風神雷神
忙しかった時期を通り過ぎて忙しさが終わったのに、ちっともかけずにいるうちに会期が終わってしまった「大琳派展-継承と変奏-」。
忙しい時期だというのは分かっていたのに、「四つの風神雷神」を見たくて一番忙しい10月の末まで待って見てきた∥^O^∥
今までに見たことがあるものもあるけれど、Cosなどは日本美術のよさはほとんど分かってないし知識もないから別々に見たのではその違いはほとんど分からない。
と言っても「東博」・・・・さすがに混んでいてのんびりじっくり見てくると言う状態からは程遠かったのが残念。
俵屋宗達の「風神雷神」
これが今回展示された中では一番古いものなのだろうけれど、一番おおらかで見ていて楽しい。「神」と言う存在が恐れ敬うだけではなく、親しみある存在と言う感じがしてこちらも楽しい気分になってくる。
この宗達の風神雷神が琳派の人々によって描き続けられたのだという。
見た人たちが描き続けたいと思うような題材と構図になっているということだろうな。
細かいところではたくさん違いがあるけれど、別々にぱっと見ただけではCosには区別がつかないんじゃないかと思った尾形光琳の「風神雷神」。
が、実際に見てみると確かに同じ構図だし、ちょっと見るとほとんど同じに見えるのに受け取る印象がまるっきり違う。
この尾形光琳の作品は見たとたんに脳裏に浮かんできたのは「江戸時代の○○レンジャー」・・・
小さい男の子達が好きな変身モノ・・・∥^O^∥
テレビの画面から抜け出して屏風に収まったというのか、江戸時代の人たちがこれを見て「ヒーローもの」をイメージしていたんじゃないかと言うのか・・・
いずれにしてもどっちにしても江戸時代という時間をかけ離れた存在に見えて一番面白かった。
この二つに比べると酒井抱一のものはいかにも光琳の風神雷神を模写した感じでよりコミカルな印象はあるけれど、そうした迫力があまりないようなようなきがした。
最後の鈴木其一のものは他の三つとは違って8面の襖絵のうち6面を使って天空を駆ける風神雷神で、さすがに「同じ」と言う印象はあまりなかった。
この4つの作品に今回のテーマである「継承と変奏」がしっかりと見えていた。
この「継承と変奏」が光琳と抱一が同じテーマで描いた(要するに抱一が光琳を模写したのだが・・・)絵にしっかりと表れていた。
抱一は光琳の同じ絵を同じようにまねて描いてはいるけれど細かな部分ではその表現が抱一のものになっている。
風神雷神では光琳のほうが迫力があっていいような気がしたけれど、他の作品では必ずしも光琳のほうがいいとは限らなかった。
「さすが光琳」と思ってみたり、「師匠を超えているなぁ」と思ってみたり・・・
美術印刷や写真のない時代・・・明治時代ぐらいまでは現物を見るのでない限り作品を見るには模写を見るしかなかった時代・・・
絵は必ずしも個人単位で描くものではなく工房単位で描かれていたりした時代・・・
写真のようにあるがまま、そのとおりに表すことが不可能だった時代・・・
そういう時代だったからこそ受け継がれてきた作品たち。
そんな時代に生きた画家たち。
彼らが受け継いできたものは今もきっと形を変えて受け継がれているんだろうな。
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