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2008.03.12

必ずしも差別でなく

いずれ、「特別支援」と言う言葉が差別的な意味合いを含むようになってくることがあるのかもしれない。

今だって、「特別支援」教育と聞くとそれだけで何らかの問題を抱えた人というイメージがあるような気がする。
もちろんのその「特別支援」の内容は言葉からはわからないけれど、十把一絡げではなく「特別」扱いをしていると言うことだけはつたわってっくる。
その言葉をどう受け止めるのかと言うのは人によって違うのだけれど、聾という言葉よりも低い一に位置づけられてしまう
ある意味では特別支援のほうがよほど差別的だと考える人もいるのかもしれない。

asahi.com:「聾学校、改称しないで」元生徒ら異議 割れる教委判断 - 教育.

 静岡県教委はなぜ変えるのか。特別支援教育課の名倉慎一郎課長は「一般に『聾』という字には差別的なニュアンスがあり、『聴覚障害』と言い換えが進んでいる」と説明する。

 だが、山本さんは「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話す。「特別支援」という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまうと訴える。

言葉は使われる側にとってそのニュアンスが変わってくる。

「朝鮮人」と言う言葉は言葉自体に差別する要素はないけれど、日本と言う国がそこの中に差別を盛り込んできたために今では差別用語として受け止められている。

でも、同じ「朝鮮人」と言う言葉を朝鮮の人が使うとき

自分で自分の事をそう呼ぶときには差別的な意味合いはない。(日本人ではなく朝鮮人であるというほこりがあるかもしれないけれど)

同じひとつの言葉でも誰がどんなところで使うかによって誇りある言葉になり、差別的な言葉になる。

記事の中で山本さんがいうように、該当する人が誇りを持って使い、そうでない人たちがひとつの状態を表す言葉として使うことが出来るのなら、無理に言葉を隠すことは内容に思うのだけどなぁ

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