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2007.10.29

美術学校の創始者

かつて、東京藝術大学は音楽学校と美術学校に分かれていた。今はもうとっくに亡くなってしまった方たちからその時代の話を聞く機会があった。

秋葉が秋葉が原で日比谷が日比谷が原だった時代、円タクが走りJRが省線と呼ばれていた時代のこと。もうそのころには岡倉天心は芸大を去ってしまっていたけれど、新しい息吹に満ちてた文化の中心地の上野だった時代。

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そんな時代に思いをはせながら芸術大学美術館で2007年11月18日まで開催されている

岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ―
を見てきた。

おそらく美術的には非常に優れたものはそんなに多くなかったのかも知れないけれど、
「見るための美術品」ではなく、そうした美術品を作る人たちを育てる「教育のために美術品」という見方は門外漢のCosなどにはとても新鮮な見方だった。

新しい時代である明治の最先端を切り開いていく芸術を作る、天心の理想を求め、いろいろな教授陣と一緒に学校を作り上げていく姿が見えるような気がした。

奈良時代の服装を真似たかのような制服も、教授陣も学生も同じ形の服を着て、色と材質だけが違うという、いかにも「一緒に時代を作る」という意気込みが伝わってきそうな気もしてくる。

今年の3月、東京都美術館などで行われていた芸大の卒業制作を見てきたのだが、それと比較すると今回の展示にあった「卒業制作」は今の時代との違いをまざまざと感じさせる。

ここがスタート地点だったんだなぁと思いながら美術展を見終わった後、構内の岡倉天心像を見に行ってきた。
彼が今の学生たちをどう思っているかは知らないけれど、今も昔も変わりなく芸術に青春をかける人たちが集まってきているのだ。

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