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2008.12.17

沖縄・プリズム・・・・写真だ・・・

このところどうも写真づいている・・・・
写真はCosには難しくてよくわからない部分が多い。
素材のよさと技術のよさ、両方があいまってひとつの作品を作るのだろうけれど、その辺がよくわからない。
(まあ、自分の撮った写真の下手さ加減ぐらいは分かっているけれど・・・それだって実は分かってないのかも)
それにもかかわらずまた写真を見てきてしまった・・・ような気がする

沖縄・プリズム 1872-2008
国立近代美術館で2008年12月21日まで

かつては琉球国であり、戦後は長い間アメリカ軍の占領下にあった沖縄・・・・

これまでの「沖縄」展の多くが琉球王朝期の工芸を回顧するものであったのとは異なり、近代という時代のうねりの中で、この地から誕生した、そして現在生成しつつある造形芸術を検証する初めての試みです。表現する主体として、沖縄出身の作家と本土から沖縄に向かった作家を織り交ぜながら、「外からの視点」と「内側の視点」の違いを意識しつつ、個々の作家の想像力の軌跡を辿ります。

この外側からの視点と内側からの視点の違いを見たいと思っていってきたのだが、果たしてCosにその視点の違いが分かったんだろうか・・・

確かに写真にはその違いがはっきり表れているものもある。

頭にかごを載せたおばあさんが颯爽と石垣のある道を歩いていく岡本太郎の写真は外から「沖縄」という目で物事を見て取った写真(岡本太郎 《竹富島》 1959年)。
(もちろんタイトルがなければCosにはそれが分からないだろうけれど、「どこだろう?」と言う疑問が生まれる)

それに対して平良孝七のパイヌカジはどう見ても身内の人が撮った写真。
同じように沖縄の文化にかかわる写真を撮っていてもその写真の視点が対象となっている人やものに同化している。 
リンク先にある少女の写真はあまり「沖縄」を意識させないけれど、他の写真の中には中からでなければ取れないと思えるようなものもあった。

こうやって見ると写真と言うのはとった人の視点が分かりやすいのかもしれない。

もちろん、絵も異文化としての沖縄を描いたものはそれなりに分かる。
そうでないものは・・・・う~ん、どれがそうなのか?・・・わかるよう縄からないような・・・

が、問題は陶芸。
國吉清尚の作品がたくさん展示されていたけれど作品だけを見て外なのか内なのか・・・・
おそらく解説を聞かないとCosには判断がつかない。

沖縄と言う地は同じ日本の中でもちょっと違った場所という感じがしていたのだけれど、実はそんなに違わないのかもしれない。

沖縄と言うことを離れて面白かったのは山城知佳子や照屋勇賢かな。
オフィーリアのように水に没する写真を撮った山城千賀子、
不思議な作家としか言いようのない照屋勇賢・・・彼の作品はもっと見てみたい気がしたけれど、そのうち出会えるかなぁ・・・

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