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2007.10.23

状況証拠から 大豆栽培

大豆が縄文中期にも栽培されていたという。

縄文中期も大豆栽培 山梨の遺跡 約5000年前に.

 山梨県北杜(ほくと)市の酒呑場(さけのみば)遺跡で出土した縄文時代中期の土器から、大豆の圧痕(あっこん)が発見されたと17日、県立博物館などの研究グループが発表した。大豆の栽培開始は弥生時代が定説だったが、9月に熊本大などが、九州の縄文後期の遺跡で大豆の圧痕を確認。今回の発見はそれを1500年ほどさかのぼり、すでに約5千年前に大豆が栽培されていたことを示す。地域も九州から中部へ広がったことで、大豆をはじめとする雑穀栽培が、縄文中期に日本列島の広範な地域で行われていた可能性が強まった。


 研究グループによると、県内各地の遺跡で出土した2万点の土器を調べ、植物の種子などの跡があれば、型に取って顕微鏡で観察する「レプリカ法」で調査。県北西部の酒呑場遺跡で出土した深鉢形土器の取っ手から、長さ11.9ミリ、幅5.7ミリ、厚さ3.7ミリの大型種子の圧痕が見つかり、大豆特有の「へそ」が確認された。野生種だと、水につかって膨張した場合でも最大長さ8ミリ程度にしかならないことなどから、扁平(へんぺい)系の栽培種と判断した。

大量に炭化した大豆があったり、栽培した跡が見つかったわけではなく、一つ一つの状況証拠を積み上げての結論。

本来歴史というものは実際に実験したり検証したりは出来ないのだから、こうした状況証拠を積み重ねていくしかない。

そこから生まれたものは事実ではなくあくまで推測。
その推測をどこまで事実に近づけることが出来るのかが問題になってくるはず。

そういう意味では歴史は推理小説みたいなものなのかもしれない。

事実を検証していくのではなく、推測を事実に近づけていくのがなんとも面白いのかも。

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