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2005.01.19

被害者は子ども

学校の現場では評判が悪い(とCosが思っている)総合学習がなくなるかもしれない。

<中山文科相>総合学習の削減も 授業時数見直し示唆

 中山成彬文部科学相は18日、初の「スクールミーティング」のため訪れた宮崎県小林市で「総合的な学習の時間や選択教科をどうするかを含め、国語や算数など基本的な教科にもっと力を注ぐべきだ」と述べ、基礎学力向上のため、「ゆとり」教育の象徴とされる総合的な学習の時間の削減も含めた授業時間数の見直しを示唆した。小中学校への導入からわずか3年での見直しは論議を呼びそうだ。
 中山文科相は、母校の市立小林中の生徒、教職員らとの懇談後、「子どもも先生も忙しくて余裕がないと感じた」と述べ、学校5日制でも「土曜の活用の仕方を工夫する必要がある」と語った。

個人的には総合的な学習の時間の考え方自体は必ずしも悪くはないと思っている。「生きる力を育てるため」というのは感心しないけれど、学校の教科の枠にとらわれずに主体的に学ぶことを学ぶというのはとても大切なことだと思う。

ただし、そのためには一人一人を育てることが出来る教員、特に何かを教え込むのではなく、方向付けをする、自分で学ぶ方法が得られるように導くことが出来る「先生」が必要だろう。(もちろん一人で力をつけることのできる子どももいるけれど、全員ではない)
そういう「先生」はごくわずかしか存在しない。何しろ彼ら自身が、自分で学ぶことをせずに大人になってきたのだから、子どもに指導しようとするとどれほどのことを勉強しなければいいけないか・・・・が、その時間はどこにもない。

さらに、総合の時間がどこから取られたのかというと主要教科の時間を削減してとられている。主要教科のゆとりはますますなくなり、そちらでは「形だけ教える」ことになりかねない状況なのだ。

その被害を直接受けているのは子ども。

総合的な学習の時間のおかげで「教科書をやりました」という形だけの勉強が増え、教科書がないから教師の指導力だけにかかっている総合的な学習の時間を経験して大きくなってきているのが今の子どもたちなのだ。

もちろん、子どもや教員の質によっては主要教科の内容もしっかり身についているし、教えていても「これが総合の力なんだろうなぁ」と思うような「考えること」のできる生徒もいる。

そうしたしっかり育ってきた子どもと単に通り過ぎてきただけの子ども、学力の二極化の原因はここにもある。

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コメント

「総合的な学習の時間」はやっぱり理想論だったんでしょうか。。。小学校などでは良い例も出てきているわけですけれども、でも、全体としてみれば、やっぱり無理だったんでしょうか。。。

ただ、問題は、マスコミはどうしても二元論的に捉えてしまいがちなので、総合を減らして教科、という動きが、単純に「考える力」から「知識を(とにかくたくさん)覚える」という動きに翻訳されてしまうのが怖いです。そもそも、「ゆとり教育」ということ自体が「野放図に遊ばせること」だと思われているフシもありますから(もちろん、「知識」は重要で、それまで否定するかの如き言い方をしてしまった、あるいは、そちらに誘導してしまった関係者すべてに責任があるというのがワタクシの考えです)。

学校5日制にしたって、旗を下ろさない(下ろせない?)のは、その「極度の知識詰め込み」へ逆にぐーっと大きく方向を切ってしまうように見えるのが怖いからだと思います。

投稿: ガーター亭亭主 | 2005.01.19 20:14

総合的な学習の時間がよくなかったのかといえば、いい指導者に恵まれていればいい結果もでたはずだと思います。
(現実にでているかどうかは別として)

ただ、そのために削られた時間・・・そして、総合的な学習の時間が始まったときどれほど多くの教員が「何をどうすればいいのかわからない」ままだったことを考えると期待した効果が上がらないばかりでなく、他の部分でのゆとりがますますなくなってしまうという逆説的な状態になってしまったのでは?

と思っています。

他の教科のゆとりが奪われず、いい指導者がいればまた別ですが・・・

投稿: Cos | 2005.01.19 23:21

小学生の娘を持つ母として
今、生きてる子供たちはモルモットではないと
声を大にしていいたいです。
また、土曜スクールのあり方にも疑問を感じています。

投稿: けいこ | 2005.01.20 01:59

学校で教えていて年々レベルダウンしてくる子どもたちを見ていると、「どうしてこんな風に変わってきたのだろう」と思わずにいられません。

指導要領が替わった年度の子供たちが入ってくるたびに「今年の生徒は今までと違う」という感想がいろいろな教員から聞かれます。

もちろん、いい評判もあるのですが・・・

きょう、変えたとしてもその効果がでてくるのは高校に入るのは9年後、大人になるのは12年後・・・・

どうにもならないのかなぁ

投稿: Cos | 2005.01.20 07:04

毎年毎年、大幅に変えるのは勘弁して欲しいもんだ。先生も変わった指導要領に右往左往。その影響をモロに子どもらも受けて右往左往。
総合学習自体は悪くない。授業参観でみる総合学習での一生懸命の子どもらの姿がそれを物語ってる。が、先生側の準備期間を与えず、準備するための時間も与えず、人数的な余裕も与えず、手間のかかる総合学習をスタートさせたが為に効果があがらなかったのだと思う。
結局また小手先の指導要領を改訂するだけの改革かと思うとガックリきますね。。

投稿: くっきも | 2005.01.22 11:01

文科省が何かをやろうとするとき、テストケースとしてやってみるのは期待された結果を出そうという意欲のある人たちだから、その結果を一般化するととんでもない間違いになってしまうような気がします。

研究指定校で研究してもいい結果しか出さないだろうし・・・

たとえ抜本的な改革をしても、今の構造を何とかしないとどうにもならないような気もします∥-_-∥

投稿: Cos | 2005.01.22 21:08

そのとおりですね。>テストケースはいいところだけのサンプル。

指導要領の改訂というのは、旗振りとしての意味、というか方向性を考えるよすがになっても、直接の効果というのは薄いものだと思います。それどころか、「コロコロ変わる指導要領」というのはそれ自体マイナスの効果も大きいわけでして。

それなのに、実際には、指導要領の改訂については、訓古の学みたいになってしまっているんですよね、それが現場に届く過程において。もちろん、そうした思考停止の状態に追い込まれてきたのには、様々な歴史的・社会的要因・背景があるわけですが、そんな論を展開して「犯人探し」をしているときではないと思います。

今、一番すべきことは、やる気(と能力)のある先生が報われて、そうでない方はそれなりに、という仕組みを作ることだと思います。そのためにはお金もかかるでしょうし抵抗もあるでしょうが、これに相応のエネルギーをかけることは、この国の未来にとって重要なことです。もちろん、評価の仕組み、というのは真剣に考え抜いて作られていかないといけないと思いますが。

そして、それを当事者として国がするには、この国のサイズは大きすぎると思います。もっと小さなサイズでそれは行われるべきでしょう。もちろん、そのサイズで行うための人材をしかるべきところに集中投下する必要があると思いますが。

投稿: ガーター亭亭主 | 2005.01.26 21:45

やる気も・・・変な方向に行ってしまっていたら本当は逆効果だし・・・と思うとあまり行政に四角四面に基準を作られてそれで評価なんていうのはかなわないし、何よりも、教育なんて今すぐの結果と10年後の結果とどちらをとるかを考えれば、その判断が誰にできるのかなぁとも思うし・・

どうなんでしょうねぇ

投稿: Cos | 2005.01.27 08:02

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うちは完全学校5日制になってから入学してるから 土曜に授業があった頃と比較するスケールをもたないけど 自分の子供の頃と比較して ゆとりの教育といいながら逆にゆと... [続きを読む]

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