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2004.10.11

樹木葬(7)里山を守る

一ノ関の祥雲寺の樹木葬の説明会に行ってきた。
どんなところだったのかはまたあとで書くつもりだが、
今回の説明会で一番びっくりしたのは
この樹木葬というのはお墓のひとつの形式としてではなく、
里山の自然を守っていくための方法のひとつとして考えられたものということかもしれない。

この川の水をきれいにし、杉林になってしまった山を元の雑木林の里山に戻していこうとする
運動を住職がしているのだが、
そのためには山の杉の木を切って昔ながらの木を植え、
昔の人たちがしていたように、山の手入れをすることで、
昔からあった自然を取り戻そうとしていく。

田んぼにはいろいろな生き物が帰ってきて、
この田んぼの近くには蛍はもちろん、
天然記念物のモリアオガエルが済んでいる。
そうした自然を守っていこうというのだ。

樹木葬はそのためのひとつの方法。
杉を切ったあとに植える雑木林を聖域とすることで
そこもまた守られていく。

切り出した杉の木は炭になり、
この川の上流に沈められて水の浄化をしたり、
木材チップになって、樹木葬の中の道に敷かれていたり、
有機的な形で自然に還元されていく。

樹木葬によって祭られた人のお墓というだけではなく、
生きている人たちがお墓を守り、
自然を守っていくひとつの方法としての樹木葬なんだと痛感してきました。

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コメント

ブルターニュさんの所からやってきました。

里山、って大切なんですってね。その道の専門家?に話を聞く機会があったのですが、この秋にずいぶん日本でもあった熊の被害の話って、里山の消失が大きな原因だと考えられるのだそうです。

投稿: ガーター亭亭主 | 2004.12.08 08:56

ガーター亭の亭主様、はじめまして。

東京の新興住宅地に住んでいると余りわからないのですが、里山がなくなったというのは自然保護だけじゃなく、いろいろな面でも問題があるようですね。

熊もやっぱり食べ物がなくなってくるのでしょうか。

投稿: Cos | 2004.12.08 18:55

クマの食べ物がなくなる、と言うよりは、人間と自然(という考えは実は好きではなくて、人間も大きな自然の一部だと思うんですが、とりあえず便宜的にこの両者を対比させてください)が共存していく上で、クマも人間もお互い直接出会わない方が幸せ、というか安全なわけで、それは何もクマと人間だけの話ではないんだけれど、里山というのは、その緩衝(バッファ)として重要な機能を果たしてきたのだそうです。

里山の消失の問題は、もちろんクマとの遭遇の話だけではなくて、なんて言うか、大きな自然の中で人間が生きている、という否定しようのない事実から見て、不自然なことのように思えてなりません。

投稿: ガーター亭亭主 | 2004.12.08 22:25

コメントをいただいているのに気がついたときにはココログがメンテナンス中で、お返事がすっかり遅くなってしまいました。
ごめんなさいm∥_ _∥m

祥雲寺の樹木葬の目的のひとつは今までの杉山を雑木林の里山にかえすことがありますが、
なんとなくそのことと今年の熊の被害の多さとは結びついていませんでした。

里山が減ったこと、くまの生活領域にまで人が入り込んできたことがたしかに熊による被害を増やす原因にはなっているのでしょうね。

でも、今年の被害の多さはそれだけじゃないような気もしますが・・・

投稿: Cos | 2004.12.09 23:24

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