で、大相撲春場所の会場である府立体育会館(大阪市浪速区)や、女性総合センター(ドーンセンター、同市中央区)、上方演芸資料館(ワッハ上方、同市中央区)などの施設については廃止・売却の検討を行うよう指示した。知事就任後、庁内に発足するプロジェクトチームで検討を進め、6月に結論を出すという。

 ほかに廃止・売却の対象となるのは、大型児童館ビッグバン(堺市)など。この日の協議で、橋下氏は「図書館以外、基本的にはすべて必要ない」との持論を説明。終了後、報道陣に「就任後、すべて視察しながら、選別にかけていく」と述べた。

真っ先に一番簡単に切り詰められるのが文化にかけられるお金。

企業が切り詰めるのは仕方がないとしても、自分たちの文化を守るために、育てるために必要ではないかもしれないけれど、今いる人たちのために、将来のためにお金をかけるべきところには行政が率先してお金をかけるべきではないのだろうか。

近衛家が守ってきた「宮廷のみやび」の展示の中には内容としてはたいした内容のないと思われる書がたくさんあった。

その当時には決して貴重だったものではないと思えるのだけれど、それが今になってみればどれほど貴重なものになっていることか・・・

そうした草の根の文化、あるいは人々の暮らしの中の文化を守っていくのが行政の勤めではないだろうか。

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奥谷博展

本当は束芋も出ている横浜美術館の「GOTH展」を見に行きたかったんだけど、横浜に着いたらもう5時。
いくら6時までやっているとはいえ、横浜駅から電車に乗って桜木町へ行き、そこから10分歩いたら見る時間はほとんどなくなる。

束芋の作品はチラッと見るだけではなくてじっくり見てこないといけないからどう見ても時間的に無理。

かといって横浜に出てきたのは6時半に人と会う(飲むともいう)ためなので、それまでぶらぶらしようかと思ってそごうに向かってみると「奥谷博展」のポスター。しかもそこには「描くことは生きること」とあって「霧り渡る」(絵の名前は後から知ったのだが)の真っ赤な鳥居から覗いた厳島神社の絵。

この絵にひかれてついふらふらとそごう美術館に入ってしまった。

ヨドバシカメラかそごう美術館かと言ういい加減な選択で入ってしまったのであまり期待していなかったのだが、どうしてどうして、予想に反していい絵がいくつもあった。

現代の洋画壇を代表する画家の一人である奥谷博(1934-)。高知県宿毛市に生まれた奥谷は東京藝術大学で林武に師事し、抽象画全盛であった風潮に反し、一貫して具象画を描きつづけてきました。フレスコ画の技法で模写した経験を通じ、初期の厚塗りから薄塗りの技法へと転換して以来、鮮明な色遣いによる作品は多くの人を魅了してやみません。

とは文章にあるけれど、決して具象の範囲にとどまらず、自由な連想と思いがそこには描かれていた。

一見すると具象なのだがよく見ると必ずしもそうではない、あるいはどこか誇張されている絵が多かったように思える。

最初にこれだと思ったのは足摺遠雷。波の強さと祈るかのような女性(?)と笹のは。
どう考えてもこんな風に波が近くにあるのはおかしいのだけれど、その強さがすごく自然だったりもする。
祈るような人物の肌の色は(彼の作品の特徴でもあるんだろうけれど)かなり不気味で憂いを秘めているというか、悲しみを抱えているかのような感じ。

そしてインパクトが一番強かったのは観空。
鳥居の赤い柱のうちの一本が画面の半分を占めるという大胆な構図で、緑がかった皮膚をした人物とリアルな遠吠えをしているような犬、鳥居の向こう側ではたこが揚がっているらしい。

鳥が向こうのほうの空を舞い、お日様が小さく小さくなって地平線のほうにかかっている問い上なのだろうか?

真っ赤な鳥居の太い柱には何箇所かさびが浮き上がっているかのように絵の具が盛られている。この柱のイメージは写真では絶対に伝わらないだろう。

なんとしてでも見に行きたいと言うほどではないけれど、とても面白い絵だった。
つまらない展覧会だとあっという間に見終わってしまうのに予想外に時間がかかって、美術館を出たときには待ち合わせの時間までにはあまり余裕がなくなっていた。


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2008.01.30

暗く静かなとき

ちょっと風邪っぽいからかもしれないけれどこのところ精神的な気力が減退している。
やる気があるとかないとかではなく精神的に沈み込んでいる感じかな。

仕事上でも人間関係に問題が起こったりプライベートでもストレスがあったりしているから仕方ないのかもしれないけれど、こんなときには誰もいない静かなところにいきたくなる。

本当は人のいない自然の中に埋もれたいんだけど、なかなかその余裕はないのが残念。

というわけで、上野の国立博物館にある法隆寺宝物殿。

普段、ここはほとんど人がいない。

先日Cosが行ったときにも係りの人も一階にはいたけれど、二階は椅子だけがおいてあって丸っきりの無人だった。

特別展の人と人の間から展示を覗き込まなくてはならないのとは大違いだ。

照明をかなり落として薄暗いと言うよりは「暗い中」といえるほどの暗さの中に、規則正しく並んでガラスケースの中に一体ずつずつ納まった仏像が縦横に並んでいる。
他の人がいないから暗い中で仏像に囲まれてしまったようなイメージがあって、信仰心のある人にとっては荘厳な雰囲気なのかもしれない。

信仰心のないCosにとってもどこか厳かさも感じる静かな空間。
もしかしたら、そこから何かが出てきたとしても不思議はないような感じ。ちょっと不気味でさえある。

ガラスケースがなければもっといいんだけど、仏像の価値を考えるとそれはさすがにむりだろうな。

ベンチは部屋の壁際にしかないので一体一体のんびりゆっくり見ながら部屋の中を回るひと時は人のいない静かなお寺(?)で仏像に対峙しているのと少し似ているのかもしれない。

しばらく時を過ごすうちにCosも静かな気持ちになってきた。だれもいない静かな仏像の中で自分の存在がその静けさを乱しているようでいやだったけれど・・・

が、いったん外に出るとそこは上野の喧騒。
いつものようにやらなければならないことがいっぱい押し寄せてきた・・・_| ̄|●

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2008.01.27

かはくのアロサウルス

子どものころからずっと本館がリニューアル工事に入るまで一階の正面玄関のところには恐竜がいた。

国立科学博物館に行くとまず、恐竜に挨拶をしてから他のところに回ったものだった。

そのアロサウルスが期間限定(2008年2月3日まで)ではあるけれど、上野に帰ってきた。

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子どものころには天井まで届きそうなほど大きく直立した恐竜だったけれど、今は前傾姿勢で動いていたと考えられるようになって、骨格の表示もそれにあわせて少し高さが低くなっているようだ。

今はすっかり館内も明るくなって、子どものころの感じていたどことなく薄暗い秘めやかな雰囲気はなくなっているけれど、それでもやはり、かつての地球を支配していたひとつの歴史がそこにあると言う神秘的な雰囲気が漂っていた。

説明を見ると1064年から展示されていたと言うことなので、少なくとも当時は恐竜の化石そのものが展示されていたのだろうから、化石つまり、石の重さを考えると大変なものがあったんだろうと思う。

今回の展示も実物の化石なんだろうか?

正直なところ、今は本物なのかかたどりをしてプラスチックで作ったレプリカなのかは見ただけでは判断できないのだから、展示のためだけであればレプリカで十分だと思うのがどうなんだろう。

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子どものころから同じようにかはくに行き続けている友達も言うように、正面玄関を入った途端に、あのかはくの高い天井に向かって首を伸ばしている恐竜と長い長いロープの先にぶら下がっていて、一日中のんびりとゆれているフーコー振り子は、子どものころから変わらずにあるかはくのお約束と言う感じがしてならない。

今は恐竜は地球館の地下にずっといい形で展示されて入るけれど、やっぱり「かはくの顔」であり続けてほしいなぁ

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2008.01.24

宮廷のみやび

子どものころ、新しく読む本がないと(家にある本は何回となく読んでしまっていたので)電話帳までも読んでいたCosだからかもしれないけれど、読めないのがとても悲しかった「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝

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Cosにはまだ書の美しさはわからない上に、「まず読みたい」と思ってしまうので、頭が「読めないこと」にしか向かないのだ。

こういうところで学のなさが出てしまうと言うところなのだろうが、会場に来ている人たちの誰もがこれだけのものを読めるのかどうかはちょっと疑問かも。

と言う負け惜しみはさておいて、前回の徳川展に比べるとずっと地味な今回の展示。
徳川が財に物を言わせた贅を見せびらかすのなら、近衛家はその学を見せ付けたと言う感じだろうか。
長い歴史の中で文化を継承し続けたと言うことなのだろう。

展示されているものの中には他の人にあてた手紙や納品書みたいなものまであって、「ここまでやるのかなぁ」と言うのが正直なところ。
それだけ過去を大切にしたということになるのだろうけれど・・・

字の読めないCosは結局、表装に使われているいろいろな裂やたくさんの芥子人形を楽しんできた。

もう少し字が読めると言いのだが・・・う~む

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2008.01.22

二つの人生

その前に見たのが、見れば見るほどさびしさが浮き彫りになるようなものだったと言うことも関係しているのかもしれないけれど、土方久功のたくさんのレリーフや彫刻や絵を見た途端に、「パラオでは時の流れ方も違っているんだなぁ」とほっとした世田谷美術館の「パラオ-ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」
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1941年にパラオでであったこの二人の人生は戦争の前のひと時を時間の流れ方さえ違うこの場所で一緒に過ごした。
おそらく内地ではもっとシビアな状況だったのだろうけれど、土方の描いたものにはそのシビアさは感じられない。

実際にはのほほんとした時ばかりでなかったはずだけど、暖かな空気が流れている。
ほっとするひと時をすごしてきた。

会場にはムットーニの「山月記」が展示してあったのだけれど、動かすのは1時間に一回と言うことで、ちょうど行ったときに終わったところだったために結局見損ねてしまったのが残念。

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2008.01.16

六本木クロッシング

友達に「いいよ」と言われて込んでいるのを覚悟で行った六本木の森美術館「六本木クロッシング


(当然)好きでない作品もあったけれど、本当にいい作品が所狭しと並んでいた。

ゴミ箱から拾ってきたたくさんの金属を旋盤で磨き上げて作られた鋼鉄都市は榊忠のRPM-1200。
上からそして真ん中に入って周囲を見渡すことの出来る鋼鉄都市は照明によって昼になったり夜になったりする。

それを見ていると無機的なだが、どこか暖かさを感じる近未来の鋼鉄都市が浮かび上がってくるかのようだった。

「カトリーヌ」と言う女性のハリケーンを捕まえて閉じ込めて風船とお札を空中に舞わせた宇川直弘の「ハリケーン」
激しい風の向こうは(本当の)窓になっていて、風の向こうに平和な六本木が見えている。
自然の力のとりこになっているCosとしてはそこから逃れることがなかなか出来なかった。

そして四谷シモン。かわいいようにも見えてどこか不気味な人形たち。彼らの持つ不気味さがたまらなく好きだ。

見て想像したものと実際とがあまりに違っている中西信弘の34mmネガを24枚重ねて立体的に見せている作品はすべてが同じネガに焼かれていて実際の大きさがまるっきりわからないので、その映像(?)の持つ不思議さがとても面白かった。

この作品に刺激(と言うほどえらそうなものは作ってないけど)されてむげんを作らずにいられなかったのだ。
作りたいものとしてはこの中西信弘のような平面を重ねて立体に見せる、見る位置を変えるとその一枚一枚の平面のずれが見えてくるといったものかな。

田中偉一郎の「はと命名」が面白いという友達は多いのだけれど、Cosはこれはどこかで以前見ている。それもこんな小さな画面ではなくプロジェクタで投影された大きな画面で見た記憶があって、それに比べると今ひとつかな。
それにしてもこれはどこで見たんだろう?

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2008.01.14

岡本太郎美術館

かつて、「向ヶ丘遊園」といえば、子どものころから何回となく行った遊園地だった。
そんなに大騒ぎをするような乗り物はないけれど、バラ園があったりのんびりとした雰囲気の遊園地で、人も多くないから、ゆったりと遊ぶのにはちょうどいいところだったのだが、その「人の多くない」のが原因で結局つぶれてしまった。

今は生田緑地として川崎市の公園になっていてその一角には日本民家園があり、川崎市の青少年科学センター、そして岡本太郎美術館がある。

なぜか今まで行ってみようと言う気にはならなかった。「向ヶ丘遊園」と言うのはやはり子どものころから楽しかった場所と言うイメージが強いからかもしれない。

2008年1月14日までの「岡本太郎が見た50年」をついでに見るために何年かぶりに向ヶ丘遊園の駅で降りてかつての向ヶ丘遊園、今の生田緑地に向かった。

階段を登った一段と高くなったところに岡本太郎美術館はある。
おそらくここは観覧車のあった高台だろう。今は観覧車の代わりにシンボルタワーである「母の塔」がある。
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かつては小さい子どもだけでなく、いろいろな年齢の人が楽しめた観覧車があったところに母の塔というのはそれなりの意味があるんだろうな。
登れないけれど・・・

Cosとしてはあの有名な太陽の塔よりもこっちのほうがずっと好きだ。必ずしも子どものほうを向いているようには見えないけれど、彼の作品にしては暖かい気がする。

夕方の母の塔・・・・なんとなくふさわしい。


必ずしも岡本太郎を好きというわけではなかったのだが、今回の常設展「真空と過密 - 岡本太郎の絵画空間」展は面白かった。
彼のシルクスクリーンの作品やあまり大きくない油彩にはいいものがたくさんあった。

万博公園の太陽の塔ははじめてみたときから(今も)好きになれずにいたそのイメージが強すぎて、食わず嫌いだったのかもしれない。

つい先日東京都現代美術館で見た明日の神話同じような好きになれない部分がある。

それがどこかはわからないけれど、彼がこれだけ有名になったのはそれだけのものを作っているのだということがすとんと納得できるものがたくさんあった。

また機会があったら、のんびりゆっくりと時を過ごしたい美術館のひとつかもしれない。

「岡本太郎が見た50年前の日本」については「続きを読む」からどうぞ。


続きを読む "岡本太郎美術館"

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2008.01.06

文学の触覚

1月2日に行った東京都写真美術館の3つ目の展示。

「参加型の作品群に触れ、私たちの手のひらにこぼれる文学と映像メディアの美しさを体験」というだけあって、「しゃび」じゃなくて、「ICC」じゃないかと思うような展示がずらずらと並んでいた。
そうでない展示ももちろんあったけれど、印象に残ったのは「文学」じゃなくて、文章で遊ぶと言うところだろうか。

文章を書く・・・あるいは小説を書くということで一番面白かったのは「タイプトレース道」
ラップトップコンピュータにある日時を選ぶとラップトップに出ている文章を作家が実際に書いたときのとおりにプロジェクタで投影された前の大きなスクリーンに文字が現れ、好くリーの前においてあるキーボード・・・ちょっと見た感じはキーボードがタイプライター化しているような「かちゃかちゃ」と音を立てながら前のスクリーンの文字を自動的にタイピングしていく。

投影された文字は書くのに時間がかかった文字は大きく、実際にどうやって書いたのか、悩んだところ、修正したところが実際に作家が書いたのと同じように時間をかけて描き出されていく。

ラップトップには完成された文章がアップされているから、スクリーンの文字がこれから変わることを知っていたりするわけだ。

しばらくその画面を見ていると自分が未来を予測できるような不思議な気がしてくる。
一回読んだ本を読み直しているかのように、何が起こるかわかっている・・・
「あぁ、そこは葬書くんじゃないんだよ~~」と言いたくなるような・・・

まさに、体験型の文学・・・だろうか?

Gomi02

このポスターに出ているモルフォタワーは音に反応しているのではないかと思うけれど、すごく面白かった。

黒い磁性液体が円錐の側面を上って行ってこんなとげとげを作る。
それは液体が生きているかのようでもあり、液体ではなく、何かかたちのあるもののようでもあり、値段を考えなければ一つ欲しいと思うほどだった。

この磁性液体はこすもす: 磁性液体に書いたものと同じもので、磁性流体を使って、児玉幸子さんがメディアアートとして磁性流体アートプロジェクトをやっているものだ。
(北海道大学物理学科の出身で芸術学の博士号を持っているのだそうだ。物理やってないとこんなことできないよなぁ)

この磁性流体の使い道はいろいろありそうだけれど、とりあえず、
磁性流体・MR流体サンプル.

磁性流体・MR流体サンプル販売 サンプル内容と価格:  (A)磁性流体(イソパラフィンベース)50ml 代金:6,000円(送料込み・税別)  (B)MR流体(ポリアルファオレフィンベース)50ml 代金:6,000円(送料込み・税別)

だそうだ・・・欲しい気はするけど、使い道がないよなぁ・・・

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2008.01.03

回転回

東京都写真美術館で2008年2月20日までの「スティル|アライブ」

もっとゆっくり見に行ってもよかったんだけど、1月2日は写美が無料と言うので、さっさと見てきてしまったのがこれ。

Img_6721

ありがたいことに混んでいなかったのでじっくりと楽しんでくることが出来た。

最初に見たのは正面と横の壁面いっぱいに流れる伊瀬聖子の 「Swimming in Qualia(スイミング・イン・クオリア)」 
「映画ではない映像作品」と言う感じで時の流れと静けさを表しているような気がしてそれなりに面白かったけれど、見ているこっち側はどうしてもストーリーを求めてしまうような気がする。

絵や写真を見ているときには必ずしもストーリーを求めないどころか、作品の中に意味をみようとしないことも少なくないのに、見るために時間を要求されると、そこに時間の流れを見ることをこっちが求めてしまうのかもしれない。

作品自体は面白かったけれど・・・・


そして今回見たかった屋代敏博。

目黒美術館で見たときには写真なのにどうも写真ぽく見えなくて、不思議な感じがしていたので、他の作品も見て比べてみたいと思っていたのだ。

屋代敏博の展示の写真は内容は別としてごく普通の写真らしい写真。
つまり目黒美術館での銭湯シリーズはそういう効果を狙った作品だったと言うことになる。

それがわかってその点ではすごくすっきりしたのだが、今回のテーマである回転回もすごく不思議な写真たち。
シャッター速度を10秒とか30秒とか長い時間にしてその間に人が回転すると出来てきた写真は「人」ではなくて「風景の一部」になる。

いろいろな学校や人の集まる場所で「回転回ライブ」をやってきた記録ともいえる写真が並んでいる。
会場には小学校6年生の感想文もあって、なかなか面白かった。

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2008.01.02

年の初めはしゃび

例年は正月2日なんていうとうちでおとなしくしているのだが、今年は都心まで遠征∥^O^∥

事の発端は「1月2日は美術館がただ」という話を聞いたことに始まる。

東京の国立博物館をはじめいくつかの美術館がどうやらただらしいと言う情報を聞いて、その気になったのだがどう考えても東博は混むだろうし、有名どころは人が大いに違いない・・・

Img_6717
と言うわけで友達といってきたのがここ。
なんといっても3つに展示が無料になるのだから、お正月の一日を過ごすのにふさわしいし、メジャーじゃないからそうひどくは混まないだろうと読んで、朝一番(といっても今日は11時からだが)からともだちと「行こう」ということになった。

幸いなことに予想以上に人が多くなくて、混んでいたらさっさと済ませて帰ろうと思っていたCosもじっくりと一日楽しむことが出来た。
(もしかすると普段よりもすいていたかもしれない)


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