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2005.01.06

いまさら習熟度別・・・

 横浜市では習熟度別授業をいっせいに導入するのだそうだ。

横浜市教委、習熟度別授業を小中500校に一斉導入へ

 国際的な学力調査で日本の子供の学力低下傾向が指摘されたのを受け、市を挙げて学力の底上げに取り組む。市教委は「これだけの規模で一斉に実施するのは全国でも異例」としている。

 実施科目は、小学校が算数や理科、中学校では数学や英語など、積み重ねが欠かせないものを中心とする予定。対象学年については今後検討する。

 習熟度別授業は、児童や生徒のレベルに合わせたきめ細かい指導ができ、集中力も向上するとされる一方で、子供に優越感や劣等感を与える恐れがあるといったマイナス面も指摘されている。

 そのため、市教委はクラス分けにあたって、学校側が一方的に振り分けるのではなく、教師や保護者、生徒が相談してクラスを決める仕組みを検討する。

なぜ、いまさら習熟度別なのかとても不思議だ。習熟度別というだけでは効果が出る可能性のあるのはトップレベルの子どもたちだけ。

生徒のレベルに合わせたきめ細かな指導・・・・これは習熟度別だからではなく、一人一人に目が届くかどうかで決まってくる。習熟度別と同時にクラスの人数を減らすことで、一人一人に対応できるからこそ、きめ細かな指導が出来るのであって、苦手な子ども40人を一人の教師で見るとなったら、きめ細かな指導どころか、授業自体が成り立たなくなりかねない。
(出来のいい生徒、自分は出来がいいと思っている生徒は言われなくても自分から進んで勉強するので、クラスの人数が多くても問題は少ない)

習熟度別で一クラスを20人とするならば、習熟度別ではなく単純に20人ずつにして教えればその中にはクラス全体を引き上げる力のある生徒もいれば、つまずきを早い段階で確認させてくれる生徒もいる。苦手な生徒がわからないところは苦手でない生徒も表面的にはわかっているように見えても実はわかってなかったりすることが多い。

そういう部分をやり過ごして先へ進んでしまうとずっと先になって、大きなつまずきになって帰ってくることも少なくない。たとえば分数の計算などもそうだろう。とりあえず小学校では出来たけれど、きちんと意味が理解できてなかったために今になってわからなくなってしまっている生徒も少なくないのだ。

塾であればとりあえず「今わかっていて問題が解ける」ようにするところだからそれでもかまわない。あるいは受験指導であれば、ともかく解ければいいのだからそれでかまわない。
だが、小学生中学生にとって先は長いのだ。

朝日新聞の記事個人の能力に柔軟対応 PISA好成績のフィンランドを紹介しておこう。

 ヘルシンキ市中心部に近いクルーヌハカ中学校。ヤリ・アルビオ先生(36)が教える2年生の数学では、1次方程式の基礎を学んでいた。先生が練習問題の答えを説明中だというのに、教室後方の女子が手招きすると、男子が席を立って近寄った。アルビオ先生は何も言わない。このクラスでは、わからないところがあったら、まずは生徒同士が教えることになっている。

 「一人ひとりが何ができて何ができないのかを自覚することが大事。出来ない子を教えれば、より理解を深められる」とアルビオ先生。フィンランドでは標準的な考え方だ。

 同国には学校や生徒をテストでランク付けする仕組みがない。現行制度では、高校進学に影響する中学3年の成績を除き、成績をつけるための明確な基準もない。

 数学が得意だというカッリ・コムシくんは「競争ではなく、自分がやりたくて、できるようになりたいから勉強している。数学が苦手な友達を助けてあげるのはいいこと」と話した。

 教室の最後方に座っていたラウラ・レフティラさんは昨年度、数学だけ別の教室で個別に特別授業を受けていた。クラスの学習進度についていけなかったため自ら希望した。「みんなと同じ大きな教室に戻ったときは少し戸惑ったけど、成績が上がったので良い選択をしたと思う」

 担当教師や子ども自身の判断で、子どもが別室へ移り、理解度にあわせた指導を受けるのはフィンランドでは一般的だ。指導は手が空いた他の教師が行う。入学時に国語、数学などで学習が遅れそうな児童を見つけ出し、早めに対策をとっている小学校もある。

特別授業は習熟度別の授業とはまったく考え方が違うのだ。

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コメント

新聞記事だけだと、確かに「習熟度別授業」がすべての決め手のように思われてしまいますね。おっしゃるように、クラスの人数を減らすことがセットでないと意味はないわけで、そこのところが、この記事だけ読んだ人は誤解する可能性がありますね。

ただ、もちろん、小中学校で習熟度別授業を展開する際には、ほとんどの場合少人数指導とセットで、横浜市だってそれは当然そうだと思います。そこのところを(好意的に見れば)当たり前だと思って書かなかったのかもしれません。

で、ポイントとなる単純少人数と習熟度別少人数の比較ですが、おっしゃるように、単純少人数の方が良い面もありますね。よく現場の先生方が「学び合う」「育ち合う」と表現することについての指摘と近いと思います。ただ、その表面的に分かっているかどうか云々と言うことは、少人数になればという前提であれば、先生の眼力に頼れる部分もあるのではないでしょうか?

他方、習熟度別になれば、例えば40人×2クラス=80人を5人、15人、20人、30人と展開することは可能なわけで、やはり、習熟度にも魅力はあると思います。それと、特に「理解の遅い子」にとっては、気後れして質問できないような状況が改善されるというメリットも見逃せないと思います。

うまくいった場合には、むしろ習熟度は「出来の良い子」の引き上げではなく、「理解の遅い子」の底上げに有効だ、と言うのがむしろ私の感じなのですが。。。

いずれにしても、どちらかが一方的に良いという話ではなく、大切なことは「方法ありき」ではなく、子供の指導にとって何が必要かということをよく見極めて、そこにあったやり方を試していく、と言うことだと思うのですね。

一律に「習熟度」というと(何もやらないよりはマシでしょうが)、「習熟度さえやっていれば大丈夫」みたいに感じる可能性があって、それは危険をはらんでいると思います。この点で、ご指摘は非常に大切なポイントだと思います。

なぜそれをやるか、を一人一人がもっともっと考えないと。
表面的な模倣、そして満足、というのは危ない危ない。

「百マス」も同じ話だと思います。

済みません、つい長々と。

投稿: ガーター亭亭主 | 2005.01.06 20:23

そうなんですね。

習熟度別というときにはほとんどの場合少人数制とセットで行われます。
つまり、効果がでたとしても習熟度別だったからなのか、人数が少なかったからなのかはなかなか判断の難しいところになるわけです。

Cosの職場でも習熟度別を取り入れている部分もありますが、人数を変えずに習熟度別の授業をやったところ一斉授業よりも全体としての出来が悪かったという結果もでています。

また、人数が少なくなっても下位のクラスの生徒の中には「どうせやっても出来ないから」と最初から投げてしまってやろうとしない生徒もかなりいます。

もちろん、そうでない生徒もいるわけですが、そういう生徒たちはがんばって上位のクラスに移ってゆき、上位のクラスからは結局やる気のない生徒が落ちてきて、クラスの雰囲気が決まってしまいます。

こうなってしまうと習熟度の効果はなくなってしまいます。

短期的には下位のクラスの生徒ががんばって上に上がろうとするので効果があるように見えますが、時間とともに上がれる生徒はみんな上がってしまって、残っているのはもうあきらめている生徒。一人二人がそうであっても何とでもできるけれど、クラス(それが何人であっても)みんながあきらめてしまったら、ひとつ間違うと授業が成立しなくなります。

上位のクラスと同じ時間をかけて勉強するわけだから、上位のクラスと同じ内容を同じだけやることは不可能です。
基礎の部分に力を入れることになるとその分応用は少なくなります。
しかも、そういう生徒たちは自宅学習の習慣もないから、授業だけで何とかしなくてはなりません。
その上意欲もなくなったらもうどうにもなりません。

逆に上位の生徒はどんなやり方をしても、勉強をしようという意欲がありますから、より大きい刺激を与えることで、伸びていきます。

>ただ、その表面的に分かっているかどうか云々と言う
>ことは、少人数になればという前提であれば、先生の
>眼力に頼れる部分もあるのではないでしょうか?

これは難しいです。
わかっていてもいなくても、問題が解けてしまえば理解したものと判断してしまいます。
でも、
「この問題はこうやって解く」というとき方だけがわかったのであって、問題の本質が理解できていないかもしれません。
1対1ならそういうことの確認も可能ですが、現実問題としてそういうことに使える時間的な余裕もとてもありません。

投稿: Cos | 2005.01.07 00:04

最後の部分については、確かに私の書いたことは、現実離れしている話だったかもしれません。すみません。

で、「下のクラス」の子は「上のクラスに上がること」を目標にするものなのでしょうか。

それと、「習熟度別授業」という時のの私のイメージは、単元ごとに集団をシャッフルし直すようなもの(小学校とか中学校でも低学年)なので、若干そこに差があるかも知れません。

あと、大切なことで、「学ぶ意欲」をかき立てる何かがなければいけなくて、それは学校だけでは本当にどうしようもないものなのだと思っています。

投稿: ガーター亭亭主 | 2005.01.07 03:06

真ん中ぐらいの生徒のなかには「このクラスがいい」といって上のクラスに上がるのはいやだという生徒も少なからずいます。

でも一番下のクラスになるとどうなんでしょう?
自分が一番下のクラスだったら、自分の子どもが一番下のクラスだったらどう考えるか・・・
「一番下じゃなければ満足」という生徒はいるけれど、一番下がいいという生徒はいないんじゃないかなぁ。
親も教師もそこで満足しないような指導をするはずだし・・・

でも、低学年だったらちょっとの差で上がったり下がったりするなら、それはそれで刺激があっていいかもしれませんね。


投稿: Cos | 2005.01.07 21:06

遅コメです。
出来る子にとって、出来ない子に教えるのはすごくいい訓練になるんですけど…。
全部ごちゃまぜで少人数が一番いいような気がするんです。高校あたりから成績で輪切りになって、大学、就職と、いつの間にか「同類」で固まっちゃって、他の世界に無知なのを、しらない大人が多くて、しかも気づいていないんじゃないでしょうか。
この上、小学校から輪切りにしたら、「勉強が出来ない子の人生」とか「気持ち」とか、全くわからなくなるんじゃないでしょうか?
「勉強できないけど、優しい子」とか「じっくり教えたらわかってくれて嬉しかったこと」とか、大事だと思うんだけど…。

投稿: わに庭 | 2005.01.13 13:23

Cosも全部ごちゃ混ぜで少人数がいいのかもしれないと思っています。

考えすぎかもしれないけど、輪切りにするから「みんなが同じ」でなければいけないような気になるのかもしれませんね。

子安美智子の「ミュンヘンの小学生」の中ですごく出来るこの父親が「出来すぎるのがうちの子の問題です」といっていたのがすごく印象に残っています。

数学なんかは若いうちでないとだめだといわれているので、どんどん先に進んで行くことがいいといわれているけれど・・・・

投稿: Cos | 2005.01.14 00:11

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