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2007.12.19

カオスモス

タイトルを聞いたとたんに「ここに行く」と決めたのはどうしてだったのか・・・

子どものころから持ち続けている孤独感がそうさせたのか、
「カオスモス」という言葉に引かれたのか・・・・

このカオスモスという言葉カオス(混沌)とコスモス(秩序)を組み合わせた造語なのだそうだ。

カオスに満ちた人生を送りながらこすもすこすを書いているCosにいかにもふさわしい。

さびしさと向き合って  カオスモス’07

Img_6576


と言うわけで「佐倉市立美術館」まで遠征してきた。
片道3時間・・・
ただし、乗り換えは一回でずっと寝ていけるから物理的にはそんなに大変ではないのだが・・・時間がかかる・・・

市立の小さな美術館ががんばっている感じ。
Chaosmos(カオスモス)にしても美術館独自の視点を生かした構成になっている。

最初に見たのが石田徹也。
社会の枠の中に押し込められている自分を揶揄しているかのような作品たち。
図録の写真を見ると本人の自画像になっているのかも。

学校の絵は3枚ほどしかなかったけれど、Cosのところの生徒たちと一緒。
そこからはみ出してしまえばやめていくしかない。
押し込められて、押し込められているとは感じずに駒になっているのかも。

Cosにとって衝撃的だったのが、正木隆。
一面真っ黒に塗りつぶされた絵の片隅に白でちょっとだけ描かれている感じ。
これはCosが子どもの書いていたのと同じ構図。
さすがにそのころは黒と言う色を知らなかったので、自由画だと一面黄色とか一面緑とか、一面茶色とかで人や木が片隅にあるような絵ばっかり。
「もっと大きく書きなさい」といつもしかられてたっけ。

子どものころから感じ続けてきた孤独感、疎外感がこの絵とは共通している。
親からも何をやってもほめられることもなく「どうして他のこと同じように出来ないのか」と言われ続けた孤独感、
他の人と同じように出来ずにいてクラスメートからもいつも浮いてしまっている・・・
群れを成して生活しなければならないはずの学校で群れになじめない疎外感。
ある意味ではそれが当たり前になっているから、この絵を見たかったのかも。

このカオスモスはシリーズもので、ふだんは今活躍している若い人の作品を取り上げているらしいのだが、今回は5人のうち4人までが亡くなってしまっている。
踏切事故でなくなったり病気でなくなったり・・・・単に死亡と書いてあるだけだったり・・・・
それぞれにそれぞれの形でしに向き合った人たちの作品。

最後の成瀬麻紀子だけは今も生きている。
「言葉ではうまく表せなくても絵の中で私は自由です。
そしてちょっと大げさだけど、この自由は宇宙につながっている気もします。」
という成瀬の言葉・・・
言い換えると絵の外では自由ではないということか。

それでも絵の中で自由になれる成瀬がうらやましい。

Img_6575

見終わったとき、内容はすごく重かったけれど、不思議な充実感。


当初は他へも回ろうと思っていたけれど、なんだかもういっぱいと言う感じで決して明るい気持ちではなかったけれど、満足してまっすぐ駅へ。

帰りの電車の中ではじっくりと自分と向き合ってきた。


それにしてももうちょっと近かったらなぁ・・・
見たいと思ったら、これぐらいの距離なんらなんとしてもいくんだけど。

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