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2005.02.16

ヤンキー先生と教師集団

 Cosの周囲では人生を順調に生きてきて、すんなり「先生」になって人生の暗い部分に想いをはせたこともない子どもたちを順調な人生を歩ませるように育てていく。

本当は人生の暗い部分、救いのない生き方を一番よく知っていなければならないのが「先生」であるはずだと思うのだが、現実にはそうした世界をまったく知らない教員がほとんど。

北星余市高校のヤンキー先生はそうした経験を踏まえて、母校に戻りたいと願い続けて北星余市高校の教員になったのだが、彼の生き方に共感する人が増え、講演などに出かけるようになってくると批判も集まり始める。


扉のむこうより、熱を込めて-ヤンキー先生 義家弘介の教育コラム-:告白

「学校は義家に何もいえなくなってしまっている」「北星余市は義家におんぶにだっこだ」「義家は学校を休んで講演ばかりして金儲けをしている」などといった事実とはまったく反する声が去年の秋ぐらいから一部の寮やPTAのOBたちからあがるようになった。そして,子どもを遠くから見守っている親たちは,そんな声に敏感に反応した。同時に教師集団の中からも「講演会や執筆活動は全てやめろ。そうでなければ教師集団の一人としてはやっていけない」「相当額の印税が義家の元に入っているはず。それは副業だ!」などの厳しい意見が出されるようになった。聞きながら…泣きそうになった。母校存続のために全てを犠牲にして行ってきたことは,危機が回避された途端,負の感情となって私に降りかかってきた。何よりも大切なはずの北星余市高校教育の根幹は,私を中心に大きく揺れてしまった。

かつて、無着成恭に対しても同じような批判の声があった。彼が明星学園に守られていたかどうか走らない。だが、ヤンキー先生の場合と違って続けることにも意義を見出していたのだ。

ヤンキー先生の場合には実のところ、彼を雇うことだけでも学校はかなり大きな決断を要したことだろう。かつて傷害事件を起こした人間を自校の教員とすることだけでも世間からの批判があっても不思議はない。そうした犯罪行為でなくてもほんの些細なことであっても傷があれば教員になることも難しい。
その中で彼を雇った学校の価値は大きいけれど、だからといって守り続けることは出来なかったのだ。

彼が教員でなかったとしたら、彼の人生の意味がなくなるわけではないけれど教員だからこそという部分が一番大切な気がする。

個人的には・・・たとえばみんなが明るい道を歩いているような学校(Cosのところのような学校)で、ヤンキー先生の経験を売り物にするのはいかがなものかと思うけれど、不登校の生徒や問題のある生徒の受け入れを続けている北星余市高校であればそれは生徒にひとつの明るい指針を示すことになる。

他にもそういう教員がいるのかどうかも知らないけれど、彼が講演をすることを含めて彼の生き方それ自身が北星余市高校にとっては大きな価値があると思うのだがとても残念なことだ。

ただし、Cosが知っているのはヤンキー先生の一方的な話だけだし、彼については経歴以外はほとんど何も知らない。もしかしたら事実はCosが知っているものとはまったく違う可能性もある。

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