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2006.09.16

教科書を終える

 Cosは数学を教えているから、一年間の授業を通して教科書が終わらないままになるという経験はない。

学校によっては教科書が途中までで終わることもあるというけれど、受験をする生徒が少なくない学校であればどこでも教科書は終わらせるものだと思っている。
ある程度以上の生徒でなければ、教科書にあることを自分で読んで理解して使いこなすことは不可能だ。
だから、一年間を通じて何を教えるかはきっちりと決められている。
裁量があるとすれば、どこまで教えるかということだろうけれど、それも学年で決められているから自分の自由になる余地はほとんどない。

なんとなくそれが当たり前と思ってきているのだが、他の教科については必ずしもそうではない。
歴史は近代以降をやらずに済ますところが少なくないような気がする。近代以降は読んでおけばわかるからということなのかもしれない。
確かに自分の生きている社会に近いからわかりやすいということもあるのだろう。(他の問題もあるけれど、それは今は関係がない)
国語なんかは「終わるはずがないからどこをやるかを決める」のだそうだ。
どういう基準で選んでいるかは知らないけれど、発想として「教科書の内容を教える」のではなく、「教科書を使って教える」ということのような気がする。
直接国語の教員に聞いてみたわけではないのでなんともいえないけれど、教えなければいけないことというのが決まっていないのだろうか?

面白いのは英語が(受験に対応するには)「全部やらないとまずい」と言っていること。使っている言語の違いはあっても、国語と正反対というのがふしぎな気がする。
英語は教えるべきことが決まっているのかな。

実技系の科目はやるべきことが決まっているんだろうか??

教科の学習というのは教えるべきことが文科省で決められていて、それをどう教えるかが教科書であり教員であったりすると思っていたのだが、もしかしたらそういう教科はそんなに多くないのかもしれない。

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