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2007.03.10

製図家の鉛筆

鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にある神奈川県立美術館で2007年3月25日まで開催されている
今日の作家XI
鷲見和紀郎/畠山直哉
に行ってきた。

それにしてもどうしてあんなに鎌倉、それも鶴岡八幡宮は人が多いのだろう。
Img_2906
この美術館のある一角は池があってそこだけが静かな池と緑に支配されていて、観光客の姿はどこにも見えない。
静かに絵や彫刻を楽しむのにふさわしい空間になる。
そこに行き着くまでが人ごみでわさわさしていて、どうにも好きになれない。
多分、駅から遠回りをして人のいない所を歩いていけばいいのだろうけれど、鎌倉まで来ると早く美術館に行きたくて、いつも人ごみの中を歩くことになってしまうのだ。


Img_2914

今回の展示のように二人の作家を同時に展示するのは展示される側にとってはかなりシビアなものがある。必ずどっちがよかったのかと誰もが考えるだろうから。

Cosは写真にはそんなに関心がなかったので、鷲見和紀郎のトップにある「《EVIDENCE》2006年」を見に行くのが第一の目的だった。
だから畠山直哉の写真・・・それも建築物の写真・・・はCosにとってはおまけみたいなものだったのだ。

実際に美術館に入ってみると最初に見るのが畠山直哉の「Draftmans Pencil」だったので、まずは建築物の写真を楽しむことにした。

ちょうどつい最近、伊東豊雄 建築 新しいリアルを見たところだったのでちょうどよかったのだ。

もともとCosの写真に対するイメージは「そこにあるものをあるがままに映し出すもの」だったから絵でも印象派がそんなに好きではないCosとしては「ありのままの姿」と言うのは余り惹かれるものがないのだ。

でも映し出されたものは「ありのまま」のものだから元がよくて、写真の腕がよければそれでいい・・というイメージしかもっていなかったのだ。

モントリオールの写真を見たときには「ふーん、おもしろいな」と言う程度だったのだが、その次の2枚組みの一枚、大阪球場の跡地に作られた住宅展示場を見たときに自分の思い違いに気がついた。

たしかに「ありのままの姿」なのである。

たしかに「リアル」な姿なのだけれど、そこからは(人間のではなく)球場の悲しみが伝わってくる。
夕暮れの中で球場の真ん中にはぎっしり住宅が並べられ、球場の周囲のいすがその建物を無人のままに眺めている。

すぐ脇では光の帯となった高速道路が走り、球場の夕暮れと対応している。
そこに人の姿はない。

2枚組みのもう1枚は住宅展示場もなくなり、周囲の座席が順に取り壊されている。
もうすぐここに球場があったとは思えなくなるに違いない。

これ以外のシリーズも一つ一つが印象深かったのだけれど、衝撃を受けたのは「ニューヨーク/世界の窓」(うえの看板の写真とリンク先の下のほうにあります)。

ニューヨークにしてはなんだかビルが安っぽい感じだなぁとか、
ビルが傾いているように見えるなぁ
などと最初は思っていたのだけれど、ある瞬間に気がついた。
このビルは実際のビルではなく、深川(へんが王で、つくりが川)にある「世界の窓」と言うところにおかれたミニチュアなのだ。
次の瞬間、Cosは自分の見ているもののサイズを変えようとあたふたとし始めることになる。
実物大の写真を見ていると思っていたのにそれは実はもっとずっと小さなものだったのだ。
そのサイズの差を修正するまでにはかなりの時間がかかった。

確かに「ありのままの写真」なのだが、Cosの目はそれを自分の都合のいいように解釈しているのだ。「見えるがまま」なのだが、それはリアルではない。

そしてもっと怖かったのが「ニューヨーク/東武ワールドスクエア」のシリーズ・・・
ここの写真はよりリアルな写真。前の写真を見て予想しなければ実際のビルを撮った写真だと思ったに違いない。
いや、「きっと本物じゃないに違いない」と思いながら見ていてもリアルサイズに見えてくるのだ。
実物の写真でない証拠を一生懸命に探し出す。

不自然なありえない角度に曲がったたった一本の窓のさん、
チラッと見るとごく自然だけれど、じっくり見るとその動きが不自然な人、
そんなものを探している自分に気がつく。

そしてこの東武ワールドスクエアの最後の一枚には模型の中に立つ人の姿。
ビルの中に立つ巨人のように見える人の姿でさえも、できれば合成写真だと思いたがる自分がいるのはとても怖かっ
この畠山直哉の建物の写真には人の姿が感じられない。
たとえばStill Lifeの写真の中には人の姿もあるのに、人の動きがまったく感じられないのだ。
たとえば東京の航空写真の作品「森ビル」は東京のビルの群れがまるでコケか何かでできている森のように見えてきて、その中で人間がダニのように暮らしているんじゃないかと思えてくるような写真。
人間の視点ではなく、ビルの視点から撮られた写真と言う感じ。

たしかに「ありのままの姿」を捉えているけれど、そこにあるのは人間ではなくて、建築物の想い。

まさに、この展覧会のサブタイトル、「Craftsmans Pencil(製図家の鉛筆)」
カメラは人間によって作られた者たちの思いを伝える鉛筆。
だがそこには人間の姿はない。

「ありのまま」を伝える写真。
ありのままのリアルとは何かを考えながらもう少し写真を見てみようか。

鷲見和紀郎の「光の回廊」もそれなりに面白かった。
Img_2909

特にこの美術館の1階は池に面したサンルームにもなっていて、太陽の光をいっぱいに受けた中で見る光の回廊はとても面白かった。
写真の右側のところがサンルームになっていて中には日の光がいっぱいに差し込んでいる。
中から見ると、お日様の光を受けた彫刻が外の木々に緑に映えていると言う感じだろうか。
どの作品もがどこかのびのびとした雰囲気になる。

畠山直哉の描く写真がどれもStill Life(静物画)だったのに対して、彼の作品にはどれも違った種類の動きがある。

光と動きを楽しむのはそれなりに面白い。
が、今回は予想外の写真に圧倒されてしまって、彼の良さをしっかりとは見てこなかったような気がする・・・∥>_<∥

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