2022.04.26

家の修繕工事

 住み始めてから40年近くたった家の修繕工事(リフォームともいう)がやっと終わった。

大変だろうとは思っていたけれど、思っていた以上に大変で疲れ切ってしまった。

 やったのは、まず壊れた3代の換気扇の取り換え工事。これは一日で終わってとても調子が良くなった。これに味を占めて、ものでほとんど入れないほどにいっぱいだった元連れ合いの部屋だったところの片づけと壁紙の張替と、二重窓の設置・・・・そこからシステムキッチンを新しくし、お風呂を新しくした。そしてトイレをウォッシュレット(今まで昔のままだった)に変更。それだけで15日間の工事。

まずは部屋を片付け、物を捨てたり移動したり。それがとてつもなく大変だった。

「この部屋は〇〇から工事をします。」というのに合わせて部屋を片付けるのだが、普段から掃除片付けの苦手なCosは悪戦苦闘して、どの部屋も掃除まで行きつかない。しかも毎晩寝るときにはくたくただし、朝は大工さんたちが来るからちゃんと起きなきゃいけない。</br> 

どう考えても疲れ切っているというのに、朝は朝で、大工さんが来るまでにできるところまで片付けておかないと・・・なんのことはない、もっと前から準備をしておけばいいだけのことなのだが、そこは掃除の苦手なCosのこと、ぎりぎりまで手を付けないのは子どものころからの習慣。

しかも、しかも、10日目ごろには階段を立った一段踏み外して打撲・・・今はほとんど治ったけれど、工事+打撲はなかなか厳しかった。

日曜日は工事は休みだけれど、狂言の会をいれてしまって、千駄ヶ谷の国立能楽堂までお出かけ。このころには痛みはかなりひていたけれど、やっぱりちょっと大変だった。

というわけで、やっと工事が終わったら、とんでもなくほっとして、だらだらとして時間を過ごしている。今日はどこも片付けなくていいし、どうしても買わなくてはならないものもない、のんびりできる一日なのだ。

 

 そんなわけでいろいろな懸案事項のめどが立ち、「わたしはなにをするのだろう」とおもいにふけっているので、久しぶりにblog。

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2021.09.06

川端龍子VS高橋龍太郎コレクション展

大田区立龍子記念館で行われる「川端龍子VS高橋龍太郎コレクションー会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃ー」展の内覧会に行ってきました。ここにある写真は特別な許可を頂いたもので、写真の下手さの責任はCosにあります。

 川端龍子の絵が好きというほどではないけれど、いい絵をかくし、それと会田誠、鴻池朋子、天明屋尚、山口晃ときたらこれを逃すわけにはいかない。雨が降っていて交通の便がいいところでもなので、(ちょっと道にも迷い)やっと到着した。うちから行くのはちょっと大変かな。

 会場の入り口から入った瞬間に目に入る2枚の絵、どちらも見たことがある作品だし、特に正面に見える会田誠の「紐育空爆の図」は好きな絵だし、ここで会えたのはうれしかった。現実には行くことのなかった日の丸を付けた零銭(のような)メタリックな飛行機の軍団がニューヨークの空で∞を描き、華やかに飛行している。しかし、その絵はプラスチックのビール瓶ケースの上に敷かれたベニヤの上に載っている。絵の華やかさがその台の上にあることで全く違った儚さを表しているように思える。会田誠の華やかさと儚さ、それが彼の作品の良さでもある。

 



そんなことを思いながら視野に入っている左側の絵を見ると、川端龍子の「香炉峰」

 

 中国の香炉峰の上空を飛んでいる飛行機、機体後ろ側を透明にしていくことによって「飛行」を表現しているのだともいう。

この絵は以前にも見たことがあるけれど、その時には「うまく表しているなぁ」ぐらいの感想しかなかったのだけれど、会田誠の絵と並べることによって、今までは感じられなかった移ろいゆく儚さといったものが、絵から感じられた。

 別々に見ることで感じられなかったものがこの配置にすることによって浮かび上がってきている。

今回こうした絵の配置、見せ方で絵に対する印象が随分と変わっている。しかも?の上の部分だけのような展示室の構造もその効果を高めている。

(意図した本野は違っているかもしれないけれど)対比してその差を感じさせる、あるいは同調性を感じさせる展示は何種類かあり、たとえば、鴻池朋子の「ラ:プリマヴェーラ」の草原の中の少女のイメージのかわいらしさ

かわいらしさという視点では川端龍子の百子図

 

風の表現としての「爆弾散華」

そしてナイフの鋭さは「草の実」

と対比できるようになっている。しかも、単に比べるのではなく、それぞれの川端龍子の作品が鋭さを向けてくる。像を囲む少女たちの「百子図」が鋭いなんて思わなかった。

「草の実」がずかずかとナイフのように刺さってくるとは思わなかった。

一番奥にある3枚の仏像の絵と仏像。



3枚の絵のうち真ん中は天明屋尚の「ネオ千手観音」、そして川端龍子の「青不動」と「十一面観音」そして右側の写真が川端龍子が持っていたという「十一面観音菩薩立像」(右側に絵もはいっている)。ここまで来ると奈良時代、1940年、1958年、2002年という年の違いよりも同質性のほうが浮かび上がってきている。

 うちからはちょっと遠いけれど、期間中にもう一度行ってのんびり見てきたいと思う。

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2021.04.14

与謝蕪村の楽しい時間

 今日は以前からの知り合いのグループと一緒に府中美術館へ。

今年の「春の江戸絵画まつり」テーマ「ぎこちない」を芸術にした画家「与謝蕪村」。

今までだって、何度となく見てきた与謝蕪村だけれど、すごい絵を描くという印象はなく、「うまいけど、そこそこいい絵」を描く人だという程度の認識しかなかった(もちろん、Cosに基礎教養がないからそう思うのであって、一つ一つの絵をじっくり見たことがないということ)173351579_4167924289908463_9182444017813

このポスターにかかれている作品はどれもかわいい系の絵で「すごいなぁ」という感想は出てこない。餅つきをしているウサギは単純な線で描かれているのに、どうしてこんなにかわいいんだろう?このウサギはこの展覧会の「顔」なのだそうだ。他の絵の賛だけど「春の海、終日のたりのたりかな」という蕪村の句にもふさわしいウサギのように感じる。

 実際にはこのウサギは夏の暑さの中、いくばくか涼しくなった夜のうちに臼で麦(だったと思う。持ちではなかった気がする)を打っているというところで、決してのんびりとした雰囲気の絵ではなかったのだが、このウサギの表情はこちらにのんびりしたものを感じさせる。展覧会の言う「ぎこちなさ」なのだろう。 

 

それに引き換え、この絵はほんわかしたというよりもきっちりとえがかれていて、たぶん絵としての完成度は高いのだろう。本物と見比べないと何とも言えないけれど、これは一応重要文化財。これはあくまで写真にとることができた看板だけど、これ以外にも何枚もの真剣に描かれた絵が展示されていて、それはさすがにそれなりの出来栄え。

 国宝の宣夏図(十宣帳から)などもそんな一枚だけど、よくよく見るとそこにある小屋の中の人物はどこかほんわかしている。この差が蕪村の面白いところなんだろうと思った。この人も「終日のたりのたり」タイプ。こうやって一枚の絵の中に二つの描き方をした部分が混じっていると、どう評価していいのかわからない。それがこの美術展のサブタイトル「ぎこちない」につながるのかもしれない。緊張感のある絵の中に一点ふっと気の抜けるところがあることで絵の世界がふわっと広がるような感じかもしれない。

 与謝蕪村を堪能した後、いっしょにいったメンバーでサイゼリアへ。ご時世ということもあって、二つのテーブルに分かれて座り、「他のテーブルとは話をしないでください」といわれたけれど、不良老年がそんなことを守るはずもない。Cosだって、生徒がいなければ平気。一緒に行ったなかにはサイゼリア初体験の方もいて、(こんな所へ行くのか?)という感じだったけれど、マグナムの白ワインを飲み、次から次へとみんなが注文するテーブルに乗りきらない料理に目を丸くし、すごくおいしいというほどではなかったけれど、コストパフォーマンスが最高の料理を次々に口にして、最後の会計では金額の安さに驚いていたのはご愛敬。

 というわけで一年以上ぶりに楽しい食事会をすることができた。これでまたしばらくはこうしたことはできなくなるんだろうけれど、こういう時間はまたほしいなぁ

 

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2021.03.28

コンスタブル展 光を描く、空気が動き出す。

三菱一号館美術館で2021年2月20日~5月30日まで開催中の「コンスタブル展」のブロガー内覧会に行ってきました。人の名前を覚えることが特に苦手(だから歴史が苦手ということもあるし、仕事柄かなり困ったりもしたんだけど)なので彼の絵は何度となく見たことがあるし聞き覚えはあるけれど、名前はたぶん意識したことがなかった気がする。言い換えると、彼の絵を見るためだけに展覧会に行ったことはないということなのだ。
 しかし、フライヤーを見た瞬間に「この人の絵は知ってる。絶対に見に行く」と決めた。

 

 本当は内覧会の日には他の予定もあり、できる限り早い時間に帰らなくてはならなかったし、他の人、例えば同時期に見てきた吉田博展であれば行くのをやめていただろう。もちろん、吉田博が良くなかったわけではない。「こんな木版画の世界があるのか・・・」と驚いたし、浮世絵ではないけれど、どこか浮世絵とも同じ空気があって、それはそれは豊かな時間が過ごせたので、Cosにとっては十分な価値のある時間だったけれど、このコンスタブルの作品の多くは光が生きていて、光を受けた空気が光っている。特に今、世界中を包んでいる重くよどんだものを動かしていきそうな空気がそこにはある。

 


(写真はすべて特別に許可を頂いたものです)

手前はイースト・バーゴルド・ハウス 1809年の初期の作品だけれど、情景の中の空気が伝わってきている。

 


右が「雲の習作」この絵がフライヤーに出ているのを見て、見に行きたくなったのだが、行くだけの価値はあった。写真には描き切れない雲が命を持っているかのような雰囲気は何度見返してもよかった。(これをモチーフにしたマグカップを買ってしまったほど) 明るい雲ではないのに、なぜか明るさがあって、どことなく期待を持たせるような雲になっているのが不思議。

 

 

 同じ時代にターナーがいなければ、コンスタブルの評価も変わっていたのだろうか。

 

確かにCos自身もターナーのほうが好きかもしれない。ターナーの描く空気も意志を持っていてとても好きだ。
この右側の「ウォータールー橋の開通式」がコンスタブルの作品、左側の「ヘレヴーツリュイスから出港するユトレヒトシティ64号」がターナーの作品。二人の描く空気の違いが感じられるだろうか。この2枚を並べて展示してあるので二人の違い、共通点などが自然にわかってくるような気がした。


そして最後の方にあったこの「虹が立つハムステッド・ヒース」
雨が上がって、空気が澄み虹が2本出ている・・・物語があるのかもしれないし、ないのかもしれないけれど、ここにもまた「これから」を感じさせる空気がある。

 

 

写真がうまく表示できない・・・このところココログの調子が今一つうまくない。

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2021.03.17

東博のお雛様 2

 「お内裏様にお雛様」の中に出てくるお雛様というと、若くてきれいなお雛様を思い浮かべるけれど、東博で見てきたお雛様はほとんど若いというイメージはなかった。どちらかと言えばおっとりとはしているけれど、結構ひねた感じのする女性のような気がする。

 

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それはそれで、こどものためのひな人形ではなく、その家のためのひな人形という感じがしてきらびやかなだけでない歴史を感じさせる。

見ているだけでも優雅な気分になれるから不思議。紙の立ちびなもまた違った時間の流れが感じられてとてもいい。

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2021.03.16

東博のお雛様

 先日、今年初めての東博に行ってきた。

東博の特別展はいいものが多いけれど、特別展がなくても総合文化展だけでも十分に楽しいし、本館だけでなく、東洋館もとても充実しているし、法隆寺宝物殿はほとんど人もおらず、静謐を楽しむことができる。そのために特別展のチケット4枚付きのプレミアムパスを毎年買っているのだが、この1年都心に出ることも避けてきていたので、パスの期限が切れてしまっていたので新しいものを買いたかったし、3月だからお雛様を見に行きたかったのだ。

 すると、なんということか、2021年4月1日から会員制度が変わって、プレミアムパスがなくなり、総合文化展の入場だけが無料(特別展は団体割引料金)になるというのだ。「えっ」とびっくり。

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2060

 2021年4月からは

 メンバーズパス 2500円(一般) 1200円(学生)で

総合文化展はは無料。一回の 観覧料が2020年から一般1000円、学生500円なので、3回も行けば元が取れてしまうから、値段的にはいいかなぁと思うけれどCosは3月にプレミアムパスを更新したので、特別展のチケット4枚付きだから四月からの鳥獣戯画を4回見ることも可能なのはちょっとうれしい。

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あたらしい春?

 2021年、1月と2月にすご~く久しぶりに仕事をした。仕事をしなくても生きていくことはできそうだけど、それ以上のことが何もできない状態をここ数年続けていた。

 連れ合いを亡くし、仕事を辞め、勉強を始めたけれど、現在のところ、その勉強は実を結んでいない。コロナ感染の危険もあって、ほとんど家から出ずに家でダラダラと勉強もろくにせずにいた・・・あっ、新しくコーラスなどを2017年から始めたけれど、これもほとんど実を結んでいない。合唱団の演奏の一環として、NHKホールで第九を歌ったり、ウィーンの教会で歌ったりという普通では得られない経験もしたけれど、たいしてうまくはなっていない。

 去年の秋に高齢者用の職業安定所みたいなところの存在を知り、ふらふらと申し込んでしまって、2か月ほど仕事をすることができた。来年度に向けて継続の可能性もあるということだったが残念ながら、来年度にはつながらなかった。

 仕事の依頼が派遣会社から来た時にはあまりの距離の遠さに乗り気ではなかったのだけど、派遣会社の担当者の「Cos さんにうってつけの仕事です」という言葉についふらふらとOKしてしまった。

 片道2時間、8時半につこうとすれば6時半ぐらいには家を出なければならない。そのためには家事の都合もあって、起きるのは4時半、きびしい。仕事自体は面白く、周囲からも感謝されるという願ってもない仕事だった。しかし、よく考えると仕事時間は大体6時間半、往復には4時間かかるから、実質的な拘束時間は10時間・・・時給は三分の二になる。そうやって考えると決して割のいい仕事ではなかった。なにより、疲れ切って家に帰ってきて、翌朝は(日によって違うけれど)今までよりずっと早起きしなければならず、一週間たったらヘロヘロ。たった2か月だったから体も持ったけれど、これがずっと続くようならどこかで体を壊しそうだった。

 そう考えると、仕事が終わってしまってよかったんだけど、今はさぁて、これからどうするかなぁ状態。

 

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2020.11.16

東郷青児 蔵出しコレクション

 コロナ禍が落ち着いてきたように見えたと思ったら、また感染者が増え始めていた先日、SOMPO美術館の「異国の旅と記憶 東郷青児 蔵出しコレクション」の内覧会に行ってきました。感染者はまだそんなに増えていなかったのでぎりぎり間に合ったん感じかな。

 美術館は5階から始めて、4階、3階とみて最後に2階のミュージアムショップを通る感じ。新しくなってからは初めてで、中も広くなり、展示も余裕を持っていた感じ。ただ、高層の眺望がなくなったのは残念かも。

 東郷青児がすごく好きなのかと聞かれれば、そうは答えないだろうけれど、今のコロナの怖さの中で彼の絵は柔らかく、どこか安心感がある。ちょっとオーバーだけど、コロナの怖さからの避難所のような感じだったかもしれない。それに、東郷青児の絵はよく見る(SOMPO美術館が多い気がする)けれど、それだけをまとめてはみたことがなかったので、一度どこかでまとめて見て見たかったのも事実。

 しかし、こんなにたくさん持っているとは思わなかった。いかにも東郷青児という絵ばかりでなく、「こんな絵もかいていたのか」とびっくりするようなものもあった。

 

 第1章1920年代のフランス

 東郷青児が18歳の時に描いた「コントラバスを弾く」(写真はすべて特別な許可を頂いています)

 さすがに晩年の柔らかさとはかなり違っていて、若さでとがっているようにも感じられる。「こんな絵も描いたんだなぁ」と思った1枚目。

美術学校に行かず芸術家や文化人たちの集まる場所に出入りしていた彼の気持ちが伝わってくる。

それにもかかわらず、二科展に出品し、初出品で二科賞を受賞したという。

1921年から1928年までフランスに留学。


パネルの写真は1922年ごろ。フランスに留学したばかりのころ、いかにもきざな写真だけれど、よく見ると不安が見え隠れしているようにも見える。このころ書かれた「巴里の女」は不安げな表情。この1922年に描かれた作品はどことなく不安が漂っているような気がする。

しかし、たった3年の差だけれど、彼の柔らかさが画面に広がる「ラケット」(1925)

表情はまだ柔らかさが少ないけれど、彼らしい曲線と直線が描かれている。

 第2章 モダンボーイの帰国

1928年に帰国してからもこの傾向は変わらず、次第に女性が柔らかくなっていく。

 

1931年から1933年までの「二科美術展覧会出品作品の絵葉書」。「超現実派の夢No.3」以外は女たちを描いているが、まだ柔らかくとろけ切った女性にはなっていない。

女性たちがとろけるのは

第3章イメージの中の西洋(1935-59)

奈良の仏像を取材して描いたという「舞」、有名な「赤いリボン」などの、柔らかい曲線でできた彼の想う女性たち。私がイメージする「東郷青児」はこんな絵かな。

写真は「赤いベルト」

 実際のところ、こんな絵ばかり描いていたような気がしていたけれど、今回の展示ではそうでない絵もたくさんあった。

第4章 戦後のフランス(1960-78)

このころから性的対象としての女性(と私には思えた)だけでなく、現実の人々の姿を描くようになった。

「母と子a」と「母と子b」

生きることにつかれてしまったかのような女性のつらさを彼の持つ柔らかさの中に加えている感じがする。

4階で展示されている同じ時期の作品にはそれまでと同じような柔らかさといとおしさで描かれている作品もあり、こちらの方が彼らしいという感じはするけれど、その中にもつらさが含まれているような気がしてきた。

(実際には違っていると思うけれど)痛みなど知らないいわゆる「モダンボーイ」から東郷青児美術館を作り美術界の大御所となった彼の絵がすごく好きになったということはないけれど、年齢とともに変化していく姿を見ていると、彼を少し見直すことができてよかった。

 

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2020.03.11

3.11安藤栄作展

先日、樹木葬仲間が教えてくれた、安藤栄作展に行ってきました。

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このウィンドーがなければ、ごくふつうのお宅のようにも見えたギャラリー。

祖師ヶ谷大蔵駅から(世田谷美術館とは)反対側にちょっと行ったところにある小さなギャラリー「GALLERY TAGA2」。小さなギャラリーだし、時間が余ったら、ちょっと頑張って世田谷美術館にも行こうかと考えていたけれど、予想以上に引き込まれて、ここだけで満足してしまった。

 

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手斧で木を細かくたたいていく手法がエネルギーを見せるのか、それとも彼の持っているものなのかはよくわからないけれど、彼の作品からは力強さというかエネルギーというかが伝わってくる。細かくたたかれて出てきた形?なのかもしれない。
ギャラリーの一階には男女のペアと手のような造形。

しかし、写真にしてしまうとあの細かく刻まれた気持ちが伝わってこない気がする。

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こちらに押し付けるようなエネルギーではなくて、見ているだけでそれが伝わってくるかのようなエネルギーとでもいえばいいのか、いくらでも見ていられるような気がする。壁には山のようなドローイング。

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 二階への階段を上ると左側の一段高くなったフロアには走り回っているような犬。さすがにこれが今回見た中で一番良かった。

きっと今でも絵の中でここを走り回っているのだろう。

 

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右側には山かな?一点だけ青く塗られた作品があった。二階にもドローイング。なんだか一階とはずいぶん雰囲気が違う。
そんなことを思いながら見ていたら、ギャラリーの方が「奥にも作品があります。ご覧になりますか?」と。

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今まで見てきた細かく細かく刻まれた作品と違って、ざっくり作られたかのような小さな家々。3.11で流された家々だという。

 

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そしてさっき見た青いものは「津波」。津波の高さはこの家々よりも高いのだという。


ドローイングも一階から続いている3.11の情景だという(違うのもあったけれど)。確かに一階は(どちらかというと穏やかにも見える)山の絵、二階の津波の向こうには避難している人々、そして、犬の向こうには「ふくいち」があった。

 

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2020.03.06

画家が見たこども展

2020年2月15日~6月7日まで三菱一号館美術館の「画家が見たこども展」の内覧会に行ってきました。(写真はすべてこの内覧会で特別な許可を頂いて撮影したものです)

コロナウイルスの感染予防、拡散防止のためこの直後の2月28日から3月16日までは臨時休館となってしまった。

だからというわけではないが、硬い表情のこどもの絵からのスタート。その子どもの姿を見たとたんにドキッとした。P1090759

モンヴェルのブレのヴェルナールとロジェ。この写真から伝わるかどうかわからないけれど、この二人の子どもの表情は硬く、何をするでもなくただ立っているだけ。二人とも同じ服装をして、野原にたっている。

 ヨーロッパ中世ではこどもは人間扱いもされなかったともいうけれど、そんな雰囲気が伝わってくるような絵。景色の柔らかさと比べるとこどもの固さが響いてくる。

アリエスの「子供の誕生」という本の題名が即座に脳裏にひらめいた。(あっ、「子供の誕生」は一度は読んでみたいと思いつつ、いまだに題名しか知らないのだが、こどもに対する教育の必読の書という印象を持ち続けている)

 奥にあるのはマティの「室内の子どもと女性」。こっちのほうがまだ感情を感じられるので、見ただけでドキッとするようなことはない。

 そして、このゴッホの「マルセル・ルーランの肖像」(写真左側)も子どもなのに大人のような表情を浮かべている。P1090769 

子どもに対する見方が今と全く違っていたんだろうなぁと想像がつく。

しかし、実際にはそうした絵は多くはなく、ほとんどは子供らしい描き方をしている。写真の右側のハーンの「ミミの横顔のある静物」では「食べたいんだろうなぁ」というごく普通の印象を受けた。

三菱一号館美術館所蔵のヴァロットンの「女の子たち」まで来ると女の子たちの会話が聞こえてきそうなほどである。(このコーナーは誰でも写真撮影可)

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そして、次第に子どもたちの表情が豊かになってくる。必ずしもかわいらしく、こどもらしく描くわけではないけれど、情景が思い浮かび、こどものいる風景の中の子どもが生き生きしてくる。

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(ガラスに映ってしまって、かなり見づらい写真になってしまったのはとても残念だが、どうやってもうまく取れなかったのだ…)

ドニの「赤いエプロンを着た子ども」と向こう側がボナールの「ル・グラン=ランスの家族」。ドニの「赤いエプロンを着た子ども」の表情ははっきり書き込まれているわけではないのに、素直さ、やわらかさ、あどけなさが伝わってくるし、ボナールの方も、どんな情景だったのかが伝わってくる。表情などは全く分からないのに。

 そして今回はコロナウイルスの感染予防のため、予定されていた高橋館長とTakさんのギャラリートークは中止だったけれど、高橋館長とTakさんのお話は多少うかがうことができた。 

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そこでは、三菱一号館美術館とフランスのボナール美術館の主催で今回の展覧会ができたこと。ただ単純に「こども」を展示したのではなく、こどもの描き方の変化などについての話などを伺うことができた。その視点から今回の展示を見ると表情の違い、描き方の違いがはっきりと見えてきて面白い。

そして、高橋館長にとっても非常に思い入れのある美術展になったことなどを伺った。

この四月で三菱一号館美術館は10周年を迎える。あっという間だった気がするのは私の年かな。

 

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