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2008.01.05

砂を数える

写真美術館で次に見たのは「土田ヒロミのニッポン」

何度となく繰り返しているけれど、Cosには写真はよくわからない。
まだ自然を撮った写真なら自然自体が好きだから好きとか嫌いとか判断は出来るけれど、基本的に人間の絵や写真にはほとんど関心がない。

だからあまり期待しないで行ったのだが、予想外にいろいろな発見があって面白かった。

1960年代から撮り続けた写真がいくつかのテーマに分けて展示してある。

PartIの日本人、パーティの写真などを見ると本当に日本人は日本人だなぁ痛感させられた。

今の若い人たちがやっているようなパーティではこんな雰囲気はないのだけれど、体になじんでいないパーティドレスを着ている人たち・・・着ているものは違っていても「俗信」のコーナーに出てきた人たちと中身は変わらないのだ。

そして「砂を数える」「新・砂を数える」
海水浴場に、皇居に子どもの国に、プールに群れを成して集まっている人たち。

こんな風な砂にはなりたくない・・・世の中がこういう砂の世界であり続けている・・・
どれほどあがいてみても一粒の砂にしかなれない・・・・

日本人であり、砂であり・・・う~ん・・・

一枚の写真を見ているとそこからストーリーが生まれてくる。
写真に写されている人のストーリーが浮かび上がってくるような気がする。

その最たるものがパートIIの「ヒロシマ」だろう。
一枚一枚の写真にこめられたストーリーはあまりに重い。l
原爆と言うのはそういうものなのだ、戦争と言うのはそういうものなのだ・・・
人の命はたやすく消えてしまうもの・・・

そしてその消えてしまう命の流れを記録した「Aging」
これは怖かった。
土田氏が1986年からほぼ毎日のように自分の顔写真を撮り続けているのだ。
「あっ、床屋に行ったな」とか「二日酔いだろうか」とは思うものの、一枚一枚の変化はほとんどわからない。
だが確実に、20年の月日が年齢を重ねさせる。

子どもが大きくなっていく姿はほのぼのとしているのに、こうやって年をとっていくのは怖い。
生活している時間の中で強く感じることはまずないけれど、こうやって時間の中を移動しているのだろうなぁ・・・

20年間にわたって定点観測をして写真を撮り続けることが一番怖いのかもしれない。

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